2018年6月14日 (木)

同人誌季評「季刊文科」74号=評・谷村順一氏

《対象作品》
秋尾茉里「あさがおの花」(「babel」創刊号・大阪市)/猿渡由美子「胸の底の辺鄙なところ」(「じゅん文学」第94号・名古屋市)/森本智子(「襖の向こうに」vol.11・大阪府)/島田奈穂子「近藤さん」(同)/小島千佳「二つに一つ」(「あるかいど」63号・大阪府)/谷河良彦「辞書物語」(「樹林」Vol.634・大阪府)/木下衣代「柔らかな裂けめ」(「黄色い潜水艦」67号・兵庫県)/渡邊未来「くるみの翼」(「ガランス」25号・福岡県)/山内弘「沈黙の解答」(「空飛ぶ鯨」第18号・埼玉県)/和泉真矢子「あなたもそこにいたのか」(「メタセコイア」第14号・大阪府)/灰本あかり「薄ら日」(「文芸 百舌」第2号・大阪府)/伊藤礼子「儀式」(「八月の群れ」vol.65・兵庫県)。

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2018年6月 9日 (土)

同人誌評「図書新聞」(6月2日)評者・越田秀男

 『我が愛しのストーブ』(小川結/(「穀雨」22号)。北風小僧の寒太郎~と歌う灯油売りも近年見かけなくなった、にもかかわらず、エアコンも設置した、にもかかわらず、冬は石油ストーブ、夏は扇風機、と頑ななアラ80父。あきれ果てる同居のアラ40娘。と、別居の妹がやってきてエアコンを……姉「33度以下は扇風機!」と、いつの間にか感化されていた。
  「あらら」9号、 炎で競作。〝『炎』水口道子――狐と狸と人間の化かしあいから共棲へ。『水の炎』渡邊久美子――震災・津波は喜怒哀楽、人生の全てを奪った。『炎・焔・熾』松崎文――竈の炎の多様な顔、ホカホカご飯! 『炎の野球選手』大西緑――蘇る炎のストッパー津田恒美! 『炎のごとく』磯崎啓三――夏野はや炎のごとく一樹立つ。
 『献体』(猪飼丈士/「民主文学」631号)。伯母が老人ホーム入所の際、身よりが主人公だけで、身元保証人になるため、四十数年ぶりに会った。その時伯母は「献体登録証」をみせた。なんで献体? その真意がわからずじまいで十五年後、緩和ケア病棟。死が切迫した段階でも伯母の意志は変わらない。主人公はこれまでの伯母の人生に深く想いを寄せる。
 『祈り』(石崎徹/「ふくやま文学」30号)。広島平和記念公園に訪れた親子五人が遊園地気分で時をすごす。さて帰るか……父親がもう一度、と慰霊碑に。母も……子等も。休日でごった返す人垣をかき分け碑にたどり着くと、不思議にも五人が収まるに足る空隙ができ、皆父に倣って祈りを……と、回りの人々までもが倣って黙祷――《急に静寂が群衆を支配したかのようだった》。
 『海の止まり木』(北嶋節子/「コールサック」93号)。主人公の母は長崎で被爆、一命を取り留め結婚、子に恵まれる。が、主人公が小学校にあがるころ原爆症を発症、一年足らずで世を去る。と、姉も発症し同じ経過を辿った。この有様は〝風評〟となり「ピカドンがうつる」、イジメ。成人した主人公は相思相愛の恋。結婚の承諾を得るため、父を伴い、娘の親代わりの兄に会いに行くも、けんもほろろで拒否された。それから四十年後、主人公が経営する喫茶店に、その兄がやってくる、台風の到着と、彼女の死の知らせを伴い。追い返すわけにもいかない……。
 『陸か海か』(平山堅悟/「AMAZON」488号)。陸か海かは、父が韓国人、母が日本人の、両生類的生き方の主人公の有り様。彼は居酒屋の屋上のラウンジでヤクザっぽい客の顔面に青丹を食らわせてしまう。この一件をキッカケに店の女と身の上話をする程度に関係が。女は中学生のころ、親が同和地区に住まったことを因とする騒動に巻き込まれ、その後風評被害を逃れ逃れて成人。結婚し子に恵まれるも、義母がこの過去の一件を嗅ぎつけ、離婚の憂き目。一方、主人公は、父が朴正煕政権下で民主化運動の首謀者として死刑に処せられたことなどを明かす。大阪のコリアン商店街の風景、人々が活写されている。
 『小風景論――「気色」とは何か』小論(西銘郁和/「南溟」4号)。琉球舞踊「黒島口説」を紹介。〝口説〟は歌舞伎などの口説のもととなった五七調の旋律を沖縄の地に引き込み溶け込ませたもの。西銘が黒島口説から抜き出した言葉は〝気色〟。〝景色〟ではなく〝気色〟を使う例は古語にみえるが、現代語では、けしきばむ、とか、きしょくわるい、など限定的だ。黒島口説では? 《何物にも「替え」られぬ出自の「島・村」に対する》誇り・信頼・感謝が込められているという。辺野古埋立工事に当てはめると、〝景色〟の破壊ではなく〝気色〟の破壊、沖縄の心を土足で踏みにじるものだということになる。
 『能古島の回天基地』随想(富田幸男/「九州文學」)。島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』は奄美群島加計呂麻島。博多湾に浮かぶ能古島の回天基地も、発信することなく終戦を迎えたという――《沿岸近くに、無数の小石を積み重ねた魚礁とも消波堤ともつかぬ濃茶色の苔に覆われた不思議な三本の〝物体〟が波間に見え隠れしている》――魚雷艇の斜路跡。島内には博物館や防人の万葉歌碑があり、年間25万人もの行楽客が訪れるという。千数百年息づく防人と一世紀にも満たず埋もれつつある基地跡の皮肉。(「風の森」同人)
《参照:琉球「黒島口説」の“気色”に込められた心出発は遂に訪れず――博多湾・能古島の回天基地

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2018年6月 6日 (水)

文芸交流会の普及に同好家たちに呼びかけ=外狩雅巳

 全国多数の文芸同人誌の作品を批評し紹介して来た『文芸思潮』誌に期待している。
 個別に活動する文芸同人会の運営は脆弱なので解散も多いが新規発足も多い。
 また、個々の文芸愛好者も同人会への入退会や掲載などは頻繁に変化している。
 そんな同人誌界を激励し発展に寄与してきたのが「文芸思潮」誌の五十嵐編集長である。
 関東交流会を創設し会合を開催していたが、近年は雑誌運営に専念し交流会は途絶えた。
 私はそこで多くの仲間から学び励まされた。その仲間に呼びかけて町田交流会を始めた。
 町田市近郊には多くの愛好家や同人会があるので参加呼びかけを続けている。
 知名度の無い小さな交流会合なので、月例会の継続運営には様々な困難もある。
 呼びかけを重ねる中でようやく新規参加を迎える事が出来た。はがき通信・ほのか座の朱鳥さんである。
 月例会常連者は十人程であり個々の同人会予定もあり各回の出席人数は五、六人程度である。
 それでも一人二人での活動中の人ならば、多数との討論・評価が交わせると期待してくれる。
 現在数人から連絡もあり今後の参加を期待している。
 「空想カフェ」の堀内みちこさん。「まくた会」の鮎川さん。「たねの会」の佐藤勝美さん。「孤帆」のとうやまりょうこさん。「白雲の会」の岡本さん。「町田詩話会」の宮崎さん。「私人の会」の小保方さん。等々。 町田市には「町田ペンクラブ」がある。最近伊藤代表に案内文を送り返事を待っている。
《参照:外狩雅巳のひろば

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2018年5月10日 (木)

全作家協会の活動にフリーマーケット出店

 同人誌作家という名称が消えて久しい。このところ文学作品の展示即売会「文学フリマ東京」に出店している「全作家協会」は、かつては同人誌作家の集う会であった。《参照:全作家協会が「文学フリマ東京」に出店した意義
  特長は、役員が多い事であろう。なにしろ全国展開をしているので、各地域からの有力作家の意見を反映させる必要があるからであろう。
  機関誌「全作家」には、文芸評論家の横尾和博氏が、職業作家から同人誌作家の動向まで、丁寧に読んでで、論評をしている。最新109号では、下記のようなことも記されている。
『最近公募商業誌へ投稿する場合の問い合わせも多いので一言書いておく。プロをめざす書き手にアドバイスをおくるとすれば以下のような点である。まずなぜ文学者、作家としてプロをめざすのかの理由である。職業としては一部の人しか生活できない世界。自分の自尊心や虚栄心を満たすためならやめたほうがよい。つまり文学への固執、強靭な文学精神がないとプロには向かないということだ。二つめは小説技術を真摯に磨くこと。スポーツでたとえれば練習ということになる。三つめは同じくスポーツにたとえれば優れたコーチや指導者に出会うことである。なかなか難しいが、この三つをクリアすればプロの道が開かれるだろう。
 さて同人誌評である。現在は「三田文学」「季刊文科」「図書新聞」が商業紙誌で批評コーナーをかろうじて維持している。だが「読書人」では無くなった。またスペースも限られている。同人雑誌の読み手の作家、批評家、研究者も少ない。同人誌の高齢化も指摘されている。一方で文学フリーマーケット(フリマ)は各地で盛況で若い世代の参加も多い。この乖離をどのように考えるべきか。そしてどのようにすれば文学は生き延びていくのか。前述のように各々胸に手をあてて考えなければならない。』
  ネットでもアップされているので、全文が読める。よく出来ているHPである。

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2018年5月 9日 (水)

新同人雑誌評「三田文学」(2018年春季号)柳澤大悟氏・加藤有佳織氏

・小畠千佳「二つに一つ」(「あるかいど」63号、大阪市阿倍野区)
・望月なな「透明な切取線」(「mon」11号、大阪市阿倍野区)
・真銅孝「バーバラ」(「バベル」創刊号、大阪府八尾市)
・日上秀之「こどもたち」(「北の文学」75号、岩手県盛岡市)
・澤田展人「ンブフルの丘」(「逍遥通信」第2号、札幌市豊平区)
・武村賢親「かんう」(「琳琅」創刊号、埼玉県所沢市)
・箕田政男「見上げてごらん」(「ちょぼくれ」76号、群馬県前橋市)
・多田加久子「あなたに話したい。」(「北の文学」75号、岩手県盛岡市)
・崎浜慎「百ドル札」(「四の五の」第4号、沖縄県那覇市)
・島田奈穂子「近藤さん」(「mon」11号、大阪市阿倍野区)
・今西亮太「真夏にサンタクロースは来ない」(「樹林」634号、大阪市中央区)
・木戸岳彦「えび」(「季刊作家」第90号、愛知県稲沢市)
・森ゆみ子「空を泳ぐ」(「たまゆら」第109号、滋賀県東近江市)
文芸同人誌案内掲示板・mon飯田さんまとめ

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2018年5月 7日 (月)

第26回「文学フリマ東京」の情況から

 文芸同志会が参加した第26回「文学フリマ東京」の情況だが、入場者がどのブースに気軽に寄って、手に取ったり、買い上げお客にの姿勢にちょっとした変化を感じたのだ。《参照:成熟化で埋没感はない「第26回文学フリマ東京」の出店感想
その他、会では同人誌作品紹介をした雑誌を、ブースに置き、会話をした人に、どれでもお持ちくださいと提供したのだ。実験的な試みだ。すると、「あなたが紹介したなかで、どの雑誌のどの作品がおすすめですか?」と逆に訊かれたのだ。それが一人だけでない。別の人も同じ質問をするのだ。
 自分は、同人誌だからといって、手を抜かず、全力投球していると思われる文学に取りつかれた作者の作品を推薦した。
 しかし、自分はそういう視点で、作品紹介していない。自己表現と時代表現のマッチイングの情況を観察するというのが主眼だ。しかし、たとえ無料でも、良い作品だけを読みたいという文芸愛好家の強い要望を肌で知ったのは、感じるものがあった。

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2018年5月 5日 (土)

同人誌評「図書新聞」(2018年5月5日)=志村有弘氏

  安久澤連の民話風な「巡礼の娘」(仙台文学第91号)が力作。寺の住職の妻トヨは夫が出奔したあと、行方知れずとなり、娘のサキは、旅籠屋で働くうち、客を取る仕事をするようになった。トヨは突然の負傷で盲目となり、近江商人の連れの男とのあいだに子をもうける。サキは母を探して旅に出るのだが、救ってくれた旅先の袖が原の一軒家で自分の身の上を語り、念仏のうちに息絶える。苦界に身を落とすことになった娘と突然盲目となった母。サキと同じく苦界に身を落としていたミチは縊死して果てた。哀しい女人の物語が達意の文章で展開する。
 堀雅子の「祭平四郎 捕物日記―狛犬の根付」(R&W第23号)は、同心祭平四郎が文介の手助けで盗賊を捕縛する話。綿密な時代考証の跡を感じるものの、話の展開が早過ぎる印象。脇役である盗賊男女造や女性たちのしぐさの描写は巧み。
 逆井三三の「生きていく」(遠近第66号)が、脳裏に「生活保護」で暮らすことがチラつく大学生(田中一郎)の姿を綴る。子どものころから居場所がなく、いじめられもした一郎は、周囲とうまくやれず、出世欲もなく、ただ生きていられればいいという人間。十八歳のアサコと知り合い、一度の性交渉三万円という関係が一年間ほど続いたが、アサコは離れて行く。同じクラスの女子学生からは「田中さんだけは嫌」と言われ、アサコから「あなたは誰も愛せない人だ」と言われる。「何をもって幸せとするかは、人によって違う。ただ生きていればいい」というのが一郎の哲学。「給料は我慢料」・「笑いは絶望から生まれる」・「未来なんてどうでもいい」などの一郎哲学が示される。一つのユーモア小説と捉えることもでき、優れた表現力に感服。
 東峰夫の「父母に捧げる散文詩」(脈第96号)は、一種の観念・幻想小説の世界。主人公(ぼく)の郷里は「基地の島オキナワ」。基地はキリストを信奉する使徒たちと金融資本家に追随する広域組織暴力団とが葛藤しているという。平和を好み、戦いの無意味さを思い続ける「ぼく」は何かに遭遇すると兄に「精神感応のケータイ」で連絡し、兄からその返答が来る。「ぼく」は「睡眠瞑想」で「彼岸」へ渡り行くことができ、軍団の隊長と戦ったりする場面を設けるなど、作者の想像は八方に飛翔する。『古事記』・『聖書』も根底にあり、〈古〉と〈新〉との相克、平和への願いが作品のテーマなのであろうか。ユーモアもあり、異色の文学世界を示す。
 山本彩冬の「錆びた刀」(裸木第39号)は連載の第一回目。「私」(晶子)は小学校三年のとき、父に連れられて兄・弟と共に継母の家に行った。第一回は「私」が私立高校に入学するまでが綴られる。父が母と離婚したのは、出征しているあいだに母が家宝の刀剣を供出してしまったこと。父は父なりに子のことを考えてはいるが、青山藩に代々仕えた武士の誇りを捨てることができない。このあと、父と娘の衝突が示されるのか、作品の展開が気になるところ。
  随想では、宇神幸男の「吉村さんと宇和島」(吉村昭研究41号)が、吉村昭の宇和島の鮮魚店への思いなどが記され、人間吉村昭の一面を伝えていて興味深い。
  西向聡の「須磨寺まで」(法螺第76号)が、文部省唱歌「青葉の笛」にまつわる平敦盛の悲劇、熊谷直実の男気を綴る。映画「無法松の一生」の中で吉岡少年が「青葉の笛」を歌う場の感動を記し、無法松の「節度をわきまえた侠気の潔さ」を教わった、と記す。須磨寺境内の句碑を紹介し、西向自身の「敦盛の貌すずやかに夏立ちぬ」など七句も示す。
 秋田稔の「とりとめのない話」(探偵随想第130号)が、中国・日本の古典から蛇にまつわる話を渉猟し、文人の怪談の句、『夜窓鬼談』の河童の話などを融通無碍、サラリと綴る名人芸。秋田が実際に見たという蛇捕り人の首に袋に入れ損ねた蛇が這っていた話など寒気がする。
 「クレーン」第39号が伊藤伸太朗・遠矢徹彦、「月光」第54号が松平修文、「私人」第94号が原田澄江、「民主文学」第630号が三宅陽介の追悼号(含訃報)。御冥福をお祈りしたい。
(相模女子大学名誉教授)
《参照:運命に翻弄され生きた母娘を描く安久澤連の民話風な時代小説(「仙台文学」)――「生きていればいい」という人生に意義を認めることのできない若者の姿を描く逆井三三の小説(「遠近」)。読ませる数々の随想

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2018年4月28日 (土)

雑誌「弦」の番外編としての、「悲劇の戦闘機」(1)(下八十五)

  「弦」103号が到着して、一番先に読んだのが、「悲劇の戦闘機」(1)(下八十五)である。ここには、戦闘機の製造のための生産管理の当時の現状が、よく記されている。当時は、コンピューターを備えたNC旋盤がなく、良い製品を作るための用具の開発から描かれている。また、また未熟な技術者によるお釈迦失敗作)の出し方もすごく、採算を無視した国策のムダが表現されいる。文芸的な作品ではないが、同人誌ならではの、自由な表現力の発露として読める。《参照: 「悲運の戦闘機」(下八十五・著)に読むモノ造り(1)=「弦」103号》
 さらに、戦闘機の開発NOまで、記録されている。製造現場での出来事を語ることで、日本社会の精神性まで浮き彫りにするのではないかと、期待してしまう。私自身は、1942年生まれであるから、1歳の時のものである。シンガポールを昭南島といっていたが、それから間もなく、作者はすでに製造現場についているので、知らないことばかりである。戦線拡大で状況が悪くなっていることが、ここでは間接的に示されている。

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2018年4月20日 (金)

「砂」に読む2017「文学フリマ東京」出店録の余話(2)   北一郎

          ☆
 この文学フリーマーケットの発祥は、文芸雑誌「群像」に、マンガ原作者であり、社会的文化評論家である大塚英志氏が、大手出版社の純文学雑誌(「群像」、「文学界」、「新潮」など)の発行が、赤字となっており、出版社のまんが本による利益を食いつぶしているーーという趣旨の評論「不良債権としての文学」を発表した。
 そこには純文学作品が出版社の赤字のお荷物になると、やがて発表の場が消滅するか、純文学の質的な純粋性が失われるかもしれない。そうした危機感から、大塚氏は書き手自らが読者に作品を売るフリーマーケットを開催しようと、呼びかけたのです。
 その前年に、文芸同志会を一人で設立していた伊藤昭一が、文芸界の情報を集めるキューレーション新聞、「文芸研究月報」を発行していたので、その情報を得た。
 そこで、大塚氏に参加したいという手紙を書いた。すると、本来はもっと参加者が多いと思っていたが、予定の半数であるが、開催をしたいので、支援してほしいという返事が来た。そこで、大塚氏からチラシ(フライヤー)をもらい、文芸研究月報の読者である文芸同人誌に、それを配布し、参加を呼び掛けた。
 そのことによって、「群像」の読者で、マンガやライトノベルを中心とした大塚イズム賛同者のグループに、伝統的な文芸同人誌が多く参加する結果になったのである。しかし、いざ参加してしまえば、どこからそうした情報を 得たということは、忘れられる。運営者が代替わりしたらなおさらです。
 伊藤は、ちょうど「特選小説」という雑誌の編集部に創作を売り込んだところ、純文学的な官能表現部分を一部誇張して掲載された。(伊藤の記憶では、同誌にはかつて菊村到や勝目梓などの作家が書いていた。それが官能小説中心になっていたのである)。
  その後、それに女性の読者から本作が官能小説ではない文学性があるという投稿があった。編集長は官能小説雑誌を主婦が丁寧に読んでいることに注目。次作の注文を出し、伊藤鶴樹という筆名で、ロマンポルノの小説復活させる新人作家として、表紙にうたって作家デビューした時期でもあった。そこで、プロもアマも同時の文学市場で、作品を売るというのは、大変都合が良かったのである。
  第1回文学フリマの参加では、「砂」の会員も沢山いて、作品展示者も多かった。なかには作品を文芸春秋社の新人発掘担当者に読んでもらった人もいた。終わった時には、渋谷の飲食店で打ち上げ会を実施した。
  反省会でも、文学賞受賞に近い位置にいる新人作家の出店もあって「なかなか華やかだった」ということが話合われ、盛り上がった。その人たちのメンバーで、現在も会員でいるのは山川豊太郎氏と江素瑛氏と北一郎である。
  ただし、「砂」誌と文芸同志会の連携による文学フリマ参加活動は継続されてきた。 (つづく)
本稿は雑誌「砂」136号に掲載のーー「砂」の会と文芸同志会が2017文学フリマ東京に出店(北 一郎)-を連載形式で分載するものです。《参照:雑誌「砂」のひろば
文芸同志会の出店風景

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2018年4月17日 (火)

「砂」に読む2017「文学フリマ東京」出店録の余話(1)   北一郎

  文学作品のフリーマーケット即売会の第「二十五回文学フリマ」が東京・平和島の東京流通センターで開催され、そこに文芸同人「砂」の会と文芸同志会(伊藤昭一代表)が出店し、発行作品を販売した。「砂」と文芸同志会は、第一回の開催から協力参加しているもの。
  展示販売作品は、文芸同人誌「砂」と、山川豊太郎の漫画研究評論の冊子「志村貴子『放浪息子』」(文芸同志会発行・三百円)、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」(同)。
  伊藤昭一の著作物の「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(五百円・文芸同志会発行)の1部編、Ⅱ部編。「野上弥生子の文学とその周辺」(伊藤誠二編著・草場書房発行)(本体・千円+税)、本書は、野上弥生子の想い出とその文学について語った随想集。伊藤昭一、浜賀知彦、野上燿三、伊藤誠二、岡田すみれこ、石塚秀雄、日野多香子、山下博などが、執筆している研究書である。
  これらには、かつて「砂」誌に掲載したものに加筆したものが大部分である。とくに、山川豊太郎と北一郎の共同作品集「カフカもどき」と伊藤昭一が菊池寛の「作家凡庸主義」という論をもとに、文学創作のカラオケ現象と、現代文学を比較した評論冊子などはそうである。売れ行きは上々で、幾つかの本は売り切れた。
 今回のイベントでついて、販売カタログで、主催の望月倫彦・文学フリマ事務局代表が巻頭言を下記のように記している。
【望月倫彦代表のカタログ巻頭言】
 「第1回文学フリマ」は2002年11月3日、青山ブックセンター本店に併設のカルチャーサロン青山というスペースで開催されました。そのときの出店者の数はおよそ80。その「第一回文学フリマ」会場で、ひとりの出店者として自作の本を携えてブースに座っていた私は、「文学というも名のもとに、こんなに大勢の人が集まるものなのか」と密かに感動を覚えていました。
 それから十五年が経ちました。本日の出店者数はおよそ800。第一回目のちょうど10倍です。ただの「文学フリマ」は、「文学フリマ東京」になりました。なぜなら、全国各地で開催されようになったからです。
 もし、文学フリマがこれだけの規模になると最初から教えられていたら、自分は代表なんて引きうけなかったかも知れません。でも、一五年前にそれを予想していた人は誰一人としていいませんし、そう教えられたとしても自分は信じなかったでしょう。今日の文学フリマは、第一回目の頃には想像もしなかったような地点に立っています。
 今回のカタログでは文学フリマ十五周年記念の企画として、コミテティア実行委員会代表の中村公彦さんに対談をお願いしました。「COMITIAI22」と「第二十五回文学フリマ」が同日開催となった今回、このような企画を快くお引き受けいただいた中村さんにあらためて感謝申し上げます。中村さんとの対談はとても刺激的な体験でした。
 十五周年で過去最多の出店数と言いつる、いつも変わらない文学フリマです。今日ここに集まった作品を、各々で楽しんでいただければそれだけで幸せです。
2017年11月23日
   文学フリマ事務局長 望月倫彦
                             (つづく)
本稿は雑誌「砂」136号に掲載のーー「砂」の会と文芸同志会が2017文学フリマ東京に出店(北 一郎)-を連載形式で分載するものです。《参照:雑誌「砂」のひろば
文芸同志会の出店風景

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