2017年2月14日 (火)

 ポスト真実時代の沈黙の意味「名辞以前」佐藤 裕

 「詩人回廊」の「名辞以前」(佐藤裕)には、言葉が汚れてしまったという時代の空気が読める。
 聖書には「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。」( ヨハネによる福音書1章1節)とあるが、そう考えるひともいるだろうが事実は石や物があって、それ以前に沈黙があった。
 中原中也は「汚れちまった悲しみに」と愛の喪失を歌った。
「名辞以前」には、
言葉は 汚れている/沼地の流動は/言葉を得て 死んでしまう/氷河のように/ 寒さに 固まってしまう/
心の中で 蠢いていた/温かさが どこかに霧消するーーとある。
  言葉があるから、嘘が成立しやすくなる。猿がウソを嘘をつく様子を観察したら、面白いかも知れない。現代は、それが嵩じてついに「ポスト真実」という言葉の蜃気楼に人々の心が操られる。
 沈黙の段階の心の動きを、言葉が純粋に表現できるのか。その手法の以前に、発想を戻さなければ…。(北 一郎)

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2014年7月 9日 (水)

短歌誌「香雲」17号(相模原市)の現在=外狩雅巳

短歌誌「香雲」は、大友道夫氏が五年ほど前に創刊した短歌誌である。今号は24頁建だが年四回刊行を守っている。大友道夫氏は15年前の相模文芸クラブ設立準備会合に結集した古い同人誌仲間である。
 氏は長らく短歌の世界で活躍し先生と慕われ指導している。一念発起し自身の城を建てた。現在は短歌中心の紙面構成だが吟行会と称し旅を企画しその旅行記なども掲載している。編集後記やコラムの散文も多く随筆的な文章もある。前回紹介の「白雲」誌のような前途の可能性を秘めている。
            ☆
・どうしたの万能細胞万歳と胸躍らせたに泡と消えるか
・武器輸出新原則の決定を夕刊に知る四月馬鹿の日
・感情のコントロールが利かぬのは雨降りのせい昨日今日あめ
・「ヨボセヨ」と間違い電話かかり来て事もあろうに朝鮮総連?
・コンビニの誕生初日に売れた品 中年男性サングラス買う
           ☆
 五首とも作者は別だが狂歌のような面白い作品も多く掲載されている。二十名程度の会だが高齢化の時代なのできっと大きくなると思う。多くの受贈誌があり各誌の二三首を紹介している。次号は五周年記念号。
◎短歌誌「香雲」17号・7月1日発行。発行所=八湖沼相模原市中央区上溝6-7-3、大友方。

  文芸の同好会も高齢化で前途多難である。ネットで全国同人誌一覧を検索してみた。 多くの会にホームページ等がある。読んでみると廃刊・休刊の事態が良く分かる。 仲間の訃報も多い。主宰者の訃報が終刊号に出ていると胸を締め付けられる。 倒れて後止む。それは明日の我が身でもあろう。同人誌創刊の記事は少ない。
 そんな中での「香雲」の創刊から五年間の歩み。相模原の地に文化文芸が根付く事を
祈る。
 紹介者プロフィール=外狩雅巳のひろば

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2014年3月 8日 (土)

詩の紹介・佐藤裕「色彩の氾濫―岡本太郎に」 

「詩人回廊」詩流プロムナード」に移行しました。
佐藤裕「色彩の氾濫―岡本太郎に」  読み人・北一郎

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2014年2月15日 (土)

詩の紹介 「靴底」  周田 幹雄

「靴底」  周田 幹雄
玄関で靴を並べて 磨く/磨き終わって見ると/どの靴も 靴底が 踵の外側だけ擦り減っている/俺は外向的な性格なのか/靴修理店で 皮を張り換えてもらう/靴底の減り方について 店主に尋ねると/特別の減り方ではなくて/殆どの男性の靴底は 外側が減っているそうだ
履いていった靴も同様の状態なので/修理を頼むと/ もっと減らないと接着剤が着かない/という返事だ/眼科でも 白内障の検査のあと/ もう少し悪くなったら手術しましょう/と眼科医に言われたことがあった/その他の病気もそうなのか/練達の医師に/死に瀕した命を託すには/生半可な病状ではなく/徹底的に悪化させるしかないのか
善人猶以て往生を遂ぐ/況んや悪人をや/親鸞が 現代に蘇ったとしたら
/極悪人 と書き換えるだろうか
信仰とは 擦り減った靴底のようなものなのか/比叡山延暦寺の軒下に/ある僧が 千日行きで履き潰した総ての草鞋が吊るされている/千足余りの草鞋は泥に塗れ/紐は擦り切れて/草鞋の態をなしていない/それらは 巨大な腐った藁屑となって/ただ横たわっていた
これまでに/俺は何足の靴を履き潰したろう/徹底的に歩いて 歩き続けて/千足の靴を履き潰した その靴先に/何が 当たってくるのか
周田 幹雄詩集「真逆のときに」より(2013年12月土曜美術社出版販売)

読み人「詩人回廊」江素瑛
皮肉な事実をもって、現実に存在する状況を描く。共感を呼びます。
早期発見、早期治療を普及している予防医学だが、発見された病気が極初期の場合、「もうすこし成熟してから治療しましょう」と医者がいう場合もある。
例をあげると、予定されない妊娠をいとも簡単に処理できる今の世の風情。婦人科医がいう「手術はあと一二週間を待ちましょう」胎のうははっきりした手頃の大きさでないと手術しにくいらしい。「命を育てから絶たせる」ということになる。擦り減った靴底に伴いのは擦り減った命のだが、修理できるのは命を補うこと、それもまた幸せでしょう。
 また、千日行の修業のわらじがただの藁屑になっているという視点にも鋭いものがあります。

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2014年1月21日 (火)

「今日もまた時は流れる」 勝畑耕一

    

今日もまた時は流れる   勝畑耕一   
朽ち果てた廃屋が好きだ/落ちかける瓦、ペンキのはがれた窓/ポストからはみだすチラスの束/荒れ果てた庭に、我がものの顔の雑草
失われた家族の記憶など、もう誰も知らない/多くの夢が描かれた日々もあっただろうに/いまや天を目指し、樹木に巻きつく蔦や蔓
所有権をめぐる骨肉の争いでもあるのか/係累も遠くに去り、もはや途絶えたか/建屋の空間は、廃屋への時間に追い抜かれる
たかだか五十坪、時価で数億円と言われても/蔓は電住や隣の電線にまで延びて/かつての生活のぬくもりはすでに失せ去り/ただ今日もまた時は流れる、誰も何も思わず

詩誌「騒」96号(2013 年12月)東京・中野「騒の会」
読み人「詩人回廊」江素瑛
 ビルが林立する町の廃屋の風景は、時代の流れを譲らない静かな存在である。もしかして独居老人がこの世を去った、誰も訪れてこない廃家に餌をもらっていた野良猫が時々戻ってくる、開きばなしのドアに気まぐれな風とわが家の昔の面影をさがす。
破れた垣根から覗いてみると「荒れ果てた庭に、我がものの顔の雑草」のひと言で、繰り返す世の盛衰興亡に目も向けない、止ることもない、時は流れて、永遠に流れて……。

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2013年11月21日 (木)

詩の紹介 「刺身は」北条敦子    ~~  読み人・江素瑛 

「詩人回廊」詩流プロムナードに移行しました。 「刺身は」北条敦子 北条敦子詩集「思いは季節と花に」より 2013 年11月(土曜美術社出版販売)

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2013年10月27日 (日)

詩の紹介「水瓶の底に」大塚欽一

    
水瓶の底に  大塚欽一
夜の深い底でぼくはふたつの眼差しを感じて目が覚める/それが僕の水瓶の底からだと気が付いたのはいつだったか
はじめは星が映っているだけと思ったが/まちがいない あれはあなたの眼差し/それはいつも哀しみを湛えていた だが手を差し込んでも掬い上げることはできない
あなたは狂気に彩られた歴史の闇に足を開き/ 血にまみれながら次々と産み落してきた/ 悲しみの塊りを/ あなたの深い悲しみを誰か分かちえよう/ あなたの呻き声が聞こえてくるよう
もし抱きしめることができるなら/ぼくは喜んでこの腕に抱いて温めてやりたい/あなたがもっと幼く小さかったら/膝の上に乗せてやさしく揺すってあげたかったけれどぼくは自分のことばかり悩んでいた/あなたのことを考えてやることもしなかった
ぼくは食えない奴だ/孤独で自分のことばかり考えていて/けれど決して傲慢じゃない/多くの人から誤解されるが/ちょっとした哀しみにも胸が痛む/些細な中傷にも傷つく/たぶん人一倍ナイーブな神経をもっている/丘に咲いて天使の青い足跡みたいに
いつごろからか水瓶から水が洩れはじめた/罅が入った水瓶は長くはもたないだろう/何とか修復したいがたぶん駄目だろう/丘の上では黎明を告げる鐘が鳴っている/おおきな杭(スクウワロス)につりさげ/今夜もじっと見つめているあなたの/哀しそうな目と向き合いながら/罅割れた水瓶に/せめて一茎の百合を挿そう
大塚欽一詩集「世界の片隅で」より(2013 年8月 水戸市 泊船堂)

読み人・「詩人回廊」江素瑛
 ひび割れた水瓶の底に映された「ぼく」の哀しい目と向き合う寂しい姿。忙しい毎日の心の深層にいる孤独なもう一人の自分を視るのです。
「今夜もじっと見つめているあなたの/哀しそうな目と向き合いながら/罅割れた水瓶に/せめて一茎の百合を挿そう」は、李白の詩「挙頭邀明月」、「對影成三人」と異曲同工である。

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2013年10月20日 (日)

「わが進化論」清水省吾 ~~~江 素瑛

わが進化論    清水省吾

いつ からか/手足が痺れ わたしの腕や脛がちぢんでくる/おまえの手足は老衰し/魚の胸の鰭から 進化した上肢の手/魚の腹の鰭から 進化した下肢の足/おまえはいま先祖がえりしようとしている/閉じた鉛のレントゲン室をでると/整形外科の電気器具が わたしの鰭の咽喉笛をふるわせ/腰の骨にあたる尾鰭を引っ張り/電圧の帯がわが背筋を曳き伸ばす
夏の土用稽古に 冬の寒稽古に/硬い樫の木刀を振るったわたしの腕は/シーラカンスの 胸鰭を腕にし 腹鰭を太腿に仕立て/デボン紀から白亜紀に/わたしが育成し 進化させてきたものだが/海洋から陸上への這上がる 鰭類の一群に/先祖がえりしている
わたしを透視したMRが/磨耗した脊椎の《滑り症》を鮮やかに写しとる
標高三千メートルの氷雪に埋もれていた/アイスマンの肢体から《脊椎滑り症》の痕跡がみつかり/何者かに追われている症状がわたしと似ている/なにを食べていたのか 胃袋の残物を 腸内を/着ていた狩猟による毛皮の衣類から/数百を採取して/先人からの進化を解明しようと
研究員は全長1.5メートル古代魚の解剖から/ときめきを止めたシーラカンスの/小さな心臓を持ち帰る
詩誌「幻竜」第18号より(2013 年9月 川口市 幻竜舎)

読み人・江素瑛
 古代の大昔の人間を含めて生物の姿を今に残されたているものは自然死で、自然氷凍などしたものが多い。将来研究学者に今の人間のサンプルを求めたいのなら、骨壺か骨灰塵から探さなくてはなりません。
作者の進化のイメージは、時間がターンして胎児に戻る魚のようです。ちぢまっている老人の手足。子宮の羊水に浮かんでいる胎児は短い手足は、胸腹鰭のようになっている。療養病棟に見る手足がちぢみ、脳が血管神経障害に犯され寝たきり老人患者ばかり。「お前は先祖がえりしようとしている」どころか、胎児に戻ろうとしている。いくら宿命から逃れようとしても、神さまから与えられるものはいずれ取り上げてしまう・・・・。
■関連情報=
「詩人回廊」詩流プロムナード

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2013年9月11日 (水)

「トルネード」斎藤 なつみ ~~~~~~江素瑛

「詩人回廊」詩流プロムナードに移行しました。 「トルネード」斎藤 なつみ

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2013年8月29日 (木)

「地を這う虫たち」  新倉葉音~~~~~江素瑛

「詩人回廊」詩流プロムナードに移行しました。 「地を這う虫たち」  新倉葉音

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