2022年3月 5日 (土)

文芸時評・2月(東京新聞2月28日・夕=伊藤貴氏氏

  家族をめぐる2作品「新しさと深さを具なええ」
 《対象作品》=宇佐美りん「くるまの娘」(「文芸」春号)/「99のブループリント」砂川文次(「文學界」3月号)。


☆北一郎・四の五の言う=2作品に絞ったところが、評論としての実態をなしている。題材は若者にとっての「家族」。同人誌でも高齢者の家族物語が多い。比較できるのか。読まないことには始まらないのだが。おまけに、「WEB文芸」に、単行本の解説を平野啓一郎がしているが、それが読める。《参照*WEB文芸

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2022年1月28日 (金)

1月文芸時評(東京新聞・1月27日・夕刊)=伊藤氏貴氏

「生活との距離」
《対象作品》小山内恵美子「有縁無縁」(「すばる」2月号)/川上弘美「流れるプールに流される」(「群像」2月号)/岡崎祥久「バーミション」(「文学界」2月号)/砂川文次「ブラックボックス」(芥川賞受賞を祝う)。

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2021年11月30日 (火)

文芸時評・東京新聞(11月30日〈夕刊>)伊藤氏貴氏

 続く正しさへの「問い」
《対象作品》温又柔「永遠年軽」(「群像」12月号)/紗倉まな「はこのなか」(同」)/九段理江「Schooigiri」(「文学界」12月号)/小林エリカ「女が鑑賞する絵画」(「季刊文科」86号)/笙野頼子「古酒老猫古時計老婆」(同)。評・(いとう・うじたか)文芸評論家・明治大学文学部専任教授。
 本稿では、現代における「正義」と「善」について注目しているようでだ。

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2021年8月26日 (木)

文芸時評(東京新聞8月25日・夕刊)=伊藤氏貴氏

川崎徹「光の帝国」ーーフィクションでしか伝えられないこともーー戦争を語り起こす。
《対象作品》川崎徹「光の帝国」(「群像」9月号)/保坂正康インタビュー「戦争体験の継承とフィクションの地平」(同)/李龍徳「石を黙らせて」(同)/金原ひとみ「狩りをやめない賢者ども」(「文芸」秋号)

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2021年6月 1日 (火)

文芸時評5月(東京新聞・5・26夕刊)=伊藤氏貴氏

<「正しさ」と「多様性」>
朝井リョウ「正欲」(新潮社)/杉本裕孝「ピンク」(文學界)/西加奈子「体に関するエッセー」(文學界)/伊藤亜紗「セラフと新潟逃避行」(「文芸」ーもふもふ文学)/小山田浩子「心臓」(同)/朝比奈あすか「誰もいない教室」(「群像」5月号)。

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2021年3月 2日 (火)

文芸時評(東京新聞2021・2・21-夕刊)=伊藤氏貴氏

 児玉雨子(93年生まれ)「誰にも奪われたくない」愛憎のない関係求めて/瀬戸夏子(85年生まれ)「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」性愛の嫉妬消しても…/山下紘加(94年生まれ)「エラー」-「女の役割」が私を壊す/李琴峰(89年生まれ)「彼岸花が咲く島」根の部分で繋がる差別ーー。
《対象作品》
児玉雨子「誰にも奪われたくない」(「文芸」春号)/瀬戸夏子「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」(同)/李琴峰「彼岸花が咲く島」(「文学界」3月号)/ 山下紘加「エラー」(「文芸」春号)。

 

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2020年12月23日 (水)

文芸時評・東京新聞(12月23日・夕)=伊藤氏貴

見出し=【客観的になってきた「三島」/山中剛史「自分の人生を作品化」/平野敬一郎「日本社会の否定理解」

《対象作品》山中剛史「生身の死と再生」(「季刊文科」81号)/松本徹と佐藤秀明=対談(同)/小佐野弾、鴻池瑠衣、古川真人、水原涼=座談会(「すばる」10月号)/ジョン・ネイスン「三島の問題」(同)/田中慎也「橋づくし」(「文学界」12月号/平野啓一郎(「芸術新潮」12月号)/同「豊暁の海」についての論考(「新潮」12月号。

 

 

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2020年11月28日 (土)

文芸時評「東京新聞」(11月26日付)=伊藤氏貴

タイトル=仙田学「剥き合う」―セックスレスの先に/鴻池瑠衣「わがままのロマンサー」―恋愛、性、結婚が崩壊/李琴峰「地の果て、砂の祈り」-性行為抜きの同性愛。
《対象作品》
 仙田学「剥き合う」(「文学界」11月号)/鴻池瑠衣「わがままのロマンサー」(同12月号)/李琴峰(りことみ)「地の果て、砂の祈り」(「すばる」12月号)/竹林美佳「弱い愛」(「同」12月号)。
 時評の感想をいうと、対象作品は、性的な関係は男女の生殖と契約的な相互関係による結婚を軸に、社会がまとまっていきた。そのためLGBTに類する人たちが、文学作品か通俗小説などで少数派として描かれる現象を、普通のこととして描かれていることを浮き彫りにしているようだ。
 純文学が通俗小説のように面白くないのは、そうした概念の変化を前提としたものとして描くために、微細な感情を描くことで、成立しているからであろう。
 文芸時評はその社会性を指摘し、時代の変化への見方を啓蒙するところに、存在価値があるということにならないか。

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2020年7月 1日 (水)

文芸時評6月(東京新聞30日夕刊)=伊藤氏貴氏

 東裕紀「考えることを守る」割り切れない困難を/千葉雅也『清く正しくは安易』非常時の日記。
《対象作品》 東裕紀「考えることを守る」(「群像」7月号)批評特集。/高原到「戦争の『現在形』-70年生まれの作家たちのの戦争小説」(前掲誌」。/高橋弘希、宮内悠介、柴崎友香、古処誠二が、若い世代が戦争を描くことの意味を問う。(同)/。古谷田奈月「これは戦争ではないので、誰も戦士にも戦場記者にもならない」(「文学界」7月号)。千葉雅也「非常時の日記」(同)/岩城京子「『テント思考』と演劇」(スバル」7月号)。

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2020年4月28日 (火)

文芸時評5月(産経新聞)石原千秋教授

    それにしても-近未来は閉じこもる時代なのだろうか。近代の扉を開いた鉄道が、現代の扉を開いた飛行機がいまや過去のものになりつつある。国境や県境という過去の境界線がこれほど強固に作用する時代が来るとは思ってもみなかった。 文学界新人賞は三木三奈「アキちゃん」。問題提起的な作品であることはまちがいない。「わたしはアキちゃんが嫌いだった」で始まる。実は、アキちゃんはアキヒロ、つまり「男」。トランスジェンダーであることが、最後に明かされる。ミッカー(語り手)はアキちゃんに女として好きになってほしいのだが叶(かな)わない。それで「嫌い」なのだろう。このテーマに興奮しきっているのが川上未映子だが、いまさら感がある。あえて言うが、トランスジェンダーは小説の構成に利用されているだけで内実がない。「種明かしはこれだけ?」というのが、正直な感想だ。参照:【文芸時評】5月号 「コロナ世代」への責任 早稲田大学教授・石原千秋

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