外狩雅巳「大地の記憶」(8)解説・古代東北と日本歴史
私の実家は仙台市です。太白区富沢です。沢とは丘陵地からの水の流れ下る谷で河に続きます。近くには,金剛沢とか金洗いなどの地名が残っています。金を掘ったり洗ったりしたようです。
大和政府が成立後短期間に強国になった一つに経済的な基盤があったと思います。
東北征服は経済から考えると資源の獲得でしょう。馬と鉄と金は当時の東北の特産品でした。未開地が広がるので放牧に適しています。あまり寒くない南東北や関東は名馬の産地です。
那須地方の豪族・那須与一は馬上からの弓が得意です。馬と武将の話は多く残っています。
鉄は武器製造の必需品です。古代に行ったたたら製鉄の痕跡が多く残されています。
白村江敗戦で大陸からの輸入が困難になり国産を急ぐ事は国防の緊急課題でした。現在でも変わらず金は世界共通の通貨価値があり保有量は国家経済の象徴となっています。
かっては紙幣は兌換券と刷り込まれていて国立銀行が金との交換を保障していました。宮城県から金が産出したという国家の慶事で大伴家持の記念歌は万葉集に残っています。律令支配体制を確立させて税金として馬や金や鉄を大量に保有し強国になる予定なのです。
そこに無理があります。軍事の経済の民政の無理を強権で推し進める歴史がありました。648年に磐船の柵を作り武装移民で守らせて以来百年間の国家プロジェクトが続きます。
唐帝国の日本征服を恐れ多くの蝦夷兵士を九州防衛に移住させました。強い蝦夷に頼りました。現地人を強制退去させ砦を作り武装移民を送り込むと、田畑を作り自給自足させます。
追われた現地民や負けた捕虜をドンドン南日本に移します。百万人移民計画の記録もあります。
百済の応援で唐と戦ったのは大和政府の失策でした。二万人以上の兵士を失ったのです。当時四百万程度の人口の中での二万人です。今なら五十万人です自衛隊の倍です。
艦隊も全滅です。国内の予備艦隊は大切に使いました。東北征服の虎の子です。北の新天地開拓の為に北陸から北海道までも何度か戦闘航海した記録も残っています。坂上田村麻呂はその総仕上げの大将でしょう。青森まで征服してしまいます。
802年に胆沢城・803年に志波城建設と岩手北部から青森にかけて制圧しました。そんな百年戦争の中での特筆する日本軍敗戦である紀古佐美将軍の北上川戦記です。
白村江の戦では追撃戦で伸び切った隊列を分断され包囲殲滅戦の敗北となりました。蝦夷兵も沢山捕虜として長安に送られました。彼らは日本軍敗北の実態を知っています。
沿海州から北海道まわりで帰還した蝦夷兵がその戦訓を持ち帰ったと仮定しました。その仮定の上での789年の古佐美軍撃破作品を書いてみました。
■参考≪外狩雅巳のひろば≫
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