2018年8月28日 (火)

文芸同人誌「白雲」第46号(横浜市)

【「鐡輪」畑井俊幸】
 寺の住職のところに、見知らぬ男が訪ねて来て、今日すぐに2人の33回忌供養をして欲しいという。戒名も不明で、住職は不審に思うが、とにかく供養をすませる。何故供養を依頼したのかを、その男にきく。それによると、男は戦後まもなく幼少期から風俗街の花街に育ち、御姐さんたちに可愛がられれ、男女の秘事を知ったりする。そのうちに成人になって社会人になって、付き合っている女性をよそに、上司の夫人と関係をもつ。付き合っている彼女は、恨んでその夫人に呪いをかける。その出来事が、話を聞いている住職の実家の寺のことだとわかる。偶然を積み重ねて怪談じみた話を、気をもたせながら巧くまとめている。
【「少年Mの回想記(36)ヤミ米ブローカー横行」穂積実】
 2・26事件の前に生まれた人の昭和時代の記録である。今回は、終戦後のヤミ米の話で、消費者ではなく生産者が籾の状態で隠した話がある。そのほか、山の杉の花粉が天狗の煙に見えたり、汽車の時代の線路工夫の仕事唄。田舎のそれらしい事情が記されているのが特色である。ヤミ米は赤羽でとれるという逸話など、貴重な時代の記録である。
【「野辺の草花」山本道夫】
 中野は、幼馴染みの初恋の女性である美智子を訪ね、10年ぶりに再会する。中野は美智子に愛の告白をする。結果的に美智子は彼の告白を受け止める。話の進行が人称の視点の使い分けで、内面と外面をかき分ける。場面と説明の使い分けで、まぎれのない分かりやすい書き方で、偶然性を利用することのない手法。論理的なつながりを持って、時間をかけたの恋の行方に気をもたせるものがある。
 その他、雑誌の傾向として、俳句や短歌のジャンルに重点を置いている編集方針が見える。
連絡所=〒233-0003横浜市港南区港南6-12-21、岡本方。「白雲の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月23日 (木)

文芸同人誌「R&W」第24号(名古屋市)

【「怪根ホスピタル」森岡篤史】
 病院に入院すると、ベッドの下に異界の生物が住んでいて、病人を治したりするらしい。なんでそういうものがいるのか、など因果関係はわからない。エイリアンの逆パターンか。
【「できるだけ奥に避難してください」長月州】
 大学野球の選手の喬一が、膝を痛め再起不能らしい。地下鉄のホームの下にどこかに通じる道があり、そこから真希という女性に出会う。場所もあちらこちら移動するが、その因果関係が自分にはわからなかった。
【「日常の罪人」松本順子】
 出だしは誰だかわからない語りで、いま行く場所もわからず、どこに行くかもわからないという。もう読むのを止めようかと、思い始めたころ、ストーカーに追われる女性の話だとわかる。特に事件にならずに済む。現実より良い結果を想定することで、癒しとなるものなのか。
【「グループAとともに」渡辺勝彦】
 庭にやって来る雀の生態を楽しむ老夫婦がいる。夫の私は、ある人から購読している新聞を名を聞かれ、それに答えると「リベラルですね」と言われる。その後、なんとなく狙われているような気がして、同じ新聞を購読している友人に様子をきくと、当初はそのようなことはないと、言っていたのが、後にあるかも知れないというようになる。そのうちに、庭に来る雀を垣根の外に車が見え、スズメと自分を狙うようにモデルガンの弾が飛んでくる。そうした被害が次第にひどくなるので、本気で対策をとろうとする。終章で、その夫は精神病院に入れられたことがわかる。
 これは現代社会が何となく右翼化する様子に危機感を持った作品で、それを具体的な感覚で、受け止めてしまうと、世間から排除される。因果関係のはっきりしたものを読んで、一息ついた感じがした。
【「赤い橋」寺田ゆう子】
  孫娘の理沙は小さいときに、赤い橋のかかった場所を見て不思議な感じがする。祖父は、その橋を神様が渡る橋だと説明する。それから、祖父の視点の独白、理沙の独白、祖母の独白の形で、後継者と理沙が結婚しないことで、ひと波乱ある話。語り手が変わることで、話がややこしくなるようにしたのか。また、赤い橋がどんな意味をもつのか、よく理解できないところがある。少女と赤い橋という組み合わせで、まったく別の物語の予断が入ってしまって、それが外れたので、とまどった。
発行所=〒460-0013名古屋市中区上前津1^4-7、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月16日 (木)

文芸同人誌「私人」第95号(東京都)

【「苦しいとき」えひらかんじ】
 小さな建築事務所を経営していたが、バブル崩壊で仕事を失った。その時の状況がタイトルにある「苦しいとき」のことだが、東京・九段の事務所ビルの建て替えや、海外の仕事の受注など、その当時の思い出を語り、現在は静岡の富士山の見える土地に邸宅建てて悠々自適の生活らしい。苦しい時に、誰に読ませるともなく自分史を執筆することで、悩みが忘れられたという。
【「沖売り」根場至】
 静岡の清水港に出入りする外国船に、小船で物を売る仕事を「沖売り」というらしい。それで商売をする一家の主人が病気で入院する。そこに失業者の旅人が現れ手伝いをする。ホームドラマだが、NHKテレビの風土記的放送を見て、参考にしたとあるから、なかなかの創作力である。
【「ステンドグラスの夢」杉高志】
 妻子のある中年男が、年若き清純な女性の涼子と知り合い、恋に落ちる。お互いに大切にし合いながら交際を重ねる。そして、二人秘かに旅に出て、二人だけの一夜を過ごす。しかし、一紙まとわぬまま、褥をともにしながら、女性の躊躇によって、肉体を交わることをせずに過ごす。クリスチャンのために聖書のソドムとゴモラの神話を暗示的に組み込み、ありえるとも、ありえないとも言える綺麗なロマンの表現になっている。完成度が高い。
【「雪片のワルツ」みず黎子】
 冒頭に東京に住む沙也は、新聞報道で、北国で住宅に床下で片脚の切断された女性の白骨死体が見つかる、とあるのを読む。沙也はこの地で東京の大学に行く前に、バレー教室のアルバイトをする。そこに錦織というバレートウシューズの販売員がいる。17歳はの彼女は、錦織の脚曲線に対する美意識に心を惹かれる。彼女も美しい脚をしていると自負していたが、彼の関心を得ることは出来なかった。そして東京に出て、美脚フェチの夫と結婚し官能的な満足をえて平穏な生活を送っている。北国の猟奇的殺人らしき記事を読んだ沙也は、犯人は錦織であるという想いを強める、という話。短いが読者の想像力を広げる余白の部分が大きく、センスの良さが光る。
【「つぎはぎ姫」なかじまみさお】
 平和で退屈な日常をただ文章で書き起こすことを脱出しようと、身内に人間の他者への生まれ変わりや、霊的な超常現象を組み込むが、意欲だけが先行し、効果は曖昧になっている。
発行所=〒163-0204新宿区西新宿2-6-1、新宿住友ビル、尾高修也教室。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月10日 (金)

季刊文芸誌「日曜作家」第23号(大阪府)

【「ふわふわスクランブルエッグ」椿山滋】
 母親が40代半ばの時、交通事故で亡くし、残された父親と高校生の娘のその後の生活を描く。およそ、父親と若い娘との関係交流はむずかしいとイメージがある。。しかし、ここでは亡くなった母親のおかげか、お互いに気遣いしながら、そこを支え合うように努力する。ある意味羨ましいような……。タイトルにあるように、ほっこりとしたテレビドラマ風な作品。
【「斜陽館の怨念」秋葉清明】
 斜陽館を巡る旅の文学的な旅行記。太宰治の作品「津軽」を通して、斜陽館の細部が学べるようになっている。また、話の橋渡しとして夏目漱石の「坊ちゃん」の登場人物のキャラクター性をもってくるのは、クスリと笑わせる。太宰ファンなら、知っているはずの事情や噂もよく取り入れて、大変な力技である。近年は、「桜桃忌」の参加者が増えているのか、減っているのかメディアの報道が少なくなっているように思う。SNSで「死にたい」と書き入れる人たちは、太宰の小説は読まないのであろう。本作を編集して写真入りにして、斜陽館向けに編集して、頒布したいような作品と思うのは、古い時代の人間であるためか。
【「底にいた蛙の話」夷井かづき】
 井の中の蛙になって、世界を見るとーーという想像力をで読む。蛙になった気分で物事を見るというのは、自分事でないという気楽さで読める。第四人称的な表現法によって、作者の「私」が書くという自分、読者にとっての自分という意識の転換をはかるのに有効であるとわかる。
【「五人五様(二)」野上史郎】
 「居酒屋だより」という作品もある。似たような構造のもの。人の噂話は小説の原点である。そのネタを書き連ねたようなものだが、それだけで、結構面白く読める。
【「悟りの果て空と海」大原正義】
 佐伯眞魚という密教修業者が、陰陽師の役小角を尊敬し、山野を駆け巡り修業をするという話。その佐伯が空海であるが、役小角と霊的な交流があったのではないか、という想像力の産物。これはこれで面白い。自分は、空海の鉱脈山の選別力や、中国での学問的な修得の早さから、一族が中国からの渡来人であったのではないか、と思える。日本仏教の傍流であったことにも合致するのではないか。
発行所=〒567-0064茨木市上野町21-9、「日曜作家」編集部。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年8月 6日 (月)

「仙台文学」92号(仙台市)

【「波路上杉の下―南陸海浜の記憶⑤-」近江静雄】
 東日本大震災3・11の被害と地形の変化を、三好隆一が確かめる記録となっている。そのなかで、愛宕山地福寺には、明治29年6月15日にも大津波災害があって、「階上村誌」(はしがみ村誌)という記録が残っているという。それは「すびとれた」という方言の残っている由来から記されている。
 明戸集落地区の死者は4百人以上におよび、遺体の収容もままならず、
「市場に鮪が並べられたように、地福寺の参道に並べられ、上には蓆(むしろ)を掛けただけだった」と、村誌には記されているーーとある。
 折しも、第159回芥川賞候補になった北条裕子「美しき顔」では、石井光太「遺体」(ノンフィクション)の表現
「床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫(みのむし)のように毛布にくるまれ一列に並んでいた」という表現に酷似しているところがあると指摘された。
 北条裕子「美しき顔」では「すべてが大きなミノ虫みたいいなってごろごろしているのだけどすべてがピタっと静止して一列にきれいに並んでいる」となっている。
 作者は、福島に行ったことはないらしいので、体験ドキュメント「遺体」の表現が時代を反映をしたものとして、印象に残ったので流用したのであろう。参考資料として、「遺体」作品などの記載がなかった、ということで講談社が編集ミスとしている。たしかに著作権問題に至るものではないと思われる。時代を経てた後に、どちらの作品が多く読まれるかは、わからないものがある。ただ、本作で指摘している「階上村誌」を参考に表現の工夫をしていれば、著作権はないので、このような問題は、起きなかったであろうと思う。
【「海音」渡辺光昭】
 高校教師の前島は、考え事をしながら雪道を自動車運転しているためか、スリップをして車を傷つけてしまう。そこから、父親が肺がんの疑いがあるので、検査をしなければいけないのだが、父親は検査を受けたがらない。前島が結婚したとき、父親はその嫁が気にいらず、仲がうまくいかない。
 その問題と、生徒の日野遼太が、海水浴遊びにいき、ほかの二人の友人と出かけるが、そのうちの一人が、遊泳中に溺れて死んでしまう。彼は泳いでいる時に、こむらがえりのような、脚がつったのであろうか、遼太にしがみつこうとしたらしい。そんなことをされたら遼太も動きがとれなくなり、二人とも溺れてしまう。そこで、遼太は友人を足で蹴り突き放す。そのことを誰にも言えず、その罪の意識を示した心境をノートに手記にし、教師の前島に渡す。
 いろいろな話の要素から、ここでは遼太の罪の意識と、教師の前島の父親との葛藤における父への対応の罪の意識が重なり合うことになる。話がどこに向かうかと思わせたが、うまくまとめる方向になっている。
 罪の意識がテーマなると、夏目漱石の「こころ」が有名だが、こうした作品を読むと、こうしたテーマの扱いの難しさを感じる。
【「夏目漱石詩一篇の謎(23)水底慕情」牛島冨美ニ】/【「直木三十五短歌一首の謎(24)心に多くの人間を棲まわせた大衆作家」同】
 文芸批評を身近に読めるように、謎を設けて追及するという巧い手法で、その時代の人、社会、関係者の話題を提供するもの。資料を駆使したエピソードが面白い。
 夏目漱石では、華厳の滝に投身した藤村操に対する思い入れや、藤村の噂について、知られざる話題を提供している。
 また、直木三十五については、大衆小説作家としての活躍し、菊池寛が直木賞という証を創設したほどであるが、現在はほとんど読まれることがない。
 これらの評論は、学問的ではない。我々がなぜ文学作品や作家に興味をもつかとなると、単なる余暇の過ごしや、気分転換のほかに、自らの生き方への問いかけという、切実な関心も含んでいる。
 本評論と解説は、そうした問題と密着した書き方をしているところが、なかなか優れていると思われる。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方「仙台文学の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月 3日 (金)

文芸同人誌「海」(第Ⅱ期)第20号(太宰府市)

【「巡査日乗」中野薫】
 司法の世界では、裁判官・検察官・警察署・刑事・交番勤務巡査のそれぞれの部署がある。そのなかで巡査の勤務の実態が詳しく、書かれている。転勤のこともあり、具体的な地域は記されていないが、現在より少し昔の状況のようだ。自分は、あちこちの警察署に、取材の時とか、容疑者にされた時とか、いろいろな状況で接触したが、時代や地域によって、様々である。そのなかで、法の番人というより、勤め人たちという目でみている。ここでも、そのような側面で官僚組織と仕事ぶりが記されている。文末に、これはフィクションであるという意味のものがあるが、それほど事実に近いということであろう。物語にする舞台が出来ている感じなので、これをベースにしたフィクションが出来るのかも。
【「俺も啄木」有森信二】
 家業を手伝いながらの高校通学する良太。これも時代は、ひと世代前のことらしい。父親の改造自転車で通学するところが面白い。そこでの悪ガキからのイジメをやり返し、文芸部の活動もする。その実情は、昭和時代の状況での学生生活。現代におけるスクールカースト的な雰囲気とは異なる感じがする。クラス内のイジメの事例でも、本作では、お互いに腕力的に発展し、勝負で決着がついて、すっきりしている。現代は、仲間外れが「恐れ」となり、陰湿曖昧な行為になっているようだ。昔はイジメにあっても、自殺するなどという発想はほとんどなかったろう。この小説でも、悪ガキの相手がすべてではなく、良太には家業を手伝うという、それより重要なことがあるのだ。それだけ時代背景が異なる。昭和時代を時代劇のひとつにする方法はないものだろうか。
【詩譚「椿岬」群青】
 精神科の医師の安藤が、治療していた坂田という男が、遠く離れたところで、発作を起こし、安藤医師の名を告げるので、そこから連絡がくる。そこで駆けつける。坂田は各地に行き、そのたびに安藤は呼び出される。変わった眺めの叙事詩で、どういう発想でこのような作品ができるのか、不思議だ。ただ、社会から排除された者の運命と生き方を集めたようなところがある。結核病院から逃げた人、徴兵から逃れようとして、特高警察に葬られてしまう人々の話などが入る。受け取り方として、世間が目に見えない縛りを作り始めた時代に、そうした枠におさまらない人々の存在を強調した社会批判にも読める。
 とくに堀江貴文氏などは「小説の描写を読むのが面倒くさい」という。気の短い現代人には、叙事詩の形式が良いのではないか。
【「あちらこちら文学散歩(第7回)」井上元義】
 本格的文学派で、多彩な作者だが、この部門はランボーの情報が詳しくあるので、楽しく読める。ファンという姿勢がはっきりしているので、それが自然なアクセントになっている。詩人と無頼という相性が良さそうな、よくはなさそうなイメージのランボーの魅力が理解できる。
発行所=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33、松本方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年7月28日 (土)

文芸同人誌「星灯」第6号(東京)

【「リベンスキー『一週間』の受容と展開―英国・日本・中国の国際的拡がりのなかで」島村輝】
 ロシアのプロレタリア文学者リベンスキーの「一週間」という作品は、1922年の発表当時から評判で、アジア各国に翻訳されていたそうである。これと小林多喜二、井上ひさしなどの作品と、弾圧時代の共産党員の動向や小林多喜二の創作活動の状況が明らかにされている。とくに池谷信三郎の日本語訳の経緯を読むと、その時代の知識人の意識と、民衆の社会意識の反映が読みとれる。関東大震災の混乱した雰囲気に、民衆が巻き込まれた事情などを考えてしまう。
【「井上ひさし『一週間』―そして多喜二『地区の人々』を読む」佐藤三郎】
 井上ひさしは、多喜二の党生活とその創作について、随分多くの者を書いていたらしい。ここに出てくる(M)というのはゾルゲ事件にもつながる松本某のことであろうか。この論でもMの人物が多く出てくるので、わからないところだが。いずれにしても、国内問題を外国との関係に大きく影響されることは、現代でも同じ。情報化時代のなかで、海外からの視点で自国の状況を考えることの重要性を感じる。
【「戦後反共風土の形成――山崎豊子『沈まぬ太陽』を手掛かりに」本庄豊】
 日本共産党という政党は、保守系派の政治家と民衆のイメージダウン対策の的になることが多い。大衆ポピュリズム的な中傷のなかで、国民に一定の支持を獲得しているのは、民衆に平衡感覚が存在していることを示している。
 なかでも、文学的には思想的なビジョンが確立しており、社会性の強いものが支持されている。ここでは、山崎豊子の作品の解説である。テレビドラマ化されたものなどを、自分は見ているが、全体を俯瞰した評論は大変に勉強になる。関心を持って読んだ。人間の道徳感は、理論的に理解していても、組織内での自己利益のため、倫理感を優先するという傾向もある。その調和の道を見つけることができるのか、その答えはないのだが、探して行くしかない。
『「『負け犬の社会主義』にならぬためーー共産主義でいこう!」紙屋雪』
 「負け犬の社会主義」というものが、どういうものかわからないが、ロマンチックである。個々に取り上げている思想には、少し理解できるものがある。
 まず、安倍政権による働き方改革関連法は、経団連の巨大資本の要請で実現した。現代の資本主義のあり方は、現在の民主主義システムを破壊する方向にあるということである。マイナス金利になった日本資本主義は、利益の産み場を失い、労働者を安く働かせて、そこで生まれた利ザヤを得るという方向にきていることが分かる。
 また、ベーシックインカムについて、ここでは実現可能性を論じているが、その欠点についての視点がない。日本の年金制度において、運営の問題点が指摘されているのは、その資金の多くを国民が出資しているため、内部情報を知る権利があったからである。ベーシックインカムのように、公務員が支給する仕事になると、それがまるで自分の権力で、国民に恵んでやるという意識から、権力化する危険がある。気に入らないらない意見の持ち主には「お前には支給を止めてやる」と恫喝する可能性がある。ロシア革命後にしても、レーニンやトロツキーなどは、政策の具体的で公平な実行者を国民がどうしたら選別できるかを、議論している。スターリンの独裁でその発想は抹殺されったが。今後は、官僚を選挙で選ぶのも一方法であろう。
【「情勢と人生の曲がり角でー昭和30年代からー加藤周一論ノート(5)」北村隆志】
 昭和は長く、社会的な激動の時代である。ステージごとの状況判断が、その時ごとに変わってくる。加藤周一というと、現代を生きた評論家と言える。時代ごとにその観察と解釈をしているようだ。
 ここでは、加藤周一が1949年の「文藝」10月号で「文学は時代を作るもので、時代を反映するものではない」「人生の原型をつくるもので、人生を模倣するものではない」と記しているそうである。これはこの時代における文学が生活文化カルチャーの主流を占めていた時代のものであろう。
 現代はあらゆる情報手段のなかで、文学のカルチャーに占める比率の低下から、それが妥当ではないと思えて仕方がない。そのことが大衆ポピュリズムの席巻を招いているのではないか。
発行所=〒182-0035調布市上石原3-54-3-210、北村方。「星灯編集委員会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年7月24日 (火)

文芸同人誌「季刊遠近」第67号(横浜市)

 本誌の会長であった永井靖(安藤昌原)氏の追悼号でもある。つい前日まで元気だったらしく、一人暮らしで連絡が取れなくなったので、同人仲間が不審に思って、自宅を調べると、浴槽で自然死していたという話を春田道博氏が、記している。鍵がかかった個人宅の場合、異変を感じて警察に連絡しても、無理やり部屋に入ることは出来ない。身内の者でないと権利がないのだ。自分の友人もそうであった。故人の「私の中の文学の位置」(安藤昌原)が掲載されており、音楽作曲畑からから文学に傾倒していった過程が興味深い。新宿三角ビルの朝カル小説教室で、久保田正昭文氏の教室に参加したという。
【「家計呂麻海市」藤民央】
 父親の遺品の整理と、故郷の父の代からの近所付き合いの大変さを題材にしている。91歳で亡くなった父の遺品を点検していると、夢に父が現れるとか、それから、故郷にかえるとか、話があちこち飛ぶが、毛局は、父親の遺品は保存しておくことにする話。
【「再開は雨の夜」花島真樹子】
 若い頃に関係のあった男女が、年月を経て偶然再会するが、その時はなにごともなく過ぎる。懐かしい雰囲気の、よくあるような話。話の運びでは落ちがある構造だが、ここではそれがない。
【「別離」小松原蘭】
 東大の博士課程の研究室生の恋愛の成り行きの話。思い入れがそれなり出ている。
【「象の夢を見た日」浅利勝照】
 田崎という、昔は派手な生活をしていた男と、久しぶりに再会すると落ちぶれているようで、金を500万円貸して欲しいという。用意をしたが、田崎は自殺をしていた。話の素材は面白いが、語り方の手順が不安定で、なにかあるのだろう、と思うがあまりはっきりしない読後感が残った。
事務局=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年7月17日 (火)

文芸同人誌「海馬」41号(神戸市)

【「旅のいざない」山際省】
 修三という男の人生遍歴を描いたもの。思い出話が入るため時代の推定が難しいが、四半世紀以上前のことであろう。内容は、幾つかのエピソードの積み重ねで、それをなべてある。駅で2、3日過ごしていると、警官に職務質問されてしまう。それが不満で、対応に協力しないので、交番委に連れて行かれる話。富士製鉄のJ建設会社の飯場で働く話。大型2種免許も取得する。生活苦もなく、自由な気分の生活情報である。最近の文芸同人誌に多い無思想性の生活記録。
【「彼と私と」山下定雄】
 自転車修繕作業と公園の雲梯にこだわる話が延々と続く長編の連結した作品らしい。彼と私は、分裂した存在として語られるが、それぞれのこだわりを主張しながら、統一された「私」として、読者に伝達される。こだわりをああでもない、こうでもないと繰り返すことで、人間性の一面を表現している。
【「タンゲーリーアの歌声」永田祐司】のんびりした
 出だしが、アルゼンチンの港の様子からはじまる。その運びが、話が長いことを暗示している。しかし、骨組みは、人探しの物語でできている。かつての恋人を探しだすために、日本からこの国にやってきた男が寺沢という68歳の男であることが2ページほど読み進むとわかる。彼女には娘がいるが、そのことも寺沢の思い出話のなかでわかる。
 人探しの間に寺沢とタンゴ歌手の関係から、彼の人生上の出来事が思い出物語として描描かれる。結局、探した彼女は見つけ出した娘によって5年前に亡くなっていることがわかる。こうした作りでは、何でも語ることが可能である。よくぞ書いたものだと感心する。そ一方で、の長所がある代わりに、極彩色の糸で織られた手毬のようにあれこれと目を引くことで、話が分裂し、統一的な印象を散漫にするようだ。
 このような幾つもの話を同時進行させるのに巧みなのが、宮部みゆきであろう。息もつかせず読ませる。ベストセラーになるのも当然。そのかわりああ、面白かった、で終る。それと異なる味わいを出すことが純文学としての道だとは思うが、難しいものだ。
発行人=〒675-1116加古郡稲美蛸草1400-6、山下方「海馬文学会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年7月12日 (木)

文芸同人誌「胡壺」第14号(福岡県)

【「緑の花」井本元義】
 病を得て入院中の77歳の男性「私」が、自分の容貌の醜さや、自己存在の意味性の薄さを意識しながら、これまでの人生遍歴のなかで文学に傾倒した記憶をかたる。
 若い頃は、香港の街に憧れた。中国語習得グループの教室「緑の会館」に参加する。そこで、小美という日系中国女性に出会い彼女の個性と美しさに魅せられる。そこから、「私」の美意識と欲望の遍歴が語られる。一応、物語的に論理的なつじつま合わせにも、わかりやすく読めるが、それが読者サービスになるのだろうか。そのことが、内面的なイメージの飛躍を押さえているかも。中国文化への耽溺が表現されている。話はちがうが作者は、6月に閉店した新宿の文壇バー「風紋」の東京新聞記事に客として、コメントを述べている。文学的な遍歴キャリアの豊富さがわかる。
【「夜の庭」ひわきゆりこ】
 男は、世間のしがらみから離れ、勤めをやめ、見知らぬ街の見知らぬ貸家に住む。物語のようなものはない。だが、男の出会う不動産の女や、貸家の大家の女性の風変わりな描写が面白く、見知らぬ街での男の自由な新生活ぶりが、興味深く読み込むことが出来る。小説という表現の必要条件を満たしているので、架空の謎めいたの世界の中でも説得力をもった存在感がある。
 作者の「自作を語る」には、優れた絵画の風景には、その世界に入り込んでしまいたくなる気持ちにさせるものがあるーー。という趣旨がある。
 たしかに、小説の男は、風景画の世界に入り込んでしまったのか、と納得する。その意味で、成功している。要因には、男の設定があらゆる世間のしがらみから解放された状況にしたことであろう。そういうことがあったらいいなと、読みながら羨望させるものがある。心がのびやかになる。同時に、風景画のなかの生活を味わう精神を、文学作品として描くという希有な世界を表現していることで、貴重な作風に感じた。具体的な名画を選んで、その世界に入った話などもぜひ読みたいものだ。このジャンルでの専門作家になることにも期待したい。
【「凶暴犬とガマガエル」雨宮浩二】
 福岡に仕事で赴任してきた僕は、街中で野犬に襲われて、近くのジャングルジムに上って危機を逃れる。その時の犬の表情に恐怖を覚える。その事件があってから、ある人間との接触の時に、普通の何げない表情の中に、凶暴犬の表情があるのを見つけてしまう。
 常識的に見れば幻視にすぎないのかも知れない。ここでは人間の本質の中に、優しさと凶暴性が同時に保持されており、凶暴犬の性質は誰にでも隠されているのではないか、という恐怖感を表現する。
 会社でクレームを処理する仕事をしているが、昼弁当を買う店の販売担当者の女性との交流や、会社にクレーム電話をする男の存在など、話の展開は豊かである。僕は常に、未来に対して恐怖と警戒心をもって生活しており、その心理がスリリングに伝わってくる。
 本作の「自作を語る」によると、凶暴犬にやられたことは実体験らしい。それがいまだにトラウマになっているようだ。ただ、それから離れて読んでも、我々がの現状がそのまま継続するとは、限らないことに対する鈍感な社会の雰囲気を擬人化して表現するのに成功している。動機不明な殺人事件などのニュースが飛び交う日本の社会不安が巧みに暗示されている。
【「戻れない場所」桑村勝士】
 東京で官僚となり、産業行政の担当者の身分で、出身地の工場団地企業招へい活動を視察に行く。そこでの用事を済ますと、かつての青春をすごした地域に行ってみる。
 そこから時間は、過去にもどる。中学校と親しい悪ガキと、溜池でのルアー釣り(作者好みらしい)。そして、いじめをする別の悪ガキ。そこでの復讐など。
 しかし、現在ではため池は埋められて近代的な街になっている。完全な断絶の帰れない場所になっている。一種のビルドゥングス・ロマンの変形とも読めるが、そうした分類が適切かどうかは、わからない。
連絡窓口=〒811-2114福岡県粕屋郡須惠町上須恵768-3、樋脇方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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