2022年1月 2日 (日)

「海」第2期の有森さんからのコメントあるも

 まちがって削除してしまいました。同人誌紹介を続けることへの、激励のお言葉でした。ありがとうございます。たしかに、文芸同人誌が届くたびに、それを読み自分の考えを、メモする作業でしかないことを、続けることに疑問を感じ始めていました。同人誌の人は、本ができるとまず自己作品から詠み始めるはずです。その原理からすると、本サイトの紹介文を読むのは、紹介された作者だけであろうと思います。見方を替えれば、一人の読者だけは手堅く得られるサイトです。でも、雑誌の娯楽ものなどの公募をみると、自分だけの小説らしい小説を書いて、応募してみたくなります。もともと、娯楽作品が好きですからね。仕掛けや創りのない作品は苦手です。だから、これまで多くの会員に紹介文依頼をしていますが、一度は引き受けても、それだけで終わってきました。それほど暇ではないのでしょう。ただ、まだ、面白いものが書けると、自分でおもっているからこそ、文学に縁のない作品を冷静に読め、紹介文を書くことができる。そこに、意味があるのでしょう。ただ、会員が大勢いるときに、同人誌読みをしてもらったら、こんな作文でいのなら、自分ならもっと沢山かけると言った人も居ました。やんわりと、他人が書いた作品のようなものは、その人以外に書けないものだと説き、退会してもらいました。当会は向いてないひとには退会をしてもらうという方針でありました。かつての決まりを替えてしまうと、言いたいことの意欲が薄れるので、読んでも、黙っていることが多い。「それじゃ、ダメじゃん。」ですね。

 

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2022年1月 1日 (土)

あけおめ

 一時期、「明けましておめでとう」のことを「あけおめ」と省略していた時代もありました。今年も、幾人かの同人誌関係の方から、賀状をいただきました。そのうちに、4~5枚に元日の返信賀状をかいていたら、それに使う切手がなくなりましたので、その他の方には、返信を欠礼させていただきます。
 それというのも、わたしは賀状を買いません。これは、4年前だったか、29日に家のものがインフルエンザにかかって、気を失いまして、あわてて救急車を呼びました。そのとき、発熱があまちなく、普通の風邪として帰宅しました。しかし、大晦日に発熱、意識もうろうとなり、救急車。そんなこんなで、年賀状の対応ができず、翌年はこちらから出すことがなく、賀状を買わなくなりました。いただいたものに、普通の葉書に年賀のシールを貼って、返信にいしています。12の干支のゴム印は、ありますので、それに年賀のシール、ゴム印でおかしなものになっています。そこに、はがきに切手がなくなってしまいました。本心をいうと、年が今年80の末広りで、めでたっくないですよ。もう年賀状を出しませんという人も多く出ています。知り合いの60歳代の人でも、複数人いるそうです。とにかく同人誌紹介は続けます。雑誌「群像」が評論の賞の廃止を決めたようです。たしかに、データーベースが分散するので大衆向きではなく、マイナーになりました。同人誌紹介の役割がましますかね。 

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2021年12月27日 (月)

自分ではない人の遺稿を整理する試み

  Kという知り合いは、印刷業を営み、数多くの同人誌を印刷していた。「グループ桂」という伊藤桂一氏の指導のもとの同人誌も印刷していた。その人物が、ある夏の日曜日(検死書推定。脳幹破裂の痕跡あり)に突然死した。親族から一時的に融通してあったお金の返金に一部にパソコンを引き取ってもらいたいというので、承諾した。中を開けると彼の原稿がワードで沢山あった。その中で、タイトルは異なるが、連作としてつながるものを見つけて、繋げてみた。彼の人生を知られざる側面を、伊藤桂一氏や同人仲間と共有してみたいという気持ちもあって連載をしたものを転載したものである。もともと自分を伊藤桂一小説教室に誘ったのもK氏だった。ただ、不思議に思うのは、交際の広いK氏が突然音信不通になったことに、知り合いはどう感じていたのか。その情報が得られなかったことだ。Kの自分への影響はたくさんあるが、一番大きいのは「僕の祖先は××藩の道場師範代をしていたらしい。それで、僕も座右銘を宮本武蔵の『我ことに当たって後悔せず』ですよ」。いまでも、過去の過失を思い起こすと、いまさらどうしようないことだーと思うのは彼の影響であろう。《参照:「操り人形」という自伝を残した男(1)ー(5)

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2021年12月19日 (日)

世界の日本の食品に関する安全性の評価について

  世界への日本の食品の安全性について、アメリカ政府は、このほど福島県などで作られた日本の食品に関する輸入規制を撤廃したことがわかった。これは、海外での日本の食品を米国の基準からこれまで規制していたものである。政府は「東日本大震災から10年という節目の年に、米国の規制が撤廃に至ったこと、被災地の復興を国際社会に示すことにもつながる。日本政府としては歓迎している。
  米国は、日本の政府からの言い分を、当初から認めておらず、独自に計測を続けきた結果、アメリカ政府は11月21日、福島第1原発事故を受け輸入規制を行っていた、福島や宮城など14県の延べ100品目の日本産食品に対する全ての規制の撤廃を発表したのである。
  福島原発事故の原子炉は米国基準で製造され、原子炉のテストは米国で行っている。例えば、電源部を地下にあったのは、米国では洪水や地震のないとされる地域にしか原発を作らないからだという。条件の異なる日本で、その米国基準で作られている。高層マンションでも、日本で地下に発電設備をつくるのはまずことが分かってきた。福島原発も長年の運転の間に、不都合があるたびに、改造が行われ設計変更の手直しが行われ、事故と時点で内部構造や配管は、よく分からなくなっていた。当時の菅直人総理に、かつて冷却装置を納入した実績のある上原春男工学博士が、対策をアドバイスのため電話したところ、わめいて怒鳴られ怖くなったと語っているが、その当時の設計などは、変更だらけで、話を役に立たなかったのだろう。《参照:上原春男氏、原発事故対応で「菅総理に電話で怒られ怖くなった」》。ここへきて、福島県産の米や原木シイタケなどを輸出できるようになった。日本の食品の安全性は世界から監視をされていて、(一説には、ドイツの調査機関などは、衛星で日本の放射能分布を観察しているそうで、福島の放射性物質がどこの地域に移動しているかを把握してるとか)。現在、大友さんの「あれから10年~」を連載してるが、もとは、省略して概要のみにするうもりであったが、100年先200年先まで、放射能は、同じ状態であることを考えると、時空を超えた記録という意味で、省略できないでいる。若し訳ないが、今問題の解説は本欄で記していきたい。《参照:大友章生「あれから10年=被災地の現状と課題」(3)帰還17人》。ちなみに、事故当時前から、低いので許可のある放射性物質を利用する商品(発毛刺激のようもの)開発の記録とパンフレットを作る手伝いをしていた。その試作品現場から外に出て、経営者が放射能がどのくらい試作室と異なるか、ソ連製の計測器で測ってみたら、戸外と試作室の数値が同じだった。高い金を出して、その資材をかったのだが、その時は都内で、みんな同じ量のものを浴びているということになる。新製品開発のその後の進展はなかった。

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2021年11月25日 (木)

小説の伏線と曲がり角について

 同人誌紹介で、自分が不満をのべることに、伏線がないことと、登場人物の精神に物語の変化が見られないことがある。これは、自分の趣味のうちだが、読者としてそのような立場で読むから仕方がない。このほど、町田文芸交流会で矢嶋直武氏の作品鑑賞会を行ったので参加した。これは、同人雑誌的な表現手法を発展させた、佳作である。そこで、暮らしのノートITOで作品評をした。とくに、注目したのは、主人公のはじまりの精神状態と職業観が、なかほどで変化し、伏線も活用していることである《参照:小説「黄昏の街」(矢嶋直武)に読む定年退職者の孤独(2)》。この作者には、今後にさらなる期待をしたい。孤独をテーマにまだ、この問題を含んだ小説の展開余地は残っていると思う。

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2021年11月15日 (月)

家父長制と自己存在感の軽さに耐える

 昨日、TBSテレビで「ばななせっかくグルメ」というのをやっているから見ろと、という現地の親戚から連絡がきたという。観ると長野の上田での空騒ぎをしていて、出てくる店などは、自分たちが入った温泉の近の店だという。たしかに別所温泉や上田城のやぐらや資料館には行っている。《参照:家族制度のピノキオの風景心情(1)「休養村とうぶ」にて》。みてもそれほどの興味は湧かなかったので、途中でやめた。自分と出来事を関係づける好奇心や関心が薄くなっている。そのことに、われながら、存在感の軽さを感じた。いま「浮橋」という同人誌を読んでいるが、なにか似たようなことが書いてあるような感じがして、我がことと思い、気になった。

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2021年11月 3日 (水)

コロナ過の秋の別所温泉駅前

 外出自粛で、7月以前から電車に乗らなくした。バスを乗り継いで、用事をすましていた。しかし、感染者が減ったので、かねてより懸案であった、長野での用事を済ませに、山手線で東京駅から北陸新幹線にのった。構内の駅弁ショップはかなり混雑していた。北越新幹線は、がらがらで空いていたが、幾人かの人がいた。火曜日であるせいなのに、おそらく以前よりは乗客は多いのであろう。だが、それも、軽井沢までで、そこで多くに人が降りた。あとはがらがらで、こりゃ赤字になるわな、と思う。目的地の上田につくまでに、同人誌「澪」を読んでいたが、そのなかで、小説としながら、小説作法の基本を無視した作品を幾度も読み返して、考えた。同人誌は、あえて多くの人に読まれることを前提にした小説作法を拘らない作品の発表の場になっている。だから、沢山成立してるのだと感じた。文芸ではあるが、文学とは限らない。前衛小説集という意味なら、それはいえる。話はかわるが、上田から別所線で温泉に行った。ここの日帰り温泉「あいそめの湯」は、人影はなかったが、広い駐車場は半分ほど埋まっていた。近所のひとと近場の人の銭湯的でありながら、本格温泉が楽しめる。自分は、脚が弱ってきたが、湯につかると猛然と脚がだるくなった。しかし、翌日の軽快な感じで、効いたのである。《参照:コロナ過の秋の別所温泉駅前=不景気の秋風にモハ5250

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2021年10月24日 (日)

変節している同志会

 文芸同志会を設立したのは、2000年である。狙いは、原稿料をもらうための発表場所をさがすか、収益の得られる文筆家になるための情報交換と発信の場であった。月400円で月報を発行し、出版関係や作家の情報、ライターの人材銀行などを発信していた。会員は当初は若者が多く、彼らはコツを覚えると、卒業していった。そのうちに、月報の編集技術を企業の社内報担当者に教えて欲しい、というニーズや、ベンチャー企業のマーケティング協力などの仕事が増え、月報を出すことを断念。ネットブログに切り替えて、無料公開し、それまでの会員への償いとして同志会通信をはじめたのである。その後、それぞれの事情で残った会員がいるので、参考資料として情報を流していたのである。70歳を機に、家庭の事情と、時代に取り残された人間となり、この通信の姿勢も変わってきた。最近は、文芸同人誌のブルジョアによる綴り方教室的なところに興味をもっている。とにかく人に読ませて、収益にしようとする、あさましい人〈自分はそういうライターであったが)が少ないのが、同人誌の良さである。自分はガラケーだけで、スマフォを持たない。

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2021年10月18日 (月)

失われた世界「文壇」のはじまり。

  現在の文化の主流は、コミックとなった。なんといっても視覚的な訴求には勝てない。菊池寛の「無名作家の日記」は、文学が文化の中心にあった時代と、文壇の存在を物語る話である。皮肉なことに、これが菊池寛の文壇人になる出世作になった。《参照:菊池寛の近代文学精神論とポストモダン(11)ミミズも無視」》作家に無名の人がいるわけがないので、いまでは違和感がる。当時は、同人誌は無名作家雑誌という感じだったのであろう。

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2021年10月 2日 (土)

見ざる聞かざるの世界

 加齢のためなのか、それともワクチン接種の副作用なのか、物が見えずらくなり、耳は蓋がかぶさったようになってしまった。歳を取ると、要らない情報を遮断するようになっていくのかも。それでも、「星座盤」という同人誌は読んでいます。現代文学性が強いので、こんな同人誌もあるのだと感心した。ところで、小室さんと真子さまの情報には、何の根拠もなく、国民が反対している、と書くのだから驚く。国民の何%が反対してるのか、判る人がいるらしい。とにかく金をもらわなければ、皇族と国民という関係から解放されるらしい。米国に住んだら、その国に帰化したらどうだろう。

 

 

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