2008年12月24日 (水)

同人誌「視点」第70号(多摩市)

本誌は70号をもって記念とする同人のエッセイを掲載している。第1号は36年前の昭和47年11月の発行だという。同人の野辺慎一氏のエッセイ「示せ、大類『視点』の意気込みを」で、2年ほどまえには同人仲間の浜田雄治氏が、オール読物新人賞を受賞した事実を書いている。その浜田氏は、現在も本誌に「コマチ」(5)という古代にタイムスリップした物語を連載している。
 メジャーの賞をとっていても同人誌に書くというのは、最近では珍しい現象である。
【「春を待つ」臼井明子】
 戦後間もない頃の話のようだ。史子が学生だった今の夫と結婚。生活の安定に苦労をしたが、落ち着いてきたので、夜間大学に通う。すると学校でMという同級生に出会い、愛を打ち明けられる。彼のプロポーズを逸らしてうちに、夫婦の間子供ができる。そこで夫の存在の重要性に気づき、Mとの間に何事もなく終わることが暗示されている。小説のスタイルではあるが、エッセイ風で、おそらく事実に即して書いたものと思われる。

【「マネー・ゲーム」清松吾郎】
 土地の値上がり神話が全盛時代。バブル経済の中で、不動産を転売して儲けようとする人々の話。

【「さよならルンバ」小松三枝子】
 夫を亡くし、35歳になる娘と同居している波子。今年、還暦をむかえた。近所の人に誘われてカラオケで遊んだ場所で男と知り合い、ラブレターを貰う。思わぬ愛の世界にひたることのできた新鮮さを描く。

【「深大寺・冬枯れに佇む」萩照子】
 冬の深大寺は、枯れ木ばかりで、咲く花もなく寒々しい。折角、冬枯れの寺を題材にしたのだが、昔の思い出ばかりで、もう少し突っ込みが欲しかった。
発行所=東京都多摩市氷山5-4-9、視点社

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2008年12月22日 (月)

同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)(3)

【「曙光」有森信二】
 神経質な妻と病気がちの息子と「私」の三人の家族。犬がなかなか生活になじめず吠える。しかし、息子は気に入っている。一戸建ての家に住むが、犬が吠えることで近所との交際に気をつかう。
読んでいても、神経が痛むような緊張感が付きまとう筆致である。この作者の単行本「火の音」(花書院)のなかの同名小説と、「タイム・スクリーン」を読んでいる。この2作では自己からの離脱願望や、人間の多面性を描くのが得意のような気がした。短編「曙光」からは、社会や家族の閉塞性を意識しているような気がした。俳句も掲載しているが、そのせいか、言葉の構築の洗練度の高さを感じさせる。

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2008年12月21日 (日)

同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)(2)

【「再会」牧草泉】
 H区役所に勤める「私」は、新聞に連載を寄稿していたが、その記事の読者から会いたいという連絡があると、新聞社から知らされる。最初は断っていたが、気が変わって会って見ると、大学の講師をしている女性であった。話を聞いてみると、「私」が20年前に娼婦となった女に恋をしたが、その女性だったという話。話の合間に、役所の仕事のことや、少年時代の性目覚めた頃の話が挟まっているので、密度が薄まるが、それなりに面白く読めるので、設定の無理な感じも薄まっているような気がした。

【「紅雨」北里美和子】
 男と女の物語。普通に書いてあって、描写も工夫がみられる。ただ、自分にはどこに読む魅力を感じればいいのか、見つけることが出来ず苦手な作風であった。他の読者であれば、もっと面白く読み取るのであろうなと思いながら、自分は「はあ、そうですか」という感じであった。こういうことはよくあることだ。例えば、前に紹介の赤松さんの「我らの行方」という作品なども、自分は好みだが、人によっては苦手で、面白くないと感じるかもしれないのだ。

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同人誌「婦人文芸」86号(東京)

【「幸せのかたまり」菅原治子】
 左枝子は結婚して3年目になるが、子供ができない主婦である。東京の都心に住んでいたのが、結婚して、横浜の丘陵地帯の開発地の1戸建てに住むが、本人も身内も、都落ちした気分になる。
 彼女は2人姉妹で、姉の高子は、養子をとり、父親の会社の後継となった。三年前に、左枝子が結婚すると、大きな家に母一人で住むのは不経済だからと、姉夫婦が今まで住んでいたマンションを売り、母親の実家を相続し母親と同居。左枝子には父の遺産として、横浜に小さな庭付きの建売住宅を買ってくれた。と、あるのだが、後半になるとローンを払っていることになるので、つじつまがあわないところがある。
 それはともかく、庭付きの家を買ってもらったということがわかると、昔の同級生が金を借りにきて、返してくれない。そこに、姉が引っ越すので、母親を預かって欲しいといってくる。抵抗感があったが、引き取る。すると、母親との同居生活はなかなか大変なことになる。
 こうして、肉親の感情的で、身勝手な論理の、うっとうしいやり取りが、細かく描かれる。女性でなければ書けないところである。悪人ではなく、根が善人で身勝手な肉親の表現は抜群で、男には読んでいて苛立つところがある。
 そのなかで、左枝子が、そうした女同士のやりとりや駆け引きに負けると、夫が優しく支えてくれる。彼女はそうした夫に愛情が高まり、夫婦の仲が濃厚になる。そのせいか、妊娠していることがわかる。女同士の世界を描いて、興味をそそりながら、タイトルのように、うまく予定調和的なハッピーエンドでまとめている。

【「公園のベンチ」淘山竜子】
 「夏にランニングをするのは、容子のこの数年の習慣だった。」こうした表現から小説ははじまっている。短編であるから、このはじまりが意味することを、読者は予感として受け取ろうとする。それから東京郊外の公園を舞台に、35度を超える真夏日に、ジョギングしている最中に見た風景を描いていく。そして別の日の真夏日に、また走る。後半部では、児童虐待をしてしまう親の話を聞く。その社会現象は、しかし、容子にはあまり関係がなさそうだ。真夏の昼にジョギングをするくらいなので、容子に自虐的な心理があるのだろうが、年を重ねても成熟しない女性を描いたようでもあり、謎解きのような作品に読めた。

【エッセイ「書くためにすること」河内和子】
 20年前に英米小説の翻訳家であった作者が、出版社から新しい小説の依頼を受けたが、自分の文章表現力をもっと磨こうと思う。そこで、横浜の朝日カルチャーセンターのセキカワ・ナツオ先生と、ヤマグチ・ブンケン(フミノリ)先生の指導を受ける。書いたものの添削をそのまま記録しているのが、実際的で面白い。作者が指摘された添削の箇所を読むと、自分も同じツメの甘さを始終していることに気づき、大変参考になった。反省して、気をつけよう。

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2008年12月20日 (土)

同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)

 【「我らの行方」赤松健一】
会社の経営者たちの権力闘争における栄枯盛衰の物語。大阪の中堅設備工事会社・五光電設は年間売り上げ65億円規模。社長の西脇は、経理部員から社長に成り上がったやり手経営者である。株主は創業者の息子の根岸相談役である。
 西脇は根岸のお気に入りの杉山が次期社長を狙っており、近いうちに自分が退任させられることを自覚している。ある日、根岸から呼び出され、彼が財テクに失敗し、東京のひとまわり大きい会社、東日設備に株式を売却し、買収に応じたことを知らされるところから話がはじまる。すると、次期社長を約束された、杉山は買収された会社の社長となるしかなく、経営者としての権力は、親会社の下でしか発揮できない。また、系列関係の根強くある取引先にも影響が大きい。
 多視点の三人称小説で、登場人物が次々と現れ、社内の地位をめぐって出世争いの勝者と敗者の駆け引きが展開される。歯切れの良い、ストーリーテラーらしいスピードのある文章で、ぐいぐい読者を引っ張ってゆく。かなり長いものであるが、読み進めるうちに、五光電設をめぐる人間模様のなかに、会社という組織にかかわる仕事人間の生態を象徴的に描いているように、読めてくる。入れ替わり立ち代り現れる人たちが、ながながと会社人間的な哲学を述べるあたりに、サラリーマン化した日本人の一つの典型を見出すことができる。
 会社の業務上の繋がりなど、手堅く説得力をもって描かれ、面白く読み通せる。文芸的な味わいも随所にあり、単純な読み物から抜け出た品位を感じる。

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2008年12月12日 (金)

同人誌「奏」2008秋(静岡市)17号

 発行者の勝呂奏氏は、さきに亡くなった作家・小川国夫によく傾倒していて、小川氏の年下の友人か弟子のような関係なのか、ほかの文芸雑誌などの書いた追悼記などが特集のように掲載されている。
【「還りなん」小森新】
 入院していた母親が危篤状態になって、病院へ通う日が続き、そして亡くなるまでを、「俺」の立場で描く。母親は、父親の後妻に百合子という中学生を連れ子してやってきた。継母である。しかし、「俺」には優しくしてくれた。義理の妹の百合子は、「俺」を慕っていたが、成人して間もなく自殺してしまう。そのときの母親の心境はどうであったか、母親や百合子の人生と、俺との係わり合いが、葬儀の風景を描くなかに、文体の裏側に表現されている。本当の肉親の葬儀のような悼ましさがにじみ出て、自分のことのように感情移入ができる。よくいう、身につまされるというものだ。継母ではあるが、肉親の病死を描いて、味わいのある筆致がよく活きていると感じた。

【評論「川端康成『招魂祭一景』ノート」勝呂奏】
 横光利一ともに、新感覚派の川端康成の作品を論評し、その根底にチェーホフ「ねむい」、正宗白鳥「玉突屋」、志賀直哉「剃刀」などの作品と共通の主題があり、若い娘のよるべのなさ、を通して、哀しい孤独が表現されているとする。自分はこの作品を読んでいないが、引用された作品部分から、川端の群集のなかに垣間見る乙女の美、埃のなかの女肌の美というもの対する嗜好の強さを感じた。この評論でも、群集のなかにいて、彼の世界は自分の視線と対象となる女肌に絞られる。川端の乙女の美への耽美的な嗜好が読みとれる。

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同人誌「創」第3号(名古屋市)

【「森のなかのボーリング場」阿見幸恵】
「森野ボーリングセンター」のインストラクターをしている「私」が、職業人として持つべきコツや、ストライクをとった時の人々の得意顔を、観察して較べる話など。話は面白い。だが、散漫のまま終わるのと思っていたら、結末の数行に意表をつく、恋のやり取りがあって、そこが冴えていて、巧いストライクでおわっている。

【「夢の途中」磯部勝】
 伊勢湾台風という大洪水災害があって、その時代の様子が詳しく描かれているので、ちょっと驚かされる。筆致が若々しいのか、若い人が調べて書いたのか、と不思議に思った。そのときにミカというはすっぱな女がいて、その行状について、姿を消すまで描く。話も面白いが、かつての災害の記憶として、思い出させるものが多い。

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同人誌・文芸同人「長崎の会」第3号

今号は、「グルメ・食」小説・エッセー集である。
【「麺と俺」赤木保】
 アニメに夢中の大学2年生の「俺」は、アニメだけに関心がある生活で、もっぱら下宿で、カップめん愛用の生活を送っている。そこで突然、風邪を引いて寝込んでしまう。すると、同じサークルの影のうすい井上という女子学生が、食事の支度をしてくれると、下宿にやってくる。「俺」はアニメを愛して、女性を愛すまでには至ったってないので、彼女の心をよく理解できない状態から、やっと理解する段階までを書く。面白い。ライトノベルのスタイルの中で、いろいろ工夫して書き分けているのには感心した。文章の呼吸がよいのに驚かされる。

【「狼になれない」裏次郎】
 主人公は家電量販店の臨時雇いの店員で、仕事に夢や希望を持てないような職場に働く。そこで「正社員」にすると店長に言われる。ちょっと、うれしがっているときに、いつも店で会って、食事時に顔を合わせる女子店員が、結婚退職をすることを告げられる。そことで、つまらない勤めのなかで、彼女との会話がどれだけ貴重であったかを知る。狙いはいいし、面白いが、味わいはいかにも、ライトノベル的。話術の運びは巧い。

【「白」小林圭介】
 ホラー話。遭難して山小屋にたどり着いた男が、傷による出血死している。調べると、救助がなく飢え死にしそうになる。仕方なく、自分で自分の腿の肉を切って食べていたことがわかる。まあ、怖いけれど、いまひとつヒネリが欲しかった。
 本誌全般に読んで面白い。読者を退屈させない技術には長けている。先には純文学への道筋がありそう。

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2008年12月 8日 (月)

文芸同人誌「砂」第108号の作品を読んで(3)=中村治幸

【小説「角田家の兄弟」関根悠平】
 長編を書こうとする意気込みがいい。それも関根さんの得意とする趣味などを、兄弟に割り振っており、いかにも楽しそうに書いているのが見られる。ただ女性を憧れだけで見ているようで、扱いかねているところがあり、それも関根さんらしいなとほほえましく読めた。泰一郎は母の実家で見合いをし、その女性から振られたため自転車で旅行にゆくが、しかし理由はむしろ放浪癖にあるのではないかと思えてしまう。それは勤務に出掛けて、ふと旅にゆきたくなり九州に飛んでしまうというところから、推察できる。だが、女性に捨てられて旅にゆくという泰一郎の繊細な神経も関根さんの描く人物らしくていいと思う。正二の恋愛そして泰一郎がこれからどういう生きかたをするのか、次回に興味が待たれる。冒頭のことばが意味深長だ。

【小説「遙かなる遠い道」行雲 流水】
 輝子の入院生活で、夫の正三郎はもとより他家に嫁いだ娘の清子や加代子の献身的な看護が偉いと思う。それに清子が彦根市立病院の院長に頼んで、多発性骨髄腫の治療では第一人者といわれるM大学の第一内科教授に診てもらうようお願いし、病人をじかに診てもらうのはかなわなかったが、エックス線写真や処方箋でも診てもらったということに、愛情の深さを感じだ。
 輝子の臨終にあたり家族がそろう。その場面の描写には胸の熱くなるのを感じた。輝子なきあとの正三郎の気持ちの流れがよく描かれていて納得できる。長男の隆が同居をすすめてくれるのはありがたいが、正三郎としては一人暮らしをしたいのだ。その心中がていねいに描かれていてよく分かる気がする。
 そして晩秋の十一月半ばに春日先生に会いに行く。そこでの先生の話がいい。先生の話をききそしてわかれるときの「山の端に沈もうとしている夕日を背に受け、茜色に染まった夕もやの中で、山門で見送ってくれている春日先生の姿が影絵のように浮かび上がって見えた」という描写が美しく、締めくくりとして見事だ。

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同人誌「零文学」第6号(埼玉県)

 5号と6号は雑誌の特集に「青春小説」の評論を置いている。エッセイと小説のバランスが良く、自然に頁をめくって、読みたくなるリトルマガジンのスタイルを維持している。
【「続・子包み日記」君島有純】
第5号の「子包み日記」では、妊娠2ヵ月から出産病院を探すが、どの病院でも断られ、なかなか見つからず、やっと費用の高い病院をみつけ、そこで出産するまでを描いて、日本社会の現実をリアルに浮き彫りにしている。作者は語らずとも、そこに変質しつつある社会の現状が指弾されている。政治家や官僚が少子化社会を危惧した発言をしながら、子供を産めないシステムを放置する。現実と裏腹な発言をしても、それに慣れてしまっている国民意識。
その続編で、経験のない母親が、子育ての本を読みながら育児をして、赤ん坊を初の検診に連れてゆくと、そこで誤りを指摘されるまでの苦労話。これも問題であるが、その世相を描いている。文章に、今風の言葉使いを導入しながら、文体としてまとまっているのも読みどころになっている。

【「沖縄の青春小説―大城立裕『まぼろしの祖国』から」小野里敬裕】
沖縄出身作家の小説は読んだ記憶がないが、大学時代に沖縄からやってきた同級生がいて、彼の言動から沖縄の現状を聞かされたものだった。結局、学生運動の闘士となって、自分たちの世界から遠ざかっていった。この評論を読むと、自分自身がマルクスやヘーゲルの理論を学ぶうちに、無産階級でありながら、現実の日本社会に、階級闘争が社会を変えるという道のないことを発見し、失望感を抱きながら、自分はマルクスの資本論で学んだことを、どう生かせばよいのかと、心の光の細くなっていた時代のことなどを思い出した。

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