2018年11月 6日 (火)

文芸同人誌「私人」96号(東京)

【「啄木のDNA」根場至】
 作者が56歳の時に、彼の父は91歳でなくなっている。風呂からあがって、鏡をみると、そこに父親が立っているように見える。意見のあわなかった父親に似てきているということだ。その父親は山好きで、別荘を購入していて、そこで石川啄木を愛読していた古びた歌集がみつかる。山好きと啄木好きは、父親と同じであった。啄木を通して、感性の血筋のようなものを実感するが、その歌集も今はどこかに姿を消してしまっている。感慨に同感できるものがある。
【「ロッテルダムの味噌汁」根場至】
 作者が家族と一緒に六年間にわたり欧州のロッテルダムに住んでいた時の話。そのなかで印象的だった隣人のシャインフェルド家の一家と交流をかたる。その隣人は、ユダヤ人であった。ナチス時代には迫害をうけたらしく、なかなか用心深い生活ぶりを、観察眼を良く働かして描く。食べ物も豚肉、エビ、烏賊、牡蠣などは宗教上のタブーで食べないのだという。彼らが、」イスラエルに住むというので、お別れの食事を提供する。ユダヤ教のタブーに触れない食材を選ぶ話は、海外生活の普通でありながら、スリリングな気配りの環境が良く描がかれている。
 ユダヤ教は、キリスト教の元祖で、ユダヤ教は救世主がまだこれから現れるとするのに対し、キリスト教はすでにイエスが救世主として存在しているとされる。米国ではユダヤ人は差別の対象であるが、トランプの婿はユダヤ教のようだ。米国は宗教と政治が複雑な関係になっているようだ。
【「ロングフライト」えひらかんじ】
 世界を飛び周る仕事をしているために、各国の空港と飛行機の関係が面白く語られる。優れたエッセイといえるであろう。自分のように語学力がなく、平凡な社会人にとっては、目をみはるような海外の情報に満ちている。
【「桜子の恋」みやがわ芽生】
 現代における古風なロマン味を残した味わいある恋愛小説である。読んでいて、忘れがちの愛の姿が基本が具体化され読んでいて楽しい。もともと小説を書く人の第一の動機は読者を楽しませようという意図が大きな動機のひとつである。これを大衆小説とする。その一方で、人間的存在の不完全や内面の闇を追求するのが、純文学としている。時に、読んで気分が悪くなることもあるのが、純文学である。ただ、本誌は小説教室の学生の習作集とも読めるので、様々な試みを期待したい。
【「赤い眼鏡」成田信織】
 多津は、夫を亡くしてから70代でヒッタイト語を学習し、82歳になる現在でも、学習している。そのため高齢者の学ぶ姿勢についてテレビ局の取材を受け、放送された。
 それ視たという男から手紙をもらう。読んでも見知らぬ人という印象であったが、じつはまだ男女交際の不自由な時代の昔に、はじめて男を意識し、恋心をもったころの男であった。彼女は、ある抵抗感をもちながら、同時に心ときめかす。彼の誘いに応じて、一度は素敵なデートをするが、今は亡き夫のことなどを想い、そこで交際をやめることにする。
 誰かが書きそうで、なかなか書かれないテーマと手法でそれを描く。こういう心の持ち主だからあされる。同時に、愛にこそ人間の心のときめきがあることを示す好短編であった。
【『河出書房』を語る三著・佐久間文子『「文藝」戦後文学史』、田邉園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』、藤田三男『楱地和装本』尾高修也】
 河出書房といえば、経営難の連続でありながら、多くの名作を生み出した文芸史の脇役というべきか。自分は、1960年代、河出書房が倒産し、その倉庫に山積みされている場所に行ったことがある。大判の箱入り豪華本を勝手に手によって読んでいた。隣に水道橋能楽堂があって、配管工事改修のバイトに通っていたのである。工事のため能楽堂と倉庫の仕切りがなかったのである。もしかしたら、そこに古山高麗男がいたのかも知れなかった。とにかく、想いの吹き上がるような懐かしいものである。
発行人=〒346-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年10月30日 (火)

文芸同人誌「あるかいど」65号(大阪市)

【「左手のストーン」木村誠子】
 ピアニストが、演奏力の芸術性を追及する話である。話は主人公の「僕」の音楽の芸術性の追及がテーマであるが、それはともかく、ピアノ演奏の心に訴える力を文章によって想像させられる音楽的個性。自分にはそれが素晴らしく表現力に富んでいるように読めた。なによりも、自分は慢性の耳鳴りが始まって長い。耳鼻科で検査したが高音の聴力が劣化しているだけで、問題にするほどでない、といわれている。実演奏には、不向きな聴力であるが、想像力でイメージを作れる。その点で、この表現力に関しては、作者の才気がよく発揮されている。文章力の発揮できるエリアを広げて見せたよい事例であろう。
【「いつかニライカナイへ」泉ふみお】
 沖縄の伝説的な幸せな神の世界をニライカナイというようだ。沖縄のじいちゃんの話からはじまり、沖縄の美しい風光を描く。ワタルがそのニライカナイに近い沖縄を彷徨し、そのなかの迫害されて血に染まった時代を記す。沖縄の方言が効果的で、リズムのよいテンポで話が進み、美的な感興が味わえる。
【「焼け跡のフィナーレ」高畠寛】
 作者は80歳だという。敗戦で焼け野原になった大阪の復興の生き証言である。自分は、76歳で、作者より4才若いだけだが、そこに起きている社会的、文化的出来事は、東京の羽田に住んでいた頃のものと、あまり変わらない。京浜工業地帯で徹底的に米空爆にやられたせいか、中学校の近くに高射砲陣地の残骸のコンクリートが、幾つも並んでいた。
 読み物で、江戸川乱歩の「金銀島」があったそうだが、こちらは野村胡堂とか南洋一郎や高垣眸や海野十三などの読み物が、戦前の残りや、紙質の悪い再販本で読んだ。このように年下の自分の記憶と重なるのは、この時期はすべてが焼けて、社会文化の停滞があったので、あろう。我々の世代は、読書でも戦前の焼け残った読み物を読むしかなかったのであろう。また、朝鮮戦争の頃の話もあるが、東京の町工場の前を通ると、大忙しで鉄製の羽根の付いた弾丸を量産し、工場の中から道端に転がり出たのを拾った記憶がある。こんなものを空からバラ撒かれたら朝鮮人兵士もたまらんだろうと、痛ましく思った。本作は、同時代に生きた人間の記憶の様々を呼び起こす、心の揺れる回顧録である。
【「山寺にて」奥畑信子】
 お寺で父親の33回忌をするかどうかの話であるから、かなり年配の人たちの話である。血縁の知られざる不思議な関係を述べる。心穏やかな平和な心境での話である。これだけ血縁関係の濃い時代は終わっている。
【「サソリのタトウー」向井幸】
 幼稚園の時代から一緒だった拓也と「私」は、青春時代に恋心を抱くようになる。ところが拓也はアイドル的なミュージシャンとして世に出る寸前である。そのため、愛の心の交流を抑えてしまう関係を描く。幼稚園時代から語る必要があるか、とも思うがそれが恋心のもどかしさかと、今風でありながら変わらぬ女心が理解できる。
――その他の作品も目を通したが、例えばクリスチャンの話のものには、現在の日本におけるハローウィンの祭りの存在のいきさつや、祖母の生活を思い出すのは何故なのかなど、平和への認識の確認なのか? などの疑問について思いめぐらすことがあった。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年10月16日 (火)

文芸同人誌「澪」第12号(横浜市)

 本誌のドキュメントと映画評論は≪「自然公園生態系レポート3植物編」鈴木清美≫の記事にした。ここでは創作について紹介する。
【大人の童話「ねこのくる日々 三夜(最終夜)」片瀬平太】
 若者が引きこもりの生活から脱出し、再生の生活をする。文体が軽快で、読みやすく的確。リズム感がよく、普遍性をもつのではないか。
【「行列」衛藤潤】
 行列することの多い日本社会を風刺するもので、ここでは幾日も行列が続く現象を追及するが、何のために行列をしているのか、判らないまま話と論理が述べられるのが、可笑しみのあるところ。それが現代の社会批判になっているようだ。
【「扉の向こうに」鈴木容子】
 これは、コミック雑誌を発行する会社の女性編集員の「私」によって語られる職場の状況である。正社員とバイト員の関係。両親のいる自宅から通うが、編集業の長時間労働で、会社に泊ってしまうことが多い。そこで、会社の近くの安アパートを借りてみるが、実際にそこに寝泊まりすることがなく、契約を解除する。自分は昔のライターだったので、専門新聞社や経済雑誌、機関誌の編集をしていたが、とにかく裁量労働制で長時間勤務は当然であった。現代のマンガ雑誌でもそれは同じであるらしい。ただ、働く意識に関する部分は、かなり異なる。社会構造の変化で、現在の若者たちの立場と意識がわからないので、興味津々で読んだ。リアリティがあり、今はそうなんだーーと情報としても感心して読んだ。
発行所=〒241-0831横浜市旭区左近山157-30、左近山団地3-18-301。文芸同人誌「澪」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年10月 1日 (月)

文芸誌「樹林」2018(AUG)Vol.643(大阪市)

 本誌は、大阪文学学校の機関誌でもあり、生徒の作品発表の場であるようだ。作家研究の資料は、ひとつが見つかると、次々と関連情報が発見される事例であろう。この事例としてー安芸宏子「三島由紀夫『潮騒』の新資料発見などについての報告」】につては、「三島由紀夫「潮騒」の新資料発見記(安芸宏子)=「樹林」ーにジャーナルとして紹介した。 これはどうも、あとから出てきた資料のきっかけとなったようだ。
【「小説友達」藤本紘士】
 横浜市にある小さな出版社主催の文学賞を受賞した「私」は、その1日前に、尼崎市から東京の京浜蒲田にやってくる。この町にはかつて「黒猫」という男性老作家の朗読会をするバーがあった。それが現在でも続くいているという。そこで、「私」そこに再び脚を運ぶ。そこで文学好きの仲間のような男と知り合い、「私」の文学的な好みなどが語れる。地名の実在するものであるのに、日本人作家の名称はなく、フィクションとしてのスタイルであることがわかる。なかで、ゲーテ「詩と真実」のなかで、上流階級が芸術活動に精進すると、非常に栄誉に包まれた一生を送ることができるが、中流より下の人間が芸術に身を捧げると、悲惨と迫害の生涯となる」と書いているらしい。階級社会の浸透した欧州らしい話として面白かった。文学カルチャーのオタク化へ向かう、ひとつの流れを感じさせる作品。
【「贋夢譚」稲葉祥子】
 あなたは何のために日本に来たのですかーーというフレーズで始まり、外国人の日本での生活のギグシャクしたところを描き、そして、実は人間がこの世に生まれきたことへの違和感へつなげて、母親の胎児にもどるような話になっている。
【「ランドルト環」岡田智樹】
 うなぎのタウナギが、水希という人間になっているという、馴染みの薄い設定の話。このような擬人化は、昔からあるが、この書き方であるとイメージ的にまとまって受け取りにくい。マジックリアルズム系のような語りかたと表現が通じる時代になったのあろうか。
【「小説の生まれるところ」染谷庄一郎】
 個人的メモ、買い物レシート、日記、エッセイの書きかけなどを並べまくる。作者は小説を書こうとしているーーそのドキュメントにも読める。創作には自己表現の意欲が含まれるが、その一つの姿に読める。
【連載講座「小説表現の基本」奥野忠明】
  小説と小説ではないものの区別の基準になる点などが、わかりやすくルールになる事例が説明されている。同人雑誌の作品には、小説やエッセイの区別がつかないものや、文字認識とコミック、映像の認識の違いの混在したものが少なくない。前衛といわれればそれまでだが、ある程度は鑑賞側のもつ共通認識に沿ったルールに従った方が良いようにと思わせる。
発行所=〒542-0012大阪市中央区谷町7-2-2-305(新谷町第一ビル3F)、大阪文学学校・葦書房。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年8月28日 (火)

文芸同人誌「白雲」第46号(横浜市)

【「鐡輪」畑井俊幸】
 寺の住職のところに、見知らぬ男が訪ねて来て、今日すぐに2人の33回忌供養をして欲しいという。戒名も不明で、住職は不審に思うが、とにかく供養をすませる。何故供養を依頼したのかを、その男にきく。それによると、男は戦後まもなく幼少期から風俗街の花街に育ち、御姐さんたちに可愛がられれ、男女の秘事を知ったりする。そのうちに成人になって社会人になって、付き合っている女性をよそに、上司の夫人と関係をもつ。付き合っている彼女は、恨んでその夫人に呪いをかける。その出来事が、話を聞いている住職の実家の寺のことだとわかる。偶然を積み重ねて怪談じみた話を、気をもたせながら巧くまとめている。
【「少年Mの回想記(36)ヤミ米ブローカー横行」穂積実】
 2・26事件の前に生まれた人の昭和時代の記録である。今回は、終戦後のヤミ米の話で、消費者ではなく生産者が籾の状態で隠した話がある。そのほか、山の杉の花粉が天狗の煙に見えたり、汽車の時代の線路工夫の仕事唄。田舎のそれらしい事情が記されているのが特色である。ヤミ米は赤羽でとれるという逸話など、貴重な時代の記録である。
【「野辺の草花」山本道夫】
 中野は、幼馴染みの初恋の女性である美智子を訪ね、10年ぶりに再会する。中野は美智子に愛の告白をする。結果的に美智子は彼の告白を受け止める。話の進行が人称の視点の使い分けで、内面と外面をかき分ける。場面と説明の使い分けで、まぎれのない分かりやすい書き方で、偶然性を利用することのない手法。論理的なつながりを持って、時間をかけたの恋の行方に気をもたせるものがある。
 その他、雑誌の傾向として、俳句や短歌のジャンルに重点を置いている編集方針が見える。
連絡所=〒233-0003横浜市港南区港南6-12-21、岡本方。「白雲の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月23日 (木)

文芸同人誌「R&W」第24号(名古屋市)

【「怪根ホスピタル」森岡篤史】
 病院に入院すると、ベッドの下に異界の生物が住んでいて、病人を治したりするらしい。なんでそういうものがいるのか、など因果関係はわからない。エイリアンの逆パターンか。
【「できるだけ奥に避難してください」長月州】
 大学野球の選手の喬一が、膝を痛め再起不能らしい。地下鉄のホームの下にどこかに通じる道があり、そこから真希という女性に出会う。場所もあちらこちら移動するが、その因果関係が自分にはわからなかった。
【「日常の罪人」松本順子】
 出だしは誰だかわからない語りで、いま行く場所もわからず、どこに行くかもわからないという。もう読むのを止めようかと、思い始めたころ、ストーカーに追われる女性の話だとわかる。特に事件にならずに済む。現実より良い結果を想定することで、癒しとなるものなのか。
【「グループAとともに」渡辺勝彦】
 庭にやって来る雀の生態を楽しむ老夫婦がいる。夫の私は、ある人から購読している新聞を名を聞かれ、それに答えると「リベラルですね」と言われる。その後、なんとなく狙われているような気がして、同じ新聞を購読している友人に様子をきくと、当初はそのようなことはないと、言っていたのが、後にあるかも知れないというようになる。そのうちに、庭に来る雀を垣根の外に車が見え、スズメと自分を狙うようにモデルガンの弾が飛んでくる。そうした被害が次第にひどくなるので、本気で対策をとろうとする。終章で、その夫は精神病院に入れられたことがわかる。
 これは現代社会が何となく右翼化する様子に危機感を持った作品で、それを具体的な感覚で、受け止めてしまうと、世間から排除される。因果関係のはっきりしたものを読んで、一息ついた感じがした。
【「赤い橋」寺田ゆう子】
  孫娘の理沙は小さいときに、赤い橋のかかった場所を見て不思議な感じがする。祖父は、その橋を神様が渡る橋だと説明する。それから、祖父の視点の独白、理沙の独白、祖母の独白の形で、後継者と理沙が結婚しないことで、ひと波乱ある話。語り手が変わることで、話がややこしくなるようにしたのか。また、赤い橋がどんな意味をもつのか、よく理解できないところがある。少女と赤い橋という組み合わせで、まったく別の物語の予断が入ってしまって、それが外れたので、とまどった。
発行所=〒460-0013名古屋市中区上前津1^4-7、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月16日 (木)

文芸同人誌「私人」第95号(東京都)

【「苦しいとき」えひらかんじ】
 小さな建築事務所を経営していたが、バブル崩壊で仕事を失った。その時の状況がタイトルにある「苦しいとき」のことだが、東京・九段の事務所ビルの建て替えや、海外の仕事の受注など、その当時の思い出を語り、現在は静岡の富士山の見える土地に邸宅建てて悠々自適の生活らしい。苦しい時に、誰に読ませるともなく自分史を執筆することで、悩みが忘れられたという。
【「沖売り」根場至】
 静岡の清水港に出入りする外国船に、小船で物を売る仕事を「沖売り」というらしい。それで商売をする一家の主人が病気で入院する。そこに失業者の旅人が現れ手伝いをする。ホームドラマだが、NHKテレビの風土記的放送を見て、参考にしたとあるから、なかなかの創作力である。
【「ステンドグラスの夢」杉高志】
 妻子のある中年男が、年若き清純な女性の涼子と知り合い、恋に落ちる。お互いに大切にし合いながら交際を重ねる。そして、二人秘かに旅に出て、二人だけの一夜を過ごす。しかし、一紙まとわぬまま、褥をともにしながら、女性の躊躇によって、肉体を交わることをせずに過ごす。クリスチャンのために聖書のソドムとゴモラの神話を暗示的に組み込み、ありえるとも、ありえないとも言える綺麗なロマンの表現になっている。完成度が高い。
【「雪片のワルツ」みず黎子】
 冒頭に東京に住む沙也は、新聞報道で、北国で住宅に床下で片脚の切断された女性の白骨死体が見つかる、とあるのを読む。沙也はこの地で東京の大学に行く前に、バレー教室のアルバイトをする。そこに錦織というバレートウシューズの販売員がいる。17歳はの彼女は、錦織の脚曲線に対する美意識に心を惹かれる。彼女も美しい脚をしていると自負していたが、彼の関心を得ることは出来なかった。そして東京に出て、美脚フェチの夫と結婚し官能的な満足をえて平穏な生活を送っている。北国の猟奇的殺人らしき記事を読んだ沙也は、犯人は錦織であるという想いを強める、という話。短いが読者の想像力を広げる余白の部分が大きく、センスの良さが光る。
【「つぎはぎ姫」なかじまみさお】
 平和で退屈な日常をただ文章で書き起こすことを脱出しようと、身内に人間の他者への生まれ変わりや、霊的な超常現象を組み込むが、意欲だけが先行し、効果は曖昧になっている。
発行所=〒163-0204新宿区西新宿2-6-1、新宿住友ビル、尾高修也教室。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月10日 (金)

季刊文芸誌「日曜作家」第23号(大阪府)

【「ふわふわスクランブルエッグ」椿山滋】
 母親が40代半ばの時、交通事故で亡くし、残された父親と高校生の娘のその後の生活を描く。およそ、父親と若い娘との関係交流はむずかしいとイメージがある。。しかし、ここでは亡くなった母親のおかげか、お互いに気遣いしながら、そこを支え合うように努力する。ある意味羨ましいような……。タイトルにあるように、ほっこりとしたテレビドラマ風な作品。
【「斜陽館の怨念」秋葉清明】
 斜陽館を巡る旅の文学的な旅行記。太宰治の作品「津軽」を通して、斜陽館の細部が学べるようになっている。また、話の橋渡しとして夏目漱石の「坊ちゃん」の登場人物のキャラクター性をもってくるのは、クスリと笑わせる。太宰ファンなら、知っているはずの事情や噂もよく取り入れて、大変な力技である。近年は、「桜桃忌」の参加者が増えているのか、減っているのかメディアの報道が少なくなっているように思う。SNSで「死にたい」と書き入れる人たちは、太宰の小説は読まないのであろう。本作を編集して写真入りにして、斜陽館向けに編集して、頒布したいような作品と思うのは、古い時代の人間であるためか。
【「底にいた蛙の話」夷井かづき】
 井の中の蛙になって、世界を見るとーーという想像力をで読む。蛙になった気分で物事を見るというのは、自分事でないという気楽さで読める。第四人称的な表現法によって、作者の「私」が書くという自分、読者にとっての自分という意識の転換をはかるのに有効であるとわかる。
【「五人五様(二)」野上史郎】
 「居酒屋だより」という作品もある。似たような構造のもの。人の噂話は小説の原点である。そのネタを書き連ねたようなものだが、それだけで、結構面白く読める。
【「悟りの果て空と海」大原正義】
 佐伯眞魚という密教修業者が、陰陽師の役小角を尊敬し、山野を駆け巡り修業をするという話。その佐伯が空海であるが、役小角と霊的な交流があったのではないか、という想像力の産物。これはこれで面白い。自分は、空海の鉱脈山の選別力や、中国での学問的な修得の早さから、一族が中国からの渡来人であったのではないか、と思える。日本仏教の傍流であったことにも合致するのではないか。
発行所=〒567-0064茨木市上野町21-9、「日曜作家」編集部。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年8月 6日 (月)

「仙台文学」92号(仙台市)

【「波路上杉の下―南陸海浜の記憶⑤-」近江静雄】
 東日本大震災3・11の被害と地形の変化を、三好隆一が確かめる記録となっている。そのなかで、愛宕山地福寺には、明治29年6月15日にも大津波災害があって、「階上村誌」(はしがみ村誌)という記録が残っているという。それは「すびとれた」という方言の残っている由来から記されている。
 明戸集落地区の死者は4百人以上におよび、遺体の収容もままならず、
「市場に鮪が並べられたように、地福寺の参道に並べられ、上には蓆(むしろ)を掛けただけだった」と、村誌には記されているーーとある。
 折しも、第159回芥川賞候補になった北条裕子「美しき顔」では、石井光太「遺体」(ノンフィクション)の表現
「床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫(みのむし)のように毛布にくるまれ一列に並んでいた」という表現に酷似しているところがあると指摘された。
 北条裕子「美しき顔」では「すべてが大きなミノ虫みたいいなってごろごろしているのだけどすべてがピタっと静止して一列にきれいに並んでいる」となっている。
 作者は、福島に行ったことはないらしいので、体験ドキュメント「遺体」の表現が時代を反映をしたものとして、印象に残ったので流用したのであろう。参考資料として、「遺体」作品などの記載がなかった、ということで講談社が編集ミスとしている。たしかに著作権問題に至るものではないと思われる。時代を経てた後に、どちらの作品が多く読まれるかは、わからないものがある。ただ、本作で指摘している「階上村誌」を参考に表現の工夫をしていれば、著作権はないので、このような問題は、起きなかったであろうと思う。
【「海音」渡辺光昭】
 高校教師の前島は、考え事をしながら雪道を自動車運転しているためか、スリップをして車を傷つけてしまう。そこから、父親が肺がんの疑いがあるので、検査をしなければいけないのだが、父親は検査を受けたがらない。前島が結婚したとき、父親はその嫁が気にいらず、仲がうまくいかない。
 その問題と、生徒の日野遼太が、海水浴遊びにいき、ほかの二人の友人と出かけるが、そのうちの一人が、遊泳中に溺れて死んでしまう。彼は泳いでいる時に、こむらがえりのような、脚がつったのであろうか、遼太にしがみつこうとしたらしい。そんなことをされたら遼太も動きがとれなくなり、二人とも溺れてしまう。そこで、遼太は友人を足で蹴り突き放す。そのことを誰にも言えず、その罪の意識を示した心境をノートに手記にし、教師の前島に渡す。
 いろいろな話の要素から、ここでは遼太の罪の意識と、教師の前島の父親との葛藤における父への対応の罪の意識が重なり合うことになる。話がどこに向かうかと思わせたが、うまくまとめる方向になっている。
 罪の意識がテーマなると、夏目漱石の「こころ」が有名だが、こうした作品を読むと、こうしたテーマの扱いの難しさを感じる。
【「夏目漱石詩一篇の謎(23)水底慕情」牛島冨美ニ】/【「直木三十五短歌一首の謎(24)心に多くの人間を棲まわせた大衆作家」同】
 文芸批評を身近に読めるように、謎を設けて追及するという巧い手法で、その時代の人、社会、関係者の話題を提供するもの。資料を駆使したエピソードが面白い。
 夏目漱石では、華厳の滝に投身した藤村操に対する思い入れや、藤村の噂について、知られざる話題を提供している。
 また、直木三十五については、大衆小説作家としての活躍し、菊池寛が直木賞という証を創設したほどであるが、現在はほとんど読まれることがない。
 これらの評論は、学問的ではない。我々がなぜ文学作品や作家に興味をもつかとなると、単なる余暇の過ごしや、気分転換のほかに、自らの生き方への問いかけという、切実な関心も含んでいる。
 本評論と解説は、そうした問題と密着した書き方をしているところが、なかなか優れていると思われる。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方「仙台文学の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月 3日 (金)

文芸同人誌「海」(第Ⅱ期)第20号(太宰府市)

【「巡査日乗」中野薫】
 司法の世界では、裁判官・検察官・警察署・刑事・交番勤務巡査のそれぞれの部署がある。そのなかで巡査の勤務の実態が詳しく、書かれている。転勤のこともあり、具体的な地域は記されていないが、現在より少し昔の状況のようだ。自分は、あちこちの警察署に、取材の時とか、容疑者にされた時とか、いろいろな状況で接触したが、時代や地域によって、様々である。そのなかで、法の番人というより、勤め人たちという目でみている。ここでも、そのような側面で官僚組織と仕事ぶりが記されている。文末に、これはフィクションであるという意味のものがあるが、それほど事実に近いということであろう。物語にする舞台が出来ている感じなので、これをベースにしたフィクションが出来るのかも。
【「俺も啄木」有森信二】
 家業を手伝いながらの高校通学する良太。これも時代は、ひと世代前のことらしい。父親の改造自転車で通学するところが面白い。そこでの悪ガキからのイジメをやり返し、文芸部の活動もする。その実情は、昭和時代の状況での学生生活。現代におけるスクールカースト的な雰囲気とは異なる感じがする。クラス内のイジメの事例でも、本作では、お互いに腕力的に発展し、勝負で決着がついて、すっきりしている。現代は、仲間外れが「恐れ」となり、陰湿曖昧な行為になっているようだ。昔はイジメにあっても、自殺するなどという発想はほとんどなかったろう。この小説でも、悪ガキの相手がすべてではなく、良太には家業を手伝うという、それより重要なことがあるのだ。それだけ時代背景が異なる。昭和時代を時代劇のひとつにする方法はないものだろうか。
【詩譚「椿岬」群青】
 精神科の医師の安藤が、治療していた坂田という男が、遠く離れたところで、発作を起こし、安藤医師の名を告げるので、そこから連絡がくる。そこで駆けつける。坂田は各地に行き、そのたびに安藤は呼び出される。変わった眺めの叙事詩で、どういう発想でこのような作品ができるのか、不思議だ。ただ、社会から排除された者の運命と生き方を集めたようなところがある。結核病院から逃げた人、徴兵から逃れようとして、特高警察に葬られてしまう人々の話などが入る。受け取り方として、世間が目に見えない縛りを作り始めた時代に、そうした枠におさまらない人々の存在を強調した社会批判にも読める。
 とくに堀江貴文氏などは「小説の描写を読むのが面倒くさい」という。気の短い現代人には、叙事詩の形式が良いのではないか。
【「あちらこちら文学散歩(第7回)」井上元義】
 本格的文学派で、多彩な作者だが、この部門はランボーの情報が詳しくあるので、楽しく読める。ファンという姿勢がはっきりしているので、それが自然なアクセントになっている。詩人と無頼という相性が良さそうな、よくはなさそうなイメージのランボーの魅力が理解できる。
発行所=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33、松本方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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