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2022年6月 6日 (月)

文芸同人誌「弦」第111号(名古屋市)

【「ミューズの贈り物」長沼宏之】
 1975年に県立勝沼高校に、日本では、人気のムードミュージックのフランスのポール・モーリス楽団が予告なしにやってきた。楽団は毎年日本で公演を各地行い、いつもどこでも満席の人気であった。来校した楽団の目的は、日本の高校生たちとの親善であった。同時に、養護学校出身で、音楽的才能のある厚子の存在を見いだしていた。彼女が才能を伸ばし、音楽家として社会的に認められ、結婚して家庭をもつ。ポール・モーリスとは文通があったが、生活の中で音信が途切れるが、あるとき、フランスへの招待をうけ渡仏する。そこで楽団員との交流をするが、楽団はフランスではあまり知れていない事実を知る。その後、帰国してから何年もたってから、モーリスに頼まれたという人を介して、彼が厚子と同様に貧しい境遇から、小さな楽団からを日本を軸に、人気楽団へと成功させた事情がわかる。ポールが亡きあとも、厚子は還暦の身で、国内で音楽の楽しさを世間に広める活動をしている。実話を元にした話のようだ。こうような音楽文化の交流には、米国のエレギター楽団、ベンチャーズがある。米国では、忘れられた後でも、日本では何十年も人気楽団として、存在しつづけた。これは、日本人の文化感覚は、世界の文化の範囲と似ていても、異なる部分があるということがわかる。
【「記憶の器」小森由美】
 癌と診断された「私」は、血液検査の結果を聞くため待合室にいる。2年前にはこの病院精神科を受診している。夫の急死のあとで、その一年前に娘を亡くしていた。夫は病死だったが、娘は自死だった。そして、他人事と持っていた事柄である「家庭の不幸」を身をもって体験する。いろいろ思いめぐらし、自分が「記憶の器」として存在していることを思う。まことにシニカルな視点であるが、それだけに読ませる苦労話である。同人誌であるからこれでやむを得ないが、本来の文学的精神は、器としか感じない「私」の心理を描く方向にある。ランボーは、「傷つかない心というものを誰がもっているというのか」ということを意味する詩を残している。
【「耳」門倉まり】
 三十代の頃、法政大学の文学部の通信制で学んでいる時に、幻聴がきこえるという佐藤君と知り合いになる。その話のなかで興味を持ったのは、自分が法政大学の「資本論」研究ゼミナールに所属している時に、教授から合宿に参加するように言われた。当時から、生物学部生の「種の起源」(ダーウイン)読まず、マルクス主義者の「資本論」読ます、と言われていた。自分も、学生運動家の理屈を聞いても、マルクス・ヘーゲル知らずに意味もわからず共産主義や社会主義を支離滅裂に論じるのに、あきれかえっていた。たしか、二、三泊で東北の旅館で合宿をした。時期的に推察すると、この話は、その後のことになる。女性作家は、中沢けい氏のようだ。自分の頃の教養の文学講師は長谷川四郎であった。「資本論研究会」の合宿の時、いやに参加者が多いなと思ったら、通信制の学生が、単位を取るために合宿に参加してきたのである。このころまで通信制があったというのには、驚かされた。いずれにしても、この時代の自分の周囲の学生たちは、学問追求型が少なくなかった。この時代の佐藤君のような変わり者の存在を認める鷹揚なあったことに懐かしさを感じる。
【「とりあえずの場所」木戸順子】
 純文学的な表現法に徹していて、巧い作品である。ただ、純文学はつまらない話をつまらなく書くものなのだと、感じた。なんとなく、プルーストの作品の一部のようなスタイルなのかとも思える。
【「天蚕糸」白井康】
 江戸の寛永5年(1626)鳴門海峡の南に「うちの海」という入り江があるーという書き出しである。ここでは、これまでの釣糸では、鯛を釣り上げるのは難しかった。それが、音吉という男が、天蚕糸を使うと、丈夫で糸が魚に見えないので、良く釣れることを発見する。知らないことばかりで、興味深く読んだ。時代考証に詳しいらしく、力作である。ただ、ドラマチック性の薄い淡々とした語りが、物足りなさを感じさせる。
【「聖夜幻想」杉山千理】
 聖夜と真帆の生きざまが描かれる。同人誌作品にはめずらしくオチがあるので、楽しめる。
【「姉のこしてくれたもの」国方学】
 姉がなくなってから、遺品のゴミのなかに一億円が入っていた話。
発行所=「弦の会
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

 

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