« 2022年3月 | トップページ | 2022年5月 »

2022年4月29日 (金)

文芸同人誌「澪」第19号(横浜市)

【『雨月物語』「クラシック日本映画選―14―」石渡均】
 読者として一番面白く読んだので、最初に紹介する。溝口健二という映画監督は、小津安二郎と並んで、なぜか世界的な評価が高いという話を聞いたことがある。その具体的な理由をゴダール、トリフォー、タルコフスキー、コッポラなどの海外映画関係者の名を上げて説明している。自分は、新藤兼人の溝口健二論を読んで、映画人の芸術志向精神の凄さというか、特異性を知ったことがある。それ以外に知識がなかったので、興味津々で読んだ。溝口の「女に背中を切られるようでなけりゃ、女は描けません」というのは、新藤兼人の話にも出てくる。脚本家の依田義賢の名から「スターウォーズ」の「ヨーダ」の名が生まれたなどという逸話にも驚かされる。溝口と田中絹代との関係も、取り上げられている。そして、日本の名監督たちが、なぜ西洋映画人に高く評価される理由も評者の石渡氏が指摘、制作ぶりを検証している。これは新藤兼人も触れなかった視点とポイントであろう。いずれにしてもその時代だからこそ作られた逸品の解説として優れているように思う。映画「雨月物語」などは、BSTVで再放送してほしいものだ。
【「緊急報告・羽田低空飛行路の悪夢(4)」柏山隆基】
 本論は、哲学的な視点から、羽田空港の民間航空機の航路変更の被害を形而上学的に表現しようとするものらしい。ただ、羽田空港に遠くない住まいの自分にも、現実的な被害がある《参照:東京の空と日本の空=無関心ではいられない建て前と現実》。この問題の本質は、戦後の米国占領政策の延長である、米軍との非公開の日米合同委員会での決定から発生してるようだ。横田基地の米軍「アルトラブ」の存在が根本問題のようだ。筆者は哲学者のようで、フッサールやハイデガーなどの存在論と認識論ン展開がある。自分は、金剛経座禅道場に入門した時期があった。そこで、自己認識として、存在物が姿を変えるというのは、実態がない存在〈空〉の世界にいるからだーという理屈を考えたものだ。あまり理解されそうもないが、マルクス・ガブリエルの「新実存主義」論を読むと、だんだん自分の認識の方向に近寄った発想が生まれているのだと、感じている。
【「君が残したウインドーズ」小田嶋遥】
 出版関係者同志には、仕事での繋がりが切れたあとでも、交流がつづくことがある。これは、パーキンソン氏病にかかった物書きの私と写真家らしい「キミ」とのパソコンのメールを通しての長年の交流を描いたもの。私の語りの手法が、キミの海外からの便りを挟み、二人の時間と空間の広がりを強める印象を残す。非常に個性的で、メールを通しての情報を効果的に生かす発想に感心した。病の進行で、先の見えるような立場を私小説風に設定しながら、現代的な特徴をもたせた短編。
【「川の二人」衛藤潤】
 月華川という川の近くに住む「ふうか」という姉とこれから中学生になる健太郎という弟の生活ぶりを描く。川が氾濫する警報が出ると、酒飲みの父親にせかされて、近くの体育館に避難する話などが語られる。健太郎の父親と母親は離婚したらしく、「ふうか」母親と暮らし、健太郎は父親と暮らしている。町の浸水がかつての事件から、日常化した気候変動を取り入れ、現代性を反映している。「ふうか」の肢体の描写に力を入れ視覚的な面から、登場人物の存在感を強めるのに成功している。物語の視覚化と言えば、映画とコミックであるが、純文学をその方向に導く意図があるような感じもして、興味深かった。
 その他、写真家の作品があるが、HPの作者ブログ各氏のものが見られるので、味わってほしい。
発行所=文芸同人誌「澪」公式サイト参照。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

| | コメント (0)

2022年4月16日 (土)

文芸同人誌「駱駝の瘤通信」第32号(郡山市)

【<扉の言葉>「ワクチン接種」-社会のため?」五十嵐進】
 毎号、社会の動向に問題提起をする言葉が、簡潔に記されている。ここでは、NHKの「日曜討論」で、ワクチンに関する討論で、音喜多俊議員(日本維新の会)が、「(ワクチン)を接種することは子ども自身のためというより社会のためという側面がある」発言されたそうだ。その議論はスルーされたことへの、意識の低さを指摘している。ここで五十嵐氏が指摘するのは、自分自身のため、その延長として自分の子どもへの親の判断で、行われている筈であるという論理が展開されている。たしかに「社会、会社、家族のため」という論理は、個人の自由を抑圧するものがある。こうした発想の先には、国家のためという論理につながってしまう。国家というのは、国民と称して構成員を全体化する概念である。国民より優先する存在になる。しかし、われわれは諸国民の一人であり、その権利を維持するために、国家を形成する。政府の言う「国民」と、諸国民としての個人を優先する発想の違いを考えさせる。
【随筆「ハンセン病雑感―三―②」武田房子】
 ハンセン氏病にかかわる「韓国訪問記録」で、現地の雰囲気が表現されている。
【「農をつづけながらーフクシマにてー“22年早春『情報開示請求―野池元基氏の仕事』」五十嵐進】
 本作で、野池元基氏が、国策として福島原発事故の復興のために、広告代理店「電通」が、国民の所得税から徴収しつづけている復興税のなかから、どのような使い方をしているか、という実態を「情報開示請求」で問題を明らかにしている。動画(YouTube)であるので、それを五十嵐氏が、なぞる(文字おこし)ことをしたものである。ネット動画の文字おこしは、自分も幾度か挑戦したが、これほどきちんと出来たことはない。その価値を考えて、暮らしのノートITOに転載させてもらう許可を得、掲載することにした。《参照:野池氏の「情報開示請求」(1)「駱駝の瘤通信」で五十嵐氏の解説》。当初は、一部抜粋にしようと思ったが、世間的に分かりやすく記されているので、区切りを入れて連載し、全文掲載することも考えている。電通は巨大であるため、子会社、別会社さまざまな組織をもっており、その全容は、なかなかわからない。ただ、施政者が「オリンピック」や「国民投票」などのような、国家総動員的な方向を打ち出すときは、巨大組織を活用しようする。原発事故の「心の汚染」をするなどは、その一部の活動に過ぎない。さりげなく、生活のなかの心のすきまに自然に入り込んでくる。だから広告代理店なのである。
【「福島の核災以後を追う(七)―2021年9月から22年1月までを中心に」澤正宏】
 ロシアのウクライナ侵攻で、原発施設がチョルノービリ(チェルノブイリ)原発をロシア軍占領し、事故原発の危機管理について課題が見えてきた。国内外の原発動向を記録した労作である。
【「服部躬治関係書簡6続々―自転車に乗るより江」磐瀬清雄】
 服部躬治(1875-1925)は、福島県出身の明治-大正時代の歌人で、新派和歌運動に活躍したらしい。
発行所=郡山市安積北井1-161、「駱駝舎」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

| | コメント (0)

2022年4月 8日 (金)

市民作家と職業作家の小説の巧いのと下手なもの

以前は、会員が物書きで収入を得たい、いわゆる錬金術としての文章を書ける人やそうなりたい人が主だったので、同人誌の作家はみな職業作家を目指すという前提で、会員の同人誌作品を評論していた。ところが最近は、書くことで、自己認識を深めればよいという姿勢のひとばかりになった。(べつにそのような自覚がなくても、事実はそのために意義があるのだ)。それだから、商業的にならないのが当然で、作品の良し悪しを、その価値観で見ない。となると、小説の巧いか下手かという基準に変化が出る。同人雑誌で巧いからというので、褒めてもそれで売れるわけでないから、しょうがない面がある。自分が紹介の中で、下手だというのは、そういわれることで、視点に変化が起きることを期待するからである。最初から自分小説が巧いと自覚のある人は天才である。しかし、才能がない人が、そう思うと客観性が失われる。自意識が生まれないのである。多くの同人誌作家は、小説が自分より巧いのは確か。それでも、読者の立場から良し悪しが言える。自分の多くの文学好き仲間はいなくなってしまったが、作家評は自然に出てきた。職業作家で、小説が下手たなのに人気があったのが、かなりいる。石原慎太郎などは、巧いという評価であった。新田次郎などは論理が強すぎて下手な評価であった。それから、ドフトエフスキー翻訳者は、米川正夫、小沼文彦、原久一郎とも訳のわからないところがあった。そこで、おそらく原作者の文章が下手なのであろうということに、なっていたものだ。

| | コメント (0)

2022年4月 7日 (木)

文芸同人誌「詩と眞實」4月号―第874号(熊本市)

【「河口の見える理髪店」宮川行志】
 日川太助は、半年前に妻香代の実家「向こう堤」というところに帰ってきた。その土地は、明神川という河口の堤防の上に、ポツンと理髪店が見えるところがある。河口の地形と、その理髪店の看板の大きさと、主人公の顔の怪我による傷の大きさについてが、話の軸になる。この取り合わせは面白く、風土の様子も関心を惹きつける。それは良いのだが、話に無駄が多く、小説的な物語性に欠ける。文章は良いが、語りの手順が悪く、下手というしかない。題材や状況設定はよいのだから、それなりに工夫が欲しかった。内容は充実して、理髪で、髭を当たる場面など、細部は文学的表現で優れているのに、もったいない感じがした。
【「遠野幻想/老人と夢――第5回(19~25)」戸川如風】
 これは、体験の多さを、想像力でさらにふくらまして、長い話になっている。とても面白い。ちょっと枯れていて、社会意識から離れているが、純文学そのもとして、良くまとまっている。完成度は高いのであるが、俗的な物語性が、地味なので理解者は少ないかもしれない。機会があれば、何かの拍子にヒットするかもしれない。
【書評「『輝ける闇の異端児アルチュール・ランボー』井上元義著―ランボー没後130年を経てなお著者の魂を揺さぶる熱い思い」寺山よしこ】
 対象の著作は「書肆侃侃房.」から刊行されており、なかなか品格の高いつくりで、自分は今でも細部まで読み終わっていない。ここで評者はランボーに打ち込む才人・井上氏の心情を推察したり、ランボーの生活の解説などを短く的確に表現している。作者のランボーの存在感の強さへのあこがれの様子。それに魅せられた詩的世界の心情をよくまとめている。
発行所=〒862-0963熊本市南区出仲間4-14―1、今村方、「詩と眞實」社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

| | コメント (0)

2022年4月 6日 (水)

「文芸同人誌案内」の樋脇さんよりコメント

「文芸同人誌案内」の樋脇さんよりコメントをいただきました。全国同人雑誌協議会の会報に「文芸同人誌案内」について寄稿したそうです。光栄にも、文中「文芸同志会通信」について触れてくださったそうです。モノを書いていて、依頼がくるようでないと、専門家として物足りないです。結構なことです。このところ、80肩で指が動かず、休んでいましたが、樋脇さんのコメントで返事を書こうとおもったら、腕が上がりました。今は、「詩と眞實」4月号をとっくに読んでいますが、そのうちに紹介しましょう。

| | コメント (1)

« 2022年3月 | トップページ | 2022年5月 »