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2022年1月16日 (日)

文芸同人誌「群系」第47号(東京)

 本誌は、作家論など文芸批評に重点を置いた雑誌である。テーマを決め同人がそれに合う評論を書く方式らしく、文学精神の旺盛な勉強家が多いようだ。19世紀文学者から現代作家まで、幅が広いテーマである。対象作家の多彩さがあるのでデーターベースは多いが、その作家に興味を持たないひとや、読んだことのない人もいるので、すべてに目を通すというのは難しい。それを前提にした編集であろう。
【自由論考「『なりすまし』にはかなり無理がある。-東野圭吾の『白夜行』と『幻夜』において、テクストの空白を埋めるものはなにかー」が大野雅子】
 ミステリー作家の東野圭吾のファンである筆者が、東野圭吾の作品「白夜行」く(1999年)と「幻夜」(2004年)が「なりすまし」の連作の可能性を示唆し、その面白さに引き付けられる。ところが、大変に面白いミステリーとしての作品での「なりすまし」トリックには無理があると、感じたというものである。そのなかで、小説における人称の問題を説明しているところがある。――『白夜行』における「移動する視点」/直木賞の選評会で指摘された、「人物描写の浅さ」という問題は、東野圭吾独特の語りの手法と関係がある。ミステリー小説であるから当然といえば当然なのだが、心埋描写よりもストーリーに重きをおくのである。さらに、ストーリーを語る際、視点を次々と移動させるのである。その移動する視点が複数の異なる方向から際、主人公を照射していく。主人公を囲む外堀が埋められていくようなイメージである。外堀は埋められていくが、主人公の心情が説明されないがために、テクストの真ん中にはぽっかりと穴が空いているような具合である、その穴は最後に至っても埋められることはない。―――このような説明から、東野圭吾のここでの謎の作り方や、作家としての狙いを知ることが出来る。同時に余談的に「なりすまし」の秀作として松本清張の「砂の器」について、触れている。自分は、海外作家のミステリーを読む。もともとミステリーには、無理があるから話が面白くできるので、「それをいったら、おしまいよ」というところがある。ファンがこのように感じるとしたら、東野圭吾という作家の筆力は、相当ものであるにちがいない。ネットでなく、活字にミステリー作家の評論が文学的な視線で語られるのは、面白い。
発行所=「群系」ホームページ参照
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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