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2022年7月31日 (日)

文藝誌「浮橋」第9号」(芦屋市)

【「贋作」曹達】

 前回に続いて、骨董のはなしである。芦屋族らしい高級趣味にひたる面白さがある。今回は伊藤若冲という触れ込みで、虎の絵の掛け軸をヤオフクで、購入したが、それが贋作かもしれないと、買い手も思う。しかいし絵に味があるので、それを楽しむ。毎回のグラビア写真が楽しい。

【「こり屋敷の洞」青木左知子】

 語り手の家は、昔は狐狸屋敷といわれていたらしい。六甲の周辺の昔話で、柳田国男的なほこりした雰囲気がある。

【「嫁」藤目雅骨】

銀行の若い受け付け嬢は、取引先の男性に一目惚れされる話は、定番のようによく聞く噂話である。真樹という純真な受付嬢が、取引先先の会社の社長の息子に気に入られ、順調に嫁入りを果たす。めでたいのだが、その後の嫁の実家の関係までが語られる。のんびりとした調子の文章で、もっと簡潔にかけるものだが、基本形のスタイルの気持ちよさがあある。

【「お先に失礼します」吉田典子】

 古希を迎えた独り暮らしの女性の回想と、現況を語る。なんとなく過去と現在を語るだけだが、人柄が感じられ、井戸端会議的でありながら、孤独が感じられる。

【「同人誌感想(二)城殿悦生」

 同人誌に書くのに、同人以外の人が読むことに驚いているのに驚いた。印刷した本になったら、発表したことになる。そこに責任がある。また、ペンネームも「しろうとのエッセイ」からきていると知って納得した。小説公募に「未発表作品に限る」とある。そこで、その担当者に、何人が読む範囲が未発表で、発表は何人読んだらそうなるのか?と訊いたことがある。我が会員には、それを通知してある。さらに本に定価があったら、発表である。価格表示がなかったら、試作テキストかもしれないので、未発表とされる可能性をもつ。
発行所=〒659-0053芦屋市浜松町5-15-721、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2022年7月28日 (木)

文芸時評・7月(東京新聞7/27付け夕刊)伊藤氏貴氏

 <私小説とは何か>「文芸」秋号で特集。ーー先月の本欄では「私小説になった男」=西村賢太の追悼特集を取り上げたが、今月も、「文芸」秋号が「私小説」を特集している。私小説復権の前兆なのか。ただしこれは、編集の金原ひとみ個人の発案ということだ。--
《対象作品》西加奈子「CRazy  IN love」([文芸」秋号)/島田雅彦」私小説、死小説」(同)/町屋良平「私の推敲」(同)/金原ひとみ「ウィーワァームス」(同)/石田夏穂「黄金比の縁」(「すばる」8月号)。

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2022年7月24日 (日)

文芸同人誌「海」(第Ⅱ期)第28号(太宰府市)

【「『アルチュール・ランボー小論』(2)労働する存在・沈黙する存在・反抗する存在」井本元義】
 詩人ランボーについては、自分は「地獄の季節」など、堀口大学の訳をいくつか読んでいるが、天才の詩精神を味わうだけで、彼の生活的生活の部分は、全く無知で、これを読んで、多くを教えられた。とくに、詩人の表現に関しての、詩人的生活活動と生活的な生活の営みとのバランスに姿を浮き彫りしている。日本の詩人、萩原朔太郎は、実家の資産に頼った詩人生活に、何か不足を感じたらしく、「生活がしたい、生活がしたい」と述懐している。我々が驚嘆する天才的な言葉への閃きも、生活的環境から生まれることを示している。とくに、本編では詩作をやめたとされる、アデンやハラル時代に、沢山のレターや光を放つ断片を記していたことがわかる。井本氏の精力的な評論は、物語性に富み、読者をランボーの精神と実生活に否応なく誘う。文学的詩精神の神髄を知るための優れた教材にもなる。
【「幻聴」高岡啓次郎】
 ベテラン弁護士としての実績をもつ男が、病気で亡くなった妻の声で、妻のぐちと恨みののようなものを聴くという話。小説を書き慣れた筆遣いで、安心して読ませる。作者も安心して書いている。同人誌らしい書きたいものを書いた良さがある。
【「灘」有森信二】
 ヒサという、高齢者の家族の島国での話。娘が病気で苦しむ様相を、主体に状況を語る。昭和時代の島暮らしの生活の記録なのか。独立体の小説にしては、周囲との関係がわからない。感情移入させる巧さが印象的。
【「ある恋愛の顛末」牧草泉】
 恋愛論を並べながらナンパ話を展開する。スタンダールやバルザック的な描写論を超えて評論を交えているのが現代的なのか。音楽鑑賞と女性の性格を結び付けて面白く読ませる。
【「幼年期―郷原直人の場合・其の壱 じっけん実験-前編―」中村太郎】
 敗戦後の台湾から戦後の引揚者であったらしい直太の子供時代の話。文体に勢いがある。
【「虚空山病院」井本元義】
 冒頭に、埴谷雄高の「死霊」の出だしを使用して、読む者の意表をつく。その内容は、精神病院の2代の院長をめぐる女性との愛の関係を濃密に語る。構成もゆるぎなく、陰鬱さの中に人間のロマン性の美意識を描いた力作である。作者の才能の豊かさを堪能できる。
 発行人=〒818-0101大宰府市観世音寺1-15-33(松本方)。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2022年7月21日 (木)

舞台「まるは食堂」を9月に名古屋と東京で

三田村博史・原作の「まるは食堂」創業70周年記念公演・舞台「まるは食堂」《スケジュール参照》が、演劇になった。竹下景子氏が出演するというので、話題性があり、期待できそう。

 

 

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2022年7月20日 (水)

芥川賞・高瀬さん。直木賞・窪さん。

 第167回 芥川賞受賞━━━『 おいしいごはんが食べられますように 』 高瀬隼子
 職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。ままならない人間関係を、食べものを通して描く。
 第167回 直木賞受賞━━━『 夜に星を放つ 』 窪美澄
 かけがえのない人間関係を失って傷ついた者たちが、再び誰かと心を通わせることができるのかを真摯に問いかける短編集。
 
  --文字をよむという作業の読書に、どれだけの社会性が発揮出来るか、が興味深い。

 

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2022年7月15日 (金)

文芸同人誌「奏」第44号2022夏(静岡市)

 巻頭詩に柴崎聡の「耳」に関する出来事が、自分の耳に起きたことと関連があり、興味を持った。高齢者に複雑な形の難聴がひろまっているようだ。
【「丸岡明『贋きりすと』論―原民喜の残影」勝呂奏】
 本論によると原民喜は、昭和26年3月13日、広島の原爆を小説「夏の花」(昭和22年6月「三田文学」)に書いた。その後、住まいに近い鉄道・中央線の吉祥寺と西荻窪間の線路で自殺をした。45歳であったという。作品は読んだことはないながら、そうした経緯は、知っていた。当然、丸山明「贋きりすと」の存在は知らなかった。この評論は、原民喜の友人でもあったらし丸山明が、原民喜をモデルにして書いた「贋きりすと」の解説と、原民喜の被爆体験と、人間関係を解説したもの。実に、感銘深い傑作である。被爆後の原の人間関係を読むと「人間のもつ特性」としての愛するこころ、同時に客観的な自意識の存在をしる。自分は、普通の人生を送ってきたものだが、高齢で孤独である。本論を読むと、原の被ばく者としての孤独。その極限的な体験を記憶から排除できない。丸山明の「贋きりすと」作品では、おそらく原の被ばく者としての極限的孤独をよく表現しているのであろう。十字架に磔になったキリストの発想には、多くの極限の孤独者の想いが生み出したのか、という啓示を受けた。神がいようがいまいが、自分には関係がない。把握不能な宇宙的世界のなかに存在する塵のような自己存在の認識を新たにした。
【「イギリス・・ロマン派の詩を読む②=ブレイク『虎』」田代尚路】
 ブレイクと言えば、神秘ロマン派の詩人で、海外では著名らしい。大江健三郎もこっているようだ。自分は、高校生のころ「エラリ―クイン・ミステリーマガジン」で、 ストックトン 『 女 か、 虎 か 』 という、結末のわからない「 リドル ・ ストーリー 」 という形式の小説を読んで、多少勉強した覚えがある。そのことを覚えている自分の記憶にのこっているのが不思議だ。00
【小説の中の絵画(第16回)「カズオ・イシグロ『浮世の画家』-戦争画の不在」中村ともえ】
 戦争中に軍部の圧力と大衆意識への迎合から、戦意高揚の絵を描いた画家。戦後、それを隠ぺいでもしたのであろうか。人間社会は、あたかも小魚に群れのように全体の流れに従って動く。芸術家もそこから抜け出すことが出来ないことが多い。この画家の過去作品を作者がどのように表現しているかを、検証しているものらしい。自分は読んでいないので、そうですか、という感じ。
【「島尾敏雄『われ深きふちより』ノート――<病院記(入院中)>に見る祈り」勝呂奏】
 このような作品は、自己表現と作家業との有機的な繋がりがあるため、その表現力の有効性で、世間に広まったものであろう。その記憶力と、話の巧さに驚嘆するものがある。自分の高校生時代、家族は、家業の担い手の母親が、いわゆる統合失調症とされた。5人兄弟の長男の自分は、父親に協力して、家庭の維持につとめた。一人の精神の変調は、他の家族に伝染するのである。そのため、落ち着かない忙しい生活であった。父親の意志で、それに協力したことで、晩年は全員が、病院生活から縁が切れて普通の生活が出来た。それが最大の自己満足である。それにつて何かを書こうという気持ちにはならない。このような、場所にタダで書くこと自体、考えが及ばなかった。とんだサービスである。そのなかで、マーケティングの世界で、フリライターとして生活出来たのは、生活上で便利であった。このあとに触れる「正宗白鳥」に仕事ぶりを読んで、全くの共通点があるのに驚いた。
【「正宗白鳥 仕事の極意――<文壇遊泳術に学ぶ(4)」佐藤ゆかり】
 純文学作家で、ありながらすべて金のために売文精神で、それを全うしたのは、珍しいでことであろう。自分はフリライターで、収入のためにさまざまな依頼をこなしてきた。職業は、編集者にませたので、経済評論家、ジャーナリスト、作家などさまざまであった。PR誌、機関誌、協会新聞紙など、つねに4か5組織の発行物を受け持ってきた。人脈と質の良さ、取材力などで、信用をえると、各業界から依頼がくる。様々な業界の知識がこうした奇妙な紹介記事を続けさせるのかも知れない。
発行所=420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=伊藤昭一。

 

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2022年7月10日 (日)

総合文芸誌「ら・めえる」第84号(長崎県)

 本誌は地域の歴史に根を張った文芸誌で、特に批評が各分野わたって、優れたものが多い。その視点には注意深く読解すべきものが多くある。

【「『異端』の公共事業「石木ダム」城戸千惠弘」
 国と自治体の強い繋がりのなかで、真正面から公共事業の実行性に、批判すべきは批判するという、作者の姿勢に心を打たれた。勉強させていただくという意味で、抜粋を連載させてもらうことにした。《参照:暮らしのノート「『異端』の公共事業「石木ダム」」

【「日本は奪わず与え続けてきた」藤澤 休】
 ここでの歴史的な経過は、朝鮮半島時代のものからの事実である。南北分断後の、正しい歴史認識を持とうとの働きかけの方策は、日本人には、よく理解できないであろう。その認識の違いを知る手掛かりとなる評論である。それが日韓関係にどう影響したかというと、会社の人事入れ替えのように、人々が入れ替わってしまった。経済力で日本に優越したと思い、日本を超える存在に、幸福と生き甲斐をもっているらしい。現在も、日本は存在することで、生き甲斐を与えているということになる。

【「八十路を超えて(7)」田浦直】

 日本が小選挙区制になったことで、政治の根本が変わった。細川氏の日本新党から、新生党など混乱期の時代がなまなましく記録されていて改めて日本政治の変化の過程を知ることができる。
【「人新生の『資本論』(斎藤幸平著)」長島達明】

書評である。マルクスが「資本論」が売れた後に、人間を地球存在的な関係との問題を提起していた点を斎藤幸平が、発掘的な問題提起を行ったことに、「ハウステンボス」に関連した経験と、資本主義論を述べる。

発行事務局=〒850-0918長崎市大浦町9-27、田浦直方、長崎ペンクラブ。
紹介者=詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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