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2022年4月 8日 (金)

市民作家と職業作家の小説の巧いのと下手なもの

以前は、会員が物書きで収入を得たい、いわゆる錬金術としての文章を書ける人やそうなりたい人が主だったので、同人誌の作家はみな職業作家を目指すという前提で、会員の同人誌作品を評論していた。ところが最近は、書くことで、自己認識を深めればよいという姿勢のひとばかりになった。(べつにそのような自覚がなくても、事実はそのために意義があるのだ)。それだから、商業的にならないのが当然で、作品の良し悪しを、その価値観で見ない。となると、小説の巧いか下手かという基準に変化が出る。同人雑誌で巧いからというので、褒めてもそれで売れるわけでないから、しょうがない面がある。自分が紹介の中で、下手だというのは、そういわれることで、視点に変化が起きることを期待するからである。最初から自分小説が巧いと自覚のある人は天才である。しかし、才能がない人が、そう思うと客観性が失われる。自意識が生まれないのである。多くの同人誌作家は、小説が自分より巧いのは確か。それでも、読者の立場から良し悪しが言える。自分の多くの文学好き仲間はいなくなってしまったが、作家評は自然に出てきた。職業作家で、小説が下手たなのに人気があったのが、かなりいる。石原慎太郎などは、巧いという評価であった。新田次郎などは論理が強すぎて下手な評価であった。それから、ドフトエフスキー翻訳者は、米川正夫、小沼文彦、原久一郎とも訳のわからないところがあった。そこで、おそらく原作者の文章が下手なのであろうということに、なっていたものだ。

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