2017年8月 3日 (木)

「文芸時評」8月(産経)=早稲田大学教授・石原千秋

 浅田彰の還暦を記念して行われた(浅田彰は僕より2歳若いと改めて確認した)、東浩紀、千葉雅也との鼎談(ていだん)「ポスト・トゥルース時代の現代思想」(新潮)を読んで、「大きな物語はもう来ない」と言いながら、僕たちはいま「近代の終わりという大きな物語」のまっただ中にいるのだと思わざるを得なかった。この鼎談が説得力を持つようなパラダイムこそが「近代の終わりという大きな物語」なのだと言いたいのである。
 東は、この40年ほどの思想的な流れをまとめている。「ポスト・トゥルースというのは、実はすごくポストモダン的なネーミングです。真実などない、ということがポストモダンではよく言われていて、そのあと九〇年代、二〇〇〇年代にはむしろポストモダンに対する反動として、『真実』や『エヴィデンス』を人々が求めるようになった。ある種の理性主義と実証主義に戻ったわけですよね。ところが、現実にはポスト・トゥルースの時代が来た」と。実に見事というほかないが、このまとめ方に納得することが「近代の終わりという大きな物語」の中にいる証拠だと言いたいのである。
《参照:「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年7月10日 (月)

文芸月評7月(読売新聞7月6日付))死者を回想 永遠の生

  「群像」昨年4月号から連載が完結。瀬戸内寂聴さん(95)の「いのち」。胆のうがんの手術を終えた<私>が退院し、京都・嵯峨野の自宅「寂庵」に戻る様子から書き起こされる。介護ベッドに寝つく生活を送るうち、鬼籍に入った同世代の作家の河野多惠子や大庭みな子のことなどを思い返してゆく。
  荻野アンナさん(60)は、「文学界」2014年3月号の「海藻録」で始まり、7作目の「なよ竹」で完結した連作短編は、高齢の母を介護する<私>が大腸がんを病む話だ。闘病と介護を同時に体験し、母を亡くすまでを濃淡のある筆致で記した。
  新潮新人賞を受けた鴻池留衣さん(30)の「ナイス・エイジ」(新潮)は、東日本大震災を2年前に予言したというインターネット上の人物をめぐる先鋭的な一編だ。
  小山恵美子さん(42)の「図書室のオオトカゲ」(すばる)は、図書室で働く女性が主人公。自分にしか見えないオオトカゲが、利用者や蔵書を次々とのみ込んでゆく。静かな文章とトカゲの恐ろしい行動の落差に、足元が溶けてゆくような感覚を覚える。
  栗田有起さん(45)の「毛婚」(群像)は、夫の髪が突然ふさふさに生えてきた出来事をきっかけに、妊娠中の妻が男女とは何かを見直す。流しの縫い子を描く2003年発表の『お縫い子テルミー』をはじめ初期作品からの持ち味だった奇想に、人間観の深みが加わった。(文化部 待田晋哉)
《元の記事を読む:文芸月評「死者を回想 永遠の生」待田晋哉

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2017年7月 2日 (日)

文芸時評6月(東京新聞6月29日)=佐々木敦氏

 鴻池留依「ナイス・エイジ」時間旅行者信じてみる?
  乗代雄介「未熟な同感者」本への屈託、純情深まる
《対象作品》鴻池留依「ナイス・エイジ」(「新潮」7月号)/乗代雄介「未熟な同感者」(「群像」7月号。

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2017年6月25日 (日)

文芸時評7月・早稲田大学教授・石原千秋氏「決断するストレス」

  (一部抜粋)今月の文芸雑誌で一番面白かったのは、文句なく関川夏央と御厨(みくりや)貴の対談「『ポスト平成』の日本と世界」(文学界)である。その理由も含めて、一番驚かされたのは、北朝鮮の人々は「むしろ戦争を望むのではないかな」という関川夏央の発言だ。これだけでも十分読むに値する対談だ。
 御厨貴は日本の大物政治家と深く付き合いながら、平気で彼らを批判するのだからなかなか得難い人材だ。「政治において一番大事なことは、決定して実行すること」なのに、民主党政権はそれができなかった。首相の仕事は「他所で本当に持て余した解決不可能な情報が『これは官邸に投げよう』ということで入ってくる」のを捌(さば)くことである。こんなことはサラリーマンなら日々経験しているはずだが、世事に疎い大学教員は役職にでも就かないと身をもって知ることができない。僕は前の大学でナントカ部長を経験したが、まさに決めることが最大のストレスだった。「長」には絶対になってはならないと悟った。

《産経新聞」早稲田大学教授・石原千秋 決断するストレス

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2017年5月31日 (水)

文芸時評(東京新聞5月30日)佐々木敦氏

 高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」造詣巧み、主題に真っ向/古川真人「四時過ぎの船」祖母なき家の片付けでー。
《対象作品》高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」(「群像」6月号)/古川真人「四時過ぎの船」(「新潮」6月号)/宮崎誉子「水田マリのわだかまり」(同)。

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2017年5月29日 (月)

文芸時評6月号(産経・5月28日) 早稲田大学教授・石原千秋氏

 群像新人文学賞には当選作はなかったが、2編の対照的な小説が「優秀作」として掲載された。上原智美「天袋」は名前をこの世に刻みつけておきたい人物が主人公で、李琴峰(りことみ)「独舞」は名前を変える人物が主人公。「天袋」は天袋に籠もり、「独舞」は台湾と日本とアメリカを渡り歩く。「天袋」の主人公は殺したがっており、「独舞」の主人公は死にたがっている。共通しているのは、どちらも主人公と出来事がうまくかみ合っていない点。簡単に言えば未熟。しかし、こういう未熟さは新人には許されていい。完成度を求めすぎるとこぢんまりしてしまう。その意味では、この2作を「優秀作」とした選考委員には見識がある。当選作としなかったことも含めて。(2p抜粋)
もっとエロスの香りを 6月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年5月19日 (金)

文芸月評5月(読売新聞5/4・文化部) 待田晋哉記者

《対象作品》
 松家仁之さん(58)の「光の犬」(新潮、2015年9月号~)は読後、しばらく黙っていたくなる小説だ。物語の静寂の中に、たたずんでいたくなる。
 物語の最終盤、町の人口は往時の半分になり、始は父親やおばたちを介護する。日本の人口が6年連続で減少したと伝えた、総務省の14日の発表を象徴するような光景だ。だが、町が静けさに包まれるほど、老いた人々の混濁した意識の中でかつて生きた人々の言葉が冴さえ返り、営まれた生の記憶は美しく輝くのだ。
 今年の文学界新人賞に決まった沼田真佑しんすけさん(38)の「影裏えいり」の主人公は、同性の恋人と別れ、東京から岩手に異動して2年になる男性会社員だ。社内に遊び仲間もできた。だが、会社をやめたその友人は生活が乱れ、東日本大震災の津波に巻き込まれたのか行方不明になる。2人が自分の心の揺れを抑え込むように熱中する釣りの様子、豊かな自然の描写に精彩がある。
 太田靖久さん(41)の「リバーサイド」(群像)は、大学を出て銀行員になった青年と、小学校のサッカーチームの仲間で、高校を卒業して派遣の仕事につく男との関わりを描く。面倒くさいけれど、変に「正しい」ことを語る男の存在が主人公は気になる。丁寧な筆致で出来事や感情の流れをたどり、男の突然の死がやりきれない影を落とす。
 今月の文芸誌では、旦敬介さん(57)の「アフリカの愛人」(新潮)も注目作だ。南米やアフリカなど各地に暮らし、『旅立つ理由』で読売文学賞を受賞した著者の小説である。日本人の妻とケニアに滞在する<K介>が、ナイトクラブで知り合ったアミーナを愛するようになる話だ。
 ベテランの森内俊雄さん(80)は、「新潮」2013年11月号から始めた計6本の連作小説「道の向こうの道」を終えた。1956年、大阪から上京して早稲田大の露文科に入学した大学生の青春をつづる。「いいかね、きみたち。露文科の学生になったからには、もはや就職はあきらめたまえ」。1年生の最初の専修科目の授業で高らかに、教授は学生たちに言い放つ。かつての大学には、紛れもない本物の文学があった。
 二瓶哲也さん(48)の「墓じまい」(文学界)は顔にやけどの痕を負いながら、5人の子どもを育てる女性の造形に型破りな活力がみなぎる。(文化部 待田晋哉)
  ポール・オースター回想録
 米国を代表する作家の一人、ポール・オースターの回想録『冬の日誌』と『内面からの報告書』(いずれも柴田元幸訳、新潮社)が刊行された。子どものころにボールを一人で高く投げて遊んでいて大けがをしたこと、性に目覚めて彼女と唇がひび割れるまでキスしたこと……。時間が行きつ戻りつする文章に、人間の記憶とは過去から現在へ真っすぐには流れず、波打つように揺らぐものだと改めて感じる。
【文芸月評】三代記 一瞬一瞬で描く

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2017年5月11日 (木)

文芸時評4月(毎日新聞4月26日)=田中和生氏

『実況中継 トランプのアメリカ征服』(文芸春秋)=反トランプのデモ「ウィメンズ・マーチ」などで多くの女性たちが声を上げている。
/英語圏で活躍するナイジェリア出身の作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの、二〇一二年に行われた講演録『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(くぼたのぞみ訳・河出書房新社)=女性の社会進出は正しいことであっても、それを阻む現実はいつでもありうる。そんな現実に対し、アディーチェはしなやかな言葉で、フェミニストを男女の別なく「そう、ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね」と考える人と定義し直す。
/桐野夏生の長篇(ちょうへん)『夜の谷を行く』(文芸春秋)=連合赤軍のメンバーを取り上げたフェミニスト的な作品だ。作者が三人称で描き出す主人公の「西田啓子」は、一九七二年にあさま山荘事件を起こす直前の連合赤軍から脱走し、逮捕された経歴をもつ。内ゲバで殺人をくり返した組織にいた「啓子」に親族も世間も厳しく、正体を隠して塾講師として生きてきて、年金暮らしの晩年を迎えている。行き来があるのは、妹と姪(めい)だけだ。
 リーダーで死刑囚だった永田洋子が一一年に亡くなったことをきっかけに、かつての同志から連絡が入ることも重なり、次第に「啓子」は過去の記憶に向きあうことを強いられていく。正しさを求める「啓子」の言動と孤独な生活ぶりが怖(おそ)ろしいほどリアルで、それを強いる日本社会のあり方もあぶり出されるが、重要なのは女性の視点から連合赤軍が語り直されていくことである。背後にあるのはなぜ女性たちが、とりわけ妊娠中の女性が連合赤軍に参加したのか、という問いだ。
 殺人ができる女性兵士だったから、というのが「啓子」に突きつけられてきた理解であり、孤独の原因である。しかし作者は「啓子」の記憶を掘り起こしながら、子どもを産める女性だからこそもつことのできた理想が、そこにあったことを明らかにする。永田洋子に象徴される、男性の視点で裁かれた女性を別の側面から照らし出し、連合赤軍のイメージを更新することを迫る快作だ。
/旦敬介の中篇「アフリカの愛人」(『新潮』)は、ホテルで働く女性と結婚してケニアのナイロビで生活するようになった、フリーのジャーナリスト「K介」を描く。日本円の力で、植民地的な乱痴気騒ぎを楽しむ「K介」は、妻の目を逃れるため取材と称し、ウガンダ生まれの若い女性「アミーナ」と逃避行する。
 作品が興味深いのは、語り手の「僕」が「K介」と愛人「アミーナ」の両方を記述していくところだ。その「僕」は「アミーナ」が怖れる悪霊のように「K介」たちにつきまとい、舞台であるアフリカ的な世界をありありと描き出す。そのことに必然性があるのは、浮気がばれた「K介」が妻ではなく「アミーナ」と暮らすことを選んだという結末が示されるからだが、そうして日本語の記述とアフリカ的な感覚が結びつき「僕」が出現する。
/中原清一郎の中篇「消えたダークマン」(『文芸』)は、新聞社に勤めるカメラマン「矢崎晃」を主人公にして、一九九九年までつづいたコソボ紛争を取り上げる。表題のダークマンとは現像の担当者だが、一九九一年に起きた湾岸戦争ぐらいからカメラはデジタル化され、ダークマンが姿を消すと同時に戦争報道の管理化が進み、システムの一部として報道内容は横並びになった。
 そのことに違和感を抱く「矢崎」は、写真の力を信じて安全なベオグラードから最前線のコソボへと向かう。そうして記録されるのは、紛争に巻き込まれたセルビア人の生活であり、管理された戦争報道では見えないコソボの現実だ。しかし末尾でシステムに敗北していることを思い知った「矢崎」は、唐突に同僚を「それでも日本人か」と詰(なじ)る。おそらくそれはかつて日本も戦場だったからであり、その「日本人」という言葉は、くり返し戦争の記憶に突き当たる、古井由吉の最新作『ゆらぐ玉の緒』(新潮社)に通じている。
連合赤軍事件 女性の視点から描き直す=田中和生】
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2017年5月 3日 (水)

文芸時評5月号(産経) 早稲田大学教授・石原千秋氏

 (引用2/3ページ目) 文学界新人賞は、沼田真佑「影裏」に受賞が決まった。松浦理英子の選評は「受賞作『影裏』はきわめて上質なマイノリティ文学である」と、きっぱり言い切ってからはじまる。みごとな評価宣言である。
  「影裏」は、首都圏から岩手は盛岡に移り住んだ今野秋一が、釣り仲間だった日浅との体験を語る小説である。今野自身が「性的マイノリティー」であることがそれとなく語られ、日浅のやや破綻気味な性格と体験、そして東日本大震災の経験も書き込まれる。森の木々や生き物の名前がきちんと書き込まれ、その森の中にこれらの出来事も埋め込まれていく。都会派のお気軽な田舎暮らしとはまったくちがった生活がそこにあることが、これらの名前の数々が雄弁に物語っている。
《参照:公共図書館に未来はあるか 5月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年4月27日 (木)

文芸時評4月(東京新聞4月27日付)=佐々木敦氏

 村上春樹「騎士団長殺し」=論じやすいところが罠
 ミヤギフトシ「アメリカの風景」=文体、慕情、技巧そろう
《対象作品》村上春樹「騎士団長殺し」(新潮社)/文学界新人賞受賞作・沼田真佑「影利」(「文学界」5月号)/、ミヤギフトシ「アメリカの風景」(「文藝」夏号)。

☆ 村上春樹「騎士団長殺し」については、「新潮」が椹木野依と上田岳弘(同誌は先月号にもいしいしんじが長めの書評を寄せていた)、「群像」が清水良典、「すばる」が杉田俊介、「文学界」が小山鉄郎と鈴村和成と山崎ナオコーラと佐々木敦、「文藝」通常の書評枠だが田村文とさんがら「騎士団長殺し」バトルロイヤル状態…とある。

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