2020年9月17日 (木)

文芸同人誌「海馬」第43号(西宮市)

【「小春日和」安部トシ子】
 嫁いだ姉が、一人で実家に帰ってきた。妹の私は気にかかる。そこに悩みを持つ友人から連絡があって、そこで会って話を聞く。大事件のない平和な人々の話。よかったですね、という感想。綴り方教室の現代版。
【「合歓の花」山下定雄】
 私は、カンナという同居人だか、妻だかの女性がいる。それなのに、見知らぬ少女をと話かけてしまう。なぜそんなことをしたのか、自分ではわからない。そのいきさつと、会話にこだわって表現する。書き手の「私」は、精神科に通っているという。正常な精神と治療を必要とする状態の差はよくわからない。かくいう自分も二人の娘から、精神科に行けと、紹介され、行ったことがある。すると、正常の範囲で、治療の必要がないという。医師によると、家族からそういわれてやってくる治療のいらない人は、珍しくないそうだ。しかし、娘になぜ薬をくれなかったのか、と不思議がっていたから、なにかこだわりが、強いのであろう。その点では、この作者も、こだわりがあるということは、純文学的才能があるのかも知れない。とにかく、細部を根気よく表現することにこだわって、精進したら成果があるかも知れない。
【「虚栄の館」永田裕司】
 とにかく、面白く読ませる。坂本は定年退職者で、生活には困らない。それでもまだ働けるので、マンションの管理会社に雇われ、目黒にある呼吸マンションの管理人に配属される。といっても、バブル経済の時代に億ションであった6階建ての物件で、築30年くらいだという。
 そこの住民は、昔ながらにプライドが高い。そのため、前の管理会社が気にいらず、語り手の所属する管理会社に代えられたのだ。それだけに住民の理事会は、内部では、もめ事がおおいという事情がわかってくる。
 金にものをいわせただけの、虚栄の乱れた生活者のクレーム。理事長とその対立的抗争のなか、掃除係のおばさんの熱中症入院事件など、億ション管理の実態が活写される。そこで、語り手は、管理規定にある決まりに気付かず、違反した内装工事を、認めて実行させてしまう。ミスということで、管理会社が責任を取らされ、坂本にその責任をとらせる。解雇となる。坂本は、そのマンションを去ろうと、眺めていると、突然、その虚栄の館は、大爆発をする。たしかに、読んでいてすっきりする。リアリズムとロマンの合体。職業作家では、書けない秀作である。梶井基次郎の「檸檬」の世俗版である。
【「神戸生活雑感―日本と台湾の文化比較―」】
 教養人の説得力のある文章に敬服。この作品は、「海馬文学会」のブログに掲載されているので、ぜひ一読を、お勧めしたい。
発行所=〒662-0031西宮市満池谷町6-17、永田方。「海馬文学会
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2020年9月 5日 (土)

文芸誌「労働者文学」第87号(東京)

いわゆる経済社会は労働者と資本家の階級闘争の時代にあるとされていた時代の雰囲気を残した雑誌である。思想と文学の関係が様変わりした現代に、どのような姿をしているのか、自分でも考える意味で、《参照:生活の中の「労働者文学」87号=派遣社員のゆとり現象》でも取り上げてみている。
【「鎧の風鈴」(荒川真人)】
マンションの鉄筋作業が得意のとび職人である恭太という男の物語。ちょうど彼は、現場のマンションの高所での鉄筋作業をしているのだが、眼下に彼の育った実家が見える。そこには今も父親が住んでいる筈だ。母親は若くしてなくなり、幼少期の記憶しかない。父親は、彼の幼少期から、ことがあれば、暴力をふり続けてきた。実は、父親は土木会社を経営して、家庭を支えてきた。彼の師匠の鳶の親方の鷲崎さんは、偶然にも彼の父親から仕事を受けたことがあり、知り合いなのであった。そのため、恭太に絶縁した父親と会ってあげたらどうかと、勧める。彼はこれまでの恨みを捨てて、そうすることを決める。良く出来た小説である。母親の立場も書き込んであり、短いながら良くまとまっている。労働者の立場という社会思想性よりも、文学性を重視して決めたと思われる。
【秋沢陽吉「学校に行けなかった愛国少女ー何度でも言う戦争はいやだ】
取り上げたのは、本誌85号、86号の「戦争はいヤダ」について、戦時中の暴力教育の実態を挙げ、さらに小林信彦の小説「東京少年」、学徒動員した軍需工場の暴力を記した「無名戦士の手記」その他、戦中の日本の風土として、指摘している。そのことに、異論はない。だが、これは日本人だけの戦時中のこととするのは、不満がある、自分が1942年戦争中に生まれたが、敗戦になってから、2年後には小学校、それから中学校まで、教師は戦前の教師が、給に国の方針や手法が民主的になるわけがない。小学校では、教師はスパルタそのもので、気にいないと、教壇の上に呼ばれ、足蹴にされた。中学校では、教室の生徒全員が校庭に呼び出され、「並んで、歯を食いしばって、両脚を踏ん張れ」と命令され、硬い長細い出席簿で、ビンタをもらった。また、黒板を指す竹棒で思い切り頭を打たれ、竹棒が割れたら、お前のせいだと、またそれで殴られたものだ。そんな教師をどうしたら尊敬できるのか。自分は聞きたい。いくら、民主主義にしろと言われても、精神はそう変わらないのである。人間性のなかに暴力支配の要素が存在しているのである。
発行所=〒113―0033東京地文京区本郷3-29―10、飯島ビル、小川町企画。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2020年8月25日 (火)

藤原伸久「雲を掴む」が中部ペンクラブ文学賞

 中部ペンクラブの機関誌「中部ぺん」第27号(2020年)に第33回中部ペンクラブ文学賞受賞作品の「雲を掴む」(藤原伸久)が掲載されている。同人誌「文宴」第131号に掲載されたもの。最終候補作品は、国府正明「水郷燃ゆー―長島一向一揆異聞―(「海」100号)/笹峰はやお「妖精の教室」(「彩雲」1112号)/丹羽加奈子「ミドリさん」(「じゅん文学」101号)/土岐智恵美「五年後、幻のマイタケ」(「文芸長良」37号)。  受賞作では、男性が、普通に女性相手に性的関係を持とうとすると、不能になるという状況というか、体質というか、セックスが苦手なのである。そこに、男っぽさを気取る女性に出会って、恋におちる。セックス抜きの恋愛がはじまる話。選評を吉田知子・清水良典・三田村博史の三氏が記している。Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)に関連したもので、そこがまず有力なポイントになっているようだ。たしかに、文体に勢いがあり、スピード感がある。評者が触れていないが、文体の勢いに、肉体労働をした人の気配を感じたが、経歴を見ると、演劇で舞台に立つているそうで、やはり活動的な雰囲気がでいる。これは、普通の同人誌作家にみられない味である。机に向かって、頭だけで考えた文章の平板さから脱出してることに優れたものになっている、と感じた。その他、竹中忍「同人雑誌私論―自立自尊小考」や三田村博史「第三回同人雑誌会議―報告を兼ねて」がある。面白かったのは、エッセイ・立花三郎「MEIN MENIFEST」で、なんと85歳で「共産党宣言」の本を毎年買って、読んでいるという。大内兵衛の訳が始まりだそうだ。自分も、法政大学に入学したのも、共産党宣言に触発されたからで、たしかに、名詩のようなロマンと、ヘーゲルの社会の歴史的発展段階論の要約的要素がある。良い事例を学ばせてくれた。

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2020年8月22日 (土)

文芸同人誌「あるかいど」68号(大阪市)(上)

【「アフリカの手」木村誠子】
 アフリカ旅行記であるが、ただ行ってきました、という程度のものでなく、きちんと前人の書いたものを資料に掲げ、学習教材になっている。驚いたのは、アフリかの最初のイメージが、山川惣治のイラスト付き物語「少年ケニア」ということが記されている。自分も、海外に行ったことがないが、山川惣治のファンで、マサイ族や密林の動物に対する知識は、まさに山川惣治に教わったものでる。成人になって、その後年のアフリカ民族の暮らしぶりが、山川惣治の作品で学んだものと大きく変わらず、その作品の調べの正確さに、舌を巻いたものだ。作者が自分と同世代らしいことから、読み方が変わる。ここでは、アイザック・デネーションという男性名の女性の「アフリカの日々」(out of afrik)という本と、作者の紹介がある。その解説が面白い。さらに「わたしの夫はマサイ戦士」という本を書いた長松という女性と「沈まぬ太陽」の主人公、恩地のモデルとなった小倉寛太郎、「あるかいど」65号の佐伯さんの旅行記など、そのつながりが前半部で紹介される。後半分は、作者の視点によるマサイ族の取材記になっている。本位、前半と後半は別にして作品化した方が、文学的な固定化が出来たろうと思う。コロナ騒ぎのなかで、落ち着かぬ心で読み終えた。
【「ゆうべのコロポックル」久里しえ】
 コロポックルという座敷わらしのような幻想的な動物が、日常生活の中に登用する。多くを語る余地はないが、創作手法としては、現実的現象との融合性について、説得力が薄いと思う。いろいろ疑問があるが、そういうものある時代なのであろうと、感じた。
【「ゆずるゐぬ」切塗よしお】
 家の井戸水が突然枯れる現象が起きる。同人誌小説特有のといっていいかどうか知らないが、テッセイという名の主人公の話である。しかし実質は一人称小説で、これが多層化し話の構造をわかり難くしている。テッセイは犬を飼っている。名はユズルである。良いところのない犬を譲る広告を出しているが、もとからそれほど手放したくないという心理が浮き彫りになっている。犬のユズルは、飼い主そのもので、取り柄のないさは、そのままである。いや、テッセイは遺産を相続して金があり、資産家をするのが仕事のようだ。資産家と結婚したいという女性がでてくるが、彼女との縁は失われる。そして、実在してもしなくても良いと思える人生の姿を描き、批判的にひねってみたのか。犬を手放すと決めたときに、枯れていた井戸水が復活する。どういうことか考えさせられる。

【「くるり」高原あふち】
  語り手の中心となる加奈子という女性は、父親の妹だとかいう関係の女性である。すでに突然の病で亡くなっている。ところが四天王寺にの縁日で、(夫が同行してたか)お経を何倍にもして唱えることになる転法輪を廻すと、途端に加奈子との縁日見物や、その他の交流していた世界に入り込んでしまう。読み進むうちに、読者は加奈子と共に過ごした語り手の時間を味わい、切なくしんみりとした気持ちになる。また、縁日というのも、人間がありふれた日常に、華やかさを付加する営みであり、こうした情景を選び出す作者の感覚に才能を感じる。関西人らしいあざとさを持てば、多く読者の共感をえられそうである。いわゆる日常平談的な文章で、これだけの表現力を発揮することに感銘を受けた。

(ほかの作品についても紹介記事を書いていたのだが、突然パソコン他画面に移行し、文字が消失してしまった。次の回に続きを書きます。)

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2020年8月 6日 (木)

文芸誌「星灯」第8号(東京都)

【「ココロ」渥美二郎】
 小説を書いているいる男と、その男に介護を受けてるいる師のことや、小説の名作にまつわる話などが脈絡なく語られる。自己表現の世界にひたった作品。前衛的表現で、あまり、客観性が感じられず、よくわからなかった。
【「ボクノラネコン」野川環】
 これは便利屋をしている若者の生活記。コロナの話も出てくるが、それは大した問題でないらしく、公園を破壊する仕事を頼まれるので、それをする。出来事は面白いが、書き方が面白くない。
【「弁天開帳ー志賀直哉『襖』の向こう側」島村輝】
 これは面白い評論である。志賀直哉の「襖」という初期短編があって、その詳細な解説が、一種の探偵小説的な味わいになっている。「襖」という作品は、私と友が山のある温泉宿に泊った際、友が10年前に箱根蘆の湯の紀伊国屋で自分が愛された話を語りだすところから始まるという。その時に、となりの部屋に泊っていた家族の女中の鈴という女性に、語り手が女性の好きな歌舞伎役者に似ているという理由で、好きになってしまい、彼女をよく眺めるので、彼女もそれを意識したという。或る晩、寝ている時に隣の襖が開いて、閉まったという。語り手の「僕」は、直観的に錫だと感じたが、その後何事もなく、しかとした事実はわからないで、過ぎた。それきり鈴と会うことがなかった。その翌年、歌舞伎座に行ったときに、隣の桝に宿で隣にいた家族にあったが、鈴の姿はなかった。奥さんと通路ですれ違ったが知らぬ顔をしていたという。その出来事の材料のひとつひとつの検討してしくと、それが当時は、表沙汰にしなかった同性愛者に関する物語である可能性を分析していくのである。志賀直哉の文章とその題材のさりげなさのなかに、深い意味が込められて作品になっているという説。まるで、カフカの短編について、作品より長い解説がつく事例のように、細部にわたる追求がある。そして、それを志賀直哉が「小説の神様」とされた所以に位置づけるのである。そうであるとすると、じつにもっともであるな、という説得力をもって読者に迫るものがある。作者の知見の広さに敬服。
【「一九一八年米騒動と戦後小説(下)-堀田善衛『夜の森』と城山三郎『鼠』をめぐって」大和田茂】
 それぞれの作家の作品は読んでいないので、大変面白く勉強になった。堀田のシベリアの話や、城山の鈴木商店の執筆の姿勢などが、よく伝わってくる。自分は、経済学で恐慌論を読んで、鈴木商店について調べたことがあるが、このような視点では知らないことばかりだ。
【「3・1独立運動100年の韓国への旅」金野文彦】
 現在、韓国政府の基本的な方針変更によって、日本でも感情的な作用が緊張感をもって受けとられている。そのなかで、人間的な交流を望む姿勢からの旅行記になっている。政府同士の感情操作とは別に、人間的な交流を大切にする思想が、言外に表れている。
【「津田青楓と河上肇ーー夢破れて山河あり」佐藤三郎】
 これも面白い。ここで、転向論が出てくるが、現代では、別に不思議な行為ではないのではないか。権力に負けてその場で従うのは、当然のことという意識になっているのではないか。
【「山小屋の文学散歩ー池波正太郎、井上ひさし、藤沢周平」本庄豊】
 作家として自分も書くという立場から、ベウトセラー作家の作品と人生を短く解説している。面白かった。
【「『健全なセックスワーク』はあり得るのか』紙屋高雪】
 変わった発想からの問題提起で、何のことかと思っていたら、マルクスやエンゲルスが考えた、夫婦家庭と結婚外などの関係の定義を現代の性風俗業にあてはめて考えたものであろうか? マルクスが個人と社会の意識の異なる状況では、その実際は予測不可能といったことを思いおこした。
 【「『日本文学史序説』をめぐってーー加藤周一論ノート(7)」北村隆志】
 この辺になると、国文学の分野であろうが、自分は無知なので、よくわからなかった。マルクス主義の上部・下部構造論が根底にあるらしいが、とにかく、海外に向けた日本文学の解説であるらしい。
発行所=〒182-0035東京都調布市上石原3-54-3-210、北村方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年7月26日 (日)

文芸同人誌「文芸中部」114号(東海市)

【「あの日」蒲生一三】
 あの日とは阪神淡路大地震のことである。その日の夜、「俺」は眠っていて、布団の上に家財道具が倒れてのしかかり、身動き取れない状態から、助け出される。救助隊の様子や、母親がまだ奥に主人がいます、といったことで、父親が埋れていることをしる。やがて父親は、血にまみれ命なくして運び出される。いまになってこのことをリアルに描き出せるのであるから、被災者のトラウマの重さを実感させる。かつて消防団にいたことや、様々な過去を思いおこす。そして、ある日、夜うなされていたことを妻から教えられる。その日は1月17日、あの地震の日だとわかる。トラウマはさまざまな形で心を犯すが、いうに言えない一つの事例として、うまく表現している。そうなのか、と感慨を呼ぶ。
【「月は東に陽は西に」和田知子】
 紹介は省略しようとおもったが、感想を述べる。話の芯が斜めに移動するので、何が最大の問題なのか、わからない。登山仲間の山田の滑落が一番のテーマなら、そこに的を絞るべきでは。問題提起をならべて、書きたいから書いたでは、受け取り方に困惑する。
【「あなたにおまかせ」浅岡明美」
 なるほど、そうなんですか、というのが読後感。孝也という男ががんで死んでも、読者には心に何の波動も起きないのである。
【「影法師、火を焚く(第15階・第2部の3」佐久間和弘】
 全体像を不明であるが、部分だけでも読ませる話の運びである。エロい表現もあるが、これこれで時代に合った表現で、乾いた語り口に関心した。末尾には、調べて参考にした資料本が記されている。それだけのことはある。
【ずいひつ「シューベルト弦楽4重奏第一五番」堀井清】
 毎回、音楽を聴く話と、現代文学作品の解説が合わさっている。今回は、第162回の芥川賞受賞作「背高泡立ち草」(古川真人)である。
【同「『東海文学』のことどもkら(7)」三田村博史】
 かつては文壇というものへの登竜門が同人雑誌であった。そのころの三田村氏が文壇に上るのにその門に梯子をかけたがまで行ったような逸話がある。不運なのか幸運なのか、現在の立場にいる話である。面白いし勉強になる。
【「雨だれ」西澤しのぶ」】
 洋樹という息子がピアノを愛好しながら成長し、その間に夫がギヤンブルで、身を持ち崩し離婚する。なにがテーマ考えてもわからない。ダメな読み手です。
【「東亰(とうけい)を駆ける」本興寺更】
 江戸から東京にならい、武士という戦力が不要になって、大変な時代があって、その時期の人々の苦労が描かれる。調べが生きて、大変に勉強になる。そして、何よりも作者と作品の間にきっちりとした距離感があることだ。同人誌の作家に、作者との距離感がないと指摘するとよく反論される。反論しても無駄である。ないのであるから。
【「もうひとつの日常、または旅」堀井清】
  ちょっと不良の老境の男が、街でみかけた中年女性をナンパする話からはじまり、それぞれ登城人物の孤独と世相をあぶりだす。括弧のない会話のスムースな落ち着いた文体で、どこまでも読みてをひっぱてゆく。こういうものがあると、文学愛好家の友人に読ませたい気にさせるが、その友人は故人となってしまった。

発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年7月16日 (木)

文芸同人誌「海」第二期第24号(太宰府市)

【「ターミナル」高岡啓次郎】
 大手通信社に長年。勤務し、結婚し家を建て、順調な人生を送ってきた「俺」。それが突然、子会社への勤務を命じられる。希望にあふれて過程を持ったが、子供ができると、妻の立場は強くなり、俺の思うようにならない。そうした環境のなかで、ヒッチハイクをする青年ルイスに出会う。フランス人でゾンビのパフォーマンスをする芸人である。彼の悲恋を語ることで、情緒的な雰囲気の形成には成功している。小説の執筆には手慣れたものがあり、作者の書く楽しみぶりは理解できる。
【『平家物語』ノート(第1回)赤木健介】
 日本の古典であるが、冒頭部分の祇園精舎の鐘の音のが、仏教の経典からきていて、全面的な創作でないことを記す、このことで、平家物語が、人々のその時その時の語り部が、語り継いで変化してきた物語であることが、暗示されている。章によって表現力の変化があるので、その事情を分かり易く知ることが出来たら面白いのではないか。
【「隣接地」有森信二】
 父親の遺産の土地や家について、隣接地と独特の交渉をして、通路使用について、うまく調整してきたものが、現代になって、領地争いが深刻にる、相続者がそれに困惑する様子を描く。よくありそうなことなので、同様の体験者に興味深いかもしれない。しかし、語り手が利害を離れた立場であるので、事実経過話に終わっている。実は、じぶんにも似た体験があって、その相続した土地が、借金して銀行の担保になっていたのがあとからわかった。しかも相続人が5人もいた。銀行は長男の私が全部担保を引き受けるという約束だったという。各相続人が300万円払わないと土地担保は没収するという。各相続人は、遺産をもらえると思っていたら、300万円出すなんて、あり得ないと怒ったものだ。そのうえ土地の隣接人が8人もいて区画整理をするのに大変だった。人間欲が深い。そんな体験があるので、興味深く読んだ。自分の場合、借金と父親の出費してる信用金庫、大手銀行の貸しはがしの時代。結局あの手この手で、結局土地資産は失わず、兄弟姉妹に何百万かの資産分割ができた。その事情は彼らに話していないいので、棚からぼたもち相続としか思っていないし、その事情と苦労を小説にする気もない。
【「エゴイストたちの告白ー第2話ー貴腐薔薇」井本元義】
 とにかくロマン派の趣味で、早読みできない。じっくり書いているが、根本が日本人精神ではないので、バタ臭さがある。神の存在した時代の魂に触れる精神を、日本的なものと結びつけるモダンな試みかもしれないが、この辺で仕方がないかと思わせる。
【「キャピタゴンα」河村道行】
 身の回りの出来事を縷々と語る独白文体で、読みやすいが、それに慣れ過ぎて、内容の重さが均等になっていて、途中で退屈する。書きやすいいスタイルを開発するのは、素晴らしいが、それなりに文体に合わせた構成の工夫が必要なのではないか。
発行所=〒818-0012太宰府市観世音寺1-15-33(松本方)。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

 

 

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2020年7月11日 (土)

文芸同人誌「私人」第101号(東京)

 4月発行とあるのに、なぜかいただいた同人誌の積ん読の中から見つかった。遅まきながら紹介しましょう。
【「古井由吉追悼」-傍観録40」尾高修也】
 これで、思い出した。本作を読んで、納得して、紹介文を書くのを忘れていたのだ。筆者は古井と高校生時代からのお付き合いだったという。古井の50代ころの作品「背中ばかりが暮れ残る」の解説がある。私小説の部類の作品だそうだ。その解説をよく理解できるように、わかりやすく解説があるので、なるほどと納得する。古井由吉の特徴として50代後半の頃から、隠居に近い老人の立場を「老耄」として描く作風であるという。なるほどと、思った。自分は若い頃、古井という人は、ドイツ文学者でムジールの研究者というイメージしかもっていなかった。その当時、団塊の世代を対象としたオーディオメーカーのマーケティングを支援していて。機関誌記事を寄稿していた。そんな時に、モダンジャズの好きな担当者がいた。彼が、自分にモダンジャズの愛好者が芸術志向が強すぎるなかで、こんな文章で何かアピールできないか、と渡してくれたの芥川賞受賞作などを載せた短編集だった。非常にマニアックな、感覚的表現に優れたものであった。自分は、マーケティングのコピーライトは、手垢がついたありふれた表現をもって、新しさを生ますのが定石のようなもので、それは難しいといったことがある。純文学もモダンジャズも感覚的な芸術性を追求するがゆえに、大衆性を失って、マニアックな世界でしかない、と答えたように思う。
【「アンビルド」えひらかんじ】
 建築設計の世界で、設計デザインはすぐれているが、構造が建設に費用がかかりすぎるので、実現しない設計のことらしい。構造デザインに優れた新人の設計がアンビルドに終わってしまういきさつを描く。建築専門分野の小説として、優れた作品のシリーズを形成している。
 その他の作品は、よく書けたものがいくつかあるが、どう紹介していいかわからないものが多かった。
 発行所=新宿・朝日カルカルチャーセンター。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年7月 3日 (金)

文芸同人誌「海」101号(いなべ市)

 本誌の発行日をみると、5月20日である。遠藤編集長のあとがきにも、コロナ禍の話が出ている。最近は、東京の感染状況や対策が、まるで全国に波及するようにメディアで騒いでいる。しかし、別の地域では異なるのではないか。なにか、都知事選挙などの政治利用の感じがして、面白くない。
 本号の大きいテーマでは、「追悼・青木健(1944~2019)がある。略歴では、自分より2歳若い。1984年に新潮新人賞を受賞し、その後、小島信夫文学賞選考委員もし、2014年には文芸誌「季刊文科」の編集委員をしていたという。近代文学の専門家が亡くなるのは寂しい限りである。自分のような年寄りの馬の骨が、のめのめとこんな感想を書いても、何の役にもたたないが、コロナで合評会ができないというから、一読者の感想として、しばらく作業続けよう。
【「晒されて、今」宇佐美宏子】
 叔母が96歳で亡くなって、語り手が、彼女の人生をたどって記す。題材は重く、戦時中に看護婦であったのが、いつの間にか従軍慰安婦として、純潔を奪われた生活を送る。そのために、自己の肉体をけがれた存在として、結婚しても夫との夫婦の営みが失くして、終わったという話。涙が出るような切ない話である。創作系なので、今後、この作品を書くにあたって、搾取がどのような事実の探索や創作にするための工夫を行ったかを、ドキュメンタリーとして、レポートするものが欲しいものだ。
【「逆耳」国府正昭】は、ある日、目覚めると右耳が聴力がなくなっているのに気付く。耳鼻科にいくと、治らないという。それ以来、断片的な幻聴が聞こえてくる。冒頭に、老人がス―パーで、買い物をするのを挙動不審に見える描写は味があって面白い。しかし、幻聴はの断片はその解釈が難しくわからなかった。それより、同氏のエッセイ「『阿蒙』の反省文(古事ことわざ編)」で、短編集の著書を演劇かする高校があって、その脚本の苦労話の方が、読者として、ずっと面白かった。有意義な文学活動だと思った。なかで、小説なら「と、思った」と書けるが、脚本はそれができないから、大変だという主旨の話があった。「と、思った」というのは、小学生時代に先生から、「作文をおわらすのには、書いた出来事をどう思ったか、書けば終わりになる」という指導を受けた記憶がある。それいら、そういう表現があると、作文とするようになった。舞台劇、作品と作者との距離感が理解できる。
【「台風」宇梶紀夫】
 地球温暖化による、洪水と水害の被害は、どこの地で身近なものと、なっている。それを小説化しており、行きつくところが予測できるが、根気よく描く作業に敬意をもった。ただ、こうした現象は、国土交通省のこれまでの治水対策に不足があることがわかってきており。自治体の対応策に対する警告になるのではないか。
発行所=三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

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2020年6月24日 (水)

文芸同人誌「奏」第40号(静岡市)

【「評伝藤枝静男(最終回)」勝呂奏】
 藤枝静男の作品は、幾つか読んでいたが、作家としての生き方と作品の関係については、知らなかった。大変参考になった。とくにこの最終回では、純文学の職業作家の晩年をどう過ごしたか、が詳しく説明されている。年齢77歳頃から藤枝の作風が、高齢化による創作力の衰えにどう対応したかがわかる。面白いことに、藤枝は56才の頃に、老人となり、ポンコツ化しているというようなことを、言ったり書いたりしているということだ。老齢化を意識しながら、職業作家として、読者や文壇の友人、評論家の視線を意識しながら、創作を続けていたことになる。これは、藤枝が職業作家として幸せに過ごした、という具体的な事例整理をもって、示しているように読めた。本評論で自分が理解したことは、藤枝静男という作家は、本質的に自己評価に関し、否定的な発想と肯定的な発想の間を、往復していたということ。志賀直哉に対する畏敬は、彼の我儘な生き方は、自己肯定の手本であり、同時に自己の存在のあるべき姿(その我儘ビジョンは不明)に至らない不満の自己否定的な発想が、藤枝の存在基盤になっているのだな、ということである。文壇人物交流で、難病に悩まされながらの作家・笙野頼子との関係なども、解説されている。こういうのを読むと、作家の世界はこんなものと思うかもしれない。だが、そんなことはなく、特別に恵まれた作家世界の話であろうと思う。だが、一般人の人生のあり方として参考になる。
【講演録「芹沢光治良と川端康成―それぞれの文学」勝呂奏】
 こういう作家的比較文学論というのは、すでに優秀な先人の著書があるようだが、自分は知らない。講演などはなかなか聴く機会がないので、大変に有益であった。川端はともかく、芹沢光治良という作家について、自分は長寿作家で、独自の文学な作風で、川端ほど近代文壇的な地位は高くないのだろうと思っていたが、そうではないことに驚いた。また両人の交流と、立場の共通点では「孤児」的な側面があるという。先の藤枝論と、本論は面白くて読み通してしまったが、こうした面で、双方の作風にくわしくなく、適切な紹介ができないのが、残念だ。そうした自分のような読者には、啓蒙される。
【「小説の中の絵画。第12回『白描』覆われた少女の肖像画とワルワーラ・ブブノワ」中村ともえ】
 自分は、岩波だかの石川淳全集を持っていたが、転居のおり処分してしまった。主人公金吾青年の話を、ここで読むとは思いもかけず、変化球作家の読者がいるのところにはいるものだと、驚いた。
 【「女たちのモダニティ④-中里恒子『乗合馬車』ー国際結婚と混血」戸塚学】
 いま、自分が高校生時代に活躍し、晩年、中年のロマンス小説で話題なった中里恒子とは、驚いたが、まるで知識がなかったことなので、面白かった。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


 


 

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