2022年6月18日 (土)

お問い合わせコメントについて。

同誌につての現在はわかりません。「零文学」。「アピ」誌については田中様に連絡しました。

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2022年6月17日 (金)

右腕の故障とパソコンの時代遅れ

 今左手のみでかいてます。操作を間違えたらしく、パソコン不調になる。プロバイダーに連絡すると、操作不安定に、パソコンは古く、来年早々にシステムがきれるという。そこで、win11に切り替える準備で、しばらく投稿は間隔があきます。いま、「海」(いなべ市)と「ら・めーる」を読んでいます。

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2022年5月27日 (金)

革命とその研究

 重信氏が出所するらしいという噂は、以前からきいていたが、いよいよそれが実現するらしい。中産階級のお嬢さんが、勤めをしながら明治大学の夜間部に入学し、学生運動にのめり込み、その集金能力が買われ、組織の上層部に祭り上げられ、革命家になった。こっちは、法政での夜間部で、その噂は風のたよりにきいていた。彼女に部下としてついていた人間とは、ある期間交流があった。ただ、アレッポにいるとばかり思っていた娘さんの重信メイ氏が日本にいて健在であることには驚かされた。自分には、世話をするというか、家族制度のなかで、長男として守るべき糸の切れた凧のような漂流難破したような家庭があった。そこで、革命家になれないが、自分の運命を縛る社会制度の研究を志し、革命研究家になった。ロシアという国は、レーニンやとロッキーの時代から、少数の権力者が全体を動かすという体質があった。革命も皇帝の方が兵力あったのに、少数派レーニンの勢いに負けてしまったのだ。《参照:若き若き詩人で革命家となり、服役していた重信房子氏が出所へ

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2022年4月 8日 (金)

市民作家と職業作家の小説の巧いのと下手なもの

以前は、会員が物書きで収入を得たい、いわゆる錬金術としての文章を書ける人やそうなりたい人が主だったので、同人誌の作家はみな職業作家を目指すという前提で、会員の同人誌作品を評論していた。ところが最近は、書くことで、自己認識を深めればよいという姿勢のひとばかりになった。(べつにそのような自覚がなくても、事実はそのために意義があるのだ)。それだから、商業的にならないのが当然で、作品の良し悪しを、その価値観で見ない。となると、小説の巧いか下手かという基準に変化が出る。同人雑誌で巧いからというので、褒めてもそれで売れるわけでないから、しょうがない面がある。自分が紹介の中で、下手だというのは、そういわれることで、視点に変化が起きることを期待するからである。最初から自分小説が巧いと自覚のある人は天才である。しかし、才能がない人が、そう思うと客観性が失われる。自意識が生まれないのである。多くの同人誌作家は、小説が自分より巧いのは確か。それでも、読者の立場から良し悪しが言える。自分の多くの文学好き仲間はいなくなってしまったが、作家評は自然に出てきた。職業作家で、小説が下手たなのに人気があったのが、かなりいる。石原慎太郎などは、巧いという評価であった。新田次郎などは論理が強すぎて下手な評価であった。それから、ドフトエフスキー翻訳者は、米川正夫、小沼文彦、原久一郎とも訳のわからないところがあった。そこで、おそらく原作者の文章が下手なのであろうということに、なっていたものだ。

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2022年4月 6日 (水)

「文芸同人誌案内」の樋脇さんよりコメント

「文芸同人誌案内」の樋脇さんよりコメントをいただきました。全国同人雑誌協議会の会報に「文芸同人誌案内」について寄稿したそうです。光栄にも、文中「文芸同志会通信」について触れてくださったそうです。モノを書いていて、依頼がくるようでないと、専門家として物足りないです。結構なことです。このところ、80肩で指が動かず、休んでいましたが、樋脇さんのコメントで返事を書こうとおもったら、腕が上がりました。今は、「詩と眞實」4月号をとっくに読んでいますが、そのうちに紹介しましょう。

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2022年3月26日 (土)

文学の源とポストモダン

 どこかの本に書かれている同人雑誌的な文学論に現代に読めるが、じつは昭和初期の日本が独立国として、世界の列強に対抗していた時代の文学論である。ある意味で、今の同人誌作家の精神論に載っていそうな話である。時代遅れという感じがする部分はこうした面があるかからかも知れない。 
-- そこで、所謂(いわゆる)小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何にも要らないのだ。短編なんかを一寸うまく纏める技巧、そんなものは、これから何の役にも立たない。
 これほど、文芸が発達して来て、小説が盛んに読まれている以上、相当に文学の才のある人は、誰でもうまく書けると思う。
 それなら、何処で勝つかと云えば、技巧の中に匿された人生観、哲学で、自分を見せて行くより、しようがないと思う。
 だから、本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二、三歳で、相当にうまい短編が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうような一寸した文芸上の遊戯に耽ることをよして、専心に、人生に対する修行を励むべきではないか。
 それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることは出来ないかも知れないが、兎に角、若い人は、つぶさに人生の辛酸を嘗めることが大切である。《菊池寛の近代文学精神とポストモダンー30-(3章)文学の源

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2022年2月25日 (金)

義理と人情に縁のない親分が隣組に

 北半球に、正露組と中華組の親分が、街を脅かしている。正露組の親分はもう一般市民に殴り込みをかけている。共通しているのは、過去の一時期のことを長年の誇りと思い込んでいることだ。過去に戻りたいというが、過去は取り戻せない。時代遅れの暴力組織となっている。共通しているのは、過去の皇帝による独裁政権の習俗が残っていることだ。何をするにも、皇帝という権力者に見つからなければ、大丈夫。真・善・美の自意識が薄いことだ。自分と身内さえ良ければ、それでよい。パブリックという概念がないことだ。隣り合った親分同士はお互いに信じ合ってはいないない。暴力組織として都合の良いときだけ、話を合わせる。

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2022年2月24日 (木)

オリンピックがあるから戦争がはじまるのか

 五輪にメディアが気を取られているうちに、戦争をするという手法が通例化しました。金を掛けた上に、物価が上がるなんて馬鹿げている。札幌五輪に反対します。

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2022年2月15日 (火)

人間と動物との違いは、仲間をいじめること、言葉が話せることだけか?

 親友であったK氏の遺稿というか、残された彼の記録がパソコンに残っていたので、それをまとめたものが、《参照:「操り人形」という自伝を残した男(1)ー(8)》である。これは、まったく自己表現の作品で、読んでも面白くはないであろう。自分は遺稿として扱って、同人誌に掲載したものである。これも同人誌の存在するよさせあろう。なぜ彼が、「操り人形」としたタイトルの意味は分からないが、彼の原稿の書き起こしをしているうちに、自分も、他の誰もが社会の「操り人形」に過ぎないのではないか、と思えるようになたった。後から、語られると思うが、彼は推理小説雑誌「宝石」で、江戸川乱歩に気に入れられ、新人25人衆という特集に、笹沢佐保と同時に作品を掲載している。江戸川乱歩が亡くなってしまったので、その後は生活のための会社経営に時間を取られて、作家として世に出ることはなかった。自分は18歳のころに、彼の家に近い呑川の近くに転居したが、K氏の存在を知らなかった。19歳の頃に、職業作家の主婦とそのご主人(直木賞候補になったこともあり、井上靖と親しかった)の生き甲斐造りを目的とした生活日誌的同人誌グループに参加した。そこで、後からK氏が参加してきたので、その時に、紹介されお互いに家が近いことを知った。そのSという作家については、後に自分の見合い結婚の仲人をしてもらった。夫妻はすでに亡くなっているが、遺族から過去の活動につて、一切明らかにしないで欲しいと言われているので、詳しくは語れない。ところで、そこで知り合ったK氏と、行動を共もすることが多かった。彼とは蒲田駅までタクシーを使ったが、通りで空車タクシーを待っていると、近所で子供遊びをしていたガキが「やあい。変な奴がいるぞ」と、道端のゴミを投げ受けるような仕草をしたものだ。黙って無視したが、人間というのは、生まれながら本能として、異形ものを差別する存在であることを実感した。現代は、ツイッターで他人を誹謗中傷する人間が多くいるが、それは本能的な幼児性のなせる業であろう。

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2022年1月23日 (日)

山月記の中島敦と自己存在

 東京新聞には、朝刊に付録のような別頁の特集がついてくる。1月23日付では、中島敦「虎になった男の物語『山月記』をー心ふるえる魂の咆哮ー4つの問いをめぐる文学の散歩ーとして解説を載せている。中島敦は1942年2月に文壇デビュー、その年の12月に亡くなって江いる。自分は、同じ年の2月生まれだから、入れ替わりにこの世に存在したことになる。かれは生前に新橋の「箸善」によく行ったというので、自分は学生時代に、食べに行ったことがある。その頃は、まだ店は存在した。今は「箸善ビル」というのがあるそうだ。彼の全集を読むと、卒論に谷崎純一郎論を書いていたのがわかる。「山月記」の元作品は中国の「人虎伝」であるという。中島敦の「山月記」では、詩人が作品が世間に認められず、虎になったという話である。自分で自分の存在の意味を主張できず、他者の眼で証明されることが、人間社会のセオリーなのである。おそらく、この特集も、他人を殺してでも自己存在を主張したいとする事件の多さに刺激されたのかも知れない。マルクス経済学ででは、使用価値しかない道具が、貨幣が社会の価値評価を集約することで値段が付き、商品になるとしている。人間社会では、存在者は社会評価に恋をし、常にプロポーズし、良い返事を待ちこがれているのだー。《参照:文芸同人誌の社会性とポストモダン(2章)-2-自己価値が判る

 

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