2009年10月10日 (土)

【書評】『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行訳

 これまでは、岩波文庫の中野好夫訳があったが、新訳が出たらしい。コンラッドのこういう悠然とした書き方は、メルビルの「白鯨」とか、日本では中里介山「大菩薩峠」などがあるが、いずれも長編。短編では「闇の奥」ぐらいなものだ。
(産経ニュース09.10.10)光文社翻訳編集部 鹿児島有里
「闇の奥」 ■最大の恐怖とは何なのか
 この小説は「20世紀最大の問題作」と呼ばれてきた。映画「地獄の黙示録」の原案であることは有名だが、多くの映像作家や小説家を惹(ひ)き付ける一方、難解でわからないとも言われ続けてきたのだ。何か大事な問題を提起していても、その日本語の文章が理解できないものなら、問題について考えることはできない。「問題作」と言うからには、何を言っているのか理解できて初めて大事だとわかる何かがあるはず。新訳では、その何かがきちんと伝わるようにすることを目指した。
 船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡(さかのぼ)る旅に出た。マーロウが経験した旅を回想するこの作品には、さまざまな恐怖が盛り込まれている。
 自然でも人間でも、得体(えたい)の知れないものは怖ろしい。底知れぬ力を秘めて沈黙する密林。息をつめて船を進める中、遠くから響いてくる太鼓の音、静寂を破る突然の雄叫(おたけ)び。これは歓迎のしるしなのか威嚇なのか。森に潜む黒人の表情は読めない。道中聞いた噂(うわさ)で、クルツ像も謎が深まるばかり。
 読んでいると、本当に太鼓の音が聞こえてくる気がする。ぞくぞくしながら、次に何が起こるか追わずにはいられない緊張感は、まさに冒険小説の醍醐(だいご)味だ。
 だが、もっとも強烈な恐怖は、「知っていたはず」のものが「わからなくなってしまう」ことだろう。それが自分自身だったら? この旅の果てにマーロウがたどり着いた真実、最大の恐怖とは何なのか。本書の「問題作」たる所以(ゆえん)をご確認ください。(光文社古典新訳文庫・620円)

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2009年10月 1日 (木)

長嶋公栄「昭和イセザキストリート~東京大空襲余話」(文芸社)

長嶋公栄「昭和イセザキストリート~東京大空襲余話」(文芸社) 著者の長嶋公栄(ながしま きみえ)氏は、1834年、東京生まれ。夫の経営する現代芸術社の木馬座を手伝ったこともある。作家・伊藤桂一氏に師事し、1985年に発足した同人誌「グループ桂」の主宰者となる。
 1997年、「温かい遺体」が女流新人賞最終候補、1998年、「はなぐるま」が北日本文学賞選奨、2002年、「残像の米軍基地」で新日本文学賞佳作、2003年、「幻のイセザキストリート」で新日本文学賞佳作などの経歴を持つ。
 発表作品のタイトルを見ても、太平洋戦争における米軍の無差別空爆や、その後の占領米軍に対応する日本人の苦悩に強い関心を抱いてきたことがわかる。それらは多くが短編であったが、本書は、そのライフワークの集大成といえる。
 1945年の東京大空襲のなかで、思春期に学徒動員に借り出されていた主人公・石坂藍が、兄の友人に抱くあこがれ――。国の破滅のなかで、ほのかな思いから相愛の恋に発展する。純愛の心と裏腹に、敗戦のなかで押しつぶされ、肉体は生きる道具となってしまい心が裂かれる。破滅的な運命から生き直す心を取り戻すまでを描く。
 参考資料に早乙女勝元「東京大空襲―昭和20年3月10日の記録」、蜷川壽恵「学徒出陣―戦争と青春」(吉川弘文館)、日本戦没学生手記編集委員会編「きけわだつみのこえ―日本戦歿学生の手記」(東京大学出版会)、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて―第二次大戦後の日本人」(上・下)三浦陽一・高杉忠明訳(岩波書店)があげられており、作者の地道な調査と資料重視のリアリズムからなる。事実に即したフィクション化であるから内容は地味である。戦争の悲惨さをしみじみと身近に感じてほしいという作者の意図が見える。高所からの国益論よりも、庶民感覚での平和の意味と尊さを示している。(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年9月28日 (月)

河内和子「ホームステイのイタリア―ばぁばの一人旅」(元就出版社)

 64になるまでイタリアを知らなかった、とあるように、60歳を過ぎてから、イタリアでホームステイをするまでには、どんな心構えと手順が必要か、が書いてある。それを簡単に可能したように見えるが、作者の経歴を見れば納得できる。渡米歴、翻訳家歴があってのことだとわかる。(参照:「ホームステイのイタリア」紀伊国屋書店
 六章以降の、日記、フィレンツェ再訪、ボローニャへ、アリヴェデルチ・旅を終えてなどが、団体回遊旅行では得られない、現地の雰囲気がわかって興味深い。自分は、イタリアといえば、アルベルト・モラビア、バスコ・プラトニーニなどの作家が好きだが、そうした情報もあればいいのにと思った。それでも後半の第二部あたりから、人生に避け得ない加齢との戦いが読ませる。(参照:「詩人回廊」河内和子の庭

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詩集「野の民遠近」大塚史朗(群馬詩人会議出版)

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著者の大塚史朗氏は、1935年生まれ。日本農民文学賞の受賞詩人である。(参照:「第51回農民文学賞決まる(中)=詩集「引出しの奥」に民衆の歴史意識も」)
「道祖神」には、祭りごとのなかの収穫の祈り、男女の秘め事の教えがある。「十日夜」の祭りには戦争に狩り出されて戻ってこない農民がいる。それらは、まだ序の口で、大地からの収穫、エロスの悦び。介護に見る老いの現実。働くだけ働いて、老いて、ひっそりと死ぬ女性たち。農民を必ず巻き込む政治の権力などが示され、これを読めと迫ってくる。
 ここには農民として生活するなかの労働と思索の全宇宙が表現されている。都会暮らししか知らない人も、かつては農家にいて都会生活をしている人も、また農民をしている人でも、日本農民がどのような歴史を背負わされた―ーまたは自ら背負った存在であるかが、如実に表現されている。
 あとがきには、『「野の民遠近」として「まつり」「伝承譜」「野花咲いている」「山々追想」「野道を歩く」は一年半ぐらい前から私が編集している「夜明け(群馬詩人会議)」に発表してたのだが、これは当初から近々出版するつもりで書いてきたもの。そして「介護の中から」の詩も、捨てられないので集めてみたら、あちこちに発表してきた「神の塔」も収録することにした』とあるように旺盛な詩作意欲に満ちた作品集になっている.
発行所=〒370-3602群馬県北群馬郡吉岡町大久保1827、群馬詩人会議出版
(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2009年7月22日 (水)

小原優・著「イニャリトゥ、トリアー、是枝-今世紀の映画作家たち」(鳥影社)

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映画批評であるが、同時に著者が感動した映画と映像作家への解説紹介であり、観賞への詳細な招待状でもある。
 小説を書くクリエイターでもある著者ならではの、文章による映像イメージの再現という表現力によって、映画を見なくても、読むだけで感動させるものもある。(定価1800円+税)
 ☆小原優(おはら ゆう)=1962年、東京都出身。短編集に「メタモルフォーズ―十一の変身譚―」(鳥影社)がある。

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2009年6月 9日 (火)

利他的行動の謎に焦点=真木悠介『自我の起原』(岩波書店)

• 副題は「愛とエゴイズムの動物社会学」。動物行動学の分野でローレンツやドーキンスが提唱した理論を社会学者の真木悠介(見田宗介)が独自の視点で読み解く。「自我の起源」は原初的生物の基層に遡(さかのぼ)り、「自我」の成立過程に迫る一冊だ。
 生物は遺伝子という名の利己的な存在が生き残るために利用する「乗り物」に過ぎないと主張するドーキンスの「利己的な遺伝子」理論を紹介しつつ、本書はドーキンスとは対照的に、生物が時に「利他的」に行動する謎に焦点を合わせる。生物の進化の過程で脈々と受け継がれてきた生物の利他的行動の数々。その中から「エゴイズムの先」の「共生」を探ろうとする姿勢が新鮮だ。
 広く知られた文献を独自の視点で切り取る手つきは鮮やか。ある作家が氏の作品を「思考ではなく祈りであり、文学的幻想であって社会理論ではない」と酷評したことがあるが、書評子には祈りこそが魅力だ。「利己的な遺伝子」があふれる現代の希望の書。(淳)岩波現代文庫。1000円(税別)。(09年6月4日 読売新聞)

Wikipediaによると、道徳情操論(原題:The Theory of Moral Sentiments)は、1759年に出版されたアダム・スミスの著作)では、主に、近代市民社会におけるバラバラの個人が、「共感」をある種の秩序としてまとまっていることを述べている。 具体的には、人間存在とは、利己的だが、他人に同感する。また、道徳的適切さを指摘しており、第三者である「公平な観察者」が同感でき、当事者は「内なる人」として内面化する。そして、常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、「自己規制」しつつ相互行為するものである。そしてこの元で、内なる道徳を持つフェアプレイの世界である社会が形成されるとされる。

そうは言っても、人間がどれだけ自己中心主義かを認識しないと、社会構成の適正な方法を考えることが出来ない。利己主義を研究し追及することで、希望のある方策が打てる。足利事件の冤罪も検察と裁判官の利己主義から生まれたものであり、弱者を救済すると、甘いといって母子家庭の予算を削る意識も、他人が得すると面白くないという嫉妬心、その金を自分のために使いたいという利己主義によるものである。

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2009年4月30日 (木)

第八回文学フリマ」蒲田で販売の「グループ桂」500円

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作家・伊藤桂一氏の指導による同人誌「グループ桂」第60号が出来上がったので、運営部から販売の許可をもらう。もともと教材なので価格設置がなく、状況に応じてメンバーは持分を販売して良いことになっている。今回は500円にした。
第60号の内容は、
伊藤桂一・特別寄稿<短歌>かきつばた咲くー法華寺にて
宇多本次郎「星の簾」/花島真樹子「口紅」/北一郎「寸編小説・坂の上の夕陽」/川口青二「真夜中の居酒屋」/緒方春子「烏」/桜木とみ「夕映えの足音」など。

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2009年4月22日 (水)

第八回「文学フリマ」蒲田で販売する「カフカもどき」

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 第3回「フリマ」参加記念「カフカもどき~北一郎・山川豊太郎―作品集」500円。これは、山川氏と北が、哲学や歴史哲学を背景にした思想色の強い作品ばかりを集めて見たもの。「砂」に発表はしたものの、同人誌仲間の反応は「????」。理解されることなく、不幸な運命を背負った似たもの同士の作品ばかりである。北の保有分はないが、山川氏が何冊か残っているというので、それを販売する予定。
 内容は山川豊太郎の小説「時計台」は記憶を止めるカメラをもって廃墟となった東京を散歩する話。「1908年6月、ウイーンあるいは雨」はヒトラーが画家を志していた時代のその周辺の話。評論「歴史を捏造するということ」は、遺跡から土器を発見する神の手事件について語っている。

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2009年4月21日 (火)

第八回「文学フリマ」蒲田で販売する「たわんだ季節」「はこべの季節」

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第2回「フリマ」参加記念「たわんだ季節」と「はこべの季節」を各200円で販売する予定。「たわんだ季節」は、当初、高校を卒業して電子機器の工場の配線工になった時の会社員生活のなかの恋愛を描いたもの。「はこべの季節」会社のなかにうまく融合できずに、会社を追い出される形で夜間大学に通うきっかけにするまでを描く。物語化して判りやすくするために、フィクションであるが、ヘンリー・ミラーの「南回帰線」「北回帰線」の手法を自分なりに取り入れている
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 会社にいくのが嫌だが、家計をたすけるために家に給料を入れなければならず、本当にどうしようかと困った時期であった。今で言えば、ひきこもりたい心理だが、家を助けなければ引きこもる場所もなくなってしまう。しかし、高度成長期で会社をやめてもなんとか学費と家への支援ができた。でも、いま思い返しても、性格に向いていない職に就くものではないと思う。
そういえば、2回目のフリマで、大塚英志氏がブースに来てくれて、この2冊を買ってくれたのを覚えている。あの頃「月報」を送っていたので、「重宝している」といっていたから、お付き合い買いをしてくれたのかもしれない。

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2009年4月20日 (月)

第八回「文学フリマ」蒲田で販売する「罠の報酬」

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第1回「文学フリマ」参加記念「罠の報酬」伊藤鶴樹・本体500円、送料込みで580円。これはプロ的なものがいいであろうと、雑誌に売れた作品2作と書下ろしを2作収録。書き下ろしのミステリーのトリックは、困った挙句に思いつたものだが、意外性があると読んだひとには好評。

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