2018年5月26日 (土)

総合文芸誌「ら・めえる」2018・第76号(長崎市)

 【「疼く街」櫻芽生】
 雪乃は思春期に、家族の居ない時に、家で昼寝をしていると、いつの間にか大家が合鍵を使って、家に入り込み雪乃にのしかかられる体験をしていた。肉体的な傷は受けずに至ったが、その恐怖感は、暴行されたと同様であり、心に深い傷を残す。そのことは大学に進んでもトラウマとして残り、男性に対する「ケモノ」意識は消えない。
 それは成人男女の交際にも支障をきたす。そのなかで、女遊びの巧い妻帯者の淳一郎と知り合い、誘惑に乗って関係をもつ。妊娠をしたが、男は中絶すればよいことと、言い切り縁遠くなる。しかし、それでも淳一郎は、妊娠中の雪乃にふたたび接近してくる。そ
こで、雪乃のケダモノ感覚が沸き上がり、男を刺してしまう。
 構成にひとひねりがあり、文体はですます調で、文芸表現的に含みの多い意欲作。現在、セクシャルハラスメントにおける、女性の心の傷の深さにスポットがあてられているが、その流れを反映して、すばやく作品化されたところに、多くの女性たちの男性社会に抑圧さてきた様子が推察できる。
 【「人事今昔物語―人事部S君の苦悩―」関俊彦】
 おそらく事実は、歴史をもつ大企業の話であろう。S君が人事部に配属されて、それまで知らなかった総務の人事部のさまざまな、特別な仕事の多さにおどろくという体験談。
 給与の振込口座の別口システムがあったのが、それをなくしたら、社員が愛人をかこっていたことはわかるとか、社会の有力者や得意先大企業の係累だと、無能でも採用しなっければならず、その対応に苦慮するなど、とにかく面白い読みものである。
 【「富の原伝説」古道まち子】
 歴史的にみると、古代から九州全体が自治独立体の集まりであったろう。長崎県大村市富ノ原にも古代の遺跡があるという。その状況の説明がある。すると、その語り手が、透明な存在となって、その時代にタイムスリップし、本土権力と富ノ原の人民との交渉に巻き込まれる。こうした地域の知られざる歴史に興味をもたせる巧い手法と感心させられた。
 【「核禁止条約成立後の廃絶運動探って」嶋末彦】
 いかにも長崎の地域性を前面に打ち出した評論である。条約の決議の時に、日本政府の欠席に失望する田上市長に手元には、故人となった長崎原爆被災者協議会の谷口稜瞱会長と土山秀夫・元長崎大学学長の写真があったという。また、安全保障関連法を憲法違反だとして、提訴した長割き被ばく者たちの法廷口頭弁論の様子が報告されている。
 【「プラトン初期対話編三編」新名規明】
  作者者は、これらの哲学書を文学として読むという姿勢を示している。ソクラテスは前399年、70歳で刑死。アリストテレスが生まれたのは前384年。ソクラテスの死後15年が経過。
  プラトンは、ソクラテス刑死の時、28歳で直接指導を受けたという。アリストテレスはソクラテスと面識がなかったという。そうなのかと、勉強になった。細部は理解できないが、人間社会での「真」「善」「美」の価値観がこの時代から存在していたことは、証明されているようだ。
 ということは、現代において、何が真善美であるのか、価値観の変化があるのかないのか、問いかける気持ちになった。アリストテレスの論理的な分類手法と、ソクラテスとプラトンの漠然とした「イデア論」などに対応した現代会批評の基礎をまとめてみたものも読みたい。
発行所=〒850-0913長崎市大浦町9-27、田浦事務所。「長崎ペンクラブ
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2018年5月19日 (土)

文芸同人誌「海」第97号(いなべ市)

【「闇の色」宇佐美宏子】
 ソムリエの資格を持つ55歳の吟子は「ワインバー・吟」の経営をしている。35歳の時に離婚、慰謝料としてこのバーとビルの最上階の異質の住まいを得たものだ。バーは、ソムリエをはじめ、沢田という男を中心に数名の従業員で繁盛をしている。
 あるとき、鈴木隼人という若者が吟子のバーで働かせて欲しいとやってくる。吟子は彼に不思議な魅力を感じ許可する。
 謎めいたところのある隼人は、次第に吟子に身の上話をするようになる。そして、幼児期より母親の性的な虐待を受けていたことを打ち明ける。精神的に嫌悪しながら肉体は母親の愛撫に応える自分に苦しむことを告白する。
 そして、隼人は店での沢田の姿に魅かれて、ここに来たという。吟子は、自分の心が彼に傾斜していたので、痛みを感じる。やがて、隼人は、知り合った女実業家と共に去った。
 これまで、存在は推測されていたが、表に出ない近親性虐待、LGBTを正面から題材にした作品。設定も良く世相を敏感に反映している。同人雑誌の同時代を見せて、注目させる。
【「星影の情景」紺谷猛】
 会社経営者の時朗が、スーパーで妻に頼まれた買い物をしていると、社員にそれをを見られ、バツの悪い思いをする。そこから、妻の美穂子が時朗の89歳になる母親の世話をしているので、そうしていることがわかる。老母には、ほかにも子供がいるが、たまに様子をみるだけで、充分なフォローができないので、美穂子が義母引き取って世話をする形になった。美穂子の介護の大変さと辛労が描かれる。嫁の立場の宿命でもある。その後、義母を養護施設に入れる。義母は多少の不満を感じたが、結局そこで人生を終える。いろいろあったにしても、結果的には、介護問題では、非常に物事がスムースに進んだ事例となるのであろう。
【「白い十字架」白石美津乃】
 高齢者の女性が、ホスピスにいる男性友人に遠路会いに行く。これまでの友人との出会いや、出来事を思い出す。終末物語そのもので、まさに、自分自身の記憶をたどって、感慨にひたる自己表出の話。気持ちの整理整頓になるのであろう。文章を書くことの効用が良く見える。
【「鈴沢弘江の覚悟」国府正昭】
 理髪店をしている伸吉は、高齢者が散髪に店まで来るのに大変なのを実感する。当人も高齢である。すると、近所の70代の友人が、伸吉のお客を車で送り迎えをしてくれるという。その得意客の鈴沢弘江という女性が、独り暮らしをしているが、自分は死ぬまで、自分を投げ出すことをしない、という覚悟を語る。
 やがて、その鈴江が骨折で動けなくなると、鈴江の子ども達が見舞にやってくる。じつは、鈴江は再婚で、彼らは継子であり、子供たちには継母なのだった。しっくりいかなかった、当時の思いを語り合うという話。この世界に秘められたありそうな沈黙する生活者のたちを浮き彫りにした物語。
【「安西均の詩―生誕百年に寄せて」安部堅磐】
 詩人・安西均の名は覚えているが、どのような詩風であったか忘れてしまった。本稿で改めてその精神の一端を学んだ。伝統的な言葉のリズムを共有していた教養人たちの存在感を感じさせる。感覚の多様性により、砂のようなさらさらとした粒になった現在の詩人たちの境遇を嘆くべきか。
【「刑事死す」宇梶紀夫】
 警察署物の追跡ミステリーで、面白く読んだ。刑事で父親の殉職したその息子もまた殉職するという二代の話をつなげて統一感にしている手法で、うまくまとめられている。
発行所=〒511-0284いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤昭巳方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年5月12日 (土)

文芸誌「みなせ」第78号(秦野市)

【「かげろう」根来澪子】
 宮田美乃里という薄命のフラメンコダンサーがいた。がんで故人になっている。これは彼女の美しさに魅了された作者の生きることと美学についての評論である。宮田さんは、29歳の時に、恋人から婚約を破棄され、歌集「花と悲しみー魂の軌跡」を出版。その頃から乳がんに侵され、5年生存率は6割だという。乳房切除の対応を拒否。絶望のなかで、エロス写真家アラーキーこと荒木経惟に写真制作を依頼する。それが「乳房、花なり」という写真集になる。その本を荒木から贈られた作家の森村誠一が、宮田美乃里を訪ね、話を聞き、ドキュメンタリー的な小説「魂の切影」を刊行している。
 その宮田さんの生き様に焦点をあてて、生きる時間をどのように惜しんでいくかというテーマに迫っている。
 ここには、記されていないが、森村誠一氏は宮田さんに出会う直前に、奥さんを肺小細胞癌で亡くして、喪失感にさいなまれていた時期のようだ。また、荒木氏は、モデルとなったKaoRiiという女性から、「私写真」という手法のために、彼女の尊厳を奪われ、ずたずたにされた、というアートハラスメントともいうべき告白も公開されている。それは余談としても、評論において、人間の失われる命という宿命の重さを表現した秀作である。
【「アンチ群衆の人」多谷昇太】
 いわゆる人間の群れるという素質に抵抗反発する心が生み出す言葉の抽象画であろう。この作者は、よほどの博学家。古典から現代までの文学的な教養は計り知れない。このほかの同時投稿作品を読むと、わかる。また、早く書くことの天才もあり、やたらに書き散らす印象がある。ジレッタンティズムに満ちた作風は、常識的な同人誌では、排除されそうなものであるが、それを肯定する「みなせ」の表現の自由に対する姿勢は貴重である。
【「雑事記ー言葉の研究とエッセイ2題」盛丘由樹年】
 言葉の研究として「すごい」「だいじょうぶ?」「××ぢてもらっていいですか」「ちがう」「べらんめえ」などについて、言及。いずれも、流行ったものの使い方について、本来のものとのずれを指摘している。
【お湯、ときどき水」折葉沢居】
 日本の高齢者の生活レポートのひとつ。家族情況がわかり、細部において、それぞれの事情を知るのに参考になる。
 本誌は、「みなせ」サイトで全作品が公開されている。自由な表現の場に敬意を表して紹介者・伊藤昭一も「知られざるミステリー作家の死」を投稿している。

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2018年5月11日 (金)

文芸同人誌「浮橋」創刊号(芦屋市)

【「永井荷風『墨東綺譚』に寄せて」上坂京子】
 作家・永井荷風にかんしては、さまざまな評論がでている。それらのうち、社会情勢や溝口健二監督での映画化した「墨東綺譚」と豊田四郎監督のそれとの比較や、永井荷風における女性に対するエゴイズム的な精神などを指摘。なかでも従弟が、永井に似た風貌と性格をしているということなども面白い。
【「空白」曹達】
 タクシーの運転手をしていた浅岡は交通事故で大けがをし、入院をしている最中。手術の麻酔の副作用が長くつづき、朦朧とした意識に、事実の記憶と幻想、妄想が頭の中をかけめぐる。その想念の詳細が、濃密にみっちり描かれていて、読みふけっていたら、正気に戻って、ぷつりと終わる。えっ、と思ってから、これも意外性のある終り方かと、感心する。
【「母との思い出」藤目雅骨】
 私、西村幸子は、母親ゆきが突然居なくなってしまったため、児童養護施設に入れられて育つ。タイトルそのままの話で、平板に叙述する。児童養護施設出身のことでも、いろいろ大変な身の上だが、その心情をさておいて、母の行為の記憶を淡々と語る。生活記録としてはひとつの資料になるかも。語り手の視点に乱れもあり、体験らしいので、それを書くことだけで満足するような作品なのか、判断がつきかねた。
【「消えた人」吉田ヨシア】
 マキツという手形割引業の男との出会いと交流を描いて、なかなか興味深く読ませる。マキツは男性的な機能に不全があるという。交際に性的な制約を押さえているようなところでの愛の交流の記録として素材が用意が、それを生かして表現が足りているかというと、なんとなく突っ込み不足の感がある。
【「乾いた砂の上の蜂」小坂忠弘】
 アパートのオーナーをしている主人公が、部屋の借主が孤独死をし、その後始末や曰くつきとなった物件の他の借主の対応などが、具体的な話の素材であるが、凝ったタイトルと考え合わせると、オーナーの精神状態を、表現するための手段かと、考えさせるところがある。
【「忘れられないこと」広常睦子】
 母親ががんを患い、病院に見舞って付き添い寝をしたところ、夜寝ている間に、足元から何かがもこもこと入り込んで、背中まわるのを感じたが、金縛り状態で動けなかった。その感覚とイメージが忘れられないという話。だそのベッドに魔物がいるように思う。睡眠と目覚め時の神経の短時間の混乱現象と見られるが、よほどリアルな感覚であったのであろう。
【「ハスラーへの道」夏川龍一郎】
 ハスラーを主人公をした小説と思ったら、本人がハスラーでビリヤードの詳しい説明であった。
 他にも読んでいるが、全般に平板な書き方のものが多く、そのれが意図的なのか、自然にそうなったのか、考えさせられた。時代と情況で同人誌の雰囲気が変わることを実感した。ただ、芦屋的雰囲気に満ちたところがある。
発行所=〒659-0053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年5月 2日 (水)

文芸同人誌「弦」第103号(名古屋市)

【「サンバイザー」木下順子】
 主人公の現在の「わたし」は、この1年間は夫との夫婦の営みが出来ずにいる。本人は初めての妊娠で六カ月の早産をしたが、保育器の中の赤ん坊は死んでしまう。その喪失感の強さから、妊娠恐怖症になっている、と自覚している。
 夫は妻の心境を理解し、夫婦の営みのないことに、妻を責めることはしない。そんな、夫に対する罪の意識と、不安定な精神状態で、息苦しい思いをかかえて生活する様子を描く。なかで、夫が女とラブホテルに入るのを目撃したりするが、それが事実なのか、妄想か曖昧である。
 子供を早産でなくした心の傷は、周囲には秘密のはずだが、知られているらしいとか、思い過ごしの日々が語られる。終章では、ネットで、同病の女性の体験談に、心を励まされるところで終る。タイトルの「サンバイザー」は、主人公の自分を前面に打ち出せない性格の暗喩のように受け取れる。
 同人誌には、長くは書けない事情があるので、短く雰囲気をまとめた意味では巧い。しかも、状況の曖昧なまま生活していくということも、いかにもありそうである。物語的な強調をすれば、妊娠恐怖症の妻と夫の問題にもっと深く追求することが必要に思う。しかし、現実にはこの作品のようであることも不思議ではない。するともっとも現実らしさを表現して問題提起をしているのか、主人公への現実批判の意味があるのか。考えさせる点で、純文学的である。
【「風は木々を揺らす」長沼宏之】
 詩的なタイトルであるが、語り手は企業のプライシングマネージャーという仕事をしている。いわゆる値決めをする部門だが、製品や企業によってシステムが異なるであろうから、象徴的な設定かも知れない。とにかく、職場で有能な感じの良い社員に出会うかが、同性愛者であることから、周囲の違和感のなかで、退社して新しい船出をする。
 大変に優しい書き方で、共感的な態度でそれを見守る。LGBTが題材の作品が、肯定的に書かれるということは、同人誌に時代背景が強くでているということで、世相を反映している。
【「ある禁忌」高見直弘】
 漁村で、漁師の間で黒入道が出るという伝説があって、その現象を描いた奇譚。船の上で性事を行った女が、黒入道にさらわれたか、消える。漁師と海の自然の関係に性をからませたのは、なるほどと思わせるところがある。
【「ふたりのばんさん」山田實】
 語り手は、ある部分だけ記憶が薄れる高齢の男。老境小説、高齢者小説、終活小説など、さまざまな呼称がつけられるような、作品が多い。これもそのひとつか。同人誌仲間など、年齢をへて死にゆく女性の記憶をたどるところが、特性か。
【「林間に遊ぶ-8―」国方学】
 図書館に置いてあった文芸同人誌に出会い、その中の作品に自分の心境と重なり合うもの見つけ、合評会に出てみる。批評の出来る人が会の盛り上がりをはかるが、あまり感謝されていない様子が活写されている。作家として、いいところまで世間に出て、その後鳴かず飛ばずのような同人誌作家にもであったりして、なかなか面白く読ませられた。同人誌の同人でもないのに、作品を読むというのは、この欄に共通した視点でむある。
【「ワーゲンの女」空田広志】
 定年退職後の趣味に卓球のグループに入会した雄介。妻はまだ看護師をしている。卓球クラブに入るにも、スポーツ根性があるせいか、なかなか厳しい。男女の組み合わせで、色香の匂いがあるのが、楽しい。話の視点移動も自由で、突然、他の人の気持ちに入ってしまう。のびのびとした精神の有り様が面白い。結構長いのは、内容的な完成度をより、書く行為を重視したことか。
【「悲運の戦闘機」(1)(下八十五)】
 歴史的な資料として、自分の知らない出来事なのだが、なんとなく、重要なような感じがした。「暮らしのノートITO」のなかに、一部抜粋してみた。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、「弦」の会)。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2018年4月16日 (月)

文芸同人誌「石榴」第19号(広島市)

【「クリスマス」木戸博子】
 主人公の私は、妻子ある男の子供を宿した身体で、それを相手の男にも、家族にも告げていない。どうするのか? この課題をかかえたままのなか、認知症の祖父が、徘徊中に足を骨折して入院する。私の両親も加わって、祖父の対応に追われるクリスマスシーズンである。
 構図的には、老衰期に入っている祖父の認知症的な反抗行為、それに新しい命を宿した私。対応に追われる家族関係から、人生における現代への問題提起がされている。なかでも、認知症の祖父の行動に細かな描写が集中しており、その不合理な反抗ぶりが、小説的な構図のなかにおさまっている。創作的なパターン化が見える。祖父の認知症の対応に加わりながら、私は子供を産むことを決意する。日本の家族関係は、さまざまな形態が生じて来ている。それを認知症の祖父の介護問題と絡めたところが、女性らしい作者の視点がユニークである。
【「写真家宮内民生の到達したもの」篠田賢治】
 目次には、作者が高尾祥平となっているが、どちらかが本名なのであろうか。写真家・宮内民生という人の作品評論の体裁をしている。しかし、内容はベンヤミンや、フッサールの現象学の視線からみた、映像表現・言語・コラージュなどの、複製芸術論のようになっている。アクロバチックな、論証展開であるので、なかなか解釈が難しい。現在の二次創作的なジャンルや、シュミレーション的コピー表現論にもつながるのであろうが。ありきたりの芸術評論の平板さを避けようとする、作者の特有の手法であろう。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2-16-7、「石榴編集室」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2018年4月14日 (土)

文芸同人誌「澪」第11号(横浜市)

【「プロペラ地蔵」石渡均】
 相模原市の小田急線の付近をオダサガというそうである。主人公は、作者と等身大らしきプロのカメラマンで、写真家育成専門学校の講師もしている。若い頃は時代のニーズにマッチした写真集が出せたが、年齢が高くなると、写真集が売れなくなる。そこから妻から離婚の申し出を受けている。その設定が自由な精神と行動を可能にし、物語化に便利である。
 相模原の町のいわゆるそこらの風景描写が、さすがカメラマンと思わせる。丁寧さが光る。弘明寺や戸越銀座の場所も懐かしい。プロペラ地蔵の怖しいような逸話にも存在の説得力がある。だが、話の軸は、教え子や、紹介されたカメラマン志望者たちの自殺してしまった若者の話になっている。
 三人の自殺者の関わりを描くが、彼等の内面に迫ることができない。どうにか化出来なかったのか、という思いは伝わるが、世代の異なる自死者たちの心はわからない。この分からないことの報告の作品となっている。
 散漫のような話の手順だが、読んで飽きない。多様性のなかで、妙に集団性が崩れない日本社会の描き方の一つであるかも知れない。
【「大池こども自然公園生態系レポートⅡかいぼり編(下)」鈴木清美】
 池のかいぼり作業が、テレビ番組にもなった。自分も、かいぼり後の井の頭公園に行ってレポートをしているので興味がある。
 ここでは、地元の写真家による横浜・旭区の「大池」のかいぼりと、その地域の歴史、生態系がレポートされ、見事な写真もある。とくに、外来魚アリゲーターガーの水面浮上の写真が見事にキャッチされているのが、すごい。アリゲーターガーは、自分が大田区の吞川の近くに住んでいた時に、池上本門寺近くの川にガ―が3匹はいるらしいという目撃情報があった。それが5、6年前から目撃されている、というので、時折、川沿いを探したが見つからなかった。ところが横浜の外来種捕獲ボランティアがやってきて、捕獲した。テレビ放送までついて、見事2匹を捕獲した。
 また、自分はライブドアのネット外部ニュース記者として、多摩川の「お魚ポスト」を取材した。たしか稲田堤の近くだった。現場で池の写真はとったが、管理者に会うことが出来ず、ボツ記事にした記憶がある。それはともかく、ここでは、外来種生物との生態系を乱さない共生的思考などが記されている。また、池の魚や野鳥への一般人による過剰な餌やりなどの問題提起がある。
 同感するし、実際に独り暮らしの友人が、野良猫に餌やりするので、近所からクレームをもらったりし、当人も癖になり、病のようになっているので、他人ごとではない。とにかく、こうした記事は、フクションより面白いところがある。
【「ウメとマツ」鈴木容子】
 ウメとマツは、よしお君が飼っていた猫の名前である。話は昭和50年から60年頃のものだが、ポイントは視点がよしお君だけでなく、猫にも移動したように書かれている。短編で視点の移動は、失敗するとされている。だが、ここでは、それが欠点というより、自然で人間の幻想を見る存在としての進化の途中であるような現象に読めた。
【「針鼠二人」上田丘】
 タイトルから、守りの堅い人間同士の話かな、と思って読んだら、若者のカップルの心理が描かれていて、当たらずとも遠からず。理屈っぽいところのあるひとつの男女交際風俗風景。
【「十五分後」衛藤潤】
 都外のデパートの屋上の観覧車の係員になった予備校生の時松が、客とゴンドラに同乗することがあり、それが評判になって制度化する。
 そこで、時松自身が同乗した人たちの記録のような話。変わった設定で面白い。無関係の人の語る話を聞くという軽い読み物で、これもまた現代風俗のひとつか。
【映画評「カツライス・アゲイン!『ど根性物語・銭の踊り』」石渡均】
 勝新太郎と江利チエミが主演で、市川昆監督の映画の話だが、自分は見ていない。しかし、ヌーベルバーグの幾つかは見ていたので、状況説明は面白く読める。また、撮影の裏話と作品批評が一体となっているのも、興味をそそる。特に、市川昆監督のカメラの個性が生まれるための条件がわかって、なるほどと思った。
【「ハイデガーを想う(Ⅱ)下・柏山隆基」
 外国哲学というのは、用語の翻訳がまず困難として立ちはだかる。この作者の用語の説明は、翻訳語の日本語解釈のイメージづくりに参考になる。ただ、認識についての定義なので、範囲は限られている。自分は、雑誌「群像」に連載の中沢新一「レンマ学」を読んでいるが、不立文字の認識と哲学的な日本的解釈の違いを感じる。
発行所=241-0831横浜市旭区左近157-30、左近山団地3-18-301。「澪の会
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年3月31日 (土)

文芸同人誌「いのちの籠」第38号(東京)

 本誌は、詩誌であるが、「散文」という分類で掲載の「強姦許容社会」(堀場清子)などオピニオンが掲載されている。
【「朝鮮国連軍地位協定と最期の砦『九条』」多喜百合子】
 朝鮮国連軍地位協定と憲法九条の関係について、述べられている。要は、朝鮮戦争が休戦協定の中であること、その監視のめに朝鮮国連軍があり、その本部が日本に置かれている。しかもその規約が、参加国の憲法を超越することが可能になっている、という事情を述べている。本評論では、外務省のHPに「朝鮮国連軍地位協定」の掲示が2007年の掲示とあるが、実はその掲示が、平成30年の今年2月13日に更新されている。
 それだけ、政府が朝鮮戦争の休戦協定の行方に関心をもっているということである。これは米国の北朝鮮攻撃の可能性を予兆させるものがある。評者は、この状況と日米安保協定で自衛隊が米軍とともに参戦する可能性を述べ、九条の危機としている。
 この朝鮮戦争時には、日本は米国軍の指揮のもとで日本海の地雷掃海に協力しており、実質的に参戦している。この時期の情勢については、作家・安部公房が活動していた「戦後東京南部文学運動」の記録にもある。
 この事実を前提にすると、朝鮮半島は戦時中の休戦状態であり、北朝鮮にとって日本は敵国なのである。北の日本人拉致問題も、敵国に対する戦術であるということができる。国内に拉致に協力する北のスパイが今も存在する可能性がある。だれが好んでこのようなことをしたがるであろうか? 国家体性という愛国集団化を強制された民族の悲劇であり、それはかつての日本の姿でもあった。そのことを思えば、人間的な悲しみを持ってことに当たらねばならないのだ。日本の公安警察が、拉致を防げなかったひどい無能さは、こうしたなかでの裏事情があるのかも知れない。
 また、日本上空の航空路線が、実質的に米軍の管理下にあるので、羽田空港への発着ルートが、面倒なシステムになっているのであろう。
 さらに、国際的にみると、北朝鮮が核兵器を持ちながら、非核化を唱えている。その論理でいくと、日本は九条を持ちながら、戦争をしても国際的に不思議に思われることはない可能性がある。安倍首相が九条を残して、自衛隊を自衛軍としようとする構想も、その辺にあると推測できるのである。同時に、国連の敵国条項に日本が対象国になっているのに、この朝鮮戦争では、参加国になっているのも、国際条約上の矛盾である。
 そういう問題意識を喚起する良い評論になっている。
発行所=〒143-0016東京都大田区大森北1-23-11、甲田方、「戦争と平和を考える詩の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年3月27日 (火)

文芸同人誌「火の鳥」第27号(鹿児島市)

【「三姉妹」本間弘子】
 高齢の父親が自転車乗っていて、突然倒れて入院する。成長して家庭をもっている三姉妹が、協力して父親の入院後の生活ぶりを見まもり支援する。父親の病状の観察記であるが、娘ならではの心使いが描かれる。描く範囲が狭くエッセイの世界であろう。
【「のどかな日々」(全五編)鷲頭智賀子】
 年老いた母親と暮らす主婦の日常を描く。静かでのどかな時を過ごす。なかにテレビ番組を見ていて、平野レミが出ている話がある。自分は、あるレコード会社のイメージ戦略の小冊子を編集担当をしていた時、平野レミにエッセイ原稿を依頼した。電話をかけると「はーい、平野レミは私でーす」と、いって、執筆を快諾してもらえた。私が20代後半のころだから、それにしても、彼女も相当の年齢であろうと、タレント生活の息の長さを痛感した。彼女の父親も夫も著名人だが、それを知る人も少ないのかも知れない。
【「世界ぶらり文学紀行」杉山武子】
 文学者のいた地域を個人旅行する。アトランタ(米国)では、「風共に去りぬ」のマーガレット・ミッチェル。パリ(フランス)では、カフェ「ドゥー・マーゴ」にまつわる話として、ヘミングウエイ、藤田嗣治、サルトル、ヴォーボワール、三島由紀夫などの滞在事実を紹介。ベルリン(ドイツ)では「舞姫」の森鴎外。ワイマール(ドイツ)の「若きウェルテルの悩み」。ストラストフォード・アボン・エイボン(イギリス)でのシェイクスピア。ロンドン(イギリス)での夏目漱石。上海(中国)では、「吶喊」の魯迅。それぞれの地域にちなんだ訪問記と文芸評論との合わせ技だが、どちらにしても、労多い割には、食い足りない。本人が足を運んだという意義がいちばん大きいのであろう。
【「喜びも悲しみも私の財産」北村洋子】
 冒頭に主婦が絵画で、地域の賞を取る話がある。しかし、家庭生活に専念するため絵筆を捨ててしまう。それからは、家庭の出来事の叙事に終始する。タイトルにすべてが表現されている。
【「『百鬼夜行』の妖怪と『徒然草』」
 鳥山石燕の浮世絵「百鬼夜行」が、吉田兼好の「徒然草」の題材を、妖怪と結びつけて描く、その事情を評論している。調べて疑問を解くのに作者特有の熱が感じられる。
発行者=鹿児島市新栄町19-16-702、上村方。「火の鳥社」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年3月21日 (水)

文芸同人誌「季刊遠近」第66号(川崎市)

【「マイホーム」花島真樹子】
 主婦の悠子の息子の洋介は、大学生の時は、一度は部屋を外に借りて通学していたが、やがて、実家に戻って、引きこもり生活をしている。そこで悠子が夫と洋介の間で、家庭のなかの調和に苦労する話。引きこもりに関する話は、多くあるが、ここでは、親には理解不能な(親でなくても、普通の感覚では、見聞しても理解しにくいであろうが)息子の精神や気分の断絶に関し、より実感の迫った表現になっている。
 およそ社会生活において、人間は自分の感情に逆らって行動せざるを得ない。そこで、かつては、盲腸になったり、神経症になったり、心の負担を見える形にしていた。この作品では、友人の医師が「これは心の問題ではなく、脳の問題だ」とアドバイスするところがあるが、その指摘が納得するようなところまで、洋介の状態を描いているところがある。やや抜け出ており、そこは優れている。とりたてて解決手段もなく、現状維持のなかで、生活を続ける主婦の姿を描いているのも、自然で普遍性がある。
【「川向うの子」小松原蘭】
 1970年代の、深川の風俗を描き、対岸の町を「川の向こう」といって、差別的な意識をもつ町の家に育った、女性の思春期の記。細かくさまざまなエピソードが描かれているが、
書いている間に、時代の風物への懐かしさが強く出ている。作者の差別に対する精神的なものの変化や、成長の痕跡も生まれてこなかったようだ。ただ、歳月の生み出す詩情だけが語られる。これも終章の一つの形であろう。
 これは一般論だが、生活記憶でもなんでも、描き始めと終わりの間に、精神的な揺れや方向性の違いなど、何らかのゆらぎや変化がないと、物語の形式に入らない。線を横にまっすぐに引いただけのものだ。もし線を波打たせるなり、どちらかに上下すると、絵やデザインに感じさせる。その原理は、小説に当てはまる。過去と現在とをたどって、同じところに精神があるというのは、物語的には、整合性があっても、現代文学としての栄養を欠いていること、カロリーゼロ飲料に等しいと自分は、考える。
【「生きて行く」坂井三三】
 一郎という男の、生活と人生をアサコという彼女との関係について、かたる。一郎の精神性やアサコの奇矯で複雑な行動が描かれている。文体は、ざっくりとした描き方で微妙なニュアンスの表現し難いものなので、そこから美文的な文学性の楽しみはないが、現代的であることは確か。どことなく、時代を表現する方向を感じさせながら、なにかその芯に当たらないようなもどかしさを感じさせる。
【「冬の木漏れ日」難波田節子】
 家族関係は、人間の生活構造の基本をなすものである。が、核家族化がすすみ、個人主義が行きわたると、その構造に変化が出てくる。ここでは、昔ながらの夫婦、親子の情愛を軸に、昔のような情感をもって生活できない、生きにくさを表現している。たとえば、両親や弟の進学のために婚期を逸したという女性の将来を案じたりする。実際には、そのために婚期を逸したというのは、周囲が思うことで、実際はわからないと考えるのが現代である。いずれにしても、ある時代に主流であった価値観を維持する家庭人の生活ぶりがしっかり描かれている。
発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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