「季刊遠近」80号記念号などで思うこと
いまだに各地から同人雑誌を送っていただいています。ありがとうございます。今も、パソコンのWIN・11の使い方を動画で見てならっていますが、なかなか覚えきれないです。
同人誌では「季刊遠近」80号特別記念号を読んでいるところでさまざまトラブルが出てしばらく休むことになりました。かつて当会は、フリーライターのための発行物「文芸研究月報」という文芸情報紙を発行し、会費月四百円を年契約で配布していた。当時は読者から雑誌「文学界」の同人雑誌評への関心が強かったので、評論の対象作品リストを掲載していた。同人雑誌の同人のなかに、作家志望者がいて、作品掲載の雑誌を送ってきて、どのようにして雑誌社に売り込めばよいか、というような相談にも応じていた。また、「文学界」に出ている同人誌への取材をして欲しいという要望もあった。なかに熱心で「季刊遠近」という同人誌はどういうものか知りたい、という人が3人くらいいた。そこで、取材にいき、各人にレポートを送ったような記憶がある。同人誌でも関心の高い低いがあって、「季刊遠近」は高かったようだった。その時に、読者には、文学芸術をするのか、テレビのミステリードラマのような読み物作家に向かうのか、明確にすべし、ということを指摘した。自分は、夜間大学生時代からアルバイで、物書きをしていた。専攻は資本論研究であったが、若者の物書きアルバイト応募者は、文学部が多く、経済学系は珍しかったらしい。そのため、企業の社内報や商工会からの中の依頼があって、その他の仕事との掛け持ちで、授業料はもとより、長男として家の家計の負担もしていた。
話は前後するが「季刊遠近」90号では、「道の空」の労作に感銘した。もう一つ、三〇代からのうつ病の人生を語った「生きる意味を捨てて」(保坂青水)が、体験記として興味深かった。
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