2017年10月15日 (日)

ある伝統的な文芸同人誌「砂」の典型的な動向から

  文芸同人誌「砂」は、第135号まで、発行してきて、次号も発行できる余力はある。《参照:休刊間際の文芸同人誌「砂」の活性化に向けて始動
(投稿原稿も来ているそうである)。会員数の高齢化による、減少はともかく、運営実務者が次々と病に倒れ、とりあえず運営の中の比較的若い人の有志がとりまとめて、運営実務を行ってきた。文芸同志会の伊藤も同人であるが、運営にかかわっておらず、投稿もそれほどしていなかったので、なんとなく「活動が不活発だな」と思う程度であった。そこで、昨年来、その事情を確認し、会合をしてきたが、印刷所の変更や会計担当の変更などを行って継続している現状のなかで、一度は休刊か廃刊にしようということになった。
 しかし、これまで連載小説を行ってきた投稿者から継続を望む声もあり、それに押されて発行を続けようということになった。それでも、同人会の活性化は必要で、会員拡大や同人会の活動の周知をすることに、文芸同志会も活動しようといううことになった。
 この「砂」というのは、1950年代から1970年代まで「雲」という同人誌があって、その会の解散後の受皿として1970年代に誕生した。
 「雲」は一時は、北海道から沖縄までの会員300人弱を容し、年総会には、上野・池之端の会館を借り切ったほどの組織であった。
 その運営者は、直木賞候補にもなった現役作家夫妻であったため、その指導により、当初は生活の生きがいに物を書いていた人のなかから、商業誌の文学賞や、ミステリー作家を輩出した。
 そのため、「雲」という一つの同人誌の内部に、作家志望派、生き甲斐生活作文派、作家工房結成派の三つの組織が、本誌とは別にそれぞれ雑誌を発行するという事態になっていた。
 伊藤は、その作家夫妻に精神的な影響を受け、結婚式の仲人をしてもらった。したがって、「雲」の運営の苦労や、一般会員の知らない事情に詳しかった。「雲」を主催する夫妻が高齢で、会を解散したあとも、その作家夫妻とは子どもを連れて、訪問していた。だが、まず夫の作家が亡くなった。その時に夫人が、「あなたは、やせているけど、年をとれば肥りますから、そのときは、これを着なさい」と先生の礼服をくれた。それは、当たっていて、今では私の礼服になっている。夫人が独り暮らしをしている時は、雑誌記者をしていて行動に、自由があったので、書いた記事を載せた雑誌や小説誌を渡していた。夫人の最期は、お子さんの家に引き取られ、住んでいた家を処分する旨の電話が、家内が受け取ったそうである。夫人が亡くなっても、息子さんが大企業の幹部であったため、両親の過去の人間関係者については、絶縁の知らせを受けた。人知れず庶民の生きがいとなって、さまざまなロマンと功績があったのに、死んでしまうと、すべてが消されてしまうものだと、実感し涙したのを覚えている。
 その関係で、後継同人誌「砂」の会員になっていたのである。

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2017年10月10日 (火)

「散文とは判断の芸術である」ということ

  長々とモダニズム文章論を紹介してきた。でもこれが結論。《参照:伊藤整「氾濫」モダニズム文学の周辺と北原武夫の評論(4)
北原武夫は「散文とは判断の芸術である」というアランの言葉を前提にこの評論をしているようだ。自分は、判断のない文をじぶんなりに、叙事と称することにしている。そして、そこに文学味があればとりあえず、叙事詩としている。

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2017年10月 4日 (水)

分析的説明によって、小説の描写量はどれだけ減らせるか

  モダニズム文学の一頂点を極めたと自分が考える伊藤整「氾濫」という作品について、北原武夫が同業者として、独特の解説を行っている。その一例を示した。《参照:伊藤整「氾濫」モダニズム文学の周辺と北原武夫の評論(3)》 ここで、北原は、伊藤整が官能描写を不得意としていたので、別の手法を編み出したのではないか、という推測をしている。自分は、それだけでなく、千枚にもわたる大長編を書くにあたって、面倒な描写を避けて、論理的な分析で済まして、先を急ぐという気持ちがあったのだろうとも、思う。
  小説という世俗的な出来事の羅列で物語化をするために、読者を納得させるために、やむを得ずそこに至る経過を細かく書く必要がある。話が飛ばないようにである。つなげるための部分を橋という場合もある。作者によっては、面倒だが仕方がないとする部分。
それを、伊藤整は社会的な会社人と、家庭人という側面を読者に意識させながら、人間の愛欲関係を描くという、合理的な手段を必然として用いたのではないだろうか。
 うろ覚えの記憶だが、伊藤整は作家仲間か編集者だかと共に、香港に行ったときに、性行為をナマ見せするショウーがあったそうだ。伊藤整は、そのショーを正座をして観賞。周りで、酔った見物人が騒ぐと「うるさい。静かにしろ」と怒ったそうである。
 おそらく事実としての現象と、心理的な幻想力の違いに、注目していたのであろう。

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2017年9月27日 (水)

モダニズム文学の到達点としての描写と説明の手法

  社会の大量消費化カルチャー化の時代にあって、文学の果たす役割が低下したように見えるが、もともとは、愛好家中心で作品の評価をしていたもので、それなりの理論が存在したように思う。そこで、近代文学の頂点とみられるものを記録した。《参照:伊藤整「氾濫」モダニズム文学の周辺と北原武夫の評論(2) 》

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2017年9月25日 (月)

「二流作家」デビューのデイヴィット・ゴードンのポストモダン

 「二流作家」というタイトルのミステリーでデビューしたデイヴィット・ゴードンという作家の短編「ぼくがしようとしたこと」のなかに、作家の主人公が、「たしかに、ぼくはものを書くことを生業(なりわい)としている。考えようによっては、自分の作品をポストモダニズムに位置づけることができるだろう。(普通に考えれば、モダニズムに分類すべくだと考えるが)--」という文言がある。(2012年早川書房「ミステリアスショーケース」収録)。
 作品は、娯楽物として、ほんとにつまらない小説だが、こようにポストモダン文化が世界的に普及しているのだ。
  そんなわけもあって、モダニズム文学の一端を紹介した。《参照:伊藤整「氾濫」モダニズム文学の周辺と北原武夫の評論(1)》

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2017年9月21日 (木)

日本文学の近代文学の基盤を作家の立場から見る

近代文学の研究というと、それを記録した学者は多いが、現代文学とかなり解離した視点のものが多い。じぶんの、手元をみたら、芥川・直木賞を創設した作家「 菊池寛の見解によるモダニズム古典主義と浪漫主義文学」にあるようなことが、書いていた。同人誌に書く人たちなどは、現代に通じると思うかもしれない。これがモダン文学であり、ポストモダンは、この次にきたと考えるに、ちょうどよいのかも。

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2017年9月19日 (火)

実存と目的の狭間のミサイル

  人間の存在に関しサルトルが「実存は目的に先行する」としたことについて述べたが、これは何処に行くかわからないままに、行列の先頭にたつようなもので、生まれてきたけど、どうすりゃいいんだ、という状況である。足元がおぼつかない。すると、天から、山に登れのという声を聞いたものは、「そうか、自分は山に登るためにここにいるんだ」と思えることもある。
  「坊やは、おおきくなったら、何にないりたい?」。目的をもて、目的が欲しい。人間は目的を求める。そのため目的物に、意志を感じてしまう。ナイフを見ると、「刺せ」と言っているýような気になる。ピストルを持つと、引き金を引いて、人を打ちたくなる。それは、その物がそのために造られたからである。常に、物は語りかけてくる。俺が何のためにここにあるのかを考えろ。
 北朝鮮では、きっと兵士がミサイルの発射装置の前にいるのだろう。命令があったら、ボタンを押せといわれて。ボタンは、押すためにある。ボタンはいつも語りかけている。「押して、押して」と。危ないのは書記長ではなく、兵士が、ボタンの問いかけに答えて、命令がなくても、押してしまうことではないのか。
   

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2017年9月 9日 (土)

「たね」と「空想カフェ」の形の紹介試行

  堀内みちこ・個人詩誌「空想カフェ」とプロテスタント文学集団の「たね」が文芸交流会に届いたというので、その形と内容の一部を外狩雅巳「文芸同人誌展示会」以後の文芸交流会」に付記として掲示した。
  文芸交流会には、その他の雑誌が送られてきているが、それを情報化しきれていない。現在は試行の段階だが、誰でもそれを簡単に記録できるような形式がないと、長続きしないであろう。「交流誌周辺情報」としてのスタイルを、考えていくことにする。
  文芸同志会のはじめは、作品を同人誌に印刷しなくても、その前の原稿の段階で、読んで研究し、それが世間の問えそうだ、というところまで、検討して州版者に持ち込んだり、しようということで、実際に会員は実行していた。当時の会報「文芸時事月報」や「文芸研究月報」には、そうした結果が掲載されていた。
 また、講談社などの出版者の人事や方針なども情報交換していた。作品公募の「未発表作品」というのは、どこまでを未発表とするか、などの取材も行っている。
 時代の流れで、活動もどんどん変化してきている。あきらかに時代は会の発足当時と異なっているので、再構築する必要があると思っている。

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2017年8月21日 (月)

中部ペンクラブの安定的で活発な活動ぶりから

  「中部ペン」24号(名古屋)を読んているうちに、同人雑誌と現代日本文学との同期せいはどこにあるのか、考えた。作品評は多いが、活動評論はないなとおもって、考えるところを書いた。《参照:雑誌「中部ペン」第24号(2017)に読む文学活動評
 文芸同人誌にないのが現実社会の取材性であろう。身近な高齢者の生活を描くにしても、自己体験の成り行きや同世代の仲間の話だけでは、物足りない。若者たちの現状報告には、優遇するとかの手立てが必要な気がする。

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2017年8月20日 (日)

見たくはないけど「戦争資料展」を観る

  毎年恒例の「 大田平和のための戦争資料展」を見てきた。《参照:第38回 大田平和のための戦争資料展を開催=東京
 あまり気のすすまないまま、展示にどのような変化があるか、見届けるつもりで、確認しに行ったようなものだ。民家の東京空爆の資料として、絵画などが新しく出品してあった。焼け死んだ人たちの姿や、米軍の沖縄攻撃線の報道写真は、敗戦間際となって、ほぼ事実を報じている様子である。
 個人的には、生き物が死んだあと、ただの物質となることに、なぜ強い抵抗感があるのだろう、とかを考え、1日中気持ちが沈んでしまった。
 昼過ぎに、東京は雷雨に見舞われ、電車で放送していた多摩川花火大会は中止になったという。記事にリンクをしたが、各地から届く同人雑誌の地元での空爆に関する文章を読んでて、なぜ、兵器工場もない田舎に、空爆攻撃がされたのか、不思議に思っていたが、米軍には米軍の事情があってそうしたことがわかって、この世界それぞれの論理の組み合わせであることを再認識したものだ。

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