久野治氏の評論・「美濃焼について」を転載
ワクチンの3回目をすました。結構、だるかった。しかし、コロナ過で死ぬのを覚悟していたら、まだ生きている。先日、文芸同人誌「弦」110号で紹介した久野治氏の評論を転載させてもらうことにした。この評論の特異性は、陶芸品を滋雨にした日本史が語られていることだ。前にも述べたが、今は亡き友人の宇田本次郎氏は、長年、陶磁器の店を経営し、陶器の町へ行っては仕入れをしていた。自分も付き合いで、中くらいのお椀を1万円位で買った。今も即席ラーメンを食べるときには、この椀を使うが、たしかに味がある。かれは、古田織部を題材にした小説を執筆しいた。しかし、いわゆる純文学的書き方で、織部の心理的な側面を描くため、時代の環境をあまり記さない。自分は、もうすこし時代の空気を説明したらどうだろう、と注文をつけると、野暮な奴には、判らないでもいい、と言っていたものだ。それに対し、《参照:評論・「美濃焼について」(1)=久野治・ORIBE研究家》は、じつにユニークで面白い。「弦」の中村編集長の許可を得て転載することにした。久野氏は白寿を迎えているそうで、それを考えると、遊んでいられない感じだ。
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