2008年12月29日 (月)

「西日本文学展望」「西日本新聞」12月27日朝刊=長野秀樹氏

<文中抜粋>本紙で六月から七月にかけて、十三回にわたって連載された「九州同人誌探訪」では、改めて地元の同人誌の層の厚さと熱気を確かめられた。また、同誌(補・「文學界」)の同人雑誌優秀作に上半期が鮒田トトさんの「犬猫降りの日」(「竜舌蘭」一七二号、宮崎市)、下半期が江口宣さんの「イエスよ涙をぬぐいたまえ」(「九州文学」五二三号、福岡県中間市)がえらばれたことも、そのことを実証している。
正田吉男さん「放牛往還記 前夜」(「詩と真実」七一四号、熊本市)、赤松健一さん「我らの行方」(「海」六七号、福岡市)
「邪馬台」一六九号(大分県中津市)より「創作」として、宇津木立さん「鳶の笛(その六)」、浦本啓次郎さん「ラブレター」、岡朗子さん「お祖母ちゃんと勉強」
「海」(前出)より牧草泉さん「再会」(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年12月18日 (木)

「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年12月19日・白川正芳氏

《対象作品》「翼をください」小嶋和(「文芸パトス」18号)、「雨の匂いと風の味」よこやまやよい(「星座盤」2号)、「からだの来歴」遠野明子(「時空」28号)、「三島由紀夫『サーカス』」森晴雄(「群系」21号「太宰治と三島由紀夫」特集)、「時の雨」おしだとしこ(「文学街」12月号)、「恋ヶ窪」森岡久元(「別冊 関学文芸」37号)、「コガネムシ」西田宣子(「季刊午前」29号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年12月17日 (水)

「同人誌時評(10月)」「図書新聞」2008.12.13、たかとう匡子氏

《対象作品》「古賀忠昭追悼号」(「SOOHAスーハ!」第4号)、「筧槇二追悼号」(「山脈」第125号)、「戦後短歌を考える」(「綱手」第244号)、「私の小説作法」(「全作家」第71号)。小説は、「ここにおる。」野見山潔子(「季刊午前」第39号)、「迷惑者リスト」都丸圭(「北」第52号)、「夢の鎖〈その五〉」楢信子/「堤」稲垣瑞雄(「双鷲」第70号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・馬の骨さんまとめ)

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2008年12月11日 (木)

同人誌作品の論評・専門サイト「小説・書くひと=読むひと・ネット」ができる

文芸同人誌案内」のネット仲間の有志による、同人誌作品の論評専門サイト「小説・書くひと=読むひと・ネット」が出来た。
 文芸同人誌で歴史のある雑誌ほど、雑誌「文学界」の同人雑誌評欄で取り上げられることを、目標にしていたのではないだろうか。優秀作であれば「文学界」に転載されるのであるから、当然であろう。それと、優秀作でなくても論評で取り上げられることで、権威的なお墨付きが得られたという品質保証の役割を担っていたのである。
 通りすがりの人に相手にされなくても、権威のある評論家に認められたという自負が持てるわけである。
 ところが、見ず知らずの他人の作品の印象は、権威がない。そこが問題といえば問題である。
 それと、現代は時間を消費する商業的レジャーが多く、時間の奪い合いをしている。そこに本を読むという時間を持つ人は少ない。ましてや、読むだけでなく、その感想文を書くというのは、大変なエネルギーがいる。やる気がないと出来ない。やる気がなくても出来ることより、やる気がないと出来ないことをしてみようという人に期待するということになりそう。「小説・書くひと=読むひと・ネット」のサイトが、どれだけの影響を同人誌の作者たちに与えるか? 注目していきたいものだ。

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2008年11月 9日 (日)

「同人雑誌評」「文學界」2008年12月号、担当・松本道介氏

《対象作品》「うさぎ」井藤藍(「法螺」59号/交野市)、清水信(「火涼」59号/鈴鹿市)、「JUST」ひわきゆりこ(「胡壷」7号/福岡市)、「暗い部屋にたどり着くまで」須崎隆志(「札幌文学」72号/札幌市)、「たまゆれ」青木創(「蠍」48号/諏訪市)、「幻の鳥」中津川良一(「ん」第10集/広島市)、「風景―山の家―」山口馨(「渤海」56号/富山市)、「坂の町の家族」難波田節子(「遠近」35号/東京都)、「存在価値」フランクリン水脈子(「北門文学」10号、秋田市)、「会津の女(後編)」宮原敏博、「川の匂い」河合愀三(以上「龍舌蘭」174号/宮崎市)、「ママの細道」鷹宮さより(「りりっく」18号/川口市)、「恋ひめやも」山名恒子、「戦時の作品を顧みるということ」石垣貴千代(以上「游」19号/東京都)、「ベルタ・フォン・サイコンハイム」岩崎芳秋(「文芸事始」26号/所沢市)、「猫の耳」藍崎道子(「こみゅにてぃ」79号/和光市)、「明日もまた」葉山弥世、「『放浪記』を創る 放浪の女(ひと) 林芙美子」、「戯曲 軍縮の人」天瀬裕康(以上「広島文藝派」23号/廿日市市)、「夏の修羅」服部進(「北狄」344号/青森市)
ベスト5=「うさぎ」井藤藍、「坂の町の家族」難波田節子、「暗い部屋にたどり着くまで」須崎隆志、「川の匂い」河合愀三、「存在価値」フランクリン水脈子。
2008年下半期同人雑誌優秀作
「イエスよ涙をぬぐいたまえ」江口宣(「九州文学」)
奨励作
「香花」米沢朝子(「高知文学」)、「教室はやり唄」亜木康子(「湧水」)
他候補作
「ミゼット」吉田典子(「サボテン通り」)、「JUST」ひわきゆりこ(「胡壷」)、「うさぎ」井藤藍(「法螺」)

ひわきさん作品は、またしても、快挙ですね。ベスト5に入らずに、優秀作候補に入っています。
なお、みなさんご承知のとおり、今号をもって、「文學界」での「同人雑誌評」は最終回だったので、評者4名による座談会「同人雑誌よ永遠に」が組まれ、「書きたい人のための全国同人雑誌リスト320」が掲載されています。320誌とは、意外に少ない気がしますね。「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)。

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「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年11月14日、白川正芳氏

《対象作品》「ありがとう、ランディ」中山和江(「コスモス文学」354号)、「家」水島弥生(「翻」4号)、「俳句はパスポート」山本悦夫(「四人」82号)、「ことの尽くる限もなく」加地慶子(「まくた」261号)、「ホセイン」村瀬巷宇(「朝」26号)、「グランマにあらず」斉木ユカル(「R&W」5号)、「江差で」安永稔和(「ぱさーじゅ」20号)、「これからの文学」山中光一(「青稲」81号)。「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)。

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2008年11月 7日 (金)

11月9日の第7回「文学フリマ」に、複数のメディア取材の予定。

文学フリマ事務局通信では、11月9日の第7回「文学フリマ」にメディアの取材がいくつか入るとしている。
 今回は講談社から、文芸評論家の東浩紀氏の「ゼロアカ道場」企画があるため、従来より多いことが予想される。この講談社とのタイアップによって、新しい何かをつかめれば、文学愛好家・作家の市場の形成に大きな力を持つlことになるかも知れない。
 参加者は、メディア取材に対するキャッチ言葉を用意しておくことも必要かも。
 新しい音楽は東京からは生まれなかったように、文学の潮流は地域にある。赤字覚悟で、東京に地域色の個性を教えに来た、とか、8割ほめて置いて、一言チクリとやると、記者は喜ぶだろうと思う。

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同人誌「日田文学」来年4月で休刊

休刊が決まった「日田文学」を手にする江川さん 日田市の同人誌「日田文学」が、来年4月発行予定の57号を最後に休刊する。投稿する作家の人数と売り上げの減少で、経費負担が増大しているためで、編集人の江川義人さん(74)(日田市竹田新町)は「日田の文化の発信者という自負があったが、残念」と話している。
 日田文学は1954年、小説「銀杏物語」で芥川賞候補(55年)になった作家・岡田徳次郎さん(故人)ら19人が創刊し、小説、随筆、詩などを掲載してきた。88年から約5年間休刊したものの、江川さんら9人が93年2月に復刊し、年2回発行していた。
 掲載された作品からは、約40作が文芸雑誌「文学界」の全国同人誌評で取り上げられ、文壇からの評価も高かったという。
 現在は1号当たり600部(1部800円)を発行し、同市内の書店に置いているが、売り上げは最盛期の半分の30部前後にとどまっている。発行経費は同人作家で賄っており、高齢化に伴う作家の減少とともに1人当たりの負担が増えたため、休刊を決めた。
 発行人の医師、河津武俊さん(69)(同市石井町)は「作家は高齢化し、創作意欲も減退していた。日田から文学の火が消えるのはつらい。いつの日か、若い人が志を引き継いでくれればうれしい」と話している。(2008年10月30日 読売新聞)

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2008年11月 6日 (木)

雑誌「季刊文科(鳥影社)が「同人雑誌季評」を開始し、同人誌を募集

「季刊文科」は、第43号より、「同人雑誌季評」欄を開設する。そこで、同人誌を募集している。2冊を送る。送付先は、〒392-0012長野県諏訪市四賀229-1、鳥影社「季刊文科」編集部宛。
 なお、雑誌「文学界」(文芸春秋)においても、新しい形態を考慮中なので、それを尊重し、協調してゆくことに変わりはないとしている。(「季刊文科」42号・編集後記より)

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2008年10月28日 (火)

「同人誌時評」「図書新聞」08年11月1日 志村有弘氏

《対象作品》「命根」相馬庸郎(「AMAZON」431号/宝塚市)、「現人神」諸知徳(「あてのき」34号/金沢市)、「くたばれ忠臣蔵」逆井三三(「遠近」35号/練馬区)、「庄屋の職分―摂津国高浜村・押領吟味一件」穂積耕(「法螺」59号/交野市)、「桃の花びら」武野晩来(「青稲」81号/松戸市)、「見る聞く歩く学ぶ―江戸」野村敏雄、「上野のお山」郡順史(以上「八百八町」8号/板橋区)、「闇の森心中」湯本明子(「文芸シャトル」63号/豊田市)、「迦陵頻伽」大掛史子、「巣林一枝」山本十四尾(以上「墓地」63号/古河市)、「フォールアウト」伊藤眞理子、「記憶」河野洋子、崔龍源(以上「COALSACK」61号/板橋区)、「国の歩み」下川浩哉(「九州文学」525号/中間市)、「葦の地帯」千早耿一郎(「騒」75号/町田市)、「十五歳の夏」天路悠一郎、「武田隆子さんはかけがえのない詩人であった」菊田守(以上「花」43号/中野区)、「出征の日が初対面往きしまま耳不自由な年嵩の従兄」滝口悦郎(「未来」680号/中野区)、「被爆者の手記に報復の記録なし深き悲しみを思はざらめや」矢野伊知夫(「新アララギ」11巻9号/千代田区)、暮尾淳、瀬山由里子、中里夏彦(以上「鬣」28号/前橋市)、特集「あの俳人の今」(船団」78号/箕面市)、「春はいいですね……」武田隆子(「りんごの木」19号/目黒区)、石鍋トリ追悼(「荒栲」3巻5号/台東区)、高橋徹追悼(「GAIA」25号/豊中市)、中西泰子追悼(「塔」644号/左京区)。「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)。

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2008年10月25日 (土)

詩誌「騒」75号、「夜明け前」159号、「さわさわ」5号、「新・原詩人」20号の読後録

「騒」75号(町田市「騒の会」発行)は、30頁ほどの薄いものだが、文字が小さいので、内容は濃い。しかも評論も充実し、毎号読み応えがある。書評として、坂上清「坂上清詩集」を新倉葉音が「小鳥の棲む社会派詩人の狙うところ」がある。坂上氏の詩風は、単純な素材とやさしい表現のもが多いが、それが幾重にも重ねられた寓意を含むために、じつは難解であるという特徴がある。そのなかで小鳥に託した作者のイメージとビジョンがあることを、ここで降り起こしている。その他、千早執耿一郎「慎太郎氏のイチャモン」、7月に亡くなった詩人・梅田智江さんの追悼記、暮尾淳「梅田智江さんのこと」がある。

「夜明け前」159号(北群馬郡「群馬詩人会議」発行)は、73才で農家をし、先ごろ農民文学賞の詩部門の受賞者でもある大塚史朗氏の発行。毎号「野の民遠近」を執筆し、元気である。評論・エッセイで、久保田穣「群馬における私的詩史ノート」(68)という長期連載。梁瀬和男「萩原朔太郎の郷土詩人の思い」(下)が興味深い。

「さわさわ」5号は、森本忠紀発行の「重信房子さんを支える会(関西)会報」であるが、支援者の短歌や俳句の掲載が多い。重信房子「私の京都・大阪物語(5)」がある。組織の国際部に所属したことで、パレスチナ解放運動の情報を得るまでのいきさつが記されている。国内活動のときに彼女を逮捕した刑事が、後日、検察庁にいてそれが、最近朝鮮総連の建物の取引で逮捕された緒方元検事であったという話題もある。

「新・原詩人」20号は、現代詩人文庫「坂上清詩集」(砂子屋書房)を(抄)にして特集を組んでいる。この「新・原詩人」は、井之川巨(故人)の主宰する反戦詩人グループ「原詩人」のあとを、江原茂雄氏が継承したもの。井之川氏は、その時代から、獄中の重信房子氏に発行物を送付していたようだ。生前の井之川氏は、第2回文学フリマの文芸同志会コーナーに訪れて、それから間もなく亡くなった人だ。

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2008年10月12日 (日)

「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年10月17日号・白川正芳氏

《対象作品》「山帰来」菅礼子(「北門文学」10号記念号)、「『まぼろしの邪馬台国』映画化こぼればなし」宮崎和子(第七期「九州文学」三号)、座談会「日本の戦後文学再検討」(「中部ペン」15号)、詩「落下水」文月悠光(個人誌「月光」創刊号)、「涅槃月」衣斐弘行(「火涼」59号)、「吉村昭研究」三号、「名古屋市芸術賞記念号に寄せる」棚橋鏡代(「北斗」九月号)、「河林満さんのこと」高橋光子(「群青」73号)、「初秋吟」松雪彩(「木木」21号)。(「文芸同人誌案内」よこいさんまとめ)

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2008年10月 9日 (木)

「同人雑誌評」「文學界」08年11月号・松本道介氏

《対象作品》「教室はやり唄」亜木康子、「砂漠の雨」冬樹美緒(以上「湧水」40号/東京都)、「山葡萄のねじれ」篠原しのぶ(「修羅」57号/桶川市)、「アトランティックウエザー」塚越淑行、「彼岸桜の家」島永嘉子(以上「まくた」261号/横浜市)、「卯の花腐し」鈴木比嵯子、「秋の気配」田瀬明子(以上「ガランス」16号/福岡市)、「不惑」高橋綏子、「皇紀二六〇四年の中学生日記」木村和彦(以上「海峡派」113号/北九州市)、「大気圏外への孤独」佐伯敏光(「VIKING」691号/茨木市)、「妖精の庭」高田恵子(「だりん」57号/船橋市)、「残された本」酒井敏子、「クローズィング・ツゥナイト」大重道子(以上「私人」63号/東京都)、「かたすみの向日葵」田中信子(「樹林」523号/大阪市)、「地裏より―藪睨み能舞台―(五)」西澤建義、「平林彪吾とその仲間たち(十)―私抄『文学・昭和十年前後』―」松元眞(以上「文芸復興」19号/船橋市)、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」山川浩介(「砂」108号/東京都)、「母の頼みごと」楠本耀子(「葉風」7号/東京都)、「こよなく愛すインターナショナル」竹原素子(「シリウス」18号/水戸市)。
ベスト5=「教室はやり唄」亜木康子、「山葡萄のねじれ」篠原しのぶ、「不惑」高橋綏子、「母の頼みごと」楠本耀子、「卯の花腐し」鈴木比嵯子。(「文芸同人誌案内」よこいさんまとめ)

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2008年10月 7日 (火)

11月9日の第7回「文学フリマ」秋葉原会場付近の状況

 雨であったが、文学フリマの会場の風景を撮ってみた。つくばエキスプレスの駅から上がって右側の通りに、工事現場があります。ワシントンホテルが解体され、神田川向こう岸の神社の屋根がみえます。解体工事の音もなく。静々と毎日ビルが消えてゆくのだった。またビルが建ったらこの光景は見られない。
 文学フリ会場は、この工事現場を左に行くと、東京都中小企業公社の細くて青い看板が2階にあります。というより、「浜町亭」(100席なんとやら)という赤白の看板の見える、居酒屋と同じ階です。たしか、トイレが共通場所で、5月には昼食を営業していました。今年はどうでしょう。Pj080930_002
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出店参加者の常連に、名物男「幻魚水想記」を5円で販売する野田さんが居ます(文芸同志会員、PJニュース記事参照)。あの昔のアイドル作家・中沢けい法政大学教授が、思わず買ってしまったという読み物。

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2008年10月 5日 (日)

文芸時評 「讀賣新聞」10月3日夕刊(九州)・松本常彦氏

《対象作品》深田俊祐『スエ女覚書き』(梓書院)/「火山地帯」創刊50周年記念号(155号)から立石富生「履歴書もどき」 。(「文芸同人誌案内」日和貴さんまとめ)

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2008年10月 2日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」9月30日朝刊・長野秀樹氏

《対象作品》河合愀三さん「川の匂い」(「竜舌蘭」174号、宮崎市)、青海静雄さん「蛍火」(「午前」84号、福岡市)
「火山地帯」155号(鹿児島県鹿屋市)は創刊50周年記念号。同誌より迫田紀男さん「模型飛行機」、立石さん「履歴書もどき」、倉津和良さん「鳥を飼う」
「ガランス」16号(福岡市)よりミツコ田部さん「深紅のエルサレム」副題「小説『死海文書』」
第七期「九州文学」3号(福岡県中間市)より宮崎康平夫人の宮崎和子さん「こぼればなし」
出版は由比和子さん『月兎慕情』(花書院)、浜崎勢津子さん『帰宅』(株式会社マルニ)、暮安翠さん『ある英国作家の肖像-グレアム・グリーンの生涯』(葦平と河伯洞の会)。
                    ☆
「讀賣新聞」9月5日夕刊・時評・松本常彦氏
《対象作品》高崎綏子『マーガレット日記』(発表社)は同人誌「海峡派」に発表した作品を収めたもの。
「文芸山口」(280号)は創刊50周年特集号。桑原伸一をはじめ、福田百合子など同人諸氏の回想記。
(「文芸同人誌案内」日和貴さんまとめ)

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2008年9月14日 (日)

同人雑誌評『文学界』08年10月号松本道介氏

《対象作品》「風にのって」塚越淑行(「まくた」260号/横浜市)、「虚飾」豊田一郎(「孤愁」4号/横浜市)、「藤棚」後藤みな子、回想「燭台・常夏・下関(後篇)」吉田静代(以上「燭台」4号/下関市)、「それぞれの闘い(亀戸天神うらの少年 9)」岡山和男(「七十代」17号/東京都)、「海老カツバーガー」田中純子、「鳥雲に」坂本美智子(以上「森林鉄道」24号/函館市)、「冬のゆりかご」北原深雪(「じゅん文学」56号/名古屋市)、「チョコレート」津木林洋(「せる」78号/東大阪市)、「ミゼット」吉田典子(「サボテン通り」8号/函館市)、「富蔵の骨」出岡絢巳(「文学SOS」5号/鈴鹿市)、「如去(にょこ)」しん・りゅうう(「山形文学」95集/山形市)、「冬の蜂」藤山伸子(「飃」78号/宇部市)、「離別の譜」市尾卓、「ブラックホール」中里秋光(以上「季節風」106号/国分寺市)、「小川国夫と故郷」岩崎豊市(「燔」15号/焼津市)。ベスト5=「ミゼット」吉田典子、「富蔵の骨」出岡絢巳、「冬のゆりかご」北原深雪、「海老カツバーガー」田中純子、「藤棚」後藤みな子 。(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年9月 7日 (日)

文芸同人誌評「週刊 読書人」08年9月12日・白川正芳氏

《対象作品》「ノンフィクション 晴れ着」久高明子(「文芸広場」八月号)、「ラッキー」平沢ゆうこ(「文藝岩手」47号)、「カフカ『変身』想」吉貝甚蔵(「季刊午前」38号)、「中原中也生誕百年によせて」福田百合子(「文芸山口」二七九号)、「男の顔について」岡本信也(「象」61号)、「文学・ぷらぷら」庄司肇(「文学街」九月号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年9月 1日 (月)

同人誌時評「図書新聞」08年9月6日たかとう匡子氏

《対象作品》特集「言葉と声」、「言葉と声―音声芸術としての朗読」星義博(以上「日本未来派」217号/東京都)、特集「詩人・杉山平一」、「綿密と爆音」八木憲爾(以上「ぜぴゅろす」3号/北杜市)、特集「太宰治と三島由紀夫」、「太宰治・罰せられるものとしての自己―『俗天使』から『斜陽』『人間失格』まで―」野口存彌(以上「群系」21号/東京都)、特集『朱鞘』(「明治大正俳句雑誌レポート」3号/平塚市)、「鏡」松川元恵(「サボテン通り」8号/函館市)、「鳥の言葉」山浦敦子(「扉」11号/佐賀市)、「夏の河」田中庸介(「ミて」103号/東京都)、「視線」蛇石孝郎(「レーベ」19号/狭山市)

  いつ掲載になるのか、よくわからなかった「同人誌時評」ですが、「同人雑誌評」終了が決まって以来でしょうか、絶え間なく掲載されていますね。「図書新聞」、眼が離せません。ただし、「同人誌時評」は詩歌や評論にも目配りが行き届いているため、今回も小説は「鏡」1篇のみです。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年8月28日 (木)

憂楽帳:負けるな同人誌《渡辺亮一》(毎日新聞08年8月27日)

 月刊文芸誌「文学界」の「同人雑誌評」が12月号をもって終了する。全国各地の同人誌に掲載された作品の中から意欲作を取り上げ、文芸評論家が批評する名物欄。1951年に始まった。毎年、半期ごとに優秀作を選び、該当作は同誌に転載される。今年上半期の優秀作は「龍舌蘭」(宮崎市)172号に掲載された鮒田トトさんの「犬猫降りの日」だった。現在、同様の欄を持つ文芸誌はほかにない。「10年ほど前に比べ、送られて来る同人誌が半減した」(「文学界」編集部)ことが打ち切りの理由と聞いた。
 確かに同人の高齢化などにより、同人誌は全国的に衰退傾向にあるが、九州はいささか事情が違うようだ。老舗誌の再刊が相次ぎ、新興誌の台頭も目立つ。期待の若手だって少なくない。職場に届く同人誌に目を通す機会が多いが、どの作品も行間から「表現したい」「書きたい」という作者の情熱が伝わる。
 激励役の「同人雑誌評」がなくなるのは同人たちにとって痛手だろうが、めげないでほしい。同人誌での地道な取り組みが、地方の文学の地力向上につながると信じている。【渡辺亮一】(毎日新聞08年8月27日)

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西日本文学展望「西日本新聞」・長野秀樹氏

《対象作品》相加八重さん「馬の泪」(「二十一せいき」9号、大分市)、吉井恵璃子さん「あるものさがし」(「詩と真実」710号、熊本市)
「文芸山口」280号(山口市)は「創立五十周年記念特集号」、主催者である福田百合子さんの創刊時主催者、太田静一さんの思い出。堀江すすむさん「最後の少年兵たち」。
「すとろんぼり」5号(福岡県久留米市)は後藤みな子さん「樹滴」連作の五、岩下祥子さん「やごの日」。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年8月21日 (木)

中部ペンクラブ主催「全国同人雑誌会議」を徳島・三好市で

三田村博史・中部ペンクラブ会長は、雑誌「中部ぺん」第15号の巻頭言において、昨年に「中部ぺん」が「第三回富士正晴全国同人雑誌賞・特別賞」を受けた際、主催の徳島県三好市・俵徹太郎市長に「全国同人雑誌会議」について次は、三好市で開催することを提案したところ、快諾をえたことを明らかにしている。これを受けて同人誌「文学街」と提携のアジア文化社「文芸思潮」が加わり、三好市の職員とも協議のうえ、10月には徳島市でプレイベントを開催する予定であるという。
 文芸同人雑誌の全国的な求心力では、中部ペンクラブが突出した実績をもっており、その連携の強化が期待できそう。

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2008年8月19日 (火)

「同人雑誌評」雑誌「文學界」08年9月号」勝又浩氏

《対象作品》名村和美(「KANSO」88号/鈴鹿市)、「編集後記」、「矢車の花」寺島茂、「花びらの行方」三沢充男(以上「こみゅにてぃ」78号/和光市)、「街」、「そんなことは」山崎文男(以上「文学街」116号/東京都)、「編集後記」&「ルバング島のおじさん」青木哲夫、「往来記」青木倫子(以上「アンプレヤブル宣言」14号/今治市)、「白檀色のトーラス」森口透(「あべの文学」7号/大阪市)、「遠泳―消えた海―」高月治朗(「八月の群れ」49号/明石市)、「のれんの陰」泉紀子、「日雇いの二人」牧之島純(以上「風の道」2号/東京都)、「拍子木」笹原実穂子(「山音文学」113号/札幌市)、「雛子」伊藤千佳子(「樹林」521号/大阪市)、「シルクロードの黒い嵐(カラブラン)」山本直哉(「文芸誌O」42号/佐久市)、「幸子二題」堀坂伊勢子(「文宴」109号/松阪市)、「母親」乾夏生(「槐」26号/佐倉市)、「呼ばわり山」もりたなるお(個人誌「回転寿司考」156号/武蔵野市)、「高齢者は剛いぞ」北大井卓午、「花の寺」安西昌原、「傾いた明日」難波田節子、「密葬」柚かおり(以上「遠近」34号/東京都)、「納屋の上」由比和子(「海」66号/福岡市)、「OJI NOTE」大池文雄、「湯ヶ島にて」栗原陽子(以上「丁卯」23号/駿東郡)、「西陣と南陣」園城弘(「滋賀文学」105号/大津市)、「やなさんの快挙に」山崎文男(「顔」65号/上田市)、「ころがる石」長倉茉利(「河」146号/東京都)、「トワイライト・デイ」本多明子、「月と雨と」池田みな美(以上「法政文芸」4号/東京都)、「ガラスに映る」うえのそら初、「無題」阪井智一(以上「カム」3号/桜井市)、「天竺川」あびる諒(「白鴉」22号/八幡市)、「カプセル・タイム」大西亮(「北斗」548号/名古屋市)、「かまきり」中島妙子、「ボランティアガイド エレジー」長浜要悟、「月光」福永タミ子(「安藝文學」76号/広島市)。
ベスト5=「白檀色のトーラス」森口透、「ルバング島のおじさん」青木哲夫、「月と雨と」池田みな美、「矢車の花」寺村茂、「母親」乾夏生。
今回が勝又氏による最後の「同人雑誌評」となりました。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年8月 9日 (土)

「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年8月22日、白川正芳氏

《対象作品》「青春の煌き」山岡早春(「コスモス文学」三五一号)、「桜並木の向こう」山田敦心(「城」94号)、「佐伯祐三の妻『米子』」(「新現実」97号)、「私小説研究」九号、「駅舎」折口真(「穀雨」二号)、「夢の人」北村順子(「婦人文芸」85号)、「港の骨董屋」川島昭子 (「ペン」三号)、「還暦」相加八重(「21世紀」八号)、「佐藤友哉とアヴァン・ポップ」(「メルキド」五号)、「Light & Dark」(「ゆ・ちゅぺる」創刊号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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個人誌「孤愁」第4号(横浜市)の編集後記から

 「孤愁」第4号に、豊田一郎氏の「編集後記」がある。なんでも「フリーターとしての小説家」という一文を読んだそうである。そのなかに「文学というものは、お金のためにやっているわけではないので、それでもいいと割り切るしかない。しかしそんな割り切り方をしてしまうと、売れなくてもいいというアマチュア的な気分になって、作品が独善的、閉鎖的になり、本当に売れないものしか書けなくなるおそれがある」とか、「小説家はフリーターであると同時に、独立採算の業者みたいなものだから(青色申告で妻に給料を払っている)、経営の安定のために、業務の計画を立お頃から、わたしは文学にこだわらなくなり、文学にこだわる人に特有の傲慢さと無縁になった」とか書いているらしい。
 豊田氏の説明によると、「この人は大学の客員教授として小説の書き方を教え、その教室から、いわゆる売れる小説家を輩出している」らしい。これに対し、豊田氏は、文学は自動車を作り売ることとは異なるのではないだろうか、とし、文学はそれでいいのか? と疑問を呈している。

 自分は、豊田氏の紹介している「フリーターとしての小説家」の理屈にそれほど違和感はない。売れる、売れないは、時代に合っているかどうかの問題で、車だって時代にあっていなければ売れない。ガソリン高騰で、エタノール、天然ガス、電気などをエネルギーとするものが脚光を浴びてきた。時代がそこに向いてきたからである。ただし、品質がわるいと売れない。品質がよいことが必要条件である。小説でも品質の良いことが必要である。それでも時代に合わなければ売れない。

 現代において、文芸同人誌のあり方と、文学的芸術的な行為との結びつきは、実はそれほど強くない。それを、いかにも芸術性だけを協調する人に出会えば、たいてい傲慢な人に見える。
 自分は、社会的な関心から文芸同人誌を読んできたが、日本人がものを書くということに、大変な価値を見出していることを知った。では、なぜなのか。一番大きいのは、書くことが心のツカエや憂鬱、うっぷんを解消することにあるからだと思う。精神を安定させ、充実感が得られる手段である。
 あとは、サークルの仲間意識の充足であろう。だから、出来上がった作品は、その過程で「出来てしまったもの」で、市場で売るなどということは考えていないものが、ほとんどである。そのなかで、たまたま社会的なニーズに出会ったものが売れているのである。自分は、同人誌の作品に、つまらないものや、くだらないようなことが書いてあっても、別に文句を言う気にはならない。あって当然であると思うからである。
 そういう作品を安易に批判してはいけないような気がする。その作品に自信がないからこそ、批判されると激怒することが多いようだ。自分で、書いてみれば、その気持はよくわかる。また、批評しやすいものだけを批判して、よい面を見出せない読解力不足の人しかいない文学仲間は、さびしい気がする。
 「売れる、売れない」の市場性からみると、文芸評論家や小説公募の審査員は、その芸術性の深さを見ながら、同時に小説の品質を吟味していることになる。

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2008年8月 6日 (水)

文芸同人誌時評「讀賣新聞」西日本版・夕刊8月1日付・松本常彦氏

《対象作品》「燭台」<昭和2年、下関で創刊された同人誌の誌名を継ぐ。当時は泉鏡花、横光利一、北原白秋、金子みすゞなどが寄稿。>第4号、北川透の詩「亀裂についてのノート」、石田比呂志の短歌「万愚節」、上野燎の俳句「あずまはや」、星加輝光・佐木隆三・古川薫・後藤みな子の対談「九州文学と岩下俊作」、吉田静代(常夏夫人、H4年101歳で他界)の口実筆記「燭台・常夏・下関」、後藤みな子「藤棚」。「遍歴」49号、伊福満代「框の傷」、鶴ヶ野勉「中央構造線」(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年8月 4日 (月)

「同人誌時評」「図書新聞」08年8月9日志村有弘氏

《対象作品》「時計」葉山修平(「風の道」2号/荒川区)、「該当作なし」高橋直之(「残党」27号/茅ヶ崎市)、「末期の花ー美佐乃覚書」崎村裕、「にんげんの加害力ー島尾敏雄の〈特攻待機〉体験ー」岩谷征捷(以上「構想」44号/東御市)、「とくだみ」波佐間義之(「九州文学」七期二号/中間市)、「吉備大臣変異譚」蒲生一三(「文芸中部」78号/東海市)、「真澄の鏡」吉田弘秋、長篇詩「わが代」大野文也(以上「名古屋文学」25号/名古屋市)、詩「地面の来歴」菊田守(「花」42号/中野区)、「自殺者」前田純敬、座談会(以上「久坂葉子研究」4号・生誕七十七年記念号/芦屋市)、「明治・大正期における『今昔物語集』受容状況」西山康一(「芥川龍之介研究年誌」2号/船橋市)、「阿部知二研究」15号(姫路市)、湯本明子(「文芸シャトル」62号/豊田市)、永野悟(「群系」21号/江東区)、「加計呂麻島の墓碑」&「島の墓碑」遠藤秀子(「塩」4号/佐倉市)
《創刊>「銀聲」(西宮市)《追悼》川田俊夫(「一宮文学」/一宮市)、芳地修(「うもれび」32号/京都市)、星加輝光(「九州文学」七期二号/既出)、河林満(「穀雨」2号/武蔵村山市)、都筑辰己(「山音文学」113号/虻田郡豊浦町)、阿部英雄(「東京四季」94号/八王子市)、林俊(「文芸誌O」42号/佐久市)、浜畑幸雄(「別冊關学文芸」36号/西宮市)、筧槇二(「山脈」124号/横須賀市)。(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年8月 2日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」7月30日朝刊・長野秀樹氏

《対象作品》後藤みな子さん「藤棚」(「燭台」四号、山口県下関市)、山田敦心さん「桜並木の向こうのクニ」(「城」九十四号、佐賀県みやき町)
「九州文学」第七期二号(福岡県中間市)は「星加輝光追悼特集」。古川薫、佐木隆三をはじめ、同人の追悼文を掲載。
「燭台」(前出)の岩下俊作特集にも、星加さんの座談会(古川さん、佐木さん、後藤さんがメンバー)を掲載。
「あかね」(鹿児島市)は八〇号記念号。「『あかね』と私」というタイトルで同人の文章が寄せられている。(「文芸同人誌案内」掲示板日和貴さんまとめ)

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2008年8月 1日 (金)

「同人誌時評」「図書新聞」08年8月2日福田信夫氏

《対象作品》「ロシアという魁偉―内村剛介の帰還―」陶山幾朗(「VAV(ばぶ)」12号/日進市)、「長い残余の生(一)」前之園明良(「酩酊船」23集/穴粟市)、「青狐の賦(上)―火野葦平の天国と地獄―」暮安翠(「九州文学」第七期第一号(通巻523号)/中間市)、「わたしの源氏物語」橘川雅子(「てくる」3号/大阪市)、「アウシュヴィッツ収容所」中村淳子(「四国作家」40号/琴平町)、創刊45周年記念号・秋田稔個人誌(「探偵随想」97号/泉南市)、「ゲーテとトルストイの『光』考」&「菫漫談」大谷いわお(「海」77号/四日市市)、「言いそびれた言葉」いとうむつみ(「私人」62号/北本市)、「残党」27号(茅ヶ崎市)、「猫恋記」西本薫、俳句「虚虫」山下定雄(以上「海馬」31号/稲美町)、「三好十郎の反戦・平和―プロレタリア作家時代」今井勇、「三好十郎論―三好十郎と葉山嘉樹(その一)」鈴木章吾、「秋元松代は三好十郎を超えたか」田中單之、「三好十郎の翻訳」鈴木美和子(以上「三好十郎研究」創刊号/横浜市)、「仮装結社」あらきこうすけ、「川端康成『弓浦市』を素読する」坂本良介(「坩堝」創刊号/青梅市)、短歌・東野登美子、田中教子、巌浩(以上「ナヅノキ」創刊号/大阪市)
<追悼号>賈島憲治追悼(「創造家(トリスメジスト)」16号/本巣町)、鴻みのる追悼(「凱」30号/練馬区)、さこう祥二追悼(「小説図鑑」18号(通巻27号)/横浜市)、八幡政男追悼(「碑」90号/横浜市)(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年7月26日 (土)

九州地区の新聞が文芸同人グループを紹介

地域の新聞は同人誌の文芸活動の記事をよく取り上げている。
《参照: 「文芸同人誌案内掲示板」》
 東京地域では、同人誌を紹介する新聞はないが、通常の文芸時評を夕刊に掲載したものを朝刊に掲載するようになった新聞社が出てきた。これは、同人誌に興味を持つ人は新聞をよく読むので、重要な読者として重視するようになったためではないか。それだけ新聞を読む人が減ったということであろう。
 東京地区のマンション販売には、頭金なしで月に8万円程度のローンで購入できるようなものもある。マンションを販売すると新聞勧誘員がやってくるのは、昔の話で、今は、茶髪、ケイタイ、新聞読まずの若者が増えたため、新聞販売員がこないという噂だ。
 文芸時評のリストをまとめている自分には、迷惑な話で、分厚い朝刊を全部見て、どこに文芸時評があるかなどウォッチしていられないのは、困ったものだ。

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2008年7月18日 (金)

同人誌「砂」第107号の作品を読んで(3)

(評・中村冶幸)
【「封印されたスケッチブック」夢月ありさ】
 雄司が父の書斎に入って、自分の希望を「一気にまくしたてた」というのはよい表現です。できれば「考えあぐんでいた雄司」のその顔が、どういうふうだったのか、身体の姿勢など描写があれば、もっと生きて見えてくるのではないかとおもいます。
 前半の兄弟の会話について。小説は、いつどこでだれが、なにを、なぜという五つの法則が必要ということを念頭においてもらいたいとおもいます。会話を多く用いるのは、作品を生き生きとしてよいです。
【「遥かなる遠い道」行雲流水】
 構成のうまさを感じた。輝子が多発性骨髄腫のため内科病棟に入院するところで今回は終わるが、その不幸なできごとを描くためか伏線があちこちに張られているように感じる。先ず冒頭に兄の大川正二郎が逝去するところからはじまる。春日先生との久し振りの出会いと奈良の秋篠寺に技芸天をみにいくのもそれだ。
 技芸天をみたことで、隆の嫁とのいさかいを解消しようと輝子にいわせる。輝子の心の内でなにかが変わっていくさまを感じる。輝子は夫の正三郎と日本を旅行し、子供たちの家々をめぐる。のちに病気でベッドに縛りつけられるのを予期しているかのような、あわただしさだ。そして海外へも行きたいとおもうが、残念ながらそれは許されなくなってしまう。哀れでならない。長女清子が母の痩せかたがひどいのとヘルペスがでているのを気にし父に相談する。それで正三郎が輝子を病院に精密検査を受けさせに行くが、それからの正三郎の苦悩と輝子の不安が良く描けていて読者を惹きつける。ヘルペスがどのようなものか描写があるともっとよかったとおもう。P75下段の電灯がついているのに暗い部屋が印象的だ。P82上段後ろから二行目「病院の玄関が判決を下す法廷のように」とあるが、病気の宣告は不条理に受けとれ、それだけに重く深く胸に響くのであろう。

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2008年7月16日 (水)

同人誌「砂」第107号の作品を読んで(2)

(評・中村冶幸=「砂」の会会員・文芸同志会員)

【ブログ「文芸同志会通信」日誌(一)伊藤鶴樹】
 以前「文芸研究月報」紙を毎月愛読していたので、その裏話として楽しく読めた。パソコンを持っていないので、ブログの情報を読めないのが残念におもう。ペンネームの由来には書く姿勢の懸命さを感じることができた。文芸情報を集めることに「社会観察のフィールドノート」になっているという考えは卓見だとおもう。ブログのアクセス数や情報の原稿枚数などの数字を出しているのが具体的で判りやすい。情報の入手先を探す方法も直ちに判明するよう工夫がしてあるのがよいシステムとして感心した。末長く続けてもらいたく期待します。

【紀行文「佐渡紀行 その一」木下 隆】
 読んでいて臨場感がある。それは観察が行き届いているからに違いない。大野亀が高さ百七十メートルほどのおむすび型大岩といった具体的な表現。尖閣湾で強風に遭い「前より凄みがある。強風のおかげで」という浅井さんの言葉が真に迫っている。
 作者が小学一年のとき疎開にきたことで、佐渡により親しみがあることが随所にあらわれている。
 それゆえ「鬼太鼓」や「佐渡おけさ」をみたとき、ほんらいは精霊を慰める儀式のはずのものが、ショウ化してしまうことを憂えていることでわかる気がする。
 ただ漢字が多いので、もうすこし(ひらがな)で表現してみてはいかがだろうか。
 文章は品格があって読みやすいです。

【小説「タイムリミット」牧野 誠】
 主人公の男性が自殺を遂げようとする話だが、その理由が、末期ガンを苦にしてでなく、先立たれた妻を追ってでもない。四十二年まえ、心中をしたが生き残ってしまったので、その完結のためというのがロマンチックだ。
 死ぬ場所は、月光をあびた桜の満開のもとで、その情景はあたかも西行の和歌をおもわせる。ただ惜しむらくは月と桜の描写が弱い。「桜の木を見上げるとまだ散ってはいなかった。──今を盛りと月光に映えていた。だけでは物足りない。もっと描写してもらいたかった。P44下段前より三行目「判決を待つ犯罪者の気持ち」という表現がうまい。
 P45上段一行目「痩せた白衣の」の箇所にその医師が女性であることを記してもらうと、下段七行目──九行目の表現がよくわかるとおもう。

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2008年7月15日 (火)

同人誌「砂」第107号の作品を読んで(1)

(評・中村冶幸=「砂」の会会員)
 このところ表紙に矢野さんの絵が飾られていますが、今号は艶っぽい女性が読書をしていて表紙をみるだけでも楽しくなります。
【随筆・エッセイ「出水平野の鶴」渡辺千葉】
 簡潔で的確な表現をして読ませます。P3上段、後ろから五行目から四行目にわたって「人間社会の……見守っている」という文章に描かれている。近ごろの社会のありさまにたいし、おなじ段の真ん中あたりの鶴の身内に対する思いやりを描くことで、人権批判をしている。このような思いを抱く人がいることが心強い。世の中、見捨てたものではない。
 ただそのおなじ段の最終行の「観光地のーーガラス窓」はなんの建物をさしているのかを書かれると、もっとわかりやすくなると思います。
【「寂しい遠足」望月雅子】
 作者が65年前の小学二年の遠足のことを思い出し、客観的に少女の心中をみつめそのようすを描いているのがよいです。昭和18年の戦争中に遠足があったというのが発見だが、節約一点張りだったのが、いかにも戦中を物語っているようです。乾燥卵というのが珍しい。茹で玉子が潰れて寂しい思いをするのが象徴的に描かれていて、内省の深さををおもいます。少女が弁当や服装について、いろいろ葛藤してますが、いまの豊かになった社会でも考えられることで、その普遍性を通して、戦争の悲惨さ、平和のありがたさを訴えているのが見事です。

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2008年7月 9日 (水)

同人雑誌評「文學界」08年8月号勝又浩氏

《対象作品》河林満追悼特集(「文芸思潮」23号/東京都)、八幡政男追悼特集、「懐中のベレー帽ー八幡政男とその周辺」上坂高生(以上「碑」90号/横浜市)、「虫のこと、学問のこと、絵のこと」石崎宏矩、「日々に新たなり」田中貞夫(以上「零」17号/奈良市)、「最後のホームワーク」堀川佳、「『ポンパ』考」大森捷二(以上「四国作家」40号/琴平町)、「青空の嘘」浅田厚美、「栃錦が飛んだ、あの九月」森岡久元(以上「別冊關學文藝」36号/西宮市)、「出口のない部屋」安田ちかよ(「あしたば」48号/津市)、「フラミンゴグレイ」池田純子、「鬼火」立石富生(以上「火山地帯」154号/鹿屋市)、「知覧ー六月三日の邂逅ー」西山慶尚(「海峡」20号/今治市)、「慎ましやかな虫たち」梶川洋一郎、「満開の桜の下で」十八鳴浜鴎(以上「新松柏」21号/柏市)、「私は忘れない」柳原忠行、「乱雲」 山川文(以上「佐賀文学」25号/神埼市)、「クリスマスの記憶」松原栄、「父の自画像」下地芳子(以上「南涛文学」23号/浦添市)、「ブラジル・ジョーク」ナカムラマゼランタロウ、「金色の虹」塩崎勝彦(以上「樹林」520号/大阪市)、「いつか金色の馬車に乗って」三澤章子(「橡」9号/伊勢崎市)、「香花」米沢朝子(「高知文学」34号/高知市)、「父の居た街」谷沢信熹(「風」79号/岡谷市)、「まくらのとが」ほりきせいこ(「河108」24号/江別市)、「雪」新村苑子(「文芸驢馬」55号/東京都)、「贋夢譚 百夜」稲葉祥子、「ボンと歩けば」南奈乃(以上「てくる」9号/大阪市)、「三毛猫三毛子」北川佑、「冬女夏草」よこい隆、「転落」十河順一郎(以上「木曜日」24号/東京都)、「ゆうどうえんぼく」渡辺光昭、「髷」佐佐木邦子(以上「仙台文学」72号/仙台市)、「移ろうとき」野沢薫子(「長崎文学」57号/長崎市)、「師弟」高木國雄(「海」77号/四日市市)、「心をこめて賽を振れ」青海静雄(「午前」83号/福岡市)、「遅い雪」K・ドリー(「原点」96号/松山市)
ベスト5は、「香花」米沢朝子、「青空の嘘」浅田厚美、「フラミンゴグレイ」池田純子、「出口のない部屋」安田ちかよ、「贋夢譚 百夜」稲葉祥子

すくなくともひとつ誤字があります。見付からなかったんです。「熹」は下が「心」です。申し訳ありません。
(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年7月 4日 (金)

文芸同人誌評「週刊 読書人」08年7月11日白川正芳氏

《対象作品》「針桐の道―篆刻家 歌人 瀧波善雅―」興津喜四郎(「丁卯(ていぼう)」23号)、「彼岸獅子舞の村」前田新(「農民文学」二八一号・第51回農民文学賞受賞作)、「駄目主婦日日」成瀬露子(「四人」81号)、「岸田劉生のコレクター・浜松の山本貞次郎の研究」寺田行健、表紙絵「南瓜」小川国夫(以上「秦」16号)、「過激な暇つぶし」坪内稔典(「船団」77号)、「猫が来た」渡辺美知穂(「女人随筆」一一四号)、「がんきゃあさんが通る」坂本紀美子(「佐賀文学」25号)、「銀聲」創刊号。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年7月 1日 (火)

「西日本新聞」西日本文学展望6月30日朝刊・長野秀樹氏

有森信二「波の歌」(「海」66号・福岡市)、木下恵美子「母型」(「詩と真実」708号・熊本市)。「西九州文学」(長崎市)から、山本思外里「歯の話」、宮崎栖吾郎「ふたりで歩いて」
織坂幸治「新ぼんくら談義『現代カタカナ考』」(「海」前出)。出版:小笠原瑛次『三角形の鍵』(文芸社)(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年6月14日 (土)

文芸同人誌評「週間読書人」08年6月20日・白川正芳氏

《対象作品》「田園風景」坂上弘(講談社文芸文庫)、「ボンと歩けば」南奈乃(「てくる」三号)、「秋に還りぬ」庄司泰子(「全作家」69号)、「懐中のベレー帽」上坂高生(「碑」90号)、「川上未映子「乳と卵」について」間瀬昇(「海」77号)、「クスリ」長谷良子(「凱」30号)、「流された日々」和田浩明(別冊「関学文芸」36号)、「ノイズ」平野潤子(「時空」29号)、「アフリカの旅」諸井学(「播火」67号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年6月 9日 (月)

「同人雑誌評」「文學界」08年7月号・勝又浩氏

《対象作品》「全国同人雑誌会議」三田村博史(「文藝家協会ニュース」680号)、「中部ペン」(名古屋市)、「文学街」(東京都)、「同人雑誌全国会議意見交換会」名村和実(「KANSO」86号/鈴鹿市)、「全作家」(東京都)、「信州文藝」(上田市)、「文芸思潮」(東京都)、「文芸東北」(仙台市)、「イエスよ涙をぬぐいたまえ」江口宣(「九州文学」523号/中間市)、「聖母子と廃本」渡辺勝彦、「旅先の界隈」谷澤弘昭、「華麗なる金鯱物語」森田ちゑ(以上「R&W」4号/愛知郡)、「五女」片山峰子(「岡山文芸」98号/総社市)、「青空と軽便鉄道と」原口登志子、「母との旅」高橋光子(以上「群青」72号/武蔵野市)、「葡萄の杖」山之内朗子、「アイリス」塚越淑行、「般若の道」城田彩香(以上「まくた」259号/横浜市)、「最終バス」秦斗志三、「陽炎」山口道子(以上「南風」23号/福岡市)、「路地裏の温泉バナナ」山人海人、「侵入者」中山直美(以上「日田文學」56号/日田市)、「編集後記」、「星が見えない」大石國行(以上「彩雲」創刊号/浜松市)、「私の恋は」吉田啓子(「勢陽」20号/伊勢市)、「子生(こなじ)―私鉄廃線跡探索奇談」羽黒英二、「宝の/はこ」坂本良介、「虫達への挽歌」高橋ひとみ(以上「文藝軌道」4月号/大磯町)、「骨かじる」さとう裕、「十三夜月」宮崎眞弓(以上「グループ いかなご」4号/明石市)、「兄の番」関幸子、「私だけの赤」飛田一歩(以上「湧水」39号/東京都)、「伝言」宮本誠一(「詩と眞實」707号/熊本市)、「蝶の帰り道」古木信子(「季刊午前」38号/福岡市)、「朱光院」稲垣瑞雄、「白鷺の女」楢信子(以上「双鷲」69号/八王子市)、「『突貫小僧』の末っ子実」岡山和男(「七十代」16号/東京都)、「漂白」豊田一郎(「孤愁」3号/横浜市)、「VIKING(一)」中尾務(「VIKING」688号/茨木市)、「ランナウェイ」谷口浩、「眺望レストラン」中村建夫(以上「文学地帯」105号/堺市)、「ステンカ・ラージン―凍土の恋―」矢内久子(「風姿」3号/上尾市)、「家の繕い」小野誠二、「蜘蛛男」服部進(以上「北狄」342号/青森市)、「神々の涙と微笑みの満ちるところ」伊吹萌、「歌姫が去った日」仙波進太郎(「私人」62号/東京都)、「ZEAMI」野上周(「YPSILON」春増刊号/三島市)
ベスト5は、「イエスよ涙をぬぐいたまえ」江口宣、「子生」羽黒英二、「侵入者」中山直美、「最終バス」秦斗志三

なお、今回の見出しは「同人雑誌ネットワーク」と題し、冒頭で、全国同人雑誌会議や信州文芸誌協会、九州芸術祭文学賞などの例をあげて、ネットワークの可能性に触れ、下記のとおり、それを結んでいます。
「・・・何らかの条件、きっかけさえあれば、現代同人雑誌ネットワークが一つの組織的力、つまり“予備軍”ではなく、れっきとしたもう一つの“文壇”を形成するのも決して夢ではないであろう。そして、そのきっかけの一つが、本年いっぱいでのこの欄の廃止という“事件”になるだろうか、というのが、私の目下の夢想である。」(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年6月 7日 (土)

同人誌作品紹介「木曜日」第24号(さいたま市)(3)

【「病院(ホスピタル)幻想曲 その後」菅原英理子】
 「ここに行って来て下さい。/病院のベッドの上で先々月のカレンダーを小さく破って作った紙切れには、祖父が震える手で書き付けたたどたどしい文字と切った」

 幻想曲であるためか、主人公が写真家であったらしい祖父が入院中で、何かを頼まれて、外出するところから始まる。しかし、何を頼まれたかは、読者にはわからない。幻想だからか、どうか。仕掛けがありそうな予感で読み進む。お使いの途中の風景には、街の裏通りの墓地という景色もある。
  回想のなかで、今にも死にそうな祖父の姿を浮き彫りにする。そのなかに庭の手入れをする業者の女が出てくる。この女の書き方はなかなか面白く、個性をよく表現している。結局、主人公は、祖父が展示会に出した作品を受け取りに来たらしいことがわかる。その写真をもって、病院へ向かう途中の車窓から見える棕櫚の樹を眺めるところで終わる。祖父の死に際の視線を受け継いで見た風景なのかも知れない。
 身内の死に際を知ったときに抱く、言いようのない死への違和感のようなものが表現されている。技巧派らしい手法を意識した書き方に個性を感じる。

【「小説は書かなくてよい」井上雅弘】
 作者は、年に1度、小説を書いてきたが、長いものが書けない。30代後半になって、自分が小説を書きたいのではなく、「ただ単純に自分の言葉を残したいだけなのではなかろうか」と思い至るのである。原点にもどると、たしかにそうである。同人誌は自己表現の場であるから、身辺雑記でもいいことになる。特に、働き盛りの人間には、落ち着いてじっくり物を書く時間はないかもしれない。夫を気づかう優しい妻や、生活上の感想を述べる。

【「冬女夏草」よこい隆】
「ぼく」は、中国人のホステスの「おまえ」を愛し、その行動を見つめる。ホステスである「おまえ」は、つねに男からの誘惑のど真ん中で仕事をする。「わたし」(「ぼく」を訂正しました=鶴樹)は、それを気にかけて、詮索する視線を向ける。シフトを変えたスタイルの独白体小説になっている。
 出だしの第一行目は、考えすぎか力みすぎで、石川淳スタイル悪影響か。文体の魔術から脱け出せていない形跡がある。
 しかし、こうした文体とスタイルは、それに見合う話の組み立てが要求され、その規制によって、まとまりのある物語になっている。この作者の作品を読むのは、三作目であるが、前の二作はイレギュラーな運びが随所にあり、意図がよく理解できなかった上に、その舞台となる背景も未知なるもので、出来が良いのか悪いのかさっぱり見当がつかないものであった。
 今回は、文体と舞台設定に凝ったことから、普通のお話になっている。なにやら中国人女性との愛の物語がなかにあって読みやすい。果たして、舞台が新宿で、女が客の男に渡されるものが、麻薬でなければならないものかは、わからないが、非日常性の世界を舞台にしたことで、愛の世界がドライに浮き上がるので、ウエットな部分が引き立ち効果があった。小説は書いてみないとわからないものである。なにやら優しい心の交流まで垣間見える。同時に、二人の愛の行方はわからないながら、闇に消えるものではなさそうだ。

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2008年6月 2日 (月)

同人誌時評「図書新聞」08年6月7日たかとう匡子氏

《対象作品》「古典と現代詩」藤井貞和、「劉震雲『携帯電話(手機)を読む」劉燕子、「戦後の竹中郁の方向性―第七詩集『動物磁気』を中心にして」冨上芳秀、「孤高をめぐって―金素雲おぼえがき(1)」倉橋健一、岩成達也、新井豊美、北川透(以上「イリプスⅡnd」創刊号/香芝市)、「私の作家論」庄司肇(「文学街―別冊・第四巻/東京都)、「漂白」&「あとがき」豊田一郎(「孤愁」三号/横浜市)、「軍医と戦争」千早耿一郎(「象」60号/名古屋市)、「生還(泥だらけの青春)」千田一郎(「風」10号/太宰府市)、「階段の尽きるところ」荒井隆明(「出入口」7/東京都)、「草の葉」荻悦子(「るなりあ」潤・0/相模原市)、「高千穂神楽 神いますなら神いませども」美濃和哥(「彗星」Ⅲ号/掛川市)。なお、たかとう氏は「文學界」同人雑誌評の打ち切りについて、冒頭と末尾で下のように書いておられます。
冒頭
「たまたま、半世紀以上もつづいた月刊文芸誌「文學界」の同人雑誌評が年内で打切られるのを読売新聞の記事で知った。理由は高齢化がすすみ老人雑誌になったことと、寄せられる雑誌の数が減ったからだという。近代社会の中に出てきた同人雑誌は、もともとそれ自身が自立しており、この雑誌評の消滅によって、力をなくしてしまうとは考えにくい。」
末尾
「冒頭に書いた「文學界」の同人雑誌評、年内打ち切りは、商業ジャーナリズムによって文壇予備軍としての同人雑誌が役割を果たせなくなったと思うほうがよい。こういうときだからこそ、ここでゆっくり腰を落ち着けてやるべきだと思う。私は詩を書くのでその立場からいうと、詩の同人雑誌はけっして老人雑誌になっていない。若い人の雑誌はたくさんある。」(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんの投稿より)

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2008年5月22日 (木)

同人誌作品紹介「木曜日」第24号(さいたま市)(2)

【「竜善」小梢】
竜善和尚は、北国のお寺の住職である。寺は幼稚園も経営している。竜善は、胃がんの摘出手術のあと、肺炎を恐れ、病気をおそれて暮らす。小心ではあるが、正直な性格である。作者は、巧みな語り口でこうした性格をユーモアをもって活写する。夫婦の関係、幼友達の春江との交流、友達との付き合い方が具体的なエピソードで紹介される。滑稽味のある表現力は、才気才能を感じさせるものがあり、面白く読める。竜善は病気の心配をしながら、人間関係に右往左往し、ある日、蜂に刺されてショック死してしまう。人間的、人格的に偉大ではないが、仏道に沿った真っ当な人生のあり方を示してみせている。軽い調子の語りにもかかわらず、作者の宗教的な造詣の深さを感じさせる良質な作品に思えた。
【「腐った水」坪倉亜矢】
ボクサーの心理、その観客の心理、阪神淡路大震災の体験、会社内パワーハラスメントの体験、女性同士の友情など、さまざまな要素を盛り込んで、題材ごとにそれぞれの人々の内面を語る一人称多視点のモザイク形式の小説。いろいろな素材をミックスしてサラダボールに入れて食べるような面白さがある。語り手の内面もかなり工夫をして深みが出ている場面もあり、読みやすく面白く感じた。このような手法は、複雑なストーリーを分かりやすくするために採用されることが多く、娯楽小説の読者サービスに向いている。よほど高度な技術でないと純文学的な深みを与えるのが難しいようだ。この作品は力作感が充分あり、現代人の肌合いをよく表現している。同時にその表現内に留まっている、とも感じた。

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同人誌「小説藝術」47号(新座市)作品紹介

【詩「いとしくて」犬山六郎】
80幾年か役に立ってきた犬歯が、朝目覚めたら抜けていた。かつては白かった色も黄色くなり、根は黒ずんでいる。くたびれ果てた己の姿そのもので、いとおしい、という内容。
【詩二題「春のとき」「朝の食卓」長谷川冨貴】
「春のとき」は、草色に染められる気配を覚えながら/恋慕や嫉妬の感情もあったことを蘇らせる/この 春のときーーという。「朝の食卓」は、毎日、夫の同じ顔、同じ献立。今日の出来を論評しあう。“だけど 平和な世の中っていいね”“落ち着いて食事していられるもの”あと求めるのは、藝術に対する己のエネルーの強さだという内容。
【「ドストエフスキー小論」高杢一正】
筆者の文学へのかかわる話(小説よりも評論をすることにした経緯)と、西洋のフローベルやモーパッサン、日本の漱石や菊池寛、芥川龍之介の話題がある。筆者は、生活を犠牲にする藝術至上主義より、人生至上主義なので、小説より評論をする方を選んだという。そのあと「貧しき人々」の梗概をする。
【随筆「甲州街道」和田聖子】
もと、衆議院議員の私設秘書をしていて、同人誌に小説を書く人の高級老人ホームの生活の日誌。その生活ぶりが描かれていて興味深い。
「小説藝術」発行所=〒352-0032新座市新堀1-7-26、竹森方。

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2008年5月20日 (火)

同人誌作品紹介「照葉樹」第5号(福岡市)

現在、紹介者も同人誌向けの作品を書いているので、他者の作品への言葉は、みな自分に突き刺さってくる。どうしても、批評的な視点が不足しがちだ。自分も書くという視点では、その作品の長所があれば自分も真似したいという気持がどこかにある。そういう視線では、文芸批評的なものは、成立しないのである。今回の「照葉樹」の二作は、真似したくなるところが多くあり、参考になる。
【「不器用な愛しさ」水木怜】
 語り手の「私」は、夫が他の女のもとに去り、別れている。捨てられた思いで、幼い子どもを連れ、母のいる実家に帰る。父親は戦死している。時代は1960年代後半か。実家で肩身せまくして暮らす。すると40代まで独身であった佳子叔母が、50歳過ぎの絵描きさんと結婚し、独身でいた時よりも幸せとは見られない状況にあることを知る。また、隣に住む母親の兄の純一郎は医師で、戦場を体験したことから独特の死生観をもち、それに従う妻の志津代の姿も描かれる。
 不幸の影のさす中で、「私」の夫の宏志が、反省してよりを戻そうとする様子が描かれる。それらの出来事から、好しにつけ悪しにつけ、女性の運命は男の生活ぶりの影響下にあることが示されている。
後半に入ると、佳子叔母の女友達が、超能力を売りにした宗教を持ち込み、佳子叔母はそれにのめりこむ。やがて彼女は精神に変調をきたし、ついに人格が崩壊してしまう。志津代叔母は、夫の独自の死生観から、ガンになっていても知らされず、手遅れになって亡くなってゆく。
 この二人の女性にくらべ、夫が子どものもとに戻り、「私」の円満家庭の再現と母親の幸せ生活のはじまりを描く。
 小説のスタイルとしては、導入部がもたもたししているが、その分、後半での生活のなかの修羅場がイキイキとし、表現力が光る。オーソドックスな純文学作品。
 なかで、印象的なのは、自分の与えられた環境に殉じて、忍従の生活をして死んでいく志津代の姿である。作者の費やした文字数は、それほど多くないが、その精神の美のようなものを表現している。字数を多く費すことだけが表現のすべてではないことが、ここに示されている。

【「中有の樹」垂水薫】
 どういうわけか、語り手は森の中の大樹の枝に宙吊りになっていることに気づく。どうやらそこは霊界と現実の交差する幽界付近らしい。
 そこで語り手は、38年にわたる自分の人生を見つめなおし、洗い出しをする。
 うまい手法を編み出したものである。この手法であるからこそ表現できた作品と思わせる。作者の樹木好みの嗜好がよく感じられるし、世俗的な生活では、意識下にある死と隣接した感覚をうまく表現している。幻想的でありながら、森のイメージのディテールがリアルで、清涼感と森林浴感覚に満ちている。いつも大木に宙吊りというわけにいくまいが、森林浴感覚の新境地が期待できる。大江健三郎の初期作品には、四国の森林浴感覚の作品があるが、またべつ風味の森林浴感覚作品が期待できそう。
「照葉樹」発行所=花書院〒811-0852福岡県久留米市高良内町2347-182。℡/fax0942-43-9089。

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2008年5月13日 (火)

同人誌時評「図書新聞」08年5月17日 志村有弘氏

《対象作品》「否定」青柳俊哉(「PARNASSIUS」150号/福岡市)、「赤貧洗うが如し」中原洋一(「大衆芸能」68巻4号/東京都)、「芥川龍之介と「広瀬のおじさん」」塙宣子(「韻」5号/東京都)、「青葉の笛」平沼超人(「果樹園」10号/豊川市)、「汚された神女―井上内親王のひとつの風景」佐藤明子(「豊中文学」29号/豊中市)、「青狐の賦―火野葦平の天国と地獄(上)」暮安翠、「放恣の時代の中で」秋山喜文(以上「九州文学」7期1号/中間市)、「妻夫は輪廻の絆」西村啓(「季刊作家」64号/豊田市)、「御旧地探索」武野晩来(「青稲」80号/松戸市)、「弁天夢幻」五十嵐崇(「断絶」102号/東京都)、「春の修羅」藤原響(「かばん」2008年3月号/東京都)、「華やぎて リコリス」伊藤恭子(「渤海」55号/富山市)、「朝の橋」穂積生萩、「反歌」小山富美子(以上「火の群れ」105号/東京都)。創刊号「九州文学」第七期創刊号(中間市)、「星座盤」創刊号(豊中市)。追悼・阿部英雄(「岩漿」第二期創刊号/伊東市)、桜井恵志(「象」60号/名古屋市)、北川荘平(「雑木林」11号/枚方市)、大場正男(「PARNASSIUS」150号/福岡市)、小倉三郎(「火の群れ」105号/東京都)、栗原久(「文学世紀」34号/東京都)。 ( Pj_010
(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)
【写真は「春の文学フリマ」での同人誌見本】

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2008年5月 8日 (木)

同人雑誌評「文學界」08年6月号大河内昭爾氏

上半期優秀作=「犬猫降りの日」鮒田トト(「龍舌蘭」)。
奨励作=「潮どき」桐山みち代(「河」)、「蜘蛛の部屋」谷口葉子(「カプリチオ」)
「ブルーシートの下で」清水園、「あとがき」(以上「星座盤」創刊号/豊中市)、「お見合いゲーム」望月廣次郎、「編集後記」(以上「淡路島文学」2号/淡路市)、「鷺」寺本親平、「バスを待つ」馬込太郎、「上海」太田京子、「キャンドルナイト」池本朱希、「野々宮さんの恋」折金紀男、吉田知子、吉良任市(以上「遠州豆本別冊短編小説集13」/浜松市)、「冬立つ日に」西向聡(「法螺」58号/交野市)、「その怒りと静謐」田中冬吉(「アミーゴ」59号/松山市)、「たたら火」&「編集後記」木辺弘児、「潮合い」関幸壽(以上「森時計」6号/大阪市)、「風景―後夜」山口馨、「君子豹変」上田千之(以上「渤海」55号/富山市)、「砂の嵐」三浦瑞子、「森を渡る」岡村知鶴子、「『血と水と』」勝陸子(以上「亜熱帯」11号/鹿児島市)、「羽化」武山博、コラム「『速読』と『遅読』」吉田善穂(「断絶」102号/東京都)、「花香橋にて」大野光生(「飃」77号/宇部市)、清水信、衣斐弘行、伊藤伸司、青井奈津、磯崎仮名子(以上「火涼」58号/鈴鹿市)、「紅い螢」高畠寛、「純子先生」小西九嶺(以上「あるかいど」36号/大阪市)、「手亡」&「編集後記」楠本耀子(「葉風」5号/東京都)、「いやしの書―親鸞からイエスへ―」井上武彦(「文芸中部」77号/東海市)、「目が見た目」類ちゑ子、「杜夫の秋」刺賀秀子(以上「小説家」127号/国分寺市)、「心残り」澤辺幸雄、高井有一(随筆集「13時」/東京都)、「お袋さんよぅ」芹沢亮輔(「青稲」80号/松戸市)、「ラブソング」作者名不明(「戞戞」22号/?)、「吉村昭を後世に伝えるために」木村暢男、「吉村昭試論」桑原文明(以上「吉村昭研究」創刊号/西条市)
ベスト5=「その怒りと静謐」田中冬吉、「冬立つ日に」西向聡、「風景―後夜」山口馨、「血と水と」勝陸子、「目が見た目」類ちゑ子。(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年5月 7日 (水)

同人誌「木曜日」第24号(東京)作品紹介(2)

【「紙のお城・からっぽの箱(らせんのおうち)」上田万紀】
 10歳の誕生日に、母親が「私」を呼んで「お前はもう子どもではない」と、祖母や叔母の関係を打明けられる。家庭のいきさつが、業務報告書のレポートかメモのような文体で記される。変わったスタイルはおもしろい。この行間に、言いたいことのポイントが隠れているようだ。それをどのような形で表現するかの課題を提出したような小説になっている。
【「三毛猫三毛子」北川佑】
夏目漱石の「我輩は猫である」の猫のような猫に、恋をする猫の三毛子の物語らしい。この三毛子は、脳内思考の電気信号を直接受け止めて解読できるという超能力をもっている。うらやましい能力なのか、不幸な才能なのか。正しく読み込むのにも、能力が必要のようだ。
【「黒猫くろべ」北川佑】
 語り手は現在、脳梗塞でやっと歩けるような情況にあるが、回想をする。それは30代に入る頃に、研究のため老人介護施設の現場に入る。すると、黒猫が人間に変身して人生における生と死について語りかけを受ける。哲学的思考と感性を混ぜてかき混ぜるような味のする作品。味付けがあっさりしているのが特徴。

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2008年5月 5日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」08年5月9日白川正芳氏

《対象作品》「シコクイワナ」青木哲夫(「アンプレナブル宣言」13号)、「聖母子と廃本」渡辺勝彦(「R&W」4号)、「文芸批評・吉本隆明」釈恵照(「勢陽」20号)、「二度の別れ」安芸宏子(「雑木林」11号)、「評価された『枚方文学』の実績」西向聡(「法螺」58号)、「芸術家の壁」竹中忍(「北斗」四月号)、「コレクター」むらいはくどう(「勃海」55号)、「埋める」佐伯晋(「あるかいど」36号)、「上海」西芳静江(「水晶群」54号)。(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年5月 4日 (日)

同人誌「木曜日」第34号(豊島区)作品紹介(1)

【「転落」十河順一郎】
「誰彼きみや」という男を人間嫌いとして描く。この前半部のところが、薀蓄をくりひろげて幼少時代からの生い立ちを語る。かなり味があって、読ませる。成人して会社勤めをはじめ、人間嫌いで孤独な男が、会社のビルの管理人と親しくなり、さらに事情のある日系の東南アジア人(若い女性)と親しくなる。この辺りは、本来のきみやの性格と矛盾したところもあるのだが、仕事ぶりや偶然性を巧みに書き込んで、気にならなくする工夫があり、筆力、腕力の確かさを見せる。デテール表現の良さが小説の説得力を増している。そこから、話は殺人事件に発展する。結構いきなエンターテインメントとしても面白い。コンゲームスタイル、あるいはフランスの犯罪小説のジャンル、セリノワールとかいった味もある。同人誌でこれだけ洒落た作品を読めると思わなかった。
【「風林火山」和田英樹】
エッセイで、山梨の甲府駅前の話だが、何気なく書いているようだが、なんとなく面白く読ませる。
【「待ち人」黒田治郎】
変な女からの電話を話のきっかけにした、ちょっとした小話。軽い文体はいいが、もう少し作家的な工夫が必要では。

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「同人誌時評」「図書新聞」08年5月3日「同人誌時評」福田信夫氏

《対象作品》「きれい、ね」庄司肇(「文学街」246号/杉並区)、「ある街道記」千葉三朗(「北門文学」9号/秋田市)、「大久野島」大高みのり(「翼」32号/宝塚市)、「夫の逝去」木下径子(「街道」12号/武蔵野市)、「オレの将来」山田敦心(「城」93号/みやき町)、「十年記念日―スクランブル十年、打ち明け話」&「700歩」武田久子(「スクランブル」20号/松山市)、巻頭言「『地域文学』は可能か」&戯曲「武蔵野の家三幕」&「編集後記」神谷量平(「京浜文学」11号/横浜市)、「望郷―姫路広畑俘虜収容所通譯日記」(八)柳谷郁子(「燔火」66号/姫路市)、「『公憤と思慕と』―柳宗悦と朝鮮―」上原アイ(「文芸復興」118号/船橋市)、「銀次郎の日記―パソコンは無用の長物か」青江由紀夫(「海峡派」111号/福岡市)、「死の作法―古本屋の日記から」安田有(「Coto」15号/生駒市)(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年4月13日 (日)

同人誌「孤愁」第3号(横浜市)

【「漂泊」豊田一郎】
一人同人誌。作者が30年前に書いたという作品。新聞社の海外派遣員をしていた記者が、NYのブルックリンの日本人女性の家に招かれると、アーサーというベトナム戦争の兵士あがりの男と同居していた。そのアーサーがベトナム戦争で覚えた麻薬にはまって、逮捕され刑務所に入っていることを知らされる。そのことを女性の友人に知らせると、もう関係ないという。ベトナム戦争に狩り立てられた貧しい境遇のアーサーの孤独。作中でも国家の「犬」として扱われ、戦場に狩り出されたアーサーを間接的に表現し、現在読んでも巧い作品になっている。
 どこの国の兵士も、国家権力によって「犬」にされてしまう。「犬」と「犬」が血を流し、理由なき憎しみをつのらせる。だれがその権力の支配から脱け出られるのか、と考えさせる。 

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「同人雑誌評」「文學界」08年5月号/担当・大河内昭爾氏

《対象作品》「ハンモックのある庭」難波田節子、「海のくれた贈り物」藤野秀樹(以上「季刊 遠近」33号/東京都)、「ホトトギスの谷間」寺元敏胤(「文学街」245号/東京都)、「睡蓮の祈り」黄英治(「架橋」27号/清須市)、「愛骨」立花健、「花型ちらし」羹凪翔(以上「九州作家」123号/北九州市)、「公園で」「激怒」「ロン」「住所姓名年齢不詳」「フリーマーケット」田口佳子(「翡翠」個人誌25号/東久留米市)、「プレゼント」菅原治子、「キャリントンの頃」北村順子、「男同志」野中麻世「夜の足音―パリ、サンドニ通り二四九」麻井さほ、「知っている」陶山竜子(以上「婦人文芸」84号/東京都)、「白い闇」野沢薫子(「長崎文学」56号/長崎市)、「余命」野坂喜美(「米子文学」53号/米子市)、「蜃気楼」高テレサ(「修羅」56号/桶川市)、「オレの将来」山田敦心(「城」93号/みやけ町)、「象のテラス」ひわきゆりこ(「胡壷」6号/福岡市)、「あと何日」平井利果(「文章工房」7号/?)、「色なき風」宮田智恵子、「残り雪」佃陽子(「桂」5号/さいたま市)、「潮どき」桐山みち代(「河」144号/東京都)、「みんな消えていく」今泉佐知子(「果樹園」10号/豊川市)、「鬼虫」西村重夢、「取り憑き体質」日下渓子、「鱧と女と棟梁と」沖田潮(以上「スクランブル」20号/松山市)、「よにげ」西園春美(「詩と眞實」3月号/熊本市)、「羽虫」那村洵吾(「VIKING」686号/茨木市)、「夫の逝去」木下径子、「逃亡日記」佐々木欽三(以上「街道」12号/武蔵野市)、「窓」笹原実穂子、「愛人にしてください」高井かほる(「札幌文学」71号/札幌市)。
ベスト5 「潮どき」桐山みち代、「象のテラス」ひわきゆりこ、「色なき風」宮田智恵子、「ホトトギスの谷間」寺元敏胤、「鬼虫」西村重夢。(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめ)

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2008年4月12日 (土)

イントロ紹介=「騒」73号を読む

高度な詩やエッセイ、表紙デザインの詩人による同人誌である。73号は、原満三寿「金子光晴詩集『三人』から『若葉のうた』を貫くもの」から、書き出しを読む。
           ☆
金子光晴と、森三千代も、森乾の家族三人が戦中の疎開先である山中湖畔で紡いだ私家版の合同詩集『三人』が発見された。そのことが2007年8月17日の朝日新聞の社会面に載るや大きな反響があった。まず講談社の「群像」(9月号)が特集を組んでその一部を紹介し、ついで詩集「三人」(08年1月)として刊行された。さらにNHKがETV特集「父とチャコとボコ」(08年1月20日)を放映した。
 そのいずれにも幻の詩集の発見者としてわたしが解説などで関った。その全容は、講談社の詩集「三人」とその解説を読んでもらえばわかることなのであるが、表題の件については、わたしの解説では暗示的に指摘しただけで詳述できなかったので、いささか述べてみたい。
 詩集「三人」のなかの詩「三点」の節には、こんな箇所がある。

 三点をつなぐ大きな円は
 地球いっぱいにひろがった

 三点をつなぐ円とは、光晴と三千代と乾によって描かれる大きな絆の輪のこと。「この大きな輪が地球いっぱいにひろがった」ということは、空間的にとらえると、家族から隣人に、そして光晴が愛して止まなかった東南アジアの人々に、そして世界全体にひろがり、つまり子から孫へとつながってゆく家族愛のことなのである。(以下さらにつづく)

雑誌「騒」発行所=194-0032町田市本町田3486-1-204「騒の会」。

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2008年4月 5日 (土)

「週間 読書人」08年4月11日「文芸同人誌評」白川正芳氏

《対象作品》「わたしの大学生活」ふじみ ちよ(「ふみの会 ニュース」313号)、「ワラシ・ファミリー」坂本悟朗(「海峡派」111号)、「死なない蟻の群れ」馬場駿(「岩奬」16号)、「言奏者 辻邦生」(「火涼」58号)、「そんなふうな日々」内藤裕子(「銀座盤」創刊号)、「オレの将来」山田敦心(「城」93号)、「山の文学資料館あれこれ」市川渓二。(文芸同人誌案内掲示板・よこいさんまとめより)

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2008年4月 2日 (水)

同人誌「R&W」4号(愛知県)作品紹介

 本誌は、朝日カルチャーセンター藤田充伯講師「短編小説を読む・書く」の受講者たちの作品だとある。藤田講師は、三重県鈴鹿市に作家・五木寛之氏の「五木文庫」の開設に尽力している縁で、五木寛之特集があり評論なども掲載されている。

【「聖母子と廃本」渡辺勝彦】
 地域の定住困難者の支援ボランティアをしている「私」は、一人のホームレスが焼死したのを知る。事件の様相を呈している。死んだ男を知るホームレスが、彼の生前の話をする。死んだ男は、長崎の原爆後に、やけどを負った母親が、やけどを負った乳飲み子に乳を与えている写真を大事にもっていて、その乳飲み子こそ自分である、と主張していたという。彼は、ブコースキーの愛読者であったというのが、面白い。彼についての話をしていると、そこに原爆が投下されてしまう、というので終わる。「私」が他者に物語を聞き、さらにその人も確たる事実らしくない話をする、という設定で、起きたこととの間に、ワンクッション置いてあることで、非現実的な幻想もあるロマンの味がつけられて、イメージが膨らみ、面白い短篇になっている。

【「知らない花」王子元】
 九門という男には、妻子があって、町内活動にも力を入れている。そこで、近所に不審者が出入りするというので、町内で協議をし、公園で隠れ密かに遊ぶ子供たちを見張る。その役を終えて家に戻ると、妻が愛人の男といる。妻はそれを期に娘を連れ、家を出て行ってしまう。家族の絆とは何か、と九門が問いかけて終わる。意外な展開の小説で、たしかに起承転結があるが、唐突な展開になっているのが、惜しまれる。

【「再会」山口耕太郎】
 青木は俳句結社誌にある俳句の内容と洋子という名の詠み手が、学生時代に同棲した洋子という女性ではないかと思い、連絡をとってみると、彼女はすでに結核で亡くなっていた、という話し。回想の部分が作品の中心になっている。洋子の去っていく理由が、曖昧で淡白。青春時代の雰囲気が、でていてまとまっているが、もう一押しが欲しい気もするが、それが短編の特徴か。

【「ボクの夏休み」松本順子】
 高校生がドーナツ屋にアルバイトをして、そこで見た年上の若者たちの生態を描く。ダンキンドーナツ屋のような店らしいが、店内で仕事をする人々の描写力は抜群。小説にかなりの経歴をもつひとでも、仕事場を巧く書ける人は少ない。気分を優先するあまり、意識が回らないのであろう。時代がいつの時点かも不明な作品も見受けられる。現実には人は仕事をすることで社会と結びつく。この小説を読んで、それが大正や昭和の物語だと間違える人はないであろう。

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2008年3月27日 (木)

季刊「農民文学」No.280玄冬号(群馬県)作品紹介(2)

【「同行二人」森當】
耕介という男の、農業を50年以上続けてきたその人生をたどる物語。家出をして都会に住むが、また実家に帰って農業に落着く。人生の晩年になって、夫婦で巡礼をするが、その途中で浩介は倒れ、死にむかところまでが描かれている。庶民の生活と終焉を描く。終章に巡礼をする途中での突然の死は、唐突ではあるが、現実にはそういうこともあるかと、命のはかなさを感じさせられる。

【「土の舞~連載3回」木村芳夫】
農家の後継ぎの真吾は、同じ農家の娘、涼子と恋仲になる。涼子には兄がいるが、家を出てしまっている。そこで両親は涼子に婿をもらうことを考えている。真吾は、跡継ぎであるから、涼子を嫁に迎えたい。両家の親の思惑を気にしていたのでは、ふたりは結ばれない。また、涼子の兄は、親の土地を売って自分の商売の資金にしたくて、家にいないのに権利だけを主張する。そこで、涼子と真吾はすべてを捨てて駆け落ちをする。まだ連載はつづく。農家の現状を手堅く描き、登場人物の描き方もしっかりとしていて、しかも恋愛ドラマをかみ合わせて、面白く読める。

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2008年3月26日 (水)

同人誌「文芸中部」77号(東海市)作品紹介(3)

【「略取」濱中禧行】
昭和31年頃の名古屋。会社に勤め四畳半で生活している峰村の下宿に、母親が妹を連れて彼のところにやってくる。峰村の父親の夫との仲が悪く家出してきたのであった。両親は、長男の峰村が老後の生活の面倒をみてくれることを期待しきっている。アパートの隣人の誰かの2号さん、大家さんとのやりとり。職場の同僚との恋愛に多くの分量がそそがれ、そのなかで恋人の仁美との交流がある。しかし、いざ結婚となると、仁美の母親もまた老後の生活を娘に頼っていた。長男と長女の悩みである。それを押し切って、峰村は仁美と結婚する。日本の家族の姿を凝縮した形で描かれている。随所に物語を引き立てるエピソードが組み込まれ、現代はここから何が変わっているのか、考えさせる。

【「海の果て」堀井清】
「私」の日記による告白体で、綴られている。すでに現役を退職している「私」は、2階に住み、妻は1階に住む、家庭内別居というほどでもないが、関係は希薄になっている。東京に勤める長男が会社の金を持ち逃げして姿をくらます。「私」は、東京に出て息子の勤めていた会社や下宿を訪ねてみるが、確たる情報を得ることができない。家に戻ると、息子から連絡があって、とにかく無事でいることがわかる。老いて家族関係の希薄なった現代の情況に、主人公の孤独癖の心を重ね合わせた、筆致に文学的に一味抜き出た味わいを示す。精神が浮遊するような雰囲気を漂わせる語りが巧み。作者は随筆で「音楽を聴く」を連載中で、音楽の鑑賞を追体験させるような味わいがあるが、この作品でもその資質が活かされている。

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2008年3月19日 (水)

同人誌「文芸中部」77号(東海市)作品紹介(2)

【「クリオネとクランツウェルツノガエル」藤澤美子】
学生時代に、クリオネを飼う「私」の友人の里穂と蛙を飼う武郎のことから始まり、35歳になってガンで亡くなる里穂を描きながら、武郎をめぐる熾烈な心理的な戦いを想像させる手法の作品。風変わりなペットを登場させることで、意味深長な人情を比喩的に転換している。
【「こだま戯譚―木曾式運材物語」吉村登】
木曾の御嶽山麗に立つ樹齢700年の木の霊が、戦国時代に伐採されて、木を木曽川で筏流しする人々の仕事ぶりを描く。よく調べていて、昔の木材運搬に係る民衆の、事故死あり恋愛ありのエピソードをからめて歴史を描き面白く読めた。

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2008年3月16日 (日)

「季刊遠近」第33号(東京)-2-

「海のくれた贈り物」藤野秀樹】
42歳になる主人公は、離婚して今は独り者である。車で釣をしにいくと、釣り客の集まる場所で、物売りをする若い女性と親しくなり、彼女の親類ともあって婚約までするという、男の夢を実現したハッピーエンド小説。

 たまたま15日に国立人口問題研究所が、06年に単独世帯が1471万になり複数世帯を抜いて、一番多くなった。一番2020年までに75歳以上の独居老人がダントツで多くなるという調査結果を出している。その現象が、同人誌文芸にはどう表現されてくるか、興味深い。
もっとも自分もその頃は、85歳を越えているので、頭も身体も健全に存在してるかどうかわからない。今でも健全ではないから。
 同人誌「砂」に、このブログの狙いと、方向性や体験したことを手記にして寄稿をし始めた。カタチはどうあれ精神は継続させたいと思うので。

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2008年3月15日 (土)

季刊「農民文学」No.280玄冬号(群馬県)作品紹介

【「独り暮らし」森田明】
東京に出て就職していた正彦は、会社のリストラを機会に58歳で早期退職し、故郷で農家をするつもりになる。生まれ故郷の茨城県のT市に戻り独り暮らしをしている。妻の千恵子が、刺激のない田舎暮らしは厭だというので、都会暮らしを気楽にしながら、たまにT市にやってくる。
久しぶりに独身生活になった正彦だが、夫を亡くした未亡人が同窓会仲間にいたり、図書館で知り合った中年女性と出会うなど、農作業はこれからというのに、そのほうは発展してゆく。その間に現在の農家の現状が地道に描かれる。いかにも農民文学らしい土の匂いの漂う逸話がでる。地味で単調な作風だが、いかにもそれらしいところが、読ませる。その生活も妻の千恵子が癌になり余命いくばくもないと分かって、茨城の病院で手術。妻の介護に全力を尽くそうとする正彦の気持を示して終わる。

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2008年3月14日 (金)

個人誌「猟」3号(八王子市)作品紹介

【「沈む村で」乾夏生】
戦後まもない村社会のなかで、登という少年の体験を語ることで、村の共同体の中の軋轢を描く。村がダムになるというので、浮き足立つ住民。戦争から帰ってきて、脚を悪くした父親になじまない登は「でかぶつ」という番長のイジメにあうが、それを誰にも告げられず、その境遇から脱出することが、最大の関心事になる。登は、村のお婆から父親の脚が不自由になった理由を告げられる。しかし、その内容を登は知るが、物語では読者には分からない。そのような工夫をする必要があるのか、疑問に思うが、村社会と時代の雰囲気はよく表現されている。整然とした部分と漠然とした部分が混在する複雑な味わいの1編である。おどろおどろした表現力には、存在感があり、雰囲気が良く出ている。

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同人誌「文芸中部」第77号(東海市)作品紹介

【「いやしの書-親鸞からイエス」井上武彦】
 裕は新聞記者をしていたが、半年前に定年退職したことによる空虚な違和感を抱いている。クリスチャンである主人公が、合同聖会の信者たちの前で、「あかし」を語らせられる。そこで、親鸞の教えとイエスの教えの共通性があることを語る。それを聴く信者の反応などを描きながら、信仰と文学の関係について触れている。信者として「あかし」の様子はわかるが、文芸作品としては、まさに触れるだけに留まったという感じ。
 信者としての信仰を背負っていることの意識が強いためなのかどうかは、不明だが、冒頭の無心で描く夜のコンビニの描写が冴えているだけに、なにか信仰心と小説とのスタンスが説明不足なのではないだろうか。神父さんを描写力で信仰心を表現しているようなところもあるのに残念、という感じがした。
 信仰のいろいろについては、それぞれの個別的な考えがあるであろう。信仰というものは、日常的な平板な視線から、奇跡をも信ずる精神的な飛躍をしたことである。それを固定的な思想とすると、心の流動する部分を捉える、文学作品として組み込むのは、この手法では難しいのかも知れない。信仰心が心の中でどのように変貌を遂げているかを、描けば文学作品と信仰心の融合した作品になるのかもしれない。

【「ルソーの奇妙な絵」北川朱美】
 高木レイコが留守の間に、泥棒が入り窓のところにすだれを置くのは、泥棒が隠れやすいので無用心であるという手紙を残していく。レイコはそれに返信をして、それからも侵入が続く。しばらく読みすすむと、レイコの幻視、妄想であろうと思わせる展開が続く。ディテールは良くできているが、その脈絡がわからない。個性的なイメージを優先した奇妙な小説であった。これだけでは、判断が不明。

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2008年3月11日 (火)

「週刊 読書人」08年3月14日「文芸同人誌評」白川正芳氏

《対象作品》「北国街道」瀬沼晶子(「銀座線」13号)、「小説 辛口診療余話」北川健(「群獣」8号)、「ケアマネージャー、がん病棟に入院」下村雪絵(「夢類」16号)、「派遣労働」わだしんいちろう(「クレーン」29号)、「生かされて」牧野逕太郎、「『死霊』をめぐる」村岡功(以上「新現実」21号)、「小田実さんの思い出」加藤万里(「象」59号)、「あの日は遠くに」島泉(「詩と真実」七〇四号)
《単行本》「島尾紀」寺内邦夫(和泉書院)、「文学って何だろう」崎村裕(かりばね書房)、「『悪い仲間』考」青木正美(日本古書通信社)、「夢前川」堀江朋子(図書新聞)。(「文芸同人誌案内」掲示板より、よこいさんまとめ)

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2008年3月 9日 (日)

同人誌「岩漿」16号・第2期創刊号(伊東市)作品紹介

本誌は、随所に伊豆地方の風土の匂いのする作品に満ちた同人誌である。
【「あなたの心の片隅に」岩越孝治】
麻紀が家に帰ると、兄が父親を殺してしまっていた。兄は麻紀の幸せを願って刑務所に入る。それが序章で、この麻紀をめぐって、様々な人情話的な物語が展開される。60ページに及ぶ物語で、随所にドラマチックな過去をもった人物が登場する。いわゆる若者の世代に流行っているライトノベルやキャラクター小説のジャンルで、起承転結はきっちり仕上がっている。

大塚英志「キャラクター小説の作り方」(角川文庫)で、=特に東浩紀くんが指摘したように今日の作り手の大半は「ギャルもの」なら「ギャルもの」の既存パターン、ファンタジーならファンタジーの既存パターン中のみの順列組み合わせにのみに固執してキャラクターを作ろうとする傾向にあります。だからこそそのリストにない、パターンを「作り出す」のではなく過去の作品から「発見」することが出来れば、「スニーカー文庫のような小説」というジャンル内では充分に通用する「オリジナリティ」となるのです。=と記している。同時に大塚氏は、そのなかで、評価される作品には、その人にしか生み出せない何かあるとも説いている。
それが何かが、問題だが、この作品には、これから発展させることが可能であろうと思わせる才気が感じられる。
純文学的な小説作法から判断に、こだわらずに創作を追求することも重要である。ウィリアム・マッキバーンという作家は、読み捨てのペイパーバック用のハードボイルド小説パターンから登場したが、そのパターンのまま、「殺人者はバッジをつけていた」、「明日に賭ける」などで、悪徳警官、人種差別の感情の坩堝を描き純文学を超える作品を書いた。

【「幻の金」深水一翠】
トンボ採りの少年たちに、男はその分類や性質などを教えている。それが、面白い。そして、男は自分が少年時代に、夏休みの宿題に昆虫採集をしてコンテストに3等の赤紙に入賞したことを思い出す。その翌年は、金賞をとってやろうと、懸命に標本作りをする。ところが、家に置いてあるうちにネズミに食い荒らされて、壊されてしまう。50年後の今でも残念さが消えない、というもの。読んでいても残念無念さが伝わってくる。風土記としても秀逸。こういうものは、読者の作品の印象にも、やはり強く残るものだ。

【「リスちゃんにお小言」ひらたまさこ】
可愛いと思っていたら、タイワンリスが害獣化している話。ニホンザルが居なくなったそうで、生態系の変化には激しいものがある。

【「職場で思うこと」日吉睦子】
 観光客相手の仕事なのであろう。昔と違って、年寄りから若者まで、刺々しい感情を持つ人が多いことを実感するもの。日本は、経済大国になって、失ったのが心の平穏である。

これを読んで思うことがある。やれ「アメリカが日本を軽視するから大変だ」。「中国経済に乗り遅れると大変だ」、「資源を確保しないと大変だ」と騒ぐが、「日本人の心が病んでいるから大変だ」とは騒がない。ジャパンパッシング結構ではないか、戦争に巻き込まれずにすむ。世界の流れに乗り遅れて結構ではないか。日本の文化は徳川300年の鎖国で、300年世界の流れに遅れたから出来た。今はそれを切り売りし、世界に売るものがなくなってきたのである。もう一度鎖国をして文化を充電する必要があるのではないか。

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2008年3月 8日 (土)

「文學界」08年4月号「同人雑誌評」担当/大河内昭爾氏

《対象作品》「編集後記」「狂い咲」間宮武、「姉妹」道林はる子、「キャンプ日記」かんばらみさお(以上「文学草紙」121号/西東京市)、「帰り道」沖山明徳、「或る手紙」伴田六和、「幼年時代」赤星虎二郎、「耳掃除」坂上七郎(以上「回帰」復刊9号/東京都)、「メーデー、メーデー、メーデー」広坂隆治、「あの日は遠くに」島泉(以上「詩と眞實」2月号/熊本市)、詩「寂しい町」他二篇・伊藤伸太朗、「「ダニーとその仲間たち」岡村弘史、「記憶の中の仏たち」中山茅集子(以上「クレーン」29号/前橋文学伝習所)、「家」森静泉(第二次「狼」51号/高崎市)、「見合い」「みいら」中嶋英二、「雲のファイル」鹿嶋清一郎(以上「江南文学」55号/流山市)、「手貸し屋さん」しん・りゅうう、「やまがた俳諧物語(その二)」星合昭、「「夕晴れ」笹沢信、「負傷兵の記録」高橋脩輔&牧野房(以上「山形文学」94集/山形市)、「犬猫降りの日」鮒田トト、「カケトイさん」久保輝巳(以上「龍舌蘭」172号/宮崎市)、「昭和の子供」「編集後記」大塚滋、「父と子」枡谷優、「敗殘」杉山平一、「墓」竹谷正(以上「文学雑誌」83号/大阪市)、「切腹」牧野誠(「砂」106号/東京都)、「熊蝉の鳴く日」くもくみこ(「AMAZON」427号/宝塚市)、「愛生」誌745号(瀬戸内市)、「影の微笑」北村順子、「わたしのいた時間」淘山竜子(以上「孤帆」12号/小金井市)、「荼毘に付す」祖川悦人(「ペガータ」7号/川崎市)、「鉄瓶」村尾文、「窓」森啓夫(以上「文学街」」244号/東京都)、「秩父困民党(第一章)」与市園隆三、「世ニ慣レザル(上)」出水沢藍子、「六月灯」相星雅子、「長すぎた滞在」福迫光英、「神々たちの火祭り」福元早夫、「飛び石踏み」宮田俊行、「ヤドカリ」山之内まつ子、「八月の赤い薔薇」森田一政(以上「小説春秋」20号/鹿児島市)、「登美という歌びと」市川一雄(「黒馬」35号/岡谷市)、「大久野島」大高みのり(「翼」32号1/宝塚市)、「Rアイランド・フーガ」高壱文吾、「富士さんとわたし」山田稔(「VIKING」685号/茨木市)
ベスト5=「犬猫降りの日」鮒田トト、「帰り道」沖山明徳、「家」森静泉、「影の微笑」北村順子、「姉妹」道林はる子。(「文芸同人誌案内」掲示板より、よこいさんまとめ)

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2008年3月 7日 (金)

同人誌「海峡派」第111号(北九州市)作品紹介

【随想「銀次郎の日記―パソコンは無用の長物か」青江由紀夫】
会社の重役として、社員教育などの仕事をしながら、短歌、川柳をたしなみ、宗教書など難しい書物を読破することを自らに課している。かなりの知識欲の衰えない知識人生活を描く。デック・ミネや詩人・佐藤惣之助、西条八十の作詞の曲に思いを寄せる。パソコンを2年前に買って、使い始めたのだが、自らの名前をヤフーで検索すると、ペンネーム5件、本名で40件ほどなので、なんとか文筆で100件は件数が出るようにしたいと思う。とにかくラップ調のノリの良さで、現代シニア層の生活の一端がよく表現されている。
【「ワラシ・ファミリー」坂本梧郎】
中年夫妻のペット犬がワラシーである。ワラシーの出産から、仔犬の生育状況まで、家族と同様の存在として描く中編小説。人間の生活をこのスタイルで描いたらどうなのだろう、という感想も湧く。ペットとの生活が大変な努力が必要なことがわかる。人間は時間の過ごすのに必ずしも楽な道を選ぶとは限らないものらしい。

【「ジャック・ポット」石谷富士夫】
冒頭からこうある。「38年間、ひた走りに走り続けてきた特急列車は、終着駅のプラットホームでぴたりと停まった。そこから線路はなかった。北九州小倉のKホテルで取締役支配人だった石戸はついに運命の日を迎えたのだ――」。
 こうして主人公の定年後の生活ぶりが描かれる。お話の出だしに、分かりやすい工夫があるので、その先を期待して読める。ゴルフが好きで3カ月で50万円を使ってしまい、反省したりするので、かなりゆとりのある生活である。
 そのあたりから、話しは昨年あたりからの政局の動向を逐一書き留めていく。安倍元総理の躓きの元として、本間、佐田、松岡、赤城とそれぞれメディアを賑わした面々の経過は、「ああ、そんなこともあったな」と読むほうも感慨が生まれる。そして、福田総理からTV番組で「みのもんた」が発信する「世論」を評価する。その間に、小説を書く。創作には、息抜きも必要で、ヒマをみてはパチンコに行く。その日はフィーバーして大当たり。勝ち組になる。すると、そこに、有り金をスッてしまった負け組みの女性から、資金を目当てに、お遊びに誘われるのである。さて、これはどうしたものか?と迷うところで、終わる。読後、さて、自分ならどうするか?と考えてしまう。その意味でなかなか余韻のある終わり方である。

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2008年3月 6日 (木)

同人誌「季刊遠近」第33号(東京)作品紹介

【「ハンモックのある庭」難波田節子】
英国に渡って、マイケルと結婚した日本人女性の「私」が主人公。ロンドンで10年程暮らしたあと、夫のマイケルの希望で、とある田舎町に引っ越す。マイケルは気晴らしのない「私」に気を使ってくれて、リラックス用のハンモックをプレゼントしてくれるが、興味を示せず倉庫に入れてしまう。
「私」は信仰心の厚い近隣の人々と早く親しくなろうと努力するなかで、太平洋戦争中に日本軍の捕虜となり、ビルマ鉄道の労役で死んだらしい人の家族の憎しみに出会う。そのなかで、町の人々の理解を得て、催事の大きな役割をもらって彼らにとけこんでいく努力の様子を描く。英国の田舎町と風土がすっきりとした文体で表現され、流れも自然で面白い。夫のとの関係の様子が物足りないが、短編としてのまとまりのため省略はやむを得ないかも。巧さに感心する。

【「手賀沼は本当にきれいになったか」北大井卓午】
千葉県我孫子市に手賀沼はあり、かつては水の汚れの全国ワーストベストテンに入るほど汚染されていた。しかし、現在は見違えるようにきれいになった。
これはその市民活動者からの視線から市政の状況を描く。主人公は、シニア情報アドバイザーの資格をもち、パソコン教室を開いており、そのなかの交流のなかで、市会議員の選挙活動ぶりや、市民交流の様子を描く。おそらく現実はもと、相当な要素に満ちていると思われるが、手際のよい取捨選択で、地域市民の一端が活写されている。自分は、同志会員の紹介で、一時期、手賀沼から少し離れている湖北台の「ティ・フォー・トゥ」という喫茶店と熱帯雨林ギャラリーを運営している鈴木さんのところに発行物を置かしてもらいに行ったことがある。そのときに、地元の文芸人で手賀沼学会員の下藤さん達とお話をした。文化人が多いという印象だった。手賀沼マラソンも有名である。我孫子や手賀沼と言えば、志賀直哉など白樺派の活躍の舞台で、そのような風土なのは当然なのかも知れない。大きな整備道路とその脇の曲がりくねった路地とが共存するのどかな町の印象がある。

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2008年3月 5日 (水)

文芸同人「砂」の会「砂」賞決まる

 文芸同人「砂」の会2007年度「砂」賞を次のように決定した。
☆創作の部「タラスに陽は落ちて」(102号から104号) 山川浩介。
 選考評=中国で発明された紙の製法が、唐代の無名な紙漉き職人によって、中近東イスラム圏に伝えられた。この歴史的事実をもとに、兵卒として故国を離れなければならなかった紙漉き職人の、流離の物語として、時間的にも空間的にもスケールの大きなドラマに創作した、山川氏の想像力と、筆力は素晴らしい。
☆詩の部「公園にて」(105号) 高橋義和。
 選考評=介護する母を伴い、公園でまどろむひと時、平凡に見える平穏な日常を、人生の貴重な一瞬であると詩に定着させて見せる。
☆随筆の部「鶴爵」(105号)國分實 & 「辞める理由、続ける理由」(105号) 麻葉佳那史
選考評=「鶴爵」老いの品格。……おしゃれであること。奢らぬこと。感動する心を失わぬこと。心が健康であること。……キザでいいのだ。不良でいいのだ。詩の達人は、散文でも達意の表現をする。
選考評=「辞める理由、続ける理由」=現代の中高年労働者の実態を、格別の怒りや告発でなく、感情過多な嘆きでもなく率直に写していく。多くの非正規雇用の若者の実態にも似たようなものがあるのでしょうが、なかなかこうは書けない。
☆奨励賞「金木犀の花」(106号) 夢月ありさ
選考評=健全な家庭小説。これは褒め言葉として使っています。現代は健全な家庭小説が書かれることはまれなではないのか。浮気、不倫が小説の定番、いや小説だけでなく現実に親殺し、子殺し、妻殺し、夫殺し等、家庭崩壊のニュースを聞かない日は無く、感覚も麻痺している現代、留学を思いとどまり、家庭に入る早苗の決意は、作者の健全さであり貴重です。(記録 矢野)

 なお、「辞める理由、続ける理由」(105号)は、作者・麻葉佳那史(あさは・かなし)さんの許可を得て、このブログに連載で掲載します。麻葉さんは、日本の永井荷風、徳田秋声などに影響された私小説的な作風が持ち味で、地味なものですが、今ではその古風な作風が、混迷する現代をよく表現し得ることを証明したものとして、鶴樹も評価するものであります。

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2008年3月 1日 (土)

「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(3)

【随筆「山荘哀悼記」 望月雅子】
 山荘を手離すつらさがしみじみ伝ってくる。好きな草木を植えた愛着、家具もそのまま渡すという、その一つひとつへの思慕、さまざまな景色をみたその思い出、どれをとっても人手に渡ってしまう悲しみがあらわれている。
 息子さんが奈良に下宿していたときの、ある一人の老母のエピソードを通して、ひと事とおもえない作者の感慨に共感を覚えた。
 全編を通じて老いの悲しみが感じられるけれど、どうか気持ちを強くもって生きてください。
【小説「切腹」 牧野 誠】
 三代の殿に仕えてきた田村孫之丞は、視力が衰える年齢になり、その後任を城代家老と相談して決めたが、しかしその人達に異議を唱える佐藤平馬に「にせ侍」と面罵される。
 武士の誇りを傷つけられた孫之丞は果たし状を平馬に送る。その孫之丞の背筋を伸ばした生きかたに感動した。
 とかく事なかれ主義の風潮のある現代において孫之丞のような己を貫く姿勢に爽快を感じた。
 だがこの時代の武士の規律は厳しかったのだろう。田村家はお取り潰し、佐藤家も同じようになるようだ。それに引き換え、現代の政治家や企業経営者の狡猾さには、武士と較べようがない。
【「金木犀の花」 夢月ありさ】
 早苗の立場で話を進めてゆきながら、突然真一の視点になったり緑川茉莉の視点になったりと、視点の揺らぎがある。
 交通不便な片田舎に住まいがある、と説明しているが、真一はどのように通勤しているのだろう。早苗が泉さんに会うのにどのようにして銀座に出、そして帰ったのか。また茉莉の教室にはどのように出掛けたのか、さらに近くの自動車教習所にもどのようにして通ったのか。交通不便といいながら用事をこなしている方法と、早苗のその苦心が描けていない。車を運転できるようになり、自分で足を確保できた喜びが描かれてもよいのではないか。そのように早苗の内面があまり描かれず、出来事の流れを迫ってばかりいる。
 早苗がフラワーアレンジメントに懸命になる気持ちが描かれていない。展示会や都内の教室の場所も描かれなければ、早苗のそれに傾いていく心のようすも描かれていない。
留学はどこへゆくのか、そしてその期待のほどはどのようなのか。ところが妊娠してしまう。その喜びと落胆ぶりの表現が物足りない。
 作者は書き慣れているからこそ、これだけの面白い話を組み立てることができたのであろう。次には、ひとつひとつの場面の情景と人物の内面を描き、豊かな肉付けをしてゆくことを期待したい。
【「遙かなる遠い道」 行雲流水】
 知的障害児施設に住み込み勤務している清子が久し振りに実家に帰って来たところから、母の輝子が結婚をすすめ、騒動のすえ見合いをしてやがて施設を辞めて結婚する。そのことがあって次女の加代子は、いままで交際を続けてきた人とようやく結婚できる。
 正三郎はいままでの会社を退職し、長男の隆と一緒に新会社を設立すると、この業界に長くいて太い人脈ができていたのと、社会の景気の流れにのって会社は成長してゆく。
 昭和三十年代の三種の神器の話をはじめ、社会の出来事を記述しながら高井家の娘や息子たちがつぎつぎ結婚してゆくようすを描き、三島由紀夫の割腹自殺で今回は終わっている。平凡にみえる家族の歴史とはいえ、いろいろな事柄があると感じた。

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2008年2月29日 (金)

同人誌「砂」106号の詩を読んで(2)=矢野俊彦

【「匂い」 江 素瑛】
 匂いの記憶になってしまった母。その母の衣類も洗濯され石鹸の匂いに消されてしまったと嘆く。母を失った喪失感が迫ります。
【「カレーライス」 江 素瑛】
 母が日常に書き残した筆跡を見つけては、在りし日の母を、そして父を偲び、弟を思う。生前は何気なかった、メモや汚れ物が亡き人のものとなり、かけがえの無いものとなる。根底にあるのは愛情である。一昨年「砂」の新年会に娘さんに連れられて、お見えになった、ご母堂 ・張呉色星さんは2007年8月8日逝去。
【「銀杏並木にて」 たちばなりゅう子】
 落ち葉の銀杏並木も、ふたりで眺める今は芽吹きの春を予感する。
【「思い出の濃淡」 北川加奈子(望月雅子)】
 あれほど思った夏の日も、今では淡い思い出になった。「真実を述べるのだ」「書く事は良く見る事だ」と教えてくれた人も今は亡くなり、思い出だけだ。人生で充実出来るのは一瞬だと、輝いていた日々は遠くなると病んだ身で思う。
【「風」 秋好 修】
 風は偉大である/この一行だけ示されたら脱帽である。よけいな理屈を付記して詩を消してしまった。

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「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(2)

 【詩「匂い」 江 素瑛】
 生前の母を「微かな焼き立てのような/パンの匂いが漂っています」というふうに象徴しているのが温かい。その母の入院時の持ち物の「紙ぶくろの中身は/きれいに洗濯されていて/丁寧に畳んでありました/ああ それは石けんの匂い/母の匂いではありませんでした」という表現に母の逝った悲しみが伝わってくる。
【詩「旅の記憶 秋」「十和田湖畔にて」 矢野俊彦】
「紅葉には遅い季節だった/来週にはクローズします」というホテルの今年最後の客だという。その静かさは晩秋に似合っているよう。
「ひときわ際立つ/今宵湖畔の月光」という表現が気に入った。
「詩「風」 秋好 修」
 風のもついくつかの表情を描き、「風こそ神なのだ」といい、/時代を変え、歴史の頁をめくる者は/風雲児と呼ばれるのだ」と訴えてゆく展開が面白いと感じた。

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2008年2月28日 (木)

 「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(1)

【詩「砂町」 高橋義和】
 青春を回顧して、往時の憧れのマドンナに同窓会で会わないでよかったのかも知れない。
「あの砂町の灰色の風景は/わが青春の憧れの君と重なって/今でも/懐かしい想い出に満ちている」という感慨に共感をした。
【随筆「ミルク色のチュウインガム」 渡辺千葉】
 おどろいたのは畑の畦道へ、チッソ会社からの工場廃液が流れていた、ということだ。そしてそれを小学生らがチュウインガムのように口に入れ、噛んでは透明な風船をつくって飛ばしっこして遊んでいたとは。───
 可愛がってくれた伯父が水俣病の諸症状を発して亡くなりながら、他の原因などを主張する研究者がいて、公式に確定されなかったのはむごいことだ。
 水俣病を子供の立場で描いたことが、いたずらに構えずに読めたのがよかった。
【随筆「むしとり」 荻野広明】
 子供のころはよく虫捕りができた場所があったが、いまはなくなってしまった。という郷愁がよく描けている。その虫たちを 沢山の友人 と呼ぶ作者の心根がよい。だから、最終文節で あいつら という言葉に共感を覚える。
 バッタの害をしかし「蝗害」という字を当てることで、イナゴこそいい迷惑だ、というところにも作者の心情を感じる。
 ただ「筆者」という語が十五も使われているが、「私」でいいのではないだろうか。

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同人誌「砂」106号の詩を読んで(1)=矢野俊彦

「砂」誌に掲載された、詩作品に評とも呼べない感想を書いてきたが、鶴樹さんのインターネットブログの『文芸同志会通信』に私の拙い文が転載されていた。会員だけでなく、不特定多数に読まれるブログである。心して書かなくてはと改めて思った。
【「砂町」高橋義和】
 灰色の似合う町、砂町。憧れの人が住んでいた町。いつも心の中で世の中に怒っていた青春時代。今はその怒りさえ懐かしい思い出になっている。
【「残暑」「宵 ひとり」「宵 ふたり」高橋義和】
 残暑の駅前広場に黄昏がせまる時刻、己の老いの焦燥感をかすかに感じながら、辛丹波(酒の銘柄) を置く居酒屋に入る。料理は市販品らしいし、辛丹波のお銚子も合わないが、店の雰囲気は悪くない。「残暑」に続く時間として呼んだ。「宵 ふたり」は別な時間、別な居酒屋。息子と二人でカラオケのできる店に行く。息子はサザンの歌を三曲熱唱する。父親の私は、私の世代の歌を歌う。下町の見えない、おじん、おばん、居床寝(うたたね)をするおっちゃんの姿さえ詩の内に捕らえる。
【「季節」 國分 實】
 山の宿での1、晩秋の2、湖の風景からの4、どの章も生の内に内在する死の翳を伝える。とりわけ3章の「冬」に描かれた官能の色彩は強烈です。

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2008年2月24日 (日)

「頌(オード)」第28号(東京・武蔵野市)作品紹介

【「杉本暁の詩・評論」小原優」
杉本氏は亡くなったようだ。「地獄のデスメタル・ギタリスト」の作品には、記憶がある。詩人の死を惜しむ気持ちを持ちながら、客観的に評論している。同時に理解の出来ていないところも記す。自己表現者は、表現を理解されることを望みながら、完全に理解されることを望んでいるとは限らない。自分で自分が理解できない場合もあるからであるかもしれない。その意味で、距離を取った論評は作者を喜ばすことであろう。
【「美しい女たち」木野晴海】
<ノミの息>、<港>、<花火の記憶>の三章からなる女性の視点から、男の裏切りに愛想をつかして自立する状況を描く。いわゆる社会的な慣習である「女らしさ」に従ってきた経過になかで、男の裏切りに追い詰められて自立を選ぶという設定が、作者の視線をよく表現していると感じられた。

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2008年2月14日 (木)

同人誌「文学街」別冊号「絵島夢幻」が書店より注文

同人誌「文学街」別冊号―241号、遠野未地子「絵島夢幻」(価格800円)が発行元の文学街社に書店からの注文が幾つか、きているそうである。絵島生島事件の物語なので、歴史資料的に興味がある人も少なくないであろう。そこで発行所を記しておこう。〒168-0065杉並区浜田山2-15-41。文学街社。森啓夫・主宰。

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2008年2月10日 (日)

「読書人」08年2月15日「文芸同人誌評」担当・白川正芳氏

《対象作品》
「子包日記」君島有純(「零文学」5号)、「タイドテーブル」松本智子(「三田文学」冬季号)、「澁澤龍彦の見たサド裁判」安西晋二(「國學院大学雑誌」十九年十二月号)、「正岡忠三郎のこと」久田修(「海」76号)、「知っている」陶山竜子(「婦人文芸」84号)、「口笛少年」岩代明子(「イグネア」創刊号)、「夜道」柳沢藍(「まくた」二五八号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年2月 9日 (土)

「文學界」08年三月号「同人雑誌評」担当・松本徹氏

「写真」&「抜け殻」吉満昌夫(「埋火」42号/東京都)、「絆」藤沢辰雄(「雑踏」65号/大和郡山市)、「花野を行く」三原遥子(「河」143号/東京都)、「村にて」花島真樹子、「里桜」桂城和子(以上「グループ桂」57号/小山市)、「茅葺の家」二階堂英子(「文邪」7号/函館市)、「シコクイワナ」青木哲夫(「アンプレヤブル宣言」13号/今治市)、「六月のまるい夜」夏当紀子(「飢餓祭」30号/大和高田市)、「十年」万リー(「短篇集 そして」5号/鎌倉市)、「海の音符」藤原伸久(「教育文芸みえ」25号/津市)、「水の音」納富泰子、「象のテラス」ひわきゆりこ(以上「胡壷」6号/福岡市)、「月と大黒さん」石原卓(「樹林」516号/大阪市)、「失格」上田美佐江(「市民文藝」47号/帯広市)、「コラボレーション」滝沢玲子(「あべの文学」6号/大阪市)、「掃除屋風情」一畑耕、「神南備山のほととぎす―テクストとの対話」諸井学(以上「播火」65号/姫路市)、「春のゆき」長井那智子、「死亡適齢期」酒井久志、「夜は笑う」立石富生(以上「火山地帯」153号/鹿屋市)、「忘れていた体育着」関幸子(「湧水」38号/東京都)、「東へ」米沢朝子(「蒼空」12号/高知市)、「愁傷の白い花」浅田修(「鬼子」63号/神戸市)、「むすこの結婚」中原美枝子(「海塔」42号/大和市)、「神乃道」秋田しんのすけ(「シグロ ビエンテ」創刊号/多摩市)、「ヒガンバナ」若林亮成(「時間と空間」60号/小金井市)、「付句」田口耕平(「ふゆふ」8号/幕別市)、「菊日和」桑原昭(「VIKING」684号/茨木市)、「あの夏の日」田中洋(「教育文芸とやま」13号/富山市)、「山河微笑」野上周(「エプシロン」18号/三島市)、「送る人々」井坂ちから(「じゅん文学」54号/名古屋市)、「アンダー・コンストラクション」小森新(「奏」15号/静岡市)、「月夜の蟹」北里美和子(「海」65号/福岡市)、「男同士」野中麻世、「知っている」淘山竜子(以上「婦人文芸」84号/東京都)、「薄日」西垣ゆき(「きなり」65号/名古屋市)「桃色自転車」木村華奈美(「青の時代」34号/函館市)
ベスト5は、「シコクイワナ」青木哲夫、「コラボレーション」滝沢玲子、「十年」万リー、「六月のまるい夜」夏当紀子、「東へ」米沢朝子。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ)

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2008年2月 8日 (金)

「図書新聞」08年2月9日 「同人誌時評」

「神無備山のほととぎす 『新古今和歌集』秘話」諸井学(「播火」65号/姫路市)、「愁」但馬山平(「雑記囃子」5号/伊丹市)、「琴霊」蒲生一三(「文芸中部」76号/東海市)、「こわっぱ・竜太」佐武寛(「文芸誌O」41号/佐久市)、「武尊は荒れて」宮乃井八千代(「海塔」42号/大和市)、「桶屋さん」崎村裕(「構想」43号/東御市)、「クライスパーストリング」栗原治人(「京浜文学」11号/横浜市)。
各誌特集=「雨」特集(「だりん」56号/船橋市)、田辺聖子の文学特集(「樹林」514号/大阪市)、詩人小山正孝特集(「感泣亭秋報」2号/川崎市)、「戦後俳句論争」特集(「豈」42号/杉並区)、島尾敏雄特集(「タクラマカン」42号/芦屋市)
編集後記 T・M生(「文学草紙」121号/西東京市)。短歌=「調やさしき」中園倫(「文学街」243号/杉並区)、同氏(「新現実」95号/荒川区)。俳句=「モンテンルパ戦犯死刑囚と短歌雑誌「アララギ」」市村勲(「大衆文芸」68巻1号)。詩=「生かされて」牧野徑太郎(「新現実」95号/荒川区)、「憂国の士と市民運動家」いわた としこ(「京浜文学」11号/横浜市)、「小田実さんの思い出」加藤万里(「象」59号/名古屋市)、「泥んこ」菊田均(「鳥」13号/さいたま市)
記念号・創刊号等=「アララギ」「新アララギ」通巻百年記念号、「九州文学」新創刊(中間市)、歌誌「弦」創刊(富山市)。追悼=堀畑妙子(「青磁」24号/福井市)、畠中哲夫(「東京四季」93号/八王子市)、藤井田鶴子・笠置八千代(「婦人文芸」84号/品川区)。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ)。

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2008年2月 1日 (金)

同人誌「孤帆」12号(東京都)作品紹介

【「ドレイ・アッフェン」奥端秀彰】
東京のホテルで働く若者のその仕事ぶりと、環境を描いている。安ホテルらしいが、外国人も少なくない。主人公の屈辱的感情へこだわりが、こだわるためのこだわりで、物語の味付けにしているような書き方。ホテルの内の出来事が、異国の出来事のように見えて、面白い。都会に働く人間の窒息感との戦いが色濃く描かれている。
【「影の微笑」北村順子】
主人公の礼子は、事務機メーカの支店に勤めて25年。最近まで母親の介護をして暮らしていたが、その母も亡くなる。古い住み慣れた団地は、高齢化がすすむ。同じ団地で一人暮らしをしていたらしい絵沢さんという82歳の老女は、出かけたきり行方不明になって、福祉担当者がさがしている。ある日、灯りの見えない絵沢さんのところの窓に光がともる。彼女が戻ってきたのかと行って見ると、彼女と40年来の付き合いだという80歳の女性が留巣を守って、入りこんでいたのだった。よく話を聞くと、礼子がラジオの投書を読む番組を好きで聴いていたが、そのなかの味わいのある投書の主は、江沢さんとその友人とが、相談して物語を作って投書し、放送されるのを楽しみにしていたという。日常生活の小説として、じつに面白い。礼子の母親を亡くした喪失感に映る人生の悲哀や温かみがしみじみと伝わってくる。出来事がありそうでありながら、小説的なのが惹きつけて読ませるものになっている。
【「いつも誰かが見ている」塚田遼】
 高校生の頃からの生活のなかで、破目を外しそうになると、誰かの視線を感じて、やりすぎを避けることが出来ている。社会人になっても、誰かが見ていると感じることで、破滅寸前のところで思いとどまる。そうした出来事が繰り返され、郷里に戻ったときに、母親から自分の出生の秘密を知らされ、いつも自分を見ていたのが誰かがわかるという物語。オカルトミステリー風な味わいがあって、とても面白い。特に、誰でも体験せざるを得ない、また起こしやすいミス、魔がさすような危ない縁を渡ることが少なくない。その状況設定が実に巧みで、効果を上げている。自分もいつも誰かに見られているのかも?と思えて楽しい味わいがある。
【「わたしのいた時間」淘山竜子】
 晴子という若い女性の仕事と男女の肌の手触りの伝わる交流関係を緻密に描く。ある時は、気分の流れにまかせて、しかし大志や冒険にかかわることのない女性像をリアルに描く。現代の風俗の描写として、見事な表現力をもつ。しかし、その先の展望が見えない。もっとも、それが現代人の姿でもあるのかもしれない。作中の人物よりも、作者が小説に傾ける情熱を感じ、読者として、それを受け止めることのほうが小説より面白いというのは、ある意味で困ったものがある。


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2008年1月31日 (木)

プロの作家が同人誌をつくること

作家の福永信、柴崎友香、長嶋有と画家の法貴信也、デザイナーの名久井直子の5氏による同人誌「イルクーツク2」(限定1700部)が出版され、販売会とトークショーが都内で開かれた。同じメンバーで作った昨年の「メルボン1」に続く、第2号の雑誌である。内容は中原昌也と柴崎、長嶋の3氏で合作した短編「オールマイティのよろめき(Extra flight!)」。
 長嶋さんは、ブルボン小林名で編集した自主雑誌「スポンジスター」(限定1,500)を昨年11月に出しているという。読売新聞の記事にあった。
 プロの作家が同人誌に書くということは、昔からあったことだが、商業誌ではできない自己実現の部分を、そこで達成できるのであろう。
 そういう事実を情報化する文芸ジャーナリズムが必要であると思うのだが、「同人誌ジャーナル」とか、という同人新聞紙の創刊の草案もちながら、こちらも暇なはずなのに、多忙感があってなかなかとりかかれずにいるのが、実情である。

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2008年1月17日 (木)

「読書人」08年1月18日号「文芸同人誌評」白川正芳氏

《対象作品》
「『私的』なにわ橋物語」土井荘平(「文学街」新年号)、「無垢な心」葛西庸三(自家版作品集)、「大江健三郎―ユーモアという思想」井口時男、「中上健次・村上春樹論」永島貴男、「本多秋五の凄い日記」福田信夫(以上「群系」20号)、第60周年記念「六枚ごっこ」特集、「富士さんとわたし」山田稔(以上「VIKING」682・683号)、「蔵籠り」正田吉男(「詩と真実」七〇二号)、「望郷―姫路広畑俘虜収容所通訳日記」柳谷郁子(「播火」65号)、「装置としての詩的空間」溝口章(「青い花」58号)、「夢を生きて」堀江朋子(「文芸復興」18号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年1月12日 (土)

「婦人文芸」(東京)84号・作品紹介(2)

【「夜の足音―パリ、サンドニ通り二九四」麻井さほ】
現在はパリに住む由希という女性の47歳頃の話。まず、それ以前の過去のいきさつから話が始まる。身持ちが悪くヤマ師らしい男を父親もち、母親は彼女が5歳の頃に自死し、その後は父親に引き取られる。幼少期に、母親の自殺未遂を見せられてきたことが、彼女の精神に暗い翳を刻み込んだ様子である。その後、パリに住んで、24歳になった頃、絵を描くようになった由希の作品を買った女性いた。
スイスの大学で日本文化の教授をしているマダム・ブランである。彼女を通してであろうか、日系のユミコ・アナベルという47歳頃のスイス人女性と出会う。アナベルも暗い過去があるらしく、由希との同棲し、平穏さと愛情の溢れた期間をもつ。
 共に添い寝をするほどの愛情の交流があるが、性的なものを超えて、孤独を共感しあう人間の肌の触れ合いを描く。前半のもたつきも、それが後半になって伏線としていかされ、微妙で描きがたい人間の孤独を文学的味わいで見事に表現している。

【「知っている」淘山竜子】
主人公「僕」の母親は洋裁教室をしていたが、50代の若さで癌で亡くなる。母親は、生前に《僕》がどれだけ母親似であるか列挙して強調する。《僕》が父親に似ているところは何処?と聞くと、余りないようなことを言われる。しかし、成長するにつれ自分の風貌が父親に似てきていることを感じる。こうして、主人公は、自分の出生に秘密があることを感じる。
 60歳を過ぎた父親は、短歌の会に入り若い女性ナツコと関係もって晩年の人生を充実させている。ところが、なくなった母親は、手紙をたくさん書き残していて、洋裁教室の生徒であった垣田という女性に、命日になったら毎年《僕》宛に発送するように頼まれている。僕は、垣田さんを突き止め、会う。同時に、父親に連れられて家に来たナツコを見たことで、彼女に惹かれ、家を突き止め関係をもつ。主人公が、父親の血筋なのか、母親の血筋なのかわからないまま、父親がその出生の秘密を話そうとすると《僕》は、「もう知っているよ」というと、「ああそうか」といって、事情をはなさない。父親への反抗心を高める。そのため読者の自分には、主人公がどちらの子供なのか、わからずに終わる。現在の両親による通常の息子とも解釈できる。読みやすく面白く、細部の描写の巧みさで、読ませる。ただ、意図はよくわからないところがあったが、独特の文章感覚が出ていて、途中経過を読ませる点で秀でたものがある。文章をさらに柔らかくさせ、感覚的に気取りを付加強調する方向に行けば、いよいよ個性的なものが期待できそう。

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2008年1月11日 (金)

「文學界」8年2月号「同人雑誌評」担当・松本徹氏

《対象作品》「蜘蛛の部屋」谷口葉子(「カプリチオ」26号/東京都)、「緑葉這う」沢野繭、「河のほとりで」金相亨(以上「白鴉」21号、八幡市)、「見えないテレビ」安田ちかよ(「あしたば」47号/津市)、「ハイハイ学校」朝岡明美(「文芸中部」76号/東海市)、「陰男」林さぶろう、「彼女たち」津木林洋(以上「せる」76号/東大阪市)、「玄造の蛇」遠藤昭己(「海」76号/四日市市)、「突堤にて」大野光生(「飃」76号/宇部市)、「愛しい人」野田悦基、「石のある風景」澤田よし子、「タンポポ」伊藤雄一郎(以上「獣神」31号/所沢市)、「桜 さくら」ささきやすえ(「関西文學」63号/大阪市)、「友情」中田重顕、「ええんですわ」橋倉久美子(以上「文宴」108号/松阪市)、「瘤(こぶ)」本川さとみ、「祝いの日に」河村義次郎(以上「凾」59号/広島市)、「暗がりの向こうの桜」春木静哉(「こみゅにてぃ」77号/和光市)、「そんな彼女に出来たこと」吉保知佐(「AMAZON」426号/宝塚市)、「魔王が呼ぶ」鈴木重生(「小説家」126号/国分寺市)、「帰郷」佐藤良一、「蛇と注連縄」岩男英俊(以上「宇佐文学」43号/宇佐市)、「最期のかけら」松本謙一(「天気図」6号/花巻市)、「蔵籠り」正田吉男(「詩と眞實」702号/熊本市)、「奥の池のギンヤンマ」盛岡久元(「別冊関学文芸」35号/西宮市)、「落下」村野文(「文学街」242号/東京都)、「母里」黒羽英二(「文藝軌道」7号/大磯町)、「幻化」各務麗至(「戞戞」21号/観音寺市)、「リア」山口政昭(「日曜作家」10号/北九州市)、「架橋」永見篤彦(「山陰文藝」26号/亀山市)、「横浜大空襲体験記」津田崇(「小説芸術」46号/新座市)、「二十五年目の約束」なかい多麻(「らんぷ」10号/室蘭市)、「サラリーマン春秋」井森成一、「鎮魂の浜辺」鈴木今日子(「午後」17号/横浜市)。
ベスト5 「蜘蛛の部屋」谷口葉子、「緑葉這う」沢野繭、「玄造の蛇」遠藤昭己、「見えないテレビ」安田ちかよ、「陰男」林さぶろう。(「文芸同人誌案内・掲示板より。よこいさんまとめ」

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2008年1月 7日 (月)

「婦人文芸」84号(東京都)作品紹介(1)

【「キャリントンの頃」北村順子】
近くの大学で「イギリス文学の世界」という映画シリーズをやっていた。その中に英仏合作の映画「キャリントン」があった。そこから語り手の「私」が、昔にその映画を見るように薦めてくれた三島という女性のことを思い出し、その女性の孤独で寂しい人生の終わり方を描く。作家ヴァージニア・ウルフなどイギリス女性文学の繊細なところを、その雰囲気を日本人である三島という女性に植え替えたような、なかなか古典的な味わいをもった作品である。手法は19世紀的であるが、それが旧い感じというより、貴重な味の残しておきたい一つの優れた手法を駆使した秀作に読める。それが現代の文学事情なのであろう。

【「『おばば』またの名は『傘奴』」中村翔】
縁あって頼んだ御手伝いさんの「おばば」の、職業に徹して献身的で、頑固な仕事ぶりと人生観を活き活きと描く。よく表現が行き届いて、勢いがあり面白くも、何か懐かしく身近な感じがする話。(つづく)

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2008年1月 6日 (日)

同人誌「視点」(東京・多摩市)第68号作品紹介

【「笑い転げたあの時」臼井明子】
小野家の4人姉妹であったが、そのうちの一人は73歳で病死したため、3姉妹でT温泉に行く。高齢になったため、姉妹で旅行をするのは、これが最後であろうという予感の中で、温泉場を楽しむ話。自己表現的な意識の強い作風ながら、人生を感じさせる味が滲んでいる。

【「北へ渡った女」筑紫亮】
ロンドンのアルカイダのテロ事件が出没する中で、女スパイらしき女性が登場する。一人が日本人で、そのほかはジュージ、ジュリアーノ、ティモシティ、リチャード、ジーナ、レジーナという外国人が入り乱れて活動する物語。読切り連載みたいで、ちょっと身に入らない読後感であった。外国人をそれらしく描くのは、難しいところありそうだ。

【「コマチ(第3回)」浜田雄治】
現代人の医療関係の仕事をしていた若い女性が、原始時代の社会に飛び込んで、原始的生活をするSF小説の形式だが、現代と古代を比較して生活の意味を考えてみようという意図がよめないでもない物語で、まだ終わっていない。ただ、創作への意欲が出ているので、読ませるところがある。

 その他【「おんな万事塞翁が馬」矢田山聖子】、【「東京郊外(3)」石川テイ子】、【「杉本寺・石との対峙」萩照子】などがある。
発行所=多摩市永山5-4-9、視点社。編集発行人=大類秀志。

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2008年1月 1日 (火)

新春発句(会員)


海までの菜の花畑初燕     野田吉一

冬銀河月ゆるゆると渡りおり  中村治幸

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2007年12月25日 (火)

作品紹介・同人誌「胡壷・KOKO」第6号(福岡県)

【「最後の夏」桑村勝士】
高校生の剣道部員。男子生徒の卒業前の全国大会に出場するまでの物語。体育系の部活中心主義の生活と意識が臨場感をもって表現されていて、登場人物の展開するドラマを楽しめる。この作者は、筆致に緊張感があり、その味わいが読者を物語にひきつけて興味をそらさない。
緊張した場面はもちろんであるが、それだけでなく、どの場面においても読者を引き込むテンションを持続しており、それが大いなる長所であることを実感させる。

【「像のテラス」ひわきゆりこ】
私の体験する人間関係を描く。ユウコという見知らぬ少女との出会い、サトルという恋人との出会いと別れ、アルバイトの勤務先の雑貨店の女経営者の店じまいする姿、それらはかなり希薄な関係でしかない。私という人間の粘っこさのない性格ゆえに、どろどろねちねちとした関係になりえないところに、常識の範囲での軽みと爽やかさが漂う。これも現代人のひとつの姿ではある。ただし、その代償として風になびく葦のような頼りない人間関係に寂しさが伴うことを示している。クレバーなライフスタイルの陰に、情熱を注ぐことに対するリスクヘッジをもつ侘しさを提示する。しみじみとした味わいが感じられた。

【「水の音」納富泰子】
 主人公の秋江は、両親の亡き後、実家で年下の夫と暮らしていたが、子供がなく、そのため夫は子供の産める女性と結婚さるため、彼女を捨てて去ってゆく。残されたのは、家族となった飼犬のリュウである。生活は親の資産で十分であるが、夫は幾ばくかの慰謝料を律儀に振り込んでくる。音大を出ている秋江は、自宅で歌のレッスン教室をしていたが、離婚後、気鬱のためやめていた。そのうちに、知り合いから頼まれて舜美という若い女性を引受ける。彼女は風水を習っていて、秋江の家に起こる霊現象の預言をしたり解説も行ったりする。
 なんといっても読み応えのあるのは、飼犬リュウの老衰し、足が動かせなくなったのを帯で吊り上げ支えて、その最期までの散歩と介護をする過程である。まさに生を支えるための戦いである。犬も飼い主も、いずれは死ぬ身であるが、そこまでの過ごし方がいかに重要かを示して見える。ここでの文体は泉から湧き出る水のように透明である。読者の喉を潤す。
 
人生は、いつも前向きで明るく過ごし、読み物は面白くてはならなない。たしかに、そうなのであろう。面白おかしくない本は売れない。愉快に暮らせない人生なんて意味がない。しかし、人生はそれほど面白いことばかりではない。本当は、つまらないものなのかもしれない。ほんとうに人生のすべてが面白く楽しいものであるなら、本誌に評論のあるようなグリム童話のようなものを、人は読んで過ごす必要はない。つまらない人生の彩りに童話が残ってきているのだ。面白くもない黄昏のなかに、ちょっとした光があれば生きられる。そんなことを考えさせる本誌第6号である。

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2007年12月24日 (月)

同人誌作品紹介・「奏」第15号(静岡市)07年冬号

【「アンダー・コンストラクション」小森新】
 ネットのメールを使っての交流相手に、物語をするという形式をとる独白小説。
 メールでの交流は、お互いに正体を確定することができない。メル友のみの交流関係は、リアルなものかヴァーチャルなものかは不明である。そこに述べられるものが、事実であるかそうでないかは判然としない。ここでは、to ryoではじまりfrom ynohpで締めくくられる独白が発信される。
 彼ynohpは、Pという友人のことを語る。Pは、原因究明の難しい難病にかかっている。ある期間はその病の進行に猶予が生じるという状態にある時期のPの出来事が主に語られる。Pは、作中にもあるが、すでに運命的に青褪めた馬(死)に乗っているという・・・。このようにストーリーを追っても、この作品表現の本質に近寄ることはないのだが、終章のところで、ryoが死の病に直面したPという友人というのは、語り手のynohp自身ではないのかという問いかけをしたという設定で、実はynohpは逆に並べるとphonyとなり偽者を意味することを指し示していく。
 そうなることによって、一人の人間がトリプルの人格となって物語を構成している、という見方もできる。非リアリズムの世界での、人間の存在意識を追究するのに、ちょっと洒落たスタイルにしてみようという意図も読めるような気がする。

 人間は常に死と隣り合わせにあることを意識する存在で、そこに傾斜した実存的な思索と思弁を主体にした小説になっている。ここで語られる青年Pは、生まれてしばらくして、自分が難病にかかっていることを知る。いわゆる、環境と状況に制約のある存在である。その状況からいかに主体的に人間的自由を求めていくかの過程を描く。
 いや、描こうとしているように見える。P青年が難病であることに自己責任はない。よく、○○になるために生まれてきた、と自称する人がいるが、それは何の目的もなく生まれてしまった人間が、その目的の不在に戸惑い、急いで理屈をつけたということでしかない。この「生まれる」という受身の文法すら、そのことを見事に表現している。人間の存在には、いわゆる選択不可能な存在環境が先行する。その決定してしまった環境を受容して、そこから人間的な自由を選択し、いかに自由を獲得してゆくのか、いわゆる選択可能な状況を作り出し、どのような自己実現を作り出すか? そのあたりは、この作品では、思弁を展開するまでには至っていない。まだ、短かすぎて物語に組み込むまでに至らなかったのかもしれない。
 ただ、多くの同人誌の作品が生活リアリズム中心の表現に没頭するなかで、実存意識にそった物語を意識的に創る作業過程を読むのは、ある楽しみがあるものだ。その意味で面白い作品である。

 本号には、そのほか勝呂奏と戸塚学による「井上靖生誕百年・小特集」や、勝呂奏「小川国夫『侵食』ノート」、同「藤枝静男―二つの『空気頭』」という評論がある。井上靖はいくつかの作品を読んでいるが、特に意味づけを考えたことがなく、そうなのか、と思う。小川国夫と藤枝静男に関しては、両人とも文体に独特の引っ掛かる味を持った作家という印象がある。藤枝については、何を読んだか忘れたが、妙にぎこちない文体とある存在感をもたせた風変わりな作風を感じていたような気がする。不可解な自分への自己探求に私小説を超えてしまう手法を編み出していたとは知らなかった。


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2007年12月11日 (火)

「文學界」08年新年号「同人雑誌評」担当・松本徹氏

《対象作品》
「ねずみ」井口恵之(「秋田文学」16号/秋田市)、「泣いた赤鬼」竹井律生、「消えない灯」秋森実耀子(以上「雑記囃子」5号/伊丹市)、「光の向こうに」野元正、「夏の終わりに」はぎわらようこ(以上「八月の群れ」48号/明石市)、「『カフェ・カキ』」斎藤史子、「籠り処」刀禰喜美子、「臍の緒、五つ」畑裕子(以上「奇蹟」60号/交野市)、「義弟」有間やす子(「新松柏」20号/柏市)、「背後霊」明石善之助、「犬も歩けば棒に当たる」青海静雄(「午前」82号/福岡市)、「カオル」塚越淑行(「まくた」257号/横浜市)、「穴に落ちた男」諸山立、「八時間の新婚旅行」三宅陽介(以上「まがね」46号/倉敷市)、「蛙鳥」大森盛和(「星の広場」2号/金沢市)、「音の話」衛門せろ、「海螢」秦健一郎(以上「嵐」6号/千葉市)、「お刺身と物置」浜崎勢津子(「文芸山口」275号/山口市)、「揺れる橋」難波田節子、「林檎の木」山本文月(以上「河」142号/東京都)、「惑いながら」南綾子、「誰そ、彼れ」大黒恵子(以上「素粒」5号/富山市)、「口笛少年」岩代明子(「ignea」創刊号/東大阪市)、「スカートの思い出」片山峰子(「岡山文芸」97号/総社市)、「別れ」定道明(「青磁」24号/福井市)、「昴」名賀雄造(「江別文学」70号/江別市)、「『再生国』にて―埴谷雄高へのオマージュ」水沢葉子(「はにや…」創刊号/福島市)、「リナムの花」和田信子、「遺言状」松本文代(以上「南風」22号/福岡市)、「浴衣」田中聖海(「冥王星」10号/函館市)、「蘇生の旅」図子英雄(「原点」95号/松山市)、「渓(たに)からの声」佐々木国広(「たまゆら」68号/東近江市)、「お喜與の場合―少女時代―」原あやめ(「峠」53号/名古屋市)、「神隠し」増岡康毅、「わが桶狭間」田部浩二(以上「九州文学」56号/佐賀市)、「蚊帳吊り草」中川芳子(「VIKING」681号/茨木市)、「風ひかる樹」黒川嘉正(「詩と眞實」701号/熊本市)
ベスト5は、「ねずみ」井口恵之、「『カフェ・カキ』」斎藤史子、「お刺身と物置」浜崎勢津子、「背後霊」明石善之助、「口笛少年」岩代明子。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月10日 (月)

「図書新聞」07年12月15日「同人誌時評」福田信夫氏

《対象作品》
「絵島夢幻」遠野美地子(「別冊 文学街」241号/杉並区)、「気になる詩人―尼崎安四―」馬渡憲三郎、「神西清日記 幻の『小野物語』」神西敦子(以上「群系」20号「<総力特集>昭和のあゆみ」/江東区)、「蜂男」杉山夏太郎、「爛れた月(第四部)―大連にて暴動の嵐―」山田賢二、「続『ルーキー作家のメモ帳』」香椎羊雪、「続シベリヤ捕虜の思想戦」吉田幸平(「文芸長良」16号/岐阜市)、「小笠原克書誌(1)」吉井よう子(「季節」4号/札幌市)、「吉田一穂さんのこと 1俳句伝授」福田美鈴(「焔」76号/横浜市)、「アルカ・ポエティカ」河底尚吾(「詩界」251号/新宿区)、「山川亮蔵寸描」山崎実(「落下傘」63号/笠間市)、「イグネア」創刊号/東大阪市、向井豊昭個人誌「Mortos」創刊号/西東京市。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月 9日 (日)

「週間 読書人」07年12月14日「文芸同人誌評」白川正芳氏

《対象作品》「錆びる」愛龍(「コスモス文学」11月号)、「青の旅人」燈山文久(「民主文学」11月号)、「老い」野々山一夫(「文芸シャトル」60号)、「大阪 京都そして神戸」島尾伸三(「タクラマカン」42号)、「犬の悩み」森田晴美(「雲」10月号)、「愛妻物語」原石寛(「文学街」二四二号)、「夏の終わりに」はぎわらようこ(「八月の群れ」48号)、「忘れられた歌」藤陰道子(「風の道」創刊号」)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月 8日 (土)

同人誌「孤愁」第2号(横浜市)

【「林檎の実が熟す頃」豊田一郎】
作者は全作家協会の豊田一郎会長。一人同人誌の2号で本作品のみ掲載の雑誌である。小説は、古代の国家的な形を取り始めたころの共同体における人間模様を描いている。作者のあとがきによると、前作「黒潮に浮かぶ島」「遥かなる日の女神たち」に続く三部作で、混乱と闘争を描いた作品を執筆した後、調和を求める作品が欲しくなりこのシリーズを書いたとある。
 ギリシャ神話を読みそこから調和への発想を得たという。ギリシャ社会というのは、家族的社会と政治的社会との区別がはっきりせず、労働と仕事の区別も明確でない。そこからあのような人間的な神話が生まれたわけである。哲学者が多く存在するが、彼らの生活を支えた筈の奴隷の存在に重きを置かない独特の社会である。都市国家内だけの自由を自由とした特異な社会はある意味で魅力的であるが、それは現代では存在し得ない社会であり、作者はそこにロマンをみたのであろうか。

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2007年12月 2日 (日)

11月文芸時評(毎日新聞)川村湊氏

《対象作品》栗田有起「しろとちどり」(新潮)/文学界新人賞受賞作・楊逸(ヤン・イー)「ワンちゃん」(文学界)/同人雑誌優秀作・朝比奈敦「国境(はて)」(文学界)/田中慎弥「切れた鎖」(新潮)/川上未映子「乳と卵」(文学界)。(11月26日付)
《注目の一冊》「佐藤泰志作品集」(クレイン)。

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2007年11月27日 (火)

季刊「農民文学」279号(群馬県)作品紹介

【「彼岸獅子舞の村」前田新】
主人公・津村惣一の村は50戸のうち農家は40戸を数えるが、専業農家は3戸だけになっている。その専業農家以外はすべてが2種兼業の農家となり、農地を手放して農家で亡くなった者が5戸、老齢と転業で農地を委託した者が13戸、死につぶれの空家が1戸、村を出て空き家になった者が2戸、さらに一人暮らしから施設にはいって空家になっているのが1戸、建屋の数はまだ47戸あるが、80歳を超えた一人暮らし、老夫婦だけの家族、それに施設入り空家などの合計が11戸である。
 村の男たちも、40歳を過ぎてもまだ独身の者が5人、離婚をして現在独りでいる者が4人である。
 このような現実のなかで、村に伝わる伝統芸能「彼岸獅子舞」の行事を行おうとするのだが、その相談の村の総会にも人が集まらず、決定すべきことがあっても決まらない。
 淡淡とした筆致で、過疎化、貧困化し、補助制度で借金漬けになり、自殺者まででる経緯を物語る。
面白いとか、どうかという前に、この日本の現実をつきつけられて、身にしみる作品である。

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2007年11月20日 (火)

単行本「槿域の女」田川肇(鶴書院)紹介

 同人誌発表作品の単行本化小説集である。あまり、すいすいと読むことができる文体ではなく作品は、時間をかけてゆっくり読むことを求めているようである。
 副題に「朝鮮半島小説集」とあるが、著者は日本人である。四つの短編かなり、それを読み合わせると、両親が戦前に朝鮮半島に渡り、作者はそこで生まれ、戦後引き上げてきたらしい事情が読み取れる。従って、昭和初期の日本と朝鮮との関係を全人格的に体験したところか生まれたもので、その時代の緊張感をそのまま溶解させずに文体に反映させているところに特徴がある。日本人としての歴史的な加害者意識と自らの故郷意識と朝鮮民族の被害者のはざまで、現代の韓国人との交流を描く。被害者の痛みに敏感に反応し、同化してしまう微妙なところを描くことで、独自の文学的表現を達成している。

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2007年11月19日 (月)

同人誌「獣神」31号(埼玉県)作品紹介

【「石のある風景」澤田よしこ】
戦時中に、農村の医師となった直弘の視点で、村の人々の素朴で平和な生活を描く。戦争の気配を遠くに置くことで、平和な生活を浮き彫りにしている。冒頭の澄んだ川底の描写がすばらしく美しいのが印象的。

【「たんぽぽ」伊藤雄一郎】
栄養士の女性が、末期がんの男の頼みで、男がかつて、恋人でありながら見捨てしまった、女性の墓参を頼まれ、墓に咲いていたタンポポを摘んで帰り男に渡すと男はそれを胸に息を引き取る。ちょっと変わった味の短編。

【「雪に坐る」通雅彦】
昭和30年代の病院勤務の医師の実態が、人間くささを強調した手法で、詳しく描かれ、興味深く面白く読んだ。

【「愛しい人」野田悦基】
皇居を守る皇宮警察官の視線で、老彫刻家とその娘の生活ぶりを描く。闊達な文章で、尾崎士郎の「人生劇場」を読むような面白さである。

【「銀次郎の日記―友人の病気と人の寿命~」青江由紀夫】
 入れ歯と費用と寿命の話から始まり、文学の善し悪しと売れ行きの関係まで、話題は幅広い。石川啄木は死後50年経って短歌や詩が売れるようになったので、自分の詩歌が大勢の人に読まれていることを知らない。そんなことなどを思い起こした。
「獣神」発行所〒埼玉県所沢市上安松1107-4、編集責任者・伊藤雄一郎。

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2007年11月18日 (日)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(3)

【「恵太のいる町」藤澤美子】
捨てられた子犬が、放浪し子供達は、拾って飼い犬にしようとするが、それぞれ家庭の事情があって、決めるには時間がかかる。その間に迷い犬なってしまい交通事故に会い大怪我を追う。子犬の運命が、そのまま小さな命の大事さを感情移入して伝わってくる。独特の語り口に味わいがある。不思議な作風の作品。

【「琴霊」蒲生一三】
吉備真備の81歳の晩年の死に至るまでの回想記。

【「インド旅行メモ」川口務】
インドに行くと、カルチャーショックをうけるそうであるが、文化、生活のどこにそのようなものが潜んでいるのか、興味深く読んだ。わかるような部分がある。

【「あるカメラマン」井上武彦】
新聞記者だった主人公が。同僚のカメラマンがいまだに元気で活動していることを知り、そのカメラマンの真摯な仕事への姿勢を語る。生き生きとした人柄がよく描かれている。驚いたのは、当時、赤福の浜田益種社長にあって記事にしており、その時に、赤福の味は伝統的なものと変わっていないのか?という質問をし、社長が言葉につまる場面がある。
 今読むと、意味深だが、消費者意識のジャーナリズムの時代の変化を感じる。もっとも、消費者の意識が変わったのではなく、メディアの姿勢が変わったのだと思うが。

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2007年11月16日 (金)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(2)

【「ハイハイ学校」朝岡明美】
待子は50歳代後半か。5年前に分かれた夫の義郎は、いまだに復縁をして欲しくて会いにやってくる。しかし、彼女は、生まれてきた子供が障害をもっていると、姑に彼女の家系を問題にされたことや、交通事故で娘が亡くなってしまったこと。実家の兄の事業がうまくいかなくなると、夫が彼女に実家の債務が及ぶのを恐れ、離婚をしたらどうか、という話を切り出した。それを機に離婚する。女性の所属場所の喪失を描く。独りになると30になる息子が出入りし、元の夫も出入りするような曖昧な生活をしている。そのなかで友人から催眠商法に参加することを教えられ、一時の陶酔感を味わう。地に足がついているのかいないのか、不明な現代人の宙ぶらりんな精神状況を表現したようだ。
 最近、妻が夫への積年の鬱屈に、恨みを爆発させ殺害する事件が報じられている。女性は結婚すべき、夫の家風に従うべき、離婚しても実家に戻れない、そういう環境のなかで、この小説の主人公は、そうした疎外感の高まりを薄めようとする努力をしているのかもしれない。

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2007年11月10日 (土)

「文學界」07年12月号「同人雑誌評」担当/松本道介氏

さて、「文學界」の12月号といえば、新人賞の発表とともに、同人雑誌優秀作の発表でもあります。候補作は、「それぞれの深紅」遠野明子(「槐」)、「家族写真」万リー(「カプリチオ」)、「夢童子」青木倫子(「アンプレヤブル宣言」)、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二(「江南文学」)、「国境(はて)」朝比奈敦(「VIKING」)、「橋の日」岩崎芳生(「燔」)、「天国泥棒」鮒田トト(「龍舌蘭」)
《同人雑誌優秀作》&《奨励賞》優秀作=「国境(はて)」朝比奈敦。奨励賞=「それぞれの深紅」遠野明子、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二。
次いで、今月分です。

「文學界」07年12月号「同人雑誌評」松本道介氏筆
《対象作品》「天国泥棒」鮒田トト、「いないいない、バー」鶴ヶ野勉(以上「龍舌蘭」171号/宮崎市)、「高齢者劇団発足」重本恵津子(「群青」71号/武蔵野市)、「海に放る」鷹宮さより(「りりっく」17号/川口市)、「お前の旅の記録」Jiraux(「河」141号/東京都)、「北の弟」「編集後記」竹原素子(「シリウス」17号/水戸市)、「論理の乱れ」山吹恵(「ん」第9集/広島市)、「からだの来歴」遠野明子(「時空」28号/横浜市)、「柿の実と矮鶏」塚越爽子(「木木」20号/唐津市)、「川」佐佐木邦子(「仙台文学」71号/仙台市)、「このゆびとまれ」佐伯晋(「あるかいど」35号/大阪市)、「文芸時評」下澤勝井、「梅の話」来住野彰作(以上「土曜文学」3号/立川市)、「聖母」吉田慈平(「風の道」創刊号/東京都)、「心の刺」久保三也子(「柳絮」73号/吹田市)、「くれない坂」大谷史(「じゅん文学」53号/名古屋市)、「降らずみの空」山名恒子(「游」18号/東京都)、
ベスト5=「天国泥棒」鮒田トト、「梅の話」来住野彰作、「聖母」吉田慈平、「このゆびとまれ」佐伯晋、「柿の実の矮鶏」塚越爽子
(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめより)

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2007年11月 9日 (金)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(1)

【「追いかけて」堀井清】
定年退職し、子供は成長し家を出ている。夫婦だけの生活をしている男の日記形式の物語。冒頭で、余生を楽しむ風情の日常生活ぶりを淡々と語る中に、縁側の一部が腐って崩れ落ち、通り抜けようとした主人公は弾みで庭に転落する。
また友人の自殺の一報が入り、その心境を忖度する。これが、気楽そうに見える生活に見えるなか、不安を警告する微弱音が流れるような出来事で、これに呼応するように、人間というのは、特に目的があって産み出されてしまった存在ではなく、ただ生きる努力を強いられている存在であり、後付けで目的を作るしかない運命にあるという意味のことを考える。
微弱音が実存的な音色をもって次第に拡がりを持ち始める。じつに巧く計算された仕掛けである。やがて、唐突に妻の早苗から離婚を切り出される。妻との離別は、もう2度と会わないというような過激なものでなく、用事があればやってくるような別れだ。長い結婚生活の間に広がった溝がそのまま広がった形のようだ。主人公は、行方の知れない息子の消息を追う事を決心する。これは、我が物であると思っていた事の喪失の物語である。 タイトルは喪失されたものを追いかけざるを得ない人間性を示すものか。
 微弱音を序として、うねりながら音色が強くなる。そしてその音楽は拡散してしまう。ホールの隅で音楽を鑑賞するような感じの味わいがある。それというのも、現在形で物語を進行させているからで、音楽は現在の時間のなかに存在する表現形式であることによるのかも知れない。

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2007年11月 8日 (木)

文芸誌「照葉樹」4号(福岡県)

【「ともがき」水木怜】
洋輔、王丸、青木などの中学生たちの話。いたずら好きで、悪がきの仲間のように見えるが、それぞれ親が離婚した母子家庭など、恵まれた家庭ではない。それぞれ、水の洩れる難破船の海水を外に汲みだすように、それなりに母親との関係を維持しようとしている。
 子供の視点から、現代の親の世代の問題を描き出す。洋輔の父親の性格が、いかにも自己中心的で、現代的なのが面白く表現されている。こどもにとって、親は選べない、その親を思う心を軸に、先の見えない人生を、それでも希望をもって生きて行こうとする、中学生の姿をけなげな姿勢をもたせて描く。時々、大人びた部分が描写に顔をだすが、味わいのある作品。

【「階段」水木怜】
 聡子の夫は、45歳で亡くなり、13回忌を済ませたばかりの2年前に脳梗塞で倒れ、身体がきかなくなる。さらに息子が25歳の若さで、交通事故で死んでしまう。彼女は、2階に閉じこもりヘルパーさんの世話になっている。夢うつつに、毎日夫と息子の幻影をみて、会話を交す日々。
 そうした生活から、ヘルパーさんや知人との交流をとおして、気鬱から抜け出し、階段を下りて外界との交流を開始じはじめる。年老いて、生活の夢を奪われ、身体が不自由なった状態の心理をていねいに描く。それだけのことだが、ただひたすらに生きることの意味を示した、手堅い短編である。こうした場合、あなたはどうする?という問いかけも内包している気もする。

【「朝戸風」垂水薫】
両親の期待を裏切って、高校を中退してししまった明日香。法律事務所に勤めながら、弁護士を志望する父親は勉強に明け暮れる。
 その父親を立て、逆らわないようにし、家庭の平和を維持しようとする母親。明日香は、家に閉じこもるため、母親依存性が強まり、母が家にいないと不安になる。
 母親は、スープのタネに鶏の骨ガラだと思って、買ってみたら鶏の頭の集めたものだった。母親は驚いて捨てるが、明日香は彼女が外泊する夜、独りになった夜、その鶏の頭部を煮込んでスープをつくってみる。
 切り落とされた鶏の頭の集まりと、その目は社会的な外部からの視線に重なるものなのか、このエピソードが面白い。いずれにしても、お互い依存しあう関係のなかで生きている。命と人間愛の火は、個人のみの単独者の世界では生まれない。薪が燃えるには、酸素と火種に依存して生まれる。家族の人間関係において、相互依存で生きる人間の原点をさし示してみせたようにも読める。
3篇とも、丹精こめて書いた好短編で人生の諸相がゆっくり楽しめる。

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2007年11月 7日 (水)

「週間 読書人」07年11月9日「文芸同人誌評」白川正芳氏、他

《対象作品》「つかまり立ち」横川英一(「残党」26号)、「我、生い立ちの記(少年期)」佐々木博也(「シニア文学」7号)、「自分史つれづれ草」中里富美雄(「文芸広場」10月号)、「身辺雑記」成瀬良孝(「四人」80号)、「口笛少年」岩代明子(「イグネア」創刊号)、「底まで、もうすぐ」宮内はと子(「カム」二号)、「丸亀の妖怪」柴田宗徳(「流氷群」50号)、「熊平軍太郎の舟」筆名不詳(「Mortos」創刊号)

■「図書新聞」07年11月10日同人誌時評」たかとう匡子氏筆
《対象作品》「特集 室生犀星の俳句」暮尾淳・中里夏彦・青木陽介(「鬣」24号/前橋市)、座談会「日本の戦後文学再検討」(「中部ペン」14号/名古屋市)、「佐多稲子ノート(2)」松原新一(「すとろんぼり」三号/久留米市)、「志賀直哉その光と影」荒木公輔(「土曜文学」三号/立川市)、「鍋を磨く女」木村誠子(「あるかいど」35/大阪市)、「北の弟」竹原素子(「シリウス」十七号/水戸市)、「風船蔓」森ミキエ(「ひょうたん」33/板橋区)、「刺繍するという行為」椿美砂子(「空の引力」25号/南蒲原郡)
(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめより)

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2007年11月 6日 (火)

同人誌「砂」第105作品寸評(2)

(筆者=中村治幸氏)
【小説「蝶の来る庭」大森恭子】
 読み進むうちに終戦直後、焼け跡になった東京で夫の復員を待っていた雪江の前作からずいぶん歳月が経ったのだな、とわかった。
 雪江はちょっとしたつまずきからいまはベッドの暮らしを余儀なくしている。息子の帰一が出張のためヘルパーさんを頼んでくれた。そうして来たヘルパーの女性が大野喜美子で、雪江は終戦の年、一時的に預かった浮浪児のキミ子のことを思い出し、喜美子の語ることのひとつひとつに昔のことと符号の合っていくのを発見していく。その過程はどきどきわくわくさせられる。
── “言うまい ”と雪江は心に言いきかせた。喜美子が知って幸せになる話ではなかった。向島の母になった人があの世まで持って行った秘密は決して言ってはいけない。生きていた、めぐり逢えたこの幸運を喜んでいよう。 という場面に胸が熱くなった。

【遥かなる遠い道 Ⅳ】行雲流水】
 今回は台風から始まり、実家の兄弟、会社幹部間の軋轢があり、その人間模様を納得させるような描写力に読ませられた。
 輝子が潔宅に家賃を上げてもらいに行こうと外に出ると「いつの間に降り始めたのか、漆黒の闇夜をついて横殴りの雨が激しく音をたてている。輝子はその勢いにたじろいだ」という情景が目に浮かぶ。
 正月に輝子が実家に招ばれて行きそこで喧嘩になってしまう。
 こうした迫力ある挿話のひとつひとつに惹かれて読み、今後の展開が楽しみだ。

【紀行文「ローカル線に乗り継いでー岩泉線と大船渡線」矢野俊彦】
 はやて九号に乗るまえ、東京駅ホームにいてJRの東京電力区に勤めていたころの回想に、そこで仕事をしていた者としての誇りを感じて、すがすがしかった。
「茂市(もいち)──岩井和井内間は、昭和十七年六月開業、岩泉までは昭和四十七年二月の開通である」この歳月の隔たりに開通までの困難を思った。さらに三、四行してから、
「家の軒下に薪が積まれている。燃料に石油より木材のほうが手軽に手に入る土地柄であろう。家の周りに薪を保存しているのは、かっての農村では、普通の光景であったが今はそれすら珍しい。産油国でない日本なのにと」
 この指摘がするどいと感心した。
 岩泉駅待合室のノートの内容に、廃線にならぬよう願う気持ちがあり、それを作品に取り上げる作者に旅を愛する気持ちを感じた。
 だから作品に旅情がにじんでいるのであろう。

【「益子にて──本物との出会いの旅」木下隆】
 作者は益子焼の茶碗を「もう十年来の友、我が家の毎日の茶の時間に欠かせないものになっている」という気に入りようだ。
 またSLについては「夜汽車の汽笛と粗悪な石炭(中略)戦中、戦後の厳しい生活体験と直結したものでなければ、SLの本当の醍醐味はわからない」という。益子焼もSLも生活に根ざしたものに本物があるという作者の主張にはうなずける。

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2007年11月 5日 (月)

同人誌「砂」第105作品寸評(1)

(筆者=中村治幸氏)
【随筆「鶴爵」國分 實】
 まず冒頭が良い。「文は人なり、という。(中略)どんな綺麗ごとが書かれていても、いっこうに香気の感じられない作品がある。(中略)作品の気品というものは、生きた恐ろしいものなのだ」同感する。
 さらに「私は酒が大好きである」と書かれ惹かれて読み続けると(黄鶴楼)という漢詩の引用があり、仏典の「自受法楽」「衆生所有楽」の解釈があり、教養の広がりを見ることで作者の人生の年輪と文章に気品を感じた。
【随筆「子供のジャングル」望月雅子】
 三女暁子が長姉の小学六年生のころの優子が 初めての西洋料理に「オムレツとキャベツの千切り」等を作った時のことを懐かしくかつ暖かに語っている。その姉が早逝したことがなおさら作者の身に染みる思い出になったのに違いない。

【小説「対 決」牧野 誠】
 柳 金吾は御継子問題のため、江戸表一派の実子擁立論を掲げる葉沢十三郎と決闘する。その中にあって、竹馬の友と命の遣り取りをしなくてはならない侍の宿命に非情なものを感じる。その江戸表一派が敗れると、江戸上屋敷の筆頭家老、安藤但馬守は主君の甥、綾太郎十歳と雪姫八歳の婚礼の後、真壁出羽守に遺恨晴らしのため斬りつけて倒し、但馬守も出羽守の小姓の一人に討たれる。剣戟の場面の描写に迫力がある。金吾の視点を通して侍の愚かしさを描いている。

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2007年10月27日 (土)

同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(4)

【「黒水城異聞」白井康】
中国大陸のロシアやモンゴルが拮抗していた時代を舞台にしたSF的要素のある物語。井戸を掘るのに、そこに水があることを見つける才能のある男が、タイムスリップして大将の娘を嫁にもらって、帰ってくる。なんとなく面白く読んだ。井戸を掘れば必ず水を探り当てるという、才能を持った男という設定が、興味をそそる。なぜこれが面白く感じるか、というと、おそらく現代では、特殊な才能を持った者(野球のイチローや松坂のように)が世間で活躍するのが大ニュースになる傾向にある。
これは現代社会において、なぜその人が世間から尊重されるかが、はっきりしているからであろう。その反対に、官僚や業界などで、帝王とされる人物が幅をきかせていることが多く見られ、その人達が、必ずしも実力主義ではなく、世渡りの巧さのみで、社会的な地位や利得を得る事例が多いことの反映かもしれない。

【「火つけ」二宮大己】
 江戸時代の市井人の話で、大工の八五郎は、大工の腕ひとつで、故郷に仕送りし、独身ながら、飲み食いに不自由をしないで、のん気に暮らしている。相変わらず江戸の町は火事が多い。そのため八五郎の仕事のタネは尽きないらしい。なぜ、八五郎が有卦に入るほど火事が頻発するのかを考えさせるところで終る。時代物の形であるが、現代社会でも、複雑な利害関係のなかに、単純な仕組みがあって、メディアが問題にしないので、問題にされないという、不思議な出来事も少なくない。作品は、さらに工夫があってもよさそうだが、読者に考えさせるには、これでも良いような気がする。

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2007年10月26日 (金)

遠野美地子「絵島夢幻」(「文学街」別冊号―241号)を読む

 単行本に相当する歴史文学だが、同人誌に一挙掲載という形態は珍しい。徳川6代将軍家宣の後閣で取締役を務めた絵島が政争のなかで、歌舞伎役者との交情で、疑獄事件として処罰された史実は有名。
 作品は女性ならではの、繊細な表現で、絵島の子供ころから、幕府内で権勢を誇り、失脚するまでを、歴史的背景を手際よく示しながら、絵島の孤独な晩年を描く。春・夏・秋・冬の各章に分けて絵島の生涯を描ききる。周辺の人物をそれぞれ視点を変えて絵島の姿を浮き彫りにしている。長い物語を興味深く読み込ませる筆力には、感銘を受けた。江戸徳川時代の裏面史に興味を持つ人にも一読を勧めたい。
 大衆小説的でなく、純文学的ではあるが、中ごろから終盤にかけては、読み物としても充分に面白く読ませるものになっている。

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2007年10月24日 (水)

同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(3)

【「あもーれ」朝岡明美】
ある海辺の町の喫茶店兼スナックのような店を父と娘が経営する。娘は医師で金持ちの息子と恋愛するが、身分がちがうという考えで、相手の親が仕組んだ細工に乗せられ別れた心の傷をもつ。ちょっと古風な人情話で、まとまっているが、話に新味はない。しかし、町の雰囲気、店の雰囲気を描くのが素晴らしい。行間でそのムードを伝えるのがじつに巧い。書き手として読んでも、うらやましいものがある。無理に物語を作らずに、物語を想像させる散文を心がけたら粋な純文学になるような気がする。

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2007年10月23日 (火)

同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(2)

【「松葉杖」安藤敏雄】
太平洋戦争の末期、日本は戦闘機用のエンジンをつくっても、飛行機の本体が調達できないほど、疲弊していたという話から始まる。13歳の脚の悪い学友の滝沢の実家は農家で、まだお米があって、滝沢と一緒に勇治と斉木がそこに買出しに行く。その帰りの列車で、滝沢は松葉杖をついているのを見て、乗客が窓際の席を譲ってくれる。ところが、その後米軍の戦闘機に列車が空襲される。何人かの死者がでたが、その時に、窓際の滝沢は弾にあたり死んでしまっていた。空襲の場面が簡潔ながら臨場感をもって描かれているのが良い。戦争の空しさ、痛ましさと友人を失った無念さが、読者に伝わってくる。

【「ドラッグ」磯部勝】
受験のため予備校に通う真奈美は、あまり勉強が身に入らず、ケイタイばかり使っているので、親から取り上げられてしまう。そんな不満から、出会い系風俗喫茶で、マジックミラーの部屋で、外側から見えるお客の呼び出しを待ち、呼び出されると話相手になる時間性のアルバイトを始める。やがて、それだけで済むわけがなく、男にだまされ、ドラッグ入り飲料をのまされ、体を奪われてしまう。その後、妊娠したのがわかり、何とか家族の目を逃れて、処理をする。それ以後、真奈美はそれに懲りて、人が変わった様に真面目に勉強し、N大薬学部に合格し、ワル娘から孝行娘になるまでの話。純文学的ではないが、話を手際よくまとめている。現代の世間でよくあるような話で、軽く書いて軽く読めるのは、やはり時代の表現になっている、ということであろうと思える。

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2007年10月21日 (日)

同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(1)

同人誌「創」は、栄中日文化センター「小説を創る」教室・発行。発行所=〒458-0833名古屋市緑区青山2-71、安藤方、「創」編集部。前回の創刊号では、前から順に読んでいて、途中で続き読むのを忘れてしまった。そこで、今回は、奥付の後ろか読むことにしよう。

【「光る眼」長沼宏之】
健康に自信のあった村岡は、会社の健診通知を開封しないで放置していた。しばららくして、開けてみたら肺に精密検査必要なものがあると、なっている。定年にあとわずかな58歳に至ってことである。そこで、今後の生き方を考えたり、過去の会社の女性同僚との思い残しなどを回想する。精密検査の結果は、がんは見つからないが、気になるものはあるので、近日中に再度検査するということで終る。面白く読んだ。

自分も58歳のときに、健診で精密検査を受けるようにいわれ、いろいろ検査の末、気になるものがあるので、生検で肉をとり、精密検査。ここに書かれているのと似たような経験がある。自分は、よく分からないので摘出してしまえと、手術。手術後、自分よりベッド脇にいる家の者のほうが、が顔色が悪いので、変だとおもっていたら、その結果はがんの宣告だったようだ。それ以来、定期検査を続けている。

この作品で、過去の仕事場で一緒の女性の思い出話があるが、これは省略して、今後の人生をどうするかを考えるところを、もっと長く書いた方がよいのでは。病気になったからといって、べつにどうしようもないので、結論など出ないのだが、その出ないのに考えてしまう過程を書くのも文学なのではないだろうか。それと検査の過程で知り合った、同病の人達に関するところを、読者としてもっと詳しく知りたい。自分も、待合室で妙に病気に詳しいひとに声かけられ、質問された。応えると「いや、それはやばいですよ」とか、「そうなら心配ないですよ」とか、医者顔負けの解説をされて驚いた記憶がある。

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2007年10月20日 (土)

同人誌「季刊遠近」32号(東京都)作品紹介

【「プシュケー」安西昌原】
中学校教師の「私」の教員生活と家族生活、若いときの生徒だった女性との交流が、地道に手堅く描かれている。妻をなくし子供とも離れて暮らすようになった晩年に、女性生徒だった昭子という人との同宿の機会をもつが、男女関係までに至らず、その後の交流が途絶えるまでを描く。流れはいかにも現実的で、自然で足が地についている。小説的飛躍のない自然主義的手法を堅持しているのが、長所でもあり、面白さに欠ける点で短所でもある。

【「日暮れまで」河村陽子】
昭和23年に篤子と善太は結婚式を挙げた。それ以降の60年にわたる家庭生活のなかでの、夫婦関係の良いあり方を模索する篤子の視点から、彼女のこれまでのさまざま工夫と感慨を描く。篤子は、かつてはビジネスにおいて、キャリアウーマンとしての生活のなかで、夫とは寝室を別にしてきた。しかし仕事を退職し、子供達が独立てみると、夫との別寝室は、なにかわびしさを感じ、寝所を同室にすることを考える。しかし、夫の善太の方は、長年の習慣に慣れて、一向にその気はないらしい。その経緯や感慨が現在形で表現されているところが優れている。しかも、文章がスピーディで、歯切れが良い。勢いのある男らしい文体が素晴らしい。この年齢層にしてこの文章を書くというのは、相当の手練であり、後輩として、学びたいものがある。

【「一粒種」柚かおり】
長年公務員として勤めてきた真面目な性格の一人息子が、突然行方不明になる。その事情を探索する母親の手記の形で綴っている。息子の恋人らしき人がいて、交際の末に息子と異なる男性と結婚していた。物語の終章で、息子が性同一性障害か、同性愛志向なのか不明だが、そうした問題で悩んでいた末の行動とわかる。いわゆる典型的な雰囲気小説で、ムードを作るのには成功している。純文学的には、半歩踏み込みが足りないかもしれない。

【「祭りの季節」難波田節子】
俳優を志す男と結婚した類子は、夫が夢ばかり追い、家庭をまかなう収入を得ようとしない。成功しない時点の「爆笑問題」の大田のような人だったらしい。離婚して女手ひとつで、娘を育ててきた娘が、片足義足の男性と結婚することを知る。男は車の追突事故を受け、妻も大怪我したが、彼女を最後まで看病したしたのが、娘でそれが縁で結婚することになったとわかる。作者の筆使いは、歯切れのよくテンポが早く、より現代的な文体になっている。人情話だが、流石に巧い。

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2007年10月16日 (火)

「週間 読書人」07年10月19日「文芸同人誌評」白川正芳氏担当

《対象作品》「遠藤周作フランス留学時の家族との書簡」(「三田文学」夏季号)、「ある獣医の期待」新谷清子(「関西文学」7月号)、「梨の消息」遠藤昭己(「中部ペン」14号)、「『いじめ予防』をめざして」浦野裕司、「学級担任教師によるふれあい指導」宗内敦(以上「琅」20号「教育といじめ」特集)、「髭男」富貴高司=中国語訳・瑠(「多島海」7号)、「芸者文化の残っている女」松尾尊正、「離婚の形」小松陽子、「椿の家」木山葉子(「木木」20号)、「井上靖氏邸訪問覚書」金子秀夫、名のみエッセイ=瀬戸口宣告司・竹内清(「焔」75号井上靖・山本和夫小特集)、「二の天守」田原洋子(「詩と真実」700号)、「カラカンダの冬と春」後藤公丸(「四国文学」86号)。(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめ)。

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2007年10月15日 (月)

第6回文学フリマのショップNOと登録票の送付始まる

 11月11日(日)に秋葉原の中小企業振興公社で開催される文芸同人誌サークルののフリーマーケット「第6回文学フリマ」の出店位置NOやサークル登録票の送付作業が開始された。また、来年の5月に春の文学フリマの開催をすることが決まっている。これは、今回の参加希望サークルのなかで、抽選漏れをしたサークルが、例年になく多かったことから、約半年後にも開催。抽選に洩れたサークルを優先した上、さらに参加サークルを募集することで、従来どおりの規模のマーケットになると見込んだことによる、という。
 文芸同志会交流のサークルとしては、「零文学」、作家・中沢けい教授をふくむ「文芸法政」、毎年、5円で「幻魚水想記」を販売していた野田吉一さん。日銀がデフレ脱却をもくろむなか、今年も5円を維持するのか、注目される。その他、「木曜日」、「頌」(オード)」などなど。また注目が予想されるグループにには、「エディション・プヒプヒ」、「豊崎由美ー書評の愉悦」、「HEADZ」などではないかという噂だが真偽のほどは不明。

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2007年10月11日 (木)

「文學界」07年11月号「同人雑誌評」松本道介氏担当

《対象作品》「見るべきほどの」須崎隆志(「札幌文学」70号/札幌市)、「国境(はて)」朝比奈敦(「VIKING」680号/茨木市)、「花冷え」杉本増生、「夏の果て」安芸宏子(以上「半獣神」83号/高槻市)、「いーりーちょんつ」大洞醇(「水戸評論」115号/水戸市)、「二番手の夢」宮川行志(「詩と眞實」8月号/熊本市)、「虹のしずく」亜木康子(「湧水」37号/東京都)、「秋の曲」宗さやか、「舫い舟」片山郷子(以上「霧」4号/東京都)、「百万歩の夜」磯崎仮名子、「祇園の鐘」衣斐弘行(以上「火涼」57号/鈴鹿市)、「U字型の彼」村尾文(「文学街」239号/東京都)、「紫陽花寺」遠山あき(「槇」30号/千葉市)、鈴木楊一追悼、「距離」長谷良子(以上「凱」29号/東京都)、「ゴンタの恋」浅見圭(「じくうち」Ⅱ19号/藤沢市)、「風景―イヌイットの皮袋」山口馨(「渤海」54号/富山市)、「橋の日」岩崎芳生(「燔」14号/焼津市)、「悲しみの袋」笹山ようこ(「伊勢崎文学」27号/伊勢崎市)、「賭けごとについて」伊佐四四信(「不定期船」2号/清瀬市)、「そしてヤマは消えた」浅野太市(「留萌文学」92号/留萌市)。ベスト5=「国境」朝比奈敦、「橋の日」岩崎芳生、「秋の曲」宗さやか、「百万歩の夜」磯崎仮名子、「紫陽花寺」遠山あき。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめより)。

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2007年10月 8日 (月)

同人誌「楔(くさび)」第24号(横浜市)

【「わたしたちの時代~夏子と寿美男」桂路石】
田川吾助という60代の男の回想記という体裁をとっている。昭和初期の戦争の時代、東北の地の夏子と柾人は、思秋期に出会い、交流がはじまる。柾人は兵隊にゆくが、その後、まだ学生の夏子には身籠っていることがわかる。そして男の子を生む。それが寿美男である。夏子の両親は、赤ん坊を柾人の両親に渡す。夏子の家は裕福で、養育費として500円を渡す。ところがこの寿美男が風邪がもとで死に、その後すぐ夏子が事故死するところで、(続き)で終る。連載である。
話の運びにスピードがつき過ぎて、説明・書き込み不足があるものの、会話の方言が生き生きとして、すばらしい。描写の不足を補ってリアリティと人々の存在感を表現している。また、時代の世相が良くとらえていて面白く。タイトルそのままの表現の意図は達成されているようだ。

【「銀次郎の日記―太平洋戦争の記憶と今の私」青江由紀夫】
サラリーマン生活をおくり、株式公開企業の重役になっている銀次郎の現在の日記。いま、ビジネス界において尊敬と収入を得ることを達成。太平洋戦争に関する本を読み続けている。そのなかで、過去の日本社会に比べたら、現在は極楽のような社会であるという感慨などをもち、感謝、感謝の日々を送る。重役の立場上、雑務をこなしている現役のビジネスマンの率直な感慨を面白く読んだ。
 ものを書くという行為は、若い時期には、文学賞をとれば、名を高め、尊敬と収入を獲得、出世する手段として非常に有効なものがある。
しかし、年齢を重ね、他の世界で収入と尊敬をえてしまうと、自己表現に徹した書き物となってくる傾向が、ここにも見られる。

【「巻頭言」室岡博】
これが巻末にある。現代文学を、閉塞し堕落したという視点で見ることから脱却し、「この際、思い切って、文学を枯渇した一つのカテゴリーから引きずりだし、現実という大道に叩きつけてはいかがなものか」と、石川淳スタイルで説く。それも一案ではある。
ではあるが、じつは現代文学は、充分に現実に叩きつけられており、にもかかわらず、そのなかで、さらに豊穣な実りを実現しているのではないだろうか。問題は、その人がどのポジションに立ち位置を持っているかどうかで、境遇が異なることであろう。書き手は、日の当るところに向って歩くか、陰翳のかすかな世界を選ぶか、日の当らないポジションを選ぶかの、選択する態度を決めることではないだろうか。
日本人の文学的能力は高い。10代の少年少女がケイタイ小説を書き、それが本になって、大人たちのビジネスの種を与えている。同人誌に発表する作品の質の高さはどうだ。資本主義社会では、市場がないと価値がないという評価は当然であるが、生活にはビジネス化できない文化もある。書かれた作品が、全て売れたら、文学の世界ではなくなる。時代によって、ビジネスになるものとならないものがある。なににでも、本来的な文化的価値はある筈である。

「楔」同人会事務所=〒230-0063神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-3、鶴見大学内 前澤眞理子。

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2007年10月 3日 (水)

「同人誌時評」「図書新聞」07年10月6日志村有弘氏

《対象作品》「真間の手児奈」葉山修平(「風の道」創刊号/東京都)、「安倍晴明異聞―龍神村」森山晴美、「五島列島紀行」伊藤文隆(以上「四人」80号/東京都)、「港の見える家」伊藤文隆著書、「安珍と清姫」原石寛(「文学街」238号/東京都)、「愛妻物語」原石寛著書、「お初天神」市川廣康(「記録文化」別冊/箕面市)、「佐々木すぐるの生涯」佐々木行綱(「そうび」3号/藤枝市)、「永遠の文学青年」池内規行(「北方人」11号/春日部市)、〔タイトル不明〕神作光一、「京都七条祥雲禅寺」小山榮雅、「カタカナ国からの旅立ち」山崎敬生(以上「千本銀杏」3・4号/市川市)、「まだ3年」天内友香里、「浮世語り」川端進、「頭蓋骨が砕かれた」増田幸太郎(以上「木偶」70号/小金井市)、「風の道」創刊(東京都)、以下追悼、鈴木楊一(「凱」29号/東京都)、北川荘平(「樹林」511号/大阪市)、野田行雄(「城」92号/みやき町)、福地誠(「水戸評論」115号/水戸市)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさん・まとめより転載)


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2007年9月28日 (金)

同人誌「文学街」240号(東京)作品紹介など(3)

近年の「文学街」は、その活動と掲載作品に勢いがあり、活き活きとしている。自分の知る範囲では、主宰の森啓夫氏は、長い間、全国同人雑誌作家協会で、運営に力を注いでいたが、そこでは、文学的主張を十分に発揮できないと感じたようで、同協会を退会し、「文学街」の充実に力を注ぎ、文学的主張の実現にとりかかり始めたようである。その後、森氏の去った全国同人雑誌作家協会は、「全作家協会」と名称を変更している。

もともと「文学街」は、巻末に読者との交流の頁があり、作品発表者と会員読者との意見交流が記されている。自分も同人誌の同人誌らしさとは、どんなものかという関心からしばらく会員となって、愛読させてもらった。また、文芸評論家の岩谷征捷氏の掲載作品論が毎号掲載されるなど、読者側の充実ぶりが顕著である。近年は、会員も200名を超え運営も手一杯という話しも聞いたので、今頃は300名近くになっているのでなかろうか。
文芸思潮の五十嵐勉氏の活動とも連携したり、全国の同人雑誌からの推薦作品を再掲載する企画、「作家&読者交流の集い」を東京で開催するなど、全国の同人雑誌運営者や作家との交流を深めている。こうした見方は、自分の解釈のもので、他にもあるかもしれないが、外部から見た流れは当たらずとも遠からずではないかと思う。
「文学街」発行所=〒168-0065東京都杉並区浜田山2-15-41「文学街社」。

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同人誌「文学街」240号(東京)作品紹介など(2)

【「傀儡の指先」荒井登美子】
作者は今年の「農民文学賞」受賞者。40歳代の「私」は、家庭の主婦。子供ふたりを育てて、夫との仲も悪くない。しかし、彼女は、20代の頃、親への反発から繁華街でホステスをしていた。そこで知り合った、年の離れた歯科医師・久木の愛人になって、長い交際をしてきた経歴がある。その後、別れた彼女は、久木を忘れることはなかった。その久木が警察が選挙違反で逮捕されたことを知る。彼女は衝撃を受け、夫を欺いて久木と旅行に行き、恋愛関係を復活させる。やがて、久木は彼女の夫に、彼女を自分の妻にしたいと談判してしまう。彼女は離婚し、久木ふたりだけの日常生活をしているところで終る。
 力作である。女性の厨房の描写で、その揺れ動く情念を表現し、成功している。巧い運びで前半は、普通の不倫小説なのかなと思わせながら、後半のところで、「私」の日常生活を描くことで、人間の愛の不条理の詰め寄っている気配が感じられ、文学作品にしている。とにかく筆力がある。昔、純文学と大衆小説の間に、中間小説というジャンルがあったが、それにちかいところがある。

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2007年9月27日 (木)

同人誌「文学街」240号(東京)作品紹介など(1)

【「鬼才・村尾文の構築術」庄司肇】
「文学街」234号の別冊「村尾文自選短編小説集」に掲載された作品を評論している。筆者の書く立場から、その筆力を高く評価し、疑問点も鋭く指摘する。村尾作品を良く知らない自分だが、もう一度読み返したくなるような魅力のある力強い評論であった。
【「観覧車とビスケ」土井荘平】
 古希を過ぎた佑介が、若い頃に過ごした法善寺横町のあたりの風景を夢ともうつうともなく頭に浮かべ、自分の姿をそこに見たりする。朦朧として心のゆらぎに身をゆだねるしかない老人の姿を描いて、説得力がある。
【「モノローグの快楽」尾関忠雄】
「独白」という行為の意味を「独白」で綴り、時おり哲学的思弁に入ったりする。非常に面白く読まされた。自己の存在の意義に触れたところなどでは、もうすこし哲学的な探究を追求して欲しい気もしたが、ユーモラスな語り口を楽しむことができる。
【「雁」川島徹】
長年、教員をしてきた高浜志郎は、教頭を務め校長になれる資格を持っていながら、転任が多く、また上司にも恵まれず校長の推薦をうけることがない。その高浜の悪戦苦闘ぶりを描いて、リアリティと説得力を持つ。教員の知られざる事務的な仕事の細部も描かれているのは読み応えがあった。自己中心的で身勝手な女性校長の姿も、よく表現されている。高浜が病に倒れ生死をさまよった末に、空に雁をみるところで終る。

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2007年9月21日 (金)

「国鉄詩人」秋、07年9月号より

国鉄詩人243号は、国鉄詩人連盟第62回大会報告と、追悼・松田軍造となっており、先号に続いて、2月に亡くなった詩人・岡亮太郎(鈴木茂正氏)の追悼文もある。岡氏は労働運動詩の強力な牽引車であったらしく、今後の運営をどうするか、大会での会議の内容が詳細に記されている。表紙に萩原朔太郎の撮影した馬込付近の線路を歩く写真が、洒落ていた。そのなかで、運営者が高齢化し健康の衰えで、会の継続が困難に直面している状況がよくわかる。現在の編集担当の矢野俊彦氏は、同人誌「砂」の運営委員もしており、文学好きで献身的な人が不足し、いろいろ兼任している様子には、考えさせられるものがある。同誌には、藤井均さんの中部の詩誌「あららと」41号で廃刊のご挨拶が、載っている。

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2007年9月16日 (日)

「文芸同人誌評」「週刊読書人」07年9月21日担当・白川正芳氏

《対象作品》「ヒロシマにつながる話」右遠俊郎(「民主文学」8月号)、「傾聴猫又日記」平野佳美(著書/けやき出版)、「豊かな社会の幽霊たち」岩下準平(「イミタチオ」47号)、「島尾ミホ先生を偲んで」鳥居真知子、「同人 島尾ミホさんの葬送」寺内邦夫(「タクラマカン」41号)、「青い火」木下径子(「街道」11号)、「出版顚末記 甲斐の国からお四国へ」高田恭子(「ペン」2号)、「手紙」北山修子(「あてのき」32号)、「中日文化賞余聞」清水信(「北斗」7・8月合併号)。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ、より)

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2007年9月14日 (金)

「同人誌時評」「図書新聞」07年9月15日、担当・福田信夫氏

《対象作品》「過日」上坂高生、「出立」永井孝史(以上「碑」88号/横浜市)、「ガラス玉遊戯」諸井学、「ヘルメットたちの矜持」大塚誉(以上「播火」64号/姫路市)、「八月のゆくえ」岸田淳子(「ルーチェ」創刊号/四日市市)、「はなびらのような―『原爆忌』を読む、詠む」杉山久子(「石榴」8号/広島市)、「もう一つの二十世紀―イスラーム世界が見たもの―第二章第一次世界大戦とイスラーム世界(ニ)アラブの反乱2」中島公子、「昔話の食卓(10)―漁師とその妻―」数藤ゆきえ(以上「竪琴」号数記載なし/調布市)、「思い出すことなど」渋沢晴子、「招待席(19)赤不動から熊野へ」宮本徳蔵(以上「ティルス」(酒神の杖)22号/新宿区)、「中山義秀『故里の土』について」磐瀬清雄、「昭和を生きる(仮題)―序―」林順、「走馬燈、廻れ廻れ(五)―友谷静栄と林芙美子―」宇治土公三津子、「中野重治と芥川龍之介―『僕の瑞威から』をめぐって」木村幸雄、「『むらぎも』断感―『米配給は残るか』『広重』との関連で(一)―」(以上「駱駝」51号/練馬区)、船方一没後50年特集=神谷量平、栗原治人、高橋一仁(「京浜文学」10号/横浜市)、「五校の文学第一」特集=首藤基澄、古閑章、村田秀明、村田由美、道園達也(「方位」25号/熊本市) 。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ、より)

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2007年9月12日 (水)

個人誌「猟」第2号(東京都八王子市)

【「退屈な旅」乾夏生】
この中篇小説ひとつの個人誌である。ごく普通の家庭の次男坊で、工業高校にいたが、化学実験の失敗で友人が怪我をしてしまう。友人の自らしたことであるが、実験仲間であった主人公は、自分の責任でないことを強調する発言をしてしまう。自分の発言で自分自身が傷つく性格がここでよく表現されている。少年の孤独な精神をていねい描いている。
 その感受性のゆえに高校を中退、エレクトロニクスの測定器をつくる町工場に住み込みで勤めるが、自らの存在の自信のなさ、社会的な順応性の不足から、上司を殴る結果になり退職するまでの話。時代を示していない、測定器のキャビネットを筐体などと表現しているところや、測定器製造の職場の様子から、1960年代~1970年代の高度経済成長期の話であろう。仕事の内容が事細かく書いてあるのが良い。時代を書かないことで、青春前期の少年の孤独な精神を昔話から切り離して浮き上がらせた効果はある。そのぶん、物語性が(なくてもいいのだが)欠ける弱さが出る。ただ、自分には、非常に面白く共感できた。
 編集後記に、遠藤明子さんの「槐」に所属していたという。遠藤さんには同人誌「文学街」の集いでお会いしている、と思ったら、お会いしたのは、遠野美地子さん(電話をくれた)ので、別人とわかった。
 自分も、18歳から約3年ほど、測定器の組立職人をしていた。その後、夜間大学を受験。職人がなんで「学士」になるのだ?といわれたものだ。無断欠勤をしたことで、そこをクビになり、アルバイトを転々としながら通学した。高度成長期で、仕事に困ることはなく、しかも夜は勉強できる。嬉しかった。マンモス大学で、教授の講義を聴いていて、時代は自分の味方だと思ったことなどを思い出す。もっと、元気だったような気がするが、これを読むと、孤独であったことは確かで、それも空元気だったかもしれないと思った。

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2007年9月10日 (月)

「文學界」7年10月号「同人雑誌評」担当・松本道介氏

《対象作品》「倩女離魂」高安修蔵、「星の名前」本間真琴(以上「河」140号/東京都)、「白線の上をお歩きください」小澤麻梨子(「法政文芸」3号/東京都)、「真鶴をめぐる随想」松本鶴雄(「修羅」55号/桶川市)、「『晴れた二人の縞模様』私見」山本和子(「とぽす」43号/茨木市)、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二(「江南文学」54号/流山市)、「白鷺」しん・りゅうう(「山形文学」93集/山形市)、「まつりのあと」芦原瑞祥、「残火」阪井智一(以上「カム」創刊号/桜井市)、「逃げるばかり」岡山和男、「編集者・石井立」粂正義(以上「七十代」13号/東京都)、「菜の花ほどの」吉田典子(「森林鉄道」23号/函館市)、「徳田秋声と吉屋信子」森英一(「イミタチオ」47号/金沢市)、「雁渡し」武田民子(「たまゆら」67号/東近江市)、「見返り鹿」秋月ひろ子(「小説家」125号/国分寺市)、「雌花」中島妙子(「安藝文學」75号/広島市)、「蛍の家」榎本武男(「月水金」31号/横浜市)、「馬を見に」田村加寿子(「かいだん」56号/小金井市)、「冬の虹」平沢ゆうこ(「文藝岩手」46号/盛岡市)、「八月のゆくえ」岸田淳子(「ルーチェ」創刊号/四日市市)、「遠い タブー」井筒みき(「茜」23号/横浜市)、「こどもの一分」野上周(「YPSILON」17号/三島市)
ベスト5は、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二、「倩女離魂」高安修蔵、「馬を見に」田村加寿子、「菜の花ほどの」吉田典子、「遠い タブー」井筒みき。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめより)

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2007年9月 6日 (木)

同人誌「奏」14号2007夏(静岡市)

【「春、浅く」小森新】
ドイツ文学の影響を受けた槲木という詩人青年が、若くして交通事故死する。その青年と友情をもって交際していた後輩が、詩人青年の恋人らしき女性に、交流の過程を、手紙にして語るという構成。ちょっと堀辰雄を思わせるような文体で、文学的雰囲気があって、楽しめる。槲木青年の自らの詩才への疑問や、生活と詩精神の齟齬など、いまの人はあまり深く考えないような問題意識を盛り込んであるのが、内容を引き立てている。そして、終章で、槲木青年の交通事故死が、懊悩の末の自死ではないかと思い巡らすとこで終る。ゲーテ、リルケ、カロッサなどが組み込まれているが、ゲーテならゲーテ、リルケならリルケと傾倒するものを限定したほうが良かったのでは、なにを追求して悩んでいたのか、散漫でわからないのが結局、青春文学として作品を甘くしている。
【「芹沢光治良『塩壷』論」勝呂奏】
芹沢光治良については良く知らない。ただ、三木清全集(岩波)に文芸時評をしたのを収録していて、そこで有望な若手作家のなか芹沢の名を挙げていたのを覚えていて、長寿な作家としか頭になかった。この評論を読んで、当時なぜ三木清が取り上げたのかが推察でき、興味深かった。彼の作品専門の読書の会があるのも知らなかった。宗教的色彩の強い作家なのだろうか。
【「森内俊雄『短編歳時記』ノート」勝呂奏】
作品のなかに宗教的な幻視を取り入れる作家という印象のある森内俊雄であるが、俳句に関心があるとは、知らなかった。知らないことばかりで、これも面白かった。
「奏」発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、発行人=勝呂奏。

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2007年9月 5日 (水)

同人誌「安藝文学」第75号(広島市)

【随筆「墓碑銘」望月雅子】
江藤淳「漱石とその時代」、田宮虎彦「愛のかたみ」、原口統三「二十歳のエチュード」、清岡卓行「『海の瞳』-原口統三を求めて」。これらの作者と対象作品を、それぞれの死に方を検証しながら、評論をする。常に師と向き合った姿勢が、緊張感をもって、読ませる。
【随筆「丹下左膳」山本明美】
林不亡の「丹下左膳」の「乾雲坤竜」の巻と「こけ猿」との筆致の違いを、大河内伝次郎の映画との印象を交えて、評論する。懐かしくも、娯楽の中に哀愁のあった時代を思い出す。
【「日本語の空間」(六)文沢隆一】平安時代の竹取物語から、源氏物語、伊勢物語の特長を、わかりやすく例を上げて解説している。まるで大学の授業の教科書かとおもうほど、興味をそそって解説されており、本当に面白く勉強になった。
安藝文学同人会事務局=〒732-0002広島市東区戸坂山根2-10-25.

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2007年8月29日 (水)

同人誌「安藝文学」第75号(広島市)

【「雲の向こうのメメント モリ」梶川洋一郎】
原爆投下された広島で、戦時中に青年将校であった修平と、同じ時代を生きた男たちが、それぞれの過去を抱きながら、町の将棋道場で交流する。将棋会には、それぞれの戦争の過去のトラウマが渦巻き、まさしく戦時中の精神の戦いがそこに再現されている。現在になっても戦争が終っていない老人たちの、運命への怒り、嘆き、悔恨を迫力をもって描く。妻と娘を失って生きてきた修平の怒りと悲嘆に心を打たれた。

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2007年8月25日 (土)

「白雲」第24号・朱夏号(横浜市)(2)

【「くいなのおとずれ~正宗敦夫~(6)」長尾志朗】
正宗敦夫という人は、作家・正宗白鳥の弟らしい。研究者には、貴重な資料になるのかもしれない。
【「少年Mの回想記(14)―肉弾三勇士」穂積実】
太平洋戦争中の軍国主義教育に染まった少年を描く。淡々としているだけに、その時代の雰囲気と、後から考えるイメージの根本的な違いを感じさせる。
【「快男児・喜楽(1)」山本道夫】
神奈川県の溝ノ口に「大山街道ふるさと館」があり、そこで知った林喜楽という人の伝記らしい。多摩川近辺の土地の変化を記しながら、何となく時代小説になってしまう趣向。出だし好調で面白い。

《参考》文芸同人誌「白雲」は、創刊12年。ジャンルを問わず年2回(1月、7月)発行。規定は、会員は原則として毎号2頁の原稿を載せるものとする。一人最大10頁を目安とし、1頁当り3500円の掲載経費を負担する。作品の寄稿がない場合においても分担金として1人3500円を負担する。但し、同人誌「白雲」を5冊分配する。手書き原稿の場合は、規定料金のほかに短詩型1,000円。散文型2000円を加算する。事務局=〒233-0003横浜市港南区港南6-12-21、岡本方「白雲の会」。

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2007年8月24日 (金)

「白雲」第24号(横浜市)(1)

短歌と俳句が多い。しかも、それら詠み手は、いずれも熟達の手練が感じられ、ざっと読み通しても強い印象を残す。

【詩「未青年」中谷江】
ニヒリズムに陥りがちな若き日の苦悩の時代。晩年を迎えて、再び青春時代の苦悩に向かい会おうとする精神を語る。青い虚無と褐色のような虚無のイメージの転換。時代を経た人間の虚無の変質が読めて面白い。

【「銀次郎の日記―高品町の丘の上」青江由紀夫】
銀次郎の1週間の生活は、月曜から木曜日までを、東京文京区の職場に近いワンルームマンションで、金曜から日曜日までは、千葉市若葉区高品町の居宅で過ごしている。都会と千葉駅近くの郊外?との地域の違いを描く身辺雑記。文筆による青雲の志を抱いた銀次郎の遺志を記した墓碑をここに建てることを夢想しているらしい。(まだ、それは早すぎるような気にさせるが……)。何年も前の話だが、作家・伊藤桂一師に小説の批評をしてもらった時に、「まだまだ、努力が足りない」といわれ「いや、わたしも歳のせいか、生活上の仕事で疲れることが多く……」と言い訳をしたところ「なにをいうか、僕に比べたらまだ子供か弟のようなものだ」と叱咤されたものだ。実際に師は、兵役から帰還し、作家として売れるまで編集者などの仕事をしていた。その師も、90歳。しかし、今でも、合評会に一人で現われ、我々と居酒屋や喫茶店で雑談に加わってもらえる。頭脳明晰、驚異的な健在ぶりである。

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2007年8月15日 (水)

「頌」(オード)第27号(東京・武蔵野市)

【「ジェスアルドの音楽」杉本暁】
1613年に亡くなったドン・カルロ・ジェスアルドという作曲家についての評論。自分はまったく知らない作曲家であるが、陰鬱なトーンの作風であるらしい。ちょっと聴いてみたいような気にさせる解説と思い入れが、語られている。作者の心情の理解が深まり、興味が増し、面白く読めた。

【「アレハンドロ・アメナーバル監督作品論」(2)小原優】
映画「アザーズ」(2001年)と「オープン・ユア・アイズ」(1997年)の作品について、その技法や精神が語られている。どちらの作品も見てはいないのだが、映像テクニックの解説が絶妙で、思わず小説の表現技術と比較しながら読んでしまう。創作一般に参考になる普遍性をもっているのが、ひとつの風格となっている。

【「観覧車」森野こと】
弟の僕が兄に遊園地に連れて行ってもらう。兄弟でそこで過ごす様子を弟の視点で描く。なぜか兄弟二人で生活し、弟の面倒は兄が見ているらしい。遊園地で遊ぶ様子を描きながら兄弟の愛情を表現し、かつ兄と弟それぞれの寂しさと孤独が透明感のある描写で表現されている。フランス人画家にヂュフィとかいう画家がいたが、軽快さのなかに寂しさを含む水彩画のような遊園地の描写が魅力的。

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2007年8月11日 (土)

「読書人」07年8月24日号「文芸同人誌評」白川正芳氏・担当

《対象作品》「独り駆けコンサルタントの旅立ち」阪本慶二、「入れ歯」鈴木彰(以上シニア文学」5号)、「パスカルとわたし」平木アイス(「メタセコイア」4号)、「熱き血汐」小倉弘子(「土砂降り」15号)、「吉本隆明の教育論」西垣裕作、西村俊一、室伏志畔、神山睦美(以上「季報唯物論研究」99号)、「はたして小説に『人間』は必要か?」鈴木重生(「カプリチオ」25号)、「小説 斎藤茂吉」小山栄雅著書(檸檬新社)、「全作家短編小説集」(のべる出版)、「十年」玄月(「白鴉」20号)、「馬を見に」岡崎紀美子(「かいだん」56号)、「うたかたの」高橋菊子(「山形文学」93号)。
(「文芸同人誌案内」掲示板より・よこいさんまとめ)

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2007年8月10日 (金)

「文學界」07年9月号「同人雑誌評」担当・勝又浩氏

《対象作品》
講演記録「はたして小説に『人間』は必要か?―あらためてヌーヴォー・ロマンを語る―」鈴木重生、「家族写真」万リー(以上「カプリチオ」25号/東京都)、「ゆるやかなとき」塚越淑行、「海にいく道」山之内朗子(以上「まくた」256号/横浜市)、「その時、女教師は」中田重顕、「渇く大地―河南にて」松嶋節(以上「文宴」107号/松阪市)、「私の妻の名を陸燕(ルウイエン/ルビ)と呼んでください」長瀬ひろ子(「地下水」45号/山形市)、「霧の道」中沢正弘(「層」106号/飯山市)、「月の河原」園田信男、「キリハラ」立石富生、「夢のひと」長井那智子(以上「火山地帯」151号/鹿屋市)、「突堤の虫」吉田典子、「桜月夜」久我留美子(以上「サボテン通り」7号/函館市)、「ほどける幸福」桜井夏実(「文藝砂山」4号/函館市)、「不作為な自己実現」久保利通(「私人」59号/東京都)、「溶ける」岸田淳子、「漂鳥」旭洋子(「海牛」27号/津市)、「気だるい丘」沢野繭(「白鴉」20号/八幡市)、「夢童子」「大太刀」以上・青木倫子(「アンプレヤブル宣言」12号/今治市)、「珈琲館『バチスト』」宇田本次郎、「銀杏」桂城和子(以上「グループ桂」56号/小山市)、「靴下」空(「ちば文学」2号/千葉市)、「ダンケの花火」山本直哉(「文芸誌O」40号/佐久市)、「占い師」堀井清(「文芸中部」75号/東海市)、「消えないキエフ」寺村茂(「こみゅにてい」76号/和光市)、「春、浅く」小森新(「奏」14号/静岡市)、「じょうこじさん」崎村裕(「構想」42号/東御市)、「なすび」水口寿美(「樹林」509号/大阪市)、「侵入者」森静泉(「狼」50号/高崎市)、「スノーストーム」有芳凛、「イサ」猿渡由美子(以上「じゅん文学」52号/名古屋市)。
ベスト5=「ほどける幸福」桜井夏実、「家族写真」万リー、「夢童子」青木倫子、「突堤の虫」吉田典子、「ゆるやかなとき」塚越淑行。(「文芸同人誌案内掲示板」より、よこいさんまとめ)。

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2007年8月 7日 (火)

「文―BUN-」第5号・立命館大学文芸創作同好会(2)

【「抽斗」青菜月】
トタン屋根のアパートに住む母と娘。マンションに住みたいと、やりくりして頭金のお金を貯めたいと努力する。しかし、公団マンションの抽選に外れてしまう。しかたなく、ふと日常生活的には、不相応な高級菓子を買ってしまう。するとこれが得もいわれず美味しい。それ以来、病み付き煮になり、引き出しからは、買いためた高級菓子のよい香が漂うようになる。生活の一点豪華主義になる。

ここには、作品にふさわしい文体がある。同じ内容を、同人雑誌によくある身辺雑記風にしたら、これほどよい出来には成らないと思わせる。何をどのように表現するかをよく考え、創作精神にあふれた作品になっていて、読んで楽しい。

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2007年8月 6日 (月)

図書新聞07年8月11日付「同人誌時評」たかとう匡子筆

《対象作品》「時評39」池田實(「ポエームTAMA」39/日野市)、「忘年記―ざぼんとみかん もしくは白秋と中也」成田昭男(「VAVばぶ」11号/日進市)、「中也のいる風景10」瀧彰太郎(「CARAVAN」10/横浜市)、「背負う言葉」岡田晃(「AMAZON」423号/宝塚市)、「右巻き 左巻き」彼末れい子(「多島海」Vol.11/神戸市)、「ねじれの位置的俳句」上森敦代(「quatre」No.25/大阪市)、秋山基夫(「ペーパー」創刊号/岡山市)、「『三島由紀夫事件』控え帳」北原洋一郎(「淡路島文学」創刊号/洲本市。(文芸同人誌案内掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年8月 1日 (水)

「文―BUN-」第5号・立命館大学文芸創作同好会(1)

【「月の裏側」杉山研】
僻地探索官が月に赴任し、月の住民との交流を描く。SF小説らしい。月の住民との交流を描くといっても、結局お互いに交流できないまま、終わっている。コミュニケーション不能の関係を描いたものらしい。月の人は親子断絶、ひきこもり、社会関係の作り方の巧くない人間的特性を表現したようにも読める。もうすこし想像力を働かせた部分が欲しかった。地球上の隣の家人のように描く月の人々への表現が、なんとなくユーモラスに思えた。
【「プラタナス」木林黒白】
厚志という大学生らしき若者の視点を通して、内向した情念を描く。子供の頃、天道虫を殺した記憶から、現在のバッタを集めて分解してしまう情念を中心に、好意を寄せる女性と友人とが親密になってゆくのをただ傍観するしかない厚志の、波打つ心理をからめて、暗い情念をイメージ化したもの。バッタの分解に執心するところも迫力がある。荒削りで、書き足りないところはあるが、狙った獲物に矢を射ている感じがする。プラタナスの葉が手のように思えるイメージは、それ自体は連想を呼び良いのだが、厚志の内面と外部世界との関係付けの面で、やや散漫な感じがする。
【「テンダー・ブラック」高村綾】
 小説を読むのが好きな若い女性カナエが、コーヒーショップで読書をしていると、同じ本を読んでいる婦人がいることに気付く。謎の貴婦人と店長を巻き込んで、文学好きだけがわかる作家と、ドストエフスキーのラスコリニコフやゲーテだったか「若きウェルテルの悩み」など作家がが生み出した主人公を、題材に挟みながら、物語が進行する。素朴なつくりの同人誌に似合わないスマートな内容とセンスが発揮され、面白く読んだ。

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2007年7月29日 (日)

「文学街」第238号(東京)作品紹介(2)

【「本卦還り」白石すみほ】
60歳を過ぎた女性が、高校生時代の同窓会に出席する。一度目の同窓会には、青春時代に主人公から彼氏を奪った女性が、派手な生活の様子を見せびらかすように、示威行動的な言動で、出席者の目を奪ったものだった。この彼女こそが、当時一度は愛を交わしたことのある主人公の恋人、中村勘太郎を奪い「もう、あたしのものだから」と宣言した女だったのだ。今年はしかし、彼女は同窓会に姿を見せなかった。すると、かつて主人公を裏切った勘太郎が接近してくる。そして青春時代の情を交わすところで終わる。黄昏に入る前に奇妙な明るい時間を思わせる。洗練されたところのある巧い作品である。
【「娘のつぶやき」古倉節子】
童話。娘からみた家庭での父親の振る舞いに感じる違和感を、ユーモラスに描く。父親をただ批判的に描くことなく、家庭的な温かさのなかに、表現してるのがおおらかで、面白い。

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2007年7月25日 (水)

「文学街」第238号(東京)作品紹介(1)

【「神風特別攻撃隊と太平洋戦争」吉岡昌昭】
 非常に優れた評論である。自分が、これまで読んできた同人誌に掲載された太平洋戦争論という観点からすると、これほど優れた視点のものを読んだことがない。日本では大東亜戦争といっていたが、太平洋戦争が一般的になりつつある。この戦争の始まりから、終わりまでの経過を書いたもの。
作者は、この戦争が、外交交渉や指導者の適切な判断、行動があれば、しなくてもよいものではなかったか?それが、なぜ避けることができなかったのか?の疑問に答を出す方向で、経過を観察、見つめている。
軍神扱いされている山本五十六への視線も冷静である。共感できる。
戦争に関するものは、これまで感情的になったり、反省したり、さまざまな視点で描かれているが、この評論のように何故起きたのか? どうすれば戦争というものが防げるのか、という問題意識から描かれたものはそう多くない。
 日本人の国民性なのか、それとも人間性なのかわからないが、とにかく軍部、官僚にすべてを委ねてしまう国民意識の特徴を鋭く指摘している。

 これを読んで、近年の経験を思い出した。ある年の仕事帰りのある夜、街に人影が少なく、いつもより奇妙に静かであった。マンションや家々の窓には明かりがついていて、時々、それらの窓から歓声が聞こえる。家に帰って見ると、自分の家の者までが、テレビ画面に見入っている。
サッカーのワールドカップの日本チームの試合の日だった。新聞もテレビも、それが人生のすべてであるかのように煽りたてると、まるでそれを望むように乗ってしまう人々に、ある不気味さを感じた。情報操作に抵抗するどころが、待ち受けているその心理が、戦争でもなんでも、勢いで走らせてしまうのではないかと、いやな気がしたのだった。

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2007年7月23日 (月)

全国同人雑誌振興会を作家集団「塊」KAIが設立

雑誌「文芸思潮」を発行するアジア文化社(作家集団「塊」KAI)は、このほど
全国同人雑誌振興会を設立し、全国同人雑誌最優秀賞を公募するためのタイトルをと公開選考会参加者を募集している。

すでに今年は「文芸思潮」に転載した作品を含む候補作が決まっている。古澤崇「どこかでなくした左の世界」(「じゅん文学」45号)、高下俊哉「壷中美人」(「空飛ぶ鯨」6号、宮崎真弓「乙女通り」(「いかなご」2号)、水木怜「エスプレッソが冷めたら」(「照葉樹」2号)、名村和美「ばら屋敷」(「海牛」26号)、本城確「両手にありがとう」(「相模文芸」14号)がノミネートされている。

選考日は、「文芸思潮」夏期文芸合宿として、8月18日(土)・19日(日)。奥多摩御岳山「憩山荘」で、文芸評論家・勝又浩氏の「中島敦の文学」の講演と同時開催する予定。

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2007年7月22日 (日)

「文学街」第238号(東京)作品紹介(2)

【「本卦還り」白石すみほ】
60歳を過ぎた女性が、高校生時代の同窓会に出席する。一度目の同窓会には、青春時代に主人公から彼氏を奪った女性が、派手な生活の様子を見せびらかすように、示威行動的な言動で、出席者の目を奪ったものだった。この彼女こそが、当時一度は愛を交わしたことのある主人公の恋人、中村勘太郎を奪い「もう、あたしのものだから」と宣言した女だったのだ。今年はしかし、彼女は同窓会に姿を見せなかった。すると、かつて主人公を裏切った勘太郎が接近してくる。そして青春時代の情を交わすところで終わる。黄昏に入る前の奇妙な明るい時間帯を思わせる。洗練されたところのある巧い作品である。

【「娘のつぶやき」古倉節子】
童話。娘からみた家庭での父親の振る舞いに感じる違和感を、ユーモラスに描く。父親をただ批判的に描くことなく、家庭的な温かさのなかに、表現してるのがおおらかで、面白い。

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2007年7月14日 (土)

「かいだん」第56号(東京・小金井市)作品紹介(2)

【「老いの花篭」高山柳】
 老いると転びやすい。作者が路上や散歩でよく転ぶようになったことから、嫁が介護予防運動していることから、その経験をレポートを作成し、手を入れてあげたりする出来事が描かれる。筆捌きが巧い。
【「雑踏の中で」高山柳】
 駅の切符販売機の前で、知らない老人から、電車賃をくれないかと、せびられる。東京では、よくこういう電車賃を見知らぬ人に無心する人々が増えた。結局、作者は応じて金を上げる。この時の作者の心理が描かれている。短いが、この作品の方が文芸的に仕上がっている。

【「馬を見に」田村加寿子】
60代の作者が、ネットで「ばんえい競馬」情報をみたのをきっかけに、少女時代に母親が、主人公を連れ子に結婚。相手の義父も子がいた。その生活のなかで、家に農耕馬がいたので、就職したさきの仕事仲間が馬を見たがり、訪問してくる。そのときに、これまで自分の子供だけを可愛がり、素っ気ない態度をしていた義父が、彼女の上役や同僚を感じよくもてなしてくれる。作中に「それは、芙由子の若かった時代の、そして幸せとも不幸とも断言できない狭間での馬めぐる話だった」とある、そのままの作品である。複雑な家族関係に挟まれて、心に滞る微妙な心理を見事に描く。簡単に書いたように読めるが、筆力は相当なものがある。

【「鰻とマスカット」石川久仁子】
老いた昌江が、過去の時間を再体験するため、住んでいた熱海を訪ねて、過去の風景と現在までの変遷を語る。危うい筆さばきのように召せて、短編「失われた時を求めて」風にまとめる。

 どの作品も老人の話で、まさに老人雑誌。若者には異境の世界ばかりであろう。これを紹介する僕もまた老人の部類に入る。だから読み通せるのかも知れない。でも、この同人のみなさん、表現の筆力はたしか。

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2007年7月13日 (金)

「かいだん」第56号(東京・小金井市)作品紹介(1)

【「看護日誌」仁井繁】
 長年連れ添った妻の病気看護から死するまでの記録。妻であり母である一人の市民の死が、その無念と悲嘆がずしりとした重みを持って伝わってくる。私の記録でありながら、人間すべてに普遍性をもつ作品。

【「ワン公の死」仁井繁】
 妻の死を追うように死んでいった犬。死を軸に生ることの価値を意味づけている。死に普通に向き合うことで、同人誌ならではの文芸味が発揮されている。

【「少年」孟七三】
昭和初めの頃の瀬戸内の島の学校の記憶と、東京生活と戦争での空襲の話。個人の中の大いなる記憶である。壺井栄だったか「24の瞳」の舞台のイメージがある。

【「漢江」田川肇】
戦前、朝鮮半島で過ごした作者の郷愁の記憶。川で洗濯していた主婦が、落ちておぼれる描写が光る。何気ない生活のなかに死が潜んでいるこの世界を感じさせ、生きていることの貴重さを思わせる。

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2007年7月 8日 (日)

「文學界」2007年8月号「同人雑誌評」勝又浩筆

[《対象作品》「震洋の夏」結城忍(「高知文学」33号/高知市)、「異郷」藤野秀樹、「茶の間の柱時計」難波田節子(以上「季刊 遠近」31号/東京都)、「異邦人」松本文世(「南風」21号/福岡市)、「過日」上坂高生、「夕陽」昆道子(以上「碑」88号/横浜市)、「龍の舌」十河順一郎(「木曜日」23号/東京都)、「北京の日本人たち」松原栄(「南涛文学」22号/浦添市)、「歌のゆくえ」森岡久元、「ナチュラル・メイク」浅田厚美、「雪のふるまち」和田浩明(以上「別冊關學文藝」34号/西宮市)、「空中田園」小暮照(「原点」94号/松山市)、「背負う言葉」岡田晃、「笑顔の天使」氏家ユウタ(以上「AMAZON」423号/宝塚市)、「自在の輪」諸井学、「白墨の滴」大塚高誉(以上「播火」63号/姫路市)、講演記録「小説を書くこと」吉村萬壱、「通天閣に跨がれて」津木林洋(以上「樹林」508号/大阪市)、「お引きずりの男」さこう祥二、「妻の一言」三階幸男(以上「小説図鑑」17号/横浜市)、「手」川野文勝、「優雅なる墓地」深井津音夫(以上「宇佐文学」42号/宇佐市)、「夢の女」庄司肇、「ぎぼしの家」村尾文(以上「文学街」235号/東京都)、「通り雨」遠藤昭己(「海」75号/四日市市)、「溜め池」新村苑子(「文芸驢馬」53号/東京都)、「幻想家族」青海静雄(「午前」81号/福岡市)、「人力車」久保輝巳(「龍舌蘭」170号/宮崎市)、「小さな宇宙」水澤葉子(「ぼんがら」25号/山形市)、「夢幻渓谷」水上ヤスコ(「あべの文学」5号/大阪市)、「ねこと部屋」陶山竜子(「孤帆」11号/小金井市)、「ホットハウス」吉永ケイト(「TEN」81号、名古屋市)、「羽ならし」垂水薫(「照葉樹」3号/久留米市)、「風物(やま)」花村守隆(「季節風」105号/国分寺市)
ベスト5は、「夕陽」昆道子、「通天閣に跨がれて」津木林洋、「異邦人」松本文世、「夢の女」庄司肇、「歌のゆくえ」森岡久元

続いて、
「週刊読書人」2007年7月13日・第2696号「文芸同人誌評」白川正芳筆
《対象作品》「雲の女」池田英之(「佐賀文学」24号)、「銀次郎の日記」青江由紀夫(「山音文学」111号)、「インタビュー 私小説は未来のために ドナルド・キーン」(「私小説研究」8号・法政大学大学院)、「重力のお友だち」よこい隆(「木曜日」23号)、「夜の散歩者」小島義徳(「文芸誌O」40号)、「斎王ものがたり」秋野信子(「多気文学」2号)、「小林秀雄の文学の思想」永田郁夫(「名古屋文学」24号)
(文芸同人雑誌愛案内掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年7月 4日 (水)

図書新聞」07年7月7日「同人誌時評」志村有弘筆

《対象作品》「古本好きの奇癖と悲哀」唐戸民雄(「Pegada」6号/川崎市)、「餓鬼んちょ道長紫模様」吉田弘秋(「名古屋文学」24号/名古屋市)、「鬼が棲む」松岡三夫、「夜の海」葉山修平(以上「だりん」55号/船橋市)、「すすき」吉田洋三、「雑踏の流れ 老いてなお」三村毅(以上「播火」63号/姫路市)、「打ち掛けに寄せて」佳川文之緒、「色と空と」犬飼和雄(以上「CARABAN」10号/横浜市)、「情けないことばかり……」荒木武(「残党」25号/茅ヶ崎市)、「秘密」奥端秀彰(「孤帆」11号/小金井市)、「軍事郵便」赤松宜子(「原点」94号/松山市)、「室生犀星『抒情小曲集』の位置」佐藤伸宏(「詩界」250号/入間郡)、「黄枯茶の味」鈴木地蔵(「文游」26号/飯能市)、短歌・菱山登代子、同・瀧井昭男(以上「歌筵」17輯/横浜市)、三行詩・武田隆子(「りんごの木」15号/目黒区)、「明星の座 淑気堂に満つ」庵達雄、俳句・奈良文夫、同・三野勝(以上「群星」131号/越谷市)、鈴木亨追悼文・小山常子(「東京四季」92号/八王子市)、池田英之追悼特集(「佐賀文学」24号/神埼市)、井上郷追悼特集(「作文」194号/逗子市)《文芸同人誌案内掲示板・よこいさんのまとめ》

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2007年7月 1日 (日)

「構想」42号(長野県)作品紹介(2)

【「同じ森を見ている」藤田愛子】
神奈川県に住む高齢の女性が、同じマンションに住む若者と韓国の俳優尾挨拶のあるロードショーを東京まで見に行く話。若者は県の福祉関係の職場に勤めているので、女性には福祉的な発想があるらしいのだが、女性にはそれが、生活の重要なアクセントになっている。一種の萌え的な情念世界を描いて、それとなく、ものを思わせる作品。

【「叫び」畠山拓】
消防士と女性放火犯との関係を語る。たしか「くまえり」事件とかで、そのような女性が居た。物語にスピード感があり、面白く読めるが、反面、構成と細部に粗さが感じる。

【「『佳』第ⅩⅣ」島田貴美子】
大長編である。「佳」の娘が口蓋裂で生まれきたのを、手術で改善してきたが、思春期を迎え、娘はそれを苦にして悩む。その母親の気持ちを中心に描かれる。持続する筆力に敬意をひょうしたくなるが、文章力にたよって、構成や語り方が平板になっているのが気になった。

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2007年6月28日 (木)

「構想」42号(長野県)作品紹介(1)

【「彼岸独白」岩谷征捷】
作者が、夫の不実に悩ませられるTという女性60代女性について、モデルにして作品を書こうと思っている矢先に、女性は自死してしまう。その女性の死せる魂の独白として、その心境を綴る。怨みの情念を単なる独りの女性だけの問題としてではなく、人間的な普遍的情念になるまで、丁寧に美的に描かれている。社会風潮的には、ありふれた境遇を描きながら、いかにも繊細な筆致で文学の世界が構築されている。
【「じょうこじさん」崎村裕】
信州のお寺の住職さんの境遇と人生が、エピソードを交えて描かれている。普段知ることのない仏教寺と檀家の関係がなんとなくユーモラスに描かれている。浄土真宗なので、禅僧と違って人間的であり、この世界の世渡りのすべなどもリアルである。住職が脳卒中の症状で一度倒れているのに、周囲の人の対応が悪いために死んでしまった。葬儀の時に、身内の者が村人を非難して終る。それが独特の余韻になっている。

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2007年6月21日 (木)

文芸中部」第75号・作品紹介(2)

【随筆「クルターク『カフカ断章』作品二十四」堀井清】
ハンガリーの現代音楽作曲家・クルターク「カフカ断章」二十四という音楽が存在するという。まったく知らなかったので驚きをもって読んだ。しかも筆者は、本格的オーディオ装置を愛好しているらしい。ヘッドホンで聴くことに抵抗し、体のそとから感じる音楽を本物とする確信には、共感するものがあある。また、芥川賞作品「ひとり日和」について、長くて同人誌小説を読むようだ、という感想が面白い。身辺雑事から離れていないところが、そうおもわせるのであろう。
【「占い師」堀井清】
家庭から見放されたか、世捨て人になったような高齢者らしい「私」が、見知らぬ町を彷徨する。妻の運転する自動車の助手席に居たときに、私は横からそのハンドル操作を邪魔して事故を誘発するイメージを抱いた途端に、その気配を察知した妻に、「何を考えているの」と察知されてしまうエピソードがある。また、自殺した友人のことも語られる。とすると、家族の姿も友人も「私」の分身として描かれているようだ。街を彷徨いながら、見知らぬ人々を観察するが、それが自分の分身としての解釈につながるところがある。基本テーマは人の抱える根源的な孤独である。文章がなめらかで、肌触りのよさを感じさせる。

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2007年6月20日 (水)

「文芸中部」第75号・作品紹介(1)

【「電話」福富奈津子】
「私」の父親は早くに亡くなり、母親との二人暮らしの末、母は78歳でなくなっている。母と同い年で、いとこの滝乃さんは、現在97歳で健在である。そのタキノさんから今でも電話がかかってくる。そこからかこの出来事が、すこしずつ語られる。その記憶の掘り起こしのなかで、タキノさんが昔には「私」の父を愛しており、母親がそのことを察知して、交際を続けていたことがわかる。過去の情念の戦いを物語にしたもの。手法が、いわゆる朦朧小説の形式をとっており、中ほどまで読んでも、何が問題なのかわからない。本題を避けるように回り道をして、ある種の雰囲気を形成する。物語の振幅が小さいのだが、微妙なところで読ませる。もっとも、気の短い人には、退屈小説的によめるかもしれない。

【「いきるって」近藤許子】
夫を亡くし、長男をなくし、嫁は縁がなくなったと孫を連れて別居してする。「私」は、長女夫婦のところに身を寄せるが、肩身が狭く、友人の紹介で老人ホームに入ることを考える。実に現代的で浮世の哀しさを感じさせる。

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2007年6月16日 (土)

図書新聞」6月16日号「同人誌時評」福田信夫筆

「鳩沢佐美夫がかかわった同人誌(下)」須貝光夫(「コブタン」19号/札幌市)、「若松町原景――三井取材ノートから」堀江朋子(「文芸復興」117号/船橋市)、「旅人島崎藤村―『桜の実の熟する時』をめぐって」鈴木亮一、「俳句歳々」岡島春枝(以上「季節風」105号/国分寺市)、「島崎藤村『山陰土産』の“益田の大谷君”の日記」村上文昭(個人誌「羽鳥通信」17号/藤沢市)、「富士さんとわたし――手紙を読む(28)」山田稔(「VIKING」676号/伊都郡)、「永瀬清子覚書 補遺2 見えないまなざしの下に」藤原菜穂子、「詩人(リルケ)の妻(9)ビロン館」藤坂信子(以上「アンブロシア」19号/熊本市)、「行人去って息まず――末吉孝州のこと」前野園明良(「酩酊船」27号/宍粟市)、「編集後記」&「タクラマカン砂漠縦断の旅」高橋光子(「群青」70号/武蔵野市)、「蒼の涯(二)」清宮零(「風姿」2号/上尾市)、「私の靖国」乾夏生(「槐」25号/佐倉市)、「斎主ものがたり」秋野信子(「多気文学」2号/多気郡)、「父親の目、祖父の目、男の目」荒川義清(「北陸文学」71号/金沢市)、「編集後記」(「新現代詩」創刊号/逗子市)、村岡空・高野喜久雄追悼、「幻化」紫野京子(以上「貝の火」終刊号(16号)/神戸市)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめより)。

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2007年6月14日 (木)

第20回中部ペンクラブ文学賞候補作品

6月17日に開催される第20回中部ペンクラブ総会(名古屋・つちやホテル)で発表される20回中部ペンクラブ文学賞の候補作は4作となった。安田ちかよ「べっちょない」(津市「あしたば」44号)、遠藤昭己「梨の消息」(いなべ市「海」74号)、宇佐美宏子「不穏な傷跡」(名古屋・「カプリチオ」24号)、桐生久「静香さんの初恋」(西尾市「フロイデ」)。
 なお、総会には、直木賞作家の連城三紀彦氏の講演がある。

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2007年6月10日 (日)

「文芸同人誌評」「週間 読書人」6月15日号=白川正芳氏

(「文芸同人誌案内掲示板・よこいさんまとめ)《対象作品》「書架の中」松永広光(「碑」88号)、「ドラマチック」荒井登喜子(「農民文学」277号、第50回農民文学賞受賞作)、「地球温暖化でどうなるか」杉山恵一(「紅爐草子通信」2号)、「紅爐草子通信」主宰島岡明子著書『蕎麦屋太平記』、「断絶」同人久根淑江著書『アルコールの小曲』、「ねこと部屋」陶山竜子(「孤帆」11号)、「茶の間の柱時計」難波田節子(「季刊 遠近」31号)、「柿食う猫」佐藤史子(「ペガータ」6号)、「長崎・さんた丸や」加茂宗人(「季刊 午前」36号)

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2007年6月 8日 (金)

「文学界」7月号同人雑誌評

(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんのまとめ)毎月恒例、「文學界」「同人雑誌評」です。今月から評者が勝又浩さんです。「日本経済新聞」の記事から書き起こされていました。
《対象作品》「海峡派往来」木村和彦(「海峡派」109号/北九州市)、「波の花心中」小網春美、「転進」内村晋、「かまきりのヤヌス」武田康宏(以上「北陸文学」71号/金沢市)、「空を泳ぐ」望月廣次郎、「春の遁走」北原文雄、「もとの水」島田陽、「編集後記」(以上「淡路島文学」創刊号/洲本市)、「八月十五日」&「編集後記」豊田一郎(個人誌「孤愁」1号/横浜市)、八田翠・福原文子各エッセイ、「戦時下の“松五郎”」八田昂(以上「周炎」37号/北九州市)、竹内和夫著書『幸せな群島―同人雑誌五十年』、「また夏が来て」竹内和夫、「文政六年の花の雲」森岡久元(以上「酩酊船」22号/宍粟市)、「『野上彌生子日記』を読む」稲垣信子、「朱光院」稲垣瑞雄(以上「双鷲」67号/八王子市)、稲垣瑞雄著書『風の匠』、「紫の山」田口佳子(個人誌「翡翠」23号/東久留米市)、「ビオラ館」西田宣子、「極楽荘ばなし」天谷千香子(「季刊午前」36号/福岡市)、「母の乳液」関幸子、「カラスの塒」竹田凪、「お神札」飛田一歩(以上「湧水」36号/東京都)、「それぞれの深紅」遠野明子、「雲のこと」江時久、「私の靖国」乾夏生(以上「槐」25号/佐倉市)、「廃線X」かしま泰(「ぺがさす」8号/神戸市)、「タクラマカン砂漠縦断の旅」高橋光子、「朝の詩(ポエム)」磯貝景美江(以上「群青」70号/武蔵野市)、「吉原に行く」粂正義、「水没の果てに」岡山和男(以上「七十代」12号/東京都)
ベスト5=「それぞれの深紅」遠野明子、「ビオラ館」西田宣子、「廃線X」かしま泰、「母の乳液」関幸子、「紫の山」田口佳子

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2007年5月26日 (土)

「文学界」6月号同人雑誌評・対象作品リスト=大河内昭爾氏筆

(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんのまとめから)2007年上半期同人雑誌優秀作=「電車ともだち」奥野忠昭(「せる」74号)、奨励作=「ひとりきり」鷹宮さより(「雲」3月号)、同「マチコさん」(「野火」23号)
鷹宮さよりさんは、かつて高宮さよりの名で「キャベツハウス」が「季刊 文科」に転載された方です。なお、この他に候補に挙がったのは、「風景―金魚」山口馨(「渤海」53号)でした。
《対象作品》「電車ともだち」奥野忠昭(「せる」74号)、「ひとりきり」鷹宮さより(「雲」3月号)、「幸せな群島」(「VIKING」同人・竹内和夫著作本)、「ヌブーさんの舞踏会」菅原治子、「夏の終わりに」野中麻世、「天・地・人」福島弘子、「ナターシャのために」秋本喜久子、「殺したい相手」淘山竜子(以上「婦人文芸」83・84号創刊五十周年記念特集/東京都)「人間依存症」吉田啓子(「勢陽」19号/伊勢市)、「隣人の影」田ノ上淑子(「原色派」休刊中)、「たそがれの白い山茶花」竹宮よしみ(「アミーゴ」57号/松山市)、「水晶体を繕う」鈴木重生、「雨あがり」類ちゑ子、「眠り子草」刺賀秀子、「帰ってこない夜明け」関谷雄孝(以上「小説家」124号/国分寺市)、「智子」青山伸子、「ほどけばもとの」小川悦子、「『エトランジェ』―佐伯祐三の妻『米子』」稲葉有、「夢見たものは……(2)―立原道造晩景―」小山榮雅、「有楽町で」石毛春人(以上「新現実」18号/東京都)、「春よ、来い」てらしせいたろう、「昭和は遠く」吉村滋(以上「詩と眞實」694号/熊本市)、「田久保君の上京」&「身辺雑記」成清良孝、「墨色の記憶」伊藤文隆、「師・小島信夫のこと」山本孝夫、「秋風来」新原澄江、「文学散歩旅行私記」高杉勲(以上「四人」79号/東京都)、「追悼、宮崎宏」&「業務命令」金田清志、「孵化の条件」宮崎宏、「ダウンライトの追憶」藤野茂樹、「ネオン川」石原憲一、「羽おと」上村理慧、「サンダル」名取二三江(以上「文学横浜」37号/横須賀市)、「繭子」各務麗至(個人誌「戞戞」18号/観音寺市)、「雪庇埋没」杉本増生(「ベルク」100号/町田市)、「遠藤文学のテーマとその独自性」久保田暁一(「滋賀作家」百号記念特集号/大津市)、「犬のゆくさき」むとう都真子、「オウレたちテロは年貢の納めどき」高橋亮、「引退興行」野坂喜美、「フォレストナイト」山中千秋、「今夜の月は、うれしいね」塩見佐恵子(以上「米子文学」51号)、「限界村」小西九嶺、「この世の客」高畠寛(「あるかいど」34号/大阪市)、「天上に立つ前に」秋乃みか(「じゅん文学」51号/名古屋市)、「放浪の町」(「とろっこ」同人・中井眞耶著作本)、「水のざわめき」原木重純(「ドン」60号/国立市)、「傍観者」(「ドン」同人・原木重純著作本)
べスト5は、「電車ともだち」奥野忠昭、「ひとりきり」鷹宮さより、「人間依存症」吉田啓子、「たそがれの白い山茶花」竹宮よしみ、「天・地・人」福島弘子

なお、第24回大阪女性文芸賞「連結コイル」海東セラ、先般ここでも話題になった日経新聞にも触れています。

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2007年5月22日 (火)

照葉樹」第3号(久留米市)作品紹介(3)

【「靄(もや)」水木怜】
気が弱く酒乱の夫に長年連れ添ってきた老妻の美佐子は、夫との荒れた時間を終えると、ひそかにテレビゲームの人生シュミレーションで夜を過ごす。屈辱にまみれた現実の人生のかわりに、意のままに夢を膨らませる事ができるゲームにひたるのである。この設定が、意外でありまた納得させる。そんな生活の中で、ただ1人の友人、松代との交際のなかで、自分が物忘れがひどく、病的段階である事を知らされる。美佐子が、自分が痴呆に入りかけていながら、それを否定する気持ちに切迫感がある。その後、痴呆がすすむ過程が美佐子の視点で描かれる。これも破綻がない。人生のパターンのうちでも底の部分で生きた美佐子の末期までが語れるが、死にかけた美佐子に暴力亭主が心配して声かけるところが、胸を打つ。美佐子のような人生がそれでも、ひとつの立派な人生の形であることを示しているように読めた。
 最近は、情報が発達して、巨大な富を築いた人や贅沢な洒落た生活ぶりがTVや雑誌で紹介される。いわゆる成功者の姿だが、見ていて何かゲームの世界の人のように見える。そして、現実は朝日が昇り、日にあたり、雨に傘をさしぬれた緑を見る。粗末でも飯とお茶があれば人生がすごせるのである。セカンドライフというゲームのネット遊びがあるそうだが、まさにこの小説の美佐子の浸った世界である。そういう意味で、この作品は奥が深い。
「鳴らない電話」では、短いせいか技巧力が目立ったが、これは内容と技巧が伴って、作者の力が充分発揮されている。

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「木曜日」23号(埼玉)作品紹介(3)

【「美しき天然 進めよ乙女」桑島まさき】
2卵性双生児の姉の方の少女時代の記録。清楚で純情を絵に描いたような少女時代がこと細かく日誌的に描かれている。萌えの雰囲気が満ち満ちており、マニアには想像力を掻き立てるかもしれない。作者はそれを計算しているような感じでもある。自己表現的に無菌状態を描きこれから小説がはじまる段階に思える。

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「季刊遠近」第31号(東京)作品紹介(3)

【「流れのままに」逆井三三】上杉謙信なきあとの藩体制維持にからむ歴史小説。藩主・上定勝の家老・長尾忠重は、定勝が亡き後、当時流行っていた、殉死する立場にあった。定勝は藩主として、特別な手腕があったわけでもなく、長尾は好きでもきらいでもなかった、という設定が面白い。世間の視線をおもんばかって腹を切る馬鹿らしさを長尾の視点から描く。いろいろ不満を感じながら、長尾は腹を切って殉死してみせる。見事に腹を切って世間的な喝采を期待する例や、腹を切らずに悪評うける例も示して、面白い読物であった。

《余談》話は飛ぶが、同人誌「季刊遠近」の合評会に、出席させてもらったことがある。6年位前である。ちょうど情報紙「文芸研究月報」を発行して間もない頃で、遠隔地にいる会員から東京の同人誌には、どんなものがあってどんな風にしているのか、知りたいという問い合わせがあった。当時から、「砂」という同人に所属していた。この会は、出入り自由ではあったが、他の同人誌との交流がまったくない会である。そこで、他の同人誌はどうなのか、「季刊文科」に掲載されていた同人誌広告を頼りに出向いていった。そのときに難波田さんと知り合った。他の会員のひとから、同人誌は交換しているから沢山入手できている」と伺い、「サンゾー書評」存在を知ったのである。そうして得た知識を、月報に反映し、連絡先も載せた。そのためかどうかはわからないが、かなり遠隔地の人から入会したいという手紙がきたそうである。

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2007年5月21日 (月)

「季刊遠近」第31号(東京)作品紹介(2)

【「異郷」藤野秀樹】
50代の「わたし」は、広島に在住の80代の両親のことが心配になり、故郷に帰ってみる。すると時代を経た故郷は、すっかり様変わりをして異郷のようになってしまっている。原爆被爆から、再開発建設による時代の変化を身にしみて感じさせる。両親の目を通してみる風景が茫洋としており、過去と現在の周囲の人々が渾然としている。穏やかな筆致で両親がたどってきた時間の中に、我々が失ったものがすべて含まれていること提示する。現代人のもつ喪失感と詠嘆を、散文で表現して行き届いている。
【「恋のいたずら」の木よしみ】故郷にいた、幼友達の尚子が30代の若さで亡くなる。主人公は別の幼馴染が好きだったが、その人はすでに結婚しており、失恋した主人公はいまだに独身である。尚子の葬儀のため帰郷すると、尚子から主人公への恋情を記した手紙を渡される。表現の手法的にみると、作者のテーマに対する表現の動機がそれほど強くなく、さらっと書き上げるつもりだったと思われる。しかし、流れが重い描き方をしたために、作者が疲れてしまって、話を早々と切り上げた節が見られる。意図と手法の食い違いはよくある。

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「照葉樹」第3号(久留米市)作品紹介(2)

【「鳴らない電話」水木怜】
妻子ある男の愛人となった女性の独白体小説。女性特有の側面的な視線を生かしたミステリー風の物語。語りの思い入れに引き込まれて面白く読める。自分勝手な男の言い分が、類型的だが生きている。モテてる男は自分勝手に振舞うところにコツがあるらしい。いまさら勉強しても仕方がないが、そうか、と思わされる。

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2007年5月20日 (日)

「木曜日」23号(埼玉)作品紹介(2)

【「冷たい水」坪倉亜矢】
ホームヘルパーをしている葉子は、仕事が空いたときに、病院への派遣の仕事を引き受ける。そこで、病院で働く人々の知られざる事情と内情を働きながら知る。その仕事が詳しくレポートされる。普通は、患者としての病院を知ることは多いが、働いて支える側のことは一部しかわからない。裏方の仕事の詳細を描きながら文芸作品にしている。働く人々の描写、とくに仕事ぶりと性格をうまく関連させているため、生き生きと表現されているからだ。介護する側から見た患者への感情も、生と死の隙間の挟まった存在感を簡潔に表現している。

同人誌に描かれてきた介護関連作品というものは、6年前に自分が月報で紹介してきた事例からすると、最初のこの題材にふれた小説は、親の残す遺産をめぐる子供達のエゴイズムの物語になっていて、介護の実態は附けたりのような、観念的なものであった。それから1~2年すると、医学的な知識を盛り込んだ介護関連小説の人生回顧的なものに出会うようになった。現象がリアル把握されてくる。実体験により作品化することが多くなったのであろう。そして、この作品では、介護者の分野に題材を広がってきていることが示されている。
引きこもりを題材にした小説もそうだが、社会の現状を把握し小説に表現するには、現実から少し後になってからになるようだ(プロの時流作家とそこが異なる)。社会的な変化を客観的に把握するには、ある時間が必要なのだ。人間の認識力がそういうものだとすると、物事の早い対応には、拙速が付き纏うというリスクを抱えることになるのかもしれない。

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2007年5月19日 (土)

「照葉樹」第3号(久留米市)作品紹介(1)

【「羽ならし」垂水薫】
95歳のおばあさんと暮らす69歳の嫁・文枝が語り手。そこに孫で学校にいけなくなって家にいる玲奈がやってくる。ほかにも孫はいるが、地味な生活をする老人の家にやってくるのは玲奈だけだ。方言、生活の様子、親戚関係のエピソードなどを挟みながら、玲奈が真の肉親愛に触れ、癒され立直る様子を予感させるまでを描く。
「羽ならし」とは、飛び立つ前のことを示すのであろう。実際、動物の脱皮や、鳥の巣立ちは、失敗すれば命を失う一大事件なのである。人間でも生物であるから、別の社会に飛び立つのには大変なエネルギーがいる。それを自覚しない人が増えたようだ。この作品は、不登校の問題を地に足をつけた視点で描く。エピソードの具体的なところもよく、整ったリアルさのが創られている。事実とは限らないが、仕組みに無理がない。人間、中身は甘えんぼ精神が巣食っている。甘い姿勢も必要だと思わせる。最終章には感動して涙が出そうになった。年のせいか。

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「木曜日」23号(埼玉)作品紹介(1)

【「犬猫メディアリーク」北川佑】
67歳の幻太郎は、まだ高校の非常勤講師をしなければ生活ができない。学校では生徒からも教師からもポンコツ扱いである。猫を飼っているが、この猫が人の意識というか脳細胞にはいって、幻太郎と人間的な会話をすることができる。その脳内世界には、教養のある女性なども進入できる余地があって、猫に媒介された幻太郎はそこでめぐり合ったある女性と気が合い、精神的交流を深めることができた。しかし、その精神的な親愛を肉体の交流でさらに高めるということが出来ない。しかし、彼女の能力支援によって、幻太郎は授業能力が向上し、存在が認められるようになる。面白いとろが多い。とくに、授業風景や脳内デートなど風刺的意味も籠められて興味をそそる。つながりのわるさが見られ、断片的に感じられるところもある。

【「龍の舌」十河順一郎】
1960年代、安保闘争の学生運動で騒然としていた時期の物語。まず、「俺」という主人公がニヒリストであることを語り、田舎から大学の寮生活に入って、全学連らしい活動組織に巻き込まれる。同宿人の鈴木という学生と知り合い、鈴木には、血筋では従姉でありながら、弟姉という関係の女性がいて、好きだったことがある。その後、俺は彼女と出会う。章ごとにタイトルがあって「ミニと脚」「ペシミスト」「火の記憶」「いなかもの」「寮」「娼婦」「追放」などというように、構成がきちんと考えられている。「龍の舌」というのは、主人公が天空に観る幻影のことで、これが物語全体に振りかけたスパイスの役目をしている。作風はハードボイルドミステリーのスタイルで、犯罪も出てくる。話も面白く、テンポよく読ませる力作である。純文学というより、人間存在の闇を描いた密度の高い秀作読み物という感じ。米国ホレス・マッコイの名作「廃馬を撃て」の日本版に匹敵する出来上がり。60年代の学生運動を背景にしては、自分も作品を書いたことがあるが、較べるとこの作品の方が大人びていて巧いと思った。――(関係ないか……。)

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「季刊遠近」第31号(東京)作品紹介(1)

【「茶の間の柱時計」難波田節子】
小学校の校長を退職してから25年、85歳の為吉。主人公「芳子」は嫁で夫と共に暮らす。為吉は、耳が遠く、痴呆になるのを警戒して暮らす。姑はすでに亡くなっている。そこに夫の姉の亭主が泊まりに来る。医師をしているので学会の集まりで上京してきた。癖の9ある男で、芳子は苦手にしている。夫はいつも夜が遅い。早く帰るように頼んでも、自分も義兄は苦手だと芳子を助ける気配がない。泊まりにやってきた義兄と舅のやり取りを描く。一日内をそれぞれの人物像を手際よく浮き彫りにさせていて、一幕物家庭劇を観るようである。表現がおだやかで優しく、そのなかに皮肉の聞いた視線で市民生活の現状を観ているところが味わいどころ。

【「故郷物語よりー穴」木野和子】
元判事の隠居老人と妻が大きな屋敷に住んでいる。使用人の老夫婦がいたが、息子に引き取られてしまい、その後釜に70歳の坂田トヨノと40歳になる知恵遅れの娘、小百合がやってきて、主人様夫妻の面倒を見ることになる。痴呆症の元判事の妻は亡くなる。そのご小百合のお腹が膨らんできて、元判事が小百合を妻にしたいと申し出る。こうした経緯を昔物語風に描く。刺激的な題材の割には、和風菓子の風味のような味わいがある短編。メリハリがあって、作中世界に引き込む力があり、面白く読んだ。

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2007年5月15日 (火)

「孤帆」11号(小金井市)作品紹介

【「眠れぬ夜のためのゾンバノール~癒しのゾンビ映画ガイド~」塚田遼+奥端秀彰】
ゾンビ映画の解説であるが、実に面白い。語り口もなめらかで、諧謔性に満ち、この種の映画の面白く見る方法を教えてくれる。映画会社から賞をもらえるのではないと思うほどの名編のような気がする。読まないと損をするかもしれない。
【「ある夢想家の手記」沢村芳樹】
Aという人間の自己の性格と意思と自己存在感を思索した短い独白体の小説。根源的な問いは重要なので、テーマとしては重いのだが、Aという人間の思考の癖があり、それを意識的に提示していないので、興味深く読めた。しかし、Aそのものの思弁に深みが足りない。たとえば「仕事は月並みなデスクワークをやってきた」と表現するが、そういうデスクワークがあるのは驚きだし、「特徴のない人生をたどってきた」という。では、特徴のある人生ってどんなであると、そうなのか、とか、浮いた思考法が面白い。存在することの意味性の獲得ができないことの独白であろうが、物事は意味性もったり喪失したりすることの反復であるから、永遠に意味のあるものを探すのは簡単ではない。
【「ねこと部屋」淘山竜子】
休息のために仕事を辞めている智子という女性が主人公で、公園で拾った猫を獣医に見せたら、引き取る破目になり、引越しまで考える。その話の間に隆明という彼氏との別れを決意することなどが盛り込まれている。らくらくと、自由に、暢気に暮らせる若い女性の生活の一風景が丹念描かれている。女性に越えるべき山も峠もないため、小説もとくにヤマ場もなく、猫の心配をして過ごす。そういう時代なのだという雰囲気を提示している。この表現が、意味を持つときがあれば、意味を持ち、意味を持たない時期には埋もれて、見出してくれる時期を待つ作風に読める。短編ではあるが、かなり枚数を使って空気を伝えている。雰囲気小説というジャンルに入るかもしれない。この作者は「婦人文芸」にも作品を発表し、大河内昭爾氏に、意味がよく理解できないという趣旨の評をされていた。解らなくとも必要とあれば推察しようと思えばできるのであって、これは表現する雰囲気に興味がないという意味に受け取れる。興味を持つ読者に出会うまで待つか、興味を持たせるように表現するかの問題ではないだろうか。

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2007年5月14日 (月)

「季刊遠近」第31号(東京)作品紹介(2)

【「異郷」藤野秀樹】
50代の「わたし」は、広島に在住の80代の両親のことが心配になり、故郷に帰ってみる。すると時代を経た故郷は、すっかり様変わりをして異郷のようになってしまっている。原爆被爆から、再開発建設による時代の変化を身にしみて感じさせる。両親の目を通してみる風景が茫洋としており、過去と現在の周囲の人々が渾然としている。穏やかな筆致で両親がたどってきた時間の中に、我々が失ったものがすべて含まれていること提示する。現代人のもつ喪失感と詠嘆を、散文で表現して行き届いている。
【「恋のいたずら」の木よしみ】故郷にいた、幼友達の尚子が30代の若さで亡くなる。主人公は別の幼馴染が好きだったが、その人はすでに結婚しており、失恋した主人公はいまだに独身である。尚子の葬儀のため帰郷すると、尚子から主人公への恋情を記した手紙を渡される。表現の手法的にみると、作者のテーマに対する表現の動機がそれほど強くなく、さらっと書き上げるつもりだったと思われる。しかし、流れが重い描き方をしたために、作者が疲れてしまって、話を早々と切り上げた節が見られる。意図と手法の食い違いはよくある。

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2007年5月12日 (土)

「淡路島文学」創刊号作品紹介(2)

【「春の遁走」北原文雄】
庄一は、農家の息子だが、サラリーマンをして、定年退職している。農業をはじめてはいるものの、本格的な耕作から遠ざかっているのと、性格なのかもうひとつ、やる気が出ない。草刈機を使っていると、細長いくねくねしたものがいるので、すっかりおびえて気分を悪くしてしまう。蛇を蛇といわずに、その生物への嫌悪とこだわりを表現している。ユーモアのなかに悲鳴のような心情を盛り込んで、表現を集中させた凝った作品である。このように表現することで、近隣地域関係の濃密な交流を暗示するのか。では、この細長くくねくねとする軟体はなんであるのか? それは「農の遊び人」と評される生活者の異邦人的精神の持ち主でないとわからない「あるもの」であることなのであろうか。
【「もとの水―成山花橋『西遊日記』戯注の試み」島田陽】
 阪神神戸大震災では、淡路島は直撃をうけ、その断層が保存されているのをTVニュースで見たことがある。そこにある古家が筆者の実家であるという。棟札には「文政三庚辰夏五月四日上棟」とあるという。文化財である。最近の台風被害を検証するなかで、成山花橋の日誌の資料を仔細に読み取っていく。そのなかで、仙崖の賛から「島原大変」の様子など、貴重で興味深い当時の様子をアナログ的な味のある筆致で追求をしてゆく。筆者はロシア文学の専門家であるのだろうか、ゴーゴリの「死せる魂」や「現代の英雄」のレールモントフの登場などもある。ぼんやり読み始めて、読み進むうちに目が覚めた。連載である。
「『三島由紀夫事件』控え帳」北原洋一郎」
1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊拠点に入り演説の後に割腹自殺した事件について、36年後の今、その内情を振り返る。川端康成との交流も指摘している。川端も自死しており、不思議な因縁をあらためて考えさせる。もうはや自衛隊駐屯地も再開発され、痕跡もない。同時に、自己の存在を自意識で装飾する文学も遠いものとなってきてるようだ。
【「往時片々―昭和二十二年暮れとわたし」三根一乗】
筆者の父が、新聞「淡路タイムス」にコラムを執筆していた。そのなかで、食糧営団の配給体制の不備を指摘、活動の民営化を主張、食料営団不要論を述べた。すると、連合軍最高司令部民間検閲出版演芸放送検閲局昭和二十二年十一月十八日民間検閲部出版演芸放送検閲局検閲官から出頭命令を受ける。マッカーサー司令部の指令に依る日本出版法第2条に違反するのだという。その部分とは、
三、該箇所は次の箇所にありたり こうりゃん配給と食糧営団「我々は今更らしく敗戦国日本の憲法など当てにはしない……来たらん日には吾人は吾人自らの力に於いて……巻き起こされるであろう一大旋風下に於いて団結し、以って解決の道を拓かねばならぬ」。
 筆者はこのとき、大阪に行く父親について行かされたが、話がついて戻ってきた時は、上機嫌だったという。その後、食糧流通に関する法改正があったことから、筆者は、父の主張が正しく評価されたされたことを伺い知るのである。
 新聞の編集権について、昭和二十一年五月十九日に起きた「食糧メーデー」対して、同年五月二十に出されたマッカーサー司令部の声明を徳富蘇峰著「終戦後日記Ⅱ」(講談社)から引用するとして、次の様な趣旨の一文を紹介している。
「米国においては新聞の編集方針は社長、編集局長を中心とする協議会によって決定され、編集局長の責任はいかなる理由の下においてもこれを回避することは許されず、これはそのまま編集局長の権利である。……しかしここに区別すべきは、記事の報道と署名に意見の表明との相違である。個人の権利は公論にまたずして侵害さるべきではない……」
署名記事は執筆した本人に責任があり、その編集者は及ばないというもの。
したがって、筆者の父が検閲にかかっても、淡路タイムスという新聞は継続されたのであろう、としている。

編集者と著作者の責任問題は、微妙なものがある。

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2007年5月 8日 (火)

「淡路島文学」07年4月創刊号の作品

農民文学賞作家の北原文雄氏が中心となって淡路島文学同人会(〒656-0016兵庫県州本市下内膳272-2)を結成し、創刊号を発行した。「わたしたちは淡路島文芸を応援します」というメッセージ広告が、ホテル・ニューアワジ木下圭子女将、クラモト皮膚科院長、淡路信用金庫理事長、仲野耳鼻咽喉科院長、富賀見周彦税理士事務所長、溝上眼科院長の連名であり、頼もしいところがある。淡路島に地縁のある人の同人参加を呼びかけている。年会費5千円。
【「空を泳ぐ」望月廣次郎】
若いお坊さんの性的な夢想や現実的な女性関係をストーリー化したもの。牧歌的、素朴な味がある。坊さんが極楽浄土などを信じていないまま、法事で経を上げる現実。僧籍と女性の関係など、テーマと提示しながらそれにこだわる様子がなく、ストーリーになっているが、読み物から出ないで終っている。
【「それは空からきた」宇津木洋】
断片的なものや小説的なものなど自由に書いた散文と思いきや、現実から遊離した意識をとらえたり、会社勤務で出会った女性への不思議な親愛な感覚をとらえている。ひとことでは言うに言われぬ感覚を意識化しているところが作品として読みどころを持っている。特に、最終章の「見るという単純な行為」は、哲学的な手法というには大げさだが、見ることを題材に文の芸にしているところが面白い。
(つづく)

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2007年5月 6日 (日)

「図書新聞」07年5月5日「同人誌時評」たかとう匡子氏筆

対象作品=「装置としての詩空間(二十五)―文語体という詩想美亦は漂白の位相」溝口章(「青い花」56号/東村山市)、「『テエベス百門』の夕映え三十」岡井隆(「未來」662/中野区)、「骨を噛む女」西向聡(「法螺」56/交野市)、「熊殺しの旅路」中島隆(「雑記囃子」4号/伊丹市)、「お墓の裏へ」兼多遥(「季刊 作家」61号/豊田市)、「SOOHA」創刊号(横浜市)、「雑踏のショール」山本楡美子(「ぶりぜ」創刊号/武蔵野市)=(同人誌「木曜日」のよこいさんまとめによる)

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2007年5月 3日 (木)

「婦人文芸」50周年の集いを開催(3)

 「婦人文芸」創刊50周年記念の集い!自立の精神が支えた同人誌 (上)
「婦人文芸」創刊50周年記念の集い!(下)
 今回の記念パーティでは、「婦人文芸」といえども、まだ仲間内のもたれあい、甘えのようなものがあるーーという話が出た。そういう面があるかもしれない。が、自分の立場、存在を理解して欲しいという作者の自己表現を主体として、売れる雑誌などはない。売るためでなく書かれた作品が、売れるような作品の体裁をしていないからといって、甘いとするのはどうなのであろう。
 これを歴史的に後に読むことしてみよう。すると身近な自己表現的小説は、貴重な時代の記録である。現在売れている面白おかしいヒット本は、情報の海に埋没する可能性もでてくるのである。
 売れなくなれば、文芸商業誌はなくなるが、同人誌で自己存在を確認したい人々は増えても減ることはないであろう。同時に、社会に無関心な人々も増え、説得力をもって語るに難しい時代に入っている。視点を変えてみることも必要に思う。

婦人文芸HP

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2007年4月30日 (月)

婦人文芸」50周年の集いを開催(2)

 同人誌というと、なにかアマチュアか、修業中のイメージがあるが、「婦人文芸」の会員の面々は、プロになっている人もいるし、他の会員もプロに比べ何か遜色があるという程の差異があるわけでない。ただ、売れているかいないか、だけの違いである。私は雑誌「婦人文芸」や「農民文学」、「文芸中部」などは、市販の文芸雑誌と同じ感覚で読んでいる。かえって商業文芸誌にない個性があって、作者の自己表現の手段として、身近な作風に徹底しており、こういう主張は商業誌では、逆立ちしてもできない。たしかに、自己表現専門では、売れない。自己表現から離れることで、たくさん売れる。商業誌は自己表現から離れたところで勝負する。(つづく)

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2007年4月29日 (日)

「婦人文芸」50周年の集いを開催(1)

同人雑誌「婦人文芸」の50周年を記念した集いが、池袋の会場で開催された。同誌は、戦前の婦人平和運動とも関係をつなぐ、文芸同人誌の名門のひとつである。ゲストに、文芸評論家の大河内昭爾、白川正芳、菊田均、全作家の豊田一郎、児童文学研究家の上笙一郎、遊技ジャーナル編集長久保田光博の各氏が参加した。

 胃の切除をしたという大河内氏は、体重が減ったとしながらもお元気そうなので、安心した。お顔の血色も良い。帰りのエレベーターのなかで、その印象をお伝えしたら「いや、まだ、よろけるんだよ。剣道の○段だったのにね」といささか残念そうであった。

 白川氏が週刊「読書人」で同人雑誌評をされているのは大河内氏の後を引き継いだもので、あったという。国学院大学講師をしておられる白川正芳氏とは、葉書などの交流はあったが、何年ぶりかで再会。囲碁の著書が英訳されるという話を伺った。世界に囲碁ファンが増えれば、日本よりも世界で有名になる人であろう。氏の著作に次のようなものがある。「埴谷雄高との対話」(慶応義塾大学出版会)。「埴谷雄高の肖像」(慶応義塾大学出版会)。「囲碁の源流を訪ねて」(日本棋院)。(つづく)

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2007年4月20日 (金)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(4)

【「許容もできない」常島智央】
17歳の高校生活状況を描く。「俺」という1人称形式であるが、日記やメモのように感じさせるところがあり、説明不足のところがあるのか、世代の違いなのか不明。
【「男の子を好きになったら」(最終回)よりふじゆき】
連載だが、記憶にある。ひとつの愛の形として、情念が表現されており、ひとつの美意識をもってまとめらているので、お話として納得させてくれる。

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2007年4月19日 (木)

「週間 読書人」2007年4月20日「文芸同人誌評」白川正芳氏筆

《対象作品》「がんばれ! ひょろり君」山崎浩一(「奔馬」33号)、「連結コイル」海東セラ(第24回大阪女性文学賞受賞作「鐘」19号)、「文芸批評・吉本隆明」釈恵照(「勢陽」19号」)、「筑後風土記の筑紫の君」山中光一(「青稲」78号)、「ぼやき編集長39年」草野文良(元「日通文学」編集長、私家版)、「伊藤信吉研究」梁瀬和男(「かぶらはん」587号)、「天上に発つ前に」秋之みか(「じゅん文学」51号)、「自薦短編小説集」村尾文(「文学街」別冊号)、「空のむこう」田辺博子(「空とぶ鯨」7号)=文芸同人誌案内掲示板・よこいさんのまとめより。

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2007年4月18日 (水)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(3)

【「隣人を愛せよ」高村綾】
「萌え」や「ボーイズラブ」「やおい」の世界のオタク族の私が、井川さんという素敵な人にめぐり合い、どきどきして接近してみるとその人もオタクだった。専門用語に「注」を入れて、あっさり田中康夫を乗り越えているのが面白い。生活のなかに幻想を組み込んで暮らす、というか暮らさざるを得ないというか、若者の現在をうまくイメージ的に表現している。生活的なリアルさがありながら、70%以上を占める諧謔精神が、生きている。
【「眩暈」高村綾】
「僕」の実存的なイメージから生まれた幻想曲。筋はなさそう。自己憎悪。愛されることへの拒否感。白亜の塔への逃走など、イメージを追っていけばかなり理屈がつきそう。「やおい」小説で鍛えたようなエロイ描写力が生かされている。孤独に浮遊する自己喪失的な存在感を表現したかったのか、器用である。存在の希薄感を語りながら、存在感が強く出ているというハチャメチャ感もある。
【「Change」真愉】
いじめの標的になった話から、しばらくすると突然、他の人にいじめが移転し、私はいじめられ役から抜け出せる。いじめられる対象が次々と変わっていくらしい。構成がしっかりしていて、読んで気持ちがいい。形式に敏感な感性をしており、頼もしい。

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2007年4月16日 (月)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(2)

【「窓際の神様」木林黒白】
授業中に迷い猫のいるのに気がつく。周りの学友の描写がすこし面白い。2階の教室から眺めていると神の視点で考えたり見たりする。自己の存在から人間存在の些少ぶりなど、短い中に凝縮した思考が盛り込まれている。携帯のニュースを読むと、「北が核の発射準備」とある。絶望する。
【「生ける自殺者」木林黒白】
誰かが自殺する。自殺者がでるとマスコミが騒ぎ立てる。その後、自殺者が亡霊となって、語り手と会話、討論をする。そして自殺者の世界と語り手の世界が併合合流する。
これまでの作品で感じるのは、現在の社会のどう向き合っていくかという課題について関心が高く、表現の意欲もそこに集っているようだ。とにかく、社会という仕組みは、選ぶことが出来ずに所与存在として、若者たちの前に突き出されている。そこに植木等のスーダラ人生を予測することない。そのなかで悪戦苦闘を予感している精神が伺える。創作をするというので、そういう構えをするのかもしれない、とも思う。

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2007年4月15日 (日)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(1)

【「Fatal Defect」村上哲太郎】
私は、彼女を絞め殺す。逃亡したのち、ホームレス集団に紛れ込む。そこで、私の犯行を知ったホームレスの老人が懺悔をしつこく勧める。そこで老人も殺す。そのあと私は母親おも殺していることを読者に知らしめる。そして、自死を暗示して終る。死体が4つの話。新聞記事をコラージュしたような作品である。新聞記事と異なって文芸的なのは、老人が神をもちだすあたりであろう。現代の多量な情報が作品を生み出したといえそう。ニュースへの感受性が表現になっている。エネルギーがでている。ただ、現代の事件報道は、同じネタを幾度も大げさにして伝える。増幅作用が激しいことは事実。事件性で言えば、横溝正史の「八つ墓村」は、何十人という村人が殺された実際の事件がモデルになっているという話しを耳にしたことがある。今なら大騒ぎであろう。ただ、当時、情報量が少なかった。

【「その道中」柴崎塔人】
これは、事件性がまったくない。新幹線の座席に座って、その現象についてあれこれ思いをめぐらす。人によって生まれる芸術の本質と独立性、偶発性を論じる。受験目標と結果への見解をのべるあたり、学生らしい視点がある。要するに座席にすわったまま、これらを材料にこれだけ描くのは、結構むずかしいものがあるのに、よく話を展開しきっている。

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2007年4月10日 (火)

「文學界」7年5月号「同人雑誌評」大河内昭爾氏筆

《対象作品》「ひととき」、「望郷」以上・柳谷郁子、「『鎖国』考」後藤茂、「長男の嫁だから」福本信子、「雁皮の花」三村毅(以上「播火」62号/姫路市)、「今月の窓」、「黒黴」村尾文(以上「文学街」231号/東京都)、「地下足袋」村尾文(「文学街」別冊号234号/東京都)、「夢の地層」原口啓一郎(「文芸東北」490号/仙台市)、「ヒトモドキ」(2)佐佐木邦子、「奇妙な夏」牛島富美二、「私の迫川地図」近江静雄(以上「仙台文学」70号/仙台市)、「レクイエムこもごも」松本鶴雄、「ターマの生活と意見」高テレサ、「生きて死ぬ夢」永杉徹夫、「「夏の雨の日に」冬野良、「西瓜」篠原しのぶ、「同窓会のあと」高橋秀同、「記憶に苦しむ女」野村路子、「晩い夏探し」大桑二郎(以上「修羅」54号/桶川市)、「揺れて」桐山みち代(「河」138号/東京都)、「事件」岬六平(「いぶき」57号/千葉市)、「交換ノート」井上武彦(「文芸中部」74号/東海市)、「関西風列伝」清水信、「人生の終着駅にあって」三宅千代、「時の底で」湯本明子、「虎穴を覗く男」成田哲也(以上「文芸シャトル」58号/名古屋市)、「風景-金魚-」山口馨、「犬のいる光景」上田千之、「走れ、ロシナンテ」佐多玲、「ある夏」むらいはくどう、「長い坂道」市谷博、「幻影」草野茂(以上「渤海」53号/富山市)
ベスト5は、「風景」山口馨、「揺れて」桐山みち代、「黒黴」村尾文、「夢の地層」原口啓一郎、「事件」岬六平
(同人誌「木曜日」よこいさん・まとめによる)

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2007年4月 7日 (土)

「図書新聞」年4月7日「同人誌時評」志村有弘氏担当

「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめによる。
「図書新聞」2007年4月7日「同人誌時評」志村有弘筆です。
「ブルース Blues―杉田久女に逢う旅―」武田久子(「スクランブル」18号/松山市)、「闇の語部」蒲生一三(「文芸中部」74号/東海市)、「あしぎぬ(漢字が出ません)」京あすか(「海峡」18号/今治市)、「兵の夢」田中風、「数寄屋橋公園前の歩道では」、「再会」以上・本所太郎、「ほんとなんです」国松久良雄(以上「杞憂」9号/大田区)、「少年の時代」須田勇(「いぶき」57号/千葉市)、「敗戦記(第二話)」吉田明弘(「ストイケイオン」19号/文京区)、「神田川6―祖母の話」金井節子(「鳥」11号/さいたま市)、「野史」天路悠一郎、「童話の時代―昭和二十一年夏・鷺宮」(以上「花」38号/中野区)、「葉隠れ論語」大西文子(「玲瓏」66号/千葉市)、「占領軍の夜」東賢太郎(「ふぉとん」5号/鎌倉市)、連載「中戸川吉二ノート余話」盛厚三(「北方人」10号/春日部市)、「小野十三郎賞受賞抱負」たかとう匡子(「樹林」505号/大阪市)、「おふくろ競馬」、「おふくろ」以上・乾夏生、「夜のエチュード」仁科理、「鎮魂」増田幸太郎(以上「木偶」67・68号/小金井市)、「正岡子規ノート」笹島正史(個人誌「踏鞴通信」)以下追悼号―たにみちお追悼(「驅動」50号/大田区)、横地妙子追悼(「ナイル」110号/大田区)、滝本明追悼、「灰谷健次郎と木下順二追悼文」日野範之(以上「樹林」505号/大阪市)、岡本恵徳追悼(「駱駝」50号/練馬区)。

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2007年4月 5日 (木)

豊田一郎の「孤愁」1号・作品紹介

【「八月十五日」豊田一郎】
主人公の女性は、両親は空襲で死に、兄は出兵していて戦死する。医師をしながら独身のまままである女性。戦前の日本と敗戦後の日本を眺められる立場から、天皇制をもって国家体制をたもつ日本国の本質と日本人の資質について思索する。硬派の小説である。そのなかで、戦後を通過してたどりついた現在の日本を暗黒時代だとする。主人公を女性にしたところが、ミソのようだ。常に人間を社会の関わりで描く作者の特徴がよく出ていて、自分らには読み応えを感じる作品。すぐ読み終えてしまった。
 同人誌といっても、同人は豊田氏だけで、作品はこの1作だけである。
 作者の豊田一郎氏は、「日通文学」の編集長をしていた。それが休刊となって、独り同人誌を発行したのだという。同人仲間つくっても、その年齢から、責任がもてないので一人同人誌にしたと、後記にある。さまざまな同人誌活動をしてきた経験から、選択したみちであろう。自分もみんなという抽象概念がなじめないほうなので、共感を感じた。

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2007年3月31日 (土)

「婦人文芸」83号作品紹介(4)

【「かげろう」音森れん】
知的な発達が遅れたまま大人になった元治という男。親が暮らしに困らない資産を残していってくれたが、亡き後にその資産を狙ってさまざまな人が現れる。一人の女性と結婚したが、妻に資産を持ち出されても、そうは思わない男。しかし、元治の周囲の人の彼を見る目はあたたかい。ひと昔前は、たしかにそうであった。弱者をいじめる者がいれば、それをたしなめる者の方が多かった。目先の効く抜け目なさを争う社会のなかで、鈍重ではあるが、一途な人間の心を描く。元治は、海難死をした息子に会いに嵐の海に沈んで行く。知恵者は死の恐怖におびえるが、元治の心は動じないようだ。作者の創作精神の進化も読み取れるところがある。
【「たったこれだけかよ」駒井朝】
中越地震の襲われた地域の人の同窓会の集まりの話。年々集る人がいなくなる。「たったこれだけかよ」は、その人数の少なさに発する言葉だが、人生への嘆きにも受取れる。
【「殺したい相手」淘山竜子】
専業主婦から地域で、ホームページ作成のIT事業を起業し社長をする美佳と、それを支援する大学同窓生の亜矢子。地域産業の零細企業の実態を背景に描き、商工会議所の富永という男が、亜矢子にセクハラ的行為をする話に重点が移る。ビジネス的には、富永を必要とすると考える亜矢子は、富永の行為を黙認する。しかし、富永の亜矢子に対する行為が、盗撮写真で暴露され、富永は社会的信用を失う。このようにストーリーを述べてもあまり意味をもたないのような、純文学的表現の技能的面白さが随所に感じられる。まぎれもなく現代のある種の平和のなかの精神的不協和が、描かれている。

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「婦人文芸」83号作品紹介(3)

【「天・地・人」福島弘子】小学生時代に、西風(ならい)という男子生徒がいたという。私は海辺育ちなので、西風(ならい)、東風(こち)は日常用語であった。しかし、「ならい」という苗字の存在は知らなかった。その男子は俳句が得意であったが、お寺の家であったにもかかわらず、20歳ごろ自死してしまった話。もう一人の男子学生も絡んだエピソードがあるが、この西風(ならい)君の活躍していながらも、どこか運命的に影の薄いところを描いて、味わいがあるし、何故自死したかを忖度させるところに、深みが出ている。

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2007年3月28日 (水)

「婦人文芸」83号作品紹介(2)

【「ヌブーさんの舞踏会」菅原治子】
1950年代のフランス留学時代の話。前号の82号で「屋根裏の少女」では、洋裁学校での朝鮮人の学友とのエピソードを述べている。小味な短編であった。今回は、フランス人の舞踏会に和服姿で出席し、ただひたすら時間の経つのを願って、次々と変わるパートーナーとダンスをする話。こいうのは、社会生活への訓練にもなっているのか、気疲れのする状況がよくわかり面白い。終わりに、妹が疲れて先に居眠りをしているところで終えるのが、象徴的でうまい。

【「カルチャーショック」中村翔】
戦後に、長男が戦友を家に泊まらせる。関西からやって来た人だが、それが関西人らしいサービス精神旺盛で、「あかしや・さんま」のようであった、という話。印象に残ることは、なんでも読ませる話になるものである。

【「心めぐる旅」斉田陽子】
肝臓がんが出たり消えたりする状況にある筆者が、養護施設に入ったので、見舞いに行くが、90歳を越えた叔母は、親しかったにもかかわらず、誰だかわからない。友人のTさん家族の話などを交え、時の流れを強く意識する領域からの思いが語られ、肝臓に再度がんが発生したこと記して終る。エッセイだが、タイトルそのもの。生きてきた道を壁画にしてみるような精神の遍歴を描いた小説にも読める。

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2007年3月24日 (土)

「婦人文芸」82・83号の秋本喜久子さんの2作

83号掲載の「その日シカゴの月は溶けて」(秋本喜久子)は、まず、独白的な個性のある文体が気持ちよい。ユーモアの中に乾いたペーソスを漂わせ、アメリカでの生活が描かれる。実に日本のW・サローヤン的な味わいがある。アルメニア人のサローヤンの小説は、小説らしくない小説が多いが、この作品も、生活日記風のスタイルでありながらヒューマンな生活ぶりが説得力をもって描かれる。
主人公は更年期障害で、自律神経失調に悩まされながら、アメリカ・シカゴへ向う。息子の真吾はアメリカでウクライナの女性、ナターシャと結婚、生まれたばかりの子どもの世話をして欲しいと、頼まれたからである。英語をたしなみ、アメリカの風土を理解している主人公だが、ウクライナ出身の息子の妻は、また独自のカルチャーをもっている。ストレスで自律神経を乱しながら、孫の世話をする過程が描かれる。
周囲の人物の描き方の距離感の良さ、適切さは天下一品のものがある。異邦人同士で生活するのが当たり前のアメリカ社会が見事に活写されている。

―――と、以前の私のメモにある。他に、「屋根裏の少女」(菅原治子)、「介護一」(和田聖子、「望郷」(野中間世)、「あにき」(中村翔)などが印象にあると、記録している。そのうちに作品紹介しようと思っていたら。「婦人文芸」83号が到着した。
きっと好評で、続編をかいているのではないかと、開いたらあった。そこでまず、読んだのが「ナターシャために」(秋本喜久子)である。前編で素直でストレートな心情のままに、頑張って生活するナターシャが来日する。それを支える姑である主人公の暖かい心情をベースにし、数々のエピソードを紹介する視線が感動を与える。グローバルな人間関係による日常のなかの非日常を描く。とにかく面白いし、読後に心豊かな余韻を残す。(つづく)

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2007年3月19日 (月)

文芸同人誌評・対象作品リスト(よこいさんまとめ)

「週間読書人」2007年3月16日第2679号「文芸同人誌評」白川正芳氏筆
「我が青春の暗餓記」ドラゴン(「シニア文学」2or3号)、「クリスマス」平由美子(「環」11号)、「観望に波紋あり」岡正基、「黄塵万丈」塚沢正、「四谷界隈交遊録」北川健(以上「群獣」6号)、「評伝 三好学」水野恭平(「胞山」15号)、「青春の図書館」原田康子(「北海文学」93号)、「高見順の航跡を見つめて」宮森正雄、「会話力は健康ですか」岡田史郎(以上「マスコミジャーナリズム論集」14号)、「全作家」65号による「火山地帯」紹介、「望郷」柳谷郁夫(「播火」62号)、「噴火口」越智龍生(「文脈」137号)、「地つづき」荒木田修(「あての木」31号)、「廃墟の月」伊藤礼子(「八月の群れ」47号)

「図書新聞」2007年3月17日第2814号「同人誌時評」福田信夫氏筆
「武田泰淳・『審判』を原点にして」野口存彌、「『チャタレイ夫人の恋人』-発見前の伊藤整役を読む」高比良良直美(以上「群系」19号/江東区)、「都留重人氏への感謝」小沢芳治、「緊急提言『死ぬな、殺すな」金子哲也、「『父渡せ』-寺山俳句と京武証言」栗林浩」、「哀歓抄(五)-死を超えて会いし人なり秋の虹」尾崎文英(以上「琅」19号/八王子市)、「茂吉外伝 二人の先生」進藤久義、<短歌>巌浩(「アララギ派」96号/津市)、「〈戦後詩この一篇⑥〉「雁の声※村上昭夫」」津坂治男(「みえ現代詩」72号/鈴鹿市)、「片乳」木下径子(「街道」10号/武蔵野市)、「たまゆら」吉田洋三、「長男の嫁だから」福本信子、「カプアス川に霧が降る」山田正春、「雁皮の花」三村毅、「『鎖国』考」後藤茂(「播火」62号/姫路市)、「『本庄睦男全集』逸文録-小説「移住地を流れる歳月」私注 ほか二点」吉井よう子(「北方文芸」別冊13号/札幌市)、「詳報中村技工事件-戦後の青森で初のストライキ」中村勝巳(「青森文学」74号/青森市)、「『明暗』を読む(一)」立岡和子、「農文協の青春」金子万平(「遡行」128号/長野市)、「青春の図書館」原田康子、「戦後の北海道文学を生きた鳥居さん」木原直彦(以上「北海文学」93号/釧路市)、「岡本恵徳君を偲ぶ」木村幸雄、「岡本恵徳略年譜」我部聖、連載(四)宇治土公三津子(以上「駱駝」50号/練馬区)、「天為無情」大類秀志、「最後のデカダン」犬山六郎(以上「視点」66号/多摩市)

文芸同人誌案内掲示板より

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2007年3月11日 (日)

「文芸中部」74号・作品紹介(4)

【「交換ノート」井上武彦】
小説を趣味で書いている主人公が、クリスチャンの教会仲間と信仰に関する交換ノートつくってまわす話。それを提案した早川氏は、浄土真宗であったが妻をなくしてクリスチャンになった人。これに同調した上田老人は、自衛隊海軍にいたひと。海軍さんで、いまだに太平洋戦争を起こした日本軍人を批判し、反省をしている。
 主人公は、文学と宗教は本来、相反するものだと思っており、文芸評論家の佐古純一郎が牧師であることを知り驚く。
 読者としては、なぜ、文学と宗教が相反するのか、その辺の追求が物足りない。宮沢賢治をはじめ、椎名燐三、遠藤周作など宗教と文学を合流させているのでは。神と自分、仏と自分という関係において文学と相反するものはないように思える。ただ、教会という組織とは相容れないことがあるかもしれない。
 こういう私自身、お寺が浄土真宗である。蓮如聖人の御文章(白骨章)「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり、されば、いまだに万歳の人身をうけたりという事をきかず、一生すぎやすし・・・」と聞くと反射反応的に悲しくなる。お葬式になると必ず聞かされてきたからである。
 その割には、岩波文庫の旧約と新約の聖書は一通り、読んだ。作家の柴田錬三郎が生前、聖書を読まないようでは、作家にもなれない、とかなんとか書いてあったのを記憶していて、20代にたまたま新幹線で関西と東京を幾度も往復する時期があり、車中で読むことにしたのである。
 今でも記憶があるのは「ヨブ記」でヨブの嘆きが正しいと思ったことだ。では、なぜこのヨブ記が存在するかといえば、「理屈はない。信じよ。とにかく、飛び越えよ。信じて祈れよ」という過程を示し、祈るという過程が信仰であると主張しているように思えた。
 その点では、この作品の後半に異論はないのだが、納得したからよいというものでもないような気がする。作中の上田氏85歳、早川氏75歳、裕73歳とある。上田氏と早川氏のノートは普通に読める。そこで主人公裕氏の思索・思弁の展開がもう少し欲しかった。そのわけは、信仰における精神の完結と文芸という表現型式が求めるものとは異なるものがあるという、私の考えによる。絵画用の画布の上に彫刻作品を乗せた芸術作品は、形式破りであり、絵は平面という制約の上に描く。音楽は時間の制約をもって表現する。文学は文字のイメージで持って表現する。信仰は祈りで完結する。

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2007年3月10日 (土)

「文學界」07年4月号「同人雑誌評」大河内昭爾氏筆(よこいさん・まとめ)

《対象作品》
「茗荷喰うたか、暁烏」木島次郎、「河井継之助失踪異聞」米山敏保、「砂漠でお茶を」(「季節と城」2)鎌田陵人、「補充の天地」石原悟、「喪われた潟の風景」若林光雄(以上「北方文学」58号/長岡市)、「ろくろ侍」周防凛太郎、「ゴムまり」鈴木比嵯子、「女たちの滝参り」小河原範夫(以上「ガランス」14号/福岡市)、「オデン屋」草田綿太郎(「雲」1月号/東京都)、「薄茶色の葉書」戸田静子(「郡山文学」29号/郡山市)、「晴れた日に」長瀬葉子(「とぽす」42号/茨木市)、「悲しみの黒い森」三澤章子(「橡」8号/伊勢崎市)、「撲る」、「存在すること」以上・寺町良夫、(「美濃文学」76号/北方町)、「劇舞台『広瀬淡窓』」河津武俊、「女猟師」相加八重(以上「日田文學」54号/日田市)、「芸術と嘘―贋作問題について」竹中忍、「ふたたびの朝」中村ちづ子(以上「北斗」534号/名古屋市)、「堕ちた天使」吉村滋、「麦味噌と白味噌」樋口かずみ、「ローカルバス岩野線」畑島剛、「有明の岬の唄」池部正臣、「尾鈴に題す」海帆洋三(以上「九州文学」53号/佐賀市)、「石である」伊藤伸司、「馬頷」衣斐弘行、「からからまわれ」磯崎仮名子、「魂離れ」青井奈津、「割引く」キム・リジャ、「哲学へのステップ バイ ステップ」奥貞二、「竹中浩三の街角」河原徳子、「『本居宣長』を読む②」東俊郎、「小林秀雄の訳業2」清水信(以上「火涼」56号/鈴鹿市)、「マユミの実の食感」、「あかねの理髪店」以上・中嶋英二(「江南文学」53号/流山市)
ベスト5は、「ふたたびの朝」中村ちづ子、「悲しみの黒い森」三澤章子、「茗荷喰うたか、暁烏」木島次郎、「マユミの実の食感」中嶋英二、「ろくろ侍」周防凛太郎

文芸同人誌案内掲示板・よこいさんのまとめより)

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「文芸中部」74号・作品紹介(3)

【「地下室」朝岡明美】
 40歳のOL、麻衣子は日の当る秘書課にいたが、主任となって地下にある厚生課に転属される。そこには売店と食堂も併設されている。
 転属したとたんに、売店を手伝っていた小柄な女子社員が貧血を起こして倒れる。そこから、女性の課長や社員たちのゆるゆるとした中の切実な生活を垣間見せる。麻衣子も自分を棄てて他の女と結婚した男と、まだ連絡を取りあっているようなゆるい生活をしている。
散漫ではあるが、地下にあるオフィスという設定が非常によく効いており、下界と内界の往来という事態を巧く演出できている。日常の小さな幸せ感と、閉塞感という矛盾した現実を描いているように読める。まさしく小説は書きようであるな、と思わせる。面白い。(つづく)

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2007年3月 8日 (木)

「文芸中部」74号・作品紹介(2)

【「ゲンショと船乗りの末裔」濱中禧行】
昭二という老人の先祖は北前船の船主だったという。そこで、先祖の痕跡を訪ねる旅に出るが、そこで夢とも現実ともつかぬ、さまざま体験をし、良い思いもするらしい。いってみれば実現してはならない情愛「萌え」の世界の物語のようだ。いいところもあるものの、幻影でも実現してしまっているのが、余韻を短いものにしているような気がする。

【「闇の語部」蒲生一三】
歴史的な稗田阿礼の物語。ミクロ的な世界から語られるので、歴史的事実以外になにあるのか、わからず。苦手。以前に私はよく、「この作品でなにが問題なのか、先に提示して欲しい」というと「そういうことを言うのは文学がわかっていない」と反論されたものだ。でも、わからないと、なにも理解できないので仕方がない。

【「にわかに大雨ありき」藤澤美子】
危篤状態のまま入院している父親が息をひきとる瞬間を、別の場所で知る状態を描いたもの。短いが緊迫感とその微妙な意識がよく表現されている。キリストの最後の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と父の末期のつぶやき「二二が四、・・・」が符合するようなところが、意味を深めている。あれもこれもと表現を欲張らず、短く絞りきったところが良いと思った。

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2007年3月 7日 (水)

「文芸中部」74号・作品紹介(1)

【「原発ジプシー異聞」吉村登】
まず、死者による独白であることが知らされ、その死に至った原因が原発清掃作業の仕事にあると思わせることから、読み手の好奇心をそそりながら、死に至る過程をのべていく。

原発の現場作業員という仕事が詳しく描かれているので、どこかで取材したのかも知れない。しかし、描写はリアルであるが、必ずしも事実に即したものと受け取る必要がないように描かれている。
つねに見えない危険や不安、病気や事故、犯罪に囲まれて生きている我々の生活と隣合わせの情況に通じる工夫がしてあるようで、それが、この作品を優れて文学的なものにしている。油絵で言えば、下塗りが死の色であり、そこに生の存在感をさまざまに上塗りするが、それによって下塗りの死の色はますます強く浮かび上がってくるようなものである。

具体的には、原発の作業員は、放射能被爆を恐れて、従事する人が少なく、結局それを専門にして生計を立てざるを得ない労働者の姿が描かれる。夫婦とよく素性のわからない若者、老人たちを描く。ちょっと横光利一の「機械」を思わせる雰囲気がある。しかし、それは紛れもなく現代の不安とあきらめのようなものが感じられ、まざに、現代人が考えることを避けている現実を、形にして見せているように読めた。

《近況報告》
文芸同志会では、印刷物の発行を停止しているのにもかかわらず、同人誌や書籍をいただいて、申し訳ない気がしてならない。いただいていいのかな?と思う。いただいたものは、必ず目を通しているが、忙しさにまぎれて、作品紹介していないのも多い。いちばん、これまで愛想がなくしているのが、豊田一郎氏の単行本で、大体完成度が高く、いまさら、なにか言うのも、変だという気がしたままになる。単行本の場合、北一郎という同志会員名で、難波田節子さんなどの本や、その他レビュー記事を投稿している。しかし、それも同じ作者に幾度もレビューをするのも変なので、やはり愛想なしになる。現在、読んでいるので手元に置いてあるのは、松本道介氏の「素朴なる疑問」(鳥影社)、類ちえこ氏の「壕の華」(のべる出版)、北原文雄氏「島で生きる」(教育出版センター)、森當氏「桃園雑記帳」(文芸社ビジアルアート)、同、「うたかたの記ー明治の村医者・脩平伝」、雑誌「農民文学」276号ーーなどである。このなかで、ビビッとくるのが幾つかあるので、いつかはここに記します。

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2007年2月14日 (水)

「週刊 読書人」同人誌評対象作品(よこいさんまとめ)

「週刊 読書人」2007年2月16日・第2675号「文芸同人誌評」白川正芳筆
「余白のとき」臼井紘(「飛天」35号)、「手」中原三枝子(「海塔」41号)、転載「葱と激流(抄)」井上光晴、「葱と激流・解題」和田伸一郎(「クレーン」28号)、「僕の友達」林公一(「静岡近代文学」21号)、「玉砕 少年Mの回想記」穂積実(「白雲」23号)、特集「昭和文学」(「群系」)、「藤沢周平『蝉しぐれ』の原風景」関河惇(「福島・自由人」21号)、「地つづき」荒木田修(「あてのき」31号)

文芸同人誌案内・掲示板より転載

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2007年2月 8日 (木)

「文學界」2007年3月号「同人雑誌評」対象作品(よこいさん筆)

「文學界」2007年3月号「同人雑誌評」松本徹筆
「喪失」吉満昌夫(「埋火」40号/東京都)、「河川敷のカスミソウ」奈良美那(「白鴉」19号/八幡市)、「西瓜ノ子ノ奈良漬」鮒田トト(「龍舌蘭」169号/宮崎市)、「夜の光」米沢朝子、「糸」島総一郎(以上「蒼空」11号/高知市)、「やさしい猫」鷹宮さより(「りりっく」16号/川口市)、「約束の日」藍崎道子(「こみゅにてぃ」75号/和光市)、「検索」星野スオミ、「一瞬の交差」長倉茉利(以上「河」137号/東京都)、「シティービュー」大西智子(「樹林」503号/大阪市)、「尻尾」天野律子、「愛しの、パティシェ」島田勢津子(以上「黄色い潜水艦」46号/奈良市)、「家族というダンス」木村礼子(「裸木」30号/東京都)、「棘」しん・りゅうう、「プラネタリウム」笹沢信(以上「山形文学」92集/山形市)、「駅前バスターミナル」桔梗第三(「飢餓祭」29号/大和高田市)、「交差点」黒澤絵美(「文章歩道」48号/高森町)、「高木ゴドー」真銅孝(「樹林」500号/大阪市)、「それは抛れず」藤澤清典(「北方文芸別冊」13号/札幌市)、「虹のつけ根」藤原伸久(「教育文芸みえ」24号/津市)、「観覧車」飛田一歩(「湧水」35号/東京都)、「せん妄」高山夏緒(「藍の会」創刊号/和歌山市)、「垣根の垣根の」井上百合子(「火山地帯」149号/鹿屋市)、「蓮上の嵐」弥生十香(「文学空間」40号/京都市)、「お銀さま」竹山敏子(「時間と空間」58号/小金井市)、「天窓」山之内朗子(「まくた」254号/横浜市)、「鶏頭」桂城和子(「グループ桂」55号/小山市)、「アダンの花」池間久志(「海馬」30号/神戸市)、「小春日和の人々」野沢薫子(「長崎文学」53号/長崎市)、「屍を雨の闇に」中元大介(「海峡派」108号/北九州市)、「綾が瀬」牧沢摂(「蛮族」33号/雲南市)、「X氏の肖像」星励(「内海文学」123号/新居浜市)、「奈緒子と婆ちゃん達」佐藤明美、「ふたつの葬送」藤沢辰雄(以上「雑踏」64号/大和郡山市)、「マイペンライ」崎みち、「海蛍」西村有子(以上「紡夢」2号/茨木市)、「幸福論」秋山千響(「柑橘」14号/さいたま市)、「オカリナの挽歌」森静泉(「狼」49号/高崎市)、「何処へ―カナダからの便り」増谷松樹(「群系」19号/東京都)
ベスト5は、「シティービュー」大西智子、「夜の光」米沢朝子、「家族というダンス」木村礼子、「棘」しん・りゅうう、「河川敷のカスミソウ」奈良美那

よこいさんのグループ「木曜日」

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2007年2月 7日 (水)

「頌(オード)」26号より(2)

【「アレハンドロ・アメナーバル監督作品論」(1)「海を飛ぶ夢」小原優】
怪我で四肢が麻痺し、寝たきりの男が自死した事実があって、それを題材にした映画の評論。生と性、死の意味を追求する評論となっており、完成度は高い。映画館にいってプログラムを買ってもこれほどの論評は期待できないであろうと思わせる。

【「花火」杉本暁】
健康診断ドッグで短期入院していた男。死の病に侵された父親を看護しに通う女子大学生に出会う。女子大生への不可能愛を、中年男の“萌え”意識的に描く。静謐な筆遣いが、好ましいが、形式美が勝って、内容の詰めが弱いのが惜しい。

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2007年2月 6日 (火)

「頌(オード)」26号より(1)

「創作と批評」という副題のついた瀟洒な?同人誌である。
詩で、佐藤裕「犀川のほとりで」がある。100年前、少年の室生犀星がここで寺男をして過ごしたという話にからめて、文学の土壌の非生産性を示す。
「百年が経ち サラリーマン小説家や詩人が輩出し/己の人生を 才能に託さなくなってから 久しい」
というフレーズが懐かしいーー。
ひと昔前は、自分の才能に疑問をもって、進むべきか、退くべきか自問自答する創作者の精神の現れた作品が少なくなかったように思う。現在の同人誌で見る限り、みな妙に自信満々、じぶんの才能に疑問を持たないように思える作者が多いようだ。それだけ、文学に芸術性を求めることがなくなったということであろうか。売れればよいとする精神の産物は、芸術とは無縁であることは、ここで再三のべているが、100年前は芸術性があれば認められるという価値観あったということを認識させられる詩であった。

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2007年1月27日 (土)

図書新聞・同人誌評対象作品(よこいさん提供)

「図書新聞」第2807号 2007年1月27日「同人誌時評」たかとう匡子筆
「蝦蟇がえる」通雅彦(「文学街」230号/杉並区)、「長い遺書」若林亮成(「時間と空間」58号/小金井市)、「愛しのパティシェ」島田勢津子(「黄色い潜水艦」46/奈良市)、「詩と小説断簡」西岡光秋(「日本未来派」214号/練馬区)、「小説のなかの犀星―我が愛する詩人の伝記・北原白秋」笠森勇(「花粉期」215号/市川市)、宗左近追悼号(「海」25号/柏市)、「腕を水平に広げて立つ」中岡諄一(「沈黙」33/国立市)、「シャンデリアの舞踏会場」彦坂美喜子(「驟雨」vol.7/直方市)、「ソネット形式による連作短歌」中村忠雄(「青銅時代」47号/新宿区)

よこいさんのブログ「重力と恩寵」リンク

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2007年1月13日 (土)

「構想」の崎村裕氏より作品紹介に反論

「構想」の崎村裕「煩悩障眼」のブログの作品紹介に、作者の崎村氏より反論がありました。以下、要旨は次の通り。

「小生の作について従来テーマについての説明がありすぎる、説明のない方がいいとの評がありましたので、『煩悩障眼』では、この逆をいった訳です。作者としては、新川重夫という人物に注目していただきたかった。人はお互いに全てを分かりあえなくても、何かひとつでも通ずるところがあれば共存共栄できるのだ、というのがテーマのつもりです。猫のはなしもありますが、重夫というのはとても義理堅い人だといった話が出てきます。アメリカが全てを自分と同じにしなければ気がすまない、同じでないものは敵だというのがイラク戦争ではないでしょうか。小説では主人公の「私」はこうしたことが分からないから知世子から離れていく。この離れていくのが、実は煩悩のなせる業なのだ、というのが、作者の狙いのつもりだったのです。小説というのは細部の書き込みが大事ですが、作者としては細部を読んで欲しかったと感じます」。

 というものでした。作者の主張と熱意に意義はありませんが、特に紹介ぶりを変更する必要もないように思えます。
 しかし、読者と作者との対話も悪くはありません。自作品のオピニオンとして、今後も掲載していきましょう。

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2007年1月 9日 (火)

「構想」41号(長野県)=崎村裕「煩悩障眼」など

【「「煩悩障眼」崎村裕」】
 お寺の子に生まれた主人公が、小さい頃から他家に預けられ、地域で経を上げる手伝いをする。そこで知り合った娘と学生時代に恋仲になる。主人公は、別の女性に気持ちを移し、娘に冷たくする。すると、彼女が自殺をはかったことがわかる。
 冒頭で、浄土真宗に関する説明があるが、説明の必要性が不明。連載ものだろうと思う。ただ、宗教は説明してもはじまらず、主人公が信じているのか、いないのかを作中に示せばよいのではないだろうか。比較が適当かどうかはわからないが、新海氏の「曇り日の影」では、主人公はあきらかに信の境界を飛び越えており、信者であろうと推察できる。
 
 【「炎の卵球物体」佐々木敬裕】
毒キノコと食べられるキノコとの紛らわしさからくる、キノコ獲得法の話。小説かと思ったら、エッセイだったが、へえ、と思うが、面白い。


【「吾帰農せり」岡本みちお】
 サラリーマンをしていたが、定年退職し、亡き父の希んでいた農業をする。故郷で座禅と農家生活を語る。ブルベリーを栽培し、孫に喜ばれる。熊や狐、狸やイタチなどの害で殺生もする。蝶の話もあって面白い。この作者の登場は久しぶりのような気がする。記憶に残る作風である。

 【「魯迅の国民性批判と中国の現代(二)」古川双一】
 魯迅の生活、精神的の遍歴を語って、当時の中国人の民族性を明らかにしている。洞察よく、論旨一貫しており、説得力あり。勉強になった。
 
【「佳・第Ⅷ部」嶋田貴美子】
 長編なので、あらすじと、主人公の「佳」の本家と、嫁ぎ先の家系図があるのは、わかりやすい。主人公の「佳」が産んだ子が口元に障害があり、その母親としての苦悩と葛藤が本編のすべて。この部分の書き込みを自分は、あまり、好まない気持ちで読みはじめたが、いざ読んでみると、母親の心理と周辺との葛藤が見事に表現され、一気に読んでしまった。筆力に図抜けた才能を感じる。

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同人雑誌評対象作品リスト(よこいさん提供)

ひわきさんの「文芸同人誌案内」のサイトに同人誌「木曜日」のよこいさんが、同人雑誌評の掲載リストを載せているので、ここで再掲載させていただきます。
 よこいさんのブログ「重力と恩寵」では、大変な読書量と筆力が示されていて、なかなか面白い。とにかく書くことが、量から質に変わることは、先例にあることで、彼の今後の飛躍が期待されます。

「図書新聞」2007年1月13日第2805号「同人誌時評」志村有弘筆
「耕三と勉」鈴木楊一、追悼の辞・間宮武、鈴木楊一追悼(以上「文學草紙」120号/西東京市)、「ツクヨミ」渡辺たづ子(「文芸誌O」39号/佐久市)、「日銭貸し」森本ゆう(「私人」57号/北本市)、「いつかの道」原田勝史(「蠍」46号/諏訪市)、「おれはあんたのこと、忘れんばい」寺内邦夫(「青銅時代」47号/南河内郡)、「もうひとつの『ろまんの残党』」加納一朗、「二人の女流作家」桜井信夫、「私小説雑感」唐戸民雄(「Pegada」5号/川崎市)、「旅と文筆」勝又浩(「遠近」30号/練馬区)、「中野重治と加納一馬」刑部あき子(「青磁」23号/福井市)、「東司まで」九鬼高治、「九鬼高治と私」同人各位、「九鬼高治文学年譜」青木正美(以上「煉瓦」33終刊号/習志野市)、「伊勢町異聞」内藤健治、「月下の城」千早耿一郎、「コーヒータイム」小宮隆弘(以上「騒」67号/横浜市)、「電車」筧槇二、「砂畑」右近稜、「記憶の底―さくら―」伊藤ふみ(以上「ノア」11号/山武郡)、扉詩・武田隆子(「りんごの木」14号/目黒区)、「佃」創刊号/さいたま市、「てくる」創刊号/大阪市、赤木二朗追悼(「AMAZON」420号/宝塚市)、伊吹知佐子追悼(「飢餓祭」29号/大和高田市)、松原伊佐子・吉村欣也追悼(「詩と眞實」69