2008年4月18日 (金)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(11)

B 浪漫主義
 ドイツではシュレーゲル兄弟、ティーク、シュライエルマツヘル、ノヴァリス、等は初めベルリンに集り、後にエーナに集って浪漫主義運動を起し、機関紙「アテネーム」を発行した。彼等はゲーテ、シルレルの青年時代の激情を讃美し、原始文学を唱えたヘルデルを尊敬した。哲学も唯理念のみを旨とするものを排し、人間のうちに重心を置く哲学を採った。殊にフィヒテの「自我の外には何ものも存在しない」と言う教説に無限の魅惑を感じたのである。またシュレーゲル(兄)はシェイクスピアの翻訳に従事して、ドイツで最も広く読まれた決定訳を作った。

 ノヴァリスといえばドイツ浪漫主義を想起する詩人だが、ティークは彼を評して「高き不滅の精神のいとも純にして、いとも美しきあらわれ」と言った。生来虚弱で、名門の生れであったが、病魔と終生戦わねばならなかった。そして愛人ユーリエと結婚する日が遂に来たらず、病没したが、「夜の讃歌」「聖歌」などの浪漫的な佳い作品を残してドイツ浪漫派の基礎を固めたのである。
 ハイデルベルヒに集った浪漫派の一団があった。彼等は一層抒情趣味を鼓吹し、無限への憧憬、神秘への思慕を境地要した。アイヘンドルフの詩篇や小説「のらくら者の日記」は有名である。またホフマンの怪奇趣味に満ちた小説はポーやボードレルに多大の影響を残している。ドウッセルドルフに生れパリで死んだ詩人ハイネは早くから我国に紹介され、その浪漫的な叙情味と一脈の憂鬱な調子は多くの青年を魅了したものだ。

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2008年3月30日 (日)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(10)

    B 浪漫主義
 浪漫主義はまた今も言うごとく自我解放の文学であった。革命によって、今まで抑えつけられていた者が自由の空気を吸えるようになったので、その喜びが確かに文学の中に滲み出ている。しかし、今までの古典主義文学が極端に自我を押し隠して、ひたすら客観的にあろうとし、厳重な法則の中に自我を埋没させていた反動として、自我の姿を赤裸々に露わし、法則を破壊し、形式に拘泥せぬ文学を作ろうとした。すべて自己の叫びを阻むような桎梏を取り除いた。実際フランスの詩人達は自我解放の喜びにひたり過ぎるくらいだった。
 浪漫主義は前述したごとく、ドイツではゲーテ、シルレルの青年時代に既に彼等を激情の嵐で吹きまくったことがあった。「群盗」や「若きウェルテルの悲しみ」は実に浪漫的な感情の所産である。
 フランスでは革命で国に追われた貴族達が諸外国を放浪し、再び帰国した時は、イギリスに渡ったものはウォルタ・スコットを持って帰り、ドイツに行った者はドイツ浪漫派の諸作を持って帰った。例えばフランスのスタール夫人はドイツを流浪して「ドイツ論」を書いた。これがフランスの浪漫主義運動を即頓させた原因に数えられている。かくしてヨーロッパの諸国は19世紀に入ると一様に浪漫主義に化したのである。各国を通じて最も著しい特色は過去の文学と絶縁して、自我を解放したことと、叙情趣味を昂揚したことである。

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2008年3月16日 (日)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(8)

A 古典主義(承前)
 古典主義の特色として、統一均斉、調和、明晰、沈静、古雅、節度、簡素が喜ばれ、形式と技巧とが極度に重大視された結果、内容がうつろで物足りなく、理智と客観が冷たく支配して、個性は全然息の根をひそめてしまった。コルネイユ、ラシイヌ、モリエール、ラ・フォンテーヌの17世紀古典主義最盛期を過ぎて、18世紀に入ると、もう法則だけが残されて、内容は見るに堪えるものがなくなった。英国では古典主義作家はドライドン、ポープ、アヂソン等があるが、中でもポープは作物に、不自然極る、一間滅茶とも思われるほどの模倣が目立って、擬古主義の旗頭といわれていた。

 文学の形式は更新されなかったが、18世紀は革命の胚胎期でモンテスキュー、ディドロー、ヴォルテール等の啓蒙主義が盛んに行われた。英国でもヒュームやロックの理神論が起った。17世紀が文学芸術の世紀であったのに反し、18世紀は観念的なものが特に顕著に見えるのである。こうした空気はドイツに伝わり、啓蒙主義の思潮を詩的に表現したレッシングはまたドイツ国民文学の建設者であった。と同時、レッシングはギリシャ、ローマの文学的教養を積み、ドイツにおける最初の古典主義芸術家でもあった。彼は創作家であり、思想家であり、芸術批評家であり、シェイクスピアの偉大さに初めて著目し、師表と仰ぐべきことを力説した。「ラオコーン論」は造形美術との区別を論じたものだが、ドイツ古典主義の聖典となった。

レッシングとともに古代ギリシャに心酔し、典雅沈静の趣きを伝えたのはウィンケルマンで、後のゲーテに影響を与えた。ゲーテ、シルレルはシュトウルム・ウント・ドランクの時代にむしろ浪漫的な激情に駆られたが、両者とも中年期に達して、ドイツ古典主義を大成した。ゲーテは「どこからどこまで卒のない作品こそ真個の古典だ」と言ったが、ドイツの古典主義はゲーテ、シルレルが出て、黄金時代を現出した。永遠なもの、永続的なもの、合法的なもの、人間的なもの、偉大なもの、高尚なもの、調和と均斉と形式美を具備したものへとドイツの文学は転向した。

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2008年3月 4日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(7)

A 古典主義
 だがその一面人間主義の影響を受けて、文学は真に「人間的」になり、また「自然的」になった。ラシーヌの悲劇、モリエールの喜劇は、従来の文学にはかつて見ないほど自然的で人間的ではないか。しかし、当代の一特色たる教訓的な傾向はボアローという批評家が出て、一層甚だしくなった。
 これは現代文学改造熱の高まったところから、何とかして俗人を自分達の高さに引き上げてやろうという意図の現われである。ラ・フォンテーヌの寓話もこうした意図を受け継いでいるのだが、話そのものが素朴で、面白いから、教訓的な寓話がそれほどしかつめらしく見えないのはさすがにラ・フォンテーヌの偉さである。
 唯ボアローは堅苦しい劇の形式三一致の法則をアリストオトルから借りて来て、厳しく詮議立てをした。行為、時、場所の3つの単位を決定して、5幕の芝居が24時間以内の出来事でなければならぬといった法則である。
 有名なコルネイユの「シッド」も一日の出来事は到底思えぬ大事件が次から次へ起こって来る。法則に適っているのか知れないが、今の考えでは出鱈目としか思えない。こうした古典主義の窮屈さに人々は埋まり込んで、手も足も出ないほど力を殺がれてしまった。
 モリエールは宮廷の人々に見せる芝居を急がされて、規則を無視して、韻文であるべき劇を随分沢山散文で書いている。ボアローにしばしば忠告されたようだが、モリエールの喜劇はあるいは古典的な均斉を欠いているかも知れぬが、また規則に縛られなかったために事由溌溂なところを壊さないでいられたとも言えるだろう。だが古典時代の天才はともかく、一般文人はこの法則一点張りに出合って、自由な精神は全く殺されている。

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2008年2月25日 (月)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(6)

 A 古典主義
 今日我々が古典主義と呼ぶ文学は普通文芸復興の後、17世紀、18世紀に主にフランスを中心として起こった文学思潮の全般を指すことになっている。一言でいえばギリシャ、ローマへの憧れが生んだ文学である。中世の暗黒時代を経て、文芸復興に目覚めたのはイタリーである。イタリーの「人道主義者」達が格調の正しいギリシャ、ローマの古典文学を読めはじめ、真に自我を甦らせて、新しい文学を築いていた。
フランスはシャルル八世、ルイ十二世、フランソワ一世のイタリー遠征によって、初めて彼の国に接触し、一種の文芸復興の波が寄せて来たのである。ギリシャ、ローマの文学の研究熱が頓に盛んになった。ギリシャ、ローマの古典なら、精神、内容、形式、風趣すべて結構、いや現代の文学さえ古典に接近すればする程、傑作たる資格が持てる。そう考えていた。だから人によってはこの文学を擬古主義とさえ言っている。
当時欧州の知識階級間に既にラテン語が流行していた。当時の文学は粗野で野蛮で、いささかの洗練味もない人々が、ラテン語から得た知識は、やがて、ギリシャ、ローマ文明への礼讃となったことに何の不思議もない。そこへ立派な手本を見せつけられたのだから黙っていない。猫も杓子も古典研究に没頭する。モリエールは「女大学」の中でギリシャラテンを振りまわす男を揶揄して書いているくらいだから、余程当時こんなきざな男が大勢いたにちがいない。
 しかし、もともと、初めの内は、自分等の時代の文学に対する不満が爆発しただけで、何とかして現代文学を改造してやろうという意気に燃えていたのだから、かなりに理想主義的な目的があることはあった。

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2008年2月22日 (金)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(5)

 第4 文学思潮としての諸主義
そして新しい浪漫的な色彩を帯びた文学が時の流れとともに古典となるのである。古典的なるものから見れば浪漫的なものが、破壊的であり、不安定に見えるのはこうした事情によるのである。同じことを英国の批評家ペエタアは「世には形式とともに出立する生れながらの古典主義の人々があって、そのひとには芸術や文学の古い記録以前からの、よく認められている模型の美しさは、特に印象強くあらわれる。これらの人々はこれらの模型に易々と事由にはまらないものを歓迎しない。これらの作は、古い作者の変形か、さもなければ、これを研究するものであることを理想とする。
彼等は彼等の時代の進歩的な人々に、あるいは、50年の内に誰も欲するようになるものを今から先んじて注意する人々に、「わが子よ!それは芸術の堕落だ」といつも言っている。また他方には、生れながらの浪漫主義の人々があって、彼等は独創的な、誰も未だ試みない混沌的な状態にある材料をもって出立する。彼等はこれを活々と想像し、これを彼等の作の実質と思考して保持する。これらの人々は、彼等の意想と活発と熱気とによって、それに本質上、適当でないものを、遅かれ早かれ、清め去り、遂には全体の結果は、明瞭な秩序ある比例ある形象に調整されるが、その形象は暫くした後で、今度は古典的になってしまう。
 これはスタンダールも論ずるところで、古典主義が均整や秩序を尊ぶのに、浪漫主義が自由奔放な独創を愛し、誠心としては相反する二つのものだが結局は相交代して芸術の歴史を形成して行く事情をよく語っていると思う。
 浪漫主義は19世紀に至って、古典主義と対立し、写実主義、自然主義と対立したが、浪漫主義が勃興しなければ、新文学の溌溂さは生れてこない。フローベルのような厳正な秩序を愛した写実作家の心情にもなお浪漫的な想像がどんなに多く働いたかは批評家の指摘するところだが、彼の「聖アントアンヌの誘惑」や「サランボー」を読めば直ちに了解するであろう。
 以上で古典主義と浪漫主義が、常に如何なる時代にもあり得る作家のかなり根本的な性情であることは理解されたことと思う。次に文学の思潮として夫々について述べてみよう。

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2008年2月19日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(4)

 第4 文学思潮としての諸主義
   1、古典的と浪漫的
 先ず古典主義と浪漫主義、自然主義等について語るのだが、19世紀以前つまり17、8世紀の文学を通常浪漫主義と呼んでいるが、古典的浪漫的という二つの概念は実はそうした文学史的意義には限られず、何時如何なる時代にもあり、また作家夫々の気質の中にも見出し得る対立的な概念である。
 古典主義は真を求め、浪漫主義は美を索めるように思われているが、必ずしも古典主義は真のみを求めず、浪漫主義は美のみを求めぬ。芸術家の精神は古い範疇を持ち出すと、結局真善美が備わっていることが誰しもの願望である。また真とか善とか美とかを分けて考えるのはそれほど古くからある思想ではない。古典美という美が明瞭に存するのだから古典派の作家は真を求むるとは益々言えなくなる。スタンダールは「優秀な芸術家は、その生じた時代には、ことごとく浪漫的であった」と言っている。これはラシィヌとシェイクスピアとを論じた書物の中にある言葉だが、確かに時代的にいえば古典主義時代に属するラシィヌ、シェイクスピアの作品には浪漫的分子が非常に多い。シェイクスピアの戯曲が19世紀の浪漫主義作家に愛読され、浪漫主義運動を促進せしめたことはあまねく知るところである。常に新しい文学は既に在る文学に対して挑戦して自己を主張するものだが、この時新進作家の心情には甚だ浪漫的な激しさと新鮮さが働いている。これは中世の文学対して叛旗を翻したルネッサンス運動においても見られる現象である。

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2008年2月13日 (水)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(3)

 要するに、日本の現代文学は、欧州の近代文学の圧倒的な影響を受け、それと日本の伝統とが結びついて生れたものである。
 その中で、日本文学の特色というのは、私小説ないしは、身辺小説といわれるものである。
 これは日本の俳句に現われているあきらめに似た静かな気持で、非社交的な自己中心の世界における生活を描いた小説である。社会小説とは、凡そ縁遠いもので、自己の日常生活における生き方、心持、もしくは道徳的態度を報告したような小説である。事件は、非常にtrivialである。しかしそこに現われた心持は、かなり深いものである。だから心境小説ともいわれている。これは、俳句に現われているような日本人の心持が、近代文学のリアリズムの手法や物の見方を借りて、小説に現われたものである。
 こういう小説では、主人公は、作者の仮名に過ぎない。そこには、テーマもなければプロットもない。むろん、何のノベルティもなければロマンスもない。ただ日常生活に起こるような事件があるだけである。しかし、その事件を廻って現わされている主人公(即ち作家)の生き方、心境に深いものがあるのである。現実的な人間の本当の姿が感ぜられるのだ。
 こうした小説は世界中独特なものである。そうして、到底外国の読書によって、その価値が理解されることは、至難であろうと思う。しかし、自分は芸術の神様の眼から見れば、相当高く価値されるものだと思っているのである。
 前に、申した通り日本文学は、その要素として、世界のあらゆる文学を受け入れている。フランス文学の傑作は、世界各国の中で、一番目か二番目かには日本へ訳される。イギリス文学についてもドイツ文学についても同じである。日本位、他国の文学を貪食する国民はないのである。しかし、悲しいかな日本の作品は、少しも紹介されていない。それは日本語が至難であるからだ。日本には第一人称を現わす言葉が、2、30ある。しかし、その一つ一つが、それを使う人の階級や性格を現わすことになっている。それが一つのⅠに訳されることは不可能事である。また雨という言葉でも、日本は四季によって、またその降り方によつて、20幾つかの名前がある。そして、その名前の一つ一つが皆文学的伝統を持っている。春雨は、spring rainであるが、しかし「春雨」という言葉の中には、日本人は、無限の夢と詩とを感じているのである。その言葉そのものが、一つの文学的言葉である。
 あらゆる言葉について、同じ事をいえるのである。だから我々は日本文学の翻訳については、絶望している。我々は、この万里の長城のような日本語を越えて、我々の文学が欧米に理解されるとは思わない。だから、何時が来ても、バーナード・ショウは、日本について「円と武士」としか知らず、我々はショウの作品を全部読んでいるという悲しい矛盾がつづくものと思っている。

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2008年2月 7日 (木)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(2)

 以上述べた作家を通じて欧州の近代文学が、日本にもたらしたものは、1、Realism (Naturalism)。2、人類愛の思想。3、新しい小説ことに短編小説の手法である。

 その中、自然主義は、ゾラ、モーパッサン、フローベルなどの作品によって、日本に紹介され、日露戦争後明治40年頃に、自然主義の全盛時代を現出した。
 田山花袋、国木田独歩などが、その代表的作家である。
 この自然主義が、人生をあるがままに観て、その暗黒面ばかりを見るのに対して、反抗して立ったのが、白樺派の作家である。貴族学校である学習院の出身者の多い彼等は、トルストイの影響を受け、人道主義的思想を以って、人生を描こうとした。この中には、武者小路実篤、有島武郎などがある。
 この他に、小説の構成、手法などの点において、自然主義に対抗して立った作家がいる。これが新技巧派と呼ばれ、帝大の出身者が多かった。自分なども、その一員である。自然主義が、人生をありのままに描くため、プロットやテーマを排斥することにあきたらず、プロットもあり、テーマもある作品を書こうとしたのである。
 これは、いづれも今から20年前位の出来事で、この二つの派の作家は、今でも活躍している人が多い。
 その後に出たのが、プロレタリア文学である。これは、ロシアの共産主義の影響を受けて、人生を階級闘争的に見て、それを描き出すことによって、社会革命をもたらすことに協力しようとしたのである。しかし、文学が文学以外の目的のために、奉仕することはその意図からして邪道であるからいい文学が出来るはずはなく、同一の目的のために常に同型の主題や人物が描かれるために、一般読者の興味を失い、それに国家の弾圧もあって、今は見る影もなく衰えた。現在では日本文学は欧州からの新しい刺激もなく、新しい才能のある作家も輩出せず、ただ技巧的に新奇を追っている位で、どちらかといえば停滞状態にある。

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2008年1月29日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(1)

 日本の文壇は、文学的な坩堝と思う。ここには、世界各国の文学が投げ込まれて、新しい文学が作られ、また将来においても作られると信ずる。
 ロシア文学は、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフをその代表的作家として、日本の読書界を風靡した。
 北欧の文学は、イプセン、ストリンドペリー、ビヨルンソンなどを代表的作家として、日本文壇に紹介された。ストリンドペリーのものなどは、一作として翻訳されないでいるものはないだろう。
 ドイツ文学も、古きゲーテを初めとして、近代のハウプトマン、シュニッツェル、ホフマンスタールなど、ことごとく読まれている。
 フランス文学では、モーパッサンなどは、ロシアのトルストイと匹敵するほど、日本ではファミリアな名前でモーパッサンに対して(モウ沢山?)と言う洒落が生まれた位、日本では読まれた。フローベルの『マダム・ヴォバリー』などは、日本の文学青年は誰でも、その名前を知っている。ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』などについても同じ事がいえる。最近では、アンドレ・ジイドが、日本では流行している。
 英国についても、同じ事がいえる。先年来朝したバーナード・ショウは、日本については、「円と武士」という二つの言葉しか知らないと豪語していたが、我々はバーナード・ショウの作品は、20年前から読んでいる。その他、オスカー・ワイルドや、ジョージ・メレディスや、ジョン・ゴールズワァジィ、最近ではジェームズ・ジョイスなどは、日本では随分読まれている。
 米国についても、ポーや最近のドライザーやアプトン・シンクレアなどは、かなり読まれた。このように西洋の多くの作家と作品は、無数に日本の文学的坩堝に投げ込まれた。この坩堝はあらゆるものを貪り喰った。
 しかし、元来この坩堝は、空しい坩堝ではない。そこには、日本の伝統的文学が、かなりの高熱でたぎっていたのである。だから、当然欧州の文学的要素とこの伝統の文学的要素とが、結合したわけである。日本の文学的伝統には、支那から来たものと仏教によってインドから来たものとがある。だから、現代の日本文学位、世界各国の文学的要素を持っているものはないと、私達は信じている。
 欧州文学に日本文学の伝統が加わっている。そこに、日本独特の新しい文学があると思う。それについては、後で論ずることにする。

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