2008年4月18日 (金)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(11)

B 浪漫主義
 ドイツではシュレーゲル兄弟、ティーク、シュライエルマツヘル、ノヴァリス、等は初めベルリンに集り、後にエーナに集って浪漫主義運動を起し、機関紙「アテネーム」を発行した。彼等はゲーテ、シルレルの青年時代の激情を讃美し、原始文学を唱えたヘルデルを尊敬した。哲学も唯理念のみを旨とするものを排し、人間のうちに重心を置く哲学を採った。殊にフィヒテの「自我の外には何ものも存在しない」と言う教説に無限の魅惑を感じたのである。またシュレーゲル(兄)はシェイクスピアの翻訳に従事して、ドイツで最も広く読まれた決定訳を作った。

 ノヴァリスといえばドイツ浪漫主義を想起する詩人だが、ティークは彼を評して「高き不滅の精神のいとも純にして、いとも美しきあらわれ」と言った。生来虚弱で、名門の生れであったが、病魔と終生戦わねばならなかった。そして愛人ユーリエと結婚する日が遂に来たらず、病没したが、「夜の讃歌」「聖歌」などの浪漫的な佳い作品を残してドイツ浪漫派の基礎を固めたのである。
 ハイデルベルヒに集った浪漫派の一団があった。彼等は一層抒情趣味を鼓吹し、無限への憧憬、神秘への思慕を境地要した。アイヘンドルフの詩篇や小説「のらくら者の日記」は有名である。またホフマンの怪奇趣味に満ちた小説はポーやボードレルに多大の影響を残している。ドウッセルドルフに生れパリで死んだ詩人ハイネは早くから我国に紹介され、その浪漫的な叙情味と一脈の憂鬱な調子は多くの青年を魅了したものだ。

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2008年3月30日 (日)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(10)

    B 浪漫主義
 浪漫主義はまた今も言うごとく自我解放の文学であった。革命によって、今まで抑えつけられていた者が自由の空気を吸えるようになったので、その喜びが確かに文学の中に滲み出ている。しかし、今までの古典主義文学が極端に自我を押し隠して、ひたすら客観的にあろうとし、厳重な法則の中に自我を埋没させていた反動として、自我の姿を赤裸々に露わし、法則を破壊し、形式に拘泥せぬ文学を作ろうとした。すべて自己の叫びを阻むような桎梏を取り除いた。実際フランスの詩人達は自我解放の喜びにひたり過ぎるくらいだった。
 浪漫主義は前述したごとく、ドイツではゲーテ、シルレルの青年時代に既に彼等を激情の嵐で吹きまくったことがあった。「群盗」や「若きウェルテルの悲しみ」は実に浪漫的な感情の所産である。
 フランスでは革命で国に追われた貴族達が諸外国を放浪し、再び帰国した時は、イギリスに渡ったものはウォルタ・スコットを持って帰り、ドイツに行った者はドイツ浪漫派の諸作を持って帰った。例えばフランスのスタール夫人はドイツを流浪して「ドイツ論」を書いた。これがフランスの浪漫主義運動を即頓させた原因に数えられている。かくしてヨーロッパの諸国は19世紀に入ると一様に浪漫主義に化したのである。各国を通じて最も著しい特色は過去の文学と絶縁して、自我を解放したことと、叙情趣味を昂揚したことである。

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2008年3月16日 (日)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(8)

A 古典主義(承前)
 古典主義の特色として、統一均斉、調和、明晰、沈静、古雅、節度、簡素が喜ばれ、形式と技巧とが極度に重大視された結果、内容がうつろで物足りなく、理智と客観が冷たく支配して、個性は全然息の根をひそめてしまった。コルネイユ、ラシイヌ、モリエール、ラ・フォンテーヌの17世紀古典主義最盛期を過ぎて、18世紀に入ると、もう法則だけが残されて、内容は見るに堪えるものがなくなった。英国では古典主義作家はドライドン、ポープ、アヂソン等があるが、中でもポープは作物に、不自然極る、一間滅茶とも思われるほどの模倣が目立って、擬古主義の旗頭といわれていた。

 文学の形式は更新されなかったが、18世紀は革命の胚胎期でモンテスキュー、ディドロー、ヴォルテール等の啓蒙主義が盛んに行われた。英国でもヒュームやロックの理神論が起った。17世紀が文学芸術の世紀であったのに反し、18世紀は観念的なものが特に顕著に見えるのである。こうした空気はドイツに伝わり、啓蒙主義の思潮を詩的に表現したレッシングはまたドイツ国民文学の建設者であった。と同時、レッシングはギリシャ、ローマの文学的教養を積み、ドイツにおける最初の古典主義芸術家でもあった。彼は創作家であり、思想家であり、芸術批評家であり、シェイクスピアの偉大さに初めて著目し、師表と仰ぐべきことを力説した。「ラオコーン論」は造形美術との区別を論じたものだが、ドイツ古典主義の聖典となった。

レッシングとともに古代ギリシャに心酔し、典雅沈静の趣きを伝えたのはウィンケルマンで、後のゲーテに影響を与えた。ゲーテ、シルレルはシュトウルム・ウント・ドランクの時代にむしろ浪漫的な激情に駆られたが、両者とも中年期に達して、ドイツ古典主義を大成した。ゲーテは「どこからどこまで卒のない作品こそ真個の古典だ」と言ったが、ドイツの古典主義はゲーテ、シルレルが出て、黄金時代を現出した。永遠なもの、永続的なもの、合法的なもの、人間的なもの、偉大なもの、高尚なもの、調和と均斉と形式美を具備したものへとドイツの文学は転向した。

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2008年3月 4日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(7)

A 古典主義
 だがその一面人間主義の影響を受けて、文学は真に「人間的」になり、また「自然的」になった。ラシーヌの悲劇、モリエールの喜劇は、従来の文学にはかつて見ないほど自然的で人間的ではないか。しかし、当代の一特色たる教訓的な傾向はボアローという批評家が出て、一層甚だしくなった。
 これは現代文学改造熱の高まったところから、何とかして俗人を自分達の高さに引き上げてやろうという意図の現われである。ラ・フォンテーヌの寓話もこうした意図を受け継いでいるのだが、話そのものが素朴で、面白いから、教訓的な寓話がそれほどしかつめらしく見えないのはさすがにラ・フォンテーヌの偉さである。
 唯ボアローは堅苦しい劇の形式三一致の法則をアリストオトルから借りて来て、厳しく詮議立てをした。行為、時、場所の3つの単位を決定して、5幕の芝居が24時間以内の出来事でなければならぬといった法則である。
 有名なコルネイユの「シッド」も一日の出来事は到底思えぬ大事件が次から次へ起こって来る。法則に適っているのか知れないが、今の考えでは出鱈目としか思えない。こうした古典主義の窮屈さに人々は埋まり込んで、手も足も出ないほど力を殺がれてしまった。
 モリエールは宮廷の人々に見せる芝居を急がされて、規則を無視して、韻文であるべき劇を随分沢山散文で書いている。ボアローにしばしば忠告されたようだが、モリエールの喜劇はあるいは古典的な均斉を欠いているかも知れぬが、また規則に縛られなかったために事由溌溂なところを壊さないでいられたとも言えるだろう。だが古典時代の天才はともかく、一般文人はこの法則一点張りに出合って、自由な精神は全く殺されている。

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2008年2月25日 (月)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(6)

 A 古典主義
 今日我々が古典主義と呼ぶ文学は普通文芸復興の後、17世紀、18世紀に主にフランスを中心として起こった文学思潮の全般を指すことになっている。一言でいえばギリシャ、ローマへの憧れが生んだ文学である。中世の暗黒時代を経て、文芸復興に目覚めたのはイタリーである。イタリーの「人道主義者」達が格調の正しいギリシャ、ローマの古典文学を読めはじめ、真に自我を甦らせて、新しい文学を築いていた。
フランスはシャルル八世、ルイ十二世、フランソワ一世のイタリー遠征によって、初めて彼の国に接触し、一種の文芸復興の波が寄せて来たのである。ギリシャ、ローマの文学の研究熱が頓に盛んになった。ギリシャ、ローマの古典なら、精神、内容、形式、風趣すべて結構、いや現代の文学さえ古典に接近すればする程、傑作たる資格が持てる。そう考えていた。だから人によってはこの文学を擬古主義とさえ言っている。
当時欧州の知識階級間に既にラテン語が流行していた。当時の文学は粗野で野蛮で、いささかの洗練味もない人々が、ラテン語から得た知識は、やがて、ギリシャ、ローマ文明への礼讃となったことに何の不思議もない。そこへ立派な手本を見せつけられたのだから黙っていない。猫も杓子も古典研究に没頭する。モリエールは「女大学」の中でギリシャラテンを振りまわす男を揶揄して書いているくらいだから、余程当時こんなきざな男が大勢いたにちがいない。
 しかし、もともと、初めの内は、自分等の時代の文学に対する不満が爆発しただけで、何とかして現代文学を改造してやろうという意気に燃えていたのだから、かなりに理想主義的な目的があることはあった。

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2008年2月22日 (金)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(5)

 第4 文学思潮としての諸主義
そして新しい浪漫的な色彩を帯びた文学が時の流れとともに古典となるのである。古典的なるものから見れば浪漫的なものが、破壊的であり、不安定に見えるのはこうした事情によるのである。同じことを英国の批評家ペエタアは「世には形式とともに出立する生れながらの古典主義の人々があって、そのひとには芸術や文学の古い記録以前からの、よく認められている模型の美しさは、特に印象強くあらわれる。これらの人々はこれらの模型に易々と事由にはまらないものを歓迎しない。これらの作は、古い作者の変形か、さもなければ、これを研究するものであることを理想とする。
彼等は彼等の時代の進歩的な人々に、あるいは、50年の内に誰も欲するようになるものを今から先んじて注意する人々に、「わが子よ!それは芸術の堕落だ」といつも言っている。また他方には、生れながらの浪漫主義の人々があって、彼等は独創的な、誰も未だ試みない混沌的な状態にある材料をもって出立する。彼等はこれを活々と想像し、これを彼等の作の実質と思考して保持する。これらの人々は、彼等の意想と活発と熱気とによって、それに本質上、適当でないものを、遅かれ早かれ、清め去り、遂には全体の結果は、明瞭な秩序ある比例ある形象に調整されるが、その形象は暫くした後で、今度は古典的になってしまう。
 これはスタンダールも論ずるところで、古典主義が均整や秩序を尊ぶのに、浪漫主義が自由奔放な独創を愛し、誠心としては相反する二つのものだが結局は相交代して芸術の歴史を形成して行く事情をよく語っていると思う。
 浪漫主義は19世紀に至って、古典主義と対立し、写実主義、自然主義と対立したが、浪漫主義が勃興しなければ、新文学の溌溂さは生れてこない。フローベルのような厳正な秩序を愛した写実作家の心情にもなお浪漫的な想像がどんなに多く働いたかは批評家の指摘するところだが、彼の「聖アントアンヌの誘惑」や「サランボー」を読めば直ちに了解するであろう。
 以上で古典主義と浪漫主義が、常に如何なる時代にもあり得る作家のかなり根本的な性情であることは理解されたことと思う。次に文学の思潮として夫々について述べてみよう。

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2008年2月19日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(4)

 第4 文学思潮としての諸主義
   1、古典的と浪漫的
 先ず古典主義と浪漫主義、自然主義等について語るのだが、19世紀以前つまり17、8世紀の文学を通常浪漫主義と呼んでいるが、古典的浪漫的という二つの概念は実はそうした文学史的意義には限られず、何時如何なる時代にもあり、また作家夫々の気質の中にも見出し得る対立的な概念である。
 古典主義は真を求め、浪漫主義は美を索めるように思われているが、必ずしも古典主義は真のみを求めず、浪漫主義は美のみを求めぬ。芸術家の精神は古い範疇を持ち出すと、結局真善美が備わっていることが誰しもの願望である。また真とか善とか美とかを分けて考えるのはそれほど古くからある思想ではない。古典美という美が明瞭に存するのだから古典派の作家は真を求むるとは益々言えなくなる。スタンダールは「優秀な芸術家は、その生じた時代には、ことごとく浪漫的であった」と言っている。これはラシィヌとシェイクスピアとを論じた書物の中にある言葉だが、確かに時代的にいえば古典主義時代に属するラシィヌ、シェイクスピアの作品には浪漫的分子が非常に多い。シェイクスピアの戯曲が19世紀の浪漫主義作家に愛読され、浪漫主義運動を促進せしめたことはあまねく知るところである。常に新しい文学は既に在る文学に対して挑戦して自己を主張するものだが、この時新進作家の心情には甚だ浪漫的な激しさと新鮮さが働いている。これは中世の文学対して叛旗を翻したルネッサンス運動においても見られる現象である。

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2008年2月13日 (水)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(3)

 要するに、日本の現代文学は、欧州の近代文学の圧倒的な影響を受け、それと日本の伝統とが結びついて生れたものである。
 その中で、日本文学の特色というのは、私小説ないしは、身辺小説といわれるものである。
 これは日本の俳句に現われているあきらめに似た静かな気持で、非社交的な自己中心の世界における生活を描いた小説である。社会小説とは、凡そ縁遠いもので、自己の日常生活における生き方、心持、もしくは道徳的態度を報告したような小説である。事件は、非常にtrivialである。しかしそこに現われた心持は、かなり深いものである。だから心境小説ともいわれている。これは、俳句に現われているような日本人の心持が、近代文学のリアリズムの手法や物の見方を借りて、小説に現われたものである。
 こういう小説では、主人公は、作者の仮名に過ぎない。そこには、テーマもなければプロットもない。むろん、何のノベルティもなければロマンスもない。ただ日常生活に起こるような事件があるだけである。しかし、その事件を廻って現わされている主人公(即ち作家)の生き方、心境に深いものがあるのである。現実的な人間の本当の姿が感ぜられるのだ。
 こうした小説は世界中独特なものである。そうして、到底外国の読書によって、その価値が理解されることは、至難であろうと思う。しかし、自分は芸術の神様の眼から見れば、相当高く価値されるものだと思っているのである。
 前に、申した通り日本文学は、その要素として、世界のあらゆる文学を受け入れている。フランス文学の傑作は、世界各国の中で、一番目か二番目かには日本へ訳される。イギリス文学についてもドイツ文学についても同じである。日本位、他国の文学を貪食する国民はないのである。しかし、悲しいかな日本の作品は、少しも紹介されていない。それは日本語が至難であるからだ。日本には第一人称を現わす言葉が、2、30ある。しかし、その一つ一つが、それを使う人の階級や性格を現わすことになっている。それが一つのⅠに訳されることは不可能事である。また雨という言葉でも、日本は四季によって、またその降り方によつて、20幾つかの名前がある。そして、その名前の一つ一つが皆文学的伝統を持っている。春雨は、spring rainであるが、しかし「春雨」という言葉の中には、日本人は、無限の夢と詩とを感じているのである。その言葉そのものが、一つの文学的言葉である。
 あらゆる言葉について、同じ事をいえるのである。だから我々は日本文学の翻訳については、絶望している。我々は、この万里の長城のような日本語を越えて、我々の文学が欧米に理解されるとは思わない。だから、何時が来ても、バーナード・ショウは、日本について「円と武士」としか知らず、我々はショウの作品を全部読んでいるという悲しい矛盾がつづくものと思っている。

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2008年2月 7日 (木)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(2)

 以上述べた作家を通じて欧州の近代文学が、日本にもたらしたものは、1、Realism (Naturalism)。2、人類愛の思想。3、新しい小説ことに短編小説の手法である。

 その中、自然主義は、ゾラ、モーパッサン、フローベルなどの作品によって、日本に紹介され、日露戦争後明治40年頃に、自然主義の全盛時代を現出した。
 田山花袋、国木田独歩などが、その代表的作家である。
 この自然主義が、人生をあるがままに観て、その暗黒面ばかりを見るのに対して、反抗して立ったのが、白樺派の作家である。貴族学校である学習院の出身者の多い彼等は、トルストイの影響を受け、人道主義的思想を以って、人生を描こうとした。この中には、武者小路実篤、有島武郎などがある。
 この他に、小説の構成、手法などの点において、自然主義に対抗して立った作家がいる。これが新技巧派と呼ばれ、帝大の出身者が多かった。自分なども、その一員である。自然主義が、人生をありのままに描くため、プロットやテーマを排斥することにあきたらず、プロットもあり、テーマもある作品を書こうとしたのである。
 これは、いづれも今から20年前位の出来事で、この二つの派の作家は、今でも活躍している人が多い。
 その後に出たのが、プロレタリア文学である。これは、ロシアの共産主義の影響を受けて、人生を階級闘争的に見て、それを描き出すことによって、社会革命をもたらすことに協力しようとしたのである。しかし、文学が文学以外の目的のために、奉仕することはその意図からして邪道であるからいい文学が出来るはずはなく、同一の目的のために常に同型の主題や人物が描かれるために、一般読者の興味を失い、それに国家の弾圧もあって、今は見る影もなく衰えた。現在では日本文学は欧州からの新しい刺激もなく、新しい才能のある作家も輩出せず、ただ技巧的に新奇を追っている位で、どちらかといえば停滞状態にある。

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2008年1月29日 (火)

菊池寛「日本文学案内」日本の現代文学概観(1)

 日本の文壇は、文学的な坩堝と思う。ここには、世界各国の文学が投げ込まれて、新しい文学が作られ、また将来においても作られると信ずる。
 ロシア文学は、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフをその代表的作家として、日本の読書界を風靡した。
 北欧の文学は、イプセン、ストリンドペリー、ビヨルンソンなどを代表的作家として、日本文壇に紹介された。ストリンドペリーのものなどは、一作として翻訳されないでいるものはないだろう。
 ドイツ文学も、古きゲーテを初めとして、近代のハウプトマン、シュニッツェル、ホフマンスタールなど、ことごとく読まれている。
 フランス文学では、モーパッサンなどは、ロシアのトルストイと匹敵するほど、日本ではファミリアな名前でモーパッサンに対して(モウ沢山?)と言う洒落が生まれた位、日本では読まれた。フローベルの『マダム・ヴォバリー』などは、日本の文学青年は誰でも、その名前を知っている。ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』などについても同じ事がいえる。最近では、アンドレ・ジイドが、日本では流行している。
 英国についても、同じ事がいえる。先年来朝したバーナード・ショウは、日本については、「円と武士」という二つの言葉しか知らないと豪語していたが、我々はバーナード・ショウの作品は、20年前から読んでいる。その他、オスカー・ワイルドや、ジョージ・メレディスや、ジョン・ゴールズワァジィ、最近ではジェームズ・ジョイスなどは、日本では随分読まれている。
 米国についても、ポーや最近のドライザーやアプトン・シンクレアなどは、かなり読まれた。このように西洋の多くの作家と作品は、無数に日本の文学的坩堝に投げ込まれた。この坩堝はあらゆるものを貪り喰った。
 しかし、元来この坩堝は、空しい坩堝ではない。そこには、日本の伝統的文学が、かなりの高熱でたぎっていたのである。だから、当然欧州の文学的要素とこの伝統の文学的要素とが、結合したわけである。日本の文学的伝統には、支那から来たものと仏教によってインドから来たものとがある。だから、現代の日本文学位、世界各国の文学的要素を持っているものはないと、私達は信じている。
 欧州文学に日本文学の伝統が加わっている。そこに、日本独特の新しい文学があると思う。それについては、後で論ずることにする。

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2008年1月15日 (火)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(38)

明治時代から現代まで

  7、結 論

 以上で甚だ大ざっぱながら必読の作家及び作品を挙げたつもりである。これは必ずしも文学を専攻する人にのみ勧めたものではない。前にも言った如く人間を知る上から言って、大作家の人間認識を学ぶことは絶対に必要だからである。また現代人は世界各国の知識や教養が自分の血となり肉となっている。本当はイギリス人が英国の文学を理解するようには、日本人は英文学を理解しはしないであろう。然し英国の小説をたとえ翻訳で読んでも人間の書いたものである以上、ある程度まで必ず理解するものである。
そして人間的な感動ないしは共鳴を覚えるものである。かくして明治時代から盛んに外国文学は輸入され、翻訳されて、今は紅毛の文学などと別種なものとは思わずに、大きな一つの文学の伝統として、外国作家の作物を読み、その作家の感じ方、考え方を学びとっている。だから日本の現代の文学は世界各国の作家の影響を蒙って甚だ複雑な相貌をしている。
従って現代の文学を知ろうとするためには以上の各国の大作家の文学ないしは文学的な傾向を知っておかなければならない。アルフォンズ・ドーデェはフランス的な小説を書くために、決して外国文学を読まなかったそうだが、これも一つの考え方に、異いない。然しそのために彼の文学は独自だが狭いものとなり、フランス的かも知れないが、小さなものとなっている。どんなに西洋の文化に心酔し、どんなに影響を受けたとて日本人は日本的な感じを失うことは出来ない。
 イプセンやツルゲェネフが生涯の主要な大部分を外国で暮したが、彼等は結局自国の国民文学を夫々勃興したではないか。そして外国文化を攝受したのは自国の文学を一層強固にし、肥大せしめることに役立っているのである。してみればいわゆる大作家の作品に接することは何んの危険があるどころか、却って自分を肥らす豊かな滋養分を攝ることだ。
 ことに明治時代から外国文学を輸入して、日本の近代文学のあるものはその影響のもとに成長したものが少くないのだから、そうした日本文学を理解するためにも一応、外国文学を知る必要があるのである。どんなに外国文学が影響して日本の近代文学が出来たかは、夫々の作家の項で述べたが、もう一度総合的に記してみよう。

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菊池寛「日本文学案内」必読の書(37)

明治時代から現代まで=ロシアの文学
チェホフ(1861-1904)
 チェホフはモスクワの大学では医科を選んだ。彼の観察は緻密であり、彼の態度は客観的であるが、科学や医学の知識が彼の文学の中にむき出しになっているところはない。彼は何処までも純粋な文学者である。彼は生活のために機知縦横の短篇を数百書いている。それは読んで飽くまでも面白いもので、ロシア風の教訓もなければ、作者の主観に溢れたものでもない。

 チェホフはあらゆる問題を解決する人ではなく、唯客観的に問題を提示するだけである。この面白い短篇で既に非凡な観察と才能が認められた。それからチェホフらしい小説を初めて書き出した。これが「退屈な話」である。
当時ロシアの知識階級の人々は多く虚無的で厭世的で絶望的であった。チェホフの鋭い観察眼と鋭敏な感受性は、この社会的、思想的現実に直面して、唯話の筋を面白くばかりはしておられなくなった。然しこの救いのない憂鬱な世界に閉じこめられて、チェホフの文学はガルシンのように極端に病的にもならず、アンドレーフのように極端に厭世的にもならなかった。そこにチェホフの文学が一種懐しみのある微笑に包まれているように見える所以がある。
 
だが実は極端なものがないからのことで、彼の著作を繰り返し読むと、機智や微笑のような生易しいものはないのではないかと思う。何か作家の裡に温か味を求めようとするのは気の弱い読者の弱味である。チェホフもまたロシア的な深刻な作家である。唯彼は短篇作家が概ねそうである如く、一種のスタイリストなのだ。彼の戯曲「桜の園」「叔父ワーニャ」「三人姉妹」「鴎」等は近代劇に絶大な影響を与えている。
 文学は先人の模倣をすることによって肥って行くものだ。文学的ジャンルの出来る所以である。時分はかなり多くの作家を列挙したが、それ等は誰にも読まれ、また読まねばならぬものと確信したからだが、チェホフなどはどんな人も一通り読み、懐しみを覚えながら、結局誰からも模倣されない作家である。或は模倣を許さぬ作家なのだ。

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2008年1月 4日 (金)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(35)

明治時代から現代まで=ロシアの文学
 ロシアはヨーロッパの文明に浴することが遅かったので、その文学も19世紀になるまで殆んど形をなしていなかった。ビヨートル大帝が国政改革をして盛んに西欧文化を輸入したことは衆知の事実である。文学も他の文化と共に輸入されたが、ロシアの国民文学はプウシュキンが出るまで、外国の翻訳や模倣に過ぎなかった。

プウシュキン(1700-1837)
 北欧諸国に国民文学者ビヨルンソン、イプセン、ストリンドベリー等が出て国民的自覚のもとに自己完成の道を辿った如く、プウシュキンもまた同時代のロシア国民になり代って彼の叙情的感情を高らかに歌い出た。彼以前のロシアの作家達が余りに外国の文学に影響されて、真実に自国について、また時分について語り得なかったものを、彼は誠実に、素朴に語り始めた最初の作家である。
「エヴゲニィ・オネーギン」「大尉の娘」その他多くの中短篇はロシア及びロシア人を心から理解した作品である。シルモントフ、ゴーゴリもロシア的な好い小説を書いている。プウシュキンに続いて、こうした好い作家が出た為にロシア文学は特異な発達を遂げ得たのでと思う。

 一体ロシアの文学は国民性とその時代の社会、政治、経済、思想等と驚くべき密接さで連関を保っている。ツルゲエネフのような外国生活ばかりしていた作家でも彼の描く世界はロシアという特異な国情と国民性から一歩も出てはいない。それでいて人間性を少しも歪曲せず、その時代の社会と思想を髣髴と漂わせるあたり、ロシアの文学は素朴誠実で、常に一種の懐しさを覚えるのである。
「猟人に衝き」「貴族の家」「ルージン」「その前夜」「処女地」「父と子」「煙」等の諸作は日本の文学にも随分影響を与えたものである。ツルゲエネフ、トルストイ、ドストエフスキー等の諸作が二葉亭以来翻訳され、相当強い影響を一般に与えたに拘わらず、我国の社会小説は充分に育ったとは言い難い。

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2007年12月31日 (月)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(34)

明治時代から現代まで=フランスの文学
ゾ ラ (Emile Zola 1840-1903)
 ゾラは徹底した自然主義者である。彼と同時代にアルフォンズ・ドーデェやゴンクール兄弟がいて、共に自然主義的傾向を辿ったが、ゾラは写実主義を一歩進めて自然科学的方法を創る方法に採用した。バルザックが「人間喜劇」という総括的な題名を考えついたのは彼が創作を始めて大分経ってからのことだが、ゾラはルーゴン・マッカールという厖大な作品を作るには相当プランを練り、最初から計画的に書き出したのである。

 テスの決定論的な考え方は19世紀のフランス文学に随分影響を与えているが、ゾラの「ルーゴン・マッカール」にも当時の写実主義と共に哲学的根拠となっている。またクロード・ベルナールの「実験医学研究序説」がゾラの「実験小説」を作る契機になった事は、衆知の事実である。また遺伝学についてはゾラは非常な熱心さで、リュカ博士の著書に読み耽ったそうである。かくして、ルーゴン家とマッカール家の縁組によって生ずる人間とその気質、環境、遺伝を微細に描いたのが「ルーゴン・マッカール」の著書である。ちょうどフランスの第二帝政時代に起った出来事として、第二帝政時代の社会史、風俗史を形造ろうとしたのはバルザックの試みと同様である。

 ゾラは「ルーゴン家の運命」の序文で云う。
「私は、一つの家族、一つの小さな集団が、一社会内で如何に行動し、そうして一見した所では非常に異っていながら、分析して見ると相互に緊密に結びついている、と云ったような10人なり20人なりの個人を生み出す為に如何様に開花するか、を説明したいと思う。動力と同じく遺伝もまたその法則をもつ。

 私は、気質と環境と云う二重の問題を説きながら、一人の人間から他の人間えと数学的に繋がっている糸を手繰って行く積りである。しかして、そうした糸を全部掴まえ、かくて一つの社会集団を全部手に入れてしまってから、この集団を歴史の一時代の俳優としてこれを作品に現わすであろう。

 私が研究しようとしているルーゴン・マッカール家、この集団、この家族は、諸々の欲望の氾濫を── 享楽に飛びかかって行く現代の大きな波濤を── その特徴とする。生理学的には、それは、最初に受けた一つの器官障害の結果として、一家系中に現われる神経質及び多血質に基く種々なる出来事の継起である。歴史的には、それは平民から出発して、当代社会の全般に広がり、あらゆる地位に登る。……かくして、それは、その成員個人の演ずるドラマに依って第二帝政を物語る」(辰野 隆/本田喜代治 共訳)

 この文章でゾラの意図及び野心は窺われると思う。且つルーゴン・マッカールのプランの全貌も了解出来よう。だが彼はこの意図の下に書き出して、相当長い間たいして問題にならなかったが、「居酒屋」「ナナ」が出るに及んで圧倒的な盛名を得た。自然主義は文学史的に云っても、文学の一つのジャンルとしても大きな意義がある。且つゾラの作品は決して理論が露骨に顔を出していず、堂々たる小説だから読んでおかなければならない。

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2007年12月29日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(33)

明治時代から現代まで=フランスの文学
モーパッサン(Guy de Maupassant 1850-1893)
 モーパッサンの伯父がフローベルの友であり、母自身も同郷の幼な友達としてフローベルを知っているので、モーパッサンをフローベルの如き立派な文学者にしようと母は彼の教育に努力した。珍しい理解のある母である。

 フローベルもモーパッサンには親身になったらしい。弟子は厳格な師匠に反して相当放蕩もし、道楽に耽ったが、肝腎な戒めだけは守った。そして無類な写実的な作家になった。「脂肪の塊」はゾラの自然主義者達から賞讃され、その後10年間に300近い短編と7つの長篇を書いている。短編は秀れてよいから、読むべきである。長篇では「女の一生」「ベラミ」位は読んでおく必要がある。前者は女を、後者は男を主人公にした堂々たる小説である。

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2007年12月22日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(32)

明治時代から現代まで=フランスの文学
フローベル(Gustave Flaubert 1821-1880)
 普通フランスの写実主義はフローベルから起ったと云われているが、またフローベルに浪漫的な想像と写実的な思念とが両方混じっているとも言われている。どんな作家とて、文学はたとえ実話に取材しても作家の想像力が加わらなくては書けるものではない。
文学はその点作家の夢の所産であると意ってい。バルザックが19世紀の前半の社会、風俗、人間を如何に細かに観察し、病者したとしても、それは現実と同じ位、またはそれ以上に彼の抱いた幻影が鮮明だったと云うことになるのだ。
フローベルの抱いた浪漫主義精神は、いわゆる浪漫主義者の夢ではなく秀れた作家の持つ想像力である。唯彼が文体というものに非常な注意を向け、無駄な言葉や、粉飾を極度に排斥したそして現実和直視し、彼の小説に現実を創造した功績は偉大なものである。
「ボヴァリー夫人」は凡そ小説を読む者が殆んど知らぬものはない位有名である。ことに出版当時、風俗を乱すというかどで発売禁止になって一層有名になったが、さて内容は田舎医者の妻エンマが若い時分に暗い修道院にいて小説を読んで空想を逞しくしていたが、結婚すると現実世界に幻滅を覚え、平凡な夫にも飽き足りなくなる。そして他の男と親しくなり、ついに身を任す。その内夫に云えぬ借財は出来る、煩悶絶望して服毒して死ぬという筋である。
格別変った運命悲劇ではない。然しこの単調な田舎町の生活で、こんな夢を抱いたエンマのような女性は恐らく少くはないだろうと思う。これは実話にヒントを得たと云われているが、何処の国にもありそうな事実だし、死を選ぶまでの過程もありそうなことだ。フローベルは誇張も粉飾もなく、まして道学的な教訓も交えず唯リアリステックに叙したこの物語は見事な小説となって浮き上っている。
「サランボー」も雄大な古代カルタゴの物語で、その背景は浪漫的な美しさと壮麗さを備えている。綿密な調査とその上に打ち建てた物語は歴史小説の最上級のものであろう。
 なお彼の書簡に述べた文学に対する態度は写実派の経典というよりは、文学の宝典と云っても過言ではあるまい。

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2007年12月16日 (日)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(31)

明治時代から現代まで=フランスの文学
バルザック(Honore de Balzac 1799-1850)
 浪漫主義から写実主義に移ろうとするその中間時代にバルザックの小説は出現した。然し彼は浪漫派とか写実派とかいう一方的な流派に当てはまる人物ではなかった。彼はナポレオンが剣で征服したものをペンで征服する巨大な征服者の意志と狂熱と実行力を持っていた。彼が「人間喜劇」と称する途方もない計画を思いついたのが、自然科学にヒントを得ようが、哲学から思いつこうがそんなことは問題ではない。この思いつきを長い間持続し、実行したことは偉大なことである。社会風俗の歴史だと彼も言い、人もいうが、こんなに立派に沢山人間像を浮び上がらせた作家は類を見ない。「人間喜劇」は風俗史というよりは情熱史だと思う。或る者は金銭に対する情熱、恋愛、色欲に対する情熱、生そのものに対する情熱、あらゆる情熱の炎が燃えるところにバルザックの創作欲が働いて行く。「従妹ベット」「従兄ポンス」「失われた幻」「ウージェス・グランデ」「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」位は是非読んでおく必要がある。

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2007年12月14日 (金)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(30)

明治時代から現代まで=フランスの文学
スタンダール(Stendhal 1783-1842)
 スタンダールは自分の小説は1880年頃になったら世の中に理解されるだろうと言ったそうだが、その通り1880年頃には一流作家として喧伝された。では生前彼の小説が同時代の人々の間に不評判であったかというと必ずしもそうではなかった。
然し浪漫主義が嵐のように叫ばれている時に、心理小説は余りにも地味であり、余りにも時流から遠すぎたのである。然し「赤と黒」「パルムの僧院」は如何なる時代になろうと大小説たることに変わりはない。
 少年時代数学を得意としたと云う。また長じて小説を書くようになっても必ず原稿紙に向う前に民法の法典を読んで、その頃流行した粉飾沢山の文章になることを極端に恐れたと言われていたが、余程正確を愛した作家と見える。この正確を愛する精神を以て、彼は若い時から情熱の件杞憂に没頭した。彼自身も相当恋愛修行を積んだらしいが、後に「恋愛論」を書くだけの経験と考察が豊饒精緻だったことは確かである。
 スタンダールの小説は特に心理探究に対する省察はあらゆる作家が持たねばならぬ当然の省察である。
 19世紀の文学は概して絶望の色が濃厚に見える。その度合が人々によって様々であるが、どこかに憂鬱の色が漂っている。唯スタンダールにはこうした思想的苦悶や絶望の色がない。だが彼の文学が楽天的だという意味ではない。また深刻味のない文学という意味では更にない。彼の小説は作者の思想や道徳が露骨に顔を出す態のものでなく、本当に混然とした物語らしい小説である。

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2007年12月 4日 (火)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(29)

明治時代から現代まで=フランスの文学
    古 典 作 家
 17世紀のルイ14世治下でフランスは絢爛たる文化を持った。いわゆる古典時代の四代作家コルネイユ、ラシーヌ、モリエール、ラ・フォンテーヌの諸作はフランス文学の伝統として後世の作家の血となり肉となって伝わった。コルネイユ、ラシーヌの悲劇、モリエールの喜劇は今日読んでも性格に対する深い洞察と人間の本質に根ざした類型を遺漏なく集めて感心する。

 ラシーヌの細緻な心理解剖ことに女性の恋愛の情熱はよく描けている。フランスの小説にはラシーヌ的な観察と筆致がしばしば感じられる。その位ラシーヌの悲劇はフランス人の精神をよく現わしたものだ。

 モリエールはフランスのシェイクスピアの如く、その作品は量的にも質的にも豊穣である。「人間嫌い」のアルセストの如く、複雑でむしろ近代人的性格まで描き得たのは、モリエール自身が浮世の辛苦を嘗めた証左となろう。また「守銭奴」のアルバゴンの如き、正確を描いたことだけでも興味があり、その興味の持ち方も近代劇の作家の性格描写の如くリアリスティックで、正確である。

 バルザックもゴリオ爺さんグランデ爺さんの如く吝嗇で頑固な男を書いたのも、恐らくモリエールの示唆なくしては出来なかったろうと思う。モリエールは人間性を知り尽くした苦労人である。一国の古典作家の研究ではなく、もっと広く人間性を知る上に役立つ。彼の作品を読むと近代文学の先駆者の足跡を辿る思いがする。

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2007年12月 1日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(28)

明治時代から現代まで=ドイツの文学
ハウプトマン(Gerhart Hauptmann 1862-)
 写実的傾向は一層推し進められて自然主義に到達した。この頃特に長足の進歩を遂げた自然科学によって促されたのである。この自然主義時代に現われたハウプトマンは「日の出前」を上演して直ちにドイツ近代劇の大立者となった。イプセン的な社会問題が、この作の著しい特色であろう。資本家対労働者の問題、婦人問題、成金の腐敗した家庭等、現代的な社会考察と共に営利な観察によって抉り出された様々な人間像の適確な描法は27歳の青年の作とは思えぬ確りしたものである。「織匠(おりこ)」も貧窮に喘ぐ織匠対資本家の対立を描いた社会主義的な作品である。「寂しき人々」の如き自然主義作品から一転して、「沈鐘」「ハンネレの昇天」の如き象徴的叙情的傾向の作品も書いている。以て彼の作家としての振幅の広さを窺うに足る。

シュニッツレル(Arthur Schnitzler 1862-1932)
 オーストリア・ウィーンの医者であるシュニッツレルは一種独特の風格と科学的な営利さ、詩人的な情緒を備えている。小説戯曲共に沢山の作品があるが、その心理描写は精緻巧妙で、ことに恋愛心理の解剖には秀れた味がある。「恋愛三昧」「アナトール」位は是非読んで置く必要がある。
 大戦で惨敗したドイツは客観的に外界を眺めようとする写実主義、自然主義の傾向を振り捨てて、強い主観で外部の印象を歪め、変貌せしむる表現主義が起った。カイザーの「カレエの市民」「朝から夜中まで」の如き戯曲は絶望の淵に陥ったドイツ国民に強い刺激を与えたに違いない。その表現様式の強烈さもあの位でなければ、悲惨な運命に喘ぐドイツ人には刺激にならなかったのかも知れない。然し余りに主観に過ぎた表現主義が行き詰って、もう一度自然の姿に芸術を返そうとする新即物主義の運動が起った。レマルクの「西部戦線異状なし」の如く穏和な筆致で、感動措く能わぬ作品が出たことは、余程ドイツが平衡を取戻した証左である。ナチスの天下となって、ユダヤ系の芸術家を、トーマス・マン父子等も放逐しているが、この統制下に如何なる文化の花が開くかは今後の問題であろう。

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2007年11月26日 (月)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(27)

明治時代から現代まで=ドイツの文学
ヘッベル(Friedlich Hebbel 1813‐1863)
 ゲーテ、シルレルを通って、ドイツの文学は浪漫主義に傾いた。これは全ヨーロッバ的傾向だが、シュレゲル兄弟、ティーク、シュライエルマッヘル、ノヴアリス等々のドイツ浪漫派はフランスのそれほど絢爛ではなかったが、もっと哲学的な根拠を持ち、感情の昂揚に努めた。1848年の革命前後ヨーロッパを風靡した浪漫主義が衰えて、写実的傾向が取って代った。ヘッベルはこの写実主義勃興期のドイツ最大の詩人であり、ドイツに於ける近代劇の創始者である。彼は近代の特質である社会問題に関心を持ったが、イプセンの如く社会の各方面に眼を向けず、性の問題に彼一流の解釈を下した。
 戯曲「ユーディット」は旧約全書の物語に取材して、彼の対女性観を披瀝した。ヘッベルは浪漫派の人々の如く女性を崇拝したり、ゲーテの如く女性によって創作活動の微妙な刺激を受けるということがなかった。むしろ女性を唯感覚の満足を得る手段としてしか認めていない。ユーディットは敵将ホロフェルネスの首をはねて、味方を敵の重囲から救ったが、さて彼女の童貞は奪われ、敵将の子供を宿しわせぬかという心配で、勝利の喜びに浸れぬ女性の根本的な弱点を衝いている。「マリア・マグダレナ」「エイベルンゲンの人々」等彼の戯曲に心理、性格描写に新生面を開いたが、また一方写実主義の無味乾燥さもなくはない。

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2007年11月21日 (水)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(26)

明治時代から現代まで=ドイツの文学
ゲーテ(Johann Wolfgaug Goethe 1749-1832)
 ドイツではゲーテを読むこと、イギリスのシェイクスピアと同様にゲーテは世界のゲーテである。ウィンデルバンドはゲーテを森羅万象を包括する一つの宇宙だと評している。全く文学のみならず人間のあらゆる精神的な発展と成長が彼一人の精神史の中に認められるのである。
ゲーテは「ゲッツ」や「若きウェルテルの悲しみ」時代から「ファースト」第2部に到る長い芸術的生涯を通じて、幾度か変化し、あの膨大な人間史を形成したのである。「ファースト」を完成するまでに五十年後を費やした事実から見て、ゲーテ自身、またゲーテの宇宙観、人生観、人間観の一切は「ファースト」に凝結したと云ってよい。彼の戯曲や小説は涸れの成長の過程に里程標の如く置かれたものであり、彼が数多の恋愛をして感情や情熱を費やした如く、彼の詩篇もまた人生行路に咲いた美しい花々である。
唯彼の生涯を貫いて流れている「ファースト」を読むことによって彼の全貌に触れることが出来る。第2部は1825年から書き出して1831年ようやく完成したものだけに、最も円熟した博識と思想を傾けている。そのため象徴的で読んで真意を解するには骨が折れる。
 ゲーテの言葉は文学に志すもの、真に人間的な生活を営もうと真面目に考えるものにとって、無限の啓示を垂れてくれる、座右に備えて読むべきである。

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2007年11月16日 (金)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(25)

明治時代から現代まで=ノルウェーの文学
ストリンドベリー(Strindberg 1849-1912)
 スウェーデンの文学はノルウエーと同じく、デンマークの文学の影響を受けて育って来た。大陸で浪漫主義が起れば浪漫主義が移入され、後にスペンサーの哲学、フランスの自然主義、イプセンの戯曲、ブランデスの評論等の影響を受けて、スウェーデンにも近代文学の波が押し寄せて来た。
 スウェーデンの文学で代表的作家はなんと言ってもストリンドベリーであろう。彼は自ら制御することが出来ぬほど極端で、強烈な性格の持主であった。彼は幾冊も懺悔録的な自叙伝を書いて泥を吐くような告白や、鋭い内省を試みたが自分を縛る規範を見出し得なかった。小説、戯曲、評論の各方面に渡って腕を振るったが、何れにも彼の強烈な性情が浸み渡っている。
彼の自叙伝「下女の子」「痴人の懺悔」「青い書」「ダマスクスへ」等を見ると不屈不撓の自己愛と自己嫌悪が渦を捲いている。そして何処まで行っても自己を捨て切れることが出来ない神経質な弱い自己が顔を出すかと思うと、執拗な強烈な自己が現われる。彼が生涯執心し続けたのは結局自己以外にはなかったのだろう。そして中庸を得た生活に安定を得るということはなく、嵐のような激情に吹さまくられて暮した。彼の生活が既に惨苦を極めていたが、彼の性情、及び人生観の深刻凄惨はその作品の隅々にまで浸透している。
「赤い部屋」を書いて以来、彼の名は忽ち有名になった。戯曲は「令嬢ユリエ」「債鬼」「ダマスクスへ」「父」「死人の舞踏」等独自の世界を建設している。
 晩年宗教的な神秘思想に到達したが、これに到る苦悶の過程にストリンドべリーの赤裸の姿を見るように思う。

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2007年10月29日 (月)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(24)

明治時代から現代まで=ノルウェーの文学
 イプセン(Henrik Ibsen 1823-1906)
 イプセンはノルウェーの国民文学を樹立しようとして、文字通り悪戦苦闘した。富裕だった家が8歳の時に破産し、薬局の見習奉公に出なければならぬ境涯に落ちてとまった。薬局で働く傍ら、独学で大学受験の準備をしたが、時々詩作も発表した。
その後ついに文学に専心する決意を固めて大学へ入る望みを絶った。これから彼の苦闘時代が始まるのである。ベルグン市の国民劇場の舞台監督の地位が与えられて、生きた劇場学を学ぶことが出来たが、彼の書いた戯曲はどれも好評を博すどころか悪評に終始した。
ここの劇場との契約が切れてからは生活的にも窮迫し、心血を注いだ戯曲は悪評を被り、惨憺たる思いで、ノルウェーを去って、ローマに落ち着いた。これから長い間、彼を冷遇した故国には帰らず、流浪の生活に身を置いたのである。そして晩年彼が帰国した時は、国民全体から歓呼の声を浴びて迎えられたのである。
 ローマで劇詩「ブラント」を書いて送った。また次に「ペール・ギュント」を発表した。この二作が彼の地位を決定する基礎になったと同時に自己に対する強固な自信も出来た彼の社会劇、問題劇はこうした強固な自信と強靭な情熱とを取戻してから生れたのである。「青年同盟」、「皇帝とガリレア人」「社会の支柱」は相当に認められた作品だが、未だ旧弊な作劇術に目がつく。「人形の家」「幽霊」「野鴨」「小さいアイヨルフ」が出るに及んで、社会問題、宗教問題、道徳問題、婦人問題あらゆる近代に胚胎する諸問題について痛烈な批判と解剖のメスを向けつつ、立派な近代劇形式を完成した。
 彼は1891年ミュンヘンを引き上げて、クリスチャニアに帰った時、一ノルウェーの作家ではなく、世界のイプセンになっていた。近代劇の父にもなっていた。彼の提出した諸問題は未だに近代の問題として新しい。彼が敢然と叫んだ社会の病患は未だ癒えたとは言い難い。然るにイプセンを最早古い過去の人と思って読まぬ人が多いのは自分の遺憾とするところである。

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2007年10月13日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(23)

6、北欧の文学(1) ノルウェーの文学
ビヨルンソン(Björnson 1823-1910)
 ノルウェーがデンマークの支配から脱して新たにスウェーデンと提携するに至って、国民文学の昂揚が始めて叫ばれた。愛国精神が何にもまして発揚され、口碑伝説の研究が盛んになった。
ビヨルンソンやイプセンの作品に伝説から取材されたものがあるのはこうした精神の現われである。
ことにイプセンは世界のイプセンと言われたが、ビヨルンソンは国民詩人として飽くまで郷土的な色彩を失わなかった。
彼は寂しい山里の牧師の子に生れ、幼少から自然に馴れ親しんで育った。
そして農民達の純朴な生活を親しく眺め、将来「農民小説」の美しい一系列を生む素地を作った。「ジィノオブ・ゾルバッケン」「アルネ」は彼の農民小説の傑作である。「アルネ」の詩に満ちた山村の風景や生活は美しい。アルネの両親の結婚悲劇、そして生れた不幸の子アルネの夢見がちな思い、山の彼方に対する思慕は、愛国詩人の雄叫びではなく、深い郷土愛の流露である。夢幻的な情趣と神秘的な雰囲気は岩質不毛のスカンジナビヤの山岳地方を描写するに好適の情調である。
後にイプセンと共に彼は社会劇を書いた。また純写実的な小説にも筆を染めたが彼の本領はイプセン的問題を取扱うより素朴な郷土詩人として山岳小説農民小説にあるのではないかと思う。

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2007年10月 4日 (木)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(23)

明治時代から現代まで=アメリカ文学
ポ オ(Edgar Poe 1809-1849)
(承前)
 彼の小説もオリジナルな想像力の所産である。探偵小説的な興味に富んでいるが、これを単なる探偵小説のジャンルに容れることは出来ない。理知と想像の混然たる統一が格調正しく表現されている。浪漫主義の作家が浪漫的な感情の氾濫に身を溺らしたのに反し、ポオは浪漫的精神が芸術を想像するものであることを信じてはいたが、こうした感情や趣味に溺れることはなかった。自分の詩作を分析するほど、彼は透徹した自意識を持っていた。これが近代文学の祖たる所以であろう。
 ヨーロツパが凡て浪漫主義の一色に塗りこめられていた時代に、未だ文学の薄明にあったアメリカで不朽の詩論を持ち、冷静に浪漫主義精神のみを昂揚して、立派な詩や散文を創造したポオは一流のランクに容れられるべき人だと思う。
 アメリカにポオの伝統は残っていない。アメリカの文学はアメリカの文化と共に一種特別なものである。これを軽蔑し去ることは容易だが、もしも真面目に見るならば、近代文化の問題が層をなして表われるのではないかと思う。アメリカ文学の芸術性に着目するよりも広い意味の大衆性に着目した方が面白い問題にぶつかるのではないかと思う。

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2007年9月23日 (日)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(22)

明治時代から現代まで・5、アメリカ文学
ポ オ(Edgar Poe 1809-1849)
 故郷に容れられぬ預言者の如く、ポオは道学者や形式主義者や常識的な新教徒に満ちたアメリカで容れられなかった。
 ポオがアメリカ最大の詩人として容れられたアメリカの文化は今日のような形態は取りはしないだろう。彼はむしろヨーロッパでその真価が認められた。「悪の華」の詩人ボードレールはポオに心酔して、その翻訳を終生の仕事にした。フランス象徴派のマラルメも自らポオの詩を訳しもし、象徴派の基礎をなす根柢をポオから多く暗示された。
 ポオはロングフェローを攻撃し、卑俗な写実文学や道学的な教訓文学を徹底的に排斥した。彼はこれを「教化の異端」(Heresy of Didactic)と称して嫌悪したのである。そして彼は詩に於て「至上美」を昂揚するために心血を注いだ。

 彼の至上美は単なる美的感情によって創られるものではない。冷静な知的な美意識が凝結して出来たものである。彼が写実文学を嫌ったのはリアルなものを嫌ったのではない。作家の想像力が加わらぬ文学を嫌ったのである。
 ボードレールの人工を愛して自然なままの姿を嫌ったのと同一心情である。ポオは彼の傑作「鴉」がどんな風に作られたか、その構成過程を細かに説明し、分析してみせた。そして偶然や直感で美しい詩篇が出来上がるものでないことを主張した。(この項つづく)

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2007年9月13日 (木)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(21)

   そ の 他
 近代はロレンス、ハックスリ、ジョイスが相当に読まれている。

 ロレンス(D. H. Lawrence 1885-1930)はハーディにどこか似た筆致を持っている。唯彼の描く世界は常に女性を中心にしている。性の問題が露骨に取扱われているが、かく取扱われねばならぬほどロレンスはそこに重要性を見出しているからだ。「チャタレイ夫人の恋人」は卑猥な感情よりも、美しさの方に魅せられる。この小説に依って新たな道徳が生れたと言ってもよい。「白い孔雀」「息子と恋人達」「恋する女達」等沢山の著作がある。

 ジョイス(James Joyce 1982-)はダブリン生れのアイルランド人である。「ダブリンの人々」という短編集を出して、新しい文学運動に参加したが、「ユリシーズ」が一番有名でもあり、彼の特質を決定的にしたものだ。潜在意識の世界いわゆる「思考の流れ」が時間空間の順位によらずに、普通の会話と一緒に混然と記述されている。確かに未知の世界を開拓した新しい表現法には違いないが模倣すべき性質のものではない。
 
 ハクスリー(Aldous Huxley 1804-)は前二者の如く際立った特色を持った作家ではない。然し彼の鋭敏な観察眼は近代と云うものをよく抉出しており、近代の特色たる理知が彼の小説を統一している。「対位法」は彼の傑作であるのみならず、近代小説の一つの典型であろう。

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2007年9月 1日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(20)

 明治時代から現代まで
シング(E. J. Milington Synge 1871-1909)
 ジョージ・ムーアは「凡てのアイルランド文芸復興はイエイツに創まり、イエイツに終る」と言っている。これはシング及び他の若き劇作家達の出世を見ない前の言葉であろう。でないとするとムーアの言葉は愚かしい。いかにもアイルランド文芸復興の創始者はイエイツである。然し只それだけである。
 芸術的にはシングの創作は、イエイツの夫に対する反抗である。シング以前イエイツやエイ・イーの戯曲に出るアイルランドの百姓は常に恍惚裡に在って霧を常食とする神仙の徒であった。シングはイエイツ等が、愛重したかかる人間ならぬ煙の様な人物を充分に軽蔑した。シングはイエイツ一流の幻影的戯曲に対して自然主義的なる反抗の叫びを挙げたのである。如何にもシングをして劇作の筆を取らしめたのはイエイツである。然しイエイツの影響は只その一点に止まっている。人生及び芸術に対するイエイツの叙情詩的な解釈の外にシングが人生を戯曲的に解釈する余地は宏大無辺であったのである。
 シングの劇作のイエイツ一派に対する反抗であると同時に、二つには戯曲上の道程偏重に対する反抗であった。「放浪鋳掛屋の結婚式」の序文に於てシングはこんなことを云っている。「私達が芝居を見に行くのは化学者の所や標本室に行くような心持で行ってはならない。私達は御馳走になりに行くような心持で行って好きなものを愉悦と興奮とで攝るのでなければならない。スペインでも、イギリスでもフランスでも戯曲が豊饒を極めた時は常にこうであった。戯曲の幼稚時代が衰退時代には決まって道徳的になるのだ ── 劇場が不快な問題の多くで一杯になるのだ。戯曲はシンフォニーと同じだ。何事をも教えなければ、何事をも証明するものではない。問題沢山の解剖や、教義沢山の教師達は直ぐ医師ゴーレンの処方箋のように古くさくなってしまうのだ、── イプセンやあのドイツの戯曲家を見給え。その好適例でないか。それに比べるとベン・ジョンスンやモリエールの佳い物は籬(まがき)に生うる黒いちごのように何時が来ても新鮮である。
 シングが自分の戯曲に対する考えを最も直截に現わしているものはplayboyの序文である。「舞台には真実がなければならぬ、それと同時に歓喜がなければならぬ。知的な近代劇が衰えたのも、音楽喜劇の歓喜に人が飽いたのも皆この為である」と。日本の現代の舞台に対してもこの事は或る点まで本当である。
「悲しみのテアドレ姫」は曰く“It should be a sweet thing to have what is best and richest, if it's for a short space only”と云っている。シングの華やかに豊穣なる創作時代もこの文句のように短かかった。それは1902年から彼が癌の一種で倒れる1909年迄しか続かなかった。然しこの足かけ8年の間はシングにとって絢爛たる時代であった。彼は創作家として人生を美化する限りなき歓喜を思う存分に味わうと同時にアベイ座の花形女優たるメイル・オニールとの恋に成功した。いわばこの女優の一身に於てシングの人間としての生活と創作家としての生活が結びつけられていた。何となれば彼女はシングの恋人であると共に舞台にあっては彼の劇中の女主人公を具体化することに努めていたから。1902年に創作を始めて同9年に「死と争うのは無駄なことだろうから」の一語を残して瞑目するまで、彼の創作は僅か6篇である。しかもこの6篇に彼の世界的の声明が依っている。
  「谷間の蔭にて」 一幕物/「海に乗り行く者」 一幕物/「聖者の泉」 三幕物/「西の国のプレイボーイ」 三幕物/「放浪鋳掛屋の結婚式」 二幕物/「悲しみのテアドレ姫」 三幕物
 彼は土民の言葉たるゲリック語を解しアラン島に渡り、親しくその地の風景習俗を叙した散文もある。また詩人としても彼の主張する人間的なものと野生的なものとの力強い叫びを看取することが出来る。

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2007年8月26日 (日)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(19)

ゴールズワージィ(John Galsworthy 1864-1933)
 コールズワージィはロンドン市の南方サレー州のクームに生れた。同時代のバリーがスコットランド人であり、ショーがアイルランド人であるのに対してコールズワージィはロンドンに近く生れ、中流以上の法律家の家に育った。コンラッドとは仲が良かったが、作風も気質も育ちも全で異なっていた。
彼は小説も戯曲も書いたが、「銀の筐」が劇作の処女作であり、傑作であったので、劇界で一躍名をなした。ショーと共に英国近代劇の基礎を築いた人である。彼の戯曲は殆んど凡て社会問題劇で、「争闘」は階級闘争を、「法律」と「銀の筐」は法律の不合理性を、「鳩」は慈善と救貧問題を、「暴民」は盲目的な群集心理を、「逃亡者」は結婚生活の問題を取扱っている。
 ショーの場合は彼の思想が露骨に現われ、問題が目障りになるのだが、ゴールズワージィにあっては、幕が降りてから初めてその取扱っている問題が解るというほどで、問題のために人間の性格を歪めたり、真実を犠牲にしたりすることはない。
彼の場合は問題に接する前に、先ず真の人生を味わうことが出来る。彼はリアリストとしての手法を以て、問題を提供するだけで、ショーやブリュウのように、議論したりしないのである。彼は実人生を如実に描いて、その裡に含まれている「問題」や「教訓」を示すに止まっているのである。
 
彼はその論文集“The Gun of Tranpuility”に於いて、劇作に於ける三つの方法を述べている。
 第1は「公衆の前に、公衆がそれに依って生活しかつ信じつつある人生観や道徳を明確に示すこと」
 第2は「公衆の前に、作家自身がそれに依って生活しかつ信じつつある人生観と道徳観とを明に示すこと」
 第3は「公衆の前に型に入った乾いた道徳規範を示すのではなくして、選択され統一された然しながら戯曲家の意見に依ってねじ曲げられない人生と性格との現象を示すこと。しかもそれを恐怖や好意や偏見を少しも交えずしてなすこと。そして其の中から公衆をして自然の侭なる教訓(或は貧弱であるかも知れない)を味わしめること」
 
結局ゴールズワージィが力説し実行した態度は、この第3の態度である。最後の一句は、彼がリアリストでありながら、しかもハウプトマンなどの徹底自然主義者は、又幾らか違っていることを示していると思う。一体、自然主義は英国人の気質とはどうしても一致しないのである。如何なる英国の戯曲家も、純然たる自然主義作家ではない。
 ゴールズワージィの作品は、正確を忠信したものと、社会事象を中心としたものとの二つがある。「争闘」は労働と資本との間の永遠なる争闘の芝居である。「法律」の如きも主人公フォルダーの芝居ではないのである。ゴールズワージィは「人間というものが戯曲のプロットとして最も秀れたものだ」と云っているが、性格を忠信とした性格悲劇と云うべきものは「逃亡者」と“A bit of Love”の二つであって「銀の筐」や「長男」の如きは社会的事象にのみ重点を置く戯曲は社会制度の進化改造と同時に亡びやすい。ただ人間性を描いた作品のみが、永久に伝わる。
従ってゴールズワージィの戯曲も、社会的慣習に反抗しその為に苦しんでいる人間性の姿が、どれだけ本当に掴めているか、どうかが終局の問題になるだろう。その意味ですべての性格に真実味を与え実人生を掴むことに成功したゴールズワージィの作品は、相当価値のあるものだと、自分は信じている。
 彼は最初小説で出発し、処女作は「東西南北」だが劇作家として多くの戯曲を発表しながら、小説は依然として書き続けた。
「暗い花」“In Chancery”「フォーサイト家物」「白い猿」「銀の匙」「花咲く曠野」等数多ある。先年ノーベル賞を貰ったが、当然の受賞だと思う。

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2007年8月21日 (火)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(18)

ショー(George Bernard Shaw 1856-)
バーナード・ショーは1856年アイルランド・ダブリンに生れた。一体彼は本国のイギリスでは毀誉褒貶が中々定まらない。むしろ悪評の方が勝っている位である。ショーは引力をもっている。力強い何か判らないが底深いものがある。これは英国人には一寸珍しい特色で見物を惹きつけるものだが、本当のショーの味方は、むしろドイツ、オーストリアに多い。彼の作品も外国で認められて逆輸入したのだ。
 バーナード・ショーの閲歴をみると随分色々な目に遭っている。彼は家が貧困であったために、早くからある事務所の小使を勤めていたが、生れながらの音楽と政治に対する彼の興味が遂にロンドンに赴かしめるようになり、母から僅かばかりの仕送りと原稿稼ぎをやってるうちにも1880年から83年の間に、四篇の小説を書き上げたが、どれも失敗に終っている。が1890年頃から「土曜評論」に劇評の筆をとるようになって、その警抜な批評眼は文壇の認めるところとなり、1892年に処女戯曲「貧民収容所」が彼を一躍して劇壇の重さをなすに至らしめたと言われる。今日ショーの偉大な存在が問題になっているのは、彼が思想家又は社会改造家として偉大なのか、或は劇作家として偉大であるのか、その点が一寸曖昧である。
 ショーの考えるところによると、劇作という仕事は講演や著作と同じように自分の思想を宣伝する一種の道具にすぎない。ただ講演などよりは、効果が直接的であり、知らぬ間に聴衆を誘惑して、自分の意見に引き込むのに都合がよいと言っている。こういう状態が劇作家として正しいかどうかは議論されるべきことだが、ショーは幸なことには、生れながらの劇作家である。出来上った作品には誰しもが自ら頭を下げずにはいられない。これが普通の傾向劇の作家と聊か違うところである。思想家としてのショーは「偶像破壊者」である。「上品なこと」が喜ばれて「薔薇のような」お姫様ばかり眺めていた前時代の人々の中に、彼は「貧民収容所」の中で機嫌が悪くなると、下女の喉首を締め上げたり、髪の毛を引っつかんだり、もっとひどくなると下女の髪を切り取って丸坊主にしてしまうと云う恐ろしい娘を舞台に飛び出させている。恋愛問題についても、ショーの女は特例を開いている。「人と超人」に現われるアンという娘は自分に言い寄ってくる詩人肌のオクティギアスを嫌って、後見人のターナという男を追い駆け廻すので、ターナは自動車に乗って大陸の方へ逃げ出すという騒ぎまで惹き起こす。「ウォレン夫人の職業」のヴィヴィと云う娘はケンブリッジの数学の名誉試験を受けて賞品を得るが、自分の才を誇るためでも、また道楽でも虚栄でもなく、ただ賞金の五百円が欲しくて、懸命に勉強したというリアリストだ。甘い感傷主義的なロマンチックな夢は芥子粒ほども持っていない。
 ショーは世の如何なることに対しても、独特の意見を有し、英雄に対してもその弱点や欠点を抉り出す。「人と超人」を読んでも分る通り、一女性の背後には種族を維持し、生命を保持しようとする「宇宙の意思」が働いているのが判ってくる。結局この世の中の男も女も、この偉大な生命力に動かされて恋をしたり、結婚をしたりするのだ、という頗るスケールの大きな人生観が常に根底に横たわっている。
 ショーは「露骨な心理を言うとイギリスの人民達に依って殺されるかも知れない。機知やユーモアや幻想やパラドックスをを交えるのは之が為だ」と言っているが、ショーの戯曲は彼の思想を包むオブラートである。彼の皮肉なユーモアの鋭い機知は彼の思想に混ぜられた単舎利別だと思う。
 なお「聖ジョン」という史劇「メトセラに還れ」という長篇戯曲を書き老いてなお壮んである。

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2007年8月16日 (木)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(17)

  
ハーディ(Thomas Hardy 1840-1923)
 ハーディの生れた頃はダーヴィンやハックスリが現われた時代で、彼等の唯物論、決定論が盛んに流行していた。こうした現境のもとにフランスでも写実主義、自然主義が起ったのであった。
 ハーディの文学にフランスの写実主義や自然主義の影響があったかどうかは議論のあるところで、即断出来ないが、陰鬱な決定論的な考え方が横行していた時代の空気を多分に吸って育ったことは確かである。彼は好んで田園に取材して小説を書いた。
 彼の小説をウェセックス小説というのは南部のウェセックスを愛好して描いたからである。初期の「緑の木蔭」は作者自ら「オランダ派田園画」と傍題を附した位で、田舎の聖歌隊の生活や習慣を克明に描写した牧歌である。この牧歌的な味は心理的な、ハーティの憂鬱調が現われるに及んでも消えはしなかった。ハーディはその観察眼と筆致は自然主義であったけれども、ゾラのような科学的な思念も持たなければ、野獣的な生活力も持っていない。田園の牧歌が一番彼が好んだものだ。「ダーバーヴィルのテス」の不幸な運命はハーデイの冷酷さからは生れずに、彼のペシミズムから生れたのである。
 そして充分テスの身の上に同情を注いでいる。ハーディでは短編と「テス」位を読んでおけば好い。

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2007年8月 9日 (木)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(16)

    メレディス(1828-1909)
 メレディスの数多い作品の中で、51歳で書いた「エゴイスト」は傑作でもあり、一番有名でもある。然し相当大部なものであり、くどくどしいから読みにくいかも知れないが、やはり大小説だと思う。ウィロビイ・パタン卿という眉目秀麗で聡明な青年が舞踊にも乗馬にも人並外れて巧みであったが、レティシアとコンスタンシアとクララという3人の娘をめぐって、誰と結婚するか、ウィロビイは自分の才智と魅力を振り絞って彼女等に恋をしかけ、結局どの恋愛にも成功出来ず、虻蜂とらずに等しい結果となる。
 このこみ入った社会小説でエゴイストと虚栄心が深い洞察のもとに見事に解析されている。読んでおいて損にはならぬ小説だ。

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2007年8月 4日 (土)

菊池寛「日本文学案内」必読の書(15)

久しぶりに菊池寛の文学ガイドの連載を再開します。このところ、腕や指に変調をきたし不自由をしていて、入力が充分出来なかった。事務所の人に入力をお願いして、ぜんぶではないが、連載再開できるようになった。 
 

(承前)
B 明治時代から現代まで
 大体、明治文学は明治初年から十八、九年までを第一期、明治二十年頃から明治三十四年、五年までを第二期、それから、明治末年までを第三期という風に分けるのが常識になっている。第一期は急に外来思想などが輸入されて、徳川時代の文学と明確に異った新しい文学が起るべき兆は感じられる。然し維新の勃々たる旺盛な感情は未だ充分熟し切らず、到底見るべき文芸作品などが出るべき時代ではなかった。洋の東西を問わず啓蒙時代は伝統と絶縁することで精一杯で、芸術的に秀れた作品は出た験しがない。唯福沢諭吉の思想は荒唐無稽な徳川戯作文学とは凡そ縁遠い。英国風の実利思想であり、将来の資本主義を予言した立派な著作であると思う。
 明治も所謂第二期に入って、明治らしい文学が生れた。写実主義であれ、理想主義であれ、浪漫主義であれ、様々な文学的主張がこの期に出来上った。斯うした文学のジャンル乃至は文学的主義主張は後に説明することにして、所謂明治時代という文学的一時代を画した作家に就いて簡単に述べてみよう。

    ディケンズ(Charles Dichens 1812-1870)
 ディケンズは英文学を代表するような大作家だとは思わない。然し少なくとも英国の大衆を代表とは言えると思う。彼ほど英国の民衆を愛し、また民衆から愛された作家はいない。
 彼の生れた年はナポレオンのモスコー廃頽の年である。ナポレオン戦争で英国は遂に勝利を得たが、膨大な国債を負い、戦後の苦しみを散々嘗めさせられた。且つ紡績機の発明は例の産業革命を誘発して、小市民階級、労働者階級は未曾有の窮迫状態に置かれた。労働者達は時代の推移とか、科学の進歩、経済の変遷には気付かず、唯発明品たる紡績機を憎み、これを破壊しようと試みた。不穏な空気は英国全体に漂った。貧富の差は極端に達した。
 この時圧迫され、塗炭の苦しみに喘いでいる階級にディケンズは生れたのだ。「デヴィッドの生立ち」(David Copperfield) の中でデヴィッドが徒弟生活をして貧乏と苦労にさいなまされる有様が描かれているが、ディケンズ自身もこうした労苦を味わって来たのに違いない。「オリバー・ツイスト」の中にも孤児の売買、貧窮少年救済所の様が描かれている。こうした迫害された階級に育ち、陰鬱な周囲の様を厭になるほど見聞して彼等は成長したのである。だから彼の作品には彼のような環境に育った少年が沢山来る。彼は貧民の味方であったが、圧迫階級に対する怨嗟の声を発しない。社会主義者になるには彼も餘りにイギリス人であり過ぎた。
 豊かな空想、幸福な幻想はこの狭苦しい世界に満足して飛翔した。彼は時代に対して、英国に対して、或いは同時代の人々に対して不満を抱かなかった。1848年には各国に革命の機運が動いて、根本的な破壊が企図された。然し同じ状態に見舞われながら、英国だけはこうした暴風雨に巻きこまれなかった。徐々に改良矯正をしようと思っただけだった。
 この微温的な保守的な英国風のやり方がディケンズの考え方の根本だ。ディケンズは骨の髄まで英国人だった。だから英国であれだけの盛名を走せるのも無理はないのである。彼が通俗作家だと言われるが、極端な情熱に駆られない微温的保守的な英国魂が、大衆を常に娯しませることだけを顧慮していたからだ。彼は終生よき市民であった。彼の作品の人物も、どんなに苦しみ喘ごうと、その心中には善良な市民の心を失っていなかった。ディケンズは唯大衆を娯しませることを念願としたが、自分はディケンズの創作態度を妥協的だとは思わない。妥協的な人間が大衆をあれほど喜ばせることは出来ないからだ。
 彼は大衆を意識し、大衆と共に在ることが本当に嬉しかったのだ。ステファン・ツワイグは言っている。「シェイクスピアが英雄イギリスの権化であるならば、ディケンズは市民イギリスの象徴である」と。「二都物語」「クリスマス・キャロル」「炉辺の蟋蟀」数え挙げれば限りもないディケンズの作品は随分翻訳もあることだから、2、3冊は読んでおくべきだと思う。

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2007年3月13日 (火)

単行本「うたかたの記―明治の村医者・脩平伝」森當著

「うたかたの記―明治の村医者・脩平伝」(武蔵野書房)は、幕末から明治にかけ、地域の村の医師として尽くした作者の先祖の伝記だという。

 常に農村の庶民の生活から離れなかった主人公の生涯を地道に描く。病院という名称が幕末から明治にかけて生まれたという当時の史実などもわかり、物語というより生活史の興味も引く。
 
小説的な展開が面白くなるのは、後半部からで、脩平夫婦は子ども出来ないので、継母のもとにいた「あさ」という少女を養女にもらい、やがて栄太郎という婿を取るが。しかし、ボタンの架け違いから栄太郎は身ごもった「あさ」を置いて家出してしまう。子を産んだ「あさ」は、それから幾年かして亡くなる。この「あさ」をめぐる物語がこの本の核になっている。後になって栄太郎は台湾にわたり駅長になるまで変転する。淡々とした筆致がかえって読者の想像力と共感を呼ぶ。アマゾンのレビューに、同様の感想を記入した。

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2007年3月12日 (月)

北原文雄著「島で生きる」から

農民文学賞作家・北原文雄さんのエッセイ集「島で生きる」(教育出版センター刊)を、すこしずつ読んでいる。農民文学賞受賞者は、その後も農民であり、作家業にならない人がほとんどのようである。そこには、文学に生きるのではなく、よりよく生きることのための文化が文学であることがよく示されている。このエッセイも、生活と文学との合流点を足場にしているので、足が大地に踏んでいるような手ごたえのあるものが多い。たとえば、農民一揆と義民伝説などは、地域の話のようでいて、全国一般的なものではないかと、感じさせる。
 昨年の第一回目の「伊藤桂一先生を囲む会」に出席された話も「詩を大事にする作家」(兵庫県現代詩協会「会報」掲載文)として収められている。今年の第2回「囲む会」の様子もどこかに書いているのかもしれない。

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2007年3月 6日 (火)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(14)

  B 明治時代から現代まで
      序言 明治時代
 現代文学の基礎工事は結局明治大正時代の作家の努力に依って出来たのだと思う。大正時代の文学は随分眼に触れる機会が、明治時代になるともう読んでいる人が大分少くなってしまう。
紅葉の「金色夜叉」の名を知らぬものは先ずあるまいが、通読していない人もあるかも知れない。紅葉の金色夜叉を読んでいないとすると二葉亭四迷、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花(初期の作)、川上眉山、廣津柳浪となると、名前だけで作品は知らぬという人が出て来るだけだ。
ましてどんな位置にあって、啓蒙時代にどんな役割を演じたかとなると、もう明治文学の専門家や特殊な研究書に頼らなければ分るまい。外国の現代小説は読んでいても、つい我々の前時代の作家に就いては何も知らぬとあって心細い限りである。
西鶴のものは、並一通りの努力では読めないが、明治時代の文学は大体現代語であり、文語体でも字義が分らぬということは先ずない筈だ。紅葉の初期の作品には徳川時代の所謂戯作者的な口吻ナリ、態度なりが未だ残っているが、こんな戯作者的な態度を振り捨てて二葉亭四迷にしてもロシア文学を紹介し、自分も影響を受けて、写実文学の先駆をなした。
恐らくいい字引もなし、今の翻訳者や、外国文学の研究者達のように容易に原書も手に入らず、困難を嘗めたに異いない。而も文学者は物質的にも充分な報酬を得られなかった。斯うした啓蒙期に、労多くして功少い仕事を孜々として励んだのだから、現代文学の基礎工事が出来たのだ。現代文学を検討するには明治文学を読まなければならぬ所以である。

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2007年3月 1日 (木)

十返舎一九=菊池寛「日本文学案内」必読の書(13)

      十二、一 九、三 馬
 十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」は当時既に評判で第八篇まで書いて東海道中を終ったが、まだ評判が高いので、金比羅道中、宮島見物、木曾道中、上州草津温泉街道等と続けて、二十一年目に全部完成した。江戸神田八丁堀の栃面屋弥次郎衛と旅役者の成れの果ての喜多八と東海道五十三次を下る滑稽な道中記で、今でいうユーモア文学の開祖かも知れぬ。格別思想もな
く、学識もなく、唯滑稽諧謔が続出して、思わず噴出してしまうが、筆致は婉転自在自由明朗愛すべき小説だと思う。
 式亭三馬は本屋の小僧をし、本屋の婿となり、後に古本屋を開いた。小僧時代に随分本を読んで、知識を得たので戯作を始めたと言われている。
「浮世風呂」「浮世床」が有名である。「浮世風呂」は男風呂と女風呂の二つに分れ、風呂場で露骨な会話を交わしながら、巧みに世相を現わして居る。
「浮世床」は床屋の会話で、これまた世間の実相を捕えている。銭湯や髪床の四方山話は今でもたわいないものだが、案外社会の裏面、人間の真相を捕えている会話が聞けるものだ。

 以上明治以前つまり近世までの作品を列挙した。その数は甚だ少いが、挙げて行けば限りがない。然し各時代の相当の代表作であるから、これだけ先ず読んで置けば、その他読むものは自分で見当が付くと思う。
 これを挙げて、何故これを挙げぬかと。反対される向きがあるかも知れない。然し自分は日本の古典作品に対して文学史家としての論評を試みているのではない。大体現代人として誰でも知っていなければならぬ書物、読んで置かなければならぬ作品を挙げたのである。自国の古典に就いて何も知らぬとあっては国民の恥辱である。かと言って日本の過去の作物は時代時代によって言葉まで非常に異って来るので、読むのに骨が折れる。字義の穿鑿に拘泥したり、異本漁りに浮身を窶すのは、史家の陥り易い弊である。もっと文学を味読し、そこに我々の祖先の考え方、見方、感じ方を素直に受け取って欲しいものだと思う。

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2007年2月22日 (木)

秋成=菊池寛「日本文学案内」 必読の書(12)

      十一、秋 成
 秋成、姓は上田。浪華の娼家の生れという。医学を志したが途中で止め、結局作家になったのだろう。生れて父を知らず、四歳で母にも別れたというのだから、不幸な生立だった。
そのせいか狷介な性格で人と交わらず、孤独な生活であったらしい。国学の素養が深くて、一世の碩学本居宣長と論戦したり、万葉集会説などの著書があり、和歌にも長じていた。
だが読本作者として一番有名で雨月物語はその傑作である。これは九篇の短篇小説で、白峯、菊花の約、浅茅が宿、蛇性の婬、青頭巾等は立派な短編小説だと思う。何れも怪異を取扱って、皆異った構想と材料とを示している。
日本の古典に取材したもの (例えば「白峯」は崇徳上皇が讃岐の白峯で崩御遊ばされ、西行法師が詣でて上皇の御霊に会いまつる次第を書いたものだ) 支那小説の影響らしい幽霊怪談に取材したものが多いが、秋成は巧みに自分のものとして創作している点は好い素質の作家であり、教養或る作家というべきであろう。

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2007年2月17日 (土)

馬 琴=菊池寛「日本文学案内」 必読の書(11)

      十、馬 琴
 文化文政の文学は元禄の爛熟頽廃の後を受け、儒教仏教の徳教主義が起り、勧善懲悪的な主張教訓を含んだ文学が流行した。然し元禄の後だけに、狂句洒落本黄表紙には一層繊細な感性が盛られ、粋とか通と言った気分が横溢して来たことも事実だ。
尤も時代はやがて王政復古の準備期でもある。新たな文学が起って、一つの完成された時代を画するというよりは、明治への過渡期と見做し、町人文化最後の叫びと見做したい。この時代に曲亭馬琴は精力絶倫の筆力を以て登場した。
「南総里見八犬伝」は文化十一年四十七歳の時から天保十三年七十五才まで二十余年を費して書いた力作である。八十二歳で歿するまで発句・漢詩・漢文・洒落本・黄表紙・院本・合巻・中本・読本・日記・随筆のあらゆる文学的ジャンルに渡って三百余篇、彼ほど精力絶倫の作家はちょっとあるまい。
但し読本つまり通俗歴史小説が彼の本領であって、他の諸作はそれほど立派とは言い得ない。「椿説弓張月」「里見八犬伝」を始めとして「三七全傳南柯夢」等等あるが、八犬伝は支那の「水滸伝」の英雄にならび、仁義禮智孝悌忠信の八徳の権化たる八犬士を主人公とし、八人離合集散し、波乱万丈の小説である。我々の少年時代には必ず八犬伝を読んだものだが、今の人も決して読んで損をしない面白い大衆小説だと思う。
 結局化政期の徳教主義の理想と武人気質をたくみに合体させたもので、スコットやユーゴー、デューマの小説の如く構想雄大、波乱曲折は中々堂に入っているが、勧善懲悪思想が一時のイデオロギー文学のように付焼刃で公式的過ぎる。
 これは余談だが、馬琴の日記はロマンチックな構想を持つ作家とは思われぬほど、綿密細心で、女中がどうしたこうしたとか、宿下りしたまで書いてある。非常に我意の強い、高慢な男で、虚栄心も相当に強く持っていた人のようだ。馬琴の性格など研究したら面白いのではないかと思う。

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2007年2月11日 (日)

西 鶴(承前)=菊池寛「日本文学案内」 必読の書(10)

     九、西 鶴(承前)
「一代男」の世之介は「源氏物語」の光源氏に性格なり嗜好なりが似ているように思われるが、実際その他にも類似点がなくはない。然し光源氏の晩年は悶々として、悔恨の苦痛に悩まされているのに反し、世之介は現世でこれほど道楽三昧をして未だ足りず好色丸に乗って女護島に船出するに至っては言語道断であるが、また徹底して痛快なところがあるように思う。
 西鶴の「好色一代女」は生活のために様々な職業に転落して行く女性の性欲生活を書いたもので、社会の裏面、女性の性生活等が活写されて、西鶴の傑作とされている。「好色五人女」はお夏清十郎、樽屋おせん、おさん茂右衛門、お七吉三、おまん源五兵衛の情事を書いたもので、「一代男」「一代女」と異なり、五ツのまとまった短編小説である。近松も「源五兵衛おまん薩摩歌」
「五十年歌念仏」 等同じ題材を取扱っているが、近松は悲劇の中に美を索め登場人物に一掬の涙を注ぎ、人間的道義観を持って作を貫くのに反し、西鶴は唯冷やかに眺め、あるものを抉り出して人生の実相を突きつける。両者の異いは同時代にあってかくも甚だしいのは注目に値する。
 この他、「日本永代蔵」「世間胸算用」「武家義理物語」「武道伝来記」等を著し、町人生活、武士生活を描いて、好色物から一転した、写実小説の境地を開拓した。
 明治時代に自然主義が起って、非常に根強い文学的基礎を持ったが、既に元禄の時代に西鶴は自然主義的な傾向を極度に高めて、本家のゾラ、モーパッサンに先駆している。西鶴は少々読み難いが、是非読んで欲しい。

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2007年2月 9日 (金)

西 鶴=菊池寛「日本文学案内」 必読の書(9)

     九、西 鶴
 元禄時代は一種の文芸復興期である。虐げられていた町人が、生活の底に生を味わい、楽しんで、文学の中に突然その歓喜の声を挙げたのである。
実際政権が帰して六、七十年、やっと幕府の基礎も安定し、兵乱もなく泰平を楽しむようになって、世は元禄に至って勃然と活気を呈した。江戸の町人も、商業中心地の大阪も、町人は脅かされることなく豊かに享楽することが出来るようになった。
町人は漢学も知らず、殺伐な士大夫の風にも染まぬ。従って道徳に縛られることも無い。富と自由を得て生を享楽するには色欲に走るより他に道がない。元禄文化は肉欲中心に栄えたと言うべきだ。この肉の歓楽を文学にしたのが井原西鶴である。
 肉の世界に眼を外向けて、「うき我を淋しがらせよ閑古鳥」と詠じた芭蕉と同じ談林派に学んだ西鶴は、逆に、あるがままの浮世に飛び込んで、市井の奥に人間の真相を掴んで好個の対象をなしている。と同時に芸術の勇者であり、悟達の人と言うべきだ。
 西鶴は時代の活気、町人の元気が溌剌旺盛の頃に、自分も生活し、肉の歓喜を実際に経験した。そして自由な世界寛闊な世界、歓楽の巷を思う存分活写する好色本の創作に身を投じ、「好色一代男」を書き上げたのは四十一歳の時だということである。
それから五十二歳で歿するまで十年間所謂浮世草子の作家として活躍したのである。「好色一代男」は世之介という無類の好色漢の一代を年を追うて叙したものである。但馬の国の矢張り好色な男夢介と或遊女の中に出来た子供が世之介である。
七歳にして傍附の女中に懸想し、爾来五十四年間、戯れた女の数は三千七百余人という。京大阪江戸はおろか、日本国中至る処へめぐって、好色三昧の一生を送った。
格別小説の結構をなしていず、挿話の連結と言った形式であるが、そこには遊女、花柳界の様相が事細かに描写されている。筆致は繊細であり、冷徹であり、簡潔である。丁度フランスの写実主義作家、自然主義作家が如何に対象が美しかろうが、醜かろうが、あるがままに眺め、あるがままに描く筆法と類似している。唯西鶴はゾラのように或る方法論を持ち、目的意識を持って、人間の獣性を発こうというのではなく、彼は唯実相を描いたままである。
彼は現実をその価値より多くも少くも評価しない。だから理想も描かなければ、巧みな虚構に満ちた物語作者でもない。
馬琴は西鶴を評して、「其の文は物を賦するのみにして一部の趣向なし」と言ったようだが、馬琴のような物語作者から見れば飽き足りなかったかも知れぬが、西鶴の方がもつとリアリストだった証拠にもなると思う。

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2007年2月 4日 (日)

近松と浄瑠璃=菊池寛「日本文学案内」必読の書(8)

      八、近松と浄瑠璃
 元禄時代の平民文学の中に節と三味線と人形を使って、舞台で演じる韻文浄瑠璃が相当な勢力を占めていた。浄瑠璃は前時代の謡曲、盲法師が語った平曲にならって、作られたものである。
 近松以前の古浄瑠璃(浄瑠璃十二段草紙)などは取るに足らず、金平本は大袈裟で、武張って、一時は江戸人の人気をかち得たかも知れぬが、悪趣味なものでこれもつまらぬものに過ぎない。
近松集林子は古浄瑠璃を土台として時代物を完成し、世話物を創始した。独自のものは何んと言っても世話物であろう。
西鶴が小説で世態人情を叙した如く、近松は当時の町人階級の実際の世相を巧に浄瑠璃に現わした。彼の世話物二百三十篇は皆相当の傑作で、中でも「曾根崎心中」(お初徳兵衛の心中を描く)「心中天の網島」(小春治兵衛の心中、遊郭物)「冥途の飛脚」「女殺油地獄」(與兵衛の殺人の経路並びに義父実母の愛の絡まる社会劇)「心中宵庚申」「博多小女郎波枕」等ゝ。
材を庶民階級にとり、遊郭にとり、男女の愛、夫婦愛、親の愛と言った愛憎の世界を描いて至妙である。元禄の風俗描写と共に義理人情の人間性を描いている点は注目に値する。彼の道徳観は徳川時代のものには異いないが、その底にある道徳的理想は決して陳腐なものではない。

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2007年2月 2日 (金)

芭蕉その他=菊池寛「日本文学案内」必読の書(7)

      七、芭蕉その他
 近世文学は元禄になって、天才の輩出と共に燦然と耀き出した。徳川以前の文学は、大宮人とか、武人僧侶と云った支配階級、特権階級に独占されて被支配階級たる民衆は文化の享有に与らなかった。徳川時代に入って庶民が文学を有するに至ったのは特筆すべき現象だ。漢学国学は無論為政者の奨励によって栄えたが、俗文学という庶民文学は全く新しい文芸上のジャンルである。この平民文学は俳諧系の文学と浄瑠璃脚本系の文学と小説系の文学との三つに分けることが出来る。そして元禄時代と文化文政時代の二大時期夫々傑出した作家を出して居る。俳諧系では松永貞徳、西山宗因、松尾芭蕉、谷口蕪村等であり、浄瑠璃の代表的作家は近松門左衛門、紀海音、竹田出雲、近松半二等、脚本では櫻田治助、並木五瓶、鶴屋南北、河竹黙阿弥等である。また小説家の代表作家は井原西鶴、江島屋其碩、上田秋成、山東京傳、曲亭馬琴、式亭三馬、柳亭種彦、十辺舎一九等である。

 徳川時代の俳諧は松永貞徳に初まる。貞徳は歌人の細川幽斎に和歌を学び、連歌師の紹巴に就いて連歌を学んだ。貞徳は「御傘」という書物を著わして連歌俳諧に闘する規則を色々拵らえた。それでは余りに窮屈であり、消極的過ぎるので、自由な破格な態度を望んで出来たのが談林派である。開祖は西山宗因(梅翁)で、貞徳の弟子松江重頼の門から出た逸材である。「さればここに談林の木あり梅の花」という句を作ったのに初まるということである。談林派は俳諧に清新の気を吐いたが、これを茶前酒後の戯れと見做し、遊戯的分子が随分多かった。この時松雄芭蕉が出て正風の創始者となり、俳諧を立派な品位ある文学にしたのである。芭蕉は正保元年伊賀国拓植で生れた。初め藤堂家に仕え、その主良忠没したので、辞して遁世した。主の死を悲しんだがためだとも云い、また恋愛問題のためだとも取沙汰されて居るが、芭蕉は出家して江戸に出て北村季吟の門に入った。その後また郷里に帰り再び江戸に出て、水道工事の監督をしたり、色々の仕事に従事して生活をする傍ら、俳諧に精進した。
   枯枝に鴉のとまりけり秋の暮
 という句は、談林風より次第に蕉風に移る兆が感じられる。
   古池や蛙飛び込む水の音
 この有名な句に依って、完全に蕉風を確立したものと言える。談林の可笑味を湛えた境地はがらりと変って、静寂、閑雅の独自の俳境が生れた。京都嵯峨の落柿舎で選んだ「猿蓑」には正風の閑寂の趣がよくうかがわれる。芭蕉には俳諧集や紀行文(奥の細道、幻住庵記)等が可なりあるが、「冬の日」「春の日」「ひさご」「猿蓑」「炭俵」「続猿蓑」を世に七部集と言う。猿蓑に至って、芭蕉の閑寂味愈々極り、孤独清閑の裡に自然を眺め、人生を眺める透徹した境地を完成している。芭蕉を知らず、俳諧を知らぬと言うのでは教養人としても缺けて居り、日本人としてもどうかと思うのである。七部集は俳諧の精髄で、通読するのに困難かも知れぬが、「奥の細道」は是非読んで置く必要がある。十七文字で人生を観じ、自分の心境を現すのは日本独特の形式であるが、簡潔な文章で、単的に物を観る修行に俳句をやることはいいことだと思う。

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2007年1月28日 (日)

菊池寛「日本文学案内」第二 必読の書(6)

      六、徒然草
 室町時代の日記随筆の中では徒然草が一番秀でている。作者兼好法師は四十歳を越えて出家したのだが、性行は禅僧の如く洒脱飄逸の趣きがある。彼の奇警な観察眼は枕草子に形式を模しているが、飄逸の趣味に依って甚だ個性的なものになっている。
恋愛を説き、解脱を説くところ、平安時代の趣味もあるかと思うと、鎌倉室町の思想たる儒道、老荘、仏教の思想あり、甚だ多岐複雑で矛盾しているように見えるが、要するに時代の思想界が混乱多岐だったのだろう。
 兼好を哲人にする人もある。自由なモラリストにする人もある。成るほど仏教思想儒教思想で宗教的理想や道徳的理想を論じているが、彼の批評精神の根本は趣味性であると思う。
こんなに強く凡ての上に趣味性を働かしていた人はすくないと思う。要するに趣味性の発達したエッセイストだというのが一番当っていはしないか。昔の日本人の思想なり、物の考え方、感じ方を理解するために読んで置く必要はあるだろう。

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2007年1月23日 (火)

菊池寛「日本文学案内」第二 必読の書(5)

      五、太平記
 室町時代の軍記物語は太平記、義経記、曽我物語、増鏡などあるが、太平記が一番面白い。
主として後醍醐天皇が北条氏追討の軍を起されてから、敗北を重ね給い、建武の中興に会い、また南北の争闘、楠木正成、新田義貞、北畠顕家などの忠勤、足利諸将の向背等、後醍醐天皇吉野に崩せられて、吉野朝も 次第に衰え行くまでの大小様々の事件を、時の順序に従って記したものである。
平家物語に比すると、生彩に乏しく、文章も修飾が多すぎる。然しこれも後世の文学に材料を提供している点では平家物語に劣らぬから、一応眼を通して置いていいのではないかと思う。

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2007年1月22日 (月)

菊池寛「日本文学案内」第二 必読の書(4)

      四、平家物語
 平安時代から鎌倉時代に移ると、あの華麗奔放な王朝文学は衰微して、軍記物がこの時代の特色となっている。武士の勢力が増大して、武士が社会の中心になったからである。
殿上人の優雅な宴楽は感情的な、情趣に富んだ文学を起したが武人が政権を把握すると一種素朴雄健な文学が生れるのは当然なことであろう。
殊に平安末期には保元平治の乱があって、世は乱れ、詩歌管弦に耽っていた大宮人も、栄枯盛衰、有為転変と言った運命の悲劇を経験したのだから、人生観は根本的に変ってしまうのも無理はない。殺風景な現実を嫌悪し、逃避して、仏教の無常感に結びつくのも右のような事情に依るのだと思う。
 保元物語、平治物語、平家物語、源平盛衰記と鎌倉時代の軍記物語の中では平家物語が一番傑出している。源氏物語にしても枕草子にしても言葉が難解で簡単には読めないが、平家物語になると、非常に読み易い。
平安期は仮名文だが、鎌倉期に入ると、和漢混交文で、朗々称すべき名文であり、解り易いし、面白いのだから、これも必読の書と言うべきだ。
 平家が栄華を極めた時代から、その滅亡までの物語で、貴族的精神が武士的精神に打ち負かされて行く運命悲劇が叙されている。篇中の挿話も又、この運命悲劇を暗示するかの如く、あわれを誘うものがある。
例えば祇王祇女小督、横笛、建禮門院、成親、俊寛、熊谷直實、盛遠の挿話ははかない人生の無常が浸みていると思う。そして彼等は遂に仏門に入ってしまう。要するに平家物語も当代の思想たる無常感に貫かれている。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し、猛きものも遂には亡びぬ、偏に風の前の塵におなじ」という書き出しに、既に一篇の思想と物語の運命を暗示していると思う。
 もう一言付け加えるならば、平家物語は後世の文学に多くの材料を提供している点でも、可なり重要な書物だと思う。

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2007年1月20日 (土)

菊池寛「日本文学案内」第二 必読の書(3)

      三、枕草子
 源氏物語が堂々たる構想と、細緻な心理描写を持ち、長編小説の有数の傑作として必読の書であるならは、これと相並んで才女の誉高い清少納言の枕草子も読み落としてはならぬものだと思う。枕草子三百一段は格別まとまった構想の上に出来たものではなく、今で云えば随感随想禄の類いである。唯その勝れた観察眼を以て、見聞した事件を細かに叙しているのには驚く。また、敏感な感受性に依って感想を豊麗なものにしている。枕草子も又自然の観察が面白い。
 斯うした観察と感想との間に、勝気な清少納言の自己礼讃が織り込まれているのを、批難する人もあるが、こんなにはっきりした個性の女は一寸珍らしいと思う。因襲に押し潰されて、反省もなく、個性もない現代女性は大いに枕草子を読むべきではないか。
 清少納言の観察は感性として勝れているが、内省としては貧しいものがある。はっきりした自我を持っていたとは云え、それは勝気な才媛としての自我である。然し枕草子的物の見方、感じ方は日本人の可なり根強い伝統的な性格ではないかと思うので、現代人に一読を勧める所以である。

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2006年8月16日 (水)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―46-

一、万葉集

 隋分西洋の文学に明るい人で、万葉集を読んでいない人が多い。万葉集はいわゆる万葉仮名といって、用字法が漢字を用いて音とか訓を表してあり、その読み方も随分勝手な読み方「山上復有山」と書いて「イヅ」と読ませるいわゆる戯訓などがあって、専門家乃至は特別な研究書に依らなければ到底読むことが出来ない。こうした不便のために結局今の若い人達は万葉を読まなくなったのだと思う。

 外国文学を原書に依らず翻訳で読むのなら、万葉集も万葉仮名の研究から始めなくても、今の仮名に直したのを読むがいい。注釈書も可なり沢山出ているのだから、意味が通じないということはあるまい。

 日本の奈良朝文化の燦たる輝きを読まないで、日本の文学を語る資格はないと思う。万葉集は奈良朝文学の精髄であるのみならず、日本文学の精髄である。

 どんなに支那文化の影響を受けた時代とはいえ、そこには日本人の感じ方、日本人でなければ起こさない感慨が滲み出ている。

 広く云えば仁徳天皇から淳仁天皇まで約四百五十年の間、万葉全二十巻は上天皇の御製より、大宮人は無論のこと、下庶民までの歌を集めてある。どんなに歌が盛んであったか、そしてどんなに自由に歌の中に自分の感情をのびやかに表現したか、現代人から見ればその暢達の趣きは羨ましいほどである。今四百五十年といったが実際一番多いのは持統天皇から淳仁天皇までの約七十年間である。

 この間、柿本人麿を初め、山部赤人、山上憶良、大伴旅人、大伴家持といった大歌人が輩出して、日本の抒情主義(リリシズム)の基礎が築かれたのである。

 平安朝の古今集などに比して、万葉集には上代の素朴自然な感懐が溢れ、雄勁な趣がその特質とされているが、実際古今集などは上代の素朴な歌風を失い、平安時代の時代的特色の方が濃厚に出ており、自分は万葉集の方が自然であり、素朴であるだけ、人間感情が率直に現れていると思う。

 日本人の自然観照が万葉集に凝結されていると言っても過言ではない。自分は嘗て、もし監禁されるようなことがあって、唯一書の差入れが許されるならば、万葉集にしたいと

書いたことがあるが、万葉集は国文学の中では、最高の国宝的書籍だと思っている。

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2006年8月14日 (月)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―45-

A 上代から徳川時代まで

序言(承前)

日本の現代文学は非常に沢山の文学ジャンルが寄り集まって出来ている。日本の古い文学的伝統もあるだろうし、明治以来盛んに外国文学が研究され、翻訳されて、日本の現代文学は物の見方、感じ方、考え方に随分西洋的なものが入っていると思う。英国の戯曲家

Jsrael Zaugwillの戯曲“The Melting Pot”の中にアメリカの事を、坩堝にたとへ、茲には世界各国のいろいろの人種が投げ込まれて、そして一つの新しい民族として鍛え出されると書いてある。日本の文壇に就いても同じことが云える。日本の文壇は、文芸的な坩堝である。茲には、世界各国の文学が投げ込まれて、新しい文学が作られ、また将来に於いても作られると思う。

 そこで日本の現代文学を知り、また日本の文学の将来に備えるには、この様々の要素を知らなければならない。

 しかし、本書は文学者になるための手引きではないから、そんなに細かい説明は出来ないが、少なくともこれだけは読んで知っていなければならぬものから説明しよう。

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2006年8月11日 (金)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―44-

日本人でいて日本の古典を知らぬのは、古典文学の言葉のせいもあろうが、少し勉強すれば何でもないのに、その努力を煩わしがっているのでは心もとない話である。

生まれてから一度も文学書を読んだことのない人は、恐らく小説家になろうとは思わないだろう。誰かの作品に感動して、それから色々な本を読み耽った後に、文学が好きになり、文学を志すに至るのが普通大概の作家の経路である。だからよい文学に刺激され、影響を受けることが肝腎である。

スポーツを例にとると、好い水泳選手が一人出ると、それにみならって次々に好い選手が出て、水泳日本という強固な伝統が出来る。勿論日本人の体質が水泳に適しているということもあるだろうが。

万葉集には立派な歌人が大勢いるが、彼らの秀歌は結局日本の歌道の伝統を確立したものである。爾来古今と新古今と時代の推移と共に、雄勁な感情が繊細になったり、叙事的表現が抒情的になったり、ある時は頽廃の傾向を辿り、ある時は隆盛に赴くことはあっても、千四五百年間歌道の伝統は今なお連綿として存在するのを見ては、思い半ばに過ぎるだろう。

プルンチエールという文学史家は文学的に偉い人が出ると、その周囲に文学的種類(ジャンル)というものが出気上がると言っている。丁度ダーウインが種子の起源で、種子が発展してゆくように文学でもジャンルが発展してゆくもので、千七百九十九年から千八百年になったからと言って、世紀は十八世紀から十九世紀に変わるが、文学は直ぐ突如と新しいものが生まれるものではない。従って、文学史は政治史のように年号で研究せずに、文学的ジャンルの発展史として研究すべきだと説いている。

なるほど万葉集が集大成されると、その後の和歌のジャンルはどう変化し、如何なる消長を続けたかという可なり科学的研究が出来るわけだ。

また、源氏物語は平安期に於ける色々な小説のジャンルのなかで一番優れたものであり、後世の物語小説は源氏物語を中心に、つまり源氏物語を一つの種子にして、発展しているのである。

だから古今東西の文学のジャンルの種子になるような傑作を読み、それに対する知識を持っているということは極めて大切なことだと思う。

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2006年8月 8日 (火)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―43-

第ニ 必読の書

A 上代から徳川時代まで

序言

 文学志望の人達から、どんな書物を読めばいいかということをよく訊かれる。先ず、古今東西の傑作を読破することだ。格別文学を志望せぬ人でも、自分の教養として、鑑賞力を高める上に於いて、古今東西の傑作を読んで置く心がけは持っていて欲しいのだ。

 ジェイムス・ジョイスが流行すると、ジョイスを読む。近頃ではジイドが流行って、猫も杓子もジイドを読む。ロオレンス、ハックスリイ、と時々の流行に応じて読んでいるのでは、何の役にもたたない。

殊に翻訳は語学さへ出来れば誰でも訳せるものと思って、余り大したものでもない作家の、傑作でもない小説や評論が続々としてまづい日本語で翻訳される。そしてこれを読むのに寧日ないという文学志望者が多い。

その癖、シェイクスピアもモリエールもゲーテも読んでいないというのでは唯呆れるばかりである。流行作家は確かに流行する理由を持っているものだが、流行作家のものばかり漁っていては、漁ることに忙しくて軽薄な人間になってしまい、本当に文学の流を知り、文学の深味を味わうことは出来はしない。

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2006年8月 6日 (日)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―42-

十一、作家と教養(承前)

十九世紀の佛蘭西の詩人アルフレッド・ドウ・ヴイニイは、世間との交渉を絶って、孤高を保っていた。深く詩を愛するために、絶対の孤独を要求したのである。

彼は自分の書斎を象牙の塔と称した。彼のように象牙の塔に立てこもる人は、芸術家として尊敬はする。芸術的価値、芸術感銘、それも人生に必要がないとは云わない。それも人生をよりよくする。悪くするとは云わない。

然しそれだけでは余りにも頼りない。余りにも心細い。殊に今はヴイニイの時代ではない。社会は複雑になり、その複雑な社会の中で、色々の部門が深く結びつき合うようになった今日では、一層そんな一元的な価値だけを振りかざしては居れないのである。

芸術それだけが、人生にとってそれほど大切なものかしら。芸術的感銘、それだけで人は大いに満足し得られるかしら。

自分は、芸術はもっと、実人生と密接に交渉すべきだと思う。絵画彫刻などは、純芸術であるから、交渉の仕方も限られている。(それだけ、人生に対する価値が少ないと思う。)幸いにして、文芸は題材として、人生を直接に取り扱い得るから、どんなにでも人生と交渉し得ると思う。それが画家などに比して文芸の士の特権である。

自分は芸術が芸術である所以は、そこに芸術的表現があるかないかに依って定まると思う。が、その定まった芸術が人生に対して、重大な価値があるかどうかは、一にその内容的価値、生活的価値によって定まると思う。

自分の理想の作品と云えば、内容的価値と芸術的価値とを共有した作品である。語を換えて云えば、我々の芸術的評価に、及第すると共に、我々の内容的価値に及第する作品である。

イプセンの近代劇、トルストイの作品が、一代の人心を動かした理由の一つは、あの中に在る思想の力である。その芸術だけの力でない。芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家、真に人間に感動を齎さぬ作家は、象牙の塔に隠れて、銀の笛でも吹いているようなものだ。それは十九世紀頃の芸術家の風俗に過ぎない。

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2006年8月 4日 (金)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―41-

芸術の組成要素が挙げられないからと言って、芸術を玄妙神秘なものとして扱うのには自分は不賛成である。名匠の鑿の跡を見て感嘆する通人鑑賞家や、巧みな表現や構成だけに感心する、文学に憑かれた批評家は要するに偏見に陥っている人だと思う。

文芸作品に接するとき、我々が求めて居るものは何かと云うに決して右に挙げたような芸術的評価だけではない。我々は芸術的評価を下すと共に、道徳的評価を下し、思想的評価を下しているのである。

唯芸術的評価だけを下せ、といったところで、そこに人生の一角が描かれている以上、それに対して社会的、道徳的評価を下さずには居られないのである。何らかの思想が描かれている以上、それに対して思想的な批判を下さずにはいられないのである。戯曲の主人公などが、つまらない思想を、懐抱している以上、その性格描写がどんなに巧くっても、その舞台技巧がどんなに巧みでも、軽蔑せずにはいられないのである。

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2006年8月 2日 (水)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―40-

文壇有数の名家の作品を読んで、うまいと感心する。が、心は動かない。投書家程度の人の書いたまづい短編を読んで、つい心を打たれることがある。こんなことは誰でも経験することだろう。描写がうまいとか、文章が巧みだとか、性格がよく出ているとか以外に、文芸作品にはまた別個な価値が存在するのだ。新聞の記事を読んでいても、感動することがある。事実そのものが人を動かすのだ。この人を動かす力は既に一つの価値だと思う。自分の「恩讐の彼方に」という小説、あの筋書きは、ちゃんと耶馬溪案内記に載っているのであるが、案内記を読んでも、既に或る感動に打たれるだろうと思う。文藝作品の題材の中には、作家がその芸術的表現の魔杖を触れない裡に、燦として輝く人生の宝石が沢山あると思う。

また、作者の技巧が稚拙であったり、簡潔を欠いたり、つまり表現が未だ未熟でも、その正直さ、誠実さ、真率さに打たれる場合がある。

自分はこうした意味から、文藝の作品には芸術的価値以外の価値が厳存することを信ずるのである。その価値の性質はなんであるか。我々を感動させる力、それには色々あるだろうが、私はそれを仮に内容的価値と言って置きたいと思う。

(これは便宜的な言葉である。我々の生活そのものに、響いて来る力として、生活的価値と言ってもよいと思うし、それを仔細に分かって、道徳的価値、思想的価値というように別けてもいいと思う。)

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2006年7月30日 (日)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―39-

十二、内容的価値

 芸術作品を構成している要素は実に沢山あって、それを一々数え挙げることは出来ない。若し仮に幾つかゞ挙げられるとしたら、それを備えているから、この作品は芸術だと矢張り断言出来ぬだろう。芸術は生命の如きもので、解剖によっても、組成要素の組合わせによっても、到底作り得られるものでも、理解せられるものでもない。だから文学学者の芸術論などはどんなに綿密に論理的に出来ていても一向にぴんと来ないのみならず、面白くないのである。だが、芸術家が自分の芸術論とか、一家言を吐くと、仮令(たとえ)それが片寄った議論でも、論理的に間違って居るところがあっても、生き々としたものが感じられ、面白く傾聴してしまう。

名匠の作はどんなに未完成なものでも、またどんなに粗削りなものでも、神韻縹渺たるものを覚えるのが常だ。然し日本では余りに名匠気質を重んじ過ぎはしないか。本当に名匠ならば、確かに専門家が見ても立派だろうし、素人が見ても心を打つものがあるだろう。だが封建時代の残骸たる名匠気質だけを担っている人を芸術家として尊敬するのはちと如何かと思う。幾ら上手に書いてあっても一向に読者の胸に迫って来ない作品は矢張り作品としての価値は少ないのではないかと思う。

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2006年7月26日 (水)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―38-

 要するに学校教育だけの教養では満足とは云えない。殊に今の教育は専門教育を偏重しているので、大学卒業時生の常識は甚だ低いように思う。しかも、社会に出て直接役に立つような学問は少なく、甚だ無駄な教育をしているように思う。自分に確固たる眼識を備え、自分を教育するためには不断の勉強が必要だ。

打てば響くような才人は多いが、才気で小説を書こうなどとは余りにも文学をなめ過ぎた話だ。文学をなめるということは人生をなめることだ。昔は戯作者の態度、つまり芸術家が自分を卑しめた態度が流行ったことがあるが、そんな洒落っ気で文学が成就できるものでない。

今は凡人も才人も一様に出直して勉強する可きだ。自分は教養を持たねばならぬと言ったからと言って、ディレッタントになれということではない。尤もディレッタントが好い意味の鑑賞家のことならいいが、唯村の物知りのように何でもかんでも一寸齧っているのでは困る。真の教養人とは知識を租借して我が血肉とした人である。

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2006年7月24日 (月)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―37-

 スタンダアルは常に民法を読んでいたそうだ。それは法律書には不要な閑文学がないので、書く前に読んでいると自然簡潔な文章が書けるのだそうだ。その国の風俗習慣人情の上に立脚して草案された民法位作家志望者が知っていることは望ましいことだ。

 また経済問題、政治問題が現代生活に緊密に結びついているのに、作家は今でも余りに無関心過ぎた。政治経済に無関心でよく小説が書けるとひなんされても抗弁は出来ない位、作家は狭隘な世界に沈湎していた。政党政治が勢力を失って、挙国一致内閣が出現して、国民の政治的関心が募りつつある現在、為政家は国民生活の安定策に私心を滅ぼして尽くしつつある。我々は政治経済の知識と認識を持たずして、国民生活を続けて行くなどとは笑止千万な話である。

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2006年7月21日 (金)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―37-

 作家の勉強は小説を書くことだけだと思って、社会の動きにも眼を向けず、思想の変遷にも注意せぬものは、結局不勉強な作家と言われても仕方がない。人生には男女問題だけが重要な問題ではない。また男女問題にしれも情痴事件が男女問題のすべてではない。

 作家は感情が豊かで、情熱家が多いから、兎角小説が感情で支配され勝だが、世界各国は二十世紀ほど理知の問題が重要視されて居る世紀はない。

 十九世紀から著しく発達してきた科学に刺激されたこともその原因の一つだが、科学者も哲学者も、心理学者も芸術家も今までは余りにも自分の専門のことに没頭していて、専門外の諸科学に無関心でありすぎた。然しそれら各部門の間に高く聳えていた垣根が次第に取払われようとしている。また科学と哲学とはその研究の方法こそ異なるが決して両者が無縁なものではないという認識が判然としてきた。

 また芸術も哲学や科学の影響を受けて、感情一方に偏する芸術作品は何処か近代味に乏しく、教養の低い感じがするようになった。

 作家が一般読者と同等の教養しか持っていないようでは大勢の人に興味を持たれることも少なく、人々に啓示を与えることなどは到底出来はしない。また、自分自身も社会の進歩に遅れをとって没落してしまう。

 文学に志して、古今東西の傑作位は一応眼を通して置かなくては作家として心細い限りである。また、絵画、音楽、哲学、科学、歴史といった諸部門の知識をもっていて決して損することはないと思う。

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2006年7月19日 (水)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―36-

十一、作家と教養

 自分は作家になるのに特別な天才を要さぬと思っている。だから作家凡庸主義を昔から唱えてきた。

 唯如何なる人も努力を積まなければ何にもならない。凡庸な人間が、それ相当の努力も払わずに偉くなった試しがない。

 作家を志して、文章を推敲したり、一人前の物の見方が出来るようになっても、それだけでは長い作家生活を続けていくわけにはいかない。

 読者は無責任で浮気なものだ。すぐ飽きられてしまう。新進の花形として文壇に登場しても、五年後、十年後にそんな作家はいたのかと思われるほど、早く没落してしまうものだ。作家の名声などは、足場の悪い土地に建てられた建築のように、いつ何時潰れてしまうか知れたものではない。

 それに社会は目まぐるしい程進歩してゆく。いつまでも自分の持味などに恃んで、怠けていると社会の進歩に取り残されてしまう。

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2006年7月16日 (日)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―35-

十、文芸と自然(承前)

 ボオドレエルは「私は可見の自然界に於いて猶且つ精神的の表象を求むることを好む」(辰野隆氏訳)と言っているが、自然の香よりも人間臭を愛するボオドレエルの自然観は可なり徹底したものだ。ワーズワースが自然をさして“The anchor my rurestthoughts”と言ったのと全く面白い対照を示すものだと思う。

時代によって所によって、また人によって種々様々な自然観が生まれてくるものだ。全く自然に興味を持たぬ人もあろうし、自然に引かれる人もあろう。しかし日本は風景や季候にめぐまれた国で、俳句などにも季題というものが喧しく言われている位だから、国民は自然とか気候に敏感である筈だ。そして自然観に国民的な伝統が一番よく現れているのではないかと思う。

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2006年7月14日 (金)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―34-

鋭い感覚を持っている人や、好い感受性を持っている人が、こうした古今の天才達の作物に接して一層啓発され、洗練されたら、鬼に金棒であろう。

殊に日本では自然描写にかけては、随分古くから発達していて、万葉に現れ、自然観は今我々が読んでもぴったり来るものがあると思う。万葉には山部赤人のように自然と溶け合おうとして自分の姿を自然の懐のなかに没してしまうような自然歌人が多い。尤も自分を中心としてのその周囲に自然が展開するといった個性的な叙情詩人もあるが、万葉の自然観は現代のような個人意識が少ないから、おおらかな、雄勁なところが如何にも時代の精神と合致して居り、自然美にめぐまれた奈良朝の文化がうかがわれる。

これに反して芭蕉の句に至ると、透徹した自然観、閑寂の境地が粛然とひらけて、もう根強い個人意識が確立されている。

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2006年7月10日 (月)

文豪・菊池寛の「日本文学案内」―33-

十、文芸と自然

 我々を取巻く自然に如何なる人も無関心ではいない。自然というものは人間を離れて存在するが、これを眺める人々の印象なり、感情は千差万別である。

 心理学では視覚型の人間と、聴覚型の人間とか、どの感覚が発達しているかで、人間の型を分類しているが、自然を見て海や山の景色、それから森や川の景色、花や鳥など、自然の美しさが分かるように思って居るかも知れないが、人によって感ずる力が変わって居ると思う。

 同じ自然に対して視覚型の人は聴覚型の人よりも細かく深く観察するだろうし、もっと広く観察が行き渡るだろう。

また、美感覚が優れている画家などは、普通に人より美の感受量が多いから、「同じ綺麗な花だな」と思っても、感得された印象は異なって来るのである。

殊に文芸とか美術とか、そういう方面にたずさわる者は、自然の観察に熟練して居り、また知識も豊富になっていて、普通の人よりも一層緻密に眺めることが出来、深いところまで理解することが出来るのである。だから古今の名画や傑作文学は一応読んで置く必要

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2006年7月 7日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―32-

元来、芸術作品は自由主義の所産であり、独創を最も尊ぶものである。

そして、独創的なものが生まれるのは最も自由な状態に於いてである。ジイドもあらゆる拘束から開放された境涯が一番幸福な状態だと言っているそうだ。

古来無法という言葉がある。法に拘泥している間は法に縛られているが、法を完全に理解し、我がものとしてしまえば、最早法はなくなる。この無法人の境涯こそ、自由人の心境に他ならない。

宮本武蔵は剣術で悟った人だが、自分の行いを律する「独行動」という規則を拵えた。その規則の第一は神仏を尊んで頼まずというのだ。神仏を頼むが尊ばずという連中が多い中に、かかる信条をもっていた武蔵は偉い人だと思う。彼も亦自由人に他ならぬからである。

また、夏目漱石は死ぬ前に、「則天去私」ということを言っていた。天に則って自分を棄てるというのは、自然の成り行きに任すということだ。禅問答のような言葉だが、これも捕らわれぬ境地、自由人の境地を語ったものだ。

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2006年7月 6日 (木)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―31-

斯く言えば自由というものは如何に重要にして、且つ得るに困難かが分かるだろう。素直な心を持つ修業は結局自由人になる努力である。そして捕らわれざる精神の所有者になることである。どんな立派な思想体系でも、これに捕らわれてしまえば、もう其処から発展はなくなってしまう。科学はいつも懐疑精神によって発達している。どんな真理も疑ってみることは出来る。ニュートンの説が恒久不変の真理だと思ってしまえば、科学はもうそこでおしまいになってしまう。もう一度疑い直すことによって、相対性原理が生じるのである。今は相対性原理に疑いの目を向ける物理学者がまた大勢いることだろう。

殊に芸術家は他人の借り物の思想で、人生を眺めたり、在り来たりの道徳で、人間を判断してはならない。

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2006年7月 2日 (日)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―30-

これも相方の無理解から起こることだ。封建的な道徳観に捕らわれた親、新しい自由恋愛に捕らわれた娘の対立は仲々深刻な家庭問題だが、凡て捕らわれた思想は決して人を幸福には導かぬものだ。宗教に捕らわれ、新思想に捕らわれ、金銭冥利に捕らわれる。

何かに捕らわれるのは、それに対する知識が不足しているか、明察に缺けているからである。一度何かに捕らわれると、もうそれから先は判断が鈍るか、捕らわれた判断しか働かなくなる。そして意志力は頑迷固陋に変化してしまう。守銭奴が常に頑固なのはモリエールのアルバゴンやバルザックのグランデを読めば明らかであろう。

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2006年6月30日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―29-

ロシアの小説を読むと農奴の悲惨な生活が屡々書かれている。奴隷の売買は欧米の小説では屡々見受けるところだ。また娼妓の生活も奴隷生活と選ぶところがない。然しあの悲惨な奴隷の生活を読むと眼を蔽いたがる人々は一度我が身を振り返ってみれば、自分もまた二重三重の桎梏に喘ぐ奴隷の身であることに気がつくだろう。社会に、制度に、習慣に様々な観念に、縛られているのだ。

だが解放は確かに望ましいことには違いないが、無理に解放を望めば、そこにはもっと惨憺たる闘争が起こってくる。階級闘争も解放運動の一つの現れだが、人間は流血の惨事を惹起しても、なお自由を要望し、束縛から解放されようと努力する。それだのに世には自分で束縛を作ってそれに拘束されて苦しんでいる人がいる。馬鹿馬鹿しい話だ。

親の犠牲になって好きでもない男と結婚する娘は未だ随分沢山いることだろう。自分の

一生の問題に可なり不注意不忠実な態度である。自由結婚とか自由恋愛とかが、一種流行語になったことがあるが、自由と放縦を履き違えた考え方は困るが、封建的な思想に捕われた家庭では、娘は自由を渇望する余り親に叛逆を企てることがある。こうした家庭悲劇は未だにその跡を絶たぬ。

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2006年6月29日 (木)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―28-

九、文芸と自由

 前々章で明瞭で、且つ個性的な倫理観を持つ必要を説いた。世間の常識とか、強力な権威に何の疑いもなく屈服してしまうのでは個性的とは言えない。果たしてこの常識は正しいかどうか、この権威は尊重すべき価値があるかどうか、自分で調査し、判断してみなくてはならない。この探究と判断の後に尊敬すべきものを尊敬し、軽蔑すべきものを軽蔑するがいい。このような判断があって初めて自由が得られるのだ。

判断のない自由なんてあり得よう筈がない。物に捕われぬ判断こそ、自由に導く最良の道である。

しかしいつの時代でも束縛のない時代などはない。人間は常に何ものかに縛られている。従って絶対に自由な状態などは考えの上ではあるかも知れないが、実際には存在しない。それでいて束縛から解放されようと藻掻いている。

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2006年6月27日 (火)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―27-

よく国際問題で正義人道に背いたと告発することがあるが、どれほど告発者は正義感を持っていっているのか疑わしい。寧ろ正義人道に背いたと告発することに依って、誰かに告発の承認をして貰いたいのだ。

 文芸の世界では一切の外交辞令は許されない。正義の承認を得ようとすることは不正の第一歩である。プラトンは正義とは内的な調和であり、自己の立派な統治だと考えた。口に正義を唱えるものは正義の承認を要求して居ることで、内的な調和なんて微塵もありはしない。

何が正義かと自分の理性で、深く判断する人が倫理家(モラリスト)である。従って倫理家は自分の感覚とか感情とかは鋭敏に働かせる必要がある。理知と判断を不断にはたらかせなければならない。そして、感覚、感情、理性の働きに立派な統治が保たれる。この時初めて道徳家は完成するのである。だから道徳家とは叡智に満ちた聡明な人たるを要するのである。

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2006年6月25日 (日)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―26-

 真の道徳は単純にそれは悪いとか、そんなことをしてはならぬとか即断したり、禁止したりすることではない。普通一般の生活上の規約に服従し、風俗習慣を受納れることが、道徳であることの第一歩であろう。法律でも、公序良俗に反する時は処罰する。

 然し作家は公序良俗を紊(みだ)さぬ程度に道徳的であるだけでは、心細い。もっと積極的に作家の倫理観を持たなければならない。

 積極的な倫理観とは普通一般のコンヴェンショナルな道徳観念に屈服して、自分の良心や判断を曇らせぬ道儀観である。社会の風俗習慣を受納れるにしても、盲目的に受納れては、その人の理性とか、判断とかは鈍ってしまうのみならず、平凡な規則や風俗習慣への阿諛追従となる。個性は束縛されて臆病になる。斯くして道徳的である筈のものが、阿諛とか臆病とかと云った不正不徳を犯す結果になってしまう。

 自分は確固たる人間認識と人生観を持たねばならぬと言ったのは、明瞭で且つ個性的な倫理観を持たねばならぬ謂いである。

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2006年6月23日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―25-

 つまり道徳とは或る国ではでは風俗習慣の意味だそうだが、時代によって、所によって道徳の観念が、風俗習慣が異なるように変わってくるのである。だから何時までも因襲に捕われた道徳観念に固執していると精神生活の進歩というものがなくなってしまう。

 如何にして新しい道徳を作り出すか。そして何が一番立派な道徳であるかを考えなければならない。

 因襲に捕われた道学者から見ればトルストイの「アンナ・カレニナ」は姦通という不道徳を犯した女性かもしれない。然し彼女の良心はコンヴェンショナルな道学者よりも余程強く働いているし、自分の性情に対しして真実で誠実な女性であることがわかる。

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2006年6月21日 (水)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―24-

八、文芸と道徳

 法律は未成年者の飲酒喫煙を禁じている。これは衛生上から禁じているので、道徳的の意味はない。然し世には飲酒喫煙を悪いことのように言う人がある。確かに酒に酔っている格好はいいものではないが、それが悪いことだとは思わない。昔は「男女七歳にして席を同じふせず」と云われたが、幼稚園でも、小学校でも、この頃は席をおなじふして居る。

 昔の方が厳しくて、今は寛大になったかというとあながちそうとばかりは云えない。親や主人のために身売りする「忠臣蔵」のお軽のみならず、枚挙に遑(いとま)のないほど例がある。自分の妻の貞操を犠牲にして、主家に尽くすのを忠臣とほめ上げた例もある。

然しこうしたことは道徳的でないばかりか、不道徳であると今の人は思うだろう。

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2006年6月19日 (月)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―23-

数年前のことだが、神楽坂で芸者を殺した大工の棟梁があった。芸者を殺して棟梁は佃川に身を投げたが、沈まないでいたところ、ふと上を見ると十五夜の月が皓々と照っている。それを見ると急に死ぬのが厭になって、岸に這い上がったという話だが、一旦死ぬ気になったが、十五夜の満月を見て、また岸に這い上がったなどいう事は案外人間味があると思う。自分なども又這い上がって来る方だろうが、人殺しをするような人間の心持でも決してこれと別なものではないと思う。

もう少し、人間の心持ちを理解すると、もっとこの世の中が明るくなるのだ。世には無理解のために、どれほど多くの悲劇が生まれて居るかわからない。

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2006年6月17日 (土)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―22-

凡ゆる方面から見ると真に悪人というものは無くなって来る。昔の劇に出る原田甲斐とかイヤゴーとかいうのは、ただ悪のために悪事をしている。近代文学などになると悪人はいない。トルストイの小説には悪人がいない。それは何故かというと、人間の気持ちを良く呑み込んでやると、大抵に人は悪くない。人殺しでも殺す時にその人の神経が疲労していたとか、食うに困ったとか、その人の親の遺伝があったとか、そういうことを調べてみると、本当の悪人というのは無くなってくる。また、ドストイエフスキーの「罪と罰」で、青年ラスコルニコフが金貸しの老婆を殺す。法律では人を殺したものは、理由の如何を問わず罪にする。

ラスコルニコスは法律上の罪人であるが、「罪と罰」を読むと誰も彼を目して悪逆無道な奴だと思わないだろう。寧ろ彼の微妙な心理に驚いて、同情と理解を抱くようになってくる。実人生はあれほど深刻でないと思うのは、文学かぶれのした人か、人生を知らぬ人である。実際に世には同情されなければならぬ人が悪口を言われたり、ある事件の皮想だけ見て、悪人と判断されたりする場合が非常に多い。

これは畢竟人間をお互いに理解するという気持ちが缼けているから居るからではないだろうか。そういう意味で悪いことをする人間でも、本当にその人間の気持ちを酌んでやると、可なり同情しなければならない人間が多いように思う。

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2006年6月15日 (木)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―21-

 本当に苦労し、人生を知るということの中には、人間を知るということが含まれていなければならない。前に文学は人間学であると言ったのはこの謂いである。逆に文学に依って人間を知るのは重要で且つ懸命な策であろう。何故なら作家は執拗なまでに性格描写に腐心しているからだ。例えばシェイクスピアの三十七の戯曲を見るといい、数多い登場人物の性格の一つ一つが、真に生きた人間の形貌を備えている。この生きた人間、血あり肉あり、脈拍と呼吸を持ち、我々の思想、感情、理想、煩悶をもつ人間が無数に且つ微細に描写されている。性格描写とは即ち人間の心を覗く窓である。ハムレットから覗くと大概人間の心が分かる。それからデスデモナやクレオパトラから覗くと女性の心が分かる。

 クレオパトラを見れば威張った女の心は分かるし、デスデモナを見れば、大抵可愛い女の心は分かる。シェイクスピアのみならず、モリエールにしろ、ラシイヌにしろ、バルザック、トルストイ、ドストイエフスキーの描く人間は、そのまま人間の類型として、夫々独自なものがある。仏蘭西ではモリエールの「守銭奴」の主人公アルバゴンを吝嗇漢の代名詞に使っている。斯く様々な人間のタイプを小説家として裏から見たり、縦から見たり、引繰返して見たり、凡ゆる方面から見て居る。

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2006年6月13日 (火)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―20-

 他の学問でも技術でも、或る程度以上に行くと、人格ということが、大きい関係を持つものだが、創作ということが、全人格的な仕事である丈け、その作者如何が最初から大きい問題であるようだ。人間として、サムシングのあるものでないと、小説は書けないようだ。所謂道学的には良でも不良でもいい、兎に角その性質に厚みか鋭さのある人でないと、いい小説は書けない。書はその人を現すという。が、小説はその人自身である。

七、人間学としての文芸

 人生に就いて、生活に就いて確固たる意見を持っても、それが抽象的であったり、観念的であったりし勝ちである。そして人生哲学として相当な議論を吐いても、人間というものに就いて知らぬのではそれは空論に等しい。

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2006年6月11日 (日)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―19-

六、文芸と人格

 人間を知り、人生についての認識を持ち、生活に深く根を降ろせば、最早一流作家の資格十分だが、敢えて作家としてばかりでなく、人間としても立派なものだと思う。或る作家の人間的価値は、その作品と価値とかなり正比例している。多くの作家や作家志望者と、交際っている裡に、感じてきたことであるが、人間として取柄のない者の小説は、やっぱり取柄の少ないことを知った。無論道徳的の人格者でなければ、いい小説が書けないというのではない。人間として、何処か変わったところがあり、面白い所のある人でないと、どうもいい小説は書けないようである。フワフワしている男や、覚悟の定っていない中途半端の人間には、どうもいい作品は書けないようだ。

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2006年6月 9日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―18-

それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることは出来ないかも知れないが、兎に角、若い人は、つぶさに人生の辛酸を嘗めることが大切である。 作品の背後に、生活というものの苦労があるとないでは、人生味といったものが、何といっても希薄だ。だから、その人が、過去に於いて、生活したということは、その作家として立つ第一の要素であると思う。そういう意味からも、本当に作家となる人は、下らない短編なんかを書かずに、専(もっぱ)ら生活に没頭して、将来、作家として立つための材料を、蒐集すべきである。 かくの如く、生活して行き、而して、人間として、生きて行くということ、それが、即ち、小説を書くための修行として第一だと思う。

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2006年6月 7日 (水)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―17-

 自分なんかも、初めて、小説というものを書いたのは二十八の歳だ。それまでは小説といったものは、全く一つも書いたことがない。紙に向かって小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。

 兎に角、自分が、書きたいこと、発表したいもの、また発表して価値のあるもの、そういうものが、頭に出来た時には、表現の形は、恰も、影の形に従うが如く、自然と出て来るものだ。

 そこで、所謂(いわゆる)小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何にも要らないのだ。短編なんかを一寸うまく纏める技巧、そんなものは、これから何の役にも立たない。

 これほど、文芸が発達して来て、小説が盛んに読まれている以上、相当に文学の才のある人は、誰でもうまく書けると思う。

 そんなら、何処で勝つかと云えば、技巧の中に匿された人生観、哲学で、自分を見せて行くより、しょうがないと思う。

 だから、本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短編が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうような一寸した文芸上の遊戯に耽ることをよして、専心に、人生に対する修行を励むべきではないか。

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2006年6月 5日 (月)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―16-

 だから、そういう意味で、小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが こういう風に、自分自身の人生観――そういうものが出来れば、小説というものも、自然に作られる。もうその表現の形式は、自然と浮かんで来るのだ。自分の考えでは、――その作者の人生観が、世の中の事に触れ、折に触れて、表れ出たものが小説なのである。

 即ち、小説というものは、ある人生観を持った作家が、世の中の事象に事よせて、自分の人生観を発表したものなのである。大切だと思う。

 そこで、まだ世の中を見る眼、それから人生に対する考え、そんなものが、ハッキリ定まっていない、独特のものを持っていない、二十五歳未満の青少年が、小説を書いても、それは無意味だし、また、しょうがないのである。

 そういう青年時代は、ただ、色々な作品を読んで、また実際に、生活して、自分自身の人生に対する考えを、的確に、築き上げて行くべき時代だと思う。尤も、遊戯として、文芸に親しむ人や、或いは又、趣味として、之を愛する人達は、よし十七八で小説を書こうが、二十歳で創作しようが、それはその人の勝手である。苟(いやし)くも、本当に小説家になろうとする者は、須(すべか)らく隠忍自重して、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たないという覚悟がなければならない。

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2006年6月 2日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―15-

小説を書くということは、決して、紙に向かって、筆を動かすことではない。吾々の平生の生活が、それぞれ小説を書いているということになり、また、その中で、小説を作っているべき筈だ。どうもこの本末を顛倒している人が多くて困る。一寸一二年も、文学に親しむと、すぐもう、小説を書きたがる。しかし、それでは駄目だ。だから、小説を書くということは、紙にむかって、筆を動かすことでなく、日常生活の中に自分を見ることだ。即ち、日常生活が小説を書くための修行なのだ。学生なら学校生活、職工ならその労働、会社員は会社の仕事、各々の生活をすればいい、而して、小説を書く修行をするのが本当だと思う。

 では、生活してさえ行ったら、それでいいかと云うに、決してそうではない。生活しながら、色々な作家が、どういう風に、人生を見たかを知ることが大切だ。それには矢張り、多く読むことが必要だ。

 そして、それら多くの作家が、如何なる風に人生をみているかということを、参考として、そして自分が新しく、自分の考えで人生を見るのだ。言い換えれば、どんなに小さくとも、どんなに曲がっていても、自分一個の人生観というものを築き上げて行くことだ。

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2006年5月29日 (月)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―13-

五、Reading of Life

 自分は昔「余は、新進作家に、技巧の完璧を求めず、取材の新奇を求めず。たヾ求むる所は、新しきReading of Lifeの持ち合わせあるや、否やに在り」と書いた。人生を観じ、人間を眺める眼を涵養せずして、文学は創れるものではない。色々な本を読んで、一人前に人生が解ったつもりでも、実際の問題にぶつかって、なすところを知らず、自分の無力を嘆く場合が多いものだ。だから自分はかつて『二十五歳未満の者、小説をかくべからず』という規則を拵えたらいゝと言ったことがある。或る程度に生活を知り、人生に対する考え、所謂人生観というべきものを、きちんと持つことが必要である。

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2006年5月27日 (土)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―12-

 文芸が生活の慰安として大切であることは今更云うまでもない。人間の物質生活には限りがあるが文芸の世界には全く際限がない。文芸に親しみ得る人は僅かのお金で、東西古今幾万人の生活――源氏物語を読めば王朝時代の貴族にもなれる。西鶴を読めば元禄時代の蕩児の生活を味われる。カルメンを読めば、ジプシイの娘になれる。ハムレットを読めば、丁抹(デンマーク)の王子にもなれる。トルストイをよめば、ロシアの農奴にでもなれる。文芸によって、人は初めてより広い、より深い人生を知ることが出来るのである。だから文芸の分からない人ほど不幸なものはないのだ。彼は、狭い自分一人の生活にとじこもっているのだ。

 況やこの文芸を理解することが、趣味として、教養としていかに上品であるかに於いてをやだ。

 最後に、如何なる偉人にせよ、英雄にせよ、文芸を理解する人でなくては浅くなり、一生が皮相なものであり、真に偉大なる人格だと云えないと我々は思っている。

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2006年5月25日 (木)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―11-

また文芸は、神に近い高所から世の中をありのままに見ることによって自分をも第三者の立場に立って批判するだけの余裕ができる。苦しみながらも、自分の苦しみを観察し考え得る余裕が出来る。馬車馬のように、猛進せずに常に自分を客観視するごとに反省が出来る。これも文芸に親しむ利益の一つである。

 而かも文芸は前にも述べた如く、一種の人間学である。人間がお互いにももっと理解してくると世の中はあかるくなってくる。喧嘩とか、感情の衝突などということはお互いに

理解し合ったら結局憎むべき人間はなくなり、世の中はもっと平和に楽しく行くに相違ない。

 所でその人間性なるものは如何にして研究したらよいかと云うと文芸による外はないのである。作品のうちには、いかに多種多様の人間性が描かれているか、どういう風に人間の気持ちは動くものであるかをよく注意していれば、自ら人間性の研究は出来るものである。

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2006年5月23日 (火)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―10-

 一生の幸不幸が定まる配偶者を選ぶ場合でも、正しい相手を知ることが、いかに必要であるか。女性は男性を、男性は女性をそして正しい恋愛や結婚生活はどんなものかということを本当は知らないから、一生の破滅を来たし、結婚生活の破綻を招くということになるのだ。が、学校では一向そういう人生の真実を教えない。それかといって実人生においてにおいて、男性が女性を研究することは不可能である。殊に、女性が男性に近づく場合いかに多くの危険が伴うか。だが、文芸というものを通じてなら、多くの男女性を、正しい恋愛を、結婚生活を知ることが、いかに簡単であるか、しかも何らの危険も伴わない。言い換えれば文芸は人生の実験室である。少しの危険も伴わない。人生の真相を示す案内記である。

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2006年5月21日 (日)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―9-

 人生には随分銘々自分に都合のよい様な嘘がある。例えば日米問題について考えても、米国は欧州戦争当時盛んに正義人道ということを口にした。こんな分かりやすい国家的の嘘はすぐ目につくが、我々の個人的嘘、社会的の嘘、また教訓的の嘘はかなり多いに拘らず一向人の目につかない。文芸はそうした嘘をまざまざと我々に示して、人生の真の姿を知らしてくれるものである。(注:本書は「日本文学案内」として1938年に刊行。日中戦争拡大する)。

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2006年5月19日 (金)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―8-

四、文芸と人生

 今なお文芸を危険視する人がある。しかし人生何事か危険の伴わざるものがあるだろうか。海は危険だというものがあるが、畳の上でも人間は死ぬのだ。文芸以外の宗教、倫理、教育あらゆるものにも人の魂を殺す危険がいくらかは伴っているではないか。豈(あに)独り文芸のみを危険と謂う可(べ)けんやだ。

 むろん、文芸にも人を毒する誤った文芸がある。が、正当に文芸を摂取すれば、文芸は処世の指標であり、生活の興奮剤であり、生活の慰安である。

 文芸の第一の利益は人生を知ることにある。人間生活の真相を知ることにある。凡そ人間生活を営むに当たって人生の真実を知るほど大切なことはない。それは支那旅行をするものにとって支那の地理歴史を知ることが第一の必要であるが如く、人生の旅に出る前に人生の案内記を読み、人生の真相を、人生とは如何なるものであるかをよく知っておくことが第一の必要事であるのである。人生は渡りそこなってはならない。人生はは二度と渡れないものだから、人生の真の姿は文芸において、一番正確に現れているといっても過言ではない。何故に、人生の真実を知ることが必要か。それは人生には多くのウソがあるからだ。

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2006年5月16日 (火)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―7-

 それかと云って自分は、凡ての人間に作家たれと言うのではない。文芸の仕事が、特殊の選ばれたる少数者の仕事であると云ったような謬見を打破したい為である。創作の欣びを享くる事が、凡ての人の特権であり得ることを言いたいのである。芸術が人類一般に開かれたる仕事であって、天才だとか才子だとか云う者の、占有物でないことを力説したいのである。

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2006年5月14日 (日)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―6-

 天才や非凡の機智や才気煥発たる才人の作品を珍しき宝玉のように、持てはやす時代は過ぎている。少数の天才や才人だけが、創作の権利を壟断(高い丘の、たちきったようにそびえた所の意から、権利や利益をひとりじめにすること)した文芸の貴族趣味は過去のことだ。天才がその非凡な空想を縦横に描き出すと同時に、凡人がその平凡な、然しながら平凡なる万人に共通な空想を、コツコツと描くことが許される時代なのだ。

 変わった感覚や突飛な感情や、数奇な生活などが作品の題材として珍重された時代は過ぎかけている。芸術は平凡人が平凡に観、平凡に生活した記録であって一向差し支えがない。平凡な一般の読者にとって、一番心を動かすものは、自分と同じく平凡な人間の姿ではあるまいか。そうすれば小説が誰にでも書けるか書けないかということが問題になってきて来るが、前述の如く今は人間が素直で謙虚な心を持ち、人生を正しく観、それを正しく表現する位の技能は、普通の人間は少し努力すれば出来ることと思う。

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2006年5月11日 (木)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―6-

 だが然し創作をするのには、特殊な天分が要ると戒められている。凡庸に生まれついた者は、ただ享受鑑賞だけで辛抱せよと戒められている。が、創作には果たして特殊な天分などがいるだろうか。

 主観的に創作の欣びをもつためには、特殊の天分などのいらないことは、明らかだ。天才詩人が、詩を考えて居る時の心持と、凡庸作家が詩を考えている心持とは、その主観的部分では、そう変わっているとは思われない。芭蕉が一句を得た時の欣びと、名もない市井の俳人が、一句を得た時の欣びと何等の相違があるとは思われない。まして、職業的な作家が創作する欣びなどよりも、無名作家なり、文学青年なりが、創作の時に感ずる欣びのほうが、どれほど純で大きいか分からないと思う。

 創作の欣びは、どんな貧しい天分の者にでも、享け得られる欣びだと自分は思って居る。が、然し、そうして主観的に創作の欣びを享くると同時に、客観的にも他人を動かずような作品を創る事、換言すれば作家として文壇に立つ為には、特殊な天分がいるだろうか。自分は、そうするためにも、特殊な天分が入用だとは思わない。どんな凡庸な人間でも作家になれないことはないと思う。

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2006年5月10日 (水)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―5-

 自分以外のどんな天才が作った広大壮麗な芸苑の中に、はいって行くよりも、自分自身で(他人から見ればどんなに貧しくても)自分自身の花苑を作るほうがどんなに楽しいか。自分はどう考えて見ても、享受するよりも、創造する方が、どれほど欣ばしくやり甲斐のある仕事であるか分からないと思う。

 何人も自分の作品が活字になった場合、それと同じ誌上にどんな天才者や、大家や、流行作家の物が載せられて居ようとも、まず第一に読み始めるものは自分自身の作品ではなかろうか。それが一句の俳句であり、歌であっても自分の作った物の方がどれほど我々の心を躍らすか分からない。

 天才なり大家なりの作品を読んで、自分自身を見出すよりも、どんなに貧しくても、自分自身を核心として、自分自身の作品を生み出す方が、どれほどやり甲斐のあることだか分からない。

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2006年5月 8日 (月)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―4-

三、作家凡庸主義

 芸術――この場合特に文芸――に携わるためには、特殊の天分が必要であるように言われている。気質なり感覚なり感情なりに、特殊の天分がなければ、文芸は携われないように言われている。そして多くの人達が、天分がなくして文芸に携わることの誤ちを警告し、またそうしたために起こった凡庸作家の悲哀を語っている。しかし、果たして、そんなものだろうか。文芸とは選ばれたる少数の人のみが携わるべき仕事だろうか。凡庸に生まれついている人間は、ただそうした少数者の仕事を指を銜えて見物し、彼らの作品を有難く拝見していなければならないものだろうか。自分はそう思いたくない。また、そうあってはならないものだと思う。

 選ばれた少数者のみが、創作の欣びを享受することが出来、取り残されたる多数は、ただその少数者の作品を、鑑賞することしか、許されていないとすれば、芸術が人生に存在している有難さの過半は、台無しになっていると思う。

 自分は思う。芸術的の気質がどんなに乏しい者でも、感覚が鉛の如く鈍重である者でも、感情が豚の如く痴愚である者でも、どんなに心の貧しい者でも創作に興って一向差し支えないものだと思う。創作の欣びと、鑑賞の欣びとを比べて見れば、陰と日向のようなものだ。どんなに天分の貧しい者でも、遠慮して、陰にのみ座って居る必要はないと思う。

 どんな天才の作品を読むよりも、――ゲーテだとか、ダンテだとか、シェイクスピアだとか、近代の色々な天才を束にして挙げてもいいがーー自分で一句の発句を作り、一首の歌を詠む方がどんなに楽しいか。どんなに、その作品が、他人から貧弱であっても、自分の物を、一行でも書くほうがどんなに楽しいか。

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2006年5月 6日 (土)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」―3-

幾ら雑誌や新聞の文芸欄を熟読して、文壇の事情に精通しても、文学は解からぬのである。虚心坦懐に対象にぶつかって行き、物象を眺める境地を養わなければならない。素直になるということは一見平凡なことに見えるかも知れないが、仲々生優しい修業ではない。殊に生活上に色々苦労した人は、世の中の非常な圧力に自己が押しつぶされないように自己を守るか、または自己を押し通すために無理な力を尽くしている。

 それで社会に対する抵抗力は養いえたかも知れぬが、偏見にかたまる怖れは充分ある。自分の意に添わぬ事象には眼を止めなくなる。

 学ぶに足るものに対しては一瞥もくれなくなる。

 斯くして素直な心は失われてしまうのだ。

 ジイドは「人間の理智は誤謬の裡に迷い込むことを何より悦ぶらしい」と例の逆説的な言い方で言っているが、複雑な社会に生きて、色々な環境に育って行くと、素直な心はいつの間にか、誤謬の裡に迷い込み、偏見に捉われてしまうものだ。

 素直な眼を持ってさえいれば、如何に冷酷に芸術作品を鑑賞しようが、それは一向に差障りない。

 寧ろ、冷酷な眼というのも、つまりはものに捉われぬ謂いであって、偏見を抱いている間、芸術のみならず、人生一般何も真に理解することは出来ず、また創造することが出来ない。

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2006年5月 4日 (木)

文豪・菊池寛の文学基礎方程式

二、素直な心

 文学がひとり文学者のためにあるとは誰も思うまい。古今東西の傑作は世界の色々な人に読まれ、愛されて、現代まで残っているのである。文学を志して、名を竹帛(ちくはく=歴史の本に名をとどめること)に垂れようと思う人はあるだろうが、そう思い通りに歴史には残らぬのである。では、誰がダンテやシェイクスピアを今日に残したか。それは只時代から時代へ、あらゆる階級を通じて、人々がその作品の魅力につられて、読んだだけのことである。いつになっても読者が絶えぬということが、畢竟作品が後世に残るということである。

 作者は心血を注いで書いているかもしれないが、読者は無責任で、冷酷だ。だが、古今の傑作はこの無責任で冷酷な読者を感嘆させたからこそ現代に残っているのである。独りよがりの小説や、人に感動を与えぬ小説なんか、いくら書いても徒労である。また読者は作家がどんなに苦労をして書いたかとか、どんなに急いで書いたとか、そんなことに同情を持ったり、推量する必要はない。益々気儘で、無責任で、冷酷であれば好い。

唯一番大切なことは素直な心を持たねばならぬことだ。これは文学の鑑賞に当たっても、また文学を創作するに当たっても大事なことだ。

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2006年5月 3日 (水)

文豪・菊池寛の「文学基礎方程式」-1-

第一 『文学とは何ぞや』

 一、人生案内

 社会が複雑になって行くにつれて、社会文化が微細になり、多岐になってゆく。フォードの自動車製作の過程を見れば、ある職工は終日機械の或る一部分に鋲を打ち込むだけである。またある職工は油をさすだけである。自動車は如何にして作られるか知らなくても、職工は勤まるのである。大学で経済学や法律学のむずかしい理論や学歴を教わって、さて社会に出ると、銀行の窓口に座らされて、紙幣を勘定したり、会社の帳簿の記入係にさせられて、折角習った理論も学説も何の役に立たぬ有様である。これでは大学を出なくとも、簿記や算盤さえ出来ればつとまるのである。社会が分化(ディフェレンシエート)して、職業が分業的になり、部分的な狭い分野に限られてくると、ますます社会とか人生とかに対する人々の視野は狭められて、認識不足の片輪者が出来てくる。また分化作用が激烈になって、科学主義、機械主義が謳歌されると、機械を作ったり、会社を経営する才能はあるが、人生についての認識なり、理解が零の人間や、人間の心理の動きにはまるで無関心な男が殖えてくる。技術とか技能万能主義になってしまって、世はますます偏向者に満ち溢れる。

 以上のように社会が複雑になり、人間心理、対人関係が層一層複雑になって行くのに、社会に就いて、人生に就いて、人間に就いての知識や認識を得る方法がまた不便且、困難を極めてきた。然るに文芸の世界ではあらゆる人生が描かれている。現代ばかりでなく凡ゆる人生、社会が描かれているから、文芸に依って人生を研究するのが、一番正しく、一番簡単な方法である。人々の生活は如上のように非常に狭くなっているが、文芸の世界に一歩踏み出せば、どんな人生でも総てのことが出ているから人生の本当のことが解かる。文芸を研究すれば、自然に自分の生き方がはっきりしていくと思う。所謂文学的な見方、感じ方で人生を見たのでは、本当の人生は解からず、同時に本当の文学も解からぬのである。

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