2019年8月 7日 (水)

小説に単行本と文庫本と、二回のチャンス=額賀 澪

 新人作家の単行本はびっくりするくらい売れないから」 「とりあえず、文庫が出るまで頑張って」
 家デビューした直後、いろんな人からそう言われた。二〇一五年の夏のことだ。それからおよそ三年がたち、私は十冊の単行本を刊行した。一冊出すたびに、「びっくりするくらい売れない」という言葉の意味を噛み締めることになった。
 文庫本の多くには、親本と呼ばれる元となった単行本が存在する。単行本が刊行されて数年たってから廉価版として刊行されることが多いが、最近は文庫書き下ろしという形で世に送り出される作品もたくさんある。
 大学時代、私はとんでもなく貧乏だった。飲食と家庭教師とライターのバイトを掛け持ちして、空いた時間で小説を書いて過ごしていた。書店に行っても、単行本の小説を買うことができなくて、もっぱら大学と街の図書館のお世話になった。文庫本でさえ、「この本を買うお金って一日分の食費より高いな……」などと考えながらレジに持っていった。
 普通の大学生に比べたら本を読む方だったはずの私でさえ、なかなか単行本に手を出せなかったのだ。自分の単行本がそう易々と売れるわけがない。しかし、ポジティブに捉えるなら、一つの小説に単行本と文庫本と、二回のチャンスがあるとも考えることができる。

週刊読書人ウェブ《新しい読者の入り口 作家・額賀 澪

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2019年7月15日 (月)

恩田陸氏ーー日本ファンタジーノベル大賞に応募してから就職活動

恩田さんは1991年に第3回日本ファンタジーノベル大賞に応募した『六番目の小夜子』で小説家としてデビューなさいました。その前後の思い出を伺えますか。

 恩田:子どもの頃から「いつか作家になりたいな」とは思っていました。でも、いまとちがって当時は、若い人が作家としてデビューできる機会は新人賞に応募することしかなかった。なぜか作家はみな年寄りだという固定観念があり、もし自分が作家になるとしてもずっと年を取ってからの話で、若いうちからなれるものだとは思っていませんでした。

 ところが第1回日本ファンタジーノベル大賞で私より1歳年上なだけの酒見賢一さんが、『後宮小説』という傑作でデビューした。そのことにものすごい衝撃を受けたんです。そうか、別に若いうちから書いてもいいのか!と思って応募したのが『六番目の小夜子』という作品でした。

 恩田:はい。就職していちばん嬉しかったのはハードカバーの本が買えるようになったことで、就職後の1、2年はその年に出たミステリー小説はほとんど買って読んでいたんです。でもそのうちに第一次OA化の時代がやってきて、職場の仕組みがアナログからデジタルへの移行ですさまじく忙しくなった。そのせいで本を読む暇もなくなってしまい、身体まで壊してしまったんです。

 そのときに、この小説を書き始めました。最初はどこに発表するつもりもなくノートに書いていたのですが、第2回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を読んで、「私の考えるファンタジーはこれじゃないな」と思ったんです。「読者」としての自分は、よくある異世界もののような正統派のファンタジーではないものが読みたかったんです。じゃあ自分だったらどういうものにするだろう、と思って書き始めたのが『六番目の小夜子』でした。

 身体を壊したので勤めていた会社を辞めることになり、時間ができたのでひと月ぐらいで一気に書いて応募しました。締切が迫っていたせいか、かなり追い詰められていて、寝ると夢に「小夜子」が出てくるんですよ。「すいません。早く続き書きます」と登場人物に謝りながら書いていました(笑)。
 作品が出来上がったあとも、ノートに書いたものを原稿用紙に清書するため2晩くらい徹夜しました。それでも間に合わず、締切に間に合うよう先に半分だけ送り、残りは締切を過ぎてから送りました。失格にしないでくれたことに感謝しています。

 応募後、すぐに就職活動を始めました。まさかこの作品でデビューできるとは思っていなかったんです。いわゆる「記念受験」みたいなもので、作品を書き上げて応募しただけで気持ちがスッキリし、満足していたんです。

──応募作が本になることが決まったときはどんな気持ちでしたか。

 恩田:ファンタジーノベル大賞の最終候補になったという連絡がきたときは、もう再就職して人材派遣会社で働き始めていたので、賞に応募したことさえ忘れていて、とてもびっくりしました。

 連絡をくれた編集者の話によると、下読みをしてくれたのが私と同世代の人たちで、その評判がとてもよかったらしい。それで、たとえ大賞が受賞できなくても本にはします、と言ってくれたんです。自分の同世代に「こういうものが読みたい」と思ってくれる人がいたのは、やはり嬉しかったです。NHKでやっていた少年ドラマシリーズみたいな「ホラーっぽい学園もの」がみんな好きだったはずなのに、当時はそういう小説がそんなになかった。「こういうものが読みたい」という、「読者としての自分」の感覚は間違ってなかったな、と思ったことを覚えています。誰かの言葉で「作者は読者の成れの果て」というのがありますが、まさにそんな感じでしたね(笑)。

 恩田陸というペンネームは応募時につけたのですが、本が出ることが決まったときに「ペンネームを変えませんか」と言われたんです。他の名前を考えておいてくださいと言われ、いろいろ考えて別のペンネーム案を伝えたのですが、編集者の方に「なんだか恩田陸でもよいような気がしてきました」と言われて、結局そのままになりました。受賞に至らなかった作品が本になったわけですが、日本ファンタジーノベル大賞で候補まで残った作品で、私の他にもいろんな方がデビューしています。

出所=Presented by 幻冬舎ルネッサンス新社

 

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2019年7月10日 (水)

書店「フルハウス」の店主で作家の柳美里氏が講演

 2018年4月、福島・南相馬市小高区でブックカフェ「フルハウス」を開業した作家・柳美里氏が74日、東北ブロック大会で講演。「南相馬にて」と題し、福島民報社・地域交流局長の佐久間順氏が聞き手を務めた。

 10坪の売場にはベストセラーや新刊はない。柳氏が図書館や書店で選んだ本はジャンル分けせず、「連想ゲームのように関連づけて陳列している」。両親が不仲で、小学生時代には酷いいじめに遭った柳氏。「私の居場所は本屋しかなかった」と話す。現実から別世界に逃げ込んだのは有隣堂(神奈川)だった。

 書店開業については、多くの人から「やめた方がいい」とアドバイスされたが、「いくつもの扉がある本屋は、世界一美しい場所」という思いからフルハウスを開店した。(新文化)

《参照:柳美里オフィシャルサイト

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2019年6月 7日 (金)

芸能か何かで名が知られてから作家になる

  女優・蒼井優(33)との結婚を電撃発表した「南海キャンディーズ」山里亮太(42)が執筆した短編妄想小説集「あのコの夢を見たんです。」(1500円+税)の重版が決定した。
 本作は月刊テレビ誌「B.L.T.」(東京ニュース通信社)に、2010年10月発売号から連載スタート。山里が旬な女優やアイドルを物語の主人公とし、妄想を膨らませて執筆した。今年で9年目となり、その数は60本を超えている。
 その中から16本を厳選し、加筆・修正をし1冊にまとめたのがこの本。4月12日に発売され、山里ファンはもちろん、幅広い世代から支持を受け話題となっていた。今回の結婚会見直後から人気が伸びて売り上げが加速。重版決定への追い風となった。
 山里は「僕の妄想は世の中の人に受け入れられなかったのではないだろうか…そんな思いを払しょくしてくれた朗報!!!『あのコの夢を見たんです。』重版出来!!!!!ひたすら嬉しいです。どうぞまだの方、手に取って読んでやってくださいませ」と喜びのコメントを出した。

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2019年6月 1日 (土)

第6回「暮らしの小説大賞」に平沼正樹氏「しねるくすり」

 産業編集センター主催の第6回「暮らしの小説大賞」の受賞作が平沼正樹氏の「しねるくすり」決まった応募総数は714件。

  作者コメント(抜粋)=この作品は私が書いた2作目の小説となります。最初の作品が第5回「暮らしの小説大賞」で一次選考を通過したことが大きな自信となり、本作を書き上げることができました。故に「暮らしの小説大賞」は私の人生において特別な存在となりました。ーー
 しかし一方で、ようやく私にもバトンが回ってきたという一縷の安堵と大きな責任を感じております。それは生命を形成する遺伝子のバトンではなく、私たちの暮らしのすぐそばにある尊い文化を継承するミームのバトンです。作家と呼ばれるようになりたいという夢と希望に満ち溢れた20代、しかし思い通りにならずもがき苦しんだ30代、そして夢は夢と諦めかけていた40代に遂にそれを手にすることができました。この気高きバトンを次の世代に託すその日まで、しっかりと握りしめて走りきる所存です。

ーー受賞作は今秋、単行本化される。平沼氏は1974年生まれ、神奈川県小田原市出身。現在、ウェルツアニメーションスタジオ代表。

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2019年5月20日 (月)

新刊「感情天皇論」で「天皇制の断念」を主張 大塚英志氏

 天皇制を断念しよう-。批評家の大塚英志(えいじ)さん(60)は四月に刊行した『感情天皇論』(ちくま新書)で、そんな主張をした。「天皇制はわれわれが公共性をつくることを妨げている」。日本で民主主義を機能させるために、導き出した結論だという。

 「近代より前の庶民は村の中で人生を終えることができた。誰かとすれ違ったら、あの人は誰ってすぐに分かる」。そんな暮らしは明治以降に一変した。「村から東京にやってきたら、隣の人が何を考えているかも分からない。そういう状態から、社会はどうあるべきかという公共性をつくらなければいけなかった」

 社会を築くためには言葉を闘わせ、ともに暮らせる条件をさぐる必要がある。「それが『みんなが天皇を好きだから』でおしまいになった」。戦前・戦中には「天皇」という言葉によって、国民は不合理な政策も受け入れるようになる。

 新憲法のもとでも、公共性をつくる難しさは変わらない-と考える。憲法第一条は天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基く」と定める。「その総意を示す手続きがないのに、天皇は公共性を表していることになっている」

 大塚さんは二〇〇〇年代に入る頃まで、天皇制を認める立場をとってきた。「天皇は権威として権力の暴走を抑止する機能があるかなと思っていた」。考えを変えたのは、イラク戦争が起きた〇三年のとき。フセイン政権が大量破壊兵器を保有しているかどうかあいまいなまま、日本政府はイラクへの自衛隊派遣を決めた。「一つの主権国家を滅ぼすことが、言葉による合理性ではなく、感情で是とされてしまった」。社会の右傾化が言われ始めた時期とも重なり、「これは公共性をつくれなかったからなんだなって」。

 『感情天皇論』は日本の民主主義の難点として天皇制とともに社会の「感情化」を挙げる。「気持ちと気持ちが通じればいみたいなコミュニケーションが広がった」。感情に共感しあうことは議論で合意することとは違う。共感できない「他者」を社会から排除することにつながるからだ。

 大塚さんは「感情化」が天皇制を巻き込み、天皇の「象徴としての務め」のほとんどが国民に対する感情労働になっていると指摘する。「前の天皇の夫婦は最後まで立ったまま列車の中で手を振っていたけれど、あれがどれくらい人としてストレスがたまるか」参照《東京新聞=「感情」で社会築けぬ 新刊で「天皇制の断念」を主張 大塚英志さん(批評家)

 

新刊で「天皇制の断念」を主張 大塚英志さん

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2019年4月 6日 (土)

穂高健一氏の歴史小説を契機にアニメフェスタに展開

   穂高健一著「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった)を契機としたアニメフェスタが開催された。穂高氏は、直木賞作家で詩人の伊藤桂一(故人)の門下生仲間であるが、なかなかの活躍ぶりである。《参照:幕末彼氏伝 = 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会 》歴史観というものが、案外と短い期間の間に恣意的に作られるということは、現在のメディア報道の変更に気づいていないようだ。この点は、現在の日本人は自覚が必要であろう。最近の例では、もっぱら朝鮮半島や中国の話題について、偏向していると思わせる。朝鮮半島の人々の問題意識の根底は、いかに統一国家にするかということで、日本との関係もそこを梃子に発想されているし、(その自覚がない人もいるであろうが、基本的には分断にある現状が正常でないことは確か)そこを解説した上で日韓、日朝問題を客観的に理解すべきではないか。とくに、拉致問題などは、当時の公安は何をしていたのかなど、(朝鮮戦争は休戦状態のなかで、戦時中ある)問題提起がない。

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2019年3月19日 (火)

諸田 玲子=時代小説を書き続けて見えてきた大切なこと

 勤めていた外資系の化粧品会社に冷淡にもリストラされたのは30代なかば。広報部にいたご縁で、テレビ関係の方から「暇ならやってみる?」と紹介されたドラマのノベライズの仕事に、気づけば没頭していて、このとき初めて自分は書くことが好きらしいとわかったんです。オリジナルの小説を書き始めたのは、40歳を過ぎてからでした。
 時代物というジャンルを選んだのは、身近な問題を掘り下げるより、それこそシェイクスピアのように、一つの枠組みの中で「物語」を作るほうが好きだったから。歴史の知識不足なんて、仕事で必要となれば必死に調べますから、いくらでも補えます。
 私はどの時代を扱った作品も書きますが、年代的には現代から遠く離れた平安時代が、実は現代ととてもよく似ていて驚きます。貴族社会は一種の成熟社会ですから、出世を求めてワイロが横行したり、それを取り締まる「マルサ」みたいな役人がいたり、豊かな家の息子が身を持て余して非行に走ったりもするんですよ。
 一方、そうした貴族の屋敷の塀の外には、極貧者を含めて種々雑多な人間がうごめいている。たとえばアラブやアジアの国を旅行すると、この町は平安京そのものだなどと感じることがあります。歴史は繰り返すといいますが、それは時間軸と空間軸を入れ替えてみても成り立つんですよね。歴史をそういう目で見られるようになったことは、時代小説・歴史小説を書いてきたおかげでしょう。
 そして、かつて欧米に憧れていた私は、いま日本と日本人が大好きになっている。「恥」を感じる心であったり、人としての「誇り」の持ち方であったり、一言で説明するのは難しいのですが、とても大切なものを私たちは長い歴史を通して継承してきたし、これからも継承しなければいけないと気づいたんです。でも、今の日本を見回すと、それができるかどうかちょっと心配です。
 グローバル化はもちろん大切ですが、だからこそ自分たちの文化を見つめ直してほしい。グローバル化をリードする上智の後輩たちには、とくにそれを望みたいですね。だから時代小説を読めとは言いませんけど(笑)。
★諸田 玲子(もろた・れいこ)作家
文学部英文学科1976年卒業。1954年静岡市生まれ。外資系企業勤務を経て、翻訳・作家活動に入る。向田邦子氏、橋田壽賀子氏、山田洋次氏等の脚本を小説にするノベライズに携わったのち、主として歴史・時代小説を執筆。1996年『眩惑』(ラインブックス)にてデビュー。2003年『其の一日』(講談社)で第24回吉川英治文学新人賞を受賞。2007年『奸婦にあらず』(日経新聞社)にて第26回新田次郎文学賞を受賞。2012年『四十八人目の忠臣』(毎日新聞社)にて第1回歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。新聞連載をはじめ平安、戦国、江戸、幕末、昭和を舞台にした著書多数。最新作は『風聞き草墓標』(新潮社)。
  

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2019年3月15日 (金)

横山秀夫「ノースライト」作家の手練手管をすべて投入して

「人間がつぶれたままの状態でいることは自分には想像できないんです。たとえつぶれても、10、20年がたち、亡くなる直前になって、ふっと自分の人生に何かの益を見いだすことができたら、それもまた再起ですよね。見た目では分からない、本人が口にしない心の中の再起の兆しも、小説だったら秒単位でトレースできる」。だから人物の心の声を、緻密に、熱量をこめて描写する。

 「人間は人間を見誤る。見えなかったものがどこかの段階で見えてくる、それが人生なんだ-。自分がミステリーにこだわり続けるのは、そんな思いがあるからなんですよ」

 ■心理の普遍性

 雑誌連載は18年に終わったが「小説の求心力が作れなかった。職業作家の手練手管をすべて投入して書き直そうと思った」。結果、ストーリーは根底から変わった。単行本の冒頭には、連載に伴走し4年前に亡くなった編集者への献辞をかかげている。

 警察の広報官を描いた前作『64』は英推理作家協会賞インターナショナル・ダガー賞の最終候補となり、今年、独ミステリー大賞の国際部門で第1位に選ばれた。デビュー短編集『陰の季節』も近く英国で刊行される。「いわゆる日本的な組織と個人の関係に特化して書いてきた作品が、個人主義が発達した国々でも読まれているのに驚いた」。横山ミステリーの普遍性を物語る快事でもある。
 「『個人で生きる』という意志が強くても、みんな深層では、いろんなしがらみに縛られているのかもしれない。だったら、どんどん書いてやろう、と」
《参照:産経2019.3.13ライフ|本「横山秀夫さん、6年ぶり長編「ノースライト」 哀切なミステリー」》
     

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2019年3月12日 (火)

朝井リョウ氏=読んでもらう、楽しんでもらうことがモチベーション

当時はネットの小説投稿サイト黎明期で、私も例に漏れず作品をアップして見ず知らずの人から感想をもらったりしていました。それ以外にも、尊敬するさくらももこさんからの影響まみれの日常系エッセイをブログ的に書いて、アクセスランキングで1位になったこともありました。出版社への投稿って、最終選考にでも残らない限り何の反応もないんですよね。だから、身近な人に読んでもらったりネットにアップすることで反応を無理やりにでも生み出して、やる気を持続させていました。
《参照:幻冬舎ルナッサンス新社=「朝井リョウ!特別インタビュー」

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