2017年10月 3日 (火)

文芸時評9月(東京新聞9月28日付)佐々木敦氏

ウェブで同時連載、上田岳弘「キュー」物語と作風の行方は
今村夏子「木になった亜沙」さらなる飛躍を期待
≪対象作品≫
上田岳弘「キュー」(「新潮」・「Yafoo Japan」)(スマートフォン向けのブラウザーで提供されるコンテンツ(https://bibliobibuli.yahoo.co.jp/q/)に行くと無料で読むことができる。/今村夏子「木になった亜沙」(「文学界」10月号)。
 (一部抜粋)――1990年代の初頭に、筒井康隆は「朝日新聞」紙上での小説「朝のガスパール」の連載をASAHIネット(当時はまだパソコン通信だった)との連動で行った。2000年代半ばに阿部和重は「ミステアスセッティング」をいわゆるケータイ小説」の携帯で連鎖した。テクロノジーの進化は、文学なり小説なりの主題や物語のみならず、それらが書かれ/読まれる環境=インフラにも大なり小なり影響を与えている。そのようなことには無頓着な作家も多いが、ITの発展に敏感にならないでいられないタイプの小説家も居り、自らIT企業の役員でもある上田はその最初のヴァージョンと言っていい。――

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2017年9月26日 (火)

文芸時評10月(産経)原稿の分量ワード換算しない文芸誌=石原教授

新連載の上田岳弘「キュー」(新潮)は、はじめからネット配信されるという。スマホで読める。タブレットやスマホはおろかケータイさえ持たない僕は、本以外では「本」を読もうとは思わないが、日本に電子書籍を読む習慣が広く根付かない限り、文学は早晩終焉(しゅうえん)を迎えると確信するようになっている。だから、こういう試みが成功してくれるといいと願っている。しかし、肝心の文芸誌は若者に開かれていない。「中編146枚」だの「中編126枚」だの「220枚」だのといった表記が踊っているのだから。いま所属している学科では卒業論文を「80枚以上」としている。ほとんどの学生はワードで換算するから「2万字まで書けました」と言うのだ。いくらネット配信しても、心が原稿用紙ではね。かつてケータイ小説を論じたとき、学生に「あれは先生が読むものじゃありません」と説諭されたものだ。「キュー」をスマホで読んだ学生に同じことを言われそうな気がする。ネット配信だけではね。
《参照:原稿の分量いまだにワード換算しない文芸誌


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2017年9月 8日 (金)

文芸月評(読売新聞9月7日)時代は人間が成す石垣

 作家の橋本治さん(69)がベテランの存在感を発揮している。「新潮」に「草薙の剣――昭和篇へん」を発表し、「群像」では昨年7月号からの連載「九十九歳になった私」を完結させた。
  「草薙の剣――昭和篇」は、62歳から12歳までの10歳ずつ違う6人の日本人が、どのように生きてきたかを、父母の来歴を含めて同時並行的に描く。「平成篇」は10月号掲載予定で、昭和と平成とは何だったのかを長編として総体的に捉える試みのようだ。「九十九歳になった私」は、2046年、98歳の作家「橋本治」の日々をゆるゆるとつづる。東京大震災が発生し、科学の暴走のために恐竜が空を飛ぶようになった世の中をぼやきながら、作家は独り暮らしを続けて99歳になった。
  壇蜜さん(36)の「はんぶんのユウジと」(文学界)は、古本屋巡りが趣味の生気のない男と見合い結婚する女性の話だ。デートの食事で、ビーフシチューかハンバーグか迷う女性に、彼は見た目の汚さを構わず両方頼んで半分ずつにしようと語る。
 三輪太郎さん(55)の「その八重垣を」(群像)は、万葉時代の日本にあった歌垣の風習が残る中国・雲南の少数民族を調査する40歳前の研究者を描く。国境を越えて民族や文化が混淆こんこうする東アジアの姿にロマンを感じる男の夢を、実際に台湾から日本へ渡った一族から聞いた現実の話の重みが徹底的に打ち砕く。
 木村紅美くみさん(41)の「雪子さんの足音」(同)は、アパートの住民と交流したがる大家と、それが重荷になる若者の姿が淡く胸に残った。
  多和田葉子さん(57)の連載「地球にちりばめられて」(群像昨年12月号~)も完結した。故郷の「列島」が消滅し、人々は地球上に散らばる。ある女性は欧州で自分の作った言語を話して暮らし、ある男性は話せない状態に陥る。列島の言葉を学び、成りすます者も現れた。(文化部 待田晋哉)
 昨年2月に68歳で死去した作家、津島佑子さんの母校、白百合女子大でのシンポジウムの記録などを収めた井上隆史編『津島佑子の世界』(水声社)が出版された。
 《参照:【文芸月評】時代は人間が成す石垣:》

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2017年8月31日 (木)

文芸時評9月・ 芥川賞と直木賞は合体はどうか=石原千秋氏

 芥川賞を受賞した沼田真佑「影裏(えいり)」の「選評」がでた(文芸春秋)。選考委員会は喧嘩(けんか)だったと言うから読み応えがあるだろうと期待していたが、肩すかし。それぞれ自分の評価を書いただけだった。紙の上の喧嘩を見せて、盛り上げてほしかった。5月に書いたように「影裏」は新人賞としてはみごとだったが、芥川賞を受賞するとは思わなかった。だから、「美しくもおぞましい」(高樹のぶ子)と言われると褒めすぎだと思うし、「あの巨大な震災など、この小説のどこにも書かれていないと感じた」(宮本輝)と言われると、「では、どう書けば書いたことになるのか」と問い返したくなる。上手に省筆したという人がいれば(堀江敏幸)、書きすぎだという人がいる(村上龍)。ただし、これだけ評価の割れた作品を受賞作としたのは見識だった。
 「文芸家協会ニュース」(7月号)の「読書推進運動」に関する座談会を読んだ。「読書は大切」という大前提を問い直す必要さえないかのように話が進むのには違和感を覚えた。たとえば、「読書をしない人は無教養に感じられる」とすれば、それは「読書をしてきた人から見て無教養に感じられるだけだ」という程度の意識はないのだろうか。文芸家協会は社会に開かれていないのではという疑念さえわいてくる。
《参照:産経=受賞作が「つまらない」 芥川賞と直木賞は合体させたらどうか 9月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年8月 3日 (木)

「文芸時評」8月(産経)=早稲田大学教授・石原千秋

 浅田彰の還暦を記念して行われた(浅田彰は僕より2歳若いと改めて確認した)、東浩紀、千葉雅也との鼎談(ていだん)「ポスト・トゥルース時代の現代思想」(新潮)を読んで、「大きな物語はもう来ない」と言いながら、僕たちはいま「近代の終わりという大きな物語」のまっただ中にいるのだと思わざるを得なかった。この鼎談が説得力を持つようなパラダイムこそが「近代の終わりという大きな物語」なのだと言いたいのである。
 東は、この40年ほどの思想的な流れをまとめている。「ポスト・トゥルースというのは、実はすごくポストモダン的なネーミングです。真実などない、ということがポストモダンではよく言われていて、そのあと九〇年代、二〇〇〇年代にはむしろポストモダンに対する反動として、『真実』や『エヴィデンス』を人々が求めるようになった。ある種の理性主義と実証主義に戻ったわけですよね。ところが、現実にはポスト・トゥルースの時代が来た」と。実に見事というほかないが、このまとめ方に納得することが「近代の終わりという大きな物語」の中にいる証拠だと言いたいのである。
《参照:「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋

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2017年7月10日 (月)

文芸月評7月(読売新聞7月6日付))死者を回想 永遠の生

  「群像」昨年4月号から連載が完結。瀬戸内寂聴さん(95)の「いのち」。胆のうがんの手術を終えた<私>が退院し、京都・嵯峨野の自宅「寂庵」に戻る様子から書き起こされる。介護ベッドに寝つく生活を送るうち、鬼籍に入った同世代の作家の河野多惠子や大庭みな子のことなどを思い返してゆく。
  荻野アンナさん(60)は、「文学界」2014年3月号の「海藻録」で始まり、7作目の「なよ竹」で完結した連作短編は、高齢の母を介護する<私>が大腸がんを病む話だ。闘病と介護を同時に体験し、母を亡くすまでを濃淡のある筆致で記した。
  新潮新人賞を受けた鴻池留衣さん(30)の「ナイス・エイジ」(新潮)は、東日本大震災を2年前に予言したというインターネット上の人物をめぐる先鋭的な一編だ。
  小山恵美子さん(42)の「図書室のオオトカゲ」(すばる)は、図書室で働く女性が主人公。自分にしか見えないオオトカゲが、利用者や蔵書を次々とのみ込んでゆく。静かな文章とトカゲの恐ろしい行動の落差に、足元が溶けてゆくような感覚を覚える。
  栗田有起さん(45)の「毛婚」(群像)は、夫の髪が突然ふさふさに生えてきた出来事をきっかけに、妊娠中の妻が男女とは何かを見直す。流しの縫い子を描く2003年発表の『お縫い子テルミー』をはじめ初期作品からの持ち味だった奇想に、人間観の深みが加わった。(文化部 待田晋哉)
《元の記事を読む:文芸月評「死者を回想 永遠の生」待田晋哉

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2017年7月 2日 (日)

文芸時評6月(東京新聞6月29日)=佐々木敦氏

 鴻池留依「ナイス・エイジ」時間旅行者信じてみる?
  乗代雄介「未熟な同感者」本への屈託、純情深まる
《対象作品》鴻池留依「ナイス・エイジ」(「新潮」7月号)/乗代雄介「未熟な同感者」(「群像」7月号。

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2017年6月25日 (日)

文芸時評7月・早稲田大学教授・石原千秋氏「決断するストレス」

  (一部抜粋)今月の文芸雑誌で一番面白かったのは、文句なく関川夏央と御厨(みくりや)貴の対談「『ポスト平成』の日本と世界」(文学界)である。その理由も含めて、一番驚かされたのは、北朝鮮の人々は「むしろ戦争を望むのではないかな」という関川夏央の発言だ。これだけでも十分読むに値する対談だ。
 御厨貴は日本の大物政治家と深く付き合いながら、平気で彼らを批判するのだからなかなか得難い人材だ。「政治において一番大事なことは、決定して実行すること」なのに、民主党政権はそれができなかった。首相の仕事は「他所で本当に持て余した解決不可能な情報が『これは官邸に投げよう』ということで入ってくる」のを捌(さば)くことである。こんなことはサラリーマンなら日々経験しているはずだが、世事に疎い大学教員は役職にでも就かないと身をもって知ることができない。僕は前の大学でナントカ部長を経験したが、まさに決めることが最大のストレスだった。「長」には絶対になってはならないと悟った。

《産経新聞」早稲田大学教授・石原千秋 決断するストレス

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2017年5月31日 (水)

文芸時評(東京新聞5月30日)佐々木敦氏

 高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」造詣巧み、主題に真っ向/古川真人「四時過ぎの船」祖母なき家の片付けでー。
《対象作品》高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」(「群像」6月号)/古川真人「四時過ぎの船」(「新潮」6月号)/宮崎誉子「水田マリのわだかまり」(同)。

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2017年5月29日 (月)

文芸時評6月号(産経・5月28日) 早稲田大学教授・石原千秋氏

 群像新人文学賞には当選作はなかったが、2編の対照的な小説が「優秀作」として掲載された。上原智美「天袋」は名前をこの世に刻みつけておきたい人物が主人公で、李琴峰(りことみ)「独舞」は名前を変える人物が主人公。「天袋」は天袋に籠もり、「独舞」は台湾と日本とアメリカを渡り歩く。「天袋」の主人公は殺したがっており、「独舞」の主人公は死にたがっている。共通しているのは、どちらも主人公と出来事がうまくかみ合っていない点。簡単に言えば未熟。しかし、こういう未熟さは新人には許されていい。完成度を求めすぎるとこぢんまりしてしまう。その意味では、この2作を「優秀作」とした選考委員には見識がある。当選作としなかったことも含めて。(2p抜粋)
もっとエロスの香りを 6月号 早稲田大学教授・石原千秋

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