2017年9月21日 (木)

日本文学の近代文学の基盤を作家の立場から見る

近代文学の研究というと、それを記録した学者は多いが、現代文学とかなり解離した視点のものが多い。じぶんの、手元をみたら、芥川・直木賞を創設した作家「 菊池寛の見解によるモダニズム古典主義と浪漫主義文学」にあるようなことが、書いていた。同人誌に書く人たちなどは、現代に通じると思うかもしれない。これがモダン文学であり、ポストモダンは、この次にきたと考えるに、ちょうどよいのかも。

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2017年9月19日 (火)

実存と目的の狭間のミサイル

  人間の存在に関しサルトルが「実存は目的に先行する」としたことについて述べたが、これは何処に行くかわからないままに、行列の先頭にたつようなもので、生まれてきたけど、どうすりゃいいんだ、という状況である。足元がおぼつかない。すると、天から、山に登れのという声を聞いたものは、「そうか、自分は山に登るためにここにいるんだ」と思えることもある。
  「坊やは、おおきくなったら、何にないりたい?」。目的をもて、目的が欲しい。人間は目的を求める。そのため目的物に、意志を感じてしまう。ナイフを見ると、「刺せ」と言っているýような気になる。ピストルを持つと、引き金を引いて、人を打ちたくなる。それは、その物がそのために造られたからである。常に、物は語りかけてくる。俺が何のためにここにあるのかを考えろ。
 北朝鮮では、きっと兵士がミサイルの発射装置の前にいるのだろう。命令があったら、ボタンを押せといわれて。ボタンは、押すためにある。ボタンはいつも語りかけている。「押して、押して」と。危ないのは書記長ではなく、兵士が、ボタンの問いかけに答えて、命令がなくても、押してしまうことではないのか。
   

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2017年9月 9日 (土)

「たね」と「空想カフェ」の形の紹介試行

  堀内みちこ・個人詩誌「空想カフェ」とプロテスタント文学集団の「たね」が文芸交流会に届いたというので、その形と内容の一部を外狩雅巳「文芸同人誌展示会」以後の文芸交流会」に付記として掲示した。
  文芸交流会には、その他の雑誌が送られてきているが、それを情報化しきれていない。現在は試行の段階だが、誰でもそれを簡単に記録できるような形式がないと、長続きしないであろう。「交流誌周辺情報」としてのスタイルを、考えていくことにする。
  文芸同志会のはじめは、作品を同人誌に印刷しなくても、その前の原稿の段階で、読んで研究し、それが世間の問えそうだ、というところまで、検討して州版者に持ち込んだり、しようということで、実際に会員は実行していた。当時の会報「文芸時事月報」や「文芸研究月報」には、そうした結果が掲載されていた。
 また、講談社などの出版者の人事や方針なども情報交換していた。作品公募の「未発表作品」というのは、どこまでを未発表とするか、などの取材も行っている。
 時代の流れで、活動もどんどん変化してきている。あきらかに時代は会の発足当時と異なっているので、再構築する必要があると思っている。

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2017年8月21日 (月)

中部ペンクラブの安定的で活発な活動ぶりから

  「中部ペン」24号(名古屋)を読んているうちに、同人雑誌と現代日本文学との同期せいはどこにあるのか、考えた。作品評は多いが、活動評論はないなとおもって、考えるところを書いた。《参照:雑誌「中部ペン」第24号(2017)に読む文学活動評
 文芸同人誌にないのが現実社会の取材性であろう。身近な高齢者の生活を描くにしても、自己体験の成り行きや同世代の仲間の話だけでは、物足りない。若者たちの現状報告には、優遇するとかの手立てが必要な気がする。

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2017年8月20日 (日)

見たくはないけど「戦争資料展」を観る

  毎年恒例の「 大田平和のための戦争資料展」を見てきた。《参照:第38回 大田平和のための戦争資料展を開催=東京
 あまり気のすすまないまま、展示にどのような変化があるか、見届けるつもりで、確認しに行ったようなものだ。民家の東京空爆の資料として、絵画などが新しく出品してあった。焼け死んだ人たちの姿や、米軍の沖縄攻撃線の報道写真は、敗戦間際となって、ほぼ事実を報じている様子である。
 個人的には、生き物が死んだあと、ただの物質となることに、なぜ強い抵抗感があるのだろう、とかを考え、1日中気持ちが沈んでしまった。
 昼過ぎに、東京は雷雨に見舞われ、電車で放送していた多摩川花火大会は中止になったという。記事にリンクをしたが、各地から届く同人雑誌の地元での空爆に関する文章を読んでて、なぜ、兵器工場もない田舎に、空爆攻撃がされたのか、不思議に思っていたが、米軍には米軍の事情があってそうしたことがわかって、この世界それぞれの論理の組み合わせであることを再認識したものだ。

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2017年8月19日 (土)

投稿者とコメント者についてのちがい

  かねてより、記事へのコメントがあります。適宜、物品販売や特別な意図をもったと判断した場合は、削除しています。また問い合わせなど、公開しないですむもの以外は、極力公開しています。
  コメントの公開について、コメントと投稿との分別が混乱している事例があると思われることがありますので、
ココログのシステムについて、問い合わせをし、回答を得ましたので、システムの説明を下記に公開します。
 「ココログ」よりの回答。  
ーーココログではコメントの公開を承認制にする機能があり、本機能を有効にしている場合は、ココログにコメントをしようとすると「コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。」とのメッセージが表示されます。
 -この場合の記事投稿者とはココログ開設者である伊藤様となります。
  なお、ご質問いただいた「投稿者」がコメント投稿者を指す場合、ココログではコメント投稿者が投稿内容の公開を許可する機能はございません。ーーということです。
 

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2017年8月11日 (金)

中年の祭典となったコミケ92の東京ビッグサイト

  同人誌販売という名称エロ漫画販売のことに定着させたのも、コミック・マーケットその92夏に行ってきた。《参照:メディア出版
 日本人は全般に若見えがするけども、30代から60代まで、幅広い入場者が多い。コスプレは、外人や若者が多いが、それでも中年外人がいた。

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2017年7月29日 (土)

放射性廃棄物処理場所が決まった気分だけで決まらない

 核のゴミ、核爆弾開発時や原発開発の時点では、なんとかなると思っていた。鉄碗アトムの時代。しかし、現在になっても決められない。その歴史をみると、まず日本の原爆投下の効果がわかり、核開発競争がはじまった。それから、汚い核爆弾からきれいな核爆弾へと競争がすすすむ。クリントイーストウッドの「ダーティハリー」という名は、最後の汚すぎて実験爆発ができなかった、水爆の名称だった。「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」(広瀬隆)より。その当時、ビキニ環礁での事件で、第5福竜丸やその他の日本漁船のビキニマグロ騒動が起きる。
 このころから、北半球先進国で、がん患者が急増した。こりゃますいというので、先進国を除いて核開発を禁止する条約ができる。世界各国がやったら、人類ががん死するからである。そのころ核のゴミは、宇宙ロケットで宇宙に捨てられるおもっていた。
 ところが、米国のスペースシャトルが、爆発事故を起こした。核廃棄物を積んだ宇宙ロケットが爆発したら地球規模全体が汚染されるで使えない。そこで、捨て場がなくなった。それを前提に廃棄処分場の決定記事を読む必要がある。参照:ITOのポストモダン的情報

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2017年7月 1日 (土)

東電テレビ会議49時間の記録を観ると

  福島原発事故で、その経営者の責任を問う訴訟で、検察が不起訴にした。放射能汚染にさらされた被害者はもちろん、この事故で、ドイツ、台湾、韓国が脱原発を決め、米国では事故対策でWH社が採算に合わず倒産。債務保証した東芝も倒産の危機にある。
 これで、いくら法人でも、経営者に何の責任もないのはおかしいと、検察審議会にかけて強制的に起訴になった。本当は、幹部全員が対象だったが、裁判進行の都合上3人に絞られた。
 その初公判とあって、関係者が大集合した。午前中から東京・参議院議員会館に関係者が集まっていた。自分は午後から会場に行ったが、記者会見前にOurPlanet・TVが制作した「東電テレビ会議49時間の記録」映画を見た。これはネットで放映されたものを短縮したもの。いざ、通してみると、事故の現場そのものが、事実を把握できずにてんやわんや。本部と現場の連絡ができずにいる。現場がわからないのだから当然のこと。あまりの情報のなさに、当時の管総理が官邸から乗り込んでくる直前までが記録されている。それ以降の経過の録画は東電が公開拒否をしているそうだ。《参照:強制起訴で新資料出る!東電福島原発事故刑事裁判の初公判
 それでも、原子炉が爆発しても、現場でそれが何による爆発かわからない。水素爆発であろうと考えるが、人が行って確かめられず、わからない。どういうわけか、現場がわからないのに、「なんだかメディアでは、水素爆発と報じているそうです」という声が記録されている。これによって、たとえ核爆発であっても、メディアは水素爆発と報道する仕組みに入っていたことがわかる。実際、3号機は核爆発である現象が認めらている。いずれにしても、事故が起きたら、どれほど手がつけられない状態かが、改めてわかる。現在、再稼働に入っている原発は、現場に免震棟もない。事故がおきたらお手上げなのだ。まあ、地域住民は、その世代はお金がもらえるであろが、その後のことを考えると、暗い気持ちになる。
 それと、記者会見には、NHKから大手新聞社が勢ぞろいしていた。自分が、電車で家に帰る間に、報道されている筈である。ただ、全体像すべて報道することはできない。どうすべきか考えているうちに翌朝になってしまったものだ。

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2017年6月28日 (水)

信じたい方を信じる心理がフェイクニュースとポスト真実に

  人間は「事実」よりも「自分の信じたい情報を信じる」という心理があって、それに訴える「フェイクニュース」(虚偽の内容を含むニュース)や「ポスト真実」(客観的な事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を指す言葉)の現象が起きると、東京新聞の6月27日付け記事にある。
 とくに、ネットの情報発信はだれでも手軽にできるので、印刷物より伝搬が早く、費用がかからない。いい加減な情報も多い。そのなかで、自分も発信しているので、ひとによっては、いい加減と思う人がいても仕方がない。先日、虚偽情報で裁判所に訴えられ、有罪になった、経済学者らしい池田信夫氏の事例を記した。《ネットの印象操作情報発信で114万4千円賠償金の周辺》。このひとは、記憶によると、自由報道協会の上杉隆が経済雑誌に書いた記事が読売新聞の記事の盗作だと主張して告発した人と同人だと思う。当の読売新聞が盗作だといっていないのに、そう書き散らして、裁判になったので、上杉氏はかなりの執筆依頼の仕事を失ったそうである。自分はツイッターをやらないので、事情の推移がわからないが、資料を使って書いた。うそほどもっともらしいのは何故か? 変なことも、すでに起きた事実になってしまうと、変でなくなるような感じがするのは何故か。これは、文学的表現法の問題でもある。

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