2017年12月16日 (土)

文芸同人誌「海」第96号(いなべ市)

【「猿追いの記」宇梶紀夫】
 田園都市というから、地域郊外の町立病院で、定年退職後、管理員として勤める。その前は町役場の職員として医事課職員であった。病院の医事課の仕事の詳細や、人口減のつづく町の住民高齢化の様子から、親しい友人が亡くなるなどのエピソードを挟みんで、山の猿が、畑を荒らすようになり、捕獲と山奥への追い払いの作業を具体的に描く。
 かつての農民文学賞を受賞したと記憶する作者の作品だが、これまで鬼怒川流域山村の歴史的な検証を兼ねた物語を連続して描いていたように思う。今回は、現在形で過疎化しかねない町の現状を、フクショナルな調子で軽快に描き、よくまとまっている。
【「八月の雪」白石美津乃】
 30代の奥村祥子は、食品会社に勤める。旅行雑誌を見て、スコットランドのエディンバラ城を知り、行くことにした。現地で、今は亡き弟と同年代の素敵な男性と知り合う。そこで、ささやかなロマンスの漂う交流をする。なかで、自分は普通に生まれついたが、人間は身体の不自由な人も、そうでない人も、何かに選ばれて存在するーーということに気付く。普通のロマンス系の話のようで、素材が意味ありげに扱われている。何かを言いたそうだが、なにが言いたいのかよくわからない。だからどうなの? と思わせる。
【「バトンの道筋」紺屋猛】
 木葉小夜子は、長年経営してきたスナック「リーフ」を閉めることにする。彼女は過去に婚約者がいたが、結婚する前に交通事故で亡くなってしまう。すでに妊娠していて、出産をする。仲人をするといっていた上司には子供なく、赤ん坊を引き取って育てたいというので、彼女は放心状態のまま承諾する。そして、女一人の生活をする。新しい男性とも知り合うが、彼女の過去を話すと、悩んだ末に去って行く。
 そうして、スナック経営を始めたのである。それを、高齢になって閉じようとしていると、ひとりの女性が新しい客として、やってくる。彼女の言葉や振る舞いから、小夜子は彼女が自分の産んだ娘だと読み取る。お互いに感情のぶつけあいもなく、淡々とした交際の末に、その娘がスナックの経営を継いで、営業を続けることになる。
 さばさばした語り口で、物語が論理性を中心に進む。これも小説の一つの特性で、現実にはそうならないようなことでも、物語の法則に沿っていれば、結構面白く読めるという、なかなかテクニカルな手法が成功している。
【「川瀬賢三の変容」国府正昭】
 川瀬賢三は、妻と認知症の母親の面倒をみる生活をしている。家には看護師をしている娘がいる。そうしたなかで近所の噂で、世間の情勢をしる生活ぶりを描く。深刻さもほどほどの穏やかな雰囲気がにじみ出ている。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。


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2017年12月 7日 (木)

文芸同人誌「私人」第93号(東京)

【「建築事務所勤務」えひらかんじ】
 あちこちで、ビル建設がおこなわれているが、そのもとである設計事務所の仕事を、海外でスキルを得た外国人技術者が働く様子を描く。こちらの知らない世界を描いているので、情報小説として興味深く読める。事実を背景に、外国人の眼で主体的に仕事ぶりを描くのだから、ペンネームも外国人カタカナ風にしたら、もっと本当らしく読めるのではないか。
【「珈琲朋友」根場至】
 カルチャー講習の小説教室に通う作者は、妻を亡くし、喫茶店で時間を過ごしていると、そこでやはり同年配の男と知り合う。彼の誘いに乗って、競馬場に行くと、その活気に巻き込まれてしまう。しかにも自然な生活日誌な作品。たしかに、世間を反映したひとつの世界が描かれている。
【「E・ヘミングウエイの時代(一)」尾高修也】
 ヘミングウエイの「武器よさらば」の作品を巡って、大学の学部のせいか、原文を読んだことの話から始まっている。自分は、経済学部の教養の単位の必須で、小泉八雲の英文を読む必要があって、ついでに「武器よさらば」の原文本を買って読んだ。冒頭の雨のぬかるみを兵士が行軍する様子のイメージ力の強さを知った。また、同時にコールドウェルの短編も英語で読んだ。好きな作家だった。懐かしさと、この時期は文学作品とする価値観が、不動のものであったことを思う。
発行者=〒346-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年11月15日 (水)

文芸同人誌「弦」102号(名古屋)

【「芸能史談―柳永二郎の名古屋地方の戦中慰問」下八十五】
 柳永二郎という俳優がいた。渋く重厚な風格のある脇役の重鎮という印象があった気がする。新派を主にした人物だとは、知らなかった。理知的な日誌の一部転載がある。戦時中に空襲による焼夷弾攻撃の合間に、舞台を続ける様子が、よくわかる。現在でも、北朝鮮のミサイル攻撃に備えてJアラートなどの対策をしている。いつの時代にも政府が、何を言おうとも、戦争に国民は対応しようがないことを実感させる。
【「指のあと」木戸順子】
 「還暦を1年遅れで祝う会」と名付けた高校のクラス会に出席し、昔の仲間と再会する。主人公の美穂は、夫を亡くし、夏子という娘が結婚相手を見つける。また、クラスメートで親しくしていた晋平との友達付き合いの時に、彼に強く抱きしめられ、身体に食い込んだ記憶を想い起こす。これらが40枚のなかに描かれている。ひとつひとつの出来事は巧みな文章力で、自然に読める。ただ、40枚にこれだけの内容を持ちこむので、味の薄さを否めない。
【「糠喜び」空田広志】】
 高齢者の生活感居を描いている。筆達者でいろいろな出来事を面白く読ませる。軽快な筆使いが絶妙。生活日誌を書きながら、筆が冴えてくるというのも、面白い現象である。
【「陰翳の男」山田實】
 陶磁器のデザインをする会社が、ベトナムに進出する。日本の陶器製造販売の細部がえがかれているので、面白い。それだけでなく殺虫剤を買いにスーパーに行くと、店内放送で、怪しい客がいるので、警備員は注意するようにという合図するような指示の声が流れる。男は、それは己のことかと、思い買い物の動きがぎこちなくなるところが意表をついて読ませる。
【エッセイ「枯木カリブ海に浮くーキューバ紀行」岡田雪雄】
 紀行文は、自己記録としては、意味が深いが、他人が読むと、それほど面白いとは思えないのだが、これはキューバの人々の生活ぶりを覗けるので、自分には興味深かった。キューバは、社会主義国であるが、米国の経済制裁でみんな貧乏。そこにオバマ前大統領が制裁を解除するとしたので、貧富の差がひらくのではないかと、心配されたが、トランプがそれを取り消して、やはりみんなで貧乏は変わらないようだ。そこから脱出したいと考えるのは当然だが、人間は格差が少なければそれだけ不幸感が減るということを示す社会のようだ。
【エッセイ「青年とカンボジアの未来」加納伸】
 これも紀行文の一種だが、短いが政治的な現状を反映した民衆の意識が表現されていて、興味を引く。
【「少年の死」フランシス和田】
 半島にある鄙びた漁村の少年と少女の一時期を描いて、終章で少年が首なし死体でみつかるという謎めいた出来事を語る。海辺の光景が、雰囲気良く調和的に描かれているのが、文芸的な味をもっていて、印象的である。
発行所=名古屋市守山区小幡中3丁目4-27、中村方。「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年11月 7日 (火)

文芸同人誌「文芸中部」106号(東海市)

【「お願いですから」堀井清】
 主人公の自分は、80歳ぐらい。妻はすでに亡くなっており。結婚した娘が50歳になって、離婚し出戻ってきて同居。二人暮らしである。ここまで生きて、今後どうするという夢もない。なんとなく、無意識的にスーパーで万引きをしてしまったりしている。
 自分は、夫婦との健在で、息子夫婦と同じ敷地に住む境遇の友人を訪ねる。すると、孫が若い身の上で、もう結婚しようとしていることを気に掛けている。満ち足りた老後でも、それなりに悩みが生まれる。
 作者は、これまでも高齢者の置かれた立場をさまざまな生活環境に置いて、その精神を逐一描いてきた。しかも、同じようで、すこしずつ異なる設定のなかで、家族関係と社会的な存在の位置を普遍的に表現する。本作では、同居していた娘が、再婚でもするのか、家を出るという。そこで、80歳になっての一人暮らしが暗示される。高齢者視点小説の専門作家として貴重な存在であると思える。
【「カメだって反撃する」朝岡明美】
 「わたし」の高校時代からの友人の香澄が離婚したらしく、主人公の家に転がり込んで、何時の間にか居ついてしまう。おまけにカメまで飼って、わたしに面倒をみさせている。私には、大学時代からの男と交際していたが、彼がまた接近してくる。彼は香澄とも関わり合いがあった。わたしは、用心深い女とされているが、そこで彼の結婚申し込みを受けるかどうか考慮するところで、終わる。女性にの生活を描いて、その場、その場は読ませるが、わたしの人間的な在り方が良く見えなかった。
【「文学館のこと」三田村博史】
 愛知近代文学館建設促進委員会があって、前中部ペンクラブの前会長の横井幸雄氏が立ちあげて、三田村氏は理事にされたことからはじまる。その後機関誌「風の音」が創刊され、東海TV会長、春山行夫、城山三郎、杉浦明平たちが顧問になり、寄付などがあったが、同誌の勢いがなくなると、次第に文学館の建設から遠ざかっていく。その後の経過から、「愛知WEB文学館」のネットサイトを立ちあげたとある。収蔵物のデジタル化をしているという。
 杉浦明平宅には、戦後文学の雑誌10万冊、清水さん宅には、同人雑誌20万冊が、引き取り手がないままになっているという。
 読んで、さもあらんと、感じた。私も東京で、生前の浜賀知彦氏が、大田区の南部文学として活動したプロレタリア同人誌を2階に集めていたものだ
  その目録を作っていたのでそれをもらっていた。そのなかに安部公房や壷井栄の同人誌やGHQが接収漏れしたのではないかという物もあったようだ。保存のために、大田区の図書館に寄贈したいと申し出たが断られたという。その後、雑誌「現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史」で東京南部文学(地元では下丸子文化として知られる)の特集で浜賀さんを取り上げた。その後、収集した同人誌は駒場の日本近代文学館で引き取ってくれることになりそうだと、生前の浜賀さんが言っていた。
 さらに、不二出版が浜賀コレクション「東京南部サークル雑誌集成・編集復刻版東京南部文学資料」として3巻を刊行。当時の同人誌活動を残している。価格は、6万円と高価だが、資料価値の面で、全国図書館に置くべきだと思う。
  さらに、浜賀の話では、大森に住み、久保田正文氏(雑誌「文学界」の同人誌評を行った)の亡き後の、書庫の本は、区内の図書館に寄贈しているという。そこで、その図書館に、寄贈本を見たいと確かめに行った。しかし、係員は、そんなものは知らないという。そのこで、寄贈されたものは、どこに保管するのか、ときいたら、「これですかね」と別室の戸棚の下段にあるのを見せてくれた。雑誌「文学界」の昔の古ぼけたバックナンバーと2,3の書籍ががあった。おそらくそれなのだろうと思った。整理されていず、始末に困ってそこにあるようだった。
 現在は、図書館は民間に委託しているので、おそらく処分されているのだろう。所詮そいうものなのだろう、と納得した。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2017年11月 5日 (日)

文芸同人誌「星座盤」Vol・11 (岡山市)

【「居川花火」金沢美香
 「私」の少年時代の鉄道ファンであった。カメラの鉄撮りでもあって、いつも寄っている無人駅にいくと、居川花火を見に行くという少女と知り合い、居川花火をみることになる。そこでの出来事は、幻想のように思えるが、その後、川で「私」の鞄が見つかる。少女は水死体でみつかったという話が伝わる。しかし、居川という川はないという。不思議物語だが、それだけのものか、ほかに意味があるのか、わからない。自分は、アクセントのない書き方は、苦手で受け取り方が難しい。
【「角打ちの友」清水園】
 居酒屋で立ち呑みをするのを角打ちというが、そこでの友達が亡くなったことから、「あいつ」と称してのその人の思い出を語る。一面的な表現で、工夫をしている。楽な書き方を選んだのか、書き手も、「あいつ」も人物に対する興味がわかないところがあった。
【「骨の人々」朝岡千昌】
 交通事故で死んだ妻のある恋人のことを想い、死者に会えるという島にきた様子を描く。
【「最愛のひと以外」水無月うらら】
 現代人の男女関係、社会生活のひとつのパターンを、文学趣味豊かな文章で描かれている。これは、「季刊文科」72号に掲載された「君は檸檬が読めない」の読後感も似たようなもので、こうした作風の積み重ねが、時代の標識として広まる可能性があるのかも知れない。
発行所=〒701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年10月19日 (木)

文芸同人誌「星灯」第5号(東京)

【「支配からの逃走」渥美二郎】
 人間による人間の支配をテーマに、教師の立場から見た支配的な事例を上げて、自からの行為も検証する。まとまった物語の形をとらないので、エッセイ的に見えるが、こうしたテーマ追求の形も純文学の特性であろう。ドストエフスキーの「地下生活者の手記」の手法もあるので、こうした作風に注目したい。
【「ラスト・マン・スタンディング」野川環】
 桜井大は、40才を超えた中年だが、現在はマウンテンバイクを使って、故郷の実家に戻ってきた。原発とは距離があるのだが、放射能汚染は、ひどい。そのため妻子は、大と別れてしまった。過疎となった実家は荒れ果てていた。彼は、勤めていた会社の早期退職に応じ、マイホームを売ることで退職金を使ってローンを返済した。それが、妻の離婚の意思で、ローンと離婚の慰謝料に多くの金が消えてしまった。残った多少の金で生活するために、実家に戻るしかない。過疎地であっても近くに、老婆が住んでいた。その老婆もそこから出て行くという。大は、放射線汚染のその地で暮らして行こうと、決心する。
 原発事故を忘れることがあっても、放射能汚染はなくならない。放射能汚染を日常化させた試みは、意義があると感じさせる。地域の電気水道事情や、セイタカアワダチ草の繁茂する様子など、フィクショナルであるが、話を面白くさせている。
【評論「日本文化論の形成と発展―加藤周一論ノート(4)」北村隆志】
 加藤周一という評論家のものを意識して読んだ記憶はない。が、マルクス主義思想の社会階級論文学についての評論は読んだ記憶がある。ここでは、加藤評論の日本人の精神的風土論を紹介しているので、大変興味深い。知識人による日本人論として、宗教や万葉集、源氏物語を生み出した精神の底流の分析を紹介している。
 なかでも、日本人の現在主義と集団主義の意識について、積極的に論じている。そのなかで共産主義者のなかに、戦争に反対した人々が存在していることを強調している。
 現代のポピュリズムの世界的な流れのなかで、現在主義と集団主義という視点は、分類項としては、幅が広すぎるようにも思える。これらは、近代社会の流れから知識人による分析を紹介している。その意味で勉強になる。
 ただ、本誌の大変面白い座談会(渥美二郎、神村和美、島村輝、松本たきこ)「『騎士団殺し』メッタ斬り」で論じられているような問題。つまり、近代社会以後、ポストモダンの文学的な現象に向けた視点での評論を生み出すことが課題ではないだろうか。
発行所=〒182-0035調布市上石原3-54-3-210、北村方。星灯編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2017年10月11日 (水)

文芸同人誌「澪」第10号(横浜市)

【「大池こども自然公園生態系レポート-1」かいぼり編(上)鈴木清美】
 長年にわたって地元の大池公園の自然を写真撮影や、生き物観察の場に愛好してきた写真家の作者が、編集者の依頼で、公園と大池のかいぼりの話が生まれるところから、住みついた外来種の魚類、動物などについて記す。こうした活動は自治体のやる気がないと、なかなか進まない。同時に、のちに地域の歴史に関しての貴重な資料にも成り得る。
 イギリスの居酒屋パブで、飲み客が町の噂や政治談議をしたこところから、パブリックという言葉が公共性の意味を持つようになったそうである。パブリックとジャーナリズムを合わせた機能を、文芸同人誌に折り込む試みに期待したい。写真も素晴らしい。一瞬の現象をスーパーリアリズムや幻影にちかい手法で表現するための努力が見える。同時にこれが永遠の一瞬かと、感じさせる。
 今回は難しすぎて、紹介ができないが、同時掲載の評論「ハイデガーを想う」柏山隆基の存在論を具象化したようにも見えるカメラ視線である。
【「カップマルタンの休憩小屋」衛藤潤】
 これは自衛隊員を兵士というより、公務員意識から描いた異色の作品である。時がくれば光があたるであろうと、想わせるものがある。
【随筆「かたち」草野みゆき】
 愛猫の葬儀所を探すはなしだが、細部の説明と描写が的確で、エッセイを超え、小説になっている。ただこの文才が、猫好きによるものか、持ち前の才気なのか見分けがつかないが、構成が巧みで面白い。
【「クラシック日本映画選5-カツライスアゲイン『座頭市物語』石渡均」】
 勝新太郎の映画の「座頭市」の解説で、運が良ければ、BSテレビでの再放送で鑑賞ができる。我が家のテレビは、26Vだが、BSの映像で見ると、撮影時における光と影の工夫のあとがはっきりすることがある。だから、光と闇の話はとくに面白かった。
【おとなの童話「ねこくる日々」片瀬平太】
 叙事と言葉のリズムの感覚が心地よい。つまり、文章表現が巧みということになる。
発行所=〒横浜市旭区左近山157-30、石渡方。文芸同人誌「澪」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年9月28日 (木)

文芸同人誌「小説春秋」第28号(鹿児島市)

【「遥かなユーラシア」斉藤きみ子】
 2011年の福島の大震災と原発事故を背景に、わたしの祖母が亡くなり、女友達のユリアは、カナダに行くことになる。冒頭にユリアと私には、愛情関係があることをうかがわせる。時代を反映してか、ライトノベル風の文章運びで、軽みを帯びたファンタジックな風趣の雰囲気小説に読めた。ユーラシアというイメージが、もうすこし強く映像的に描いてもいいようにも思えるが、映像化の普及した現代では、これで足りるのかも知れない。また、祖母のバァバが小説を書いていた、という自己表現者の存在として出てくるところが、ポストモダンの色彩が感じられる。
【「桟橋」出水沢藍子】
 舞台を人が多く出入りする港の桟橋に固定し、ある家庭の小さなドラマが展開する。短い中に、伏線をきかし、息子の心理と父親の人間的な生き方にスポットを当てる。素直に、それでどうなるのかな? という気持ちで作中人物に惹き入れられ、そうだったのかと、納得させる。たしかに、これが小説のだいご味だよね、思わせる出来栄えである。
【「廃墟の眺め」福迫光英】
 交通事故を起こして、死者をだしてしまった過去を持つ男が、見らぬ土地に流れて、その町の人との交流の紆余曲折の末に、人生の再生の兆しを見出す話。高倉健が生きていたら、主演の映画にぴったりの雰囲気の渋い人情話だ。これも小説らしい本来的な物語性をもった小説である。
【「『女と刀』のアウラ」杉山武子】
 「女と刀」は、鹿児島県の「中村きいこ」という作家の作品だという。その評論である。作者の紹介によると、谷川雁の紹介で、鶴見俊輔が着目。平凡社刊のノンフィクション集「日本残酷物語」に「女と刀」の基盤となる文章を共同執筆。さらに鶴見の依頼で、雑誌「思想の科学」に実母をモデルにした小説を書く。さらに光文社から「女と刀」の題で出版され、第七回田村俊子賞を受賞。テレビドラマ・木下恵介アワーで、半年間放映され、作者は一躍、時の人になったという。
 鹿児島という土地の風土で、男尊女卑のほかに、江戸時代からの士農工商の階級意識のなかでの話として評し、中村きいことその母親の批判精神の旺盛さに着目している。
 このなかの、武士階級意識から、妻が身分的に自分の出自より低い夫を軽蔑的に見ながら、夫の間に八人の子をなしたことに、作者は疑問を呈している。が、批判精神と人間性の否定とは異なるので、「批判すれども否定はせず」。家庭の維持態度としては当然のことに思え、不思議ではないように思う。夫婦の営みは欲求の満足であり、恋人との営みは欲望の満足であろう。それにしても、核家族化の進展で、女性の社会的地位から、伝統的な家系意識が希薄になった現代では、貴重な資料であろう。文体も歯切れがよく、気持ち良く読める。
【「冬子」福本早夫】
 農村の若者が都会に出て働く集団就職の時代。異母兄妹の兄が妹によせる愛の物語。「なごり雪」の歌の小説版のようなものに読めた。
 編集後記には、鹿児島の文学の質の低下を嘆く言葉がある。それは、過去の文学的な作品の傾向だけを見ていれば、そのように見えるかも知れない。しかし、文学的な優秀作とされるものが、現代では定まっていない。そこから、おそらくどの地域でも、優れた作品とする基準が、その背景によって異なる。また、過去の個性的作家の評論を題材としながら、小説家にするような評論小説のような新形式のものも登場している。完成度よりも、それぞれの視点の現代性で世間にアピールする傾向がある。
 ちょうど、テレビ番組から歌番組のベストテンがなくなり、過去にヒットした歌謡曲の番組が増えているように、文学界においても社会的露出の定理のような基準がなくなった時代なのだと思う。
発行所=〒890-0024鹿児島市明和1-36-5、相星方、小説春秋編集所。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年9月18日 (月)

文芸同人誌「海馬」第40号(兵庫県)

【「石を抱えたトキヨ」永田祐司】
 トキヨである「私」は、三人姉妹の末っ子で、母は教師、父はエンジニア。自分は保険の販売店に勤めている。家庭の話かと思えばそうでもなく、時空をこえた恐竜時代の夢を見たり、保険販売の客対応のコツを語ったり、人生の意義を考えたり、作者の思うところを自由に描く。宮崎アニメかと思うと「蟹工船」のプロレタリア文学を考え、ルソーと云う友達が登場すると、「告白」のルソーの人生を話題にする。キーワードは占い師が云った彼女の「子宮の中に骨がある」というもので、それがどういう意味か、考えながら読ませるところ。内面性の薄い表現のなかで、それが受け取り方の多様性をもたらしている。
【「うたかたの記」長谷川直子】】
 弁護士事務所に勤める女性弁護士の葉子が、50代になってボス弁護士の助手をしているが、仕事に倦怠を感じている。ある機会があって、菅野という男のバーの店の開店を支援することになる。葉子は菅野を美しい男だと感じる。菅野のバーは評判良く、流行る。が、ある日、菅野は失踪してしまう。その後、手紙が来て、彼が少年期に父親を海に突き落としていたことを告白する。
 全体にロマンチックなムード小説的であるが、菅野の少年期の事件が別件のように感じてしまう。話が漠然していても、前の分の美と愛の関係だけを絞って書いた方が文学性があるのではないか。
【「豊中の家」岡田勲」】
 豊中の家に住む女性の一人称で、生活の心境と家族の様子が、丁寧に描かれていて、なにかプルーストの「失われた時を求めて」の日本版の一部のような感じがある。終章で、その家の風景を見ることはないという言葉があり、時空を超えた話に読めた。これはこれで、一趣向のように思えたが、編集者のあとがきに、亡くなった娘さんのことらしい、とわかって、納得すると同時に、その文才に感銘を受けた。
【「愛のかたち」山下定雄】
 カンナという女性について、彼であるらしい「私」の独白体の語りで、小説的描写よりも、内面の心情や情念に重きを置いた表現。愛情のもつ曖昧な感覚を言葉にしてるようなものとして、長編の一部のようである。
 その他【「逃げ延びろ(二)」山際省、【エッセー「台湾ワールド」頴川雅麗】、【「手帳の余白ー編集後記に代えて」小坂忠弘】がある。
発行所=〒675-1116加古郡稲美町蛸草1400-6、山下方、「海馬文学会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年9月11日 (月)

文芸同人誌「R&W」第22号(名古屋市)

【「滅びゆく懐疑派―『東海魁新聞』と眞野志岐夫の周辺」渡辺勝彦】
 眞野志岐夫というアナーキストが居て、まず、その長男の眞野吉宣が亡くなったことを記す。吉宣氏は、昭和11年の生まれで、行年76歳。語り手の「私」が彼に会ったのは、6年前である。
 「私」は、『東海魁新聞』を発行していた眞野志岐夫のことを調べているのだが、まず、その息子のことを記すのは、時代背景と現代との距離をつかませる。そして「私」が彼の父親について、取材すると、多くを語ることを避ける。しかし、彼の死後に「私」に向けて書かれた手紙が、発送されないで残っていたことがわかる。じつに話の展開が巧い。
 「私」が『東海魁新聞』を入手してその幾つかの号を読むのだが、眞野志岐夫は社会主義思想に基づいて、新聞を発行し、広告なども充実し読者の安定していた様子が新聞からわかる。彼が「治安維持法」違反で、警察から罰金刑を科せられるが、罰金が払えず、刑務所に入っている。
 その後、警察によって、社会主義思想家からの転向をさせられる。転向後も新聞を発行するが、国民より国家権力を優先する風潮を、転向者の証明として、過剰に賛美表現することで、皮肉の意味を持つような記事を載せるようなこともしていたらしい。
 すでに、法として成立している「治安維持法」のなかでの生活の様子が、普通に描かれている。現在の労働基準法をないがしろにする残業代ゼロ容認法なども、こうして成立していくのだろうな、と感慨を呼び起こす。資本主義と国家体制が結びついて、目に見えない網がかかっている社会の空気が読めるような気がする。いま与党として連立している公明党だが、創価学会の牧口常三郎初代会長は、伊勢神宮の御札(大麻)を受け取らなかったということで、昭和18年「治安維持法」違反で、拘束され獄死しているという。錯綜する矛盾社会をみる気がする。
【「禿頭賛歌」藤田充伯】
 亡くなった田中小実昌は、作家・翻訳家として著名である。文壇や周囲ではコミさんで親しまれた。彼はベレー帽を被っていたが、それは禿頭なので、頭が寒いからだったと想像がつく。本稿の作者も禿頭だそうで、そこから田中小実昌の人となりを語る。自分は、田中小実昌訳となると、ほとんど目を通した。翻訳なのに、ひらがなを多用し、日本の物語のように訳す。本人の書いたものは天才で学ぶべくもないと思っていたが、翻訳というのは別だろう思っていたところ、とんでもない。翻訳の文体でも天才であった。ハドリー・チェイスの「ダブル・ショック」の翻訳を読んだ時の驚きは忘れない。名人技の文章である。
 その彼が、映画鑑賞と路線バスに乗るのが好きで、わたしの地元、蒲田西口商店街にあった映画館に通っていたことを書いているのを読んでいる。晩年は、カント哲学について書いているのには驚いた。今は路線バスに乗るたびに、ひょいっと外の風景を見ては、彼のことを思い起こすことがある。何でもない街の風景に心の永遠なるものがあるのだ、と悟らせられるのだ。
 本稿で、通称コミさんがクリスチャンであったことや、亡くなったのがNYでの客死あったことなどを知った。
【「シ・ネ・マ」霧関忍】
 少年が罪を犯したと思いこんでいる過去と、ロマンスと超常現象とを混ぜ合わせた物語。過去のことに罪悪感をもつという自意識を働かせた題材が、現代では珍しい。そう感じるのは、政治家が「美しい日本」を掲げているが、それは過去に「汚れた日本」の存在を示す意味があるのに、気づかないような自意識の薄さ。現在の日本人の風潮を意識させるものがある。
 発行所=〒460-0013名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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