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2022年12月18日 (日)

同人誌「澪」20号(横浜市)を読む

  このところ、インフル・コロナワクチンに、慢性症のアレルギー治療などに時間を費やしているのだが、なぜか意欲が出ない。読む約束をしていないのに、相変わらず同人誌が送られてきます。読むつもりがなくても、興味がわくものがあると目を通してしまう。だが、何かを思いを記す気にならない。

  今日は、かなり前にいただいた「澪」20号(サイト参照)を手にした。石渡均の連載映画評論「狂った一頁」(原作・川端康成・衣笠貞之助監督)の多視点からの分析があって、貴重な資料であろう。大正のモダン時代の末期、昭和元年の作品だという。この映画について知識は持たないが、前衛映像作品の象徴的なものらしい。それにして、大正モダンの前衛作品が現代でも、前衛的であるというのは、これらは永遠に前衛でありつづけるのであろうか。このほか同執筆者の「「澪20号に伯父おもう」があって、石渡とういう姓が、行軍で石を並べて川を渡るのが巧みであったことから、つけられたという話が面白い。そのほか「羽田低空飛行路の悪夢(5)」柏山隆基は、哲学者ハイデッガーの技術論と、羽田空港の路線変更の被害を、並論したものである。羽田空港の航路は、その後も変更があったらしく、低空飛行で川崎上空から羽田に向かう機体を目撃して驚いたこともある。哲学的思考については、わからないが、基本は米国との基地協定である。米軍の要求でこうなったのである。同盟国とはいえ、基本的な人権を無視してよいのか、米国人の世論を動かす活動がたりないのである。その他、写真家の鈴木清美、んねんぞうの作品が冴えている。なんといっても、ビジュアルの時代で、国際性があるのがユニークである。また、HPサイトのほか、ー文芸同人誌「澪」のブログー を開始している。(ITO)

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