2019年1月 9日 (水)

文芸同人誌「ガランス」第26号(福岡市)

【「そうぞうの時間」野原水里】
 中学校の生徒の話とは思えないほど高度な知的レベルの生徒と教師たちの話。「そうぞうの時間」というのを教師が設定する。想像でも創造でもよいから、そこで話し合いをしようというものだ。生徒の中に、愛美という生徒がいて、登校すると教室にいかず保健室にいって、好きな絵ばかり描いている異端の生徒がいる。
 この生徒が、「そうぞうの時間」に、芥川龍之介の作品「蜜柑」の解釈について、感想を述べ合うと、俄然興味をもち、クラスに溶け込んでいく。教師の苦労と、生徒の関係について、イメージの膨らむ良い作品であった。
【「十五歳の遺書」櫻芽生】
 夏鈴が中学高学年。彼女の母が、結核で入院。事情があって実家の神職をしている兄の家に世話になる。すると夏鈴は、母親の兄の光彦に強姦されてしまう。そのことは、秘密にして恨みが残る。光彦には結婚した妹がいて、その息子に蒼一朗いた。夏鈴とは幼なじみで、子供の頃よく遊んだ。そうしたなかで、ある雨の夜、光彦は妻の京子と寝室で寝ている時に、何者かの侵入者に襲われ殺されてしまう。
 その日、夏鈴は犯罪のあった部屋で、かつて蒼一朗にあげたストラップを見つける。それを、蒼一朗にそっと返す。そこで、蒼一朗が夏鈴と光彦の秘密を知っているのではないか、と疑う。その結果、彼が光彦を殺したと思いこむ。そこで、蒼一朗を救うため、自分が光彦を殺したという遺書を書いて、入水自殺をする。ですます調で、ミステリー雰囲気小説でまとまっている。ただ、読者に感じさせたいことを作者がどんどん語るので、何となく横溝正史を想い浮かべてしまった。
【評論「プラトン・ミュートス考(その3)」新名規明】
 ギリシャ哲学の学問的追求のようで、難しそうに思ったが、読んでみると現代思想の基本がここから出ていることがわかり、終わりまで通読してまった。結果的に面白かった。
 編集発行人=小笠原範夫。発行所=「ガランスの会」〒812-0044福岡市博多区千代3丁目2-1、(株)梓書院内。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年1月 7日 (月)

文芸同人誌「季刊遠近」第68号(横浜市)

【「青空フリーマーケット」小松原蘭】
 バツイチで32歳、一人暮らしの「私」。女友達に誘われ町のフリーマーケットに参加することにする。私には、マサージ師をしている22歳の男と恋仲になる。だが、男の方からは、最近は飽きられて、別れたがっている。そこへ、フリーマーケット専門の窃盗にやられる。困っているところに、フリマ慣れした若い男助けられる。そこで、その男に恋をする。女心は異常気象。気分だけで、物事を決める。その生活意識の女性的くだらなさを、いちいち書ききっているところに、現代的な作家手腕を感じる。
【「働かざる者食うべからずだと」逆井三三】
 出だしは21世紀の社会を論じているので、評論かなと思っていたら、浩一という男の半生記のようなものに変わる。まず、15歳くらいのころ、性欲がでてきて、女性と付き合うが、性的な関係には至らない。それを思春期の恋とする。美人が好きだということもなく、不美人でも良いと思っている。一部引用すると、
 ――21世紀に生きる普通の大学生であるはずの浩一は、未来に何の希望ももっていなかった。といって現在の生活に困っているわけでもないし、未来に対する危機感を抱いているわけでもないーーとするところがある。
 やがて大学生で明美という美人でもないが、太り気味の女性と交際し、童貞と処女が納得し合って男女の関係になる。
 要するに安定した社会の制度に適合して、なにも成し遂げなくて、50代の人生を問題なく過ごしているということが示される。そして、最終文にー私は幸福だったーという過去形のことばで終る。
 昭和で20年間、平成で30年間の平和な人生を描いて、この時代の人生の本質を浮き彫りにしている。
 純文学として理解するならば、一般的な人生観にこだわらないことに、こだわった点で、評価にできるかも。多くの人は、平凡であることの非凡さに同感するのではないだろうか。
【「妾子作家列伝」藤民央】
 それぞれ著名な作家の出生の状況をよく調べて、説明している。明治、大正、昭和の時代の環境で、人が自分の立場をどう理解するかの資料になる。取り上げている作家は次の通り。
 木村曙(1897-1890)/木村艸太(1889-1950)/木村荘八(1893-1958)/木村荘十(1897―1967)/千家元麿(1888-1948)/室生犀星(1889-1962)/高見順(1907-1965)/八木義徳(1911-1999)。
発行所=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


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2019年1月 5日 (土)

文芸同人誌「海」第Ⅱ期(太宰府)

【「あちらこちら文学散歩(第八回)最終回」井本元義】
 ランボーの伝記を追って語る。並々ならぬ傾倒である。ここでは、病を得て商人を止めて亡くなるまでの経過を、しみじみと語る。なかに、詩作を止めたその後のランボーを気にかけるのは、無意味というクローデルの意見を紹介している。作者はそれに反発している。自分は、作者に同感だが、理由は異なる。詩才を発揮しきった詩人が、表現の意欲を維持することは不自然に思うからだ。商売ではないのだから。長生きして谷川俊太郎のような生活の糧になるようなら、ランボーではありえないないくらいのことはわかる。とにかく天才の内面はわからない。有象無象の凡人には面白く読めた。作品「永遠」の訳は、わたしは、堀口大學のー空と海がつがったーが好きです。
【「白い秋」有森信二】
 加代子という息子への愛情にあふれた良き母が、偏った愛の作用に依存し過ぎて、妹の恭子を姉夫婦にあずけている。そして、結局は息子を自死に追い詰める犯人になってしまう悲劇。とにかく、筆力に文句はない。場面場面を積み重ねて、物語をすすめるという手法を熟知していて、一気に読み通せる。要するに面白いのである。しかし、息子と娘の恭子の立場の表現に書き込み不足を感じる。しかもそれをしたら、長くなってしまう。どうしたらよいか、他人の作品ながらも、自分も工夫を考えたが、解決の方法がわからない。これだけの手腕があるのだから、地域を舞台にして小説を書けば、地元の有力作家として次第に全国に広まるのではないか、とも思う。まあ、結局は表現者として、どうありたいかに関わることなので、余計なお世話であるが。
【「巡査の恋」中野薫】
 警官は公務員なので、いろいろ制約がある。その窮屈な立ち位置を描いて面白い。最近、警備の働き盛りの警官がピストル自死している。内面に知られざるストレスがあるのだろう。私は、学生時代には公安に、社会人になってからは自転車窃盗、収賄の嫌疑で取り調べを受けて来たので、いろいろな警官に出会っている。外部からでも微妙な立場の警官の姿を知ることができる。本作は、リアリズムが目的のようなので、これで良いと思う。表現力は充分で判かりやすい。実録的な要素を薄めるためには、恋をした女性警官をむちむちして、しかも筋肉質の体形を色っぽく表現できたら、フィクション味が加わるのではないか。
【「パレイドリア」高岡啓次郎】
 タイトルも理解できず、主人公が男か女か出だしでは分からず、それから読み進めた。作者の「あとがき」を読んで、語る主人公が死者であることを知り、少し考えさせられ、面白く思った。こういう場合なら「あとがき」を「まえがき」にして、それからさあ読んでみなさい、とした方が親切。趣味の問題で、読者に親切だから良いとは限らないですが…。
【「姉と僕の関係」牧草泉】
 「姉と僕」ではなく、「関係」があるので、近親相姦の話かとおもって、わくわくして読んだら、文学趣味での近親関係の話でした。なにしろ、当方は専門が経済畑で、ある文学部の教授から、「どうりで、君の話はダメな奴だの部類だとおもったよ」と言われたものだ。有象無象が、ほかの有象無象を研究するのが好きなだけで、文学はほんのその一部でしかないと思う。でも、文学に対する情熱が伝わってきて、面白かった。ところで、3日にNHKの現代資本主義の番組をみていたら、シュンペイターの言葉があって、いいぞと思ってみていたら、社会学者が経済学者は一部しか見ていなと、貶してた。まったく、とんでもない話だった。
【「静かなる奔流」井本元義】
 また、井本さんの作。巴里の彷徨が軽快に楽しく描かれ、流れるような文体で味わい深い。書き手が楽しく書くと、読んでも楽しみが増す。サンテ刑務所には無政府主義者が入れられていたとは、知らなかった。ましてや、アンリ・ルソーが入れられていたなんて…。そういえば、辻潤もパリに行っている。
 カトリーヌに似た女のジーパンの腰つきなんて、想像させられる。絵のヌードのモデルにするためのフーラを待つ時間は胸がときめくだろうな。自分も絵が好きだから、いいなあと思う。
 ところが、日本の出来事の話になると、やはり湿潤な重い感じ。しかも、ラストは、主人公は死んでいたんだね。タイトルの意味がわかった。
発行人=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33、松本方。「海」編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2019年1月 1日 (火)

文芸同人誌「海」98号(いなべ市)

【「熟柿」宇梶紀夫】
 熟柿が嫁いだ妹から送られてくる。それを主人公の雅夫と妻の綾子とで食べる。家には、妻の母がフサが同居している。それが話の枕になっている。妻が肺がんの手術をして結果がよいので、2泊3日の北海道旅行に行く。そこで、蟹を食べるが、雅夫はひどい下痢を起こし、治らない。特別な細菌に腸をやられていたのだが、病院に行ってもどんな菌かわかるまで、治療に時間がかかったのだ。その下痢をしながらの過ごし方が、リアルで迫力がある。やがて、フサは亡くなるまでの話。家族と人生の晩年をみっちり描いて、身につまされる。それでいいのだと、思わせる生活感がある。風土色の強い作品を書いてきた作者の作品の方向性を変えたような味のある作品。
【「常田太助の晩節」国府正昭】
 理髪店を経営をする水谷という高齢職人の店内を舞台にした連作の最終回。いつの間にか理髪店が定年退職した人の自治会役員会のようになってしまっている。ユーモアを含みながら、町内に起きたエピソードを披露する。そういうことあるあると、同感させるものがある。
【「炎の残像」宇佐美宏子】
 老境を迎えた女性が、電車のなかで、昔の恋人とそっくりな若者が乗っているのに気付く。若者は眼をつけるように眺める老女をうんくさい視線をなげかけ、下車してしまう。彼女はその若者が、恋人が生きて存在していることを信じる気持ちになる。人間は現実と幻影のちがいを混同するというより、同一的に解釈する。作品は、ただ似ているという体験から、一歩先に出たの想像力の発揮が良いが、平凡感がある。だが、方向性は納得できる。
【エッセイ「音楽と日々―LA Musique Les Jours」久田修】
 周囲の人たちを病や高齢で失い、音楽を聴くことに生きがいを見出している。作曲家の名前や曲名を読むだけで感慨を覚える。読む自分は若い頃、オーディオ愛好家の家に取材で多く訪ねたことがある。音楽がセラピーになるようであった。うつ病を治した人もいる。自分は耳鳴りが常時していて、楽しみが減った。新年のNHKウィーンフィルの演奏ぐらいはTVで観るつもりだけど。
【「たらり たらりら」遠藤昭巳】
 神社の祖父は神職であるが、息子夫婦は家を出てしまった。その長男である幸輔は、祖父と暮らしながら、頼まれて神職の手伝いをしている。祖父の友人に喜多と言う人がいる。サラリーマンを退職後、神職になった人だ。能にくわしい。祖父に後継を期待されながら、その決心がつかない。喜多は、幸輔に能の謡の教本を与える。そこで、祖父の代理に広島の姉の家の新築地鎮祭を引き受ける。手堅い描写力で神職の詳細がわかり、大きなテーマはないが、面白く読めた。
発行所=511-0284いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年12月27日 (木)

文芸同人誌「奏」第37号2018冬(静岡市)

本誌には「評伝藤枝静男」(勝呂奏)の連載第4回が、掲載されている。読んでいて、ちょうどモダン文学とポストモダン文学の橋渡しをするような評論に思えたので、《「評伝・藤枝静男」勝呂奏(連載)を読む」》として、私小説を考えるヒントにしてみた。自分はあまり藤枝作品を読んだ記憶はさだかでないが、小説「悲しいだけ」だけは、ある共感をもって読んだ記憶があり、いまだに自分が悲しくなると、この作品を思い起こしてしまうのだ。
  そのほか、藤枝静男のエッセイ「滝井さんと原勝四郎氏」が『南苑集』第5号に掲載されているのがわかり、図書館資料から転載されている。
【「女たちのモダニティ(1)=岡本かの子「過去世」連鎖する美=」戸塚学】
 岡本かの子の作品「過去世」(「文芸」昭和12年7月)における文章表現の芸術的追求を行った部分を解説している。いわゆる近代小説の純文学のひとつの技術的な工夫を岡本かの子の美意識の資質的な面から分析している。「過去世」という抽象的ともいえる仏教的な思想を、その言葉を使わずに、感覚的な言葉と造形美的なイメージで、その意味する世界観を表現する工夫を分析している。岡本かの子らしい官能性を帯びた言葉の活用が分かりやすく分析されている。その引用部への解説ではーー引用部、梅麿の肉体に対する「健やかな肉付きは胸、背中から、下腹部、腰、胴へと締まつていきこどもの豹をみるやう」という描写は、欧州旅行でのダビデ像の印象の抽出の直後に接続されている。身体のパーツをひとつひとつ数え上げて行く描写は二重化し、梅麿とそれとダビデの像の理想化された肉体とをともに描きだすかのようである。――とする。
 ポストモダンとされる現代文学では、いまのところ、ここに示されたような伝統的な手法を意識的に読みとって、文章を楽しむという傾向は薄れているのではないか。また、コミックの画像化は、描くひとによって異なるであろう。文学のカルチャーとして地位の低下の中でこそ、大衆性にこだわらない文学性の追求が顕在化することの意味性を期待させる。
絵画を自宅に飾る人が多くないように、文学書もそうなってしまうのか。デジタル化の時代の文学芸術には、ある程度、データ―ベース的情報の共有知識が必要になるのではないだろうか。
【「小説の中の絵画(第九回)川端康成『美しさと哀しみと』-人体を描く」中村ともえ】
 ノーベル賞作家の川端康成の作品は、多く読んだ記憶がない。この作品も読んでいないが、美意識に結びついた官能性についての表現をめぐる評論としては上記の岡本かの子と問題点が似ている。この作品には文学的小説のための「方法論」が多く記されているという、珍しい作品らしい。このような作品を書いていたのかという興味と、川端が官能色を帯びさせて書くのに、女性の乳房の表現に乳首のみを重点したのは、母性へのイメージより、エロチックな刺激を盛り込むところに、川端色が出ているところが納得できた。
 人間は生きていることの充実感というのは、欲望をつくってその実現に向かう姿勢にある。その重要な手立てとしてエロスがある。その点で、岡本かの子も川端康成も、意識的にエロス感覚をもって欲望の立ち上がる世界に導くものであるのだろう。
【「堀辰雄旧蔵書洋書の調査(十四)-プルースト⑧」戸塚学】
 プルーストは良く分からないが、本は何巻か文庫で持っている。堀辰雄のフランス文学に対する研究心のすごさを感じさせる。まさにモダン時代の文学的な追及の開拓精神のなせる技なのであろう。恋愛のエロスはもちろん、自然現象やと社交現象に生きる欲望を見つけ出す作業なのだったのか。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年12月20日 (木)

文芸同人誌「メタセコイア」第15号(大阪市)

【「想いを運ぶ 風」櫻小路閑】
 掌編小説的な散文が四季4編で成り立っている。「夏風落穀」、「秋風蒼月」、「冬風一葉」、「春風漂香」のタイトルで、それぞれの季節を軸に、それぞれの人間の経験する喜怒哀楽を表現する。俳句や短歌でも形式的な違いがあっても、連作で可能のように思える題材とテーマである。だが、やはりきめ細かに物語的な感性を働かせられるのは、散文詩的なものにするのがベストと思わせる。とくに夏の編では、枯れた視点で人生を回顧。文学的な詩想を埋め込むことに成功している。他の季節は、夏の話と同じレベルに詩想を盛り込む努力が感じられる。苦心の試みであろう。詩歌の世界の人には、参考になる手法ではないか。
【「まねき食堂」和泉真矢子】
 女子大学の近くにある「まねき食堂」を養護施設にいる義母から承継している佐代子。夫の真一は、店を放りだして、行方不明である。義母のいる養護院は老朽化で、よそに引っ越しを迫られている。そんな時、長時間店にいる高校生らしい女性が気にかかる。
 訳ありそうな彼女は、やはり家出娘で、今夜、泊めてほしいという。泊まって複雑な家庭事情を話す。彼女は、翌日去るが、また戻ってくるかもしれない。「まねき食堂」の状況は変わらないが、そこで佐代子は成り行きにまかせて、辛抱するしかない。市井の生活小説として、読ませる。やはり人物像の描き方が良いのであろう。
【「渇けども、渇けども」吉村杏】
 咲音は、結婚して子供が生まれ、主婦をしているが、友達ができずに孤独である。スマホで、フリモリというサイトで、売り物をインスタで写して出すと、それがすぐ売れる。その反応を見るのが快感になって、むりやり売り物をつくってでも、インスタ販売をやめられない。依存症になってしまっている。
 そのうちに、昔の彼氏の真山信が、昔の彼女のラブレターをフリモリに出品しているのを知る。その後、彼氏が病気なった話が出てくるが死んだような気配もある。フリモリ中毒の依存症のところは面白いが、それが真山信の喪失感につながるのかどうか、わからない。だからいろいろなことを書いてあるのか。エピソード集め小説のようなところがある。
【「金魚」多田正明】
 昭和18年の頃の話からはじまり、戦時中に金魚を飼う話を通じて、戦後すぐの子供たちの生活ぶりを描く。「奉公」や「藪入り」など昭和でも江戸時代からの生活習慣が残っている話などと、土地柄の風物が記録されている。
【「御香宮」楡久子】
 京都見物記。
【「屋上庭園で」マチ晶】
 年配で独身の私は、百貨店ウィンドーショッピングを楽しむ。園芸売り場から屋上庭園にでて、写真を撮っていると、女性から声をかけられ、レストランの料理の話をされる。美しいが服に汚れが目立つ。ミミという名だとわかる。食事に誘うべきか迷うが、なにもせずに別れる。
 それから数週間後、同じ屋上庭園に行き、ミミに会えることを期待するが、周囲から奇異の目で見られてしまう。帰りにエレベーターホールの鏡をみると、落剥した感じの自分の姿が映っているのが見える。男の孤独を描いて、話の仕掛けが面白いが、もう少し工夫の余地が欲しかった。ただ、読後なにかモノを言いたくなるような作品である。
【「原石」北堀在果】
 松岡達貴というN高の生徒相談室と、女性教師の川上の間系の話からはじまる。達貴が発達障害らしい。定年間際の川上の達貴への対応ぶりを描く。仕事が特殊な精神で維持運営されるのがわかる。ただ、全体に平板。
【「カンナ」永尾勇】
 カンナという性的、性格的に奔放な情勢と、それに絡んで反応する主人公の僕の関係を、具体的な場面を挟んで描く。理屈っぽいところのある話だが、場面の連続で、その場その場が読みとおせるが、それを楽しめるからどうかは、人によるのではないか。長編小説の一部のようだが、ぼくの思想が真面目なのか不真面目なのか自意識の色が薄いので、カンナの行為の印象も薄味になってしまうーー力を入れてかいているのに。自分には、面白さ中くらい。
発行所=〒546-0033大阪市東住吉区南田辺2-5-1、多田方。「メタセコイアの会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年12月17日 (月)

文芸同人誌「駱駝の瘤」通信15号(福島県)

本誌の第15号(2018年春)で「3・11、7周年号―木村幸雄先生を偲ぶ」(84歳で昨年9月他界)を特集にしている。そこに、本誌が木村幸雄氏により、2011年の3・11の地震・原発災害をうけて創刊したものであることが判った。原発事故に関する貴重な現場報告は、こうした創刊の由来があるのだということがわかった。木村氏は野間宏の日本文学学校にかかわったり、して福島に教員としてきた人らしい。
 現在の東京には、福島から上京してくるひとや、現地にブランティアに定期的に通う人もいる。すると、いろいろな病気を発症している人が多かったり、鳥の鳴き声の現象を感じたりしている話を聴くが、どれも普通より少し変だということしか言えない。しかし、原発が気がかりを増幅させていることは、確かである。《参照:気がかりをそのままにするか=事故と放射能被ばくの影響
 私自身、個人的には3・11の災害が起きる前から、東電の送配電独占が、地元の産業生産性圧迫している、という問題意識をもち、地元企業と東電を取材していた。高い電力料金による利得を要所に結びつけ、巧みな誘導手法は、事故前から知っていた。電気代の請求用紙をよく読んでみれば、もっと安くできるはずなのに、原発の経費がそれをさせない仕組みが、ネット検索でたどって調べればわかる。スマホでは無理なので、活字化が必要かも。
 本誌の執筆者の秋沢陽吉氏「雪はしきりに」が「丸山健二塾」の塾生作品としてネット公開されている。
 それぞれ興味は尽きないが、野間宏、丸山健二の作家の愛読者である自分の意見を述べるのは、いまは面倒で、怠けさせてもらう。
 発行所=福島県須川市東町116、「駱駝者」。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年12月10日 (月)

文芸同人誌「アピ」第9号(茨城県)

【「百歳の母の人生」田中修】
 寿命が百歳というのは、日本ではそう珍しいことではないようだ。だが、亡くなったのは作者の義母。東京電力福島第一原発の事故により避難指示区域になったところが長年の住まいであった。作者の夫人の実家で、そこは、南相馬群小高市で、原発から北西訳10キロ、海岸から約5キロメートル(5メートルを訂正)程、離れているという。山沿いにあったために津波の影響はなく、地震で屋根瓦の一部が破損しただけだという。
 原発の事故の津波を考えると、そんな地形があるのか、思う人もいるかと思うが、変ではない。原発は冷却水の放出の費用策削減のため、もとは高かった山地を切り崩して低くしたのである。それで、津波を被ったのである。それが電源喪失の唯一の原因とは限らないという説も出てきている。ともかく、義母が事故に遭遇した時は、93歳であった。避難に行政からの指示もなく、避難場所を転々と変え、やっと親戚の家に落ち着いたという。避難生活では、死んだ娘のところに行きたいと言っていたそうだ。その後、体調を崩して入院すると、そこでアクリルたわしを作って、配ったそうである。不幸な晩年生活で、震災関連死者のひとりであろう。それでも、最期は穏やかなものであったという。
【「混沌の地平線」西川信博】
 何とかタウンという場所で、アパートを借りている僕と妻の二人の生活のなかでの、出来事を描いたもの。妻は、普通の人には見えないものが見える。小さなコンピューター会社のプログラマーである僕もそれを受け入れて、暮らす。会社はブラック企業的な社員待遇で、35歳ぐらいになると、退職を仕掛けてくるようになる。
 こういっても意味はないほど、人間的な精神の運動を中心に話がすすむ。実に文学的センスに優れ、純文学的な面白さで、読者として惹きつけられた。かなりの才能ではないかと、期待させられた。
【「エルムの丘へ」さら みずえ】
 敗戦後の帰還兵であった康冶は、青函連絡船に乗って北海道の炭鉱労働者となる。彼と家族は、さまざまな難を逃れ、鉱山会社の無事勤めていたが、働き手の康冶が、十勝に旅行に行って、その広大な風景に見せられ、そこで農地を買い農業を始めるまでを描く。手堅く丁寧に、話が語られる。ただ、メリハリに欠けるのは、言いたいことの何かの表現が足りていないのかも。
〒309-1722茨城県笠間市平町1884-190、田中方。「文学を愛する会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年12月 4日 (火)

文芸同人誌「文芸中部」109号(東海市)

【「開化の新聞屋」本興寺 更】
 文明開化を時代背景にした小説の題材は、昭和時代には、時代小説か現代小説かの分け方が曖昧に見えたらしく、読まれないという話があった。だが、平成も終わりの現在となると、もう時代小説として読まれるであろう。
 本編は、瓦版から新聞に変わったばかりの頃の話。真三は情報屋の探ってきたネタを元にして巷間記事を書いた。すると、投書があって、記事にした家族の居所を教えてほしいという。筆文からして武士らしき手紙である。そうはいっても簡単に教えるわけにはいかないので、渋っていると、本人が新聞社にやってくる。やはり武士で、上野の彰義隊の生き残りで、戦いで怪我をしていたとことを、記事の家族にすくわれたのだという。恩人にお礼を言いたいという。実は、真三の兄も彰義隊の戦いで行方不明になっているので、武士の話を理解し、あらためて上野を探すがみつからない。
 しっかりした時代背景の描写と構成で、時代を超えた戦争の悲惨さを良く表現している。
【「でんでれりゅうば」広田圭】
 江戸時代、長崎の出島でオランダ人たち唐人の相手をする芸妓たちは、キリストの絵踏みをさせられる。白妙はオランダ人との間に伊助という生後間もない息子と、苑というその姉を産んでいる。しかし、伊助と妙の父親のクルトは、伊助だけを連れてバタビアに赴任してしまう。それから何年かして、クルトがオランダに帰ったという噂を聞く。そしてさらに、時が経て、若いオランダ人がやってくる。その接待を手伝う白妙は、そのオランダ人が伊助と妙が幼児のころ唄っていた「でんでれりゅうば」をうたったことで、彼が伊助であることを知る。オチの効いた時代小説である。
【「絹のストッキング」ケイト・ショパン作、吉岡学訳】
 翻訳小説というのは、同人誌でも掲載されるようになった。本作品は、ソマーズ夫人が、たまたま15ドルが手に入ったことから、気に入っているストッキングを買って身につけるまでの、精神的な面での矜持を高めるというもの。買い物をするにも、女心の揺るがぬ信念と自意識の働きがあることを短く表現していて、読んでいて何のさわりもなく、ソマーズ夫人の心理に没入できる秀作である。
 というより、描き始めから、本題を提起し、その様子がどうであるかを、すっきりと描き、主題を浮かび上がらせるーー。正当な小説の形式に安心感をもつ。読んでいて、話があっちに行き、こっちに行き、結局何を伝えたいのか? 作者に心の整理のついていない話を読むのも疲れるものだ。ただ、自分は良く書けた作品だけを読みたいわけでもないのでーーそうなら市販してる職業作家のもだけを、読めば良いのだから、そうもしているがーー、小説に対する意識の変化を、ここから読みとっているので、時間の無駄とは思わない。ただ。下手でもないが、主題のわからない小説の推理をしているなかで、このようなすっきりとしたものが読めるのは、清涼剤である。
【「回生の六月」堀井清】
 独自の文体を確立し、それに合った素材を使って、修練の技をみせる作者である。自分は、それほど新しい展開を期待しないで安心して読んでいた。しかし、今回の作品では、開拓者精神の一端をみせて個性的な方法で、家族、特に老いた父親と息子の関係を描き出している。息子の結婚式の前日に、母親が自死し、結婚を取り辞めて以来、息子は結婚をしていない。彼は40代になる。婚約者であった女性は、他の男と結婚。子供がいるシングルマザーで、息子と再会する。父親の死への覚悟と、かつての婚約者であった女性と未来に向かおうとする。その語り口のなかに、作者の長い人生体験が反映されており、読み応えがあった。
発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」
紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

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2018年11月24日 (土)

総合文芸誌「ら・めえる」第77号(長崎市)

【「信仰に育まれた世界遺産―苦難の歴史に想うもの」城戸智恵弘】
 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎・熊本)についてユネスコ(国連教育科学文化機関)が、今年に世界文化遺産として登録することを決定した。これに関連して筆者は「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」のニュアンスの違いを追求する。さらに、日本の織田・豊臣・徳川時代に、長崎来訪をしたその時々の西欧諸国アジア征服の野望の影がさしていることを指摘する。
 宣教師は宗教心による行為であってしても、その布教には国家的な強権力があった方が、好都合である。そうした世界の弱肉強食の価値観のなかで、キリスト教が利用されてきた面を指摘する。それが、2の項、「宣教の背後に蠢くものー殉教の歴史は複眼的に」にある。さらに島原・天草の乱については、それが共同体の生存権をかけた農民一揆なのか、はては階級闘争の兆しなのかと、マルクス主義思想の歴史観とも比較し、知見の幅広さを発揮している。
 いずれにしても、宗教と外交、国際的なイメージと国政の関係が、われわれが意識するより、深くかかわっていることを立証する力の入った論文である。
 これを読んで現代をみれば、神社神道の流れの自民党と、新興宗教の団体力を利用した政治家の運営による。そこに政治家の信仰心などはかけらもないという現状を考えさせられた。
【「大いなる虚構 日本悪玉論」藤澤休】
 ここでは、日本の太平洋戦争での敗戦により、戦勝連合国が裁判を行い日本が裁かれたという事実によって、様々な負の部分だけが国際的に強調され、日本が悪玉にされている現状は、間違っているという主張である。通常のいわゆるネトウヨ理屈とちがって、その根拠を指摘証明しようとするものである。
 このように、真正面から日本の姿を論じることは、賛否の先入観を超えて賛成である。
 まず、戦争の結果を勝者が裁くということ自体が、正当なのかということに対して、インドのパール博士が述べた、東急裁判の結果への正しい受け止め方を示す。
 広島の「過ちは2度と繰り返しません」という言葉の解釈は、敗戦国日本人にむけたものなのか、米国を含めた全世界の人間に向けたものなのか、という問題提起をしている。また、中国の南京虐殺30万人説の虚偽、韓国の慰安婦問題の虚偽などを、その後の調査報道を示して否定している。証拠として、朝鮮人が朝鮮人を拉致して、慰安婦にしていて、日本警察がそれを取り締まるという朝鮮の東亜日報の昭和8年6月30日付け新聞報道や、平成26年8月10日のフジテレビの報道で、済州島では、慰安婦にするための日本軍の強制連行は見たことがない、とする現地人の報道などの写真を示している。これは、これでそれなりに異論はない。
 日本は、負ける戦争をしたために、ひたすら堪えがたきを堪えることに対応してきた。各国からの反日、日本悪玉論の槍に体をかわして、世界の仲間入りをし、浮上してきた。9条の2項は、それをしなければ、世界のなかで生きていけなっかたのかも知れない。世界秩序のなかでのイメージの変更に成功してきている、と言えるのではないか。批判されることは仕方ない、それよりも過去の加害を許してくれている人々に感謝したいものだ。
  その当時のことは、資料で知るしかない。日本帝国時代でも朝鮮とは戦争をしておらず、日本に敵対してきた国連軍も、朝鮮を国連軍側としなかった。朝鮮における反日という精神思考の背後には、なにか不可解な部分がある。当事者たちにしかわからない何かが隠されているように思う。中国は、日本と戦っているので、反日を国是とするのは、中国共産党の政策である。国連側の敵国条項に日本はいまだに入っている。敵国扱いをやめず、に金を出せとか、他国支援しろとかいうのが、現在の国連である。日本帝国主義は、否定されるべきと思っても、民族の誇りを否定されるものではない。その感情が現れた論文である。
【「奥さんの匂いに魅入られる」砂田良一】
  堅苦しい論文のなかで、これは楽しく読めるお色気作品である。表現もエロチズムみちた雰囲気を盛り上げるのに巧みで、ユーモアを感じさせながら気分を明るくさせてくれる。面白かった。
【「T四作戦」吉田秀夫】
 昨年10月ドイツで「第17回世界精神医学会」が開催されたという。50歳の山本医師は、日本から観光ツアーで参加した記録である。自分は知らなかったが、ドイツナチス時代に「T四作戦」というものがあって、精神障害者の根絶作戦だったという。この論理では、自国民であっても人体実験による精神障害の研究が、正当化されていたようだ。その時代の出来事をドイツ人医師が、重く強い反省をこめて、解説した様子が描かれている。そのドイツ人女性医師は、事実に沿ってナチスドイツのしたことの非道さを、外国人にも説明する、モラル精神の強靭さに、読んでいて感銘を受ける。差別精神の暴走である。日本では、かつて731部隊の存在があり、それを批判することの論理はそれほど広まらない。その情報を占領国である米国に渡したころで、従属国として事実の広まりを抑圧されたという事情が見えないこともない。
編集人・新名規明。発行所=〒850-0918長崎市大浦町9-27、田浦事務所「長崎ペンクラブ」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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