2021年10月15日 (金)

文芸同人誌「季刊遠近」第77号(横浜市)

【「バイバイ」山田美枝子】
 瑤子という母親のお骨を、オアフ島のワイキキで散骨する。撒いた骨が風で舞い戻ってくる。この冒頭のところに感心した。しかし、表現意欲の強さに対し、お話は焦点がやや甘いものになっている。母親の介護で下の世話をするところなども描くが、その大変さに、なぜ耐えられたのか。かなりきつい作業であることを感覚的に伝わるように描きながら、それでも耐える心の形が、推察できるように整理されていない。過去の出来事を追いかけ、何とか母親との関係を、浮き彫りにしようとする努力の連続である。いろいろ書くうちに、やがて涙が溢れて、感極まり、自分が母親の分身であり、その喪失感情と悲しみに「おかあさん、バイバイ」という言葉に、やっとたどり着く。小説になる糸口に立ちながら、小説家的な探求手法が今一つ不足を感じさせる。世間的な苦労話に受け止められそう。同人誌という場があるから書けたのかも。その割には文学的な成果を見せているところもある。
【「雨があがって」花島真樹子】
 大学で英語を学ぶなかで、文化祭での演劇に参加しているとも子。家庭は義母と父親と同居。うまくいっている。LGBTの彼氏もいて、若い女性の素人から専門家としての大人に向かう姿をえがく。水彩画的な一編。
【「駅舎にて」森なつみ】
 ローカル線の終着駅に行って見たい。体験的と想像力の産物で、鉄道マニア的なロマンの味わいがある。
【「風冴ゆる」藤田小太郎】
 先の見えた老人夫婦のある日の姿。普遍性がある。事例を知る手掛かりになる。
【「丘の上の住民」難波田節子】
 だいたい、事件が何か起きるわけでもないことあろうと、読み始めたが、文章の流れだけで、文学的な何かを訴求する時代ではないような気がした。
【「スパム」浅利勝照】
 好意を持っていた女性を破滅させた「スパム」という男を殺してしまう話。文章も構成も内容とアンマッチで、なんとも言いようがない。
【「母恋」小松原蘭】
 母親との関係を書きたいのか、何が問題なのかわからない。自分は書かずにいられない、といって書いているが、起きたことの事実がきちんと伝わるように書けていない。介護の話の下世話は、多くの人が語っている。これが新しい小説になると思っているらしいが、同人誌の人って、文学についてどんな話をしているのか、興味が湧く。
【「欲に生きるには」逆井三三】
 若い引きこもり男の行動が独白体で語られる。引きこもりにもいろいろあるが、かなり行動が活発で、自意識に押しつぶされることもなく、仲間の女性を性欲の対象として、何とか口説き落とそうとして、理屈を並べるところが活き活きとして、面白い。彼女の反応ぶりも良い。このような作品が読めるのは、うれしいものである。小説が巧くなったのか、ギグシャクしたところがないのに感心した。
発行所=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年10月 5日 (火)

文芸同人誌「星座盤」Vol.15(大阪府)

【「同舟」水無月うらら】
 マッサージ店に就職した女性の仕事ぶりを事細かく、丹念に描く。体験談のようで、ここまで細部にわたると、文学作品になる。面白いし、その筆力は大したものである。揉んでいる最中の客の凝った肉体が、一つの自然物のように迫ってくるし、深く分け入るようなところを感じさせる。風俗小説ではあるが、それを超えている。今は亡き伊藤桂一氏は、「物事を細かく書き抜くと面白く、文学的になる」と語っていたのを思い出す。締めの切れ味もよい。
【「焼き飯」清水園】
 客の入らない中華店のようであるが、語り手になる学生がはいってみると、婆さんが焼き飯を作ってくれる。それが、定番で2階では賭場を開いているのがわかる。この婆さんと、賭場の常連の男とのやり取りが、面白い。男が賭博で調子がよくなってから、破綻するまで描く。短いが中身が濃く、よく書けている。作者の力が出た作品になっている。これも締めの切れ味が良い。同人雑誌であることを忘れさせる。
【「透明感あふれる美老男」丸黄うりほ】】
 芸能界の下らない出来事がネットニュースに欠かせないらしい。この作品は、少女アイドルと、美しく老いた老人アイドルの存在する世界を、諧謔に富んだ表現で語る。随所で笑わせる。かなり長いし、構築した世界をしっかり描く表現力に感心する。同人誌にはもったいない。
【エッセイ「ある休日に」織部なな】
 京都に父親が一人で住んでいるという。大変だなと、思わず読んでしまう。しかし、話は母親との思い出。そんなものですな。
【「機密のラーメン」三上弥生】
 近未来の国の人間データー管理とラーメンマニアとの組み合わせで、なぜか禁止されたスープのラーメンを探して食すまでの話。出だしはいい。だが、国民が大豆アレルギーになったり、データー管理されたり、リアル感のある題材と近未来であることの必然性がわからないところがある。
【「踊り子のファンタジア」苅田鳴】
 スカミという踊り子が死んだそうだ。ガンジは、頭の上半分がパカッと開いて湯気が出る感じがしたーーとある。それは嬉しいのか、悲しいのか、怒りなのか、わからない。スカミのことが思い出に記されるが、どう受け取ればいのか、よくわからない。同人誌でなければ読めない難しい作品のようだ。ーー本誌は、どれも若者の生きる世界を活写するところがあり、なかなかの読み応えでである。例によって誤字脱字はご容赦。
発行所=〒566-0024大阪府摂津市正雀本町2-26-14.、清水方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年10月 1日 (金)

文芸同人誌「六伽士花史(むかしばなし)」創刊号(大阪府)

(木田長記念・歴史小説アンソロジー)
 歴史物なので、書き出しの部分を紹介する。
【「女蛇伝説」眞住居明代】
――冬の鈍い光を放つ太陽が山の端にまもなく沈もうとする夕刻であった。豊後の国の東南部、急崖で出入りの激しい海岸線に縁取られた半農半漁の村に一人の女の子が生まれた。日清、日露の大戦のはざま、明治三十三年のことである。母親はまだ十六歳で初産であつ.たので、痛い痛いと大騒ぎしたが、声の割には安産で、集まつた家族や近隣の者たちは、トリアゲ婆さんが差し出した元気に産声をあげる赤ん坊を見て、みな安堵したのであった。女の子は家の周りに密生している蕗に因んで「フキ」と名付けられ、それは大婆と同じ名であった。母親の名はタケ、父親は佐平と言った。――ーその後の、経緯の運びは、やや切れ味に欠けるが、大分県の民話をもとに、伝奇的な作品にまとまっている。
【「駿河の姫」朝倉昴】
――ぃじは館を走り出ると大きく伸びをした。/視線の先には、駿河の大海原が朝日の照り返しで煌めいている。富士の山が裾野まで白い雪を湛えていた。/「ふじ姫様、今日は一段と気持ちよい朝でございますね」/そうじゃの、富士の剛お山もきれいに見える」/「海もまことにきれいでございます」―――短編の割にはゆるいところがあるが、半面読みやすい。
【「鬼百合」内藤万博】
――蹄の音を響かせた騎馬が単騎、黄金色のススキを蹴散らして関ヶ原の野をひたすら走っていた。騎手の後ろには、荒縄でしばられた虜囚が荷鞍のように無造作につまれている。/騎馬の向かう先には、家臣たちの視線を背中の感じながら、床几に腰かけて焦りで足を揺する若武者の姿があった。――出だし好調。織田信長に対すると朝井長政家系の物語。
【「朽ち葉蝶」新井伊津】
 ――門に打ち付けられているのは蝶だ。翅を一枚づつ、四つの杭で穿たれた、肋のような模様を持った大きな蝶。それが何を意味するのか、わからぬ者は京にはいないであろう。――いいね。平家の諸盛りの時に、それに逆らうものがいたということらしい。
【「巣落ち雛」福田純二】
――陽光がまぶしい。/丘の上から見下ろすと、深い森に囲まれた湖がきらきらとかがやいている。―――武田家系の仁科盛信の滅びに関わる話のようだ。出だしは絵画的。
【「府内の嵐―大友二代盛衰記」木田長】
 豊後の歴史と大友氏の歴史を大友宗麟の生涯を軸に語る。
発行所=〒573-0087大阪府枚方市香里園山之手12-29、澤田方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。(視力と聴力の異常 あり治療中につき。誤字脱字あればご容赦)

 

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2021年9月24日 (金)

文芸同人誌「果樹園」第37号(豊橋市)

【「五十路に吹く風」そら いくと】
 主婦生活の長い三和が実家を訪ねて、その状態を語る。そのなかに自らの結婚生活で、このまま夫と暮らすか、それとも別れて独身生活に入るかで、迷う心の動きがある。さらに祖母の人生に恋愛感情を揺さぶった出来事があったことを知る。こういう家庭の中の出来事を細かく記す文才は感じる。ただ、小説としての磨きをかけるには、もっと細部に踏み込むか、日本人の家族観に触れた問題提起がないと、充実したものにならない。小さくまとめることで、小説に慣れてしまうことの危うさを感じる。よく書けているので、こうした指摘ができるということでもあるのだが。
【翻訳小説「密室(原題:房間)」干暁威・作、津之谷李・訳】
 現代中国の作家の短編小説。友人から妻が家のドアを開けてくれないので、仲を取り持ってほしいと頼まれた男。いざ、彼のマンションに行ってみると、何があったのか、ドアが閉まったきり開かない。よほど怒っているか、何事かが起き多かと、窓からのぞくと、男がいて、彼女が連れ込んで浮気していたとわかる。起承転結がしっかりとしていて、誰が読んでも分かり易い作品。中国では、規制が厳しきなるせいか、SF小説で面白いのが多いそうである。日本の同人誌のような存在はないのであろうか。
【「すぎにしかた恋しきもの」小林真理子】
 「徒然草」や「枕草子」など古典への啓蒙的な作品。知見の深さが感じられる。【「評論「素手でつかむ根源をー破天句を読むー」今泉佐知子」】
 俳人・酒井破天という人の俳句から、芭蕉、蕪村、ランボーの母音詩まで関連付けて、その幅の広さと鑑賞文で、なるほどと、門外漢でもたのしめる。
【「一期一会の青年たちへ」松本容子】
 人生の先輩が若者と交流する話。これも啓蒙的エッセイ風作品。
【「言葉の魔術」松本容子】
 気軽な文学よもやま話。
【「ケンベルの一夜」マニュエール・ポンセ】
 江戸時代に、町でオランダ系の混血と思われる治助をみたという話を聞いたオランダ人が、治助の素性と父親をたどる話。著者が外国人名だが、書き方は江戸人ではない日本人の視線そのもの。よく書けている。変わった時代小説である。自分はNHKスペシャルの「戦国~激動の世界と日本」を見ているが、そこでスペインかオランダの宣教師のどれであった黒人の「ヤスケ」を織田信長が部下にして、本能寺で戦死したらしいという話を知ると、ちょっと設定に疑問を抱く。
 今号は、中国の小説翻訳を覗いて、全般に同人誌仲間と地域の絆を感じさせ、楽しそうに書かれた作品が多かった。


発行所=〒7440-0896豊橋市萱町20、矢野方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年9月17日 (金)

文芸同人誌「たまゆら」121号(京都市)

【「新魔」地場輝彦】
 新型コロナの変異株デルタ型などがでない時期に書いたものらしい。デパ地下とコンビニでコロナ感染者が出ないことを不思議に思うとしている。コンビニは、感染者が出ても、知らせないだけで、当人を解雇するか、休ませているだけであろう。おともと地下鉄の構内がデルタ株の飛沫が空気中に舞っているらしい。そこにつながっているデパ地下であれば、感染が起きるのは不思議ではない。記録としてのエッセイなので良いのではないか。
【「九月十五日、晴れ」金川沙和子】
 大庭貴史という結婚歴のある独り者が、引っ越しをするところから、はじまる。それから、これまでの人生を振り返る。妻が書き残した日記に、夫と二人で阪神タイガースの優勝したことを幸せに思うことが記されていた、という話。――ああ、そうなんだという感想。
【「巨猪」佐々木国弘】
 猪狩りをする宗夫という男の独白体。山の仲間の生活民と猪狩りの鉄砲と罠の使う様子がしっかりと描かれている。当初は、宗夫の視点の外の三人称的な描写だと思っていたので、なんで自分というのか、言い方に違和感をもったが、作者の工夫として納得した。他に、作者は「同人誌寸評(49)や、書評を書いている。どこかの媒体で評論もしているらしい。
 ほかにも長篇の連載がいくつかある。読んだが、何かを語るほどの引っかかりは生まれなかった。【[平成ミゼットタイムズ」榊原隆介】などは、興味深かった。なかには、昔の長篇をもう一度推敲して、それを編集し直して連載しているのもあるようだ。現在を豊かにして生きる。そのために、同人誌を活用する例のようだ。ただ、この「中略」や「前略」は、小説の手法として面白いのではないだろうか。
発行所=612-8358京都市伏見区西尼崎町890-2、中川方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年9月11日 (土)

文芸同人誌「海馬」第44号(西宮市)

【「葛藤」山下定雄】
 山下作品は、風変りで面白く、前作の「合歓の花」は、雑誌「季刊文科」の83号に転載されている。目の付け所が重なったのは、愉快である。今回の作は、例によって神経構造に欠けたところがある「私」が、公園にいた少女が気にいり、交流をしようとする。だが、私にはカンナというれっきとしたパートナーがいて、彼女の機嫌をうかがいながら、少女と連絡を取ろうとする。そうしている時の心の動きを、長々と書きとめる。少女への心の想い、それに対するカンナの反応への忖度など、そのことは、一瞬の心の動きであるが、言葉するとかなり長々しい。頭の中のひらめきを示すので時間的には、瞬間でも、それを文章にすると、その時間が引き伸ばされる。それによって人間性というものが、この心の瞬時の内面にあるということがわかる。今回はよく短くまとまっているが、その解釈は自由に任せたもので、考えさせるとことの多い作品である。意識の流れをとらえる文体も作者の新発明と言っても良いであろう。
【「クマネズミと亡霊」永田祐司】
 マンションの管理人をする男が、なぜかクマネズミが入り込んで、部屋の天井を我が物顔に走り回るようになったことに気付く。自治会と相談して、その駆除のためにいろいろな業種に見積もりを頼む。業者のやり方が、粘着シートや毒餌を基本に、それぞれ細部がことなるのが面白い。時折、住民からの勝手な苦情な要請に応じなければならない苦労もでてくる。マンション管理と害虫駆除に詳しい作者らしい。その主張は人間社会の批判的な観察きでもあるらしい。クマネズミの駆除が自費をつぎ込んでまでになり、泥沼化していく様子は、米国がテロリスの駆除にはまり込む姿を風刺した寓話のようにも読める。意味深な雰囲気がある。
【「神戸生活雑感―日本と台湾の文化比較」千佳(台湾出身)
 本誌にはネットのブログがあってそこに書いたものを活字化したものだという。なかに井原西鶴に関する話もあって、言葉に注目したのは鋭い。日本が美しいという感覚は、なかなかのものである。現代は、「ナンチャッテ」語が普及している。自分がコピーライトを引き受けていたころは、これは柔らかい表現で、とか注文があると、「さしすせそ」を活用した用語をする。メリハリのあるように、という注文には「たちつてと」の多い用語にするようにしていた。美しく感じるのは伝統的な和歌の手法で磨かれた「さしすせそ」系の言葉であろう。
発行所=〒662-0031西宮市満池谷町6-17「海馬文学会
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年9月 1日 (水)

文芸同人誌「岩漿」第29号(伊東市)

【「田山花袋と伊豆」桜井祥行】
 田山花袋、島崎藤村、蒲原有明、武林夢想庵が、明治42年に伊豆の旅をしたことが、藤村の「伊豆の旅」に記されており、花袋も「北伊豆」という作品で大仁の反射炉のこと。「温泉めぐり」という著書では、天城峠越えと現在天城トンネル旧道とされている隧道ができたばかり記されているという。引用文もある。そこは冬の雪の大変さがしるされている。自分も20代のころ徒歩で、天城峠から湯ケ野に抜けたことがあるが、そのころから暖かい気候で、温暖化の進行を考えてしまった。その他「柳田国男の『50年前の伊豆日記』、「岡千仞と伊豆」、「児玉花里外と中伊豆」など、郷土文学研究家の記録がある。よい仕事と思われる。
【「ちゃもちゃんと能楽」深水一翠】
 人生回顧録の一種であるが、その形式が、優れているので面白く読める。ちゃもちゃんと周囲からよばれているので、その名称で自伝的な話を語る。語り手をキャラクター化するという形式で、人物像が立ち上がって感じる。母の二人の姉が新劇の女優をし、京都が好きになる。東映映画の中村錦之助、東千代之介、千原しのぶなどの話題が出るので、作者の生きた時代が浮かんでくる。なかなか読ませる力のある作品である。
【「茂みに咲くシャガ」椎葉乙虫】
 推理小説である。これは、テレビドラマ風の自己流の発想によるミステリーであるらしい。老人が殺され、犯人がだれかを、退職した元サラリーマンが追及するという構成。それなりに、書けている。しかし、現代のミステリーは大分進歩している。犯人追及とその動機や人間性を追及するような作風になってきた。東野圭吾などもそうだ。また、村上春樹の自己探求で、人を探す話はアメリカのハードボイルドの手法と同じである。この作品でも、犯人と疑われる若い女性が出てくるが、彼女が行方不明になるようにするような筋立てが欲しい。そのほか、警察の捜査資料が近所の素人に見られるというのも、なかなか実際にはない。ましてや検視の資料などは親族の要求がないと、東京では見せてくれない。これは懸賞金のかかった犯人捜しを実施してみた経験からである。ただし、長所をいえば、独自のミステリー感覚を発揮する場としての同人誌の存在感がある。
【「屑籠の檀」馬場駿】
 経験豊かな医師が、患者の手術で、看護師のミスで手術がでの過失を問われ、職を離れざる得ない事態になる。婚約者には去られたようだ。が、知人の友情に助けられ別の職場を紹介してくれる。そうした流動的な環境のなかで、真弓(檀)という情勢と結婚する予定世あったらしいが、その真弓がやってこない。このような手順で、物語がされるわけではない。よくわかないまま読んでいくと、どうもそのようなことらしい。ただ、その話の運びがお面白く、読者が想像力を足せば、独特な世界観が判ってくる。変ではあるが面白い話である。
【「奇老譚―月は見ていた」しのぶ憂一】
 老人施設にいる99歳の宇垣正義の評判は、すこぶる良い。彼の過去と、裏の顔を知るものもいない。スタッフをはじめ入居者のあいだでもすこぶる良く紳士的で勤勉、物知りで穏やかで言葉遣いも優しく、気が利くので、とりわけ女性に人気があるという。宇垣.には五回におよぶ婚姻生活の破たんと数回の同棲経験があっ.たが、入籍するかしないかには興味がなく、初婚の女.佳恵のほかは、いつも相手の意向にまかせた。二十歳代後半から七十代後半までの時代の履歴である。再婚以.降に入籍した女たちの成行きに共通点がある、まず、結婚紹介所で、知り合い、離婚の経験があり、親戚付き合いがなく、幾ばくかの貯金がある。また、貧困生活を強いられDVに苦しめられた挙句に、3年と経たないうちに分かれている。この老人の自己中心主義、表裏のある2重人格的で、人間関係を破壊する性格を、ことこまかく経歴的に説明する。反省などすること一度もなく、身勝手を言って死ぬまで言い続ける。程度の差こそあれ、よくみかけるタイプの話が連続する。小説なのに、自己中心主義を描き、最後まで治らない。突き放した視線が面白く、次はどんな身勝手をやるのか、面白く読めた。
【「短・中編――三編」佐木次郎】
 創作童話「ゲンの死んだわけ」、戯曲「糸」(途中で、小説の時代小説になる)というもの。とにかく、これらをまとめて発表する自由な表現力に脱帽した。
発行所=413-0235静岡県伊東市大室高原9-363、小山方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。


 

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2021年8月23日 (月)

文芸同人誌「文芸中部」第117号(東海市)

【「たった一人の孤独」堀井清】
 作者は、本誌に毎号作品を掲載している。しかも、独自の手法を編み出し、そのスタイルを維持しながら、不出来がない。安定した水準を維持している。その手腕に感心している。今回は、「自分」という85歳の男の語り手が主人公。会話にカギ括弧をつけないというのは、いつもの文体である。例えば作者はーー窓をあけるよ、と女将さんがいう。/飯にはまだ早いよ、と自分は答える。――と平たく表現する。こうすることで、出来事が、語り手の意識内を通した現象表現となり、生々しさを失わせるかわりに、間接的表現性をもつ。同時に、思索的な側面を強くし、現実から距離を置いたように感じさせる。「自分」は高齢者であるが、生活費に困っていないらしい。ただ、やることがない。死を待っているようなのだが、表向き体調は悪くない。健康なので困っている。これは、「自分」の問題提起である。それでどうするのか? という読み手の興味に、同じアパートの同年齢の男を訪ねることにする。困ったからといって、死ぬの生きるの、ということはない。退屈しのぎの時間稼ぎに入る。人間、欲望が当面の問題忘れさせる。こうしてそれからどうしたという物語に入っていく。高齢者の晩年の問題に、解決の答えはない。しかし、小説である以上小説的回答は必要だ。作者は、どの作品でも、そうした要件を満たしている。これまでの作品にも、軽純文学として、読み応えのあるものもある。大手文芸雑誌の編集者は、2、3作を掲載してみる気はないのだろうかと、ふと思ってしまう。
【「怨念メルヘン」大西真これは紀】
 これは、俺というユーチューバーの生活ぶりを描いたものらしい。最近はやりの自由業YOUTUBEの閲覧数を上げて広告収入を得る仕事である。作者には好なように書く権利があるので、どうでもいいことだが、俺が何でこの話をするのかが、わかりにくい。朝、目覚めたら、なぜ自分がここにいるかが、わからない、というのが出だしだ。乞いう設定だと、物語は意識不明の間に、なにか重大な出来事が起きていないと、面白くない。それが、いわゆる、問題提起になっていない。周囲の人間関係も、なまじ俺が語るから判りにくい。信用ができない。物語の骨子が漠然としている。俺がユーチーブの閲覧数の変化に、敏感でないのはおかしい。物語の一つのパターンに、何が失われていくことを、取り返すというものがある。ここでは、閲覧者が減るのを必死防ごうとする俺の話なら読む気になるかも知れない。スマフォであたらしい株をつくり、その売買をする企画などは面白いが、それに対する俺の態度がつまらない。九藤官九郎の失敗作のような感じがする。
【「わが社のいたち」朝岡明美】】
 変な新入社員がいて、彼の行動と性格を拾い上げる。場違いなとこころもある。社内の人間関係も絡めて、噂話をする。そのうちに、その新入社員が女性関係で失策していることがわかる。社内の女性観たちが、がやがやするところの書き分けは、巧い。ただ、物語が小さい。
【「『東海文学』のことども」三田村博史】
 「東海文学」という同人誌の歴史で、主宰者の江夏美子が『文芸首都』出身で、1950年「南海鳥獣店」で新潮文学賞佳作入選、江夏美子の筆名を用い、1963年「脱走記」で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となったころの話。当時の文壇という世界に大変近い存在であったことがわかる。現在では、職業作家というのが、文芸同人誌の延長線上にほとんどない。その世相の違いを感じさせる。なかで、三田村氏が能の世界に魅せられていくところは、興味深い。
【「大きな子供たち」春川千鶴】
 大人になっても、青春時代の体育部活の雰囲気を維持している様子が、活写されている。良いけれども、こういうのに詩情美を加えるのが、文学趣味なのではないだろうか。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2021年8月11日 (水)

文芸同人誌「詩と眞實」8月号2021(熊本市)

【「遠野幻想/老人と夢―第1回」(1~7)】戸川如風】
 語り手の「私」は、熊本から福岡空港に行き、花巻空港まで、それから遠野に向かう。空港に向かうバスのなかで、河童の紳士らしき山高帽に長髪の男と出遭う。空に舞う裸の天女など、見て、語り手の夢想幻想に満ちた旅が語られる。さらに花巻につけば、「銀河鉄道」や「風の又三郎」の作品世界に入り込む。柳田國男の世界の雰囲気もある。とにかく文学味あふれる幻想と現実のごっちゃになった光景が展開される。面白い工夫で、構想が確立されていて、楽しく読める。これぞ文学と感じ、一息で読み通せた。この文体なら、長くても大丈夫。さらに河童男が同行していたら、もっと面白いかも。
【「だるまや」植木英貴】
 親しかったおじさんの病状悪化をきいて「僕」はかけつける。そこからおじさんとの昔からの交流で、可愛がってもらった思い出が語られる。そして臨終に立ち会う。そのときに,おじさんと玉虫を見た。かつて、おじさんと玉虫を見た時のことを思わせる。丁寧にかけているが小説的な感じはない。体験談なのであろうか。
【「刷込み~緑色に輝く透明な空の彼方に~」右田洋一郎】
 中学生の時代からの出会いがあり、彼女に恋人にして結婚。共に人生をすごし、妻は55歳で持病をもつようになり、67歳で亡くなる。美しくも愛おしい記憶が残る。2頁の散文であるが、その思いの伝達は、「だるまや」のおじさんの話よりも強く心を揺さぶる。
 本誌には、どの作品にも、文章を順に読ませる速度感がある。じつは、次の同人誌はどれを紹介しようかと思って、何気なく手に取ったら、巻頭に面白い文学的なものがあったので、それに引き込まれて読んでしまった。たまたま、好みに合ったのかもしれないが。
発行所=〒862-0963熊本市南区出仲間4-14-1、今村方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2021年8月 8日 (日)

文芸同人誌「海」103号(いなべ市)

【「虫の譜―異化―」山口馨】
 恵美が、子供たちなど家族ぐるみで実家に行ったあと、2カ月ぶりに、母親が一人暮らしする実家に行く。何しに来たのかと母親が聞くと、静江おばさんのところに来たという。そして静江おばさんの話になる。文体は、現代女性のおしゃべりに近い軽い調子で、書き手の若さが出ている。意図したものでなく、自然な書き方なのであろう。話の中身は井戸端会議なみのもので、長編でもないのに恵美の視点らしき感想が入る。街の変わりようを語ったり、して、焦点が移動する。曖昧な視点で、母親や静代がこう思ったのであろう、という調子で、印象を散漫にしている。
【「声が聞こえる」川野ルナ】
 しおりという女性が、教会に行って神父さんに、神が存在するのか、それならどうして自分の苦しみを救ってくれないかのか、と質問する。非常に幼稚な発想で、変だなともって読んでいると、彼女は精神的変調をきたした経緯がわかる。話のなかに、ニーチェやキルケゴールの神の不在を問いかける話もあり、かなり知識があるらしい。だが、知識があることと、知恵をもつこととは、異なるので、信仰への知恵をえるような体験をするまで、問いかけをするしかないのであろう。
【「私は忘れない」安部志げ子】
 交通事故をめぐる体験記。よく書けたエッセイか作文で、小説ではないでしょう。
【「病舎まで」宇梶紀夫】
 秀夫の大工仕事の作業と、家庭的には、息子の真一の精神的な変調の様子を描く。おそらく、実際にあった出来事をもとにしているのであろう。ありがちなことではあるが、家族が真一の変調に気付くのが遅い。早期発見が重要である。
【「素描三景」国府正昭】
 3つの掌編小説を並べている。「金鶏輝く…」では、フードデリバリーの仕事をしている男の独白。配達依頼待ちのバイク立ちんぼを地蔵というらしいが、同じ仲間が周囲に沢山いる。そのなかで、世の中にビョーキが蔓延していると、幾度も繰り返す。コロナ過だけでなく、社会が病二千六百年の歌をスピーカーで流す街宣車が通り抜けて行く。そうしたなかで、自分だけの幸せ追求を決意して、仕事に励む。なかなか重厚な感じのする作品。「讒言―ざんげんー」これは時代小説で、ある藩のまじめで仕事熱心な重役が、それを嫉妬した周囲から、城主に、彼に関する悪い噂を告げたところ、それを信じた殿様が、まじめな重役を処刑するように命じる。それを知った久松式部は、殿に事実を告げ重役の処分を取り消すように諫めるが、かえって処分されてしまう。しかし、後日幕府にその事実が知られ、誤った罪状が取り消される。時代小説への兆戦的習作か。きちんと書けている。「ゲシュタルト崩壊する妻」ゲシュタルト崩壊とは、通常はまとまった感覚で物事を認識しているものだが、ちょうど漢字をじっと見つめていると、その形や構造が、バラバラの線に見えて、本来の認識と異なる無意味なものに感じる現象だという。ここでは、男がいつもの生活や妻のことなど日常を語り、終わりに妻が語り手に向けてお線香など仏壇を拝むことで、自分が亡くなっていることを知る。皮肉の効いた作品。
【「女神の庵」遠藤昭巳】
 神主さんの家系の話で、それに国文学の古典の短歌をからめた物語で、主人公に人間的な魅力が少なく、長い読み物に思えるが。しかし、お話としては手堅く、がっちり書けている。趣味なので、これで充分だと感じさせるが、他者に面白く読ませるには、もうすこし神秘性を持たせたトーンというものが欲しい。その点では、ビジネスの報告書に似てしまっている。稲川淳二の怪談話のようなサービス精神があればもっと良いのではないだろうか。〒発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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