2020年3月26日 (木)

赤井都さん3月「言壺便り」

■最近、どうでしょう=前回メルマガをお送りしたのは一か月前。そこからご時世がすっかり変わってしまい、あれは本当に一か月前だった
のか? と感じるくらい長い一か月になってしまいました。作る人なので、基本、インドアで、変わらずにむしろ集中して仕事が進んだりしています。とはいえ、変化といえば、うちへ豆本を作りに来るという海外とのお話が頓挫したり、アメリカの友人二組がちょうど桜の季節に来て本の街や紙屋さんを案内するはずだったのが、ギリギリで来られなくなったり、と影響はさっそくこうむってはいます。
  少人数の静かな集まりまで自粛したらやりすぎでは? と思い、自宅教室は来られる方の判断にも委ねながら、続けています。とりあえずドアノブなどのアルコール消毒をこまめにするようにしています。うちに来た人が、せっけん手洗いをまずさせられるのは、こうなる前からでしたのでそこも、変わりなく続いています。
  やはり、自分の好き! を持ち続けて、作り続ける、人に届ける。それで、毎日楽しくなって、時間を楽しむ、楽しんでもらう。そこに尽きるかなと、これまでの自分の軸を再認識するような形になっています。
  ただ、自分だけじゃなくて、周りも元気でないと話は進まずラリーから、グレープフルーツの函はまだ来ないんですよね。他の作品に取り掛かりながら、函を待っている次第です。少しずつの進行で、よろしくお願いいたします。
■スマホを持ちました=なんと、このご時世についにスマホを持ちました。便利でびっくりしています。小さくて、技術が詰まっている物を基本的に好きですので、さっそく楽しんで使っています。GPSが、位置がぴったりに表示されてすごいですねー。写真も勝手にきれいに加工されて、写真うまくなったかと自分が錯覚する出来栄えです。最近、ツイッター、インスタグラム、フェイスブックの更新が頻繁だなと気付いている方はいるでしょうか? 実は電車で移動中にスマホから更新したりするので、こまめ度アップしています。しかし、こまめすぎて、見る方がついてこられるのか、更新頻度はどれくらいが良いのか、疑問も持ち始めたところです。たぶん、ツイッターを見る人はツイッターを、インスタの人はインスタを、と好きなSNSは決まっているだろうから、私の方はどれと決めずに、それぞれに更新するつもりで、そのうちになんとなく感覚で話題を分けられるようになるのだろうか? その前に私が飽きてしまわなければ、もしくは、忙しくなりすぎなければ、ですね。こういう時だからこそ、インターネットでつながって、楽しみましょう。スマホ画面で見ていたら、ツイッターに、@ツイートのタブがあることに今さら気付き、1年前の@ツイートをようやく読んで、ほっこり&申し訳なさ抜群です。この春はスマホ一年生。とりあえず入れたアプリや、お気に入りのアプリいろいろ。おすすめアプリがあったら教えて下さいね。
(中略)歩数計や、毎日の天気、目覚まし、これは毎日使います。キンドルも入れて、3回くらい読んで、寝ながらでも読める楽さが、本の重さがなくてよいかんじでした。でも目が疲れますね。ニュースのページは、サクッと開けるけど、いっぱいギガを使ったよという警告が出るのであんまり見ないで正解?)《赤井都「言壷ニュース」》

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2019年11月21日 (木)

西村賢太氏「私の東京物語」(東京新聞・朝刊)に小学生時代の写真

 同人雑誌の歴史などは、多くの人に語られているが、現在の同人雑誌デビュー作家の西村賢太しについて、そのことはあまり記されていない。フリー百科事典によれば、履歴にそれが出ているーー。 2003年夏、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始める。2004年、『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される。同年に『煉瓦』を退会。2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。2009年、「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。
 現在、東京新聞・朝刊の連載「私の東京物語」で少年時代のことが記されているが、本人提出の小学6年生時代の写真が出ている。おぼっちゃん風であるのが、現在の私小説の主人公のイメージと大いに異なるのが面白い。そこに、父親に話が出ている。父親は、事業を経営していて、外車を幾度も買い替えるほどであったというから、お金持ちのお坊ちゃんであったのであろう。その父が突然、犯罪を起こしたことで、人生が変わったという。そのいきさつは、《 作家・西村賢太!私小説作家イメージとその素材(4)》にもある。

 同人雑誌に書いていても、一度、世に出る機会があったら、次作にそれを出版社に出すためのものという前提で書きためにしておかないと、結局、その後の商業誌への継続出稿ができず、職業作家への道を狭めることになる。黒岩重吾は、デビュー後は、4~50篇の書きためがあったので、流行作家の波に乗れたと、どこかで語っている。公募の応募したならば、それが当選すると確信して、次作品を書き始めるという心構えが求められる。現代では、そのことは人に言わないがいいかも。笑われるであろうから。しかし、いくつも作品控え持っていることを、編集者に知ってもらえれば、彼の方から縁を切られる可能性は薄いものだ。

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2019年11月18日 (月)

赤井都・言壺便り「Hi, Mini Zine!」開催中

 赤井さんはもともとは、「群像」など純文学作家として、文芸誌公募の最終予選通過の常連であった。フリーマーケットで豆本を書き・作り、売るということをはじめてから、次第に豆本の国際的なメジャーになる。なにより、特別でありながら普通の充実した文学生活を送っているところが、すごい。がちゃぽんも、流行の兆しの段階で取り入れていた、感覚の鋭さがある。

          ☆

 言壺便り2019.11.18 No.159
~紅葉と小さな本号~
▽目次▽
■「Hi, Mini Zine!」開催中ー11/21(木)15~18時、在廊します!ーとっても大変な設営が、豆本がちゃぽんの優秀な人たちによって、奇跡のごとくすっきりと終わって、すばらしい展示になっています。11/24が最終日です。お見逃しなく!

 このカフェのドリンクはどれもおいしくて、私のお気に入りは、ビネガードリンクやハーブティーです。

こんにちは、豆本/Hi, Mini Zine!
東京~香港~上海 国際豆本がちゃぽん巡回展ーー日程:2019年11月1日(金)~11月24日(日)
開催場所:MOTOYA Book Cafe Gallery
住所:東京都渋谷区初台2-24-7
アクセス:京王新線 初台駅 中央口改札南口 徒歩8分、小田急線 代々木八幡駅 徒歩10分、千代田線 代々木公園駅 八幡口 徒歩10分、渋谷駅西口より京王バス 初台坂下バス停 徒歩3分
OPEN:水曜日~日曜日13:00~20:00 ※月曜・火曜 お休み
※入場は30分前まで ※要ドリンクオーダー

 香港、台湾と巡回してきた「国際豆本がちゃぽん巡回展」
東京での開催です。
上海(香蕉魚豆本 bananafish mini zine)・香港(蛋誌 eggwich)・日本(豆本がちゃぽんTokyo)のアーティスト約40名による豆本を中心とした手製本・Zineが、400冊以上集まります。(一部販売もしています)
何が出るかお楽しみな豆本がちゃぽんは、¥500で楽しめます。がちゃぽんのテーマは”hi / hello”
豆本がちゃぽんからの参加作家:赤井都、五十嵐彪太、木月禎子、奈良麻子、葉原あきよ、蓮月堂 ーー言壺便りについて  今年の終わりが見えてきて、新しいスケジュール帳が欲しいところです。やはりアナログ、ノートにペン書き派です。今年のスケジュール帳は、ところどころに絵を描きました。後で見返すと、イメージがそのまま蘇って、楽しいです。

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2019年10月12日 (土)

穂高健一「安政維新」が発売前に話題作

 穂高健一氏の歴史小説「安政維新」が10月15日発売予定だが、すでに購入できるという。長年、小説教室の講師をし、幕末歴史小説で新資料解釈で話題になったせいか、早くから注目作になっているようだ。《参照:釈たまご氏ー安政維新・穂高健一先生

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2019年8月27日 (火)

寝ている間に戦争が始まっていたー早乙女勝元氏

 昭和7年生まれの早乙女勝元氏は、眠っている間に戦争がはじまり、勝つと信じさせられて、東京大空襲にあい、ひどい目にあった。平和になったと思うまもなく、終戦5年目で朝鮮戦争がはじまったという。米軍はの戦争の間、米国から物資調達や軍備品の補修など、本国でやっていたら間に合わないので、日本で調達したため、日本は大忙しになった。生活のため、戦争に関連したための仕事とわかっていたが、工場で働いていたが、平和のために何かできないかと考え、20代で、小説を書いたら、それが認められ映画にもなって、20代で作家になったという。《参照:反戦は一人から始める勇気を!作家・早乙女勝元氏

 ニュースがあっても、隠したいことがあると、別の情報を流して、気づかないようにする。現在、日韓関係ばかりで、日本が米軍の基地化され、費用は日本の負担であることには触れようともしない。何十兆円も使いながらである。

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2019年8月 7日 (水)

小説に単行本と文庫本と、二回のチャンス=額賀 澪

 新人作家の単行本はびっくりするくらい売れないから」 「とりあえず、文庫が出るまで頑張って」
 家デビューした直後、いろんな人からそう言われた。二〇一五年の夏のことだ。それからおよそ三年がたち、私は十冊の単行本を刊行した。一冊出すたびに、「びっくりするくらい売れない」という言葉の意味を噛み締めることになった。
 文庫本の多くには、親本と呼ばれる元となった単行本が存在する。単行本が刊行されて数年たってから廉価版として刊行されることが多いが、最近は文庫書き下ろしという形で世に送り出される作品もたくさんある。
 大学時代、私はとんでもなく貧乏だった。飲食と家庭教師とライターのバイトを掛け持ちして、空いた時間で小説を書いて過ごしていた。書店に行っても、単行本の小説を買うことができなくて、もっぱら大学と街の図書館のお世話になった。文庫本でさえ、「この本を買うお金って一日分の食費より高いな……」などと考えながらレジに持っていった。
 普通の大学生に比べたら本を読む方だったはずの私でさえ、なかなか単行本に手を出せなかったのだ。自分の単行本がそう易々と売れるわけがない。しかし、ポジティブに捉えるなら、一つの小説に単行本と文庫本と、二回のチャンスがあるとも考えることができる。

週刊読書人ウェブ《新しい読者の入り口 作家・額賀 澪

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2019年7月15日 (月)

恩田陸氏ーー日本ファンタジーノベル大賞に応募してから就職活動

恩田さんは1991年に第3回日本ファンタジーノベル大賞に応募した『六番目の小夜子』で小説家としてデビューなさいました。その前後の思い出を伺えますか。

 恩田:子どもの頃から「いつか作家になりたいな」とは思っていました。でも、いまとちがって当時は、若い人が作家としてデビューできる機会は新人賞に応募することしかなかった。なぜか作家はみな年寄りだという固定観念があり、もし自分が作家になるとしてもずっと年を取ってからの話で、若いうちからなれるものだとは思っていませんでした。

 ところが第1回日本ファンタジーノベル大賞で私より1歳年上なだけの酒見賢一さんが、『後宮小説』という傑作でデビューした。そのことにものすごい衝撃を受けたんです。そうか、別に若いうちから書いてもいいのか!と思って応募したのが『六番目の小夜子』という作品でした。

 恩田:はい。就職していちばん嬉しかったのはハードカバーの本が買えるようになったことで、就職後の1、2年はその年に出たミステリー小説はほとんど買って読んでいたんです。でもそのうちに第一次OA化の時代がやってきて、職場の仕組みがアナログからデジタルへの移行ですさまじく忙しくなった。そのせいで本を読む暇もなくなってしまい、身体まで壊してしまったんです。

 そのときに、この小説を書き始めました。最初はどこに発表するつもりもなくノートに書いていたのですが、第2回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を読んで、「私の考えるファンタジーはこれじゃないな」と思ったんです。「読者」としての自分は、よくある異世界もののような正統派のファンタジーではないものが読みたかったんです。じゃあ自分だったらどういうものにするだろう、と思って書き始めたのが『六番目の小夜子』でした。

 身体を壊したので勤めていた会社を辞めることになり、時間ができたのでひと月ぐらいで一気に書いて応募しました。締切が迫っていたせいか、かなり追い詰められていて、寝ると夢に「小夜子」が出てくるんですよ。「すいません。早く続き書きます」と登場人物に謝りながら書いていました(笑)。
 作品が出来上がったあとも、ノートに書いたものを原稿用紙に清書するため2晩くらい徹夜しました。それでも間に合わず、締切に間に合うよう先に半分だけ送り、残りは締切を過ぎてから送りました。失格にしないでくれたことに感謝しています。

 応募後、すぐに就職活動を始めました。まさかこの作品でデビューできるとは思っていなかったんです。いわゆる「記念受験」みたいなもので、作品を書き上げて応募しただけで気持ちがスッキリし、満足していたんです。

──応募作が本になることが決まったときはどんな気持ちでしたか。

 恩田:ファンタジーノベル大賞の最終候補になったという連絡がきたときは、もう再就職して人材派遣会社で働き始めていたので、賞に応募したことさえ忘れていて、とてもびっくりしました。

 連絡をくれた編集者の話によると、下読みをしてくれたのが私と同世代の人たちで、その評判がとてもよかったらしい。それで、たとえ大賞が受賞できなくても本にはします、と言ってくれたんです。自分の同世代に「こういうものが読みたい」と思ってくれる人がいたのは、やはり嬉しかったです。NHKでやっていた少年ドラマシリーズみたいな「ホラーっぽい学園もの」がみんな好きだったはずなのに、当時はそういう小説がそんなになかった。「こういうものが読みたい」という、「読者としての自分」の感覚は間違ってなかったな、と思ったことを覚えています。誰かの言葉で「作者は読者の成れの果て」というのがありますが、まさにそんな感じでしたね(笑)。

 恩田陸というペンネームは応募時につけたのですが、本が出ることが決まったときに「ペンネームを変えませんか」と言われたんです。他の名前を考えておいてくださいと言われ、いろいろ考えて別のペンネーム案を伝えたのですが、編集者の方に「なんだか恩田陸でもよいような気がしてきました」と言われて、結局そのままになりました。受賞に至らなかった作品が本になったわけですが、日本ファンタジーノベル大賞で候補まで残った作品で、私の他にもいろんな方がデビューしています。

出所=Presented by 幻冬舎ルネッサンス新社

 

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2019年7月10日 (水)

書店「フルハウス」の店主で作家の柳美里氏が講演

 2018年4月、福島・南相馬市小高区でブックカフェ「フルハウス」を開業した作家・柳美里氏が74日、東北ブロック大会で講演。「南相馬にて」と題し、福島民報社・地域交流局長の佐久間順氏が聞き手を務めた。

 10坪の売場にはベストセラーや新刊はない。柳氏が図書館や書店で選んだ本はジャンル分けせず、「連想ゲームのように関連づけて陳列している」。両親が不仲で、小学生時代には酷いいじめに遭った柳氏。「私の居場所は本屋しかなかった」と話す。現実から別世界に逃げ込んだのは有隣堂(神奈川)だった。

 書店開業については、多くの人から「やめた方がいい」とアドバイスされたが、「いくつもの扉がある本屋は、世界一美しい場所」という思いからフルハウスを開店した。(新文化)

《参照:柳美里オフィシャルサイト

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2019年6月 7日 (金)

芸能か何かで名が知られてから作家になる

  女優・蒼井優(33)との結婚を電撃発表した「南海キャンディーズ」山里亮太(42)が執筆した短編妄想小説集「あのコの夢を見たんです。」(1500円+税)の重版が決定した。
 本作は月刊テレビ誌「B.L.T.」(東京ニュース通信社)に、2010年10月発売号から連載スタート。山里が旬な女優やアイドルを物語の主人公とし、妄想を膨らませて執筆した。今年で9年目となり、その数は60本を超えている。
 その中から16本を厳選し、加筆・修正をし1冊にまとめたのがこの本。4月12日に発売され、山里ファンはもちろん、幅広い世代から支持を受け話題となっていた。今回の結婚会見直後から人気が伸びて売り上げが加速。重版決定への追い風となった。
 山里は「僕の妄想は世の中の人に受け入れられなかったのではないだろうか…そんな思いを払しょくしてくれた朗報!!!『あのコの夢を見たんです。』重版出来!!!!!ひたすら嬉しいです。どうぞまだの方、手に取って読んでやってくださいませ」と喜びのコメントを出した。

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2019年6月 1日 (土)

第6回「暮らしの小説大賞」に平沼正樹氏「しねるくすり」

 産業編集センター主催の第6回「暮らしの小説大賞」の受賞作が平沼正樹氏の「しねるくすり」決まった応募総数は714件。

  作者コメント(抜粋)=この作品は私が書いた2作目の小説となります。最初の作品が第5回「暮らしの小説大賞」で一次選考を通過したことが大きな自信となり、本作を書き上げることができました。故に「暮らしの小説大賞」は私の人生において特別な存在となりました。ーー
 しかし一方で、ようやく私にもバトンが回ってきたという一縷の安堵と大きな責任を感じております。それは生命を形成する遺伝子のバトンではなく、私たちの暮らしのすぐそばにある尊い文化を継承するミームのバトンです。作家と呼ばれるようになりたいという夢と希望に満ち溢れた20代、しかし思い通りにならずもがき苦しんだ30代、そして夢は夢と諦めかけていた40代に遂にそれを手にすることができました。この気高きバトンを次の世代に託すその日まで、しっかりと握りしめて走りきる所存です。

ーー受賞作は今秋、単行本化される。平沼氏は1974年生まれ、神奈川県小田原市出身。現在、ウェルツアニメーションスタジオ代表。

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