2017年11月14日 (火)

文芸月評(読売新聞11月3日)文化部 待田晋哉記者

 今月は、文芸誌3誌で新人賞の発表があり、計4作の受賞作が出た。その中で、圧倒的な言葉と観念の密度を感じたのは、文芸賞を史上最年長で受賞した若竹千佐子さん(63)の「おらおらでひとりいぐも」だった。
 主人公は、突然に夫を亡くした70代の女性。深い悲しみの中である日、生まれ育った東北の言葉が体の内側からわき上がってくるのを覚える。
 <どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如なんじょにすべがぁ><だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから(略)おらだば、おめだ。おめだば、おらだ>
 彼女は東京五輪の年に24歳で実家を出て50年になり、標準語が身についたはずだった。だが一人で暮らすうち、自分の中で対話するように故郷の言葉で過去を振り返る。幼い頃に<さかしいの、めんこいの>とほめてくれた祖母。勝ち気な母に反発しての上京。結婚と子育ての日々――。
  新潮新人賞は石井遊佳さん(53)の「百年泥」に、素材の面白さがある。多重債務の返済のためインドで日本語教師として働く女性が、現地で100年に1度の洪水に遭遇した。川の汚泥が巻き上げられ、自身や現地の人々の記憶などが混然一体となって呼び起こされてゆく。
 すばる文学賞を受賞した山岡ミヤさん(31)の「光点」は、家族の問題などを抱えた若い男女2人が、新しい一歩を踏み出すまでを刻む。文章が澄んだ光に包まれている。
  石田千さん(49)の「母とユニクロ」(群像)は、年老いた両親が住む東北の街に里帰りした女性が、母とユニクロへ出かけた一幕をつづる。ブラウスの袖の形などについてあれこれ言いながら選ぶ2人の姿に、老いた親を気遣う娘と、子供がいない娘を思う母の無言の優しさを交差させた。
  町屋良平さん(33)の「水面」(文芸冬号)は、心が弱い若者の失恋や傷心のインド旅行、社会での低迷の日々を記す。弱い人間の図太ずぶとさもにじませた。
  <ぼくのベッドはナッツ> 短編では、不思議な一文で始まる坂口恭平さん(39)の「ロンパの森」(Monkey13号)に、広い場所へ導かれるような心地よさを覚えた。
 村田喜代子さん(72)の連載「エリザベスの友達」(新潮昨年4月号~)も完結した。北九州の介護施設に入った認知症の老いた母親たちと見舞いに訪れる娘たちの物語だ。年を取って知覚が衰えると、人間は自分の過ごした最も良い頃に帰るという。中国の天津租界で優雅な生活を送った記憶に浸ったり、出産の痛みに包まれた時間へ戻ったりする母の姿を娘たちは目の当たりにする。
 夢を扱った『屋根屋』をはじめ著者には、意識と無意識の境界が揺らぐ世界に紡いだ小説群がある。今作は、老いの衰えに物語の桃源郷を見出みいだした。(文化部 待田晋哉)
  『時の肖像 小説・中上健次』などの著作を残した辻章さん(1945~2015年)の作品を収めた『辻章著作集』(作品社)の刊行が始まった。麻布学園時代の同窓生が刊行会を作り、6巻を出版する。
 第1巻には、初の作品集『逆羽』や第2作品集『この世のこと』のほか、芥川賞候補作になった「青山」などを収録した。「逆羽」は、学生運動がセクト同士の陰惨な内ゲバへと転じた時代が舞台だ。「暴力革命」といった抽象的な言葉からはこぼれ落ちてしまう、実際に学生に鉄パイプが振り下ろされたような現実のざらざらとした恐怖感が身に迫る。「青山」は、障害を抱えた子供を持つ父母が家庭を崩壊させてゆく姿を書き尽くす。いずれの作品にも、現代の小説には見かけなくなった剛直さがある。
《参照: 【文芸月評】方言の背後 豊かな力

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2017年11月 4日 (土)

文芸時評10月(東京新聞・10月31日付)=佐々木敦氏

若竹千佐子「おらおらひとりいぐも」自由で筋が通る。
温又柔「空港時光」複数の問い考察した力作。
≪対象作品≫文芸賞・若竹千佐子「おらおらひとりいぐも」(「文藝)冬号/新潮新人賞・
石井遊佳「百年泥」(「新潮」11月号)/温又柔「空港時光」(「文藝」冬号)/同・シンポジウム「複数の言語、複数の文学」参加(「すばる」11月号/同・リービ英雄と対談(「文学界」11月号)。

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2017年11月 1日 (水)

文芸時評・11月「そこまでして村上春樹を避けたいのか」石原千秋氏

(中頁抜粋)今月の文芸誌は温又柔(ゆうじゅう)だらけ。その中で、リービ英雄との師弟対談「なぜ日本語で書くか」(文学界)は、誌上でのゼミ指導の趣があって面白かった。リービ英雄は温又柔の『真ん中の子どもたち』について、「僕があの小説を読んで不安に思ったのは、これは管理された上品な留学生活の話だということ。場所は上海で(中略)高層ビルばかりで、でもその下に、自身の二百年分の給料を払ってもマンションを買えないような人たちがウロウロしているはずなのに、それが全く出てこない」と厳しい。これがまさにテクスト論的に「語られないこと」を暴く方法なのだ。意図的であるかないかを問う必要はない。僕がいつも授業で話している方法である。加藤はいったい何をもってテクスト論だと想定しているのだろうか。
 今月は新人賞の月。何度か批判したが、受賞作よりも選考委員が前面に出てくるいかにも権威主義的な誌面構成がいっさいなくなったのはよかった。
 文芸賞の若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」のタイトルは、言うまでもなく宮沢賢治「永訣の朝」の本歌取り。もうろくした桃子という女性の半生を、東北弁をうまく交えながら書く。結婚後は「周造の理想の女になる、そう決めた」あたりで、これは安っぽいフェミニズムが来るかなと思って我慢して読んだら、「周造のために生きる。自分で作った自分の殻が窮屈だと感じ始めたちょうどそのとき、もう周造を介在せずに自分と向き合っていたまさにそのときに周造が死んだ」という一節にピンと来た。しかも、その後に「おらおらで、ひとりいぐも」が来る。これで桃子がくっきり独り立ちした。みごとな作品だった。文芸賞ぽくないのにこの作風を受賞作とした選考委員にも拍手。
《参照:ノーベル文学賞、そこまでして村上春樹を避けたいのか 11月号 早稲田大学教授・石原千秋》

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2017年10月 3日 (火)

文芸時評9月(東京新聞9月28日付)佐々木敦氏

ウェブで同時連載、上田岳弘「キュー」物語と作風の行方は
今村夏子「木になった亜沙」さらなる飛躍を期待
≪対象作品≫
上田岳弘「キュー」(「新潮」・「Yafoo Japan」)(スマートフォン向けのブラウザーで提供されるコンテンツ(https://bibliobibuli.yahoo.co.jp/q/)に行くと無料で読むことができる。/今村夏子「木になった亜沙」(「文学界」10月号)。
 (一部抜粋)――1990年代の初頭に、筒井康隆は「朝日新聞」紙上での小説「朝のガスパール」の連載をASAHIネット(当時はまだパソコン通信だった)との連動で行った。2000年代半ばに阿部和重は「ミステアスセッティング」をいわゆるケータイ小説」の携帯で連鎖した。テクロノジーの進化は、文学なり小説なりの主題や物語のみならず、それらが書かれ/読まれる環境=インフラにも大なり小なり影響を与えている。そのようなことには無頓着な作家も多いが、ITの発展に敏感にならないでいられないタイプの小説家も居り、自らIT企業の役員でもある上田はその最初のヴァージョンと言っていい。――

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2017年9月26日 (火)

文芸時評10月(産経)原稿の分量ワード換算しない文芸誌=石原教授

新連載の上田岳弘「キュー」(新潮)は、はじめからネット配信されるという。スマホで読める。タブレットやスマホはおろかケータイさえ持たない僕は、本以外では「本」を読もうとは思わないが、日本に電子書籍を読む習慣が広く根付かない限り、文学は早晩終焉(しゅうえん)を迎えると確信するようになっている。だから、こういう試みが成功してくれるといいと願っている。しかし、肝心の文芸誌は若者に開かれていない。「中編146枚」だの「中編126枚」だの「220枚」だのといった表記が踊っているのだから。いま所属している学科では卒業論文を「80枚以上」としている。ほとんどの学生はワードで換算するから「2万字まで書けました」と言うのだ。いくらネット配信しても、心が原稿用紙ではね。かつてケータイ小説を論じたとき、学生に「あれは先生が読むものじゃありません」と説諭されたものだ。「キュー」をスマホで読んだ学生に同じことを言われそうな気がする。ネット配信だけではね。
《参照:原稿の分量いまだにワード換算しない文芸誌


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2017年9月 8日 (金)

文芸月評(読売新聞9月7日)時代は人間が成す石垣

 作家の橋本治さん(69)がベテランの存在感を発揮している。「新潮」に「草薙の剣――昭和篇へん」を発表し、「群像」では昨年7月号からの連載「九十九歳になった私」を完結させた。
  「草薙の剣――昭和篇」は、62歳から12歳までの10歳ずつ違う6人の日本人が、どのように生きてきたかを、父母の来歴を含めて同時並行的に描く。「平成篇」は10月号掲載予定で、昭和と平成とは何だったのかを長編として総体的に捉える試みのようだ。「九十九歳になった私」は、2046年、98歳の作家「橋本治」の日々をゆるゆるとつづる。東京大震災が発生し、科学の暴走のために恐竜が空を飛ぶようになった世の中をぼやきながら、作家は独り暮らしを続けて99歳になった。
  壇蜜さん(36)の「はんぶんのユウジと」(文学界)は、古本屋巡りが趣味の生気のない男と見合い結婚する女性の話だ。デートの食事で、ビーフシチューかハンバーグか迷う女性に、彼は見た目の汚さを構わず両方頼んで半分ずつにしようと語る。
 三輪太郎さん(55)の「その八重垣を」(群像)は、万葉時代の日本にあった歌垣の風習が残る中国・雲南の少数民族を調査する40歳前の研究者を描く。国境を越えて民族や文化が混淆こんこうする東アジアの姿にロマンを感じる男の夢を、実際に台湾から日本へ渡った一族から聞いた現実の話の重みが徹底的に打ち砕く。
 木村紅美くみさん(41)の「雪子さんの足音」(同)は、アパートの住民と交流したがる大家と、それが重荷になる若者の姿が淡く胸に残った。
  多和田葉子さん(57)の連載「地球にちりばめられて」(群像昨年12月号~)も完結した。故郷の「列島」が消滅し、人々は地球上に散らばる。ある女性は欧州で自分の作った言語を話して暮らし、ある男性は話せない状態に陥る。列島の言葉を学び、成りすます者も現れた。(文化部 待田晋哉)
 昨年2月に68歳で死去した作家、津島佑子さんの母校、白百合女子大でのシンポジウムの記録などを収めた井上隆史編『津島佑子の世界』(水声社)が出版された。
 《参照:【文芸月評】時代は人間が成す石垣:》

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2017年8月31日 (木)

文芸時評9月・ 芥川賞と直木賞は合体はどうか=石原千秋氏

 芥川賞を受賞した沼田真佑「影裏(えいり)」の「選評」がでた(文芸春秋)。選考委員会は喧嘩(けんか)だったと言うから読み応えがあるだろうと期待していたが、肩すかし。それぞれ自分の評価を書いただけだった。紙の上の喧嘩を見せて、盛り上げてほしかった。5月に書いたように「影裏」は新人賞としてはみごとだったが、芥川賞を受賞するとは思わなかった。だから、「美しくもおぞましい」(高樹のぶ子)と言われると褒めすぎだと思うし、「あの巨大な震災など、この小説のどこにも書かれていないと感じた」(宮本輝)と言われると、「では、どう書けば書いたことになるのか」と問い返したくなる。上手に省筆したという人がいれば(堀江敏幸)、書きすぎだという人がいる(村上龍)。ただし、これだけ評価の割れた作品を受賞作としたのは見識だった。
 「文芸家協会ニュース」(7月号)の「読書推進運動」に関する座談会を読んだ。「読書は大切」という大前提を問い直す必要さえないかのように話が進むのには違和感を覚えた。たとえば、「読書をしない人は無教養に感じられる」とすれば、それは「読書をしてきた人から見て無教養に感じられるだけだ」という程度の意識はないのだろうか。文芸家協会は社会に開かれていないのではという疑念さえわいてくる。
《参照:産経=受賞作が「つまらない」 芥川賞と直木賞は合体させたらどうか 9月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年8月 3日 (木)

「文芸時評」8月(産経)=早稲田大学教授・石原千秋

 浅田彰の還暦を記念して行われた(浅田彰は僕より2歳若いと改めて確認した)、東浩紀、千葉雅也との鼎談(ていだん)「ポスト・トゥルース時代の現代思想」(新潮)を読んで、「大きな物語はもう来ない」と言いながら、僕たちはいま「近代の終わりという大きな物語」のまっただ中にいるのだと思わざるを得なかった。この鼎談が説得力を持つようなパラダイムこそが「近代の終わりという大きな物語」なのだと言いたいのである。
 東は、この40年ほどの思想的な流れをまとめている。「ポスト・トゥルースというのは、実はすごくポストモダン的なネーミングです。真実などない、ということがポストモダンではよく言われていて、そのあと九〇年代、二〇〇〇年代にはむしろポストモダンに対する反動として、『真実』や『エヴィデンス』を人々が求めるようになった。ある種の理性主義と実証主義に戻ったわけですよね。ところが、現実にはポスト・トゥルースの時代が来た」と。実に見事というほかないが、このまとめ方に納得することが「近代の終わりという大きな物語」の中にいる証拠だと言いたいのである。
《参照:「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年7月10日 (月)

文芸月評7月(読売新聞7月6日付))死者を回想 永遠の生

  「群像」昨年4月号から連載が完結。瀬戸内寂聴さん(95)の「いのち」。胆のうがんの手術を終えた<私>が退院し、京都・嵯峨野の自宅「寂庵」に戻る様子から書き起こされる。介護ベッドに寝つく生活を送るうち、鬼籍に入った同世代の作家の河野多惠子や大庭みな子のことなどを思い返してゆく。
  荻野アンナさん(60)は、「文学界」2014年3月号の「海藻録」で始まり、7作目の「なよ竹」で完結した連作短編は、高齢の母を介護する<私>が大腸がんを病む話だ。闘病と介護を同時に体験し、母を亡くすまでを濃淡のある筆致で記した。
  新潮新人賞を受けた鴻池留衣さん(30)の「ナイス・エイジ」(新潮)は、東日本大震災を2年前に予言したというインターネット上の人物をめぐる先鋭的な一編だ。
  小山恵美子さん(42)の「図書室のオオトカゲ」(すばる)は、図書室で働く女性が主人公。自分にしか見えないオオトカゲが、利用者や蔵書を次々とのみ込んでゆく。静かな文章とトカゲの恐ろしい行動の落差に、足元が溶けてゆくような感覚を覚える。
  栗田有起さん(45)の「毛婚」(群像)は、夫の髪が突然ふさふさに生えてきた出来事をきっかけに、妊娠中の妻が男女とは何かを見直す。流しの縫い子を描く2003年発表の『お縫い子テルミー』をはじめ初期作品からの持ち味だった奇想に、人間観の深みが加わった。(文化部 待田晋哉)
《元の記事を読む:文芸月評「死者を回想 永遠の生」待田晋哉

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2017年7月 2日 (日)

文芸時評6月(東京新聞6月29日)=佐々木敦氏

 鴻池留依「ナイス・エイジ」時間旅行者信じてみる?
  乗代雄介「未熟な同感者」本への屈託、純情深まる
《対象作品》鴻池留依「ナイス・エイジ」(「新潮」7月号)/乗代雄介「未熟な同感者」(「群像」7月号。

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