2008年12月16日 (火)

詩の紹介 あなたが去った後に 作者 張 徳本

( 訳 & 紹介者 江 素瑛 ) 
今の数多くの台湾文学者は、旧い漢字を使う北京語と、もともと言葉があっても文字のない、漢字、ローマ字、日本占領時代に作った字などで、試行運転中の台湾語で作品を書いている。
この作品も北京語と台湾語を混ぜ書き上げたものである。詩の理解者である女性が遠くへ行ってしまった時の、まわりの少しばかりの変化が、いかにも自分に深く打たれるのか、素直な感傷的な詩である。第五フレーズ、「高すぎて 低すぎて 太りすぎて 痩せすぎて 人が行ったり来ったり/ しかし詩を知るあなたの軽やかな姿が見えない」。「そのひと限り」の恋の特質を歌っている。
ここで、「少しばかり」というのは、日本語で「少し、ひどいんじゃないの」というと、文字通りの「少しばかり」でなくて、「大変に」という意味なる。この詩でも「小さい」という言葉が使われているが、それは大きいという意味であり、使い方が日本語に似ている。

        ☆
「あなたが去った後に」  張 徳本

あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの重量が減ったでしょう/ 落葉が散っている街路を/ 街路樹は別れた恋人の足跡を刻む
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの音声が減ったでしょう/ 音符が砂塵にまみれて/ 奏でる手を待っている
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの香りが減ったでしょう/ お風呂あがりのすべすべな黒髪/ 枕もとに匂う  
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの顔色が減ったでしょう/ 臙脂白粉に満ちた女の群れに/ さりげなく垢抜けたあなたが見えない
あなたが去った後の町には/ ただ一人の人影が失われただけなのでしょうか/ 高すぎて 低すぎて 太りすぎて 痩せすぎて 人が行ったり来ったり/ しかし詩を知るあなたの軽やかな姿が見えない   
あなたが去ってしまった後/ 町の人々は相変わらず生活している/ 黄昏の草原にひとりで時々散歩する私/ 地球の彼方に夜中のあなたの夢に/ 暮れてすぐの月 微かな星屑 / 異郷で熟睡しているかもしれないあなたの寝顔をさがして

( 台湾文学評論より・Vol.8 No.4  08・10 台湾文学資料館 )

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2008年12月10日 (水)

詩の紹介 「靴の道」 三田 洋

(紹介者 江 素瑛)
靴は人間以外の動物が使わない大事な道具だ。人の体重をのせ、靴はどれだけその人の道を支えて来たのか。いろいろ人生の分れ道に、人と靴が互いに捜し合って、知らず知らずのうちに履いていた靴ばかりではなく、自我も失った時があった。
      ☆
「靴の道」  三田 洋
-せたがや「歌の広場」のために- 

靴をなくした夢ばかりみて/  捜しつかれて目を覚ます/ そこはあの日の分れ道/ 苦しみながらも選んだところ
足になじんだ古い靴/ 履き間違えた細い靴/ どこにいるの/ どこへいったの/   わたしを捜しに靴の道
今宵もまた靴をなくした/ 途方に暮れて目を覚ます/ そこは別の分れ道/ 人を愛してさまよったところ
履きにくかった しゃれた靴/ 躓きころんだ泥の靴/ どこにいるの/ どこへいったの /わたしを捜しに別の道 見知らぬ道で靴を見つけた/ ここにあそこにしょんぼりと/ 選ばれなかった分れ道/ 知らないわたしが歩いている
そこは別の分れ道/ 人を愛して佇んだところ/ 選ばれなかった分れ道 /別のわたしが歩いている/ 選ばれなかった分れ道/ 知らないわたしが歩いている

詩と思想「2008年詩人集」(土曜美術社出版販売)より

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2008年12月 9日 (火)

大塚史朗詩集「上毛野(かみつけの)万葉唱和」(群馬詩人会議出版)

 この詩集の表紙には、木漏れ陽に輝く石碑の写真がある。

 伊香保風 吹く日 吹かぬ日 ありといえど 吾が戀のみし 時無かりけり   
                    万葉集巻第十四上野国歌  伊藤信吉 書

あとがきに「出会いとは不思議なものである。人と人との出会いがなければこの詩集は生まれなかったろう。今から十五年近く前、郷土出身の詩人で評論家の伊藤信吉さんが、我が町の三宮神社に出かけてきてくれた。本人揮毫の万葉歌碑を見に来たのだ。前年の七月十四日の除幕式に出られなかった、と言って。(後略)」。そして11年前に、雑誌「農民文学」に発表したものを、詩集にまとめたものだという。
 作品はどれも、伊香保上毛野にちなんだ万葉集の恋歌をまず掲げ、そこに古世から現代につづく、大地に根を張って生きる生命力をうたったものが多い。農業を通した人生経験の豊かさをもって、軽やかでユーモラスでもあり、深刻で皮相でもある。不思議に味わいがあって、詩集なのに面白く読まされてしまう。この作者だからこその個性の面白さである。

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2008年11月 8日 (土)

詩の紹介   「わが思うがままに」江 素瑛

(紹介者 北一郎)
 台湾系日本人の作品である。母親は台湾人時代から日本の短歌、和歌を愛読し、訓話や断片を書き残しているそうだ。江氏も、近年は日本語で詩文を書き始めた。
 昭和時代、台湾人でありながら日本人を強制され、日本語で詩を書き、詩集も出している詩人・陳千武氏とも交流がある。台湾には先住民がいる。陳氏は、先祖が中国大陸からの渡来人でありながら、日本人にされ、戦後は台湾で詩人活動をしている。
 青春時代に、日本人となった時に、西欧中心の文化・思想から解放し、大東亜文化圏をつくるのだというビジョンに感激し、戦友と共に理想に燃えた日本人精神時代があった。だが、その日本には、裏切られた。中国大陸文化に理屈を超えた郷愁を抱きながら、現在の中国を批判し、かつての日本人時代にビジョンをもつことの意義と、その言葉の優麗さに心酔し、落ちた偶像となってしまった日本を複雑な思いでながめているようだ。そして、それが現在の台湾人精神となって形にあらわれようとしている。
 江 素瑛氏の作品には、台湾人系日本人としての自己存在の意識が反映されている。
             ☆
「わが思うがままに」           江 素瑛

昔ながら中国では、朝顔のことを「牛飼いの花」という。
「牽牛花」と称し、田や山の雑草であった。歴史の変遷とともに、遣唐使が日本に持ってきた薬用の朝顔が観賞用になった。いまは日本の風物にはか欠かせない。品種も多い。元祖の朝顔を日本で育ててみた。一年目に咲いた花は中国朝顔と同じであった。その種を播いたら、風土のちがいだろうか、やや小ぶりになり、容姿に違いが出てきた。二年目は、風情が日本の朝顔になってきた。純粋種の花の栽培は思うようにならならい。きっと生まれた里の顔に戻ることはないのだろう。

思うおするようにならないこの世
台湾人がねがうように
「萬事如意」を願うこころ
我が思うがごとくに

思うようにならないと思いながら
今年こそうまく行くように
「萬事如意」を願うこころ
台湾人の年賀状の常套語
「萬事如意」には
悲しみがにじむ
                   「詩と思想・詩人集2008」(土曜美術社出版販売)より。
               ☆

 台湾の現在は、中国との一体化の流れがある。しかし、台湾人としての文化と自覚をもってしまった民衆は、「いつでも何があっても中国共産党は常に正しい」と反省することを知らない中国政府との同化に反発している。

 ちなみに朝鮮半島人も反省をしない。都合が悪くなった時に、いつも悪いのは他国である。それは中国と朝鮮半島に精神の同化があること示しているのだが、気がつく人は少ないようだ。国際的な思想の流れが、いつもそれを認めていくとは限らない。どの国も、その国際的な意識の情勢に左右される。

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2008年10月31日 (金)

詩の紹介 「あやかしの胡蝶の木」から 作者・原 満三寿

(紹介者 江素瑛)
トイレに飾ってある鴨の俳画を、気持ちよく用を足しながら目の保養。狭い空間になんと贅沢な時間があるのだろう。そして場所は上野の不忍池に移る。江戸時代に琵琶湖を見立てて作られた不忍池だが、茂った笹、出会い茶屋、よく男女の逢引に利用された場所かもしれない。はるか昔、庶民の場でもあった森を、庶民に返す「恩賜公園」の名は、確かに違和感を持つ人もいるであろう。しかし、神代の時から連なる大君の、民衆を愛す心を素直にいただく民衆もいるであろう。いずれにしても野鳥たちと自然体に融和できるなら、場所の名前はどうでもいいことかもしれない。

「 あやかしの胡蝶の木  其の壱 厠から恩賜公園へ 」       原 満三寿

わが陋居のトイレで大きい方の用をなすものは/ どうしても壁にかざった俳画をみることになる/「厠にて鴨の着水考える」のわが腰折れに彩墨俳人の浅尾靖弘さんが/画面にあふれるほどの表飄逸な鴨を描いてくれたもの/ 用をすませた客人が/けっこうなものでげすな/ などと世辞をいうこともある/ さんざんみられた俳画なのだが/ 世間より十年ほど遅れて世帯をもった次男がいなくなると/ なぜかにわかに鴨の着水がみたくなって/ 上野の不忍池にきてみた
だがついたとたん不快になる/ <上野恩賜公園・不忍池>の名称が江戸っ子じゃねえが気にいらねえ/ 「恩賜」たなんだ/ 天皇から下賜されたものをさすことだろう/ 公園ばかりじゃなく恩賜林なんてえのもある/ いつから公園や林が天皇のものになってたのかい/ 「下賜」たぁなんだ/ ほんらい君主から家臣がものを拝領することだ/ するてえとおれたちは天皇の臣下かい/ ざけんじゃない 不快/ と まず加齢難癖をぶつぶつ
「騒」第75号より(08年9月 騒の会 町田市本町田)

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2008年10月23日 (木)

同人詩誌「るなりあ」21号(神奈川)読後録

氏家篤子、荻悦子、鈴木正枝の3人による詩誌。各氏が2作づつ全作品で6作品だけが掲載されている。

萩悦子「ポゾゾル」は、地球の寒冷地の地下の存在するものに思いを馳せる。温暖化で地球が炎上しても生き残れるのか、とも想像させ、微生物的世界から宇宙にまで意識を誘う。同「翌朝」落雷の夜明けに小鳥の幼鳥が死んでいるのを見る。日常の生と死の意識を表現。

鈴木正枝「路肩」老いた病身の、孤独に思いつめた心情を描く。愛憎の情念を生きる力にかえて、どこまでも生きる。同「じかんを じかんを」我々の漂う時間は、その時々にのび縮みする。生きることは時間との戦いである。思弁的世界に引き込む作品。

氏家篤子「海の扉」朝の海の潮の香りを漂わせた光景と夕べの海の無関心さとを、人間的心情を窓をあしらって、さらりとギリシャ的に描く。同「秋」カマキリ、ドングリ、雹でも降ったのか、突然われたガラス扉。ダイナミックに秋を感じさせる。

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2008年10月 7日 (火)

詩の紹介     「蝉の話」二編 作者・関 中子

(紹介者・江素瑛)
人の目にはゴミであるかもしれないが、自然の摂生として肥料である蝉の死骸は、後祭りの「埋葬に来る蝉はいない」。野垂れ死にする人間の場合は、どうなるのか?鬼籍に入るには、早く生者の世界から身を引き、灰になれ、墓の一隅に静かに入ろうと。「人の死は片づけられるもの」「そのまま夜を迎えるなどあってはならないこと」。それはそうだ、と言いたくなるが、重い話です。
                  ☆
その1 「埋葬に来る蝉はいない」  関 中子  
埋葬に来る蝉はいない/ 彼が行きたがったところをお前は知っているか/ 生前の彼を知るも
のがどこかにいてもーー 埋葬に来る蝉はいない
夕暮れは物の姿をおぼろにするが/ 自分の身の安全をはかれるとしても/ 埋葬に来る蝉はいない
待っても 待っても 意味はない/ 蝉の死骸を見る/ 埋葬に来る蝉はいない/ 「これが現実だ」/ 埋葬に来る蝉はいない
なのに 夕暮まで/ そうしてもう少し夕暮れが深まるまでと時を延ばし/ 蝉の死を見つづける/やがて蝉の姿は闇に包まれるだろう/ わたしはそこに決断を曖昧にする口実を探し求めるのか
あわれ そうしたいのか

その2 「あってはならぬこと」    関 中子

蝉のように腹を見せて人が死んでいる/ その死体を見捨てて人が彼の坂道をのぼるなどあってはならぬこと/おう/ 人が蝉のように路上に転がって死んでいる/ そのまま夜を迎えるなどあってはならぬこと   
都会での日常的な死は人目に長く晒されない/ 人の死は片づけられるもの   
彼が死者になるために彼を速やかに時から離籍せよ/ 多くの人の眼が彼の肉体に注がれ続けるなどあってはならないこと   
きょう わたしは見知らぬ人の葬儀にであった   
それが都会での最初のできごと
それはまた珍しいこと/ 都会の多くの死のひとつに遇うこと
人よ/ もし いつまでも憧れとして残りたいのなら/ その身を早くかくしたまえ     
そして 永遠を飾りにできるように物語に身をひそめよ

  2008年秋「岩礁」136号(静岡市三島)「蝉の話」より抜粋 
  (「詩人回廊」 関 中子の庭サイト)

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2008年9月26日 (金)

詩の紹介 「 七月の庭・きゅうり 1 」 羽生槙子

( 紹介者 江素瑛 )
生きていく重圧を感じた時には、人情、社会などの背負うものではなく、生きることそのものだけが尊いと感じるようなもの心が動く。自分の力を超える重荷なんか負わなくていい、休みたければ休むといい。身軽く安らぎが得られる人生の終焉も思わせるものだが、「低いところの一本なんか / もう大胆に 大地に寝ているんです」いいフレースです。
     ☆
「七月の庭・きゅうり 1」 羽生槙子
生きていく重圧に
ときどき怖くなることありません?
そういう時 庭に出ると
きゅうりが 今日は五本も
つるにぶら下がって
低いところの一本なんか
 もう大胆に 大地に寝ているんです
 その安心感といったら!

 「花・野菜詩画集」より 武蔵野書房 ―(新原詩人no.19 「この詩」に紹介)(08年8月)

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2008年9月22日 (月)

詩の紹介   「 集団の夕暮れ 」  作者 栗和 実

( 紹介者 江素瑛 )
個人の個性を殺すことは集団の性格である。郷に入って郷に従う人間の性格もまた、集団に逆らうことない。早かれ遅かれ、個性は同化され、集団の特殊な慣わしに見習わせる。その性格をよく利用して、人々を集団化する政治団体など、詐欺師の暗躍する余地が生まれる。
           ☆

【集団の夕暮れ】   栗和 実
狸でも 猫でもいい/ 何かし出かそうとする/ すると/ よこしまな猿としよう/ 姿を現す 集団化する ボスが発生する

はじめは 目的も 目標もある/ しかしまもなくそれらはつぶれて/ 美しい入日のように眼をくらまし/ 集団は変化してゆく

実行は単なるお祭りになり/ 本義を取り間違えて見せつける/ 何かしようとした事の/ 本来は無雑作に旋回してしまう/ この田舎に住む者達の特異性にすがり/ 風の動くままになってしもう

狸たち 猫たち 猿たち/ 日がたち 時がたち/ いつの間にか 影もそうなる

田舎の 人間達の/ 女たち のあいそ笑いのように/ すっかり 皆だまされている

と気づいてののどのかわき/ りっぱな口内炎になっている/ 個性も 野生も/ 集団化すると衆愚に埋没

煙のように エゴイズムの余りは/ 本物になり盛大に成長し/ 天の方にのぼるばかりだ
                 
  岩礁 (三島市)136号より(08 9 1)

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2008年9月13日 (土)

詩の紹介 「栄光の軌跡」   作詞・北一郎

(紹介者 江素瑛)
 フォルモサとは、ヨーロッパ人宣教師が、台湾を発見した時につけた名称である。大変に美麗なという意味がこめられている。在日台湾医師のグループは毎年親睦のために合同音楽会を開いている。台湾人の足跡、台湾人の根源を追う歌である。それら台湾人は、昔、中国大陸から台湾へ移住、政治要因で多くの医師が日本へ渡った。
 当時の日本の各地域では、過疎地に無医村が多くあった。日本人医師が行かない無医村に多くの台湾人医師が赴任を引き受けた。地域農民から感謝をされた。わが村に医者がやってくると喜び、地元の新聞の記事が残っている。知られざる日本民衆への貢献があった。その親より医学教育を受け、その二代目、三代目及び生まれつつ四代目は、日本全土のどこかで活躍している。
蝶々が荒波の海峡を渡る軌跡は、正しく台湾人の芯の強さを表している。
           ☆
「栄光の軌跡」   北一郎
1
耳を澄ませば
麗しフォルモサの
風の吐息 樹のそよぎ
かなでるメロディよ 歌声よ
蒼き海原 白い波
久遠の調べが響きわたるよ
おお 栄光の我らが調べ
  2
耳を澄ませば
蝶々も渡る海峡の
遥かに響く 黒潮の
かなでるメロディよ 歌声よ
東洋の富士の白峰 桜花
友好の心が響きあうよ
おお 栄光の我らが調べ
  3
耳を澄ませば
美しきフォルモサの
風の吐息 樹のそよぎ
かなでるメロディよ 歌声よ
南の島の調べは 幾星霜
苦難を超えて響きわたるよ
おお 栄光の我らが調べ

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