2017年5月21日 (日)

寺澤有氏の語る裁判傍聴談話が動画に

  警察組織の事情に詳しい寺澤有氏の話を聞いた。《参照:寺澤有氏が「共謀罪と、警察ねつ造の覚醒剤密輸事件」 》最近は、ネット動画で素早く出すようになったので、自分のサイトの記事は不要のように思わないでもない。しかし、長時間にわたる動画を全部見切れるかというと、そうでもないであろうと、概要を記すことにした。とにかく会場には2時間近くかかるので、動画は便利だ。これで人々の考えに影響を与えるであろう。
 まだ、これと関連した情報があって、それだけ単一で知ることよりも全体像がわかる。それを記事にしていくつもりだ。

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2017年5月15日 (月)

現実と小説創作におけるリアリズム

 美濃加茂市長の受託収賄事件で起訴され2審で有罪とされた藤井市長が、選挙で3選当選した。有罪の2審では藤井市長が主張を述べる場が与えられず、贈賄がわの詐欺罪服役中の男が贈賄の事実があると述べた。
 これに対して裁判長は、収賄の事情を語った事情には、充分説得力があり、もっともらしさがある。としている 毎度の話であるが、これを小説の創作において、事実あったことをそのまま描くと、リアルでないとされ、そこにフィクションを入れると、もっともらしい、リアルさが増したと評されることが少なくない。
 実際に、三島由紀夫は海外で映画化された「午後の曳航」を書く時に、横浜かどこかのヨットのオーナーに、小説モデルの取材にヨットを見せて欲しい、と見学に来たという。しかし、三島は肝腎のヨットをあまりよく観察しないで、帰ったという。そしてその小説は評判が良かった。
 要するに、事実にこだわると、もっともらしさが失われると考えたのであろう。見ずに書いたといわれたくなかったので形式的に見学したということになる。三島の小説には、実在の地名をつかったのが多い。しかし、そこの土地柄を良く表現しているわけでもない。いわゆる、非現実的な話にもっともらしさをだすための常套的な手法と読める。
 現実の裁判では、贈賄の事実を述べた判決書を検察側から熟読させられ、何か月にわたって応答の練習をさせあっれ、それにそってもっともらしい嘘をのべたのではないか。というのが郷原弁護士の憶測だ。
 《参照:美濃加茂市長選挙、藤井氏が当選も収賄事件判決に課題

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2017年5月14日 (日)

日本と世界の底流ー議員は必要か。地球環境の現在

 選挙で市民の代表を決める民主主義、しかし選ばれるのは、数の多い団体にの支持者である。なぜ、これだけ保育所が足りないという市民がいるのに、保育所がすぐできないのか。それは議員が保育所を作ろうとしない人たちの代表だからだ。規制を設けて保育所を作れないように工夫する議員がいるからだ。議員がいなければ、保育園のほしい人たちが集まって、規制を取り払って自由に保育園を作ろう。一例をあげれば、こういう考え方から出たのが新党「地方議員ゼロの会」である。《参照: 「地方議員ゼロの会」が直接民主制の構築》いまは、おそらく気運が向かないであろうが、社会的にある勢力が隆盛してるときに、その反作用勢力が少しづつ育ち、両勢力が接近したときに、そのどちらでもない体制が生まれる。それが弁証法論理だ。その底流にも見える。
 すし、さしみなど、魚の生食を世界に流行らせた水産物消費大国日本。その方向性は世界に影響を与える。江戸時代からの日本の丑の日のうなぎ消費期を狙って、世界中でウナギをとるので、絶滅危惧が出ている。それを、日本がウナギでなく、ほかの肉の日にすれば、ウナギが繁殖するヒマ期間ができるという。また、タイでは何年も海の船で暮らし、麻薬密輸や密漁の温床になっている。小林多喜二の「蟹工船」よりもひどい労働者虐待があるのをグリーンピースが報道している。グリーンピースの取材がテレビや新聞でとりあげられるないのはなぜか。《参照:魚食を好む日本の国民性に、どんな国際的課題があるのか

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2017年5月 9日 (火)

文学フリマ参加者のボランティアで継続してきた

  気候の寒暖差のせいか、自律神経が狂い、(アタマはもとから)寝ていても目が回って鼻がつまり息苦しい。眠れないついでに早起きで、文学フリマ東京の平和島へ。75歳の年寄りは、その様子を写真にとった。《参照:文学フリマ東京(第24回)会場設営(ボランティア)の風景

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2017年5月 5日 (金)

カルチャー産業のはずれに位置する文芸

 先日、小説の売り込みはどうなっているのか、という質問を会員から受けた。そこで、ネットに無料で投稿するサイトが沢山あり、そのなかの人気ランキングがあって、上位作品を出版社が本にして出す傾向や、まず芸能人になって名がうれてから本を出すのが手堅いと、説明したら、その傾向説明に大変感心して新鮮におもったようだった。それが正確かどうかはわからないが、一部の職業作家しか大衆知られていないジャンルで、カルチャーの主流ではなくったことは確か。
 それだけに、アマチュアには自由な表現の世界になっている。先日、詩人囲碁の湯河原合宿で、伊藤礼さんにお会できたので、じつは「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳で猥褻罪に問われた本が、手元にないと話したら、持っているので、送っていただけるということになった。そして、それを手にしてみたら、いろいろなことがわかった。そこで、「詩人回廊」に連載を開始。「文章における猥褻表現の定型はあるのか」という題にして書き始めた。カルチャーとして、この作品を猥褻であると主張する検事の裁判での文言の一部を検討する。
 伊藤整全集からコピーしたのを持っていたのに、紛失してしまった。慌てて以前あった図書館に確かめに行った。すると、その全集は置き場所の関係か、別の図書館の保管になっていた。明日は、電車に乗って置いてある全集のどの巻にそれが記録されているのがあるか調べに行くつもり。
 以前は、松本清張の裁判小説を調べるのに全集を探していたら、処分されていたことがあった。どうなるやら。

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2017年4月30日 (日)

福島震災復興大臣失言事件の多さについて

  福島震災復興愛人の失言事件は、記者のメディア報道が原因という説が取り沙汰されているようだ。《参照:吉野新復興大臣に政策転換要請書を提出
 その問題は、福島の震災による原発事故の被害者への政府対応がおそまつであることを、無意識的、意識的にしろメディアが感じ取っているために、良く報道されるからだと思う。原発は日本の核戦略を下敷きにした国策なのに、それを前面に押し出さない。そのために、対応策を十分に、(あるいはこれ以上は仕方がばいであろう)という)納得できることがない。例えば交通事故死が毎日あるが、それについて、メディアが問題しすることはない。仕方がないと納得知る部分があるためだろう。納得しない人も多いが、政治問題にはならない。
 チュエルノブイリでは、ソ連の対応は良いとはいえないが、それでも、事故時には住民避難のためにバス1200台が出動したという。避難民の住まいは、現在に至るまで、無償で提供されている。
 そういう国柄でいえば、キューバ国は現在も国民の医療費無料、医者になるためでもなんでも教育費は無料である。それが現在制裁で、あと10年もとうかどうか、とみられていたいたところに、オバマが友和政策を決めたのである。
 なんたって、メディアは日本が素晴らしい国とばかりしか言わないので、事実も言いたくなるのである。

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2017年4月26日 (水)

事実と小説との見分けのつかない美濃加茂市長汚職裁判

  警察が詐欺犯を取り調べていたら、新人当選市長に賄賂を渡したというので、その詐欺版の自白にもとづいて、市長を起訴。贈賄側が金を渡したという時に同席者がいたが、それを観ていないし、席も外していないという。裁判になったが、1審は無罪。検察が控訴したら逆転有罪となった。その間に、起訴された市長は現職を辞任して、出直し選挙をしたら市民の支持を受けて再当選。まるで、小説のプロットの様な出来事である。《参照:なぜ「逆転有罪」になった?美濃加茂市長事件控訴審判決(3)》
  小説の読語感想には「リアリティ」あるとか、ないとかが論じられるが、そのもっともらしさというのは、事実の方があるのか、出来事の流れにそった虚構の方があるのか、そこが問題となる。だいたいが、虚構によるもっともらしさの方が、リアリティがある。そこにプロの作家の手腕がある。しかし、裁判となると、同じことが言えるのかどうかである。
 この裁判の郷原主任弁護士の説明は、サイトの一番下の動画になっているので、そちらを見た方が早いかもしれない。語られない部分に、なにか検察と裁判所の事情があるような気もするが、それは誰にもしることができない。
 

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2017年4月24日 (月)

伊藤桂一先生を偲ぶ会を仮称「竹林忌」として毎年開催へ

  4月23日に東京で「伊藤桂一先生を偲ぶ会」が開催された。《参照:伊藤桂一先生を偲ぶ会=会場風景》神戸に転居してから亡くなったので、お別れ会に東京から行かれない人が多かったようだ。しかし、神戸でも多くの人がお悔やみこられたという。広い会場の付属したマンションでも大変なようであった。
 東京でもずいぶん大規模なものであった。今後は仮称「竹林忌」として偲ぶ会をするようだ。伊藤桂一先生の人柄を偲ぶ話で、幾人もの人が伝えたのが、生き物を大切にしたことで、蚊や蠅も殺すのを避けたという。自分もずいぶん書き物を読んでいただいたり、詩の跋文をいただいたりしたが、蚊ほどの人間でも、自然体のまま相手をそしてくれたのだと思う。
 自分などは、生物は死ねばただの物質になってしまうという、感覚から離れられないが、伊藤先生は、物質化すること以上のロマンを生物と無生物の間に観ていたのかも知れない。まさに、この宇宙界では、伊藤桂一文学菩薩そのものであるように思う。

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2017年4月21日 (金)

幻想的社会の明瞭化を観るだけの民衆

  「詩人回廊」で外狩雅巳「後期高齢者の年金・健保とカール・ビンソン」がでているが、自分も同じ年なので、健康保険の後期高齢者のカードになった。身分証明証にこれをもって歩くには、ぺらぺらで薄すぎる。自分は以前から、出入りするのに身分証明証が必要なところによく行くので、あまり使われていない写真入りの住基カードを作った。2020年まで有効だ。また、年金は厚生年金基金の団体が解散したり、組織替えをしたりしたので、その分が年金機構に繰り入れられたりしてる。そのため、税金その他に関係するらしく、削られたり、間違えて削りすぎたかも知れないなど、暫定的なことを知らせる通知が来ている。自分ではどうにもできない、幻想世界にいるようだ。
 おまけにトランプの指示次第では、北朝鮮の攻撃がどうなるか、とか、まるで現実感のないことが起きるようなことをメディアで報道している。まるで、ライトノベルの幻想世界に入ってしまったようだ。
年金とカール・ビンソンとの結びつきも、それだけ読むと、無関係のようだが、イメージを結び付けると、ひとつの現実と受け止めることができる。本来は、言葉の並びだけを見つめると、詩的幻想としての表現であるものが、非常にはっきりしたものに受け止められる。
 言葉には幻想をつくる作用があって、それを連ねて、創作や生活リアリズムをイメージさせる。このところは、幻想であるはずのものが、幻想と思えないように明瞭化するのが不気味だ。
 武器産業の資本家は金儲けを考え、彼らの意志を黙ってみているしかない民衆。嫌な感じだ。

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2017年4月20日 (木)

東京五輪で食器の再利用を検討

  食器の再利用はイベントだけでなく、首都圏直下型地震などの災害時に、有効である。具体的にどんなものがあるか、暮らしのノートで取材している。《参照:R計画まわる君プロジェクトの展示体験装置》この記事は、雑誌に寄稿するつもりでいたが、なにせ長すぎるのである。しかし、短くてはその実情がわからない。そこで、いつか同人誌に発表しようと思っている。ところが、現在は改良版が出来ているそうで、現在形にするなら取材しなおしが必要だ。
   新聞記事ーー2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は20日、選手村や競技会場などでの飲食提供の在り方を議論する飲食戦略検討会議の第2回会合を開き、環境への配慮の観点から食器の再利用について検討した。
 過去の大会では、使い捨ての紙皿やコップの使用が主流だった。再利用には食器の保管スペースの確保のほか、洗浄機や乾燥機を稼働させるために電気や水の供給能力を高める必要が生じるケースも想定され、費用面の課題がある。洗剤で洗って再利用した場合には、洗い残しなど衛生面を懸念する声もある。
 検討委員からは「リユース(再利用)という言葉は聞こえがいいが、コスト面などを考えてもリスクが大きい。選手村は使い捨て、ほかの競技会場は食器を再利用するなど分けて考えては」といった提案もあった。(時事通信4月20日付)

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