2018年6月12日 (火)

対立的な社会思想は互いに似てくる

 トランプ&キム会議の話題で持ちきりだが、資本主義的独裁者と社会主義的独裁者との対談は、両者のどちらの主張も貫徹しないものなるのは見えている。東西冷戦時代、シュンペイターという経済学者は、対立的な社会主義制度と資本主義制度は、互いに似通ってくるという予測をしていた。
 実際にそれは起きている。資本主義の札束第一主義のマネたりー経済のなかに、ボランタリー経済が生まれている。その事例が《参照: 安久工機と「触図筆ペン」の開発物語(4)》である。これは、文芸同人誌「砂」に掲載した現場取材でも評論である。
 対象企業は、すでに経済誌や新聞に多く掲載しているが、このよう文学的な視点での評論はない。たまたま、「砂」誌の記事協力を要請されたので、こうした評論が失実現できた。今後は、どのようなものになるか、編集者との話し合いを16日に行う予定だ。

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2018年6月11日 (月)

女性記者にセクハラを多くするのは、警察幹部だった

  犯罪に関し情報を独占する警察だから、そこから睨まれたら情報が取れない。それを利用するのが警察である。女性記者に対して、セクハラをする。その実態が明らかになっている。《参照:メディア内女性被害で#Me Tooの声挙げる!
  フリーライター時代に、注意すべきなのは女性担当者だった。経済団体の、規模の大きい組織ででは、受付嬢や広報担当者は、うら若く可愛い娘系の女性が多い。そこで、相手にセクハラと思われる行為をして、仕事を失う男の情報をいくつか得ていた。時に、そうした事件で機関紙の仕事を外した人の代わりに、仕事を任された例もあった。
そうした体験も、世間のありふれた出来事として、忘れてしまう。女性記者の被害者も、ちょとしたセくハラを乗り越えて仕事をしなければ、一人前扱いされなかった過去があるようだ。そのため、」ことさらに表沙汰にできな風潮がある。
 伊藤詩織氏は、最近では、「性暴力被害を乗り越えて活躍する」といった言い方をされるらしい。人間の尊厳をレイプによって破壊された心の傷は、乗り越えることなどできず、一生傷になって残るという。
 人間は、目の前に示されないことはないものとする。一般論である。誰も居ないところで、美しい花が咲いていても、誰も知らなければ、ないのと同じ。セクハラ問題も、専門新聞でもつくらないと、なかったことになってしまうのであろう。

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2018年6月 3日 (日)

町工場情報を街中ジャーナリズムで文芸誌の活用へ

  自分の町の話題を取り上げることを、街中ジャーナリズムと自己流に表現している。これは、自分が
自由報道協会という団体に加入したことで、これが政治情報を主体にしたものだとわかったからだ。それなら、自分の専門は街中の話題であろうと、考えたのである。これまで、文芸誌「」に、2回にわたって、町工場経営者の思想や方向性にのみこだわって現場レポートしてきた。
それが「町工場スピリット・クロニクル」である。これは、日経産業新聞や、工業新聞とは異なる視点で、現場レポートしたもの。いささか専門的なので、このテーマを理解するために、それぞれの時代を解説する「町工場の季節」も同時掲載している。次回は、社長が広告塔として活躍するダイヤ精機(株)を考えている。なにして、現在では中小企業のスターとなっているので、一般紙までが話題にしている。《参照:歩く広告塔となる経営者!ダイヤ精機・諏訪貴子社長
同じ視点ではやる意味がない。それをどうレポートするか、考えている。

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2018年6月 1日 (金)

ネットコメントが価値を生み出すーフリーレイバー

 通常は、出版社の媒体に執筆すると原稿料が支払われる。ところが現代になると、SNSや有料動画の価値観を与えるのがコメントである。テレビニュースでも、ネットのコメントを紹介し、世論の動向として報じている。
 その自発的な意見が、価値を生んでいるのだ。それを論じているのが大塚英志氏である。
ーーぼくの中でのweb倫理学の議論の出発点は、プラットフォームに於いて顕在化している「フリーレーバー」の問題であった。
 ぼくが「フリーレーバー」、無償労働という北米でしばしば用いられる語を表に出る形で使うのは初めてだが(なるべくなら今も使いたくないが)、例えば「ニコ動」なり「YouTube」なり、あるいは「ニコ・カド」が始めた「なろう」の模倣ビジネスも含めた「UGC」(User Generated Content)、日本では「CGM」(Consumer Generated Media)と呼ばれるインディープロレス団体の略称みたいな名前のこれらの仕組みの中に潜む問題を説明するために今回は使う。
 プラットフォームに於ける「フリーレーバー」問題とは、「投稿」が、投稿者によって無償で投稿され、それが実質的なコンテンツとしてプラットフォームに収益をもたらす仕組みがはらむ問題である。
 例えばあなたがある日までせっせと「ニコ動」に投稿し、あるいは「二次創作」を続け精神的に充足していながら、ふと、あれ、自分ってメディアミックスの中で「ただ働き」しているんじゃない、これっておかしくねえ、と気づいたとする。「黒子のバスケ」脅迫犯はその点で惜しいところまできている。かつて、こういう「フリーレーバー」は、マルクス主義が活きていたなら「疎外」と呼ぶことができた。一つのシステムの中で自分が搾取されていると気がつくと、マルクス主義的には「疎外」ということになる。実際、北米で「フリーレーバー」を問題化しているのはマルクス主義系の研究者(いますよ、アメリカに、普通に)である。ーーと書いている。《参照:web倫理学についての大雑把なデッサン 大塚英志
  つまり、自発的なコメントが、ただ働きの効果を生んでいるということだ。
 ただ、このプラットホームを維持するのには経費がかかる、その経費負担をどこかで回収しないと持続性は持てない。文芸同志会では、プロバイダーのウイル対策、定時的メンテナンスに費用が発生している。またこれは、ソフトの部分で、ハードではパソコンの定期点検、プリンターの交換など、年間10万円は経費負担がある。それがいつまで続けられるか、問題意識を持っている。会費や寄付、コンサルタント相談謝礼などで、現状は充足できていると思う。しかと計算はできていないが。

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2018年5月31日 (木)

小説の描写不要説についてー

まんが原作者の大塚英志氏は、堀江貴文氏が、小説の描写の省略化を提言したと指摘していたようだ。
 --【書評】『ユリイカ』8月号 特集 電子書籍を読む!(青土社/1300円)ーー
 電子書籍をめぐるこの『ユリイカ』八月号の特集の中で唯一ぼくが興味深かったのは、堀江貴文の「どうでもいい風景描写とか心理描写」をとっぱらい、かつ「要点を入れ」てある小説という身も蓋もない彼自身の小説の定義だ。ずいぶん昔、ぼくがまだ文芸評論めいたことを書いていた頃、小説そのものの「情報」化みたいなことをちらりと書いた記憶があるが、相当数の読者は今や書物に即効性のある情報か、さもなくば「泣ける」「怖い」「癒し」「劣情」といった単一の感情をサプリメントの如く刺激する機能しか求めていない。
 電子書籍という新しい環境に「適応」していくのはそのような「何か」であり、重要なのはそれが正しいか否かではなく全く別途の「書き方」がそこで必要とされている、ということだ。堀江はその自覚さえなく近代小説の書式を秒殺したわけだが、そう考えるとホリエモンの方がその辺の「活字バカ」より正しい気がしてくる。ーー
  《参照:小説が電子書籍化されたらホリエモン的な小説の解釈が必要か
 ここでは、コミックカルチャーの方向性に論じられているが、たしかに、小説の描写に関する疑問は昔からあった。高見順の「描写の奥に寝ていられない」という話は有名である。
 自分は、こうした要求に応えながら、小説の小説らしさを創っていくのも、現代文学の書く面白さにつながるのではないか、と思う。

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2018年5月27日 (日)

メンバーが多彩な文人囲碁会に参加

  文人囲碁会に詩人・北一郎として参加してきた。《参照:「詩人回廊」》幹事をしている秋山賢司氏は、大手新聞の囲碁の観戦記を書いていた人で、著書も多い。手合わせをしてもらったが、自分は部分読みで、総合的な地合いが読めずに、もう北さんには地がふそくですよーーと言われて「あれま、そうなんですか」言って中押しとわかる。高段者ばかりでなく、北のレベルの初心者も参加できるので、秋山氏に問い合わせしたらどうであろう。

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2018年5月24日 (木)

佐藤裕「言葉の壁」と「真実・事実・現実 あることないこと」谷川の取り合わせ

 佐藤裕「言葉の壁」もそうだけれどーー第一、サルは言葉でウソをつかない。サルもやらないウソを人間はやる。社会的には、 世間の中の嘘と本当のせめぎ合いを、普遍的に表現した谷川俊太郎・作詞はさすがに普遍性がある。
真実・事実・現実 あることないこと」~~作詞:谷川俊太郎  作曲:小室等
ほんとをうそにするのはコトバ
うそをほんとにするのもコトバ
コトバはヒトのつごうでかわる
うそがほんとのかめんをかぶり
うそのすがおはやみのなか

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2018年5月20日 (日)

プリンターのスイッチを入れたら何故か、故障と表記

  最近は、本も書店に買いにいって、アマゾンは使わないようにしている。膝を痛めているので、歩く運動にもなる。スマホ決済などしたら、どれだけムダ遣いをしてしまうだろう。第一、宇宙線擾乱や天変地異で通信がキレたら、どうなるのか。アナログ生活でリスクを晴らすことだ。本の電子端末をも買ったが、使わないことが多いことがわかった。
  ネットをやらない人から、ブログの記事を印刷して見せて欲しいというので、1昨日は印刷できた。《参照:杉田篤史&村山岳の自由な語りと音楽》。ところが、昨日になって、もうすこし部数が欲しいというので、またプリンターの電源をいれたら、故障だから、電話して修理に田せと出た。いろいろ試したが、動かず、電話。すると修理代と新品の差が微差である。仕方なく、買い替えをすることにした。以前から、故障した終わりだよと知人にいわれていた。まさか、と思っていたら、本当だった。スマホをやらないでガラケーを使っているが、やっていたらネット関連メンテ代はばかにならない。
 

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2018年5月15日 (火)

文学の原理をガイドした菊池寛とヘーゲル哲学

  「菊池寛の「日本文学案内」という著書が昭和13年に刊行されている。ここには、菊池寛の当時の日本の作家志望者に向けた指針と、文学の本質に沿った原理論が記されている。(現在絶版)。
 なかには、作家になるために読んでおくべき必読者として、国内外の作品の解説がある。私が注目したのは、さ作家志望者に示した文学原理論であった。そこで、現代に共通するこの原理論を抜き書きした。その原理が、現在に至るまでの変化を比較してみたのが、「文学が人生の役に立つとき」である。《参照:暇つぶし以上「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)解説
 これを読むと、日ごろの文学に関する漠然とした疑問が解決したように思えるが、実はそれはすでに古い時代のものなのである。
 ただ、現役作家が世界と日本の古典から近代文学まで、俯瞰し展望を書くという作業を行ったことは不思議である。それが、菊池寛「半自叙伝」によると、彼は若い頃、作家になれるとは思えずに、大学の講師にあるつもりでいたようなのだ。だから、古今東西の文学論や、作家の傾向を研究していたらしい。その成果を「日本文学案内」にまとめたらしい。その思想の基本はヘーゲル哲学である。人間社会の意識は、段階的に発展する論理から、25歳以前に小説を書いても、知識だけだという、発想はがあるようだ。
 原本は、旧仮名遣いで、ルビつき、いまはまったく知られない海外作家の解説などあるのを、必要部分だけチョイスしたが、ルビをはずし、時には旧仮名をそのままにして、時代の空気を残してみた。それで、純粋抜粋でもなく引用でもない、変な形になってしまたのであった。

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2018年5月 6日 (日)

5月6日(日)の「第二十六回文学フリマ東京」TRCにて出店します

  5月6日の「第二十六回文学フリマ東京」に文芸同志会も出店します。《 「文学フリマ東京」(第26回)販売本4点のキャッチが決まる
文学フリマの出店は、「文学が人生に役立つときー菊池寛の作家凡庸主義と文芸カラオケ化の分析ー」伊藤昭一(文芸同志会発行)。定価700円はそのまま。その他は、300円で、フリマ出店特価です。
 文学を役立てると言っても、文学の本質がわからないと、出来ない。それに対する根本的な解釈の本ばかりです。手に取ってみて欲しいい。

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