2019年10月19日 (土)

文芸同人誌「澪」第14号(横浜市)

 本誌の【「大池こども自然公園生態系レポート<放射能と野鳥編>」鈴木清美】に関しては、放射能汚染と野鳥の生態を自然公園に観る=鈴木清美氏 に紹介した。
【「クラシック日本映画選9-天国と地獄」石渡均】
 今回は、黒澤明監督、三船敏郎主演の映画「天国と地獄」を制作側からみた、一種の専門的な裏話が記されている。黒澤映画と言えば、世界的に有名だが、その特徴のひとつである証明の技術による表現効果の秘密が記されている。集中的な画面効果の技術に証明やカメラの工夫があることがわかる。かつて映画界で天皇と呼ばれたのが、渡辺邦男、黒澤明、撮影監督の宮島義男だという。宮島撮影監督は、小林正樹監督の「切腹」を撮ったひとだという。個性的なカメラワークに頷けるものがある。俳優論があって、黒澤の演技指導の細かさに対し、溝口健二は、俳優に自ら役作りを発見させるという、やり方の違いがあるという。この辺は新藤兼人の書き物と一致する。また、面白いのは、三船の滑舌の悪さで、それを気にした小林正樹監督は、たまらず音声修正技術を使ったら、三船が腹を立てたという。確かに、彼が黒澤映画によって、世界の大スターになった要因には、映画のセリフが翻訳字幕や吹き替えの効果があったように思う。自分が思うに、黒澤と三船の作日には、セリフの字幕を付けて初期作品から上映したら、若い人たちにも支持されると思う。特に菊島隆三の脚本が入ったのは、すごい。
 本作では「天国と地獄」の脚本、カメラ、音声、音楽、三船、仲代達也、山崎努など、総合芸術の見どころを、まるで観賞しているような話の運びで、読む目をそらさせない魅力でかたる。自分は、20代の頃仕事場が京橋に近いところにあって、今は国立アーカイブ館の前身と思われる近代映画館に、夜に観賞した時期があった。小津安二郎の無声映画から観た記憶がある。黒澤作品では、「酔いどれ天使」の水たまりの前で、結核を病む三船が塀に寄りかって佇む場面はまさに、孤独の詩情があふれているのを思いだしてしまった。
【「ハイデガーを想う(Ⅱ)下(その3)『技術への問い』を機縁に」柏山隆基】
 「存在と時間」が愛国者でドイツナチスの党員であったことは、知られているが、その精神的な基礎に時流と彼の思想の底流とが、合流したものらしい、とわかる。ハイデガ―が「老子」に親しんでいたということは、東洋思想のなかに、存在の意味をさぐる価値があったと読んだ。自分は、道元禅師の思想をドイツの学者が時間論にとりあげているのを読んだ記憶がある。自分は日常生活は、マルクスやヘーゲルの重視する関係性の世界だと思う。そして、個人としてはそれを超越した形で、宇宙存在の認識者としての生を味わうものという感覚があり、一般人としての有象無象(マルチチュード)と「私」としての唯一者との間を行き来する存在と認識する。このような簡単にまとめてしまうのも、マルクス主義から「金剛般若経」の座禅思想まで触ってしまう文学的性癖による。自己流の読み方なので案外、見当はずれなのかも知れないが…。あとがきに、羽田飛行場の空路が品川区上空にかかるので騒音の話があるが、大田区でも海から滑走路に入るのに、それが多摩川の川崎に寄るので、すでに試験飛行をしているらしく、こちらの空に爆音が響くようになった。これも、日米航空協定が、他国と比べ格段に隷属してるためで、アフガニスタンですらこんなに隷属的な協定ではなく、対等な協定をしているのである。これを屈辱とせずに、他国をとやかくいう国民性が自分は好きでない。他国の反日の言い分はもっともである。また、国際的にも日本はそれほど信用されていないであろう。国際紛争で争っても、日本は負ける。それは、これからあらわれてくるであろう。ハイデガーのナチス党員時代にとやかく言う気はまったくない。

発行所=〒241-0831横浜市旭区左近山157-30.左近山団地3-18-301、文芸同人誌「澪」の会。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

| | コメント (0)

2019年10月15日 (火)

同人誌「季刊遠近」第71号(横浜市)

【「うどんげの花」花島真樹子】
 昭和の第二次世界大戦とその戦後を生きて来たと思われる女性の独白で語られる。聴き手は、読書会で集まった仲間である。やや長いので、語り手と聴き手の関係に形式的には、定番的手法が用いられている。たとえば、コンラッドの「闇の奥」という古典的名作が代表するように、語り手と聴き手の形式があり、19世紀的小説のひとつの形式である。話は、昭和17年ころの、誰もが明日を知れぬ不安を抱えたなかでの戦時中の銃後の家庭の苦しい生活が、静かな調子で語られる。大叔父の東京の家に住まわせもらうことになる。そこで、灯火管制のためカバーを電灯に被せていた覆いをとると、そこにうどんげの花が咲いていた。ほんとうは花ではないらしいが、ここでは不吉な花とされている。それをクリスチャンのA子にあげるのだが、クリスチャンの彼女は喜んだが、その後彼女のいる教会のが放火され亡くなってしまう。地道で重厚な筆致で、雰囲気小説としてよく整っている。
【「ユズリハの木が時雨れて」木野和子】
 作品には美しき老女、という人が登場する。老女というのが、リアリズムから脱却して、夢幻的世界を語るのに適している。要は、人間は死ぬまで愛が去れば美しく過ごせるという話か。すがすがしさのある文章が印象的。
【「東京シティボーイ」藤田小太郎】
 南国九州の離島の学校の教師が赴任している。退任まえの「私」のところに、学びたいと離島勤務に来る青年がいた。彼は、鉄道マニアであった。上京した時に、東京の雰囲気を伝えたりするが、肝臓病で若死にしてしまう。何となく、年寄りが生き残り、若い新しい世代は死ぬことに、日本の衰亡を思わせ、侘しく感じる。
【「詐欺事件」森重良子】
 新宿に買い物いく途中に、携帯電話で話している同年配の女性が孫と電話をしている野に出会う。話は、幾らなのとか、どこに受け取りにくるのかとか、明らかに、なり済まし詐欺に騙されている様子である。主人公は、それは詐欺ですよ、と教えるが、迷惑そうにして、相手にする気配がない。警察に届けるかどうか、悶々とする過程を描く。読ませる筆力は充分あるが、題材が小さすぎて、その筆力が充分に生かせていないように思う。
〖「未来少年の悟り」逆井三三】
 近未来小説で、若者たちが未来社会のなかで、苦闘する状況を描く。ここでの日本社会では、中国の影響が強く、国民は都市民と農民とは戸籍は異なる。議員は50歳以上でないとなれない。その制度に反抗して革命を志す若者の話。そこまでなるには、日米安保はどうなったのか不明であるが、時代の流れを捉えた作品である。
【丘の団地に住む家族】難波田節子】
 団地の住民である則子はある日、若い頃にしっかりた考え方をする佐田涼子という主婦仲間であった女性が、だらしない室内着で、表を歩いている姿を見る。人違いかと思い、涼子の家族の情報を、子供たちの交際範囲から仕入れる。すると涼子は認知症にかかっているらしいこと、則子の娘と同級の涼子の息子は英国の有力大学を出て、現地の美人と結婚したというような情報が入る。基本は、涼子の家族のそれぞれの様子を、噂話によって、外部からの情報で、描きだすもの。ジェーン・オースティンの「傲慢と偏見」を思わず手法で、いかにも古典的な懐かしさを感じさせるものがある。
発行所=〒225-005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」
紹介者=詩「詩人回廊」北一郎

| | コメント (0)

2019年9月29日 (日)

同人誌「星座盤」第13号(岡山市)(下)

【「祖父の家」丸黄うりほ】
 ワカナは、町の高台にある祖父の家を訪れる。何かが起きたらしく急いで駆け付けた。行くと皆がすでに集まっているという。屋敷の庭には、さまざまな変わった花が咲いている。豪華な料理だが、よく見ると紙でできている。いろいろとおかしなことがある。集まった親戚もボール紙でできている。このふしぎな世界は、ワカナはすでに死んでいて、彼女のためにすでに亡くなっている親戚が迎えにきていたのだった。ワカナがまだ若いのに心臓発作で突然死していた。「もうお前は死んでいる」の文芸版だが、面白く読んだ。藤枝静男という作家が、「空気頭」という変な作品を書いているが、文学味が深い。本作品も世代が異なると、このような表現になるのかな、と思わせる。
【「公民館」金沢美香】
 派遣労働者であった語り手は、5年間連続して契約すると、正社員にしなければならないという法律が出来たので、5年直前に契約解除される。そこで、故郷に近い町にふらりと行く。この程度の動機でなんで? と、思うがよくわからない。父親は、長男の彼が派遣労働者であることに、抵抗感を示していた。現在の制度に、まだなじまない家長父制度の流れ、これは作者の世代的なものを示すのか。自己表現としては読めるが、新しい土地に住んだ語り手もその他の登場人物も、印象的な特徴がない。「死にたくないから、生きている」。それは当然のことで、なにか活き活きとしたものがない。各地の神社では、死者がでることを予想したお祭りがある。実際に死者が出るのに、毎年行っている。それで生活に活気を作り、明日を生きる力を産んでいるのではなかろうか。そういうことを考えさせる作品である。
【「スティグマーター replica dool-side snow」新井伊津】
 美貌の若者のゲイ的生活を中心に、その具体的な行動を描く。教授にサービスをして点数を稼いだり、生活を支えたりして暮らす。生活のなかに浸みこんだ、ゲイ活動で、それが美貌の若者の特権のようになっているらしい。
 とくにストーリーのようなものはないようだが、物語としては、何かの事件か、出来事を軸にしてこうした世界を展開したら、読後感に区切りがつくような気がする。間接的にLGPT意識の高まりの反映として、同時代性があり、面白く読める。
発行所=〒701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田方。「星座盤」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

| | コメント (0)

2019年9月28日 (土)

文芸同人誌「星座盤」第13号(岡山市)(上)

【「他言無用」清水園】
 勤め人だった「僕」は、小説家になりたくて、仕事を止めて創作に専念している。その時には、反対をしなかったらしい連れ合いは、何時までも鳴かず飛ばずの夫に愛想をつかしたのか、去ってしまった。それ以来、一人で文学賞を狙って、創作生活を続けている。その間に、居酒屋に通うようになる。そこで、アルバイトの女店員と知り合い、文学の話をする。その間に、ある文学賞へ応募もしてるが、かすりもしない。いつものように、居酒屋にいくと、すでに女店員はやめている。話は、その女店員は、その男を材題にして、彼の落ちてしまった文学賞の公募に当選していたことがわかる。いかにもありそうな作家志望者を皮肉った作品。
 テキストとしての基本設計は、できている。しかし、設計の細部が足りない。たとえば、去ってしまった妻の意味が薄い。売れない作家志望になっている間に、何か妻の気に入らない決定的なことがあるとする。「僕」はそれに気付かない。だが、世間話で話を聞いた彼女は、そこを見抜き、小説の題材にする。「僕」そのことで、自分の人間的な欠点を思い知らされるーーというような設定を満たす発想がいる。また、娯楽ものにしては、文章が素直すぎて、ストーリーの運びにアクセントがない。村上春樹が読まれるのは、比喩や暗喩を多用して、退屈なところを通過させているせいでもあろう。
【「りだつダイアリー」三上弥栄】
 うつ病を持ちながら、会社勤めをする人の生活日誌。減薬に苦心する様子が記されている。病をもって、仕事をするのは、大変だと思うと同時に、うつ病の薬が多種類あるのに驚く。自分も、アレルギー症から、自律神経失調から栄養失調になった挙句、うつ病と診断された。体質に合うアレルギー薬をみつけたことで、安定剤に切り替えた。その経験から、書かれている薬の種類を減らす努力を興味深く読んだ。よく、仕事中に眠らないものだと感心する。これは推測だが、医師は患者が薬の副作用を訴えると、それを抑える薬を処方するのではないか。そうなると、どんどん薬は増える。人々は、表面上は元気に見えても、内情は病をかかえて、隠して戦っている人は多いはず。自分もそうだった。多くの人に参考になりそう。
【「息災」織部なな】
 還暦を迎えた古仲葉子は、子供が独立し、夫と二人の生活になっている。社会的な人的交流の機会が減ったと感じる。趣味の仲間の家族が、病気になったり、なくなったりする。そんな時に泉という男と知り合い、古典を読む会などの勉強会に誘われる。そこで、ときめきのようなものを感じる。刺激の多い情報社会のなかで、細やかな感覚の表現がある。小説であるから、それなりに、若年寄りの世間話に読める。人間はどんな目的があって生まれて来たのか答えは見えない。人生の過ごし方に迷いがあるのは、若者でも同じ。還暦で見う失いがちな生きる欲望に、如何にして出会ったか、という発想で書けばもっと普遍性が強まるのでは、ないだろうか。
【「可燃」水無月うらら】
 妻子ある男と若い女性の現代的な恋のはじまりと終わり。女性の孤独な心境と、その立場で生きる決意が描かれる。男性との交流の絡みが淡白に描かれていて、日本食的な風味のある作品。切った髪の毛にこだわるのだが、それも突っ込みが浅いため風俗小説の範囲。どこかで、深くこだわりを作って見せないと純文学にはならないのではないか。なぜか、なんとなく、サガンの若書きの「悲しみよこんにちは」や「ある微笑」を思い浮かべた。
発行所=〒701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田方。「星座盤」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

| | コメント (0)

2019年8月23日 (金)

文芸同人誌「文芸復興」第38号(東京)

 堀江朋子氏の編集後記による、読解力に秀でた絶妙の掲載作品紹介があり、雑誌の品位を高めている。本号は、第二次文芸復興の同人で、第三次文芸復興の代表兼編集長を務めた会田武三氏の追悼特集を組んだ。寄せられた追悼文を読みながら会田氏が偲ばれ、寂蓼しきりである。ーーとある。
【「あしたへの心得」中嶋英二】この作品は、オーソドックスで、巧みな文章力で、兄弟の愛と異性愛(兄嫁)とを組み込んだ欲張った内容を、心理的な描写を組み込んで描いて、野心的な試みに読める。同人誌作品なので。短編であることの限界性のなかで、興味を広げる書き方に注目した。伝統的な作風があっての現代文学なので、ほっとする落ち着きを感じさせる。

 なお、あらすじについては、堀江氏の良い編集後記を引用する。ーー和夫が兄健一を嫌いになったのは、健一の専横で不遜な振舞いに気付いた小学生の頃。以来、ずっと不仲だった健}の嫁直子から、父の古稀の祝をするという知らせが来た。一方的な知らせに反擾しつつも、直子であるためと父の古稀祝の品を買いに行く。昔から直子に惹かれていた和夫は、積極的な直子に恋心を募らせる。和夫には長い付き合いの山内という、忌憚なく話せる友人がいる。その山内が、郷里の北海道に帰った。長年付き合った女から逃れる為である。直子からの電話で、健一が胃がんの手術をするという。健一の死という事が頭をよぎった、直子も同じ思いだった。直子も同じ思いだった。和夫は、北海道の牧場を経営している山内のところに行くことに決めた。幸せと不幸せの隙間をそこに見つけたのだ。今迄の作品と少し違う結末である。ーーと、ある。

発行所=〒169-0074新宿区北新宿2-6-29-415、掘江方「文芸復興社」。

紹介者=「詩人回廊」北一郎

| | コメント (0)

2019年8月21日 (水)

文芸誌「中部ぺん」第26号(名古屋市)

 カラーグラビア写真つきの「中部ペンクラブ」機関誌とみるべきであろう。地域作家の同人誌の結集力を示すもので、勢いがある。概要は《第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号 》で解説した。ここでは、「北斗」転載の1作を紹介する。
【「うげ」棚橋鏡代】伊勢湾台風1959 年(昭和34年)の前年までの日本の家族制度のなかでの「きん」という娘の視点から見た、村社会的な共同体を形成していた時代の家族を描く。国鉄の操作場が近くにあり、無人踏切の事故では、線路工夫や自殺者の遺体が菰かぶっておいてある。焼き場のおんぼうの利一さんのこと、父親の栄一の傍若無人のふるまいも、時代のなかでは、普通のことである。とにかく、「きん」のみたことをそのままリアリズムで描き、「きん」の心情を除いて、栄一の死んだところで終わる。書き手の価値観が表現されることはない。これは、「仮想人物」を書いた徳田秋声の小説作法と並ぶところがある。ただ、書き記すことに徹する。混迷する現代文学に、投げ出されたひとつの小説の姿であろう。編集者の問題意識に感銘を受けた。
発行所=〒464-0067名古屋市千種区池下1-4-17、オクト王子ビル6F、「中部ペンクラブ」事務局。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年8月12日 (月)

文芸誌「北方文学」第79号(柏崎市)

文芸誌【「北方文学」第79号については、「玄文社主人の書斎」に詳しくある。
【「ヘンリー・ジェームスの知ったこと(二)」柴野毅実】
 H・ジェームスの作品は、映画化された「ねじの回転」しか思い出せない。S・モームの書いたもので、触れていたような気がする。それで、他にも読んだものがあるかもしれないが、気の長い書き方にあきれて、遠ざけていた。しかし、驚いたことに、心理小説がサディズム精神に満ちたものだという指摘には、まさに、「眼からうろこ」である。イジメの原理もまさに心理的な苦痛への働きかけであろう。人間は、快感と苦痛の強いものを記憶にとどめる。評者はH・ジェームスの心理の論理的展開を解説している。そういわれれば、作品の始まりの長々しいという印象も、心理の論理的展開の前提条件であったのか、という思いもある。随所に有意義な指摘があり、思わず引き込まれてしまった評論であった。
【「泉鏡花、『水の女』の万華鏡(二)『沼夫人』における旧さと新しさ」徳間佳信】
 泉鏡花の作品が、西洋の名作から影響された様子を解説する。言葉の芸術の面でみると、かつて前衛的表現とされたものが、時間と繰り返しのなかで、成熟と進化によって、前衛性を失い、通俗化することを考えさせられる。
【「新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち<13>」鈴木良一】
 労作であるが、今回は「北方文学」の同時代性における、詩誌の複数参加かかわる部分興味深かった。中にある詩誌「岩礁」の大井康暢( 2012年没)とは面識があった。三島での活動とも縁があったらしい。

【「和歌をめぐるふたつの言語観について(三)」石黒志保】
 仏教の基本かどうか分からないが、自分は空の概念といた金剛経の道場に通ったことがある。論旨と異なるかもしれないが「沙石集」と無住という著者の関係を知り、和歌のリズムが経文のそれと類似することへの関係について納得するものがあった。金剛経に「応無所住而生其心」とという有名な文言がある。
【「緑の妖怪」魚家明子】
 少女の語りで、植物的存在となった兄や両親の家族のなかで、妖怪の存在を信じる少女が緑の妖怪をみる。そして、成人してからも兄の秘密への想いがつきまとう。それからというところで終る。秘密性と軽やかな語りが面白く読ませる。
【「かわのほとり」柳沢そうび】
 見寿という女性は、父親が誰かもわからない子供を産んで育てている。病弱な赤ん坊の診察をしてくれるのが、カワセドウジという、何かの化身のような医師である。子供が成長すると男は姿を消す。超常的で限定的な心情を表現する。
その他、小説に【「賜物」新村苑子】がある。息せき切った当事者的迫力があるが、息子が不審死する家庭とその親族の話。事件としたものではありがちなこと。冷静に物語の、冷ややかな感覚で語る手順もあるのではないか。【「北越雪譜と苦海浄土」榎本宗俊】厳しい現実のなかに、雪に埋もれ、公害に埋もれていく多くの民衆の存在を想起させるものーーなどもある。
発行所=〒945-0076新潟県柏崎市小倉町13-14、玄文社内、「北方文学会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

| | コメント (0)

2019年8月 4日 (日)

文芸同人誌「北狄」第387号(青森市)

 本誌の前号に掲載の笹田隆志「一九九九年九月三〇日」は、東海村の原子力施設の人的なミスによる事故を、その災害対策に出動した消防隊の立場から小説化したもので、出来事の事実を伝えないでいたことに触れているので、暮らしのノートITO「文芸と思想」に特記した。何が起きているかを、メディアが伝えない風潮に対する警告にもなっている。
【「選ばれし民」福士隆三】
 イスラエルのユダヤ民族の流浪の歴史の苦労と、発想の優秀性を「イスラエルがすごい」(熊谷徹・著)をベースにした全体像を語る。そして、日本の民族性について、その比較をし、見習うべきではなかろうか、としている。たしかに、ユダヤ人系の優秀頭脳は、アインシュタインやマルクスなどノーベル賞ものの発想思想で世界的に影響を与えている。また、そうした功績があるし、頭脳的総合的優秀性は際立っている。ヤハヴェのユダヤ教と日本の神社神道と発想が異なるが、似ているという説もある。そこで、経済循環的に衰退期に入った日本国の参考に出来る面を取り上げたもの。ただ、イスラエルという国家とユダヤ民族とは同一に思えないが、こうした論は少ないので参考にはなる。
【「回想する伊都子」秋村健二】
 70代後半の女性の体験談の独白を記録した形式の話。女性は思春期ともいえる若さなのに、村の有力者から頼まれる。何でもその家の息子が嫁をもらう筈であったが、どこかに無理があって、恋人らしき男と共に姿を消したという。そこで、家の手前、息子の結婚の披露宴をしなければ恥になる。そこで、形だけでも整えるため、披露宴の花嫁の代役だけをして欲しという。しつこい依頼に折れて、それを承諾。嫁ぐことになる。そこから女性の数奇な人生を送る。数奇と言っても、日本の家長制度と村社会のなかで翻弄されたもので、今でもその名残を知る人には、納得のいく興味深い内容である。
【「天守に祈る」青柳隼人】
 多発性骨髄腫というのは、大変な難病らしい。息子がその病気になったことと、家族としての心痛と、友人関係を描く。小説としてあれこれ、旅先での風物などを細かく描いた労作である。このような状況を描く創作は珍しいので、なるほどこのようになるか、と納得した。実際には、自分は、ずっと若い妹が癌で、あっという間に亡くなって、2度の見舞い面会しかできなかった思い残しがあるが、そのことについて、なにも書いていない。まだ、物語化する手がかりをつかめていないのが現状である。そこが創作の難しさであろう。
発行所=038-0021青森市安田近野435-16、北狄社。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

| | コメント (0)

2019年7月28日 (日)

文芸同人誌「R&W」第26号(名古屋市)

【「あの日」霧関忍】

 太平洋戦争で、お国のために命を捨てた兵士たちの中で、生き残った兵士の血なまぐさい過去の語り。その兵士の友人で亡くなった兵士の子供が、父親が誰のために何のために死んだのかを考える。語り手が交互に語ることで、問題提起が明確になっている。構成も筋の運びもよく、次世代に伝える論理としても有効な作品に思える。

【「向日葵はエレジーを歌わない」前田三紀】

 同居の姑を98才でみとった真希子は、その歳まで人生を過ごすことはどういうことなのか。姑のなくなったその日までの日にちをカウントダウンをしながら毎日を過ごす。その過ごし方を丁寧に描くが、ある意味で、めぐまれたゆとりのある生活の作文で、書くことで、自己の存在意識の定着をはかったものに読めた。

【「都合」小路望海】

 平成33年という、今では存在しない年号の近未来小説である。現代を反映した人の生活ぶりを描き、特に女性の子育てにまつわる話。混乱した生活ぶりが描かれ、なるほどそうなるのかという生活感覚を表現する。令和時代の人々のさまざまな解釈ができそう。こういうのが時代の傾向というのであろうか。

【「還る」渡辺勝彦】

 天空の神の使いでもある鷲の目で、人間世界を見下ろす。チベットの鳥葬をヒントにしたのか。人間は死して、肉体を鷲に提供して功徳とする。ツェドゥンと母親、家族を通して生けるもの輪廻を語る。チベット仏教の経文は、金剛般若経に共通点があって、自分はその経典で座禅を修業をしたことがある。存在は本質的に無であるがゆえにその姿、現象を変化させ得るーという「無我相」がその根底にあるが、その感覚が身につこととなく、距離が出来てしまうことがある。

【「菜の花畠に火影が落ちる」松本順子】

 佐和というフリーライターで図書館司書をしている女性の生活物語。冒頭に事件のメディア報道のことが書いてあるので、どんな関係かと思えば、ただ観ただけ。えっと驚かせる効果はある。独り暮らしの不安を描いたのかも。生きることへの実感がないことを示したのか、ただふわふわとした気分で生活する女性の実地を描いたのか、知り合いの人的交流による悲話も緊張感が欠けるような気がする。これが現代的風潮なのか、どう受け止めたらいいか、自分にはわからなかった。

【「僕と流れの深い仲」久田ヒロ子】

 ペットブームを反映したのか、物書きに買われた猫の独白である。現代版の「吾輩は猫である」には程遠いもので、希薄な社会意識なのか、動物の世界に身を置くことで、ストレス解消になるという、世相の反映をしたものであろう。

【「帰り花」寺田ゆうこ】

 寺にいる京都弁の女性による語りで、雰囲気小説の体裁。昔、南先生という女性が、弟と妹を連れて東京の空襲を逃れて、この寺にいた縁を語る。戦後、若い男と駆け落ちしたが、その男には婚約者がいたそうである。その経緯を聴いている人がいて、それが南先生の子供らしいという因縁話。

発行所=名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

| | コメント (0)

2019年7月19日 (金)

文芸同人誌「石榴」第20号(広島市)

【「消せない」木戸博子】

 女性の性意識とその体験を、良かれ悪しかれ体験として、心に刻まれた記憶を語る。女性の性に関する感覚と意識の独自性については、千人千様の様相がある。なにがあってもおかしくない世界である。そのなかで、主人公の私は、自意識があって文学的センスのある男性との接触望んでいたが、感覚の違いでが、関係のすれ違いを産む事例を語る。終章の一行「観念的で潔癖な男友達ともあれきりになった」とある。おそらく心の奥では、語り手は、現在も当時の感覚をもっていると、推察できる。

 清楚な筆致で女性の心理が描かれていて、大変面白く読んだ。しかし、良く考えると、同人誌作品には、段取りが悪い下手な文章で、語るべきことが何であるか不明な作品が多く、推理を交えて読まないと、意味がとれないことが多い。それに、慣れた感覚で本作を読んだことで、大変にすっきりとした佳作に思えた可能性もある。ここでは精神のみに絞ることで、芸術性の維持がなされている。現代では、小説芸術についてアンドレ・ブルトンのように、「劣等なジャンル」とされるほどの俗悪な部分を持つことを考えると、肉欲的な部分の扱いも重要なのかも知れない。が、それは文章芸術とし大変に難関であることは否定できない。

【「時軸あるいはルースキー・イズィーク」篠田賢治】

 作者は、ロシア語が堪能で、ドストエフスキーのロシア語版を収集していることが記されている。図書館の運営の民営化による通俗性の傾向は、東京24区でも影響があって、似ているところが興味深い。伝統的な名作や全集を片端から排除して、新本に切り替えている。ここでも図書館は大衆性のある本を揃えているが、少数者の読者しかいない本は、購入整備しない傾向についての事例を述べる。その他、自からの読書趣味や、ロシアの出版事情、合田君と話の通じる男との交流など、小説的にも大変面白い。ある意味で、このような知見を活かした作品は、文学愛好者の支持するところだと思う。

 その他、【「星置き」杉山久子ー石榴俳句館】、【「リフレインする泉」吉村鞠子】、【「映画に誘われて」オガワナオミ】などがある。

発行所=〒7891742広島市安佐北区亀崎2167、木戸方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

| | コメント (1)

より以前の記事一覧