2018年9月28日 (金)

日本近代社会の独立国精神と植民属国精神の文学

 なんだかんだと言っても、日本の昭和期前半の帝国主義的行動は、前提に独立国であり、それゆえに侵略国になった。侵略しないでいたら正しい独立国であった。現代は、侵略国であったことを反省する。同時に、それは独立国でなく、他国に防衛を頼む植民属国の立場である。その点だけをみれば、現在の日本はゆがんだ状況にある。本来はどうあるべきか、それを菊池寛の思想に読み取りたい。そんなことを考えながら「近代(モダン)文学の原理」を進めている。

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2018年4月 5日 (木)

梶井基次郎の美と憂鬱の定着点

  桜の季節である。会員か良い写真が送られてきたので「桜の樹の下には     梶井基次郎」に採用してみた。梶井は結核を病んでいたので、常に死と向き合わされていたであろう。つねに死に至る憂鬱がつきまとう。そこに桜の美し生命の開花を観た時に、憂鬱と美意識の擾乱がおきたのであろうか。憂鬱な気分の時にロックが鳴り響くようなものだ。そこで、この美しさは死者の上に成り立っているこそのものと、イメージする。そのことで、憂鬱さの落ち着きを取り戻す。
 本来はこれは詩であるはずである。しかし、詩では表現できない情念を表現するためには、言葉の関係性をからめた散文になるしかないのだ。菊池寛は「詩はなくなる」と予言したが、これはそれを証明するようなものになっている。ここには詩的でありながら、あくまで明瞭な風景と情念の関係がある。(北 一郎)

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2018年3月 8日 (木)

外狩雅巳の観察小説と「機械」(横光利一著)について

  外狩雅巳が「詩人回廊」に連載している「安売りショップの特別販売に通う日々」を、推敲した上で「特別販売に通う日々」と改題し、同人誌に掲載する予定であるという。
  これに対する読者の反応について、作者は自分の意図がどのように伝わるか、わからないとしている。評価で先のわからないものほど、同人雑誌にふさわしい作品はないであろう。
 じつは、自分はこの作品は現代的な文芸の試みとして、高く評価している。このように、ひとりの視点から、出来事を述べるという形式で、味わいがあるのは、現在では珍しい。
  かつてのモダニズム文学の旗手とされた横光利一は、「機械」という短編小説で、新手法を駆使した実験小説を書いている。これは、ネームプレート製作所で働く「私」の心理を書き、作業員同士の疑心暗鬼と諍いを書いたもの。段落や句読点のきわめて少ない独特の文体で、複雑な人間心理の絡み合いが精緻に描かれ、一つの抽象的な「 詩的宇宙」が形成されている。一人称の「私」以外の「四人称」の「私」の視点を用いているのが、特徴である。
  私といえば、一人称で、視点が内部のものであるが、四人称の「私」というのは、私が幽体離脱して、外部からみたような視点をもつということである。
 そういう視点からすると、外狩作品における語り手は、「私」なのか、誰なのか、読者の判断が迫られる。それがわからないから、欠点だという見方ではこの話の面白さは理解できないであろう。叙事と叙事詩の違いの解釈もある。
  作者の外狩氏は、時代を肌で感じているが、文学の形式理論には無関心なので、短文を積み重ねたスピード感など、感覚的に現代人ならでの実感と無意識の文学形式が並走させるところも、読み方としてある。(北一郎)

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2018年2月18日 (日)

創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う(2)外狩雅巳氏

  起きた出来事をありのまま、描くことを叙事という。およそ文章の働きに注意深くない人は、日常生活の出来事をありのまま書くことを、エッセイとかいうが、実際はただの叙事であることが少なくない。本人がエッセイというから、それでいいともいえる。それに詩的な味わいとリズム感があれば、叙事詩となる。
  それは物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。古典では、一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。   その意味で「創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う」外狩雅巳氏は、文体にリズム感があり、現代的な叙事詩ともいえそうだ。
  この場合は、孤独感の強い高齢者が、親切にされ、優しく相手になってきれると、居心地が良くなってくる。そして繰り返し足を運びたくなる。それを他人から、とがめられると、余計その思いが募る。
 ここでは、その商業活動を舞台の演劇化したように表現している。高齢者たちに英雄的なドラマ性はない。
英湯的な帯兄 主にドイツの演出家・劇作家のベルトルト・ブレヒトによって探求された演劇のあり方。しかし、読者を舞台のなかの人物のように、観客を観察者にして、その出来事への理解を委ねさせれば、これは作品として成功するのではないだろうか。

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2018年2月17日 (土)

創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う(1)外狩雅巳氏

  高齢化社会になって、それだからこそ起きる社会現象が多くある。テレビのコマーシャルでも、高齢者の生命保険や、健康食品、サプリメントなどが、氾濫している。生命保険などは、働き盛りの大黒柱が、万一の時に、妻や子供が生活維持するためのリスクをとったものが、本来の姿。すでに、子どもも独立した高齢者などは、たとえ死んでも、家庭に保険をかける必要もないのである。そうした、社会動向のなかで、「詩人回廊」の外狩雅巳庭では、「安売りショップの特別販売に通う日々」の連載を開始した。まず、いま、流行りの催眠商法で、、格安商品を販売して、そこから高額商品売りつける商法の現場に突入しているようだ。
 このビジネスは、無料の景品や安価な商品を目玉にして、数カ月以上販売会場に通わせる。相手が高齢者で暇があるので、可能な手法であろう。高齢者は、会場に行けば何かと得をするし、仲間も誘う。友人からの誘いならば、それが高額商品を交わせる目的の呼び寄せとは気がつかない。
 会場に行くと、優しい言葉で販売員が次々と話かけてきて、淋しい人には居心地がいい。しかも、何らかのお買い得商品が買えるので、毎日のように通うのである。
  販売員は、高齢者の好む健康の話題を軸にし、売り込む商品間接的に係る話を面白おかしくする。宣伝はするものの、押し売りはしない。そこで、高額商品を買わされても、被害者意識がでない。
 国民生活センターによると、長期にわたって、大量の商品を買わせる「次々販売」の被害者は2016年で1411件。購入契約をした被害者の年齢は平均72.5歳。なかには90歳以上もいるという。平均支払い額は約180万円だという。
 この現場を外狩氏はどのように創作するか、まずはその下書きとして興味深い。

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2017年11月27日 (月)

回想の叙事詩としての文学性

  「詩人回廊」の外狩雅巳氏のネット交流記「懐かしい人の冨岡氏が「夜間は『中央労働学院』」にコメント」がある。波乱万丈の人生模様が簡潔に記され、行間のなかで読者の想像力をかきたてるものがある。まさに、神話的な叙事詩のそのもののように、自分には読めるが、彼の周辺では、生活日誌的作文になれてしまい、あまりひょうかされないように感じている。文学性の感受性にもいろいろあるものだ。

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2017年11月24日 (金)

ロサンゼルスでも知ってる人がいる文学フリマ東京

  イベントの国際化で、米国の感謝祭も日本に伝わってくる。文芸同志会関係者には海外と密接なところがあて、「詩人回廊」でも「文学フリマ東京2017  江素瑛」がある。
 そのほか人でも、海外との関係者が多く、フェイスブックには多くの外人からのお友達申込みがあるが、ほとんど無視。自分は、長めの理論のできるネット活用に限定している。  

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2017年9月 6日 (水)

投稿雑誌「文芸生活」58号(1980年)の作品選者たち

  雑誌「文芸生活」58号(新文化社)について外狩雅巳氏が「詩人回廊」にその因縁を書いている。目立ったのは雑誌の表4に西部デパートの広告が出ていることだ。小さな文芸雑誌には不似合いな、大企業広告である。ひょっとして、と思って、雑誌の投稿規定を見ると、そこに創作指導/選者のメンバーが名がある。
 そのなかに、やはり辻井喬(詩人)というがあった。応援をしていたらしい。そのほか、高井宥一(作家)、小松伸六(評論家)、久保田正文(評論家)、奥野健男(評論家)、半沢良夫(作家・本誌編集長)、伊藤桂一(作家・詩人)、嶋岡晨(詩人)など、かつてほでもなくても、当時でも錚々たるメンバーである。
編集長の半沢良夫は、この年「ジプシー分隊―わが青春の墓標」を刊行している。雑誌の構成は、会員制同人誌で市販はしていなかったようだ。
 久保田正文の投稿作品評には、「うまいが感動しない」として、どれもソツなく書けているが感度をしない、という小説技術の巧さだけでは、物足りなさを指摘している。
 一方、詩の部門では、伊藤桂一が「詩の格と才質」として、詩にも、長年の勉強で、作品に格がにじみ出るということを記している。選んだ作品には、一読してもさりげないさが印象に残るものがある。
 これらは、現在の同人雑誌に共通の指摘である。
 小説では、通常は男の「妻帯者」に対する外狩氏の家族の田中萱「夫帯者」というのが選ばれている。巧いもので、文章の感性に優れている。もう一つの森屋耀子「田園監視人」も優れていて、題材も現代的だが、時代に合えば、世に出ていたのであろうと思われる。ちなみに、この年の直木賞は、向田邦子や志茂田景樹が直木賞などを受賞している。
 映画では自分は、鈴木清順「チゴイネルワイゼン」、黒澤「影武者」、コッポラ「地獄の黙示録」を観た年であった。

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2017年8月26日 (土)

「言葉の壁」佐 藤 裕 の多重性

 「詩人回廊」の佐藤裕「言葉の壁」には、良し悪しをべつにして現代詩の課題を指し示すヒントがある。今回の詩は、なにか具体的な事象をみつめることで、言うに言われぬ情念を発露したのであろう。だが、同時に言葉を物理的存在に等しいものとする意味にもとれる。季節の贈答品は言葉を形にのせた心の表現でもある。
 この手法の先には、対象とした出来事を散文にまで進む可能性がある。
 詩(うた)という表現がるなかで、現代詩は言葉の音楽性を失うものが多い。その代わりとして、散文的なリズム与えることも可能ではないか? という問題提起が「詩人回廊」にはある。

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2017年8月14日 (月)

「喪失の記憶」(佐藤裕)の詩的コラージュとロマン

  「詩人回廊」(佐藤裕の庭)での「喪失の記憶」は、言葉を唯物的に並べ置くと、ひとつのコラージュイメージが湧き出るところがある。これは、詩的な資質であるらしく、ハードドライな現代社会のひとつの表現になっている。
 イメージとイメージのつながりは読者の想像に任せられており、意味の不確定性をもつ手法で典型的なところがる。過去の作品の散文では、現代社会におけるロマンを語るものがある。いずれにしても多くの情報消費を前提としたなかで、心の癒しをえることの難しさを読むことができる。

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