2018年10月15日 (月)

紗倉まなさんデビュー作「春、死なん」 鋭いまなざし

一般に小説を書く場合、自分よりも年少の人物に視点を設定したほうがハードルは低いといわれる。年長の人物を描くと、どうしても人生経験の浅さが文章の端々に出て、人物像が薄っぺらくなってしまうからだ。25歳の若い女性がはるかに年上の男性を描く。その心意気に感心しながらページをめくっていった。
《産経10月15日: 紗倉まなさんの文芸誌デビュー作「春、死なん」 生と性と死に寄せる鋭いまなざし

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2018年10月12日 (金)

女優・松井玲奈氏の小説『拭っても、拭っても』を「小説すばる」に

女優の松井玲奈 (27)が、自身初の短編小説『拭っても、拭っても』を執筆し、集英社の文芸誌『小説すばる』11月号(17日発売)で小説家デビューすることが12日、わかった。
 デビュー作は、広告代理店に務めるアラサー女性・ユリが主人公。半年ほど前まで変わった癖(へき)を持つ男性と付き合っており、理不尽にフラれたことが心の傷になっていたが、小さな、しかし確かな希望を持って前を向くまでの物語がユーモラスかつ切実に、瑞々しい筆致で描かれる。
 20日発売の読書情報誌『青春と読書』11月号では、はじめての小説執筆に関する松井のエッセイも掲載。自身の幼少期の思い出から始まり、小説のテーマを考えたプロセスなどをつづっている。
 『拭っても、拭っても』の試し読みは、17日午前10時に『小説すばる』公式サイトに掲載。松井は今後も同誌で執筆する予定となっている。
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2018年9月17日 (月)

保坂和志さん(61)『ハレルヤ』刊行

   ペチャ、ジジ、チャーちゃん、花ちゃん。作家の保坂和志さん(61)がこれまで自宅で飼った猫たちだ。昨年末、最後の一匹だった花ちゃんが旅立った。最新小説集『ハレルヤ』(新潮社)の表題作は、その愛猫との別れを描いている。とはいえ嘆き悲しむ物語ではない。「死んでもいなくなるわけじゃない。死は悲しいだけのものではないと、読む人が感じられればいい」。猫についての話はいつの間にか、小説論へとつながっていく。
 保坂さんの小説は、あらすじや感想を書くのが難しい。物語を推進するための事件は起こらない。著者自身と思われる「私」が作中であれこれと考え、一見するとエッセーのようで、でもやはり違う。そして、よく猫が登場する。
 「読んでいるときの『ああ、そうなんだ』が大事なんです。読み終わって忘れちゃってもいい。美術や音楽も一緒で、絵から離れると『見てない人にはうまく言えないな』ってことになるでしょ。読んでない人にも六割方の説明ができる、みたいな書き方じゃだめなんだよね」。文芸誌の連載論考で小説について長年考え続けた作家だけに、その言葉には実感がこもる。「理屈で読み過ぎちゃだめなんです。こっちは頭で書いてるんじゃなくて体で、全身で書いてるんだから」
 本書には、花ちゃんとの出会いを描いた九九年発表の小説「生きる歓(よろこ)び」も収録されている。この構成がうまい。花ちゃんのその後の十八年余の生を知った読者には、まだ子猫のころの描写に新たな意味が付加されて読める。<時間においてはいつも過去と現在が同時にある>という表題作中の言葉とも呼応する。
「最初から効果を考えていたわけじゃなくて、あった方が分かりやすいかな、という素朴な理由。でも置いてみたら、一冊を構成する作品になった」
 長年の読者として、保坂さんに聞きたい質問があった。近作になるにつれ、どんどん文体が自由になっているのはなぜか。それも、時に日本語の文法を逸脱するほどの自由さで。「ずっと小説家をやっているわけだから、そりゃ変わってくるんですよ。今は極力、頭の中を去来する考えに近くなるよう書いています。頭の中の考えってセンテンスになっていないことが多いから、校閲は困っているかも。でも、ゆがんでることって大事なんだ」
 最後に、よけいなお世話の心配事も一つ。飼い猫がいなくなって、今後、保坂作品に猫が登場しなくなってしまうのではないか。
「だから、いなくなったわけじゃないんです」。笑いながらたしなめられる。「不思議なほど家に猫がいる感じがする。夫婦の会話もずっと猫のこと。前に『猫に時間の流れる』って小説を書いといて何だけど、やっぱり猫は時間の流れの外にいる感じがするね」。そう言われ、胸をなで下ろした。 (樋口薫)
《東京新聞・夕刊9月16日:揺らめく存在の余韻 愛猫の死描く『ハレルヤ』刊行 保坂和志さん(作家)》

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2018年9月 2日 (日)

赤井都氏=ミニチュアブックソサエティ大会に行く(分載3)

   今年の参加者は96人、うち初参加者は15人。その皆が一堂に会して16テーブルでそれぞれおしゃべりするので、サロンは大変な熱気がありました。
翌土曜は、再び別の人たちと一つのテーブルになって朝食を取り、バスツアーでモンティチェロへ。会員さん数人がミニバスを運転してくれました。午後はホテルに戻ってメンバーミーティング。コンテスト発表と賞状授与、残念ながら私は受賞を逃しました。
  の後は、会の運営をどうするかという事が、プレジデントと呼ばれている会長が議長となり、皆が次々に手を挙げて民主的に話されました。私も、せっかく参加したので、人の助けを借りてちょこっと意見を言いました。
  休憩の後、製本家二人による、道具やスライドを見せながらのセッションがありました。これは、豆本の作り方や作品紹介の講義のようなものでした。
  そして、ホテルの斜め向かいVirginia Center For The Bookに歩いていき、ワインとチーズ、ぶどうでもてなされて、学校紹介を聞きました。印刷機と活字、新しいプリンタなどが並べられ、中身から本を作っています。ここでも、最初に案内役が話した後は、皆が立ったままわーっとそれぞれに話していました。だんだん、知らない人がいなくなってきて、どの人も一度は話したことがある人になってきました。話し疲れた人から、学校が作った冊子を好きなだけもらい、好きなタイミングで帰っていきました。
  最終日日曜日は、朝からホテルのサロンで設営をして、ブックフェアでした。
  そのために日本から持って行った私のスーツケースの半分は本でした。全部売れたとしても、そこにまた違う本が入ることはわかっていました。それまでの二日間でいろんな人と話したのが良かったようです。午前中は会員だけの販売で、午後から一般入場もあって販売しました。コンペに応募していた豆本、既刊で形がおもしろい豆本、カタログレゾネ、豆本の作り方の日本語の本などが次々に売れてほぼ完売して終了しました。25ブースが出店し、半分くらいは豆本古書店でした。もちろん売り上げは次々に他の豆本へと消えました。
  そして、最後のディナーです。デザートのチョコレートケーキが出る頃に、
The Rare Book Schoolの博士が来て、スライドを見せながら、研究発表を行いました。19世紀頃、シャーロットという名前の女性が、米粒に文字を書く級のものすごく小さな字をぎっしり書ける人で、小さな出版をして人気を博していたという、手書き本の貴重書の研究からわかったことの講演でした。
   その後、プレジデントが再びマイクを握り、さまざまな賞の発表がありました。
  Carolineには花束が渡され、豆本で作った冠がかぶせられました。会に貢献した人への大きな銀色のカップが授与され、今年は会計さんが受賞しました。続いて今回大会に貢献した人への小さな7つのカップは、今回のワークショップ講師、二人のセッション講師、世話役夫婦、研究発表した博士、そして最後の一つは私へ授与されました。初参加でカップをもらうなんて、信じられない!
  そして、皆で写真を撮り、ハグをして別れました。夢のような三日間でした。
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2018年8月31日 (金)

赤井都氏=ミニチュアブックソサエティ大会に行く(分載2)

私は2006年、初めて作ったハードカバーの豆本がミニチュアブックコンペティションで日本人初受賞をした後に会員になり、以降毎年豆本をコンテストに送り続け、ニューズレターを受け取ってきました。《参照:赤井都さんが国際”豆本コンペ”2016で3度目の受賞
  受賞してすぐ、来年は行く、と思ったのですが、豆本人気で忙しくなってしまい、機会を逸し続けてきました。数年前フェイスブックを始めたところ、会員の方々とつながり、お互いの顔や今の関心事がわかって親しみが増しました。大会には毎年、その都市近郊に住んでいる会員が世話役となるのですが、その方が私の大ファンで個人的な招待状を下さり、私の仕事がちょうど一区切りついたところでもあって参加に踏み切りました。
大会は、主にホテルを会場として行われました。参加者はほとんど皆が同じホテルに滞在し、食事も共にする、いわば豆本合宿です。
一日目の金曜は、午後からホテルの前にあるバス停から無料バスに乗って、ヴァージニア大学図書館へ。どっちに向って歩けばいいのかわからないけれど、豆本っぽい気配のする人たちの後ろをついていけばいいはず。受付をすませて記念品一式が入ったロゴ入りバッグを受け取り、Carolineコレクションの展示を学芸員さんの説明付きで見学。書庫では、豆本は10冊くらいずつ立てられる手のひらサイズの保存函に保管されていました。豆本は稀覯本の一部として捉えられています。
展示室の隣では本の中身のアイデアを出すワークショップがあり、メモ帳に思いついたことを書き出しました。午後3時からは隣の建物内のThe Rare Book Schoolで、ワインとチーズ、ぶどうなどが並べられ、学校紹介がありました。本を、Virginia humanitiesと位置づけているのが印象的でした。ホテルに戻ると、サロンに本が並べ
られていて、豆本古書店主の会員さんがマイクを取って、入札式のサイレント・オークションが行われました。同じ部屋でディナーがあり、デザートを終えたら、機構本オークションのプロである会員さんが壇上に立って、ライブ・オークションがありました。
食事は、丸テーブルに6席くらいずつ作ってあり、好きな所に座ります。同じテーブルに座った人たちで話をします。一人が話し始め、ひとくさり話すと、質問が少しあり、そして次の人が前の話を受けて話し始めて、私にとってはデカメロンの世界です。19世紀の小説で、かぎかっこの中が長い、数ページ続く、と思ったことはありませんか? それくらいの長さは一人の人が話し、皆はうなずきながら聞くというコミュニケーションです。知らない人ばかりに囲まれて全部英語でどうしよう、と思いましたが、皆がopenでkindなので大丈夫でした。私は初参加で
ありながらも、ほとんど皆が私のことを知っていました。会いたかったよ、とか、やっと来たね、本を通販で買ったのは私だよ、などと言われて、英語は平均6割理解でしたが、さっそく第二の故郷のようでした。

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2018年8月30日 (木)

赤井都氏=ミニチュアブックソサエティ大会に行く(分載1)

  018.08.30 No.150「言壺便り」より=2018年8月10日(金)~13日(日)、ミニチュアブックソサエティの大会に参加してきました。ミニチュアブックソサエティは、豆本のすべての局面に関心を持ち、本の芸術のあらゆる側面を積極的に推進する国際NPOで、本拠地はアメリカです。毎年夏に三日間、アメリカを中心とした各都市でコンクレイブと呼ぶ豆本大会を開催し、メンバーミーティング、豆本コンテスト結果発表、豆本オークション、豆本販売などの他、地元の図書館など本の名所スポットを訪れます。第36回に当る今年は、東海岸ヴァージニア州、ワシントンD.C. の西の、シャーロッツビルで開催されました。
  シャーロッツビルには、University of Virginiaがあり、その中の図書館にコレクターCaroline Brandtが15000点の豆本を寄贈しただけでなく、Carolineは毎年さらに豆本を買っては寄贈し続けています。図書館の中にはThe Rare Book Schoolがあり、そことVirginia Center For The Bookの二箇所で製本が教えられています。市内には稀覯本も含めた本屋が何軒もあり、参加者いわくBookie Townです。
  また、第3代アメリカ大統領トマス・ジェファーソンの元邸宅モンティチェロが近郊にあり、読書家であったジェファーソンが考案した、本を一度に三冊読める書見台や、筆記するとペンにつながったもう一つのペンが同時に動いてコピーを取れる機械、そして本棚のすぐ近くにある寝台などを当時のままに見ることができます。本棚の中には豆本もあります。ジェファーソンは、「I can’t live without books.」という言葉(1815)と、首都ワシントンに6500冊以上の本を寄贈して図書館を作ったことで知られています。イギリスがワシントンの図書館を焼いてしまったので、ジェファーソンがその二倍の本を贈りました。
  私は2006年、初めて作ったハードカバーの豆本がミニチュアブックコンペティションで日本人初受賞をした後に会員になり、以降毎年豆本をコンテストに送り続け、ニューズレターを受け取ってきました。受賞してすぐ、来年は行く、と思ったのですが、豆本人気で忙しくなってしまい、機会を逸し続けてきました。数年前フェイスブックを始めたところ、会員の方々とつながり、お互いの顔や今の関心事がわかって親しみが増しました。大会には毎年、その都市近郊に住んでいる会員が世話役となるのですが、その方が私の大ファンで個人的な招待状を下さり、私の仕事がちょうど一区切りついたところでもあって参加に踏み切りました。

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2018年8月 8日 (水)

芥川賞受賞・高橋弘希インタビュー「戦争を書く理由」

――戦争文学の傑作とも言われる大岡昇平の『野火』に似ている、という声もあったようですが、もともと読んではいたのですか?
高橋 いえ、読んだのは「似ている」と指摘されてからです。大岡作品に限らず、『指の骨』を書くまで、戦争文学と呼ばれるものはほとんど読んでいなかったんです。でも、『野火』は確かに読んでみると、局所的にすごい似ていてびっくりしました。
――どんなところですか?
高橋 自然描写の緻密さとか。まさに観察者の目線だと思いました。
――そのあと大岡作品をどんどん読み進めたりしたんですか?
高橋 いや、『野火』だけですね。
――他の作家の戦争文学はどうですか。
高橋 古山高麗雄『プレオー8(ユイット)の夜明け』を読みました。大学の図書館で「芥川賞全集」に収録されているのを、たまたま見つけたんです。古山さんはラオスの俘虜収容所に転属したところで終戦を迎え、戦犯容疑でベトナムのサイゴン中央刑務所に拘留されるんですが、そこでの監獄生活をコミカルに描いた小説ですよね。
――高橋さんは大岡昇平の対談集『対談 戦争と文学と』の文庫版に解説を寄せていますが、そこでも大岡・古山対談が興味深かったとして『プレオー8の夜明け』について触れていますよね。
高橋 そうでしたね。やはり観察者の視点が鮮やかな小説だなあと印象に残っていたんですね。特に、主人公がチーホア刑務所からサイゴン中央刑務所に移される時に小型トラックから見る風景。サイゴンの賑やかな街並みと、コンガイ(安南娘)を間近に見て、それに喚起されて自分の妻を思い出す場面とか。
人じゃなくて、場所も消えて行ってますよね
――高橋さんは79年生まれですが、子どもの頃、戦争に関する教育って何かありましたか?
高橋 道徳の授業かなあ。原爆のことを知るためのビデオを見たり、原爆の資料的な白黒のパネル写真を見たことはよく覚えています。小4くらいの時だったと思いますが、子どもにとっては過激な風景で、なかなか忘れられないです。あとは、『はだしのゲン』とか『火垂るの墓』とか。能動的に見るわけではなくて、夏休みの昼間、テレビでやっているのをなんとなく見ていたり、という程度ですが。

――ご家族に戦争体験者はいましたか?
高橋 父方の祖父が大陸方面で、母方の祖父が南方に行ってたそうです。直接話を聞くことはなかったんですけど、親経由でそういう話は聞いてました。
芥川賞が高橋弘希さんの『送り火』(『文學界』5月号掲載)に決定しました。1979年生まれにして、これまで『指の骨』『朝顔の日』など戦争を題材にした小説にも取り組んできた高橋さん。その思いを伺った「文春オンライン」2017年8月のインタビュー記事をあらためてどうぞ。
――ちょうどこの8月に『指の骨』が文庫化されましたが、2014年の新潮新人賞を受賞したこの作品はニューギニア戦線の野戦病院を舞台にした精緻な作品で、「戦争を知らない世代による新たな戦争文学」が突如出現したと話題となりました。でも、もともとはニューギニアを舞台にするわけでも、当時のことを書くわけでもなかったそうですね。
高橋 はじめは大学生がグアムに卒業旅行に行く話を書いていたんです。完全に現代の話として。それで、大学生がグアムに慰霊の旅に来ている爺さんに会って話している場面を書いていたら、どうも爺さんの話していることのほうが面白いぞ、と筆がのってきて。それで、書き直すことにして、結局は太平洋戦争中のニューギニア、負傷した一等兵が臨時野戦病院に収容されて、そこで体験したものを一人称で書くという小説にしたんです。
――病舎の屋根を直しに行った兵が屋根から落ちて死んでいた、という淡々とした描写の一方で、ジャングルの葉っぱの肉厚さや葉脈の色、食べると痙攣する「電気芋」を掘り出したときの様子など、風景が事細かに描かれているのが印象的でした。どうしてここまで微細に書けたんでしょうか。
高橋 自然の他にも、たとえば三八式歩兵銃はどんな型をしていたのか、弾はどんな感じだったかなんて想像で書けないですから、もちろん資料を参考にしました。できるだけ細かく書いたのは本当っぽく、見てきたかのように書こうと思ったからですね。特にこの作品は、主人公の目で見たものを書いたので。
―この作品で新潮新人賞を受賞されたとき、選考委員の中村文則さんが「観察者」「部外者の悲しみ」がある作品だ、と評されていました。

高橋 確かに、なるほどそうだなあと自分でも思ったくらい、ありがたい言葉でした(笑)。先輩作家では、太平洋戦争を舞台にした『神器』も書かれている奥泉光さんにも何かのパーティで一度、お話を伺ったことがあります。
《参照:芥川賞受賞・高橋弘希インタビュー「戦争を書く理由」》

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2018年7月26日 (木)

「小説は、紙と鉛筆さえあれば書ける」高橋弘希氏

「小説は、紙と鉛筆さえあれば書ける」

 さまざまな本を読み込んで、「今度は自分が書きたい!」と小説を手がけ始める人も多いけれど、高橋さんは「自分はそういうのじゃないですね」とあっさり言う。

 ならば、なぜものを書き始めたのか。どうして小説だったのだろう。

「とりあえず小説は、紙と鉛筆さえあれば書けるんで。小説にハマっていた大学生のある時期に、そのままの流れで自分も書いてみて、そのまま書くことにもハマってしまった」

 動機はシンプル。その原動力となったのは?

「書いていて、うまくいった! という実感が持てたときはおもしろさを味わえるかな。ある場面を書いているとして、そこがうまくいけば、ああよかったなと満足します」

《参照:芥川賞受賞・高橋弘希インタビュー「小説と将棋は似ているかもしれない」

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2018年6月26日 (火)

文壇バー「風紋」が閉店ー東京新聞26日夕刊

無頼派作家の太宰治と交流があった林聖子さん(90)が東京・新宿で営むバー「風紋(ふうもん)」が二十八日、五十七年の歴史に幕を下ろす。太宰が入水自殺してから七十年の節目に、檀一雄や中上健次ら多くの作家に愛された文壇バーの灯が消えることを、常連客らは惜しんでいる。 (増井のぞみ)
22日に店で「風紋終幕の会」が開かれ、常連客が集まった。二十代のころから通う井本元義さん(74)は「林さんは静かに客の話を聞いてくれる。詩情や歴史、知性がある」。作家森まゆみさん(63)も「ピュアな人柄で、いつ来ても居心地がよかった」。口々に店との別れを惜しんだ。《参照: 太宰ゆかり 文壇バー「完」 小説のモデル女性経営半世紀 新宿の「風紋」あさって閉店
 文芸誌「海」第2期に執筆している井上氏も通っていることが、記事に出ている。
林聖子氏の話は昨年のコスモス忌で聴いた。《参照参照: バー「風紋」の林聖子氏が森まゆみ氏に父と文壇人を語る(上)》

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2018年6月21日 (木)

筒井康隆さん新刊「誰にもわかるハイデガー」を語る

今回の本は筒井さんが平成2年に行った講演が基になっている。その2年ほど前、後のベストセラー小説『文学部唯野教授』などの執筆に追われた筒井さんは、胃を痛めて入院。死が身近にある病院生活の中、手に取ったのが『存在と時間』だった。約1カ月で通読し「死を魅力的にとらえている。これを分かりやすく、面白く伝えたい」と思ったという。
 「死への恐怖は自分固有のものだから、どんなに仲間を集めたってやはり震え上がる。でも死が避けられず来ることを認識し、きちんと向かい合うことで自分のすべきことに『真剣さ』がうまれる-というわけです。将来死ぬということに落ち込む人は相当いるけれど、これで多少はね、気が楽になると思うんです」

 出版から90年が過ぎても『存在と時間』への関心は衰えず、国内でも入門書や新訳の刊行が相次ぐ。興味深いのは死をめぐる思想だけではない。〈世間に流通している普通の既成の解釈のパターンで何でもしゃべってしまうしゃべり方〉などと説明される〈空談(くうだん)〉への批判的なまなざしは、瞬く間にネット上で言葉が拡散するSNS全盛時代に重く響く。
  
《参照:産経=筒井康隆さん新刊「誰にもわかるハイデガー」 死を思い、生を見る

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