2022年6月29日 (水)

文芸同人誌「海」第105号(いなべ市)

【「”私“たちの物語―ポリフォニック・ストーリイズ」国府正昭】
 心療内科のあるビルが、患者の石油による放火により、医師はもとより30人を超える人達が死亡し、犯行の患者も死亡した事件を思い起こす。ひどい事件だという「私」は、自分が心療内科に通うことがあった。それでも、会社勤めをつづけ、現在は定年後に再雇用されている。息子や娘は自立し、遠隔地にいる。奥さんとの二人暮らしだ。その「私」が、幻覚意識のなかで、“彼①”の犯行時の体験をする。さらに、“君A”の役所の対応のクレームぶりを、その他、盗撮男などの犯罪を目撃する。そんなところに、自分の過去の後ろめたい出来事のいくつか場面で発した言葉が、甦って明瞭に聞こえてしまうポリフォニー的という病にかかる。人生の晩熟期に入り、無意志に過去の未熟な行為に、意識が向かう様子が、高齢者層のひとつの要素として描き出されている。作者の別項目の「エッセイ」欄には「私の『今日行く問題』」と題して、同人誌作家としての、文学的な精神の課題を記している。
【「ある犬からの手紙」中村久美子】
 ペットして飼われ、愛情と虐待を受けて死んだ犬が、なぜこのような目に合い、受けた愛情と虐待の矛盾を問いかける。これも日本社会のダイレクトな鏡である。
【「陽気なピクニック」宇梶紀夫】
 大学生の秀夫がアルバイトで、精神病院の病室巡回をする宿直をする仕事を紹介される。
秀夫という外部の人間から見つめた日常というような院内の状況のなかで、マキという患者との交流が語られる。安定剤の服用で、患者たちは平和な生活を送り、ピクニッニックを楽しむ話。自分には、肉親に精神病院の入退院をくりかえし、病院も変えたりしていた者がいたの、こんな病院もあるのか、珍しいような感じであった。
【「子猫の居場所」川野ルナ】
 思春期の女性の微細な神経を描いたもので、こじんまりした主張が感じられる。
【「虫の譜-むじひー」山口馨】
 昭和時代の前期から、戦後の後期まで行くぬいた女性の人生を描く。昭和の時代の紆余曲折が良くまとめられている。
【「交錯のとき」安部志げ子】
 家庭生活の一部を題材にしたもの。書こうとする出来事の問題意識はわかる。ただし、表現の形式は、常套的なもので、かつては巧いとされたものだが、現代性が同期していない気がする。
〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-2、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2022年6月 6日 (月)

文芸同人誌「弦」第111号(名古屋市)

【「ミューズの贈り物」長沼宏之】
 1975年に県立勝沼高校に、日本では、人気のムードミュージックのフランスのポール・モーリス楽団が予告なしにやってきた。楽団は毎年日本で公演を各地行い、いつもどこでも満席の人気であった。来校した楽団の目的は、日本の高校生たちとの親善であった。同時に、養護学校出身で、音楽的才能のある厚子の存在を見いだしていた。彼女が才能を伸ばし、音楽家として社会的に認められ、結婚して家庭をもつ。ポール・モーリスとは文通があったが、生活の中で音信が途切れるが、あるとき、フランスへの招待をうけ渡仏する。そこで楽団員との交流をするが、楽団はフランスではあまり知れていない事実を知る。その後、帰国してから何年もたってから、モーリスに頼まれたという人を介して、彼が厚子と同様に貧しい境遇から、小さな楽団からを日本を軸に、人気楽団へと成功させた事情がわかる。ポールが亡きあとも、厚子は還暦の身で、国内で音楽の楽しさを世間に広める活動をしている。実話を元にした話のようだ。こうような音楽文化の交流には、米国のエレギター楽団、ベンチャーズがある。米国では、忘れられた後でも、日本では何十年も人気楽団として、存在しつづけた。これは、日本人の文化感覚は、世界の文化の範囲と似ていても、異なる部分があるということがわかる。
【「記憶の器」小森由美】
 癌と診断された「私」は、血液検査の結果を聞くため待合室にいる。2年前にはこの病院精神科を受診している。夫の急死のあとで、その一年前に娘を亡くしていた。夫は病死だったが、娘は自死だった。そして、他人事と持っていた事柄である「家庭の不幸」を身をもって体験する。いろいろ思いめぐらし、自分が「記憶の器」として存在していることを思う。まことにシニカルな視点であるが、それだけに読ませる苦労話である。同人誌であるからこれでやむを得ないが、本来の文学的精神は、器としか感じない「私」の心理を描く方向にある。ランボーは、「傷つかない心というものを誰がもっているというのか」ということを意味する詩を残している。
【「耳」門倉まり】
 三十代の頃、法政大学の文学部の通信制で学んでいる時に、幻聴がきこえるという佐藤君と知り合いになる。その話のなかで興味を持ったのは、自分が法政大学の「資本論」研究ゼミナールに所属している時に、教授から合宿に参加するように言われた。当時から、生物学部生の「種の起源」(ダーウイン)読まず、マルクス主義者の「資本論」読ます、と言われていた。自分も、学生運動家の理屈を聞いても、マルクス・ヘーゲル知らずに意味もわからず共産主義や社会主義を支離滅裂に論じるのに、あきれかえっていた。たしか、二、三泊で東北の旅館で合宿をした。時期的に推察すると、この話は、その後のことになる。女性作家は、中沢けい氏のようだ。自分の頃の教養の文学講師は長谷川四郎であった。「資本論研究会」の合宿の時、いやに参加者が多いなと思ったら、通信制の学生が、単位を取るために合宿に参加してきたのである。このころまで通信制があったというのには、驚かされた。いずれにしても、この時代の自分の周囲の学生たちは、学問追求型が少なくなかった。この時代の佐藤君のような変わり者の存在を認める鷹揚なあったことに懐かしさを感じる。
【「とりあえずの場所」木戸順子】
 純文学的な表現法に徹していて、巧い作品である。ただ、純文学はつまらない話をつまらなく書くものなのだと、感じた。なんとなく、プルーストの作品の一部のようなスタイルなのかとも思える。
【「天蚕糸」白井康】
 江戸の寛永5年(1626)鳴門海峡の南に「うちの海」という入り江があるーという書き出しである。ここでは、これまでの釣糸では、鯛を釣り上げるのは難しかった。それが、音吉という男が、天蚕糸を使うと、丈夫で糸が魚に見えないので、良く釣れることを発見する。知らないことばかりで、興味深く読んだ。時代考証に詳しいらしく、力作である。ただ、ドラマチック性の薄い淡々とした語りが、物足りなさを感じさせる。
【「聖夜幻想」杉山千理】
 聖夜と真帆の生きざまが描かれる。同人誌作品にはめずらしくオチがあるので、楽しめる。
【「姉のこしてくれたもの」国方学】
 姉がなくなってから、遺品のゴミのなかに一億円が入っていた話。
発行所=「弦の会
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

 

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2022年5月18日 (水)

文芸同人誌「季刊遠近」第79号(横浜市)

【「祭りの場」花島眞樹子】
 小説として、形式と内容のバランスが一番良い。夫が病んでいるが、医師から余命いくばくもないと告げられているが、「私」はそれを夫に知らせていない。夫の病室から窓の外を眺めると、赤とんぼが群れている。この冒頭のところは情感表現に切れ味がよい。その夫が手帳に日記を書いているのだが、そこにチャーリーという名が出てくる。その名について思いめぐらし。倉原千恵という女性を夫が好きで、現在も交際している痕跡ではないかと、思い当たる。「私」の嫉妬心の自意識や、その経緯が語られる。そのなかで、「私」は、子どもいて夫と安定した家庭で暮らしきた過去から、夫婦愛とはなんであるが、という内心の問いかけをする。その表現に文学味があって実に良い。そして夫は亡くなるので葬儀をするのだが、そこでの花輪を飾る儀式のなかで、それを夫への祭りとも感じてしまう。たしかに、人は祭りのなかに死を内包させているのだということをしみじみと感じさせた。
【「逃げたカナリア」難波田節子】
 話の素材は、子供の頃の、逃げたカナリア話である。時代は場所は読んでいて読者の想像できるようになっている。あまり面白い話ではないな、と思いながら読んでいたが、隣のカナリア逃がしてしまった「私」の気持ちが、地味ながら伏線となって、結局面白く読んでしまった。子どもの心理を大人の視点で描いて、成功している。
【「屈託」浅利勝照】
 出だしは好調で、興味をもった。が、ちょっと思惑とは外れて、言いたいことは、このことかと、読後わかる。居酒屋にいるときに、知らない男から、村の婿だろうと言って、悪口を言われるとこるなど、その村ってどんな村、と驚かせられた。そういう話の運びが面白かった。
【「フォト・ピストル」香山マリエ】
 トオルという幼なじみと、「私」は年月を経て会う。お定まりのパターンであるが、それしかないのは仕方がない。文章の出だしは開放的で期待させる。構成も理解できるが、トオルと「私」の関係がごたごた書き過ぎ。物語を考えるときには、構成と登場人物を持ち出す。長編でないのだから、どこかに個性にあるところを印象的な人物とし立ち上がらせねばならない。ここでは、「私」が高校に入学した時に、トオルが<○○高校にいったのか、もっとましところにしているかと思った>と「私」を見下したようにいうところがある。この場面を「私」とトオルの人物像立ち上げる軸にする。あとの雑事は簡略化した方がよいと思う。
【「引きこもり将軍」逆井三三】
 足利義政と義満、義持の帝王ぶりを、現代の感覚で受け止めた、珍しい歴史小説である。なるほどそうか、と思うところがある。
【「道の空」(七)】藤田小太郎】
 その時代の事情は、米国との外圧から抜け出そうとした後であると思う。明治天皇のもと、近代日本として完全独立していた時代。根底に独立国と従属国の基本精神の違いがにじんでこないのが惜しい。教科書を読む史実はのようで、現代性が薄い。
【「同人雑誌放浪記(一)」藤田小太郎】
 文芸同人雑誌に二流や三流があったなんて、全く知らなかった。ほかにどんな同人誌があるのか、一流や四流のちがいもあったのだろうか。面白そう。
発行事務局=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7。江間方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2022年5月12日 (木)

文芸同人誌「文芸中部」第119号(東海市)

【「クローゼットの中の家族」北川朱美】
 ある日、井口直子が家に帰ると5日前からいなくなった飼い猫の死体が、ダンポール箱に新聞紙にくるまれて、送られてきた。中に手紙が入っていて、道端で車に轢かれて死んでいたのを見た人がいて、首輪に書いてあった所番地を見て、送ってくれたのだ。その後も、直子のペットロスの気持を慰める手紙が来る。見張られているようなのだ。スリリングな出だしなので、大衆的な読み物かと思ったが、必ずしもそうでなく、ストーリーの設定など、一筋縄ではいかない話になっている。この猫の事故死の話には落ちがあって、30年前に子供が事故死した経験のある老人が、ストーカー的なことをしていた、というもの。それに付随して、その老人の悲しみを純文学的に描く。いつまでも、こだわりを持ちつつ生きた老人の姿が印象に残った。
【「ベルリン夢二式」西澤しのぶ】
 竹久夢二が欧州で何をしていたのか、謎めいた部分を小説している。なるほど、そういうこともあったかもーーと思わせる・
【「二色の瞳」大西真紀】
 母親から、亡くなった祖父の飼っていたツキという犬を引き取る羽目になった話。真面目にその後のことを語っている。題材はいいが、語りに面白さが少ない。そこが残念。
【「曼珠沙華」朝岡明美】
 梶浦亮介という男の身の上話。自分は純文学通でないので、これしか感想が出ない。通俗小説なら、人物が立ち上がらないというところだろうが、それも本作に当てるのは的外れのような気もする。
【音楽を聴くー88―バッハ「ゴールドベルク変奏曲」堀井清】
 音楽の話のほかに、最新の文学動向についての感想がある。読者としてついていけない側面を指摘する。全く同感であるが、もともと個人の趣味の多様性から、仕方がないと思う。
【「東海文学のことどもから(12)」三田村博史】
 これが一番面白い。「東海文学」が同人誌の枠を超えて中央文壇と接近していた時代の事情がよくわかる。また、作家・吉村萬壱氏らしき人の地域的親密さ、現在活躍の同人の過去など、なるほどと理解する絵解きにもなっている。
【「千の五年」広田圭】
 時代小説で、江戸にコロリ(コレラ)が流行り、治安が乱れて、打ちこわしの「いいじゃないか」連を装って、米問屋からコメを盗む連中が連続して跋扈する。それを与力の山の井が解決する話。話にスピード感があり、娯楽小説として良くまとまっている。良い出来だと思う。
【「花泥棒」堀井清】
 老人の余生を描いて、その心理を浮き彫りにする。リアルさよりも話の流れと問題提起で、考えさせる作品。相変わらず巧い短編である。俗にいえば、暇つぶしに困った老人が、似たような境遇の友人から万引きをしようと誘われる話。人が生きるには、何らかの欲望を持つことが必要で、そのひとつに万引きの緊張感への快感があるということか。
発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年4月29日 (金)

文芸同人誌「澪」第19号(横浜市)

【『雨月物語』「クラシック日本映画選―14―」石渡均】
 読者として一番面白く読んだので、最初に紹介する。溝口健二という映画監督は、小津安二郎と並んで、なぜか世界的な評価が高いという話を聞いたことがある。その具体的な理由をゴダール、トリフォー、タルコフスキー、コッポラなどの海外映画関係者の名を上げて説明している。自分は、新藤兼人の溝口健二論を読んで、映画人の芸術志向精神の凄さというか、特異性を知ったことがある。それ以外に知識がなかったので、興味津々で読んだ。溝口の「女に背中を切られるようでなけりゃ、女は描けません」というのは、新藤兼人の話にも出てくる。脚本家の依田義賢の名から「スターウォーズ」の「ヨーダ」の名が生まれたなどという逸話にも驚かされる。溝口と田中絹代との関係も、取り上げられている。そして、日本の名監督たちが、なぜ西洋映画人に高く評価される理由も評者の石渡氏が指摘、制作ぶりを検証している。これは新藤兼人も触れなかった視点とポイントであろう。いずれにしてもその時代だからこそ作られた逸品の解説として優れているように思う。映画「雨月物語」などは、BSTVで再放送してほしいものだ。
【「緊急報告・羽田低空飛行路の悪夢(4)」柏山隆基】
 本論は、哲学的な視点から、羽田空港の民間航空機の航路変更の被害を形而上学的に表現しようとするものらしい。ただ、羽田空港に遠くない住まいの自分にも、現実的な被害がある《参照:東京の空と日本の空=無関心ではいられない建て前と現実》。この問題の本質は、戦後の米国占領政策の延長である、米軍との非公開の日米合同委員会での決定から発生してるようだ。横田基地の米軍「アルトラブ」の存在が根本問題のようだ。筆者は哲学者のようで、フッサールやハイデガーなどの存在論と認識論ン展開がある。自分は、金剛経座禅道場に入門した時期があった。そこで、自己認識として、存在物が姿を変えるというのは、実態がない存在〈空〉の世界にいるからだーという理屈を考えたものだ。あまり理解されそうもないが、マルクス・ガブリエルの「新実存主義」論を読むと、だんだん自分の認識の方向に近寄った発想が生まれているのだと、感じている。
【「君が残したウインドーズ」小田嶋遥】
 出版関係者同志には、仕事での繋がりが切れたあとでも、交流がつづくことがある。これは、パーキンソン氏病にかかった物書きの私と写真家らしい「キミ」とのパソコンのメールを通しての長年の交流を描いたもの。私の語りの手法が、キミの海外からの便りを挟み、二人の時間と空間の広がりを強める印象を残す。非常に個性的で、メールを通しての情報を効果的に生かす発想に感心した。病の進行で、先の見えるような立場を私小説風に設定しながら、現代的な特徴をもたせた短編。
【「川の二人」衛藤潤】
 月華川という川の近くに住む「ふうか」という姉とこれから中学生になる健太郎という弟の生活ぶりを描く。川が氾濫する警報が出ると、酒飲みの父親にせかされて、近くの体育館に避難する話などが語られる。健太郎の父親と母親は離婚したらしく、「ふうか」母親と暮らし、健太郎は父親と暮らしている。町の浸水がかつての事件から、日常化した気候変動を取り入れ、現代性を反映している。「ふうか」の肢体の描写に力を入れ視覚的な面から、登場人物の存在感を強めるのに成功している。物語の視覚化と言えば、映画とコミックであるが、純文学をその方向に導く意図があるような感じもして、興味深かった。
 その他、写真家の作品があるが、HPの作者ブログ各氏のものが見られるので、味わってほしい。
発行所=文芸同人誌「澪」公式サイト参照。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2022年4月16日 (土)

文芸同人誌「駱駝の瘤通信」第32号(郡山市)

【<扉の言葉>「ワクチン接種」-社会のため?」五十嵐進】
 毎号、社会の動向に問題提起をする言葉が、簡潔に記されている。ここでは、NHKの「日曜討論」で、ワクチンに関する討論で、音喜多俊議員(日本維新の会)が、「(ワクチン)を接種することは子ども自身のためというより社会のためという側面がある」発言されたそうだ。その議論はスルーされたことへの、意識の低さを指摘している。ここで五十嵐氏が指摘するのは、自分自身のため、その延長として自分の子どもへの親の判断で、行われている筈であるという論理が展開されている。たしかに「社会、会社、家族のため」という論理は、個人の自由を抑圧するものがある。こうした発想の先には、国家のためという論理につながってしまう。国家というのは、国民と称して構成員を全体化する概念である。国民より優先する存在になる。しかし、われわれは諸国民の一人であり、その権利を維持するために、国家を形成する。政府の言う「国民」と、諸国民としての個人を優先する発想の違いを考えさせる。
【随筆「ハンセン病雑感―三―②」武田房子】
 ハンセン氏病にかかわる「韓国訪問記録」で、現地の雰囲気が表現されている。
【「農をつづけながらーフクシマにてー“22年早春『情報開示請求―野池元基氏の仕事』」五十嵐進】
 本作で、野池元基氏が、国策として福島原発事故の復興のために、広告代理店「電通」が、国民の所得税から徴収しつづけている復興税のなかから、どのような使い方をしているか、という実態を「情報開示請求」で問題を明らかにしている。動画(YouTube)であるので、それを五十嵐氏が、なぞる(文字おこし)ことをしたものである。ネット動画の文字おこしは、自分も幾度か挑戦したが、これほどきちんと出来たことはない。その価値を考えて、暮らしのノートITOに転載させてもらう許可を得、掲載することにした。《参照:野池氏の「情報開示請求」(1)「駱駝の瘤通信」で五十嵐氏の解説》。当初は、一部抜粋にしようと思ったが、世間的に分かりやすく記されているので、区切りを入れて連載し、全文掲載することも考えている。電通は巨大であるため、子会社、別会社さまざまな組織をもっており、その全容は、なかなかわからない。ただ、施政者が「オリンピック」や「国民投票」などのような、国家総動員的な方向を打ち出すときは、巨大組織を活用しようする。原発事故の「心の汚染」をするなどは、その一部の活動に過ぎない。さりげなく、生活のなかの心のすきまに自然に入り込んでくる。だから広告代理店なのである。
【「福島の核災以後を追う(七)―2021年9月から22年1月までを中心に」澤正宏】
 ロシアのウクライナ侵攻で、原発施設がチョルノービリ(チェルノブイリ)原発をロシア軍占領し、事故原発の危機管理について課題が見えてきた。国内外の原発動向を記録した労作である。
【「服部躬治関係書簡6続々―自転車に乗るより江」磐瀬清雄】
 服部躬治(1875-1925)は、福島県出身の明治-大正時代の歌人で、新派和歌運動に活躍したらしい。
発行所=郡山市安積北井1-161、「駱駝舎」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年4月 7日 (木)

文芸同人誌「詩と眞實」4月号―第874号(熊本市)

【「河口の見える理髪店」宮川行志】
 日川太助は、半年前に妻香代の実家「向こう堤」というところに帰ってきた。その土地は、明神川という河口の堤防の上に、ポツンと理髪店が見えるところがある。河口の地形と、その理髪店の看板の大きさと、主人公の顔の怪我による傷の大きさについてが、話の軸になる。この取り合わせは面白く、風土の様子も関心を惹きつける。それは良いのだが、話に無駄が多く、小説的な物語性に欠ける。文章は良いが、語りの手順が悪く、下手というしかない。題材や状況設定はよいのだから、それなりに工夫が欲しかった。内容は充実して、理髪で、髭を当たる場面など、細部は文学的表現で優れているのに、もったいない感じがした。
【「遠野幻想/老人と夢――第5回(19~25)」戸川如風】
 これは、体験の多さを、想像力でさらにふくらまして、長い話になっている。とても面白い。ちょっと枯れていて、社会意識から離れているが、純文学そのもとして、良くまとまっている。完成度は高いのであるが、俗的な物語性が、地味なので理解者は少ないかもしれない。機会があれば、何かの拍子にヒットするかもしれない。
【書評「『輝ける闇の異端児アルチュール・ランボー』井上元義著―ランボー没後130年を経てなお著者の魂を揺さぶる熱い思い」寺山よしこ】
 対象の著作は「書肆侃侃房.」から刊行されており、なかなか品格の高いつくりで、自分は今でも細部まで読み終わっていない。ここで評者はランボーに打ち込む才人・井上氏の心情を推察したり、ランボーの生活の解説などを短く的確に表現している。作者のランボーの存在感の強さへのあこがれの様子。それに魅せられた詩的世界の心情をよくまとめている。
発行所=〒862-0963熊本市南区出仲間4-14―1、今村方、「詩と眞實」社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2022年3月21日 (月)

文芸同人誌「果樹園」第38号(豊橋市)

【「香佑」そら いくと】
 本作は寛永16年の時代に、外国宣教師か、その一行の誰かの白人系の男を父に日本人の母親から生まれたらしい香佑(こうゆう)という女性の運命を、島原キリシタン天草騒乱に巻込まれるという設定の時代小説ある。末尾に、「後記」として、マニエール・ポンセというペンネームで日本人の同人が書いていたものを、作者が執筆できなくなったので、そら いくと氏が、継承執筆したものとある。如何にも、同人雑誌ならでは発想の作品である。その手腕と、努力はたいしたものである。出来としては、当然主人公の心理が冷静に示されており、良く書いたものと感心した。強いて言えば、物語としての流れの変化の仕方に物足りない気がした。読者の感情移入がずれてしまう感じ。史実の資料をこなすのが精いっぱいなのであろうか。もう一人、物語をつくるストーリー担当が必要な感じ。いれば、参加してもらったどうだろうか。
【「志保さんの店」早瀬ゆづみ】
 志保さんという人の新聞投稿記事を読んで、彼女に会いたくなった話。タイトルの女性と作者の生活環境の話で認知症の叔母の世話など、出来事が並べ書きされる。あまり関係のない繋がりに、何が問題なのか首を傾げるようなところがある。作者には意味が深いのであろうと、推察した。
【中国歴史ファンタジー小説「長安一片の孚(まこと)」津之谷季】
 中国の話で、お笑い演芸場で仕事をする芸人、劉竹犬は漫談師のようなことをしていたが、劇場での笑いがあまりとれず、行き詰まっていた。そこで相棒を見つけて漫才のような芸をしてみようと考える。作品中では、中国では、日本のようなボケとツッコミの応酬をする形式がなかったそうだ。話は面白く、感情移入して読んだ。中国を舞台にした日本人作者による創作だそうだが、中国小説にありそうな、感覚の自然さに驚かされる。こうした活動で感じるのは、日本語の世界での普及の弱さである。幸いにもコミックファンが世界に増えて、その糸口が見えてきている。中国人の小説が増えることは、漢字の近さから馴染み安いかもしれない。文学愛好家層の拡大で、両国の市場拡大につながればよいのだが…。韓国などは、反日の国だそうだが、それだけ関心が高いということであろう。なんだかんだ言っても、ビジネス市場の拡大に寄与しているのであろう。
【「200名城ゆっくりあるき」小林真理子】
 お城を愛好家が、駿府城、郡上八幡城、吉田城などの見学記である。楽しそうに蘊蓄を傾ける様子が伝わってくる。
【小説「地上の座談会」水上浩】
 作者と梵天、帝釈天、日天、月天の天上人が、文学論を展開する。考えたものであるな、と感心させられた。面白い。
発行所=〒440-0896豊橋市萱町20、矢野方、果樹園の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2022年3月12日 (土)

文芸同人誌「私人」第106号(東京)

【「小諸なる」根場至】
 全体に小説としてよく書けている。小諸にある地元の銘酒「古城」を醸造する藪塚酒造という造り酒屋がある。分家として、それを販売する藪塚酒店がある。中には角打ちを嗜むためのカウンターもある。古風な雰囲気を保つ古老の経営者には娘しかいない。そこに婿を迎える話がつづく。小説を書きなれているので、読みやすい。ただ楽々と書いているだけの気軽さもある。何か、縛りをもって書いた方が、作者にとって工夫する楽しみがあるのではないか。娯楽小説にしてはつまらな過ぎる。純文学にしては深みがない。ただ、読みやすさが取り柄である。
【「海辺のカフェ」えひらかんじ】
 これも全体に良く書けている。これは、東京で勤務医をしていた曽根哲夫が、激務で体を壊して入院する。それをきっかけに、勤務医をやめる。結婚して2児の過程をもつ。職探しをしていると、小さな医院を開業していた父親が病死する。さらに妻も急死する。そんな出来事を縫って、哲夫の生活ぶりを描く。話に筋があってつまらなくはないが、それほど面白くもない。筋立ての周辺事も必然性が薄く、途中から期待をしないで読むので、それなりに面白いが、趣味小説につき合う感じがして、感想もわかない。まあ、いいんじゃないですか、という感じ。
【「敗戦国の残像」尾高修也】
 これが一番読みごたえがあって、興味深かった。昭和の戦争の時代に生まれ、その後の昭和を生きてきた。昭和12年生まれ、とういうから私より5歳先輩でアある。日本の敗戦後の米国追従の歴史は、度を超したものという実感を持っていることに、同感した。同じ視点がの日本人が存在することに驚いた。米国がイランと石油などエネルギー関連で取引のある企業を対象とした「イラン制裁強化法」が成立したのを受け、日本側に同油田からの撤退を指示、中国にその権益が渡った。フセインクエート進行には、日本人一人当たり3万円の税金使用。その金でアメリカは湾岸戦争をした。イラク戦争のフセイン大量兵器保持のウソの情報をまず認め、参戦。それでも小泉首相の判断に国民は文句を言わない。その他、沖縄問題でも、基地問題整理し独立国的構想を打ち出すと、失脚させた。いまでも、鳩山氏をアホ扱いするアホな国民。わけがわからない。その根底には「日米合同委員会」という超法規、超憲法の縛りがあることは、見当がつくが、その詳細は非公開である。ウクライナ問題でも日本は悩む余地はない。米国の指示どおりにするしかないのだ。
発行所=朝日カルチャーセンター。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

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2022年3月 2日 (水)

文芸同人誌「季刊遠近」第78号(横浜市)

【「甘いゼリー(その一)」山田美枝子】
 介護生活の記録である。冒頭に「末期がんの88才の老母を半年余り自宅で世話をし、あの世に送り出したあと、今また84歳のボケ老人になった姑を世話しているというのは、他人は美談とみるが、私の嫁としての虚栄心をくすぐる仕事でもある。」と記す。(注・会話の中での「ボケ老人」表現は良いが、物語の中では、「認知症」が適当であろう)――このことによって、作者が、日本の家族制度の因習の世界がまだ存在することを示していて、興味深い。高齢者の介護を美談とみる社社会のなかにいるのである。この作品は、介護生活をしている人たちにとって、共感と孤立感から救ってくれる良い読み物であろう。自分も似たような境遇にあったので、その当時を想いだした。続編を期待したい。
【「強きを助け、弱きをくじく」逆井三三】
 皮肉にも、社会の本質を記したタイトルである。足利時代の権力者である義満の事情を分かり易く語る歴史小説である。義満の人柄などを良く表現している。武士の権力があった当時から、天皇は権威者と権力者として、政治力を持っていたことに注目すべきであろう。義満は明の皇帝から日本国王に認知されて、それまで武家の頭領の征夷大将軍が、日本の権力者として、天皇をしのぐ権力者の地位を築くきっかけとなった側面がある。
 その他の作品もそれぞれの良さを発揮しているが、新味にかけるところが物足りない。なかに、情緒不安定な人が語り部になるという設定の小説があったが、その視点では、語っていることの信頼性に弱点がある。小説は、どんなに不自然なことであっても、そう書いたら無条件にそうであるとする仕組みを持つので、考えて欲しいところだ。
事務局=225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。


 

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