2009年3月 8日 (日)

寸編小説紹介 「スーパーマリオブラザース」来瀬 了

詩人回廊サイト・「来瀬 了の庭」のこの作品は、デリバリーゲーマーに「デリゲー」という名称をつけて登場させている。これは、なかなか良いアイデアで、現在でも将棋や囲碁の相手をする便利屋さんがいるらしいではないか。
 作者の来瀬 了(どういう意味?キセ了からキセルか)は、ゲームの世界が現実の世界に侵食されることをテーマにしているようだ。文章のリズムの一貫した調子が、なかなかの味になっている。
 殺人や事件というものは、現実の方にインパクトがある時代になった。マスコミの報道で満ち溢れていて、まさにゲーム的で事実は小説より奇なりである。なんでもないことが、かえって埋没する時代だ。すると、文芸の世界がそれを補うという構造もないでもない。
 この作品にあるファミコンゲームをしていて亡くなった鮎川信夫は、詩人で海外ミステリー翻訳家、とくに英国のエリック・アンブラーの作品の翻訳でミステリーファンには知られているようだ。もしかしたら鮎川氏はまだスーパーマリオのゲーム機のなかで生きているのかもしれない。
 とにかく日常の中の死を実感させるものがある。

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2009年2月11日 (水)

寸編小説の紹介   ドラゴンクエスト     来瀬 了

 「詩人回廊」「ドラゴンクエスト」作品掲載サイト。ショートショート風である。このなかにあるRPGというのはロール・プレイン・ゲームで、プレイする人がストーリーに参加できるゲームであろう。「RPG」で検索すると無料のゲームがたくさん出てくる。
 この作品そのままの運びでは、前半の友人の話をもっと短くすることが考えられる。しかし、もっと長くしても面白そうで、友人の立場を長く描いて、さらに主人公の立場を長くするという設定。どちらの展開も考えられるところに、この作品のやや中途半端なところがあるように思えた。

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2008年11月16日 (日)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(6)

だらだらとしたコーナーになってしまったが、「寸編小説」の話はここでひとまず終わりにしよう。結論的にいうと、「グループ桂」の教師の伊藤桂一先生は、北一郎の独断的な「寸編小説」を吟味した結果、「(小説がどうかの判別は、別にして)なかなか面白い試みだな。もう少し続けてみたらどうなの?」と、今後もこの形式で掲載することを認めてくれたのである。小説かどうかは、態度不明にされたことが大きい。なにか、結論がでるようなものだったら、自分もやらないだろうから。掲載作品は、まだあるのだが、次の作品には、評価に象徴的なものあったので、これを最後にしよう。
作品は本来、縦書きである。
「寸編(すんぺん)小説から」
「夜の潮」
 ビールでも飲もうと思った。蒲田の駅ビルのレストランだった。久し振りの家族そろっての外食だった。私の眼には、妻と二人の娘たちの瞳が満足げに輝いているのが、映っていた。私は小さな世界を支配する父親だった。それなりに微かな仕合わせを演出できたらしい。その時、ゴオーッという低い音が響いた。何かしら? 妻が呟いた。娘たちの眸も私に向かって揺れた。何でもない、一時止まっていた空調機が動き出したのさ。私の言葉で娘たちは再び静かに食事をはじめた。私はゆっくりとビールを飲んだ。窓から外をみると、何時の間にか雨が滝のように降っていた。街のネオンが雨滴に流れてかすんで見えた。私達は海底に棲む深海魚のようにそこにいた。


伊藤桂一師の論評
「ま、幼稚な作品だね」。
それ以外の論評なし。

北一郎の反省=この作品は、会員に一番評判がよく、自分も書きたいと思う、という意見が多く出たし、実際にスタイルを追随して、発表している人もいる。それが時代というものではないのだろうか。じつは、これまで事例に挙げてきた「寸編小説」は、すべて作者が30歳になる前に創作したものである。新聞の印刷所の校正室で、ゲラがであがるのを待っている時間を利用して、書いておいたもの。そのときから、今はこれが理解されることはない、としまっておいたものだ。その印刷所では、田中角栄の後援会の発行する越山会の会報も印刷していた。そこには、大手新聞社の記者がやってきていて、その会報のゲラを読んで本社に記事を送っていたものだった。そのとき、自分は、「ゲラは最終校了でないかぎり、情報源として確定していないのではないか」と、疑問に思ったことを記憶している。

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2008年11月15日 (土)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(5)

ちょっと、時間が空いてしまって、師の論評の記憶が定かでなくないっているが、骨子だけでも記録しておこうと思う。「寸編小説」という名称が当会から発祥したものであることの記しにもなるし。
作品は本来、縦書きである。
「寸編(すんぺん)小説から」

「棘と犬」
 家に戻ってから、薬指の外側が痛むのに気がついた。見ると棘である。蒸し暑い宵に、散歩というより、路地をさまよい歩いてきた。私は畳に胡坐を組み、歯で棘を抜こうとする。普段は女々しい細い指だと思っていたが、歯をあててみると、それでもなかなか骨張っている。ふと、もっと優しくて細い女の指の棘を抜いたことがあったのを思い出した。あれは二十代の前半の頃だ。ある女性と交際していた。恋愛だったのだろうか。いや、人は欲望が先で、それを蔽うためのもっともらしい理屈をつける存在だ。彼女はそれを知っていた。知らないでも感じていたろう。私が強引にホテルに誘ったとき、彼女は抵抗し、路地の生け垣にしがみついてしまった。声をあげずに顔だけが泣いていた。私はあきらめて、謝らなければならなかった。仲直りをしたが、その時彼女の指に棘が入ったのである。私たちは帰りの駅まできて、ホームのベンチに座った。彼女の指を吸い、時間をかけて棘を抜いてやった。ところが、それからすぐに彼女が、さっきのホテルに行ってもいいわ、と言いだしたのである。私は不可解に思って、それを受けつけなかった。ずっと後になって私は彼女に、あれはどうしたっていうの? ときいた。だってあの時、私たちの前を背中の丸まった老婆が、ゆっくりと歩いていったの。目が宙を見つめていた。地上を歩いているようではなかった。通ってきた時間の道を見つめていたわ。それに気がついたら、急に怖くなって、もうどうなってもいいと思ったの。そんな彼女は、間もなく私から去って行った。彼女はぴんと張った弦のように生きていた。しかし、私は飼い犬のように愚鈍であった。そんなことを思い出しながら今、独りで指の棘を抜こうとしている。


伊藤桂一師の論評
「恋愛と欲望にからめて、読ませるところがある。声を出さずに顔だけ泣いているところは、効いているよ。ただ、女性は気が変わった理由のところ以下は、むだではないかね。要らない気がするなあ。いらないよ」

 北一郎の反省=伊藤先生の含蓄と明晰さを求める感覚からすると、たしかに、女性の気が変わった理由以降は、書いていても俗に流れていると感じるのであろう。含蓄を消し、雑物がはいる。工夫がないというか、だれている。それも仕方がないと俗的な要素を確信的にいれた。自分の自然な発露はこの程度のものという居直りがある。同時に「寸編小説」は詩そのものでないので、もっと気楽に書くことを楽しむ遊びと甘さがあっても良いと考えている結果でもある。
 また、犬に関しては、自分は若い頃、性格的な問題や家庭の事情、自律神経失調症という当時はハイカラな持病などにより、会社を首になったり業界追放など「バガボンド」的に10種以上の職を転々とした。その失業中の自分を「野良犬」という自意識で自由な部分を楽しんだ。そうしたことから、首輪のついた犬をみると、どんなに着飾っていても、可哀想で惨めに見えて仕方がない。また、行きたくない面接に行って、えばった人事担当者をみると、そのネクタイが太い首輪に見え、吼えているように、リアルな妄想にとらわれて仕方がなかった。笑いそうになるのを必死でこらえた経験からきている。すると、面接官はそれがなんとなく、わかるらしく、不採用をほのめかすのである。それじゃまずいのに、面接を終えて、まだしばらく野良犬だなあ、と内心で喜んでしまうことの繰り返しであった。いまでも、首輪のついた犬を見ると、気の毒に思う。

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2008年11月 6日 (木)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(4)

作品は本来、縦書きである。
「寸編(すんぺん)小説から」
「或る夏 (池上本門寺にて)」 北一郎
太陽が音をたてて大地を灼いているように思ったが、それは蝉の声だった。本堂の屋根瓦や石畳にとろとろとした空気がゆれている。一匹のトカゲが叢から顔を出した。無表情なガラス玉のような眼。錦色の腹部が、かすかに規則的な動きをしている。突然、残酷な感情が私の内部に広がる。踏みつぶしてやろうか。その刹那、とかげは一直線に走り、なまぬるい泥水の向こうにすべり込んだ。つかの間、私の悪意に満ちた気配に、蝉の声も鳴り止んだように思ったが、それは三十代の男の空虚な錯覚だったにちがいない。いつしか季節は、拒絶しはじめた時間の指標となり、私の生のかけらを奪い去るようだった。


伊藤桂一師の論評
「これはねえ。『太陽が音をたてて大地を灼いているように思ったが、それは蝉の声だった。』で決まってしまっているわけだよ。だけど、作者には、まだ書かないといけないという考えがあるのだろうね」「たしかに、蜥蜴は周囲の空気を鋭く察知するからね。そんなところだね」。
それ以上の論評なし。

北一郎の反省=まさに、指摘された通りで、一行書いてから、その閃きを消さないで、もっと高みにもっていこうと悪戦苦闘したものだった。伊藤先生は、自分の頭を見抜いていた。それというもの、文章には構造のという宿命があるからだ。先生が、それ以上の指摘をしなかったのは、高みにもっていけていないが、失敗もしているとも言えない、どうでもいいところで蛇足に終わっているからであろう。文章にも「みえないけれど、道があるのだよ。みえない道があるんだよ」ということだと思う。北一郎としては、「寸編小説」というものを、この見えない文章論理に沿っていることを条件としたいわけである。これが、感覚的な「超短編」と基本的に異なるところになる。もっともまだ、伊藤桂一師は、答えをくれていないが。それでも、早くも「寸編小説」のパターンをのみこんだらしく、以後の作品には手厳しい指摘が待っていた。

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2008年11月 5日 (水)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(3)

作品は本来、縦書きである。
「寸編(すんぺん)小説から」

「帰途」 北一郎
電車は春の黄昏を走っていた。日曜日を利用して親戚の寄り合いに行ったのだ。そこで私は生活の有り様について批判を聞かなければならなかった。茜に染まった西空を車窓に眺め、うろたえた私の想念は、結局そのことに引き戻されてしまう。真面目でないわけではない。すべては自分の器量の小ささにあるのだ。その恥は、しかし自分らしい生き様の当然の帰結ではないのか。「ねえ、パパ。きょうは遠くまで行ったわね。山や田んぼがたくさん見えてさ、ほんとうにパパについて来てよかったわ」と、連れていた小学一年の娘が言った。「うん、そうだな。よかったな」私は娘の手を握り返した。電車は恥辱から、逃げるように薄闇のなかを疾走していた。しかしそれでも恥辱は振り切られることなく、嫌らしく身体にこびりついて来ている。一生忘れさせないぞ、眠らさないぞ、というように。


伊藤桂一師の論評
「まあ、これはこれだけのことなんだけれどねえ」。「そうねえ?子供は無関心だからね。 なにしろ作者は、普段はまともな小説を書くのだから・・・」。
それ以上の論評なし。

北一郎の反省=自分でも、それだけのこと、と思う。おそらく、作者のひ弱な神経というのは、伊藤先生のおおらかな生活感覚とは、ずれがあるのだろうと思う。しかし、小説のかけらがあるのではないか?と自分では思える。まだ工夫は必要なのかもしれない。

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2008年11月 4日 (火)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(2)

作品は本来、縦書きにしている。
「寸編(すんぺん)小説から」
「秋もどき」    北一郎
 これを下さい、と指さして秋の花を買った。女店員からそれを受け取って、あっと思った。本物と思っていたのに、造花だった。やりつけないことをするからだ。自嘲の気持ちが湧いてきた。家に帰って妻にみせると「まあ、気が効くこと、トイレット用なのね」と屈託がない。いまでもトイレットには乾いた秋が閉じこめられている。

伊藤桂一師の論評概略
「これを小説とするのかね」、「うーん、よく昔、ラジオ放送で音楽を流す合間に短い語りを入れるのがあって、わたしも考えたことがあるが、向き不向きがあるらしく、結局やらなかったことがある」、「この花が造花だったというのは、ちょっとひっかかるかな。ドライフラワーのほうが形になるのではないのかな」
 ただし、これを小説として認めるような発言はなかった。
 
論評に対する。北一郎の反省=この話の裏には、真偽の見分けのつかない大衆が、うっかり本物だと決めてしまうことがある、しかしそれが嘘の情報によるものだと結局生活の場の中心に置けないでいることが多い、というムードがついている。そのためには、偽の造花でなければならない。ドライフラワーにすると、新鮮な花が加工され変化して固定化する現象ということになる。しかもトイレという特殊の場に置かれてしまう。先生の指摘のようにして、その寓話性に転換するのも、確かに意味があるかも知れない。

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