2017年6月11日 (日)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』村上春樹著

小説執筆の傍ら、世に送り出した翻訳書は約70冊。作家の村上春樹さんが自らの翻訳家としての36年の歩みを振り返る。3月刊で2刷2万8000部。主な読者層は20~50代の男女と幅広い。
 小説やノンフィクション、音楽についての文章まで、手がけた一点一点が丁寧に紹介される。J・D・サリンジャーの永遠の青春小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の項では〈その魔術的なまでの巧妙な語り口〉に正面から挑んだ感慨をつづる。
 全集を訳した同時代の米作家レイモンド・カーヴァーについてこう書いている。〈僕が彼から学んだいちばん大事なことは、「小説家は黙って小説を書け」ということだったと思う。小説家にとっては作品が全てなのだ。それがそのまま僕の規範ともなった〉。若い書き手が世界的な人気作家へと成長していく道程の、精緻で心揺さぶる記録がここにある。(中央公論新社・1500円+税)
《産経新聞6月10日:世界的作家を育んだ膨大な訳業『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』村上春樹著》より。

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2016年8月15日 (月)

「法政文芸」第12号(2016)2作品に読む時代精神

 本号の特集「表現規制と文学」については《暮らしのノートITO「法政文芸」(第12号)特集「表現規制と文学」で問題提起》にその意義を社会的視点から記した。現在と大東亜戦争前と戦時中の言論統制の歴史的事実を否定的に学んでのこと思える。だが、文学的には、当時のメディアの大本営発表までの経過は、国民が自ら陶酔状態から求めた結果、という視点もある。戦場体験を積んだ作家・伊藤桂一は戦争への反省に足りないものがあると、語ったことがある。
 ところで、掲載された小説の収穫は「僕の兄」(工藤はる花)であろう。作者は女性のようだが、作中の語り手は「僕」である。幼年時代に、兄に連れられて、自転車で見知らぬ遠い場所に連れていかれた記憶が語れる。その時の心細さと恐怖感を味わう。心配した両親のもとに戻るのだが、なぜ兄がそんな冒険をしたか、わからない。「僕は時々、子供と大人が地続きであるということがどうしても信じられない」と記す。ここに、人間の人格形成へのみずみずしい感覚の問題提起が行われている。
 しかも、その作品構成力には、修練された技量をしのばせているようだ。話は、兄が若くして死んだことを葬儀の場を描くことで、読者に示す。弟という立場からそこに至るまでの出来事を思い越す。父母と息子の兄弟の4人家族。兄は、は中学、高校と思春期の成長の過程でつまずき、家出、引きこもりの問題行動を起こす。弟の僕はそれを横目で眺めて、成長過程を問題なく通過する。世間的に普通の「僕」に対し、普通でなくなっていく兄。自死とも事故死とも判然としない自滅死をする。その兄を見る視線は、なかなか普通を超えて、兄の苦しみを不可解のまま、それを否定しきれない心情を描き出している。僕の兄は何が問題だったのか、そこに現代的な家族関係の一般的な自然な姿を浮き彫りにさせる。
 日本が成熟社会に入る以前は、引きこもりをする余地はなかった。経済的にも社会成長のためにも、僕の兄のような存在は、是非もない否定的な問題であった。
 成熟社会を迎えた今、「僕」は兄のことを考え、なにかを理解しようとすることで、心の整理をつけようとする。かつての、前肯定でなければ全否定という対立関係での発想でなく、相手のなにかを理解をしようとする存在否定をしない社会文化の変化を感じさせるものがある。
 小説「人生コーディネーター」(中橋風馬)は、まさにITアプリケーション技術の発達が素材になっている。真人は、何事にも「ニーズに対応したシステム化」が日常生活に応用され、何事にも問題や不利益を回避し、順調にいくアプリを使う。ところが、アプリ使用の終了後も、独自にアプリケーションは、真人の行動を情報収集し続けて、彼の行動をコントロールしていることがわかる。
 多かれ少なかれ、我々は自分のために多くのシステムを活用し、そのなかで生活している。それが、地球温暖化現象となって、何事にも破綻があることを示している。しかし、それを押しとどめることができない人間性を浮きただせる話になっている。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

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2015年8月18日 (火)

文芸誌「法政文芸」第11号(東京)

 法政大学の国文学科の別冊である。読みどころは「暮らしのノートITO」で紹介した。文芸コースから大学院の文芸創作プログラムに進んだ修了生・くぼ田あずさ氏が、第9回小説宝石新人賞を受賞したという。基礎的な文章表現力では、洗練されていて当然だが、娯楽物系への対応性も見せるというのは興味深い。
【「マリアへ捧ぐ眼」飯村桃子】
 主人公の学生「私」は、モスクワに短期留学する。現地での教会のマリア像の詳細なイメージと、生々しい存在感と美。「私」は、宗教に詳しくない、とあるのでクリスチャンではない。そこで見たキリストか、とも想わせる汚れにまみれた男との出会い。この観察的な表現と、心象イメージの拡張は何なのか。孤独と不安の実存的なイメージが感じられる。そして、帰国すると認知症になってしまった祖母。きめ細かい感覚の表現力は読ませる。具体的な生活上の細部でてくるが、それで「私」の実存的な存在感が高まるかというと、そうでもない。存在の危うさや孤独への内面的追及性が軽くなっているような気がする。
 とはいえ、人間の実存的な存在感の表現にせまろうとした作品に読めた。ちょっと、形でいえばリルケの「マルテの手記」を感じさせるところも。
【「群青の石」北吉良多】
 東武東上線の沿線の埼玉のどこかに家族と共に住み、東京の大学に通い、池袋にあるのかどうかはっきりしないが、中学生塾の講師をする主人公。就職活動は、うまくいかず、すこし焦りがないでもない。恋人がいてお泊りなどもするが、彼女と結婚することは考えていない。
 塾の生徒に、周囲から浮いて孤独な女子中学性の井崎がいる。ほかの講師仲間は、扱い難いと彼女を敬遠するが、主人公は内向的な彼女を気にはするが、それほど苦に思わない。
 井崎はその孤独な生活から、学校ではいじめを受けているらしい。そこで、東京に出ると言いだす。環境の変化への挑戦である。なんとなく生活し、就活をする主人公の自分自身への不満、未来への不安とそれが重なる。
 主人公は「心理学」を学んでいるが、現代の大学生性のなかで、自宅通学型の典型的学生生活状況がなかなか面白い。「心理学」では、職業選択での志望企業に茫漠としたものがあるのであろう。その茫漠さに主人公は不満をもって変わりたいと思う。「僕は真面目に生きたかった。狂った歯車を正すことはそんなに簡単ではない」と思う。就職すれば、日本的ビジネスカルチャーの社会的役割演技に適応するために奔走するのであろうが、大学生活のモラトリアム性への違和感への表現と読めた。
発行所=法政大学国文会。発行人・勝又浩、編集人・藤村耕治。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年6月26日 (金)

徳田秋声の再評価か

鏡花と同じ紅葉門下で、浅野川べりの旧居跡近くに記念館が立つ徳田秋声(1871~1943)の影は薄い。ノーベル賞作家の川端康成は、秋声が1939年に第1回菊池寛賞に選ばれた際、「現代で小説の名人はと問はれたならば、これこそ躊躇ちゅうちょなく、私は秋声と答へる」とまで評価している。元芥川賞選考委員の古井由吉氏も「男女の日常の苦と、とりわけその取りとめのなさを描いては右に出る者もいない」と語るなど、プロの評価は高い。2月刊の佐伯一麦著『麦主義者の小説論』でも、秋声の<世間の塵労>を身にまとったすごみを伝えているが、人生をあるがままに描く地味な作風もあり、一般ではあまり顧みられていない。
秋声の作品に光>読売新聞4月24日。

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2015年6月20日 (土)

「絶歌」が週間売り上げ1位に 販売自粛の書店も

出版流通大手のトーハンが16日発表した週間ベストセラー(7~13日)で、神戸市連続児童殺傷事件の加害男性による手記「絶歌」(太田出版)が総合1位となった。同書は11日に発売され、版元によると初版10万部。
 同書の販売については書店の対応も分かれ、東京都と神奈川県で38店舗を展開する啓文堂書店では被害者遺族の心情に配慮して、全店で同書を販売しておらず、客からの注文も受け付けていない。また通販サイト「丸善&ジュンク堂ネットストア」では16日正午現在、同書は「現在ご注文いただけません」と表示されている。担当者によると在庫切れの上、版元と連絡が取りにくい状況で入荷の予定がないためという。
 同書の出版をめぐっては、平成9年に男性に殺害された土師淳君=当時(11)=の遺族が同社に抗議し、回収するよう文書で求めている。(産経ニュース2015.6.16)

 書店で見掛けることが多い。販売自粛という店があるというのも、難しい問題だけど、読みたい気がするという時代の空気がそうなるなら止めようがない。

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2015年6月 5日 (金)

自費出版、小野寺苓さん(82)の『女の名前』が小学館文庫に

 岩手県一関市に住む小野寺さんは、学生時代から小説や詩を書き続けてきた。この本は1996年、1000部で自費出版した。ただ、それが数年前に、直木賞作家の桜木紫乃さんの手に渡ったことが転機となる。文章に心打たれた桜木さんが、トークイベントなどで紹介していたことが縁で、文庫化されることになったのだ。
 決して、派手な本ではない。両親にまつわる思い出や、自らの先祖のこと。漢学を学んだ父とそれを支援した実業家。不意に家を訪ねてきた女性との、ささやかな出来事をつづった「マリアはいますか」。控えめだが端正な言葉でつづられたエッセーからは、東北で戦中・戦後の時代を生き、文章を書き続けてきた女性の確かな筆力がうかがえる。
 編集者からこの本を紹介されたという桜木さんは、「言葉の切り口と使い場所を間違えていない。こういう人たちが自分の本を手にとっているかもしれないと思うと、書くことをおろそかにできないという気持ちになる」と話す。
読売新聞6月5日【記者ノート】自費出版19年後の文庫化

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2014年10月23日 (木)

外狩雅巳氏の小説「足払い」(下)を穂高健一ワールドに

 外狩雅巳「足払い」を穂高健一ワールドサイトに公開しました。作品を随時「詩人回廊」北一郎サイトに掲載していく予定です。この作品は、外狩氏が大変気にいっているもののようです。
 おそらく、肉体のエネルギーを文章のなかで書ききったという充実感があるのでしょう。その意味では、たしかに文体にエネルギーが出ています。
 読者の読む作品感としては、現代社会における個人の閉塞感へのフラストレーションの表現の範疇でしょう。このようにひとつの作品について長々と能書きをつけられるのは、ネットの特性でこそ有効かなとも思います。
 三田文学の最新号での同人雑誌評が、かなりのページ数を費やしているのを読むと、商業誌でないから可能なのかとも思います。北の試みも一つの方法だ思います。ただ、北の評論のレベルの低さが外狩氏に気の毒で欠点ですが、逆にこれにたいする批判や反論のしやすさにつながれば、よいのではないか、という腹づもりです。

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2014年10月16日 (木)

西尾維新電子版『掟上今日子の備忘録』(講談社)で発売

 講談社は、10月15日、電子版『掟上今日子の備忘録』(講談社)を紙版の書籍と同時に発売した。これまで同氏の小説をコミカライズした電子化作品はあるが、小説では初めて。ファンからも電子化の希望が多かった西尾氏が電子版を刊行したことで、紙版の増売も期待される。電子版の価格は紙版と同じ1350円(税込)。現在、主要な電子ストアでキャンペーン価格で販売している。講談社から刊行されている「戯言」「物語」シリーズの電子化は未定。
《参照:大沢在昌氏が語る電子書籍時代=出版社との包括契約はまだ少ない

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2014年10月 9日 (木)

ネットでヒット太田紫織『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』

ネット小説ではファンタジーやホラー、恋愛ものが主流であり、書籍化されたものを見渡しても、ミステリ作品のヒットは珍しい。「エブリスタでは全く人気がなかった」と太田氏は語る。ネットで人気のものを紙で出すのがこのジャンルのセオリーだが、同作は違った。《新文化「衝撃、ネット小説の今」》
 角川書店(当時)は「キャラクター文芸」の部署を2011年に発足。「大人向けだがキャラクターが立っているシリーズもの小説」を模索していたところ、エブリスタと組んで行った新人賞で『櫻子さん~』と出会った。
 選考ではネット上の人気は度外視し、角川文庫のなかに入った時に長く支持されるかどうかを重視した。エブリスタの人気投稿者の多くは、スマホで閲覧するユーザーのことを考えて1ページあたりの文字数を400~500字程度にし、少ない分量だが高頻度で更新するスタイルを取っている。
 太田氏は逆張りだ。海外ミステリの影響を受けた文体は他のスマホ小説より描写の密度が濃く、ひととおり書き上げてから一気に投稿する。
 また、読者の反応も基本的には見ず、作品にフィードバックさせることも多くはないという。ネット小説家というより従来の作家に近い作風と佇まいであり、それが角川文庫というアウトプット先とフィットしたのだろう。

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2014年8月18日 (月)

デジタルから本へ=「魔導師は平凡を望む」シリーズ累計9万部

 フロンティアワークス同社第1事業部課長の辻政英氏は語る。
 かつてラノベを読んでいた30代、40代も、10代とは感覚の乖離が大きくなり、ラノベ棚から遠ざかる。そんな人たちが「本当はこういうものが読みたい」という想いから同世代向けにネットで小説を書き、それらが書籍化されて文芸棚に収まると「これが欲しかった」と購入する人が、意外なほど多かった。だから書店のネット小説コーナーは日に日に面積を増している。
 「うちの編集部員は皆『小説家になろう』(ネット小説投稿サイト)の作品が大好きで、『共感できるもの』『自分たちの感覚でわかるもの』をやっています。《新文化「フロンティアワークス 「文芸書」棚をねらいうち」》

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