【「祭りの場」花島眞樹子】
小説として、形式と内容のバランスが一番良い。夫が病んでいるが、医師から余命いくばくもないと告げられているが、「私」はそれを夫に知らせていない。夫の病室から窓の外を眺めると、赤とんぼが群れている。この冒頭のところは情感表現に切れ味がよい。その夫が手帳に日記を書いているのだが、そこにチャーリーという名が出てくる。その名について思いめぐらし。倉原千恵という女性を夫が好きで、現在も交際している痕跡ではないかと、思い当たる。「私」の嫉妬心の自意識や、その経緯が語られる。そのなかで、「私」は、子どもいて夫と安定した家庭で暮らしきた過去から、夫婦愛とはなんであるが、という内心の問いかけをする。その表現に文学味があって実に良い。そして夫は亡くなるので葬儀をするのだが、そこでの花輪を飾る儀式のなかで、それを夫への祭りとも感じてしまう。たしかに、人は祭りのなかに死を内包させているのだということをしみじみと感じさせた。
【「逃げたカナリア」難波田節子】
話の素材は、子供の頃の、逃げたカナリア話である。時代は場所は読んでいて読者の想像できるようになっている。あまり面白い話ではないな、と思いながら読んでいたが、隣のカナリア逃がしてしまった「私」の気持ちが、地味ながら伏線となって、結局面白く読んでしまった。子どもの心理を大人の視点で描いて、成功している。
【「屈託」浅利勝照】
出だしは好調で、興味をもった。が、ちょっと思惑とは外れて、言いたいことは、このことかと、読後わかる。居酒屋にいるときに、知らない男から、村の婿だろうと言って、悪口を言われるとこるなど、その村ってどんな村、と驚かせられた。そういう話の運びが面白かった。
【「フォト・ピストル」香山マリエ】
トオルという幼なじみと、「私」は年月を経て会う。お定まりのパターンであるが、それしかないのは仕方がない。文章の出だしは開放的で期待させる。構成も理解できるが、トオルと「私」の関係がごたごた書き過ぎ。物語を考えるときには、構成と登場人物を持ち出す。長編でないのだから、どこかに個性にあるところを印象的な人物とし立ち上がらせねばならない。ここでは、「私」が高校に入学した時に、トオルが<○○高校にいったのか、もっとましところにしているかと思った>と「私」を見下したようにいうところがある。この場面を「私」とトオルの人物像立ち上げる軸にする。あとの雑事は簡略化した方がよいと思う。
【「引きこもり将軍」逆井三三】
足利義政と義満、義持の帝王ぶりを、現代の感覚で受け止めた、珍しい歴史小説である。なるほどそうか、と思うところがある。
【「道の空」(七)】藤田小太郎】
その時代の事情は、米国との外圧から抜け出そうとした後であると思う。明治天皇のもと、近代日本として完全独立していた時代。根底に独立国と従属国の基本精神の違いがにじんでこないのが惜しい。教科書を読む史実はのようで、現代性が薄い。
【「同人雑誌放浪記(一)」藤田小太郎】
文芸同人雑誌に二流や三流があったなんて、全く知らなかった。ほかにどんな同人誌があるのか、一流や四流のちがいもあったのだろうか。面白そう。
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紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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