文芸同人誌「海」第105号(いなべ市)
【「”私“たちの物語―ポリフォニック・ストーリイズ」国府正昭】
心療内科のあるビルが、患者の石油による放火により、医師はもとより30人を超える人達が死亡し、犯行の患者も死亡した事件を思い起こす。ひどい事件だという「私」は、自分が心療内科に通うことがあった。それでも、会社勤めをつづけ、現在は定年後に再雇用されている。息子や娘は自立し、遠隔地にいる。奥さんとの二人暮らしだ。その「私」が、幻覚意識のなかで、“彼①”の犯行時の体験をする。さらに、“君A”の役所の対応のクレームぶりを、その他、盗撮男などの犯罪を目撃する。そんなところに、自分の過去の後ろめたい出来事のいくつか場面で発した言葉が、甦って明瞭に聞こえてしまうポリフォニー的という病にかかる。人生の晩熟期に入り、無意志に過去の未熟な行為に、意識が向かう様子が、高齢者層のひとつの要素として描き出されている。作者の別項目の「エッセイ」欄には「私の『今日行く問題』」と題して、同人誌作家としての、文学的な精神の課題を記している。
【「ある犬からの手紙」中村久美子】
ペットして飼われ、愛情と虐待を受けて死んだ犬が、なぜこのような目に合い、受けた愛情と虐待の矛盾を問いかける。これも日本社会のダイレクトな鏡である。
【「陽気なピクニック」宇梶紀夫】
大学生の秀夫がアルバイトで、精神病院の病室巡回をする宿直をする仕事を紹介される。
秀夫という外部の人間から見つめた日常というような院内の状況のなかで、マキという患者との交流が語られる。安定剤の服用で、患者たちは平和な生活を送り、ピクニッニックを楽しむ話。自分には、肉親に精神病院の入退院をくりかえし、病院も変えたりしていた者がいたの、こんな病院もあるのか、珍しいような感じであった。
【「子猫の居場所」川野ルナ】
思春期の女性の微細な神経を描いたもので、こじんまりした主張が感じられる。
【「虫の譜-むじひー」山口馨】
昭和時代の前期から、戦後の後期まで行くぬいた女性の人生を描く。昭和の時代の紆余曲折が良くまとめられている。
【「交錯のとき」安部志げ子】
家庭生活の一部を題材にしたもの。書こうとする出来事の問題意識はわかる。ただし、表現の形式は、常套的なもので、かつては巧いとされたものだが、現代性が同期していない気がする。
〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-2、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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