きょうの連歌デモ3894 ~凍れる海に潜りて探せ己の魂
3894 良心を何処に捨てたか推進派凍れる海に潜りて探せ己の魂
「詩空間 連歌デモ」より。
【ベルリン16日共同】第五十八回ベルリン映画祭で十六日、日本から出品の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(若松孝二監督)が最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)などを、「めがね」(荻上直子監督)が芸術性の高い作品に贈られる「ザルツゲーバー賞」をそれぞれ受賞した。
「連合赤軍」は一九七二年に起きたあさま山荘事件を劇映画で再現した。出演はARATAさんら。国際芸術映画評論連盟賞(CICAE)も併せて受賞した。
「めがね」は旅に出た女性が、南の島で出会った人々との触れ合いを通じて癒やしを手に入れる物語。小林聡美さんらが出演した。
山田洋次監督「母べえ」などが主要各賞を競うコンペティション部門の審査結果は、同日夜(日本時間十七日未明)に発表される。
世田谷美術館で現在開かれている『パラオ――ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展』は、『山月記』などの作品で知られる中島敦(1909~42年)が最晩年の41年、植民地での国語教科書編纂(へんさん)のためパラオに渡ったことや、現地で画家の土方と交流したことを紹介している。一見純日本的な作家でも、外地とかかわりのあったことを改めて検証。日本文学の越境性の問題を感じさせる。1月27日まで。(2007年12月28日 読売新聞)
異文化混交文学 台湾での評価
日本語の「クレオール文学」がある――。そう言われると、多くの日本人は戸惑うだろう。植民地を支配した国と現地の言語や文化が混ざって生まれるクレオール文学は普通、カリブ海地域のフランス語文学やアジア・アフリカ地域の英語文学を連想させるからだ。
台湾出身でコロラド大学准教授のフェイ・阮(ユアン)・クリーマンさんが書いた『大日本帝国のクレオール』(慶応義塾大学出版会)は、その意味で刺激的な一冊だ。戦前の日本統治下で、台湾知識人が異国の言語である日本語を通し世界文化を受け入れ、日本語で文学を書いた姿を紹介した。
戦後も台湾には<日本語のすでに滅びし国に住み短歌読み継げる人や幾人>といった短歌を作る人や、日本語で小説を書き続けた張文環などの作家がいた。中国語や台湾語、日本語、英語が混ざり合ったようなクレオール的状況があると主張する。
「1990年代まで台湾の人は国民党支配の下、中国の歴史や文化を勉強させられた。だが、90年代に言論が自由になり、戦前の台湾の歴史を語ることが許され始めた。日本植民地期も台湾の過去の歴史の一部として無視できず、日本語文学作品に興味を持った」
植民地期の盲目的なノスタルジーはないと断った上でクリーマンさんは語る。
文芸評論家の川村湊さんは台湾以外に韓国もこの数年、かつてタブー視された、戦前に日本語で書かれた文学を扱う研究者が出てきたと話す。背景に〈1〉『<外地>の日本語文学選』(新宿書房、96年)をはじめ日韓でのテキストの整備〈2〉欧米のポストコロニアル(脱植民地主義)批評の影響――を挙げる。
韓国出身の桜美林大准教授で『コロニアリズムの超克』(草風館)を出版した鄭百秀さんは、「日本語で書かれた文学作品を支配への『抵抗』『協力』の単なる二項対立でない、とらえ直しをする必要があるのではないか」と話す。
一方、一橋大教授のイ・ヨンスクさんは「戦前朝鮮の“親日文学”は、在日朝鮮人が書いた真に植民地主義を乗り越えようとした作品と異なる。安易な評価は誤解を招く」と慎重だ。
異文化混交的なクレオールが存在するのか、植民地支配の単なる負の遺産なのか――。戦前に台湾や韓国で書かれた日本語文学を、どう評価するのか。歴史認識も微妙に絡み、議論がまだ続きそうだ。(待田晋哉)
越谷市立図書館(〒埼玉県越谷市東越谷4-9-1、電話048-965-2655)野口富士男文庫では、11月25日(土)午後2時~4時まで、「定本 竹の思想」の朗読(こだま文庫)と、作家・詩人の伊藤桂一氏の「野口富士男と私」の講演を開催。同図書館では、11月1日から29日まで、野口富士男文庫所蔵資料の特別展示(監修:石原武氏)を行っている。
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