2022年7月28日 (木)

文芸時評・7月(東京新聞7/27付け夕刊)伊藤氏貴氏

 <私小説とは何か>「文芸」秋号で特集。ーー先月の本欄では「私小説になった男」=西村賢太の追悼特集を取り上げたが、今月も、「文芸」秋号が「私小説」を特集している。私小説復権の前兆なのか。ただしこれは、編集の金原ひとみ個人の発案ということだ。--
《対象作品》西加奈子「CRazy  IN love」([文芸」秋号)/島田雅彦」私小説、死小説」(同)/町屋良平「私の推敲」(同)/金原ひとみ「ウィーワァームス」(同)/石田夏穂「黄金比の縁」(「すばる」8月号)。

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2022年3月 5日 (土)

文芸時評・2月(東京新聞2月28日・夕=伊藤貴氏氏

  家族をめぐる2作品「新しさと深さを具なええ」
 《対象作品》=宇佐美りん「くるまの娘」(「文芸」春号)/「99のブループリント」砂川文次(「文學界」3月号)。


☆北一郎・四の五の言う=2作品に絞ったところが、評論としての実態をなしている。題材は若者にとっての「家族」。同人誌でも高齢者の家族物語が多い。比較できるのか。読まないことには始まらないのだが。おまけに、「WEB文芸」に、単行本の解説を平野啓一郎がしているが、それが読める。《参照*WEB文芸

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2022年1月28日 (金)

1月文芸時評(東京新聞・1月27日・夕刊)=伊藤氏貴氏

「生活との距離」
《対象作品》小山内恵美子「有縁無縁」(「すばる」2月号)/川上弘美「流れるプールに流される」(「群像」2月号)/岡崎祥久「バーミション」(「文学界」2月号)/砂川文次「ブラックボックス」(芥川賞受賞を祝う)。

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2021年11月30日 (火)

文芸時評・東京新聞(11月30日〈夕刊>)伊藤氏貴氏

 続く正しさへの「問い」
《対象作品》温又柔「永遠年軽」(「群像」12月号)/紗倉まな「はこのなか」(同」)/九段理江「Schooigiri」(「文学界」12月号)/小林エリカ「女が鑑賞する絵画」(「季刊文科」86号)/笙野頼子「古酒老猫古時計老婆」(同)。評・(いとう・うじたか)文芸評論家・明治大学文学部専任教授。
 本稿では、現代における「正義」と「善」について注目しているようでだ。

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2021年8月26日 (木)

文芸時評(東京新聞8月25日・夕刊)=伊藤氏貴氏

川崎徹「光の帝国」ーーフィクションでしか伝えられないこともーー戦争を語り起こす。
《対象作品》川崎徹「光の帝国」(「群像」9月号)/保坂正康インタビュー「戦争体験の継承とフィクションの地平」(同)/李龍徳「石を黙らせて」(同)/金原ひとみ「狩りをやめない賢者ども」(「文芸」秋号)

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2021年6月 1日 (火)

文芸時評5月(東京新聞・5・26夕刊)=伊藤氏貴氏

<「正しさ」と「多様性」>
朝井リョウ「正欲」(新潮社)/杉本裕孝「ピンク」(文學界)/西加奈子「体に関するエッセー」(文學界)/伊藤亜紗「セラフと新潟逃避行」(「文芸」ーもふもふ文学)/小山田浩子「心臓」(同)/朝比奈あすか「誰もいない教室」(「群像」5月号)。

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2021年3月 2日 (火)

文芸時評(東京新聞2021・2・21-夕刊)=伊藤氏貴氏

 児玉雨子(93年生まれ)「誰にも奪われたくない」愛憎のない関係求めて/瀬戸夏子(85年生まれ)「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」性愛の嫉妬消しても…/山下紘加(94年生まれ)「エラー」-「女の役割」が私を壊す/李琴峰(89年生まれ)「彼岸花が咲く島」根の部分で繋がる差別ーー。
《対象作品》
児玉雨子「誰にも奪われたくない」(「文芸」春号)/瀬戸夏子「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」(同)/李琴峰「彼岸花が咲く島」(「文学界」3月号)/ 山下紘加「エラー」(「文芸」春号)。

 

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2020年12月23日 (水)

文芸時評・東京新聞(12月23日・夕)=伊藤氏貴

見出し=【客観的になってきた「三島」/山中剛史「自分の人生を作品化」/平野敬一郎「日本社会の否定理解」

《対象作品》山中剛史「生身の死と再生」(「季刊文科」81号)/松本徹と佐藤秀明=対談(同)/小佐野弾、鴻池瑠衣、古川真人、水原涼=座談会(「すばる」10月号)/ジョン・ネイスン「三島の問題」(同)/田中慎也「橋づくし」(「文学界」12月号/平野啓一郎(「芸術新潮」12月号)/同「豊暁の海」についての論考(「新潮」12月号。

 

 

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2020年11月28日 (土)

文芸時評「東京新聞」(11月26日付)=伊藤氏貴

タイトル=仙田学「剥き合う」―セックスレスの先に/鴻池瑠衣「わがままのロマンサー」―恋愛、性、結婚が崩壊/李琴峰「地の果て、砂の祈り」-性行為抜きの同性愛。
《対象作品》
 仙田学「剥き合う」(「文学界」11月号)/鴻池瑠衣「わがままのロマンサー」(同12月号)/李琴峰(りことみ)「地の果て、砂の祈り」(「すばる」12月号)/竹林美佳「弱い愛」(「同」12月号)。
 時評の感想をいうと、対象作品は、性的な関係は男女の生殖と契約的な相互関係による結婚を軸に、社会がまとまっていきた。そのためLGBTに類する人たちが、文学作品か通俗小説などで少数派として描かれる現象を、普通のこととして描かれていることを浮き彫りにしているようだ。
 純文学が通俗小説のように面白くないのは、そうした概念の変化を前提としたものとして描くために、微細な感情を描くことで、成立しているからであろう。
 文芸時評はその社会性を指摘し、時代の変化への見方を啓蒙するところに、存在価値があるということにならないか。

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2020年7月 1日 (水)

文芸時評6月(東京新聞30日夕刊)=伊藤氏貴氏

 東裕紀「考えることを守る」割り切れない困難を/千葉雅也『清く正しくは安易』非常時の日記。
《対象作品》 東裕紀「考えることを守る」(「群像」7月号)批評特集。/高原到「戦争の『現在形』-70年生まれの作家たちのの戦争小説」(前掲誌」。/高橋弘希、宮内悠介、柴崎友香、古処誠二が、若い世代が戦争を描くことの意味を問う。(同)/。古谷田奈月「これは戦争ではないので、誰も戦士にも戦場記者にもならない」(「文学界」7月号)。千葉雅也「非常時の日記」(同)/岩城京子「『テント思考』と演劇」(スバル」7月号)。

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