2020年9月14日 (月)

同人誌時評「図書新聞」( 2020年9月5日);評者=越田秀男氏

 (一部抜粋)
 「群系」44号では「平成三〇年間の文学」を特集。柴野毅実さんは、リービ英雄を取り上げ、異言語の狭間での思考・表現がグローバリズムの擬制を撃つことに繋がった、と指摘。草原克芳さんは、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を中心に、トランスヒューマニズム(人間観の変容/拡張/崩壊=草原)へ向かう潮流を概括。平成年間から21世紀中盤の方向を眺望する論考だ。
 一九三八年創刊の「龍舌蘭」は200号の節目。岡林稔さんは戦後文学の黒木淳吉と阿万鯱人を取り上げ、両者は常に「地方」を起点に「いま・ここ」に戦時をひきつけ、戦争への「たぎる」ような怒りを動力に作品を創出したとし、「同人誌を主たる発表の場とする地方の同人作家であるがゆえに」実現し得た、と同人誌という場の役割と意義を説いた。
  定道明さんは作品集の上梓を重ね重ねて、今回の「ささ鰈」(編集工房ノア・刊)は枯れた文体で庵(物語)を結ぶ。末尾の『ホームまで』は、いよいよホーム入所も、との思いに至った〈私〉。そのホームは、生まれ育ち今も生活する場の川向こうにある。訪れると、逆に我が村の姿、その変遷も一望できる。生誕地と終の棲家候補が見つめ合う。
  以下、剰余の時間を過ごす老人の姿――/> 『映像の彼方』(伊藤礼子/八月の群れ70号)――〈私〉は三十路を目前に、リストラの憂き目に。再就職からも見放され、叔母夫婦が営む食堂の手伝いが当面の便。客の中には、酒で長居を決め込む癖の悪い老人――ところが私は、その爺がTV映像の彼方に、若者でとび職として颯爽と活躍する姿を見つける。高度成長期と今、私と老人、往路と復路が交差する。
 『プリン、さらにバスチー』(田中一葉/カム18号)――五十路を過ぎた〈わたし〉は、離婚した従妹・美久が住まう、夫の抜けたマンションの一部屋を、美久の提案で、間借り・同居を始めた。生活費削減、安全・安心、寂しさも和らぐ。ある日の晩、二人そろっての食事、美久の提案で、鶏肉のポン酢叉焼、わたしはポン酢調達でコンビニへ。食後のスイーツもとレジに並ぶ。と、下水のような異様な匂い、臀部をぐっしょり濡らした老人……。帰り道で祈る「今夜、美久とわたしが夢にさらわれることがありませんように」。
  『逆耳』(国府正昭/海101号)――冒頭、スーパーで山と盛られたパック入り干し柿、その一つ一つを手に取って、舐めるように見ては戻し……穿いているズボンの膝はポコンと膨らみ尻にも黒ずんだ汚れが……この老人を観察していた〈私〉は、老いについて考え始める。後日私は右耳が聞こえなくなる。突発性難聴? 医者が下した診断は“逆耳”。何じゃ? 作品で直に確かめたし。
 『殺して』(張籠二三枝/青磁41号)――〈私〉は学校の先生。冬、通勤途上で不審な老婆に引き寄せられ、「私を殺して!」、家から息子、事なきを得る。早速友人に報告すると「あなたってそういうタイプ」。二月、三年生自由登校、殺して! は忘却の彼方、友人の店に誘われる。レストランにイベント会場を併設、地域のアート活動を夫と支援、自らもグラツィーリス。が、夫が病にたおれ幕引きへ! 急にあの老婆が気になり始める。朝、殺して! の道をたどると、あの家は既に更地。
  『石ころコロ子』童話(河合泰子/夢類27号)――新しい町、ハイツの二階に引っ越してきた〈ミーナ〉は、階下にゴリラじいさんが住んでいることを知る。ドアを開けると大きなゴリラ、縫いぐるみが飛び出す。この爺にだれも近寄らない。ある日お使いに行く途中、川っぷちで石ころを拾っている爺が。一つ貰い持ち帰ると、この石ころがおウチに帰りたいと言い出す……。石はわが民族では神話や民話でなじみ深い、その石ころがキューピットに。
 『Nさんとの七年間』(櫻井幸男/文芸復興40号)――傘寿をこえた〈N〉さんの趣味も石ころ収集。お庭を拝見、見事な配石で草花に調和、石を凝視していると色が微妙に変化、これぞ醍醐味! ところがNさんは変わらないことの魅力を語る――「何十億年と変らず存在し続ける石を見つめていると、∞時空の世界に入り込むような……」。石に比べなんと卑小な人間存在!
 『老而不死(老いても死せず)』(森下征二/同上)――論語で、漢字にして28文字、しかも無礼なジジイと罵られた原壌を“いま/ここ”に蘇らせ、解釈を転倒させた。森下さんは、原壌は荘子の“死生一如”の一途な実践者であるとして、なんと孔子に、臨終にも“道”を行う哲人と褒め称えさせた。「礼記」「荘子・至学篇」を論拠にしている。(「風の森」同人)
《参照:平成年間から21世紀中盤を眺望(「群系」)――地方を起点とした黒木淳吉と阿万鯱人の戦後文学(「龍舌蘭」)

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2020年9月11日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」(8月31日/朝刊)=茶園梨加氏

題「山怪」
内田征伺さん「谷の奥」(「詩と眞實」854号、熊本市)、下村幸生さん「あやめ」(「宇佐文学」66号、大分県宇佐市)
階堂徹さん「チョッター」(「詩と眞實」)
「宇佐文学」は発行人・岩本紘一さん建設の図書館「院内石橋ゆめ本の蔵」が編集・発行所、同氏の連載『平家物語』解読
《参照:文芸同人誌案内掲示板・ひわきさんまとめ》

 

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2020年8月10日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」(7月31日・朝刊)=茶園梨加氏

 題「ユーモア」
野沢薫子さん「碧(あお)い怒り」(「長崎文学」94号、長崎市)。高岡啓次郎さん「ターミナル」(「海」第2期24号、福岡市)。井本元義さん「エゴイストたちの告白(第2話)」(「海」第2期24号)。宮川行志さん「実録・眼鑑橋縁起『矼の虹』」(「詩と眞實」853号、熊本市)。熊江秀彦さん「ヴィア・ドロロサの怪事件」(「長崎文学」94号)。《「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさん・まとめ》

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2020年7月27日 (月)

同人誌時評「図書新聞」(2020・8・1)=評者・志村有弘氏

(抜粋)■小説では、平井利果の「恋知らず骨もなき兄」(「たまゆら」第117号)が秀作。しかし、悲しい作品。昭和二十年六月二十二日、「ひでにい」(亀井秀二。私の兄)が二十一歳で沖縄の真壁で戦死した。送られてきたのは、白い布にくるまれた骨箱。中には赤児の拳ほどの灰色の石と白木の位牌。むろん、骨のかけらも入っていない。戦後七十年が過ぎた二〇一五年、ひでにいの七十回忌をすることとなり、真壁へ行く。丘陵の山道を登り平地の墓碑に着く。ひでにいの写真や「私」の句「恋知らず骨もなき兄沖縄忌」(第五十一回全国大会特選句一位)と金子兜太が書いた色紙などを並べ、香を焚く。看取る人もなく死んでいった兄を思い、この地で死んだ人や軍馬を「大地が受け止め」たのだが、「大地から 彼等が歌う声がしはしないか」という詩を綴る。ひでにいに「もう死んだんだから」「私らといっしょに家へ帰るんだよ」と心の中で語りかけ、祈る。行間に滲み出る遺族の悲しい思い。作品末尾部分に「戦争は人一人の命を、少しもためらいもなく奪うという現実を見た」という文は真実の叫び。再末尾にある「夏草やわれも大地の居候 登志子」という句も見事。
 水田まりの「青柳町こそかなしけれ」(「日曜作家」第30号)は、函館の歌会で知り合った欅田(東京の女子大で国文学の講師)から水島燈子のもとに興福寺の仏像を見たくなったので、一緒に行きませんかというメールが届いた。燈子は函館で欅田と〓木の話をしたりしたが、夫以外の男性と喫茶店に入ったのは初めてのこと。空港でも話に夢中になり、燈子は飛行機に乗り遅れる。欅田は燈子の乗る名古屋行き最終便の払い戻しをして、チケットを手に入れてくれた。燈子の息子は社会人。娘は結婚して外に出ている。そして企業戦士の夫に守られてきたことも実感している。これから二人は恋に発展するのかどうかは分からないが、物静かな燈子の言動に好感が持てる。佳作。
 樋口虚舟の小説「波の行方」(「飛火」第58号)が読ませる随想的小説。〈随想的小説〉という奇妙な表現をしたが、古代から平安時代末期までの歴史の世界を自在に逍遥しているのを感じる。源三位頼政が扇の芝での自刃した話、「私の」祖父が謡曲を唸り、祖母は頼政の最期の場を歌っていたことなどが記される。作者の思い出が作品に上品なユーモアを醸し出している。宇治川が桂川や木津川と合流する地点に巨大な巨椋池があったのではないかという推定も鋭い。壬申の乱に対する柿本人麻呂の「眼差し」が「憂愁を湛えていた」という指摘も納得できる。鴨長明も「坊さん」という表現で登場する。古典・歴史の幅広い知識、それをサラリと書き流す見事な技倆。
 大森盛和の「笊屋の庸三」(「風の道」第13号)が力作。笊造り五十年の庸三は、妻のお久を十年前に亡くした。庸三はお久の像を彫ってみたくなり、彫ってみたものの、評判は悪かった。庸三はお久の眼を彫りたかった。お久が愛していた蔓薔薇を観察し、一瞬の美を見逃さずに表現することの難しさが分かった気がした。「女人像NO2、または眼」と題する作品は、初めは昨年同様悪評であったが、人々は〈眼〉に吸い込まれるような気がして、言葉を飲み込んだ。うまいのか下手なのかは分からないが、何かが違っていると思い、「庸三は霊に取り憑かれた」、「庸三の眼は、作品の眼と同じだ」と言うものの、馬鹿呼ばわりする者はいなかった。やがて庸三は村の第一号の伝統工芸士となり、最晩年は小動物の彫り物、とりわけ蛙の彫刻家として知られたという。テンポの早い文体で展開する笊造りと彫り物に生きた男、心に残る物語。
 秋田稔の「探偵随想」第一三五号掲載「とりとめのない話」は、往年の大スター片岡千恵蔵や月形龍之介などの逸話、脚本家の比佐芳武の言葉が随所に記される。月形が「難船崎の血闘」(比佐作)の脚本を読んで、比佐に「ありがとう」と言った話、千恵蔵演じる多羅尾伴内シリーズで、伴内が語る「正義と真実の使徒、藤村大造だ」というセリフは第三作「二十一の指紋」からだということも記される。映画通・ミステリー通のエッセイストならではの歴史の重みを感じるエッセー。
 「吉村昭研究」が五十号を重ねた。研究誌が五十号を重ねるのは、主宰の桑原文明をはじめ、同人諸氏の吉村昭に対する深い愛情を示すもの。 「月光」第63号が清田由井子、「北斗」第667号が駒瀬銑吾の追悼号。御冥福をお祈りしたい。 (相模女子大学名誉教授)《参照:
平井利果の戦死した兄への鎮魂を綴る秀作(「たまゆら」)――樋口虚舟の歴史の世界を自在に散策する随想的小説(「飛火」)

 

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2020年7月22日 (水)

同人雑誌季評「季刊文科」81号=谷村順一氏

 日常とは違う日々を生きるーーー《対象作品》亜木康子「猫道のころ」(「こみゅにてぃ」第107号・埼玉県)/島田勢津子「サークルーゲーム」(「黄色い潜水艦」71・兵庫県)/高琢基「鉄塔の下」(「あべの文学」30号・大阪府)/小澤房子「楓子」(「空飛ぶ鯨」第20号
・埼玉県)/安藤容子「笹の花が咲いて」(前掲誌)/宇野健蔵「太郎と踊ろう」(「じゅん文学」第102号・愛知県)/猿渡由美子「古里人」(前掲誌)/水口道子「消えた男」(「あらら」11号・香川県)/山田佳苗「わたしの右目におっさんが」(「樹林」Vol.6552・大阪府)/衣奈響子「四十九日には」(前掲誌)/瀬戸みゆう「シャラシャラのこと」と「〈ヒト・マウス〉キメラ」(「半月」第10号・山口県)/縣ひとみ「はるさんの時間」(「樹林」vol .652/大阪府)/堀尾俊「いびきのぬし」(前掲誌)/西村郁子「台風」(「せる」第113号・大阪府)/須永和子「叫びたいのに」(「繋」16号・大阪府)/階堂徹「唐揚げ」(「詩と真実」850号・熊本県)/翔明子「柳陰」(「あべの文学」30号・兵庫県)/やぎみわ「それがどうしたん」(前掲誌)。

 

 

 

 

 

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同人雑誌季評「季刊文科」81号=川中郁夫氏

《死》から考える現代人の性ーー《対象作品》吉満昌夫」光の向こうに」(「埋火」66号・東京)/山本恵一郎「ダム湖の見える丘」(「漣」6号・静岡県)/田中青「ダンスSolo」(「南風」・福岡県)/小松原蘭「妹」(「季刊遠近」第72号・神奈川県)/田村けい「シェルター」(「空飛ぶ鯨」第20号・埼玉県)/浅田厚美「曇り空のビオラ」(別冊「關學文藝」第59号・大阪府)/塚越淑行「起こされた女」(「まくた」第297号・神奈川県)/田中芳子「まわる」(「静岡近代文学」34号・静岡県)/滝沢玲子「六月三十一日」(「あべの文学」30号・大阪府)/要次子「理彩の生涯」(「北斗」一月二月合併号・愛知県)。

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2020年7月21日 (火)

「季刊文科」81号について

 文芸誌「季刊文科」81号に眼を通している。《鳥影社サイト》本誌は、定価に対し読者の支援寄付を募るシステムで、文芸同人誌の作家たちを優遇するシステムがあり、発行の助けになっているようだ。そのせいか、今号は同人雑誌評の担当を2人にし、拡大充実させている。有料でなければ行わないような試みもしている。ここが無料サービス化したネット情報との違いであろう。また、特集の三島由紀夫が大変面白い。版権の面倒なところのある作家だが、その知られざる一面がわかって面白い。自分が同人誌「砂」に参加していた時に、今は故人となった同人が,三島との交流があり、猪瀬直樹氏が三島論をしっぴつするのに、取材対象になっていたのを記憶している。その猪瀬氏が経過を記している。

 

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2020年7月 7日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」6月30日・朝刊=茶園梨加氏

  題「古参同人誌」
 冒頭、「九州文学」(福岡県中間市)と「龍舌蘭(りゅうぜつらん)」(宮崎市)がともに創刊82年を迎えたことに触れ、現在を紹介。
伊福満代さん「ここから」(「龍舌蘭」200号)、「佐々木信子さん「石蕗(つわぶき)」(「第7期九州文学」50号)
田ノ上淑子さん「黄昏の回廊」(「原色派」74号、鹿児島市)、鳥海美幸さん「罠」(「龍舌蘭」200号)、吉岡紋さん「求菩提の松」(「第7期九州文学」50号)
《「文芸同人誌案内」(掲示板)ひわきさんまとめ》

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2020年6月 9日 (火)

同人誌時評「図書新聞」(6月6日)=評者・越田秀男

 (前略)活き活きと生きたいがままならない人生、虚構によりどれほどこの生活の実相に迫れるか、作家達が舞う。
 『消された男』(水口道子「あらら」11号)――とある住宅街にゴミ屋敷、その家から死後8日も経った女の遺体が。夫が住んでいる! 殺人? 警察は事件性なしで引き上げる。順々にそのワケが明かされてくると、この夫婦と死んだ娘の不幸の塊のごとき生涯が浮き彫りに。残された夫は入所施設に。オ爺捨山? が、男は終の住処で活き処を見出す。このラストが作品のミソ。
 『太郎と踊ろう』(宇野健蔵「じゅん文学」102号)――零細な建設コンサルタント会社に勤める就職氷河期世代の主人公。会社から車で三時間もかかる建設用地の発掘調査を任される――長雨、期限の切迫、突然の梅雨明け、猛暑、過酷な作業、現場作業員との擦った揉んだは、危なくもユーモラス。一日が終わり、明日は休日、「何となく良い一日だった」、仕事も活、作品も活。
 『茶箱』(小松原蘭「季刊遠近」73号)――幼なじみの主人公と従兄は成長し恋仲になるが、主人公はイトコ同士が気になりはじめ、親側の事情もあり、心に反して関係を絶つ。と、従兄は病死。物語は下り、主人公と母は父を看取り、母も超高齢に、介護付き老人ホームの話が現実化する。一旦は母の入所を決めた主人公、過去の自身への蟠りが膨らみ、困難でも母と暮らす道をとる。
 『たとえば地獄の底が抜けたなら』(玉置伸在「カプリチオ」50号)――日雇い労働者の主人公、泥酔してひき逃げ事故に遭い、奈落の底。と、生活保護も受けずに生き永らえている老人と仲良くなり、この老人が時折発する“たとえ話”に惹かれる――「俺たちは野生の王国にいるんだ」。主人公はこの言葉に地獄の底から抜け出る道を感じ取る。動物園の檻の中よりまし?
 『負け犬』(瀬崎峰永「ふくやま文学」32号)――父に愛され父を愛する娘が強姦される事態に、父は手のひらを返すように娘を詰り疎んじる。娘は極度のストレス障害に陥り、やがて公衆便所脇の路上生活者、自殺未遂で病院に。担当医は父との関係修復を目差すも、裏目に出て自死。父からの完全離脱こそが、彼女の唯一の活路だった。
 『マンタとの再会』(國吉高史「南溟」8号)――「皆何処へ行ったかね」という老婆の言葉ではじまる。老婆の娘は18の歳で強姦され、産んだ子を母に託し本土に出奔。孫娘はその容姿から差別を受けるも耐え、婚約者を得る。が、難病を発症、婚約解消、40にして病が重篤化、延命策で足切断、半年後死去。わずかな“命”の時、本土で生まれ育った弟が母の死の知らせとともに訪れ、孫娘と婆にささやかな“活”を贈った。
 『兵詩』(城戸祐介「九州文學」572号)――バラバラになった自分の死体を自分が覗き見るシーンから始まるこの作品は、これから敵地に向かう時空へ舞い戻るところで終わる。生き返ると同じ時空、無限魔か。
 1946年12月20日創刊の「文学雑誌」、91号にて休刊。1977年8月20日創刊の「法螺」、80号にて終刊。 (「風の森」同人)《参照:虚構によりどれほど生活の実相に迫れるか、作家達が舞う

 

 

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2020年6月 1日 (月)

西日本文学展望(西日本新聞5月29日/朝刊=茶園梨加氏

題「異なる存在」
田川喜美子さん「空」(「長崎文学」93号、長崎市)、寺井順一ん「甘雨」(「西九州文学」44号、長崎県大村市)
田原明子さん「ほうずき」(「海峡派」148号、北九州市)、野沢薫子さん「秘湯」(「長崎文学93号)、「詩と眞實」(851号、熊本市)より共に連載の武村淳さん「平成uncontrollable fantasy」シリーズ・園村昌弘さん「村を撮るⅣ」、坂田眞澄さん「子育て盛衰前哨戦」(「西九州文学」44号)。(「文芸同人誌案内・掲示板」。ひわきさんまとめ)。 .

 

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