2019年8月21日 (水)

文芸誌「中部ぺん」第26号(名古屋市)

 カラーグラビア写真つきの「中部ペンクラブ」機関誌とみるべきであろう。地域作家の同人誌の結集力を示すもので、勢いがある。概要は《第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号 》で解説した。ここでは、「北斗」転載の1作を紹介する。
【「うげ」棚橋鏡代】伊勢湾台風1959 年(昭和34年)の前年までの日本の家族制度のなかでの「きん」という娘の視点から見た、村社会的な共同体を形成していた時代の家族を描く。国鉄の操作場が近くにあり、無人踏切の事故では、線路工夫や自殺者の遺体が菰かぶっておいてある。焼き場のおんぼうの利一さんのこと、父親の栄一の傍若無人のふるまいも、時代のなかでは、普通のことである。とにかく、「きん」のみたことをそのままリアリズムで描き、「きん」の心情を除いて、栄一の死んだところで終わる。書き手の価値観が表現されることはない。これは、「仮想人物」を書いた徳田秋声の小説作法と並ぶところがある。ただ、書き記すことに徹する。混迷する現代文学に、投げ出されたひとつの小説の姿であろう。編集者の問題意識に感銘を受けた。
発行所=〒464-0067名古屋市千種区池下1-4-17、オクト王子ビル6F、「中部ペンクラブ」事務局。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

 

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2019年8月12日 (月)

文芸誌「北方文学」第79号(柏崎市)

文芸誌【「北方文学」第79号については、「玄文社主人の書斎」に詳しくある。
【「ヘンリー・ジェームスの知ったこと(二)」柴野毅実】
 H・ジェームスの作品は、映画化された「ねじの回転」しか思い出せない。S・モームの書いたもので、触れていたような気がする。それで、他にも読んだものがあるかもしれないが、気の長い書き方にあきれて、遠ざけていた。しかし、驚いたことに、心理小説がサディズム精神に満ちたものだという指摘には、まさに、「眼からうろこ」である。イジメの原理もまさに心理的な苦痛への働きかけであろう。人間は、快感と苦痛の強いものを記憶にとどめる。評者はH・ジェームスの心理の論理的展開を解説している。そういわれれば、作品の始まりの長々しいという印象も、心理の論理的展開の前提条件であったのか、という思いもある。随所に有意義な指摘があり、思わず引き込まれてしまった評論であった。
【「泉鏡花、『水の女』の万華鏡(二)『沼夫人』における旧さと新しさ」徳間佳信】
 泉鏡花の作品が、西洋の名作から影響された様子を解説する。言葉の芸術の面でみると、かつて前衛的表現とされたものが、時間と繰り返しのなかで、成熟と進化によって、前衛性を失い、通俗化することを考えさせられる。
【「新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち<13>」鈴木良一】
 労作であるが、今回は「北方文学」の同時代性における、詩誌の複数参加かかわる部分興味深かった。中にある詩誌「岩礁」の大井康暢( 2012年没)とは面識があった。三島での活動とも縁があったらしい。

【「和歌をめぐるふたつの言語観について(三)」石黒志保】
 仏教の基本かどうか分からないが、自分は空の概念といた金剛経の道場に通ったことがある。論旨と異なるかもしれないが「沙石集」と無住という著者の関係を知り、和歌のリズムが経文のそれと類似することへの関係について納得するものがあった。金剛経に「応無所住而生其心」とという有名な文言がある。
【「緑の妖怪」魚家明子】
 少女の語りで、植物的存在となった兄や両親の家族のなかで、妖怪の存在を信じる少女が緑の妖怪をみる。そして、成人してからも兄の秘密への想いがつきまとう。それからというところで終る。秘密性と軽やかな語りが面白く読ませる。
【「かわのほとり」柳沢そうび】
 見寿という女性は、父親が誰かもわからない子供を産んで育てている。病弱な赤ん坊の診察をしてくれるのが、カワセドウジという、何かの化身のような医師である。子供が成長すると男は姿を消す。超常的で限定的な心情を表現する。
その他、小説に【「賜物」新村苑子】がある。息せき切った当事者的迫力があるが、息子が不審死する家庭とその親族の話。事件としたものではありがちなこと。冷静に物語の、冷ややかな感覚で語る手順もあるのではないか。【「北越雪譜と苦海浄土」榎本宗俊】厳しい現実のなかに、雪に埋もれ、公害に埋もれていく多くの民衆の存在を想起させるものーーなどもある。
発行所=〒945-0076新潟県柏崎市小倉町13-14、玄文社内、「北方文学会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2019年8月 4日 (日)

文芸同人誌「北狄」第387号(青森市)

 本誌の前号に掲載の笹田隆志「一九九九年九月三〇日」は、東海村の原子力施設の人的なミスによる事故を、その災害対策に出動した消防隊の立場から小説化したもので、出来事の事実を伝えないでいたことに触れているので、暮らしのノートITO「文芸と思想」に特記した。何が起きているかを、メディアが伝えない風潮に対する警告にもなっている。
【「選ばれし民」福士隆三】
 イスラエルのユダヤ民族の流浪の歴史の苦労と、発想の優秀性を「イスラエルがすごい」(熊谷徹・著)をベースにした全体像を語る。そして、日本の民族性について、その比較をし、見習うべきではなかろうか、としている。たしかに、ユダヤ人系の優秀頭脳は、アインシュタインやマルクスなどノーベル賞ものの発想思想で世界的に影響を与えている。また、そうした功績があるし、頭脳的総合的優秀性は際立っている。ヤハヴェのユダヤ教と日本の神社神道と発想が異なるが、似ているという説もある。そこで、経済循環的に衰退期に入った日本国の参考に出来る面を取り上げたもの。ただ、イスラエルという国家とユダヤ民族とは同一に思えないが、こうした論は少ないので参考にはなる。
【「回想する伊都子」秋村健二】
 70代後半の女性の体験談の独白を記録した形式の話。女性は思春期ともいえる若さなのに、村の有力者から頼まれる。何でもその家の息子が嫁をもらう筈であったが、どこかに無理があって、恋人らしき男と共に姿を消したという。そこで、家の手前、息子の結婚の披露宴をしなければ恥になる。そこで、形だけでも整えるため、披露宴の花嫁の代役だけをして欲しという。しつこい依頼に折れて、それを承諾。嫁ぐことになる。そこから女性の数奇な人生を送る。数奇と言っても、日本の家長制度と村社会のなかで翻弄されたもので、今でもその名残を知る人には、納得のいく興味深い内容である。
【「天守に祈る」青柳隼人】
 多発性骨髄腫というのは、大変な難病らしい。息子がその病気になったことと、家族としての心痛と、友人関係を描く。小説としてあれこれ、旅先での風物などを細かく描いた労作である。このような状況を描く創作は珍しいので、なるほどこのようになるか、と納得した。実際には、自分は、ずっと若い妹が癌で、あっという間に亡くなって、2度の見舞い面会しかできなかった思い残しがあるが、そのことについて、なにも書いていない。まだ、物語化する手がかりをつかめていないのが現状である。そこが創作の難しさであろう。
発行所=038-0021青森市安田近野435-16、北狄社。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年7月28日 (日)

文芸同人誌「R&W」第26号(名古屋市)

【「あの日」霧関忍】

 太平洋戦争で、お国のために命を捨てた兵士たちの中で、生き残った兵士の血なまぐさい過去の語り。その兵士の友人で亡くなった兵士の子供が、父親が誰のために何のために死んだのかを考える。語り手が交互に語ることで、問題提起が明確になっている。構成も筋の運びもよく、次世代に伝える論理としても有効な作品に思える。

【「向日葵はエレジーを歌わない」前田三紀】

 同居の姑を98才でみとった真希子は、その歳まで人生を過ごすことはどういうことなのか。姑のなくなったその日までの日にちをカウントダウンをしながら毎日を過ごす。その過ごし方を丁寧に描くが、ある意味で、めぐまれたゆとりのある生活の作文で、書くことで、自己の存在意識の定着をはかったものに読めた。

【「都合」小路望海】

 平成33年という、今では存在しない年号の近未来小説である。現代を反映した人の生活ぶりを描き、特に女性の子育てにまつわる話。混乱した生活ぶりが描かれ、なるほどそうなるのかという生活感覚を表現する。令和時代の人々のさまざまな解釈ができそう。こういうのが時代の傾向というのであろうか。

【「還る」渡辺勝彦】

 天空の神の使いでもある鷲の目で、人間世界を見下ろす。チベットの鳥葬をヒントにしたのか。人間は死して、肉体を鷲に提供して功徳とする。ツェドゥンと母親、家族を通して生けるもの輪廻を語る。チベット仏教の経文は、金剛般若経に共通点があって、自分はその経典で座禅を修業をしたことがある。存在は本質的に無であるがゆえにその姿、現象を変化させ得るーという「無我相」がその根底にあるが、その感覚が身につこととなく、距離が出来てしまうことがある。

【「菜の花畠に火影が落ちる」松本順子】

 佐和というフリーライターで図書館司書をしている女性の生活物語。冒頭に事件のメディア報道のことが書いてあるので、どんな関係かと思えば、ただ観ただけ。えっと驚かせる効果はある。独り暮らしの不安を描いたのかも。生きることへの実感がないことを示したのか、ただふわふわとした気分で生活する女性の実地を描いたのか、知り合いの人的交流による悲話も緊張感が欠けるような気がする。これが現代的風潮なのか、どう受け止めたらいいか、自分にはわからなかった。

【「僕と流れの深い仲」久田ヒロ子】

 ペットブームを反映したのか、物書きに買われた猫の独白である。現代版の「吾輩は猫である」には程遠いもので、希薄な社会意識なのか、動物の世界に身を置くことで、ストレス解消になるという、世相の反映をしたものであろう。

【「帰り花」寺田ゆうこ】

 寺にいる京都弁の女性による語りで、雰囲気小説の体裁。昔、南先生という女性が、弟と妹を連れて東京の空襲を逃れて、この寺にいた縁を語る。戦後、若い男と駆け落ちしたが、その男には婚約者がいたそうである。その経緯を聴いている人がいて、それが南先生の子供らしいという因縁話。

発行所=名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2019年7月19日 (金)

文芸同人誌「石榴」第20号(広島市)

【「消せない」木戸博子】

 女性の性意識とその体験を、良かれ悪しかれ体験として、心に刻まれた記憶を語る。女性の性に関する感覚と意識の独自性については、千人千様の様相がある。なにがあってもおかしくない世界である。そのなかで、主人公の私は、自意識があって文学的センスのある男性との接触望んでいたが、感覚の違いでが、関係のすれ違いを産む事例を語る。終章の一行「観念的で潔癖な男友達ともあれきりになった」とある。おそらく心の奥では、語り手は、現在も当時の感覚をもっていると、推察できる。

 清楚な筆致で女性の心理が描かれていて、大変面白く読んだ。しかし、良く考えると、同人誌作品には、段取りが悪い下手な文章で、語るべきことが何であるか不明な作品が多く、推理を交えて読まないと、意味がとれないことが多い。それに、慣れた感覚で本作を読んだことで、大変にすっきりとした佳作に思えた可能性もある。ここでは精神のみに絞ることで、芸術性の維持がなされている。現代では、小説芸術についてアンドレ・ブルトンのように、「劣等なジャンル」とされるほどの俗悪な部分を持つことを考えると、肉欲的な部分の扱いも重要なのかも知れない。が、それは文章芸術とし大変に難関であることは否定できない。

【「時軸あるいはルースキー・イズィーク」篠田賢治】

 作者は、ロシア語が堪能で、ドストエフスキーのロシア語版を収集していることが記されている。図書館の運営の民営化による通俗性の傾向は、東京24区でも影響があって、似ているところが興味深い。伝統的な名作や全集を片端から排除して、新本に切り替えている。ここでも図書館は大衆性のある本を揃えているが、少数者の読者しかいない本は、購入整備しない傾向についての事例を述べる。その他、自からの読書趣味や、ロシアの出版事情、合田君と話の通じる男との交流など、小説的にも大変面白い。ある意味で、このような知見を活かした作品は、文学愛好者の支持するところだと思う。

 その他、【「星置き」杉山久子ー石榴俳句館】、【「リフレインする泉」吉村鞠子】、【「映画に誘われて」オガワナオミ】などがある。

発行所=〒7891742広島市安佐北区亀崎2167、木戸方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2019年7月16日 (火)

文芸同人誌「私人」第99号(東京・朝日カルチャー)

【「八月の残照(後篇)」杉崇志】

 太平洋戦争で、兵士になっていた父親の人生を追うなかで、子供が自分の父親親探しをする話がメインなのか。

【「叔父の手記」えひらかんじ】

 叔父・河野数之の「生き残るの記」の手記を派遣する。1946年から結核にかかり清瀬の療養所に入所。当時は死に至る病であったが、ストレプトマイシンの製品化に間に合い一命をとりとめる。そこからの人生が語られる。いわゆる額縁方式の作品であるが、おそらく実話であろう。記録的な意味を感じた。

【「ウエールズの父(一九三九年)」根場至】

 山登りが好きな叔父の話。

【「曖昧な記憶」みやがわ芽生え】

 既婚女性の家庭と離婚と、その元夫が交通事故にあって、いろろなことが起こる。しかし、記憶が曖昧であるという、そのままの話。

【「五十年後の復刊ー三木卓の『ミッドワイフの家」尾高修也】

 三木卓の掲題にの小説が復刊されており、その作品への作者のこだわり方が指摘されている。よくその意味を考えてみたいものだ。文章をかけば小説になるというのは、天才のやることで、娯楽作品なら読者に時を忘れる面白さを、純文学なら、こだわることへの強さを求めたい。どちらでもなければ、ただの作文としか読めない。文章をくふうしてこそ小説になるのだがなあーー。ただ、最近の文芸というもの対する考え方の表れを知ることができる。

  その他【「和解」笹崎美音】、【「トサカ」百目鬼のい】、【「マイ・ウェイ/和子の選択」根場至】、【「セロニアス・モンク」杉崇志】などがある。

発行所=朝日カルチャーセンター

紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2019年7月13日 (土)

文芸同人誌「相模文芸」第38号(相模原市)

【「ジュリアン」竹内魚乱】

 ベトナム戦争時代の青春物語。「ジュリアン」というスタンダールの「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルにちなんだ名の喫茶店でアルバイトをした時の経験談。自分もその時代に就職したばかりで、毎日、北爆のニュースを見て、過ごしていた。主人公はノンポリ学生のようで、こんな生活もあったのだ、と理解できる。

【「漢詩ことはじめ…薔薇夫人に捧ぐ」雲鳥】

 漢詩の専門家である庄三の近所に、薔薇園とも言えるほどの花壇をもつ屋敷がある。唐木家である。そこには40代の唐木とその妻、車いすの娘がいる。庄三は、妻のことを薔薇夫人と称して語る。車いすの娘は眼は薔薇の話すのが聞こえるという特技をもつ。舞台装置と、人物配置が文学的で良いが、話の運びが漢詩人のせいか、全体の流れは、小説技術の巧さに欠ける。ただ、現在の文学には、詩編や文芸批評を入れたりする試みもあり、実験的な意義は感じられる。

【「泡沫」えびな銀子】

 結羽という幻の女性への想いと、現代化による昔ながらの町の佇まいの変わりゆく風景を嘆く掌編。

【「露しぐれ(二)-殺生石異聞捨遺」原當眞】

 連載だが、野ざらしを供養したことから、霊との交流が始まる。日本の伝統的な話を活用している。文章も文句なし。こういう書き手が市中に存在するところが、日本文学の層の厚みを感じさせる。

【「私説『実感的人生論』」登芳久】

 本号では、菊池寛から松本清張、久保田万太郎、細井広沢、死に化粧の話まで多岐にわたる。前号では、「全体小説を読む」として、野間広「青年の環」、大西巨人の「神聖喜劇」などの読破に触れていた。自分も、野間宏の全体小説論には傾倒し「真空地帯」や「青年の環」は読んでいたのでディレッタンチズムとしても興味深かった。

【「続・高齢者が日常で出あう危険」外狩雅巳】

 前号で、作者がなりすまし詐欺と知りつつ、その対応を積極的に行うという体験談の続編である。自分が詐欺師にどう対応したかを、意識的に記録したものだが、誰でも話に乗れるデータ―ベース的な豊富さで、文芸交流会でも議論が盛んだった。≪参照:「されど老春の日々」(外狩雅巳)を交流会で議論 》。自分が考えるに、かつてアナーキズム詩人の小野十三郎が、現実を示して、問題的とするという発想があった。その意味で、自分は、こうした詐欺師たちは、高齢者の欲望を作りだしたことの証明の事例としてみる。物を買うためなどの欲望に金を使わないのであるが、もっている金を増やすためや、孫や親族のためには、お金を使いたいという欲望をかきたてることに成功している事実を知った。また、事実としては、電話を取り外してしまえば、問題は起きない。しかし、それをしないということは、電話をかけてくる人を待っているということ。詐欺師にすれば、それは騙される機会を待っていることにもなるのだ。

発行事務局=相模原市中央区富士見3-13-3。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年7月 7日 (日)

文芸同人誌「海」(第二期)第22号

文芸同人誌「海」(第二期)第22

【「レンゲと『市だご』」上水敬由】

 「市だご」というのは、昔からある団子のようだ。それを買いもとめる話と、映画の俳優のセリフ字幕文字が、英語のオリジナルのセリフそのまま訳すと、差別用語になるので、それに抵触しないものに変換されている事実を指摘する。正確であるべき表現としては、適切なのに「差別用語」と批判されることを恐れ、当たり障りのない言葉や、物語にして自己規制することに対する警戒心が出ている。ライターが機関誌などを編集したり、原稿を書く場合は、この差別用語がないかチェックすることから仕事がはじまるのが、実情である。

【「流れ雲」牧草泉】

 いつの時代は、かなり昔のことらしい。彼と称する若者の生い立ちから思春期までの物語。父親は病死したとあり、兄がいる。イニシャルの人物などが存在するところからすると、自分史の一部なのかとも思えるが、その辺はわからない。いわゆる 教養小説 (ビルドウンクス・ ロマン)の部類であろうか。

【「FAIR&UNPREJUDICE」川村道行】

 フェアトレードの講義を受けている語り手が、就職、転職のいきさつを述べる。作文の範囲であるが、なぜ、この話なのかは不明。

【「鼻の記憶」】

 慧という少年の炭鉱の町の住民としての生活ぶりを描く。当時の炭鉱労働者の生活を描いたものだが、部分的には生きているところがあり、厳しい環境のなかで生きた2度とない過去を偲ぶ雰囲気小説的な作品に読めた。

【「一番鶏と青い空」有森信二】

 釘山触という田舎町の町役場に勤める職員の視点で、地域共同体の出来事を語る。問題となっているのは、町のゴミ焼却施設設立の是非である。各章のはじまりを、鶏のコケコッコーの鳴き声を出す、知的障害の女性のことから始めることで、なんとなく風刺的な軽さもった洒脱な雰囲気をだしている。昭和の戦後生まれの世代は、村社会的なで軍国的雰囲気から、共同体の保持のための村八分もあったりしていた。それを打ち破ろうと、当時の若者たちは、地縁、血縁、親戚縁に反抗していた。しかし、この作品では、共同体を維持する結束力について、排除のない暖かい雰囲気に描いている。核家族化した孤立した人々になった現代社会を皮肉るような筆致で、作者の表現感覚の独自性が出ている。

【「大杉栄と友人林倭衛」井本元義】

 新宿にあった文壇バー「風紋」のマダム林聖子氏は、画家・林倭衛の娘さんで、昨年に店じまいした。林倭衛の妻で、母親の富子が太宰治と親しくなって、当時10代の頃の出会い作品「メリイクリスマス」のモデルになっている。本作の井本氏も「風紋」に通ったらしい。画家の林は、大杉栄や辻潤と親しく、本作にもあるが大杉栄の肖像画も描いている。辻潤の妻であった伊藤野枝は、大杉栄のもとに奔り、最終的に甘粕大尉に大杉と共に惨殺される。そうした経緯を林の視点で想像力を発揮して物語にしている。甘粕大尉のその後の運命を描くなど、良く調べてあって興味は尽きない物語である。自分は、作家の森まゆみ氏の調べた林倭衛の生涯の年表を、詩人・秋山清を偲ぶコスモス忌でレジュメにしていたので、それを「暮らしのノートITO」で公開したところ、坂井てい氏から連絡があり、なんでも雑誌「東京人」に発表する素材なので、未発表なものなので削除してほしいという要請が森氏からあったそうで、その部分だけは削除したことがあった。

発行所=〒太宰府観世音寺11533、松本方。《「海」第二期

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年6月29日 (土)

文芸同人誌「文芸中部」111号(東海市)

【「青い季節」朝岡明美】

 中学生の「ぼく」の視点である。家族の構造を描くといとうほどでもない。戦争の話も出るがのタイトルのとおり「ぼく」感覚の発露を表現している。

【「黒い蛇とワルツを」西澤しのぶ】

 夫が浮気をしてるなかでの美幸は、息子の持ち込んできた黒い蛇の命を、結果的に助けたことになる。すると黒い蛇が超常現象を使って、美幸に恩返しをしたいといってくる。その蛇の化身に助けられ、家庭円満になる兆しで終る。超常現象とホームドラマを結びつけた点で、物語化に関する時代の傾向を感じさせる。

【「戯作者あがり」本興寺更】

 明治8年に新聞紙条例が出来た頃の新聞記者の話。前号につづく読み切りシリーズである。今回は、北海道の樺太と千島にロシア人が入り込み、狼藉を働いているという事実がある。政府がそのことを国民に知らせていないということがわかる。いわゆる屯田兵を置いた時代のことである。しかし、新聞が政府に都合の悪いことを書くと、処罰される。すでに何人かの新聞記者、編集者が牢獄に入れられている。そんな時じょうほうを勢の時に、小さな新聞社の才助は、北海道の東京出張所の役人から、直接現地の情報を得る。役人は自分の首を覚悟で才助に情報提供したのだ。時代は異なるが、ジャーナリズム課題につては、現代とまったく重なるものを意識していることがわかる。大変読み応えがある。題材が良いので、長編に書くものがあれば、広く世に問うことが可能であろう。

【「『東海文学』のことどもから(4)」三田村博史】

 読むほどに興味が尽きないが、ざっと流して書いているようなので、それぞれ深堀りしたものを読みたくなるが、この時代と現代との読者層のズレをどうこなすか、考えさせられる。たとえば、この同人誌紹介でも、作品の良い悪いを自分が評価したとしても、どれだけ一般性があるのか、まったくわからない。批判するにしてもそうである。だから、評価を含んだものが、少なくなる。さらに、自分だけの文学観もあるので、否定的な作風もあるが、それが世間的には良いのかも知れないのだ。

【「影法師、火を焚く(第12回)」佐久間和宏】

 本来の大長編小説を同人誌に連載することは、難しいことだが、その意味について考えさせられた。

【「逃げていく」堀井清】

 佐田武夫の家族が、軽自動者を使って、義母の見舞いに行った。その帰りに妻のゆき子が運転した。その途中で、妻は運転を誤り、歩行者と接触事故を起こすが、警察に届けずひき逃げをしてしまう。現在、高齢者のドライバーの運転ミス事故が多く、そのあり方が問われている。そうした意味で現代的な素材である。作品では、この事件を通した家族関係が、武夫の視点、息子の満の視点、ゆき子の視点で、現代人の孤独を独自の文章雰囲気を駆使して描く。

【「二兎追い」安田隆吉】

 普通の小説として読み始めたが、これは体験記らしいと思い始めた。病気で身体的ハンディを持ちながら生き抜く様子がわかかる。時間的な経過説明に飛躍があるが、話に熱があり、読ませる。この飛躍は、現代詩的な難解さよりも優れている。

発行所=〒4770032愛知県東海市加木屋町泡池11318、三田村方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2019年6月23日 (日)

文芸同人誌「奏」38号2019夏(静岡市)

【「評伝藤枝静男(第五回」勝呂奏】

 作家・藤枝静男の昭和44年からの作品「欣求浄土」「厭離穢土」などのからはじまり、その時期の気分や、新聞・雑誌の批評の内容を順次詳しく追ってゆく。読み始めたら、まるで作家の精神史と作品をめぐる物語を読むように、興味をかきたてられ、考え考え読み通してしまった。おそらく、自分のように自己主張をどのようにしたらよいかわからず、日常生活報告的小説を書くことに少しでも疑問をもった人がいたら、おすすめをしたい。藤枝が、いかに自己の日常を題材に、幾何数学の補助線を想定するように、私小説を拡張していたかを、知ることは有益であろう。自分は藤枝作品を12編しか読んだ記憶しかないが、それよりは多く読んでいるらしいことを知った。それはおそらく彼の作品が、彼の友人でもある埴谷雄高(その親しさの深さはこれで知った)読むことで、それに関連した形で読んでいたようだ。筑摩現代文学全集には、藤枝と埴谷が同時収録されている。ここで分かるのは、文壇という作家ギルド的世界のなかで、さらなる藤枝の作品に注目する作家と文芸評論家の強いつながりである。

 文壇的なつながりが、純文学の年配作家の間にあるにしても、こうした交流関係は珍しいのではないか。読者の批評もあるであろうが、専門家による理解度とその評価は、おそらく藤枝ならではのものだとわかる。またかれが、志賀直哉のわがままにも思える自己確信に対する畏敬と、藤枝の自己嫌悪癖には関連があることがわかる。それにしても、作者の意図、評論、評論掲載紙・誌を有機的に連携させて良く調べたものである。

【「女たちのモダニティ②佐川ちか『死の髯』『言葉』-世界を二重化する言葉」戸塚学】

  詩人・佐川ちかの詩とそのイメージについての評論。自分は良く知らない詩人なので、掲載情報として研究者向けに記録する。

【「小説の中の絵画(第十回)川端康成『美しさと哀しみと』(続)-肖像画の描き方」中村ともえ】

 川端の掲題の作品のなかでの、取りあげられた絵画や彫刻に関する分析である。これも対象の作品を読んでいないのだが、岸田劉生、ロダンなどの作品が登場している。その他【「堀辰雄旧蔵洋書の調査(15)プルースト⑨」戸塚学】がある。

4200881静岡市葵区北安東1912、勝呂方。

紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

 

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