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2022年1月31日 (月)

久野治氏の評論・「美濃焼について」を転載

 ワクチンの3回目をすました。結構、だるかった。しかし、コロナ過で死ぬのを覚悟していたら、まだ生きている。先日、文芸同人誌「弦」110号で紹介した久野治氏の評論を転載させてもらうことにした。この評論の特異性は、陶芸品を滋雨にした日本史が語られていることだ。前にも述べたが、今は亡き友人の宇田本次郎氏は、長年、陶磁器の店を経営し、陶器の町へ行っては仕入れをしていた。自分も付き合いで、中くらいのお椀を1万円位で買った。今も即席ラーメンを食べるときには、この椀を使うが、たしかに味がある。かれは、古田織部を題材にした小説を執筆しいた。しかし、いわゆる純文学的書き方で、織部の心理的な側面を描くため、時代の環境をあまり記さない。自分は、もうすこし時代の空気を説明したらどうだろう、と注文をつけると、野暮な奴には、判らないでもいい、と言っていたものだ。それに対し、《参照:評論・「美濃焼について」(1)=久野治・ORIBE研究家》は、じつにユニークで面白い。「弦」の中村編集長の許可を得て転載することにした。久野氏は白寿を迎えているそうで、それを考えると、遊んでいられない感じだ。

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2022年1月30日 (日)

時代小説同人誌「茶話歴談」第4号(枚方市)

 歴史・時代小説アンソロジーの雑誌である。すでに千部を超えた発行実績があるというから、実に素晴らしい。いずれも、文章が軽快でスピード感がある。読者を楽しませようという精神が根底にある。コロナ禍で、文学フリーマーケットで売るのをあきらめざるを得ないのが、残念だ。現代は、職業作家が時代小説ジャンルに切り替えている。複雑化した現代社会にでは、説明が難しい。しかし、時代物は設定が、わかりやすい。比較的自由な表現が可能なのが理由であろう。作品の出だしを、イントロ文として紹介する。純文学だと思って作文しか書かない人に意味不明でしょうが、参考にしてくれればなあ、という想い。
【「かぶき、踊る」天河発】
 ―少女が出会った舞蹄への導き手。―とあるが、短い話のなかに、お国かぶきの精神が、江戸時代から現代までにつながっていることを実感させる。
☆イントロ文=目を奪われる。心躍る。/その意味を少女はこの日理解した。
【『建久十年の万馬券』黒嵜資子】
 -嫌倉の武人たちが人馬一体となり最速を競う。(ユーモアに満ちた文章力で、読者の心をくすぐる。)
☆イントロ文=武士たるもの、鞍上死するは本懐なりーーそういってはばからかった御家人たちが、みな一斉に馬の背からおりた。
【「覇道を絶つ者」真弓創】
 ―信長の後継者・織田信忠が目指した天下の形。
☆イントロ文=「松永久秀、謀反の由」。/安土城の軍議の間に緊張が走った。…
【「忍冬」丹羽志朗】
 ―殺しを探索する八丁堀同心を背後から助ける謎めいた怪人の暗躍。
☆イントロ文=不忍池の淵に化け物が出るという。
【「鬼無しの話」都賀久武】
 ―下人の息子が天狗に出会い非情の世界に身を投じる。
☆イントロ文=故郷は川のそばで柿木が多い里だった。
【「家康から信長への貢物」山岡優作】
 ―家康に信長を超える決意をさせた貢物の正体。
☆イントロ文=天守閣の縦連子窓の外を見れば空一面を雲が多い、梅雨入りを知らせるかのように五月雨が……―
【「哀しき窮鼠の反撃作戦」霧山文三郎】
-四條畷の戦いを立案した軍師親房の悲しみと後悔を描く。
☆イントロ文=大勢の登場人物紹介がある。それからの物語。北畠親房は気が昂ぶり、なかなか眠れずにいた。
【「尼のくノ一」朝倉昴】
 -満徳寺の尼として修行をする早尾に新たな使命が課せられる。
☆イントロ文=満徳寺の境内には尼僧たちの経を読む声が響いていた。
【「与兵衛寿司」有汐明正】
 -寿司の革命、握り寿司の誕生にまつわる話。
イントロ文=『東海道四谷怪談』が江戸っ子たちを昂奮させ、巷の噂を独り占めしてから五か月ほど経った。
発行所=〒573-0087大阪府枚方市香里園山之手町12-29、澤田方、朝倉昴。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

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2022年1月28日 (金)

1月文芸時評(東京新聞・1月27日・夕刊)=伊藤氏貴氏

「生活との距離」
《対象作品》小山内恵美子「有縁無縁」(「すばる」2月号)/川上弘美「流れるプールに流される」(「群像」2月号)/岡崎祥久「バーミション」(「文学界」2月号)/砂川文次「ブラックボックス」(芥川賞受賞を祝う)。

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2022年1月27日 (木)

文芸同人誌「弦」第110号(名古屋市)

【評論「美濃焼について」久野治】
 陶芸の話だが、美濃焼という陶芸の伝来の歴史を、斎藤道三から信長、「楽市楽座」の舞台を経て、有名な古田織部という武将の話を挟んで、短く分かりやすく、まとめている。自分の亡くなった友人が、陶芸品の店を経営していて、古田織部の生涯に拘っていたのを記憶している。しかし、こうした焼き物を話の中心において、戦国武将の周辺を語るという歴史物語したのは、混乱した話のあやを新鮮な形での表現として読めた。「瀬戸六作」と「織部十作」との関係。特に加藤卓男の研究で、ペルシャ、ペトナム、日本の陶芸文化の関係を明らかにしようとしたという話は、専門外の自分には新鮮である。この掲載誌の「弦」(公式サイト)で読めるので、関心のある人は、サイトで読むことができる。久野治氏には著書「古田織部の世界」がある。
【「いろは丸の沈没」白井康】慶応年間、幕末の混乱のなかで、土佐の海援隊の「いろは丸」が乗組員のミスで、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し沈没。その後の幕末志士たちの、駆け引きが面白い。
 その他、小説類は富裕層の老境や、人生航路を描いたものがある。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年1月23日 (日)

山月記の中島敦と自己存在

 東京新聞には、朝刊に付録のような別頁の特集がついてくる。1月23日付では、中島敦「虎になった男の物語『山月記』をー心ふるえる魂の咆哮ー4つの問いをめぐる文学の散歩ーとして解説を載せている。中島敦は1942年2月に文壇デビュー、その年の12月に亡くなって江いる。自分は、同じ年の2月生まれだから、入れ替わりにこの世に存在したことになる。かれは生前に新橋の「箸善」によく行ったというので、自分は学生時代に、食べに行ったことがある。その頃は、まだ店は存在した。今は「箸善ビル」というのがあるそうだ。彼の全集を読むと、卒論に谷崎純一郎論を書いていたのがわかる。「山月記」の元作品は中国の「人虎伝」であるという。中島敦の「山月記」では、詩人が作品が世間に認められず、虎になったという話である。自分で自分の存在の意味を主張できず、他者の眼で証明されることが、人間社会のセオリーなのである。おそらく、この特集も、他人を殺してでも自己存在を主張したいとする事件の多さに刺激されたのかも知れない。マルクス経済学ででは、使用価値しかない道具が、貨幣が社会の価値評価を集約することで値段が付き、商品になるとしている。人間社会では、存在者は社会評価に恋をし、常にプロポーズし、良い返事を待ちこがれているのだー。《参照:文芸同人誌の社会性とポストモダン(2章)-2-自己価値が判る

 

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2022年1月21日 (金)

文芸同人誌「あるかいど」第71号(大阪市)

【「ドラマ『宣告』を見直す」久里しえ】

  普通なら書評とみられがちであるが、これは小説的な文学作品である。その小説的な部分引用しよう。(前略)--自転車のペダルを全力で漕ぐことで普通の高校生でいようとした私の心に、犯罪者や精神症状を扱った「宣告」はすんなりと入り込んできたのだ。そして、忘れられないドラマになつた。/後日、意外なことが起きた。ドラマの中のあ.るシーンを私は繰り返し思い出すことになるのだが、それは件の死刑執行ではないのだった。恵津子が面会に来た峙に、房の中で他家雄が身支度をする場面だ。/不意に恵津子の来訪を知らされた他家雄の表情が、私の脳裏に焼き付けられた。それは、今にも泣き出しそうなチ供のようでもあり、うれしし過ぎてどんな顔をしたらいいのか分からない少年のようでもある。そのまま他家雄はタオルを絞って体を拭き、着替えをする。鏡も櫛もない独房で、精一杯のおしゃれをして彼女に会うのだ。/これが本当に、人を殺めた犯罪者と同じ人なのだろうか。こんなに純粋な心と、人を殺すほどの悪意が、同じ人間の中に存在しえるのだろうか。--(後略)。いいねえ、じつに表現力に優れている。ーー話の軸は、テレビドラマで観た「宣告」(原作・加賀乙彦)と、後日、本で「宣告」を読んだ印象の違い。俳優・萩原健一の表現力の凄さの比較なのであるが、内容は立派な小説になっている。自分は昔の話しかできないが、野間宏「真空地帯」の映画化で、木村功の演技と、軍隊の雰囲気が、実によく小説にせまっているのに、驚き、映画と小説の違いの認識を深めた記憶がある。
【「塀の外の空襲」住田真理子】
 戦争中の記録をもとに、少年の視点で、米軍の空襲の悲劇を記している。豊川市立八南小学校卒業文集「友だち」(昭和二十五年三月発行)、戦争中の暮らしの記録」(暮らしの手帖社)、豊川海軍工廠の記録―陸に沈んだ兵器工場」(これから出版)などと、知人の談話をもとに創作として書いたとある。この題材は、他の同人誌作家も創作化しており、その作品では学校にあるのか、校庭か忘れたが、天皇の御真影をおさめた泰安殿を、空襲から守るために駆け付け、被災死するという話になっていたと記憶する。いずれにしても、若者のなかには、日本が米国と戦争したことさえ知らなかったという者もいるそうだ。敗戦と称していれば、どの国に負けたのか、と考えるが、終戦というから、第二次世界大戦の結果としかとられないので、米国とは思わないのだろう。とにかく、この記録は、地元に貢献する良い作品であろう。ただし、歴史ものでも、視点を持たないと迫力に欠ける。
【「海には遠い」切塗よしを】
 認知症の祖母のリツを自宅で世話をしていたが、「ぼく」は、都合で彼女を特養に入居させることになる。そのことに、後ろめたさを感じるように書いてあるのが、特徴である。このババつき家のおかげで、結婚相手にも敬遠される。しかし、認知症の祖母への愛情は強い。リツが海を見たいというので、ある日、特養の規則を破って、その海に車いすを動かしてでかけてしまう。なんとなく、好感が持てる話で、自分の両親の介護の時期を思い出した。社会のなにかに抵抗していながら、それがなんであるか追及しない。そういうのって小説かな?と思う。散文詩的なのである。
【「『巡礼』ソナタ・第一楽章」】
 断片的なところがあるので、ソナタとしたのだろうか。文学的には巧い散文詩
に読める。
 次の作品を読み始めたら、NHKで直木賞作家のライブ報道があい、それを見ていたら、次の作品を読み終わる前に、中断したきりになった。申し訳ないが、後は省略させてもらいます。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年1月16日 (日)

文芸同人誌「群系」第47号(東京)

 本誌は、作家論など文芸批評に重点を置いた雑誌である。テーマを決め同人がそれに合う評論を書く方式らしく、文学精神の旺盛な勉強家が多いようだ。19世紀文学者から現代作家まで、幅が広いテーマである。対象作家の多彩さがあるのでデーターベースは多いが、その作家に興味を持たないひとや、読んだことのない人もいるので、すべてに目を通すというのは難しい。それを前提にした編集であろう。
【自由論考「『なりすまし』にはかなり無理がある。-東野圭吾の『白夜行』と『幻夜』において、テクストの空白を埋めるものはなにかー」が大野雅子】
 ミステリー作家の東野圭吾のファンである筆者が、東野圭吾の作品「白夜行」く(1999年)と「幻夜」(2004年)が「なりすまし」の連作の可能性を示唆し、その面白さに引き付けられる。ところが、大変に面白いミステリーとしての作品での「なりすまし」トリックには無理があると、感じたというものである。そのなかで、小説における人称の問題を説明しているところがある。――『白夜行』における「移動する視点」/直木賞の選評会で指摘された、「人物描写の浅さ」という問題は、東野圭吾独特の語りの手法と関係がある。ミステリー小説であるから当然といえば当然なのだが、心埋描写よりもストーリーに重きをおくのである。さらに、ストーリーを語る際、視点を次々と移動させるのである。その移動する視点が複数の異なる方向から際、主人公を照射していく。主人公を囲む外堀が埋められていくようなイメージである。外堀は埋められていくが、主人公の心情が説明されないがために、テクストの真ん中にはぽっかりと穴が空いているような具合である、その穴は最後に至っても埋められることはない。―――このような説明から、東野圭吾のここでの謎の作り方や、作家としての狙いを知ることが出来る。同時に余談的に「なりすまし」の秀作として松本清張の「砂の器」について、触れている。自分は、海外作家のミステリーを読む。もともとミステリーには、無理があるから話が面白くできるので、「それをいったら、おしまいよ」というところがある。ファンがこのように感じるとしたら、東野圭吾という作家の筆力は、相当ものであるにちがいない。ネットでなく、活字にミステリー作家の評論が文学的な視線で語られるのは、面白い。
発行所=「群系」ホームページ参照
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2022年1月10日 (月)

文芸同人誌「海」第Ⅱ期(第27号)(太宰府市)

【「黄色い朝」神宮吉昌】
 唇の血管が腫瘍になり肥大する「海綿状血管腫」、別名「動脈畸形」という病気になった男性の闘病記である。ネットなどで調べた結果、彼の場合、先天的に血管が左側がだけ血液がスムーズに流れない畸形であったものが、30代後半になって血の流れが滞り、徐々に晴れていったーーということから唇周辺が腫れ上がってしまうのであるという。発生場所は、心臓であったりすることもあるらしいが、彼の場合、唇というのも、顔の表情に影響するので厄介である。治療してもなかなか治りにくいものらしい。小説化されているが、症状の改善に治療先を、変えてゆく過程は、ほとんど事実に沿ったものと、推察できる。落ち着いた筆致で的確にその過程が描かれている。快癒に近い情況になるまでが、冷静に記されている。不可解な難病の人たちにぜひ読んでもらいたい作者の姿勢である。自分もストレスによる複雑な神経症を患い〈思い込みとされたが〉、どこも病気でないと、2,、3の大病院で云われた。困っている時、ある東大の物療内科の医師に出合って、改善することが出来た。その医師も、ストレス神経症とは限らない。いろいろやった治療のどれかが役立って、改善しただけという。もし、正確に知りたければ、九大の専門化に調べてもらったらー、と言われた。いや、ここまで軽快すれば原因など、どうでも良いですーと言ったものだ。その時に、余談で、脊柱に生まれつきの欠落部があると指摘され、後年での影響を予測された。今になって、それが的中しているようだ。
【「織坂幸治追悼小特集」同人各氏】
 織坂氏の過去の作品の「現代教育考」が掲載されている。当時の社会に対する批判と反抗精神がにじみ出ている。戦争に敗北した結果の日本人精神の脳への影響と、米国への批判精神も健全なものである。
【「真凛の世界」高岡啓次郎】
 友人の女性から、突然どこかに一緒に行ってほしいと頼まれる。理由の説明のないまま、いわれた通りに旅に同行する。道中、その女性の謎の動機にせまる心理を描く。起承転結の小説の法則が守られているのでよい感じ。読み進むのが楽しい。この作品の読みどころは、男が女の事情を推理するところ。話の種類や設定が異なっても、同じパターンをまもることが大切。話のなりゆきで、転と結びに困ることが出てくる。そこを閃きでのりこえるところが、作者の個性になるのでは。
【「コンパクトタウン」河村道行】
 人口減少に伴い、過疎化が進む自治体では、住民が一カ所に集まって住んでもらったほうが、インフラなどの簡約化につながる。その意味では、現代進行形の問題提起になっている。話は過疎地に散らばっている住民に、便利なところに移住するのを説得するお役人の話らしい。舞台設定は充分で、あとは人物像に深みみをあたえること。ある程度は、それもできていて、面白かった。
発行所=「海」編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2022年1月 2日 (日)

「海」第2期の有森さんからのコメントあるも

 まちがって削除してしまいました。同人誌紹介を続けることへの、激励のお言葉でした。ありがとうございます。たしかに、文芸同人誌が届くたびに、それを読み自分の考えを、メモする作業でしかないことを、続けることに疑問を感じ始めていました。同人誌の人は、本ができるとまず自己作品から詠み始めるはずです。その原理からすると、本サイトの紹介文を読むのは、紹介された作者だけであろうと思います。見方を替えれば、一人の読者だけは手堅く得られるサイトです。でも、雑誌の娯楽ものなどの公募をみると、自分だけの小説らしい小説を書いて、応募してみたくなります。もともと、娯楽作品が好きですからね。仕掛けや創りのない作品は苦手です。だから、これまで多くの会員に紹介文依頼をしていますが、一度は引き受けても、それだけで終わってきました。それほど暇ではないのでしょう。ただ、まだ、面白いものが書けると、自分でおもっているからこそ、文学に縁のない作品を冷静に読め、紹介文を書くことができる。そこに、意味があるのでしょう。ただ、会員が大勢いるときに、同人誌読みをしてもらったら、こんな作文でいのなら、自分ならもっと沢山かけると言った人も居ました。やんわりと、他人が書いた作品のようなものは、その人以外に書けないものだと説き、退会してもらいました。当会は向いてないひとには退会をしてもらうという方針でありました。かつての決まりを替えてしまうと、言いたいことの意欲が薄れるので、読んでも、黙っていることが多い。「それじゃ、ダメじゃん。」ですね。

 

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2022年1月 1日 (土)

あけおめ

 一時期、「明けましておめでとう」のことを「あけおめ」と省略していた時代もありました。今年も、幾人かの同人誌関係の方から、賀状をいただきました。そのうちに、4~5枚に元日の返信賀状をかいていたら、それに使う切手がなくなりましたので、その他の方には、返信を欠礼させていただきます。
 それというのも、わたしは賀状を買いません。これは、4年前だったか、29日に家のものがインフルエンザにかかって、気を失いまして、あわてて救急車を呼びました。そのとき、発熱があまちなく、普通の風邪として帰宅しました。しかし、大晦日に発熱、意識もうろうとなり、救急車。そんなこんなで、年賀状の対応ができず、翌年はこちらから出すことがなく、賀状を買わなくなりました。いただいたものに、普通の葉書に年賀のシールを貼って、返信にいしています。12の干支のゴム印は、ありますので、それに年賀のシール、ゴム印でおかしなものになっています。そこに、はがきに切手がなくなってしまいました。本心をいうと、年が今年80の末広りで、めでたっくないですよ。もう年賀状を出しませんという人も多く出ています。知り合いの60歳代の人でも、複数人いるそうです。とにかく同人誌紹介は続けます。雑誌「群像」が評論の賞の廃止を決めたようです。たしかに、データーベースが分散するので大衆向きではなく、マイナーになりました。同人誌紹介の役割がましますかね。 

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