2022年1月16日 (日)

文芸同人誌「群系」第47号(東京)

 本誌は、作家論など文芸批評に重点を置いた雑誌である。テーマを決め同人がそれに合う評論を書く方式らしく、文学精神の旺盛な勉強家が多いようだ。19世紀文学者から現代作家まで、幅が広いテーマである。対象作家の多彩さがあるのでデーターベースは多いが、その作家に興味を持たないひとや、読んだことのない人もいるので、すべてに目を通すというのは難しい。それを前提にした編集であろう。
【自由論考「『なりすまし』にはかなり無理がある。-東野圭吾の『白夜行』と『幻夜』において、テクストの空白を埋めるものはなにかー」が大野雅子】
 ミステリー作家の東野圭吾のファンである筆者が、東野圭吾の作品「白夜行」く(1999年)と「幻夜」(2004年)が「なりすまし」の連作の可能性を示唆し、その面白さに引き付けられる。ところが、大変に面白いミステリーとしての作品での「なりすまし」トリックには無理があると、感じたというものである。そのなかで、小説における人称の問題を説明しているところがある。――『白夜行』における「移動する視点」/直木賞の選評会で指摘された、「人物描写の浅さ」という問題は、東野圭吾独特の語りの手法と関係がある。ミステリー小説であるから当然といえば当然なのだが、心埋描写よりもストーリーに重きをおくのである。さらに、ストーリーを語る際、視点を次々と移動させるのである。その移動する視点が複数の異なる方向から際、主人公を照射していく。主人公を囲む外堀が埋められていくようなイメージである。外堀は埋められていくが、主人公の心情が説明されないがために、テクストの真ん中にはぽっかりと穴が空いているような具合である、その穴は最後に至っても埋められることはない。―――このような説明から、東野圭吾のここでの謎の作り方や、作家としての狙いを知ることが出来る。同時に余談的に「なりすまし」の秀作として松本清張の「砂の器」について、触れている。自分は、海外作家のミステリーを読む。もともとミステリーには、無理があるから話が面白くできるので、「それをいったら、おしまいよ」というところがある。ファンがこのように感じるとしたら、東野圭吾という作家の筆力は、相当ものであるにちがいない。ネットでなく、活字にミステリー作家の評論が文学的な視線で語られるのは、面白い。
発行所=「群系」ホームページ参照
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年1月10日 (月)

文芸同人誌「海」第Ⅱ期(第27号)(太宰府市)

【「黄色い朝」神宮吉昌】
 唇の血管が腫瘍になり肥大する「海綿状血管腫」、別名「動脈畸形」という病気になった男性の闘病記である。ネットなどで調べた結果、彼の場合、先天的に血管が左側がだけ血液がスムーズに流れない畸形であったものが、30代後半になって血の流れが滞り、徐々に晴れていったーーということから唇周辺が腫れ上がってしまうのであるという。発生場所は、心臓であったりすることもあるらしいが、彼の場合、唇というのも、顔の表情に影響するので厄介である。治療してもなかなか治りにくいものらしい。小説化されているが、症状の改善に治療先を、変えてゆく過程は、ほとんど事実に沿ったものと、推察できる。落ち着いた筆致で的確にその過程が描かれている。快癒に近い情況になるまでが、冷静に記されている。不可解な難病の人たちにぜひ読んでもらいたい作者の姿勢である。自分もストレスによる複雑な神経症を患い〈思い込みとされたが〉、どこも病気でないと、2,、3の大病院で云われた。困っている時、ある東大の物療内科の医師に出合って、改善することが出来た。その医師も、ストレス神経症とは限らない。いろいろやった治療のどれかが役立って、改善しただけという。もし、正確に知りたければ、九大の専門化に調べてもらったらー、と言われた。いや、ここまで軽快すれば原因など、どうでも良いですーと言ったものだ。その時に、余談で、脊柱に生まれつきの欠落部があると指摘され、後年での影響を予測された。今になって、それが的中しているようだ。
【「織坂幸治追悼小特集」同人各氏】
 織坂氏の過去の作品の「現代教育考」が掲載されている。当時の社会に対する批判と反抗精神がにじみ出ている。戦争に敗北した結果の日本人精神の脳への影響と、米国への批判精神も健全なものである。
【「真凛の世界」高岡啓次郎】
 友人の女性から、突然どこかに一緒に行ってほしいと頼まれる。理由の説明のないまま、いわれた通りに旅に同行する。道中、その女性の謎の動機にせまる心理を描く。起承転結の小説の法則が守られているのでよい感じ。読み進むのが楽しい。この作品の読みどころは、男が女の事情を推理するところ。話の種類や設定が異なっても、同じパターンをまもることが大切。話のなりゆきで、転と結びに困ることが出てくる。そこを閃きでのりこえるところが、作者の個性になるのでは。
【「コンパクトタウン」河村道行】
 人口減少に伴い、過疎化が進む自治体では、住民が一カ所に集まって住んでもらったほうが、インフラなどの簡約化につながる。その意味では、現代進行形の問題提起になっている。話は過疎地に散らばっている住民に、便利なところに移住するのを説得するお役人の話らしい。舞台設定は充分で、あとは人物像に深みみをあたえること。ある程度は、それもできていて、面白かった。
発行所=「海」編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2021年12月31日 (金)

文芸同人誌「奏」43号2021冬(静岡市)

【「小説の中の絵画(第15回)-岡本かの子「母子叙情」-繁茂する植物と青年の手紙―」中村ともえ】
 本作で、この時代の表現に制約のある時代にかの子が、直接的表現を避けて、言葉をいかにして選んだか、について興味を持って読んだ。これに関連して、高良留美子「岡本かの子 いのちの回帰」(2004年・翰王林書房)著作があるそうだ。小説の内容についてだが、溺愛している息子に会えない境遇から、その面影をもった春日規炬男に抱く感覚的な接触欲について、シンボリックな言い回しで表現しているところを分析しているそうだ。モダン文学の評論のなかで、どちらかというと、新規性に欠けるテーマとみられがちだが、文章表現の言いまわしの工夫は、今後の文学的表現のなかで、必要に迫られる場面がありそうな気がして、興味深く読んだ。
【「女たちのモダニティ⑦-佐田稲子「レストラン洛陽」-風景としての女給」戸塚学】
 モダン都市の人と情景が「風景」として盛んに書かれた時代があった。ーーという冒頭の部分で始まる。大正12年の関東大震災が日本を変えた時代である。文壇的なつながりで言えば、震源地の横浜から住まいを失った人達が、東京大田区の郊外に、段丘が多く農村的な土地柄であったところに多くの人が移住してきた。宇野千代や尾崎士郎、北原白秋、萩原朔太郎などが、移り住み「馬込文士村」という文化人社会を形成したのである。《参照:モダン文学の里「馬込文士村」の風景(4)尾崎士郎と宇野千代》。この時代は、西洋風自由意識の導入期であり、社会が流動的で、大きく分類しにいので、個別の現象がホットスポット的に存在したように把握するしかなかったのであろう。そんな時に、資本家の優勢と、労働者の弱さという視点が、女性の弱い立場を際立つ女性に重なり、マルクス主義思想におけるプロレタリアートという存在を印象付けたようだ。ここでは、佐田稲子という作家の文学芸術性が、プロレタリア作家らしくない純文学性をもつ、と評価する。思想性に頼りすぎる左翼小説への示唆になっているようにも読める。
【「伊豆文学の小径―白栁秀湖・小杉未醒」勝呂奏】
 自分もかなり伊豆行った経験がある。伊豆急の「富戸」から、まだ未開の城ケ崎崖を抜け、石廊崎で野宿。他の野宿者と野犬を警戒して寝たものだ。伊豆ないは、徒歩旅行なので旧天城トンネルで、車に轢かれそうになった。落合楼と踊り子の宿を横にみて、2,3日放浪したものだ。知られざる文学者が多くいることは、当然に思う。
【「正宗白鳥―仕事の極意―文壇遊泳術に学ぶ(三)」佐藤ゆかり】
 とにかく面白い卯。読者と編集者によって仕事が生まれるのが職業作家でやる。そこで、変化する世の中で、職業作家を続けることは、大変難しいはずだ。正宗白鳥は、とくにヒット作もなく、文壇の重鎮であり続けた珍しい作家のようだ。なによりも、小説にするための生活づくりをせずに、普通の生活を保ったのであるから、よほど文章力と評論性にすぐれていたのであろう。私は、彼の作品を読んだ記憶がない。
発行所=420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2021年12月22日 (水)

文芸同人誌「文芸中部」第118号(東海市)Ⅱ

【「光線画」本興寺更】
 江戸時代の浮世絵師に弟子入りし、丁稚奉公的な修業をさせられるが、あまり才能も修業意欲も普通で、自分探しをする若者の生活を描いたように読めた。小説として終わっていない感じもする。時代考証的には十分な知識があるようだ。
【「閉ざされて」朝岡明美】
 コロナ禍の夫を亡くした高齢者、貴子の生活。香苗という義理の娘と同居している。去年の春、香苗が仕事を辞め、貴子は任されていた家事から解放され、嫁姑の二人暮らし、とある。まず、これで充分。余計なことを読まされて、誤解しそうであった。どうやら貴子のまだら認知症になったところまでを描いたものらしい。認知症やがんなどは、いつから病がはじまるか、境目がわからない観念的なものなので、もう少しはっきりとした現象にしたら、もっと良いかも。そのことを研究して迫る意欲があればなあーと思う。

【『東海文学』のことどもから(11)】三田村博史】
 「文藝首都」から「東海文学」さらに「文芸中部」に連なるエピソードが記されていて、大変面白く読んだ。自分が高校生の時には「文藝首都」は書店で売っていた。見つければ買って読んでいた。名前を忘れたが、自己存在を否定するテーマで書く作家がいて、印象的であった。また、当時、長谷川伸の「大衆文藝」とかの雑誌も売っていて、そこに載っていた平岩弓枝「鏨師」が直木賞になったのには驚いたものだ。同じ作品なのか、確かめてもいないのだが。
【「水の上を歩く人」藤澤美子】
 四日市の教会をもつ家庭の物語で、公害のせいか、少年が突然死する話。物悲しい印象が強く残る。
【「そして桜の樹の下で眠る」楠木夢路】
 母親が亡くなるが、その息子からすると、今まで知らなかったことが、次々と明らかになる。つまりは、息子の父親とされていた男とは、血のつながりがなかったのを知らなかった。周囲に人だけが知っていた。その境遇の悲劇的な背景がわかる。家族の血筋の話は同人誌に似たようなものが沢山書かれて居る。作者は、自分だけの話とおもっているので、書くのであろう。そうした、類似した話の中で、起承転結がはっきりしていて、桜の樹などのあしらいもあって、美意識の働いた秀作の方である。
【「極楽さま」潮見純子】
 高齢の母親の人生が終わるまでの話。同様の話は、たくさん読んでいるが、素直でシンプルなのが良い。類似した作品のうちで良い作品である。
 本誌を読んで、日本には、同人誌文学というジャンルが存在するのではないかと思った。「闘病記」も、文学的な専門性やセンスは、普通の人にはないものがある。しかし、商業性があるかといえば、それはなさそうだ。同人誌文学として、よく力がでているので、佳作に思うのである。冒頭の【「心のおに」和田和子】は、それはそうであろうが、ごく普通に納得でき過ぎるように思う。こうした作文よりも文学性のあるが、商業性はないのが同人誌文学の特長であろう。現在では、中産階級の趣味の集いとしての意義も生まれて来ているのではないか。
発行所=〒477―0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。>

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2021年12月17日 (金)

文芸同人誌「文芸中部」第118号(東海市)

【小説「闘病記」西澤しのぶ】
 他にも、触れるべき作品があるのであろうが、今はこの作品について紹介したい。「闘病記」とあるので、コロナ禍の同病の読者たちに参考になるようなものだといいな、と思いつつ読み進めた。そして、その出来の良さに仰天した。まず、手術の麻酔から目覚めるところから始まる。その心模様が冷静にさりげないユーモアをもって語られる。まさしく手記を装った小説である。病名を告げられ、手術のための入院で、その説明も手際が良い。読み返してみてもここかから文学性に富んだ作品にする案が潜んでいたことがわかった。虫垂炎手術から腎臓がんの発見まで、ダビンチという手術マシンを活用する話。症状面では医師が読んでも納得できると思わせる。同時に、語り手の心理と、家族の対応など、じつに分かり易い。そして、幾度かの手術をする患者の心理も自然である。それよりも、その間に語られる文学とその解説力に、おどろかされた。パンデミックの歴史から、カミユの「ペスト」、ナチスのユダヤ人迫害、北朝鮮の米国青年の脳死状態での送還。それに対するユダヤ系米国人の報復。旧約聖書のアブラハムの話から、キリストが磔にされて叫んだという神への言葉、ドストエフスキーの神への問いかけ、その他文学的な蘊蓄の全身体当たり的な披露ぶり。読んで暫く心奪われ痺れ、茫然とした。とにかく一読を推奨する作品である。
発行所=〒477―0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


 

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2021年12月14日 (火)

文芸同人誌「アピ」第12号(茨城県)

 本誌には3・11の福島原発事故から10年の経過を、被災者の立場で、大友章生氏が「あれから10年」というタイトルで、レポートを記している。そこで、暮らしのノートITOのサイトで、当事者目線の記録を詳細に転載してみたい。《参照:大友章生「あれから10年=被災地の現状と課題」(1)》記録は、実感を伴うものなので、味わってみたい。また、被災地域である茨城県住民として、田中修氏が、「東電福島第一発電所事故から10年」を記している。これも、現場から観察した事実の認定として、折を見て詳細を掲載したい。その方法を考量中である。物事のたいていは、10年ひと昔といって、それは過去の情報になる。事実、原発の存在も、一般人意識で、またかという情報として受け止めがちだが、恐ろしいことに、放射性物質の存在は、10年前と同じである。
【「死友」西田信博】
 西暦95年頃の中国の話。巨卿と元伯と仲山の三人の交流の深さを描いたものらしい。きちんと記された歴史物語らしい。男の付き合い方の姿が見える。自分は中国史に暗いので、この人物交流が、歴史的にどのような意味があったのか、わからない。
【「夕映え」さら みずえ】
 年月を経て、多感な若き日を回顧しながら、再会を楽しむ友達。落ち着いた雰囲気の作品。物語的な作品にするならば、最終の場面を最初に持ってくると、語り方に熱が入るのではと思う。
【「異風の男(前編)」宇高光夫】
 なかなか活発な若者の物語。これから風変りな人間像が描かれるのか。
【「オレンジ色の空と虹(後編)」雲谷斎】
 青春にもいろいろな姿がある。ハッピーエンドでよかった。
【「七十歳、2020年を想う」宇田三男】
 還暦後の人生を、海外旅行をしまくり、その後、田中修氏の勧めで、県内の原発稼働問題の署名活動をする。コロナ禍の記録や、スポーツの話題など、記録する材料には、事欠かかない現代が語られている。
発行所=39-1722茨城県笠間市平町1884-190、田中方。「文学を愛する会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年12月10日 (金)

総合文芸誌「ら・めえる」第83号(長崎市)

【「贋作」遠藤博明】
 形式が、夏目漱石の「吾輩は猫である」と同じなので「贋作」としたのであろうが、内容は創意があふれて、なかなかの面白さである。パロディ・「私は猫」とかのタイトルが、適切ではないだろうか。文章家としても、ユーモアたっぷりに語る手腕は、抜きんでて貴重な存在。世相風刺的な題材での連作を期待したい。
【「聖母の巡礼」吉田秀夫】
 乙女とマリア様の運命を破壊した原爆のむごさを、今更のように感じた。忘れてはならない出来事である。
【「砂の器 殺人行」歌狂人 卍】
 松本清張の「砂の器」のオマージュのようなミステリーで、よく書きあげたものだと、感心した。また、直木賞や芥川賞と受賞した作家のその後の逸話などに詳しく、面白く読まされた。
【「夢の如くにて御座候(その2)」新名規明】
 斎藤茂吉と恋仲になった、ふさという女性の関係を和、歌を挟んでたどる。短歌や音楽には艶話が、創作意欲をかきたてるらしい。そうした趣味がなかったのが残念。いいものなんでしょうね。
【「直木賞のこと」宮川雅一】
 地元出身作家と直木賞の関係が語られている。作家・澤田瞳子さんが、新田次郎賞を受賞した時、その表彰式には、自分も晩年の伊藤桂一氏について行ったものです。《参照;澤田瞳子さんの新田次郎文学賞授賞式から
【「知の巨人 渡部昇一」長島達明】
 愛国的な論客だった様子が記されている。特に敗戦以降の東京裁判のイメージに沿った日本の世界に対する姿勢に、問題意識があったようだ。現在でもこの問題は残されている。晩年に自分はベンチャー企業の経営者に連れられて、渡部氏の講演をうかがったことがある。病を得ていたようで、やや消耗されていた感じだった。
【「渋沢栄一の長崎講演」草場里美】
 時流である。時代が異なると、社会のリーダー像も変わるようだ。
【「古代日本の形成と渡来人―主役は韓人ではなかった」藤澤休】
 日本人の存在と韓人の関係をこのようにとらえる話を知らなかったので、その意味がわからなかった。この話に、海賊の倭寇のことがでてこない。自己流の研究によるだけだが、朝鮮半島や中国の日本海側は、彼らが襲撃や強奪を行い、迷惑がられた話である。倭国は、取り締まりの要求をされたという。その時に、おそらく暴れまわって子種を残してきた可能性がある。また、沖縄は独立国で、九州も薩摩隼人族で独立していたようだ。北海道はアイヌの地で、奇妙なことに沖縄人とDNAが似ているそうだ。また、秋田県の多くは、ロシア系の血流の痕跡があるそうで、秋田美人の要因だそうである。薩摩族へは、倭国が本州から攻撃、激しい戦いで、かなりの犠牲者がでて、平定した。その時に、犠牲者の鎮魂をしたいという人がいて、祈りをささげた。その内情は、神社神道は清めと祓いしかなく、魂をおさめるということがない。ところが、仏教には鎮魂法があるので、お経をとなえた。そこから日本で仏教が広まり、道徳を説くことで、神社にも一目置かれたという。また、天皇家は特殊で、現在は朝鮮系の痕跡があるそうで、それがないと別流の血筋になるそうである。DNAを基本に、いろいろな発想があっても良いのでは。コロナの感染でも、日本人は独自の反応を示しているようで、日本人は周囲と断絶したとろのある民族であるらしい。
発行所=〒851-0115長崎市かき道4-35-22、新名方。長崎ペンクラブ。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

 

 

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2021年12月 6日 (月)

文芸同人誌「海」104号(いなべ市)

【「虫の譜」山口馨】
 スタイルが、書きながらどういう流れになっても対応するような感じ。総という男の身の上話に、祖父の過去の恋愛話を、聞き出すような話の造りで、単なる思い話になりやすい単調性から脱却しようとする意欲が見られる。祖父の、人生の終活意識に古代からの地層の世代を超えた存在性を語るところが面白い。
【「奸臣―かんしんー」国府正昭】
 資料をもとに、桑名藩の功績のべつある部下の一族を死罪を命じた事件の経緯を語る。事件の要因や周辺事情が不明だが、それがかえって大変面白い。別に同じ作者による「史実と虚構の間」として、本編の成立するまでの事情が解説されている。これも面白く、二つを合わせた経過を入れて作品化するのも一案かなと思った。
【「足抜け」宇梶紀夫】
 人身売買の当たり前の時代背景と地域性をよくしらべ、手慣れた時代小説である。
 その他、エッセイ的な題材で、モ膜下出血になった人や、精神に変調を来た人などを題材にした小説があり、おそらく家庭の事情を考慮して、そうなったのであろうと、納得して読んだ。
発行所=〒511-10284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年11月24日 (水)

文芸誌「浮橋」第8号(芦屋市)―2-

【「感想書簡」城殿悦生】
 「浮橋」7号の小坂さんの「散人」を読んで、筆者が感心し、自らに戯作川柳を読んでいたという。コロナ禍で川柳への趣味が強くなったらしい。本歌取りや本句取りを記す。なかには「夏草や兵どもが夢の後(芭蕉)から「くさや食いコロナ滅びて夢の跡」と詠む。その他、面白く工夫した川柳が発表されている。おそらく、過去発句がノートに沢山あるはず。この面白さに工夫した句を、つまらない物語に、挟み込むと面白い物語に変えることができないか。たとえば、川柳探偵とかする人物に、簡単な謎のある事件を調べさせ、物語りの合間に、その川柳を挟むといいのでは。謎の仕組みというのはつくるのは簡単で、例えば、商店街のマラソン競技大会に、いつも優勝する人がいる。そこで、その理由を川柳探偵が調べると、その男は双子の兄弟で、いつも途中で入れかわっていた、というトリックがあることがわかる。しかし、この話を普通に語ったら、面白くもなんともない。だから、合間に川柳探偵の川柳を入れたらどうであろう。すると、なんとなく面白い話に出来上がるーーというわけにはいかないかな。
【「人形始末の記」青木左知子】
 従姉から、持っていてほしいと、もらった人形の始末に困り、あれこれ苦心する話。きちんとした力作である。しかし、良い材料をもたらしながら、惜しくも読後感がもうひとつもの足りないものになっている。読者は、古い人形となれば、人形の怪異現象か、その周辺の怪異現象を期待する。その期待に応えて、人の死の予言をすしたりすれば、暗いはなしになる。そうでなければ、かけ事の当たりを予言すれば、明るさのある物語にでいるかも。どうすれば読者の期待に応えられるか、を考えれば、なんとなくお話はできてしまうものである。
【「家さがし」藤目雅骨】
 中村宗司は、80歳も過ぎてから突然、田舎に帰ってみようかと思うようになった。そこで、家探しをする。そういうこともあるのであろう。コロナ禍で、ふるさとでの家探しの経過が、面白い。買い物に付き合うような気分である。さらに、施設に入っている姉を見舞う話で、身近な話題でまとまっている。
【「弓取り」小坂忠弘】
 すでに亡くなった木場という友人から「相撲四十八手」(恒文社)などの本が送られてくる。そこから木場氏の思い出と、相撲談義の蘊蓄と貴景勝の話など、」エッセイの特性を生かして、すいすいと語る。長いと思うけど、文学仲間への追悼・鎮魂文として読める。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5-15-712、小坂方。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年11月23日 (火)

文芸誌「浮橋」第8号(芦屋市)ー1-

 これからは文芸同人誌の本質が、文学的成果よりも、自己表現の場であるということの把握から、文学性と離れて、生活者としての視点から読むことにした。
 それが文学性と重なれば、それに越したことはない。本誌はその意味で、読み甲斐があり、全作品を読んだ。どれも、面白いのであるが、紹介作品を選ぶのに全部を対象にはできない。そこが悩みになる。
【「ペルシャの壷」曹達】
 元銀行の頭取であった友人から、イランのパーレビ国王の一族であったが、政変で、アメリカに亡命できなくて、日本にきていたらしい夫人を紹介される。その理由は、彼女のもっているペルシャ美術品を見せられた。それを購入して欲しいという。それが大変な高額品で、知識がないものの、とても応じられるような金額ではない。それでも、折合のついた価格で購入させられる話。その現物らしき壷と器の写真がカラーで掲載されている。価値がありそうだが、ペルシャ陶器に興味がある方は、本誌を見ればわかる。
【「コロナ禍に本能で対処する」三浦暁子】
 新婚の時から、飛行機のチケットをとると、そのたびに異変が起きる。その他、航空機での旅行で、起きた出来事が書いてある。特に、航空機内でのパニック症候群の体験は、自分には興味深かった。作者は、その原因をマスクをしている状態だからだと、判断する。自分は日ごろからパニック症候群を病んでいるが、道を歩き始めた時に、息苦しくなって、おさまるまで道端で立ち尽くすのである。どういうわけか、国内の飛行機利用で症状を起こしたことがない。自分は、海外に行ったことがないので、そんなことがあるのかと、面白く読んだ。
【「芦屋川小景」小坂忠弘】
 ~芦ノ屋の水なき川面に戦ぎ立つコロナの秋の芒の穂波~~このような句から始まって、句を詠んでは、解説を入れている。普段は、自分は短歌を読むことはないが、解説があれば読んでしまう。
【「郵便局まわり」熊谷文雄】
 各地の郵便局をまわって、預金通帳を作って集める趣味があるそうだ。それも集めるパターンがいろいろあるという。そういう趣味は、暇だからできるのか、忙しくても工夫してやるのか、考えてしまった。
【「阪神大震災」大西一誠】
 1995年1月17日(火)の午前5時46分、阪神大震災は起きた。その体験記である。筆者は当時の川崎製鉄に勤務していたという。自分は、1970年の大阪万博の取材に、東京から取材に行っていて、その期間に御影という駅の川鉄関係者の知人の家に宿泊させてもらったことがある。それから幾年。ある日の朝、TVをつけたら大災害の報道をしていた。その知人に連絡が取れたのはいつだか忘れたが、新築したばかりの家は全壊し、歩いて避難場へ向かい、渡された災害用の食品は、硬くて食べられない。ということであった。災害の実態をしる資料として貴重である。――このような感想を述べていたら、長くなるので、作品選別を考えてみたい。たまたま、しばらく旅行後、原因不明で、ブログに入れなかった。まだ、続きがあります。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5-15-712、小坂方。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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