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2021年12月31日 (金)

文芸同人誌「奏」43号2021冬(静岡市)

【「小説の中の絵画(第15回)-岡本かの子「母子叙情」-繁茂する植物と青年の手紙―」中村ともえ】
 本作で、この時代の表現に制約のある時代にかの子が、直接的表現を避けて、言葉をいかにして選んだか、について興味を持って読んだ。これに関連して、高良留美子「岡本かの子 いのちの回帰」(2004年・翰王林書房)著作があるそうだ。小説の内容についてだが、溺愛している息子に会えない境遇から、その面影をもった春日規炬男に抱く感覚的な接触欲について、シンボリックな言い回しで表現しているところを分析しているそうだ。モダン文学の評論のなかで、どちらかというと、新規性に欠けるテーマとみられがちだが、文章表現の言いまわしの工夫は、今後の文学的表現のなかで、必要に迫られる場面がありそうな気がして、興味深く読んだ。
【「女たちのモダニティ⑦-佐田稲子「レストラン洛陽」-風景としての女給」戸塚学】
 モダン都市の人と情景が「風景」として盛んに書かれた時代があった。ーーという冒頭の部分で始まる。大正12年の関東大震災が日本を変えた時代である。文壇的なつながりで言えば、震源地の横浜から住まいを失った人達が、東京大田区の郊外に、段丘が多く農村的な土地柄であったところに多くの人が移住してきた。宇野千代や尾崎士郎、北原白秋、萩原朔太郎などが、移り住み「馬込文士村」という文化人社会を形成したのである。《参照:モダン文学の里「馬込文士村」の風景(4)尾崎士郎と宇野千代》。この時代は、西洋風自由意識の導入期であり、社会が流動的で、大きく分類しにいので、個別の現象がホットスポット的に存在したように把握するしかなかったのであろう。そんな時に、資本家の優勢と、労働者の弱さという視点が、女性の弱い立場を際立つ女性に重なり、マルクス主義思想におけるプロレタリアートという存在を印象付けたようだ。ここでは、佐田稲子という作家の文学芸術性が、プロレタリア作家らしくない純文学性をもつ、と評価する。思想性に頼りすぎる左翼小説への示唆になっているようにも読める。
【「伊豆文学の小径―白栁秀湖・小杉未醒」勝呂奏】
 自分もかなり伊豆行った経験がある。伊豆急の「富戸」から、まだ未開の城ケ崎崖を抜け、石廊崎で野宿。他の野宿者と野犬を警戒して寝たものだ。伊豆ないは、徒歩旅行なので旧天城トンネルで、車に轢かれそうになった。落合楼と踊り子の宿を横にみて、2,3日放浪したものだ。知られざる文学者が多くいることは、当然に思う。
【「正宗白鳥―仕事の極意―文壇遊泳術に学ぶ(三)」佐藤ゆかり】
 とにかく面白い卯。読者と編集者によって仕事が生まれるのが職業作家でやる。そこで、変化する世の中で、職業作家を続けることは、大変難しいはずだ。正宗白鳥は、とくにヒット作もなく、文壇の重鎮であり続けた珍しい作家のようだ。なによりも、小説にするための生活づくりをせずに、普通の生活を保ったのであるから、よほど文章力と評論性にすぐれていたのであろう。私は、彼の作品を読んだ記憶がない。
発行所=420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2021年12月27日 (月)

自分ではない人の遺稿を整理する試み

  Kという知り合いは、印刷業を営み、数多くの同人誌を印刷していた。「グループ桂」という伊藤桂一氏の指導のもとの同人誌も印刷していた。その人物が、ある夏の日曜日(検死書推定。脳幹破裂の痕跡あり)に突然死した。親族から一時的に融通してあったお金の返金に一部にパソコンを引き取ってもらいたいというので、承諾した。中を開けると彼の原稿がワードで沢山あった。その中で、タイトルは異なるが、連作としてつながるものを見つけて、繋げてみた。彼の人生を知られざる側面を、伊藤桂一氏や同人仲間と共有してみたいという気持ちもあって連載をしたものを転載したものである。もともと自分を伊藤桂一小説教室に誘ったのもK氏だった。ただ、不思議に思うのは、交際の広いK氏が突然音信不通になったことに、知り合いはどう感じていたのか。その情報が得られなかったことだ。Kの自分への影響はたくさんあるが、一番大きいのは「僕の祖先は××藩の道場師範代をしていたらしい。それで、僕も座右銘を宮本武蔵の『我ことに当たって後悔せず』ですよ」。いまでも、過去の過失を思い起こすと、いまさらどうしようないことだーと思うのは彼の影響であろう。《参照:「操り人形」という自伝を残した男(1)ー(5)

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2021年12月26日 (日)

間島康子さんが、詩集「六月の雨」と随想集「ハユラコ」

  間島康子さんが、詩集「六月の雨」と随想集「ハユラコ」を刊行した。おそらく批評専門同人誌「群系」の送付者名簿から送られて来たのであろう。記憶があっていれば、「群系」の樋口一葉の評論に高品質なものを感じていたが、「ハユラコ」には、梶井基次郎の評論があるので、興味をそそられた。梶井は同人誌に発表していながら、すでに文壇で知名度があったというのは、珍しいことであろう。時の流れを現象と心の動きと結びつけて、明瞭に捉える文章が文学の本質の何かを示している。伊豆の川に題材をとっている作品が多いのも、それを示唆している。梶井の本質に沿った評論は多くないなかで、よくそれに寄り添った部分があって、なかなか読めるものが収録されている。《参照:間島康子随想集「ハユラコ」と詩集「六月の雨」

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2021年12月22日 (水)

文芸同人誌「文芸中部」第118号(東海市)Ⅱ

【「光線画」本興寺更】
 江戸時代の浮世絵師に弟子入りし、丁稚奉公的な修業をさせられるが、あまり才能も修業意欲も普通で、自分探しをする若者の生活を描いたように読めた。小説として終わっていない感じもする。時代考証的には十分な知識があるようだ。
【「閉ざされて」朝岡明美】
 コロナ禍の夫を亡くした高齢者、貴子の生活。香苗という義理の娘と同居している。去年の春、香苗が仕事を辞め、貴子は任されていた家事から解放され、嫁姑の二人暮らし、とある。まず、これで充分。余計なことを読まされて、誤解しそうであった。どうやら貴子のまだら認知症になったところまでを描いたものらしい。認知症やがんなどは、いつから病がはじまるか、境目がわからない観念的なものなので、もう少しはっきりとした現象にしたら、もっと良いかも。そのことを研究して迫る意欲があればなあーと思う。

【『東海文学』のことどもから(11)】三田村博史】
 「文藝首都」から「東海文学」さらに「文芸中部」に連なるエピソードが記されていて、大変面白く読んだ。自分が高校生の時には「文藝首都」は書店で売っていた。見つければ買って読んでいた。名前を忘れたが、自己存在を否定するテーマで書く作家がいて、印象的であった。また、当時、長谷川伸の「大衆文藝」とかの雑誌も売っていて、そこに載っていた平岩弓枝「鏨師」が直木賞になったのには驚いたものだ。同じ作品なのか、確かめてもいないのだが。
【「水の上を歩く人」藤澤美子】
 四日市の教会をもつ家庭の物語で、公害のせいか、少年が突然死する話。物悲しい印象が強く残る。
【「そして桜の樹の下で眠る」楠木夢路】
 母親が亡くなるが、その息子からすると、今まで知らなかったことが、次々と明らかになる。つまりは、息子の父親とされていた男とは、血のつながりがなかったのを知らなかった。周囲に人だけが知っていた。その境遇の悲劇的な背景がわかる。家族の血筋の話は同人誌に似たようなものが沢山書かれて居る。作者は、自分だけの話とおもっているので、書くのであろう。そうした、類似した話の中で、起承転結がはっきりしていて、桜の樹などのあしらいもあって、美意識の働いた秀作の方である。
【「極楽さま」潮見純子】
 高齢の母親の人生が終わるまでの話。同様の話は、たくさん読んでいるが、素直でシンプルなのが良い。類似した作品のうちで良い作品である。
 本誌を読んで、日本には、同人誌文学というジャンルが存在するのではないかと思った。「闘病記」も、文学的な専門性やセンスは、普通の人にはないものがある。しかし、商業性があるかといえば、それはなさそうだ。同人誌文学として、よく力がでているので、佳作に思うのである。冒頭の【「心のおに」和田和子】は、それはそうであろうが、ごく普通に納得でき過ぎるように思う。こうした作文よりも文学性のあるが、商業性はないのが同人誌文学の特長であろう。現在では、中産階級の趣味の集いとしての意義も生まれて来ているのではないか。
発行所=〒477―0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。>

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2021年12月19日 (日)

世界の日本の食品に関する安全性の評価について

  世界への日本の食品の安全性について、アメリカ政府は、このほど福島県などで作られた日本の食品に関する輸入規制を撤廃したことがわかった。これは、海外での日本の食品を米国の基準からこれまで規制していたものである。政府は「東日本大震災から10年という節目の年に、米国の規制が撤廃に至ったこと、被災地の復興を国際社会に示すことにもつながる。日本政府としては歓迎している。
  米国は、日本の政府からの言い分を、当初から認めておらず、独自に計測を続けきた結果、アメリカ政府は11月21日、福島第1原発事故を受け輸入規制を行っていた、福島や宮城など14県の延べ100品目の日本産食品に対する全ての規制の撤廃を発表したのである。
  福島原発事故の原子炉は米国基準で製造され、原子炉のテストは米国で行っている。例えば、電源部を地下にあったのは、米国では洪水や地震のないとされる地域にしか原発を作らないからだという。条件の異なる日本で、その米国基準で作られている。高層マンションでも、日本で地下に発電設備をつくるのはまずことが分かってきた。福島原発も長年の運転の間に、不都合があるたびに、改造が行われ設計変更の手直しが行われ、事故と時点で内部構造や配管は、よく分からなくなっていた。当時の菅直人総理に、かつて冷却装置を納入した実績のある上原春男工学博士が、対策をアドバイスのため電話したところ、わめいて怒鳴られ怖くなったと語っているが、その当時の設計などは、変更だらけで、話を役に立たなかったのだろう。《参照:上原春男氏、原発事故対応で「菅総理に電話で怒られ怖くなった」》。ここへきて、福島県産の米や原木シイタケなどを輸出できるようになった。日本の食品の安全性は世界から監視をされていて、(一説には、ドイツの調査機関などは、衛星で日本の放射能分布を観察しているそうで、福島の放射性物質がどこの地域に移動しているかを把握してるとか)。現在、大友さんの「あれから10年~」を連載してるが、もとは、省略して概要のみにするうもりであったが、100年先200年先まで、放射能は、同じ状態であることを考えると、時空を超えた記録という意味で、省略できないでいる。若し訳ないが、今問題の解説は本欄で記していきたい。《参照:大友章生「あれから10年=被災地の現状と課題」(3)帰還17人》。ちなみに、事故当時前から、低いので許可のある放射性物質を利用する商品(発毛刺激のようもの)開発の記録とパンフレットを作る手伝いをしていた。その試作品現場から外に出て、経営者が放射能がどのくらい試作室と異なるか、ソ連製の計測器で測ってみたら、戸外と試作室の数値が同じだった。高い金を出して、その資材をかったのだが、その時は都内で、みんな同じ量のものを浴びているということになる。新製品開発のその後の進展はなかった。

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2021年12月17日 (金)

文芸同人誌「文芸中部」第118号(東海市)

【小説「闘病記」西澤しのぶ】
 他にも、触れるべき作品があるのであろうが、今はこの作品について紹介したい。「闘病記」とあるので、コロナ禍の同病の読者たちに参考になるようなものだといいな、と思いつつ読み進めた。そして、その出来の良さに仰天した。まず、手術の麻酔から目覚めるところから始まる。その心模様が冷静にさりげないユーモアをもって語られる。まさしく手記を装った小説である。病名を告げられ、手術のための入院で、その説明も手際が良い。読み返してみてもここかから文学性に富んだ作品にする案が潜んでいたことがわかった。虫垂炎手術から腎臓がんの発見まで、ダビンチという手術マシンを活用する話。症状面では医師が読んでも納得できると思わせる。同時に、語り手の心理と、家族の対応など、じつに分かり易い。そして、幾度かの手術をする患者の心理も自然である。それよりも、その間に語られる文学とその解説力に、おどろかされた。パンデミックの歴史から、カミユの「ペスト」、ナチスのユダヤ人迫害、北朝鮮の米国青年の脳死状態での送還。それに対するユダヤ系米国人の報復。旧約聖書のアブラハムの話から、キリストが磔にされて叫んだという神への言葉、ドストエフスキーの神への問いかけ、その他文学的な蘊蓄の全身体当たり的な披露ぶり。読んで暫く心奪われ痺れ、茫然とした。とにかく一読を推奨する作品である。
発行所=〒477―0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


 

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2021年12月14日 (火)

文芸同人誌「アピ」第12号(茨城県)

 本誌には3・11の福島原発事故から10年の経過を、被災者の立場で、大友章生氏が「あれから10年」というタイトルで、レポートを記している。そこで、暮らしのノートITOのサイトで、当事者目線の記録を詳細に転載してみたい。《参照:大友章生「あれから10年=被災地の現状と課題」(1)》記録は、実感を伴うものなので、味わってみたい。また、被災地域である茨城県住民として、田中修氏が、「東電福島第一発電所事故から10年」を記している。これも、現場から観察した事実の認定として、折を見て詳細を掲載したい。その方法を考量中である。物事のたいていは、10年ひと昔といって、それは過去の情報になる。事実、原発の存在も、一般人意識で、またかという情報として受け止めがちだが、恐ろしいことに、放射性物質の存在は、10年前と同じである。
【「死友」西田信博】
 西暦95年頃の中国の話。巨卿と元伯と仲山の三人の交流の深さを描いたものらしい。きちんと記された歴史物語らしい。男の付き合い方の姿が見える。自分は中国史に暗いので、この人物交流が、歴史的にどのような意味があったのか、わからない。
【「夕映え」さら みずえ】
 年月を経て、多感な若き日を回顧しながら、再会を楽しむ友達。落ち着いた雰囲気の作品。物語的な作品にするならば、最終の場面を最初に持ってくると、語り方に熱が入るのではと思う。
【「異風の男(前編)」宇高光夫】
 なかなか活発な若者の物語。これから風変りな人間像が描かれるのか。
【「オレンジ色の空と虹(後編)」雲谷斎】
 青春にもいろいろな姿がある。ハッピーエンドでよかった。
【「七十歳、2020年を想う」宇田三男】
 還暦後の人生を、海外旅行をしまくり、その後、田中修氏の勧めで、県内の原発稼働問題の署名活動をする。コロナ禍の記録や、スポーツの話題など、記録する材料には、事欠かかない現代が語られている。
発行所=39-1722茨城県笠間市平町1884-190、田中方。「文学を愛する会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年12月10日 (金)

総合文芸誌「ら・めえる」第83号(長崎市)

【「贋作」遠藤博明】
 形式が、夏目漱石の「吾輩は猫である」と同じなので「贋作」としたのであろうが、内容は創意があふれて、なかなかの面白さである。パロディ・「私は猫」とかのタイトルが、適切ではないだろうか。文章家としても、ユーモアたっぷりに語る手腕は、抜きんでて貴重な存在。世相風刺的な題材での連作を期待したい。
【「聖母の巡礼」吉田秀夫】
 乙女とマリア様の運命を破壊した原爆のむごさを、今更のように感じた。忘れてはならない出来事である。
【「砂の器 殺人行」歌狂人 卍】
 松本清張の「砂の器」のオマージュのようなミステリーで、よく書きあげたものだと、感心した。また、直木賞や芥川賞と受賞した作家のその後の逸話などに詳しく、面白く読まされた。
【「夢の如くにて御座候(その2)」新名規明】
 斎藤茂吉と恋仲になった、ふさという女性の関係を和、歌を挟んでたどる。短歌や音楽には艶話が、創作意欲をかきたてるらしい。そうした趣味がなかったのが残念。いいものなんでしょうね。
【「直木賞のこと」宮川雅一】
 地元出身作家と直木賞の関係が語られている。作家・澤田瞳子さんが、新田次郎賞を受賞した時、その表彰式には、自分も晩年の伊藤桂一氏について行ったものです。《参照;澤田瞳子さんの新田次郎文学賞授賞式から
【「知の巨人 渡部昇一」長島達明】
 愛国的な論客だった様子が記されている。特に敗戦以降の東京裁判のイメージに沿った日本の世界に対する姿勢に、問題意識があったようだ。現在でもこの問題は残されている。晩年に自分はベンチャー企業の経営者に連れられて、渡部氏の講演をうかがったことがある。病を得ていたようで、やや消耗されていた感じだった。
【「渋沢栄一の長崎講演」草場里美】
 時流である。時代が異なると、社会のリーダー像も変わるようだ。
【「古代日本の形成と渡来人―主役は韓人ではなかった」藤澤休】
 日本人の存在と韓人の関係をこのようにとらえる話を知らなかったので、その意味がわからなかった。この話に、海賊の倭寇のことがでてこない。自己流の研究によるだけだが、朝鮮半島や中国の日本海側は、彼らが襲撃や強奪を行い、迷惑がられた話である。倭国は、取り締まりの要求をされたという。その時に、おそらく暴れまわって子種を残してきた可能性がある。また、沖縄は独立国で、九州も薩摩隼人族で独立していたようだ。北海道はアイヌの地で、奇妙なことに沖縄人とDNAが似ているそうだ。また、秋田県の多くは、ロシア系の血流の痕跡があるそうで、秋田美人の要因だそうである。薩摩族へは、倭国が本州から攻撃、激しい戦いで、かなりの犠牲者がでて、平定した。その時に、犠牲者の鎮魂をしたいという人がいて、祈りをささげた。その内情は、神社神道は清めと祓いしかなく、魂をおさめるということがない。ところが、仏教には鎮魂法があるので、お経をとなえた。そこから日本で仏教が広まり、道徳を説くことで、神社にも一目置かれたという。また、天皇家は特殊で、現在は朝鮮系の痕跡があるそうで、それがないと別流の血筋になるそうである。DNAを基本に、いろいろな発想があっても良いのでは。コロナの感染でも、日本人は独自の反応を示しているようで、日本人は周囲と断絶したとろのある民族であるらしい。
発行所=〒851-0115長崎市かき道4-35-22、新名方。長崎ペンクラブ。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

 

 

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2021年12月 6日 (月)

文芸同人誌「海」104号(いなべ市)

【「虫の譜」山口馨】
 スタイルが、書きながらどういう流れになっても対応するような感じ。総という男の身の上話に、祖父の過去の恋愛話を、聞き出すような話の造りで、単なる思い話になりやすい単調性から脱却しようとする意欲が見られる。祖父の、人生の終活意識に古代からの地層の世代を超えた存在性を語るところが面白い。
【「奸臣―かんしんー」国府正昭】
 資料をもとに、桑名藩の功績のべつある部下の一族を死罪を命じた事件の経緯を語る。事件の要因や周辺事情が不明だが、それがかえって大変面白い。別に同じ作者による「史実と虚構の間」として、本編の成立するまでの事情が解説されている。これも面白く、二つを合わせた経過を入れて作品化するのも一案かなと思った。
【「足抜け」宇梶紀夫】
 人身売買の当たり前の時代背景と地域性をよくしらべ、手慣れた時代小説である。
 その他、エッセイ的な題材で、モ膜下出血になった人や、精神に変調を来た人などを題材にした小説があり、おそらく家庭の事情を考慮して、そうなったのであろうと、納得して読んだ。
発行所=〒511-10284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年12月 5日 (日)

文芸同人雑誌の動向や展望について、まとまった情報は存在するのか

 文芸同人誌は、本質的に合評会をするので、地域内での活動性が枠があります。そのため、そのすべてをみわたすことが出来にくいでしょう。かつては、雑誌「文学界」に「同人誌評」がありました。じぶんが月報を発行していたころは、評をしていた今は故人の大河内氏、松本道介氏。季刊文科の編集に関係のあった草場氏(現在は草場書房を運営)などから情報を得ていました。考え方は伊藤桂一氏の同人誌観にしたがっていました。詩作品についても、同じでした。思い起こせば、「文学界」に評された同人誌に問い合わせをしたいのと、どんな状況か取材して欲しい、月報の読者からの要求があって、合評会に見学をさせてもらいました。感じたのは、部外者には冷淡で、閉鎖性の強いのが文芸同人誌でした。伊藤桂一氏より、「いいことだから根気よくやりなさい」と言われなければ、対象にしていなかったでしょう。同じことを何度も言っていますが、文芸同志会は、会員が原稿料を得るためには、何をどう書くべきかを模索するものでしたので、同人誌については、出版社に近い同人会とは交流がありました。「砂」という同人誌は、昔は「群像」や「新潮」の編集者とつながりがありました。しかし、それも一時的なもので、縁のある人が亡くなったり、雑誌の編集者が変わったりして、縁も失われきました。ライターの活躍する場も変化し、私自身が高収入の得られた新聞、機関誌の編集執筆に時間を費やすようになりました。自分は後期高齢者ですが、パソコンの教室に通ったことはなく、クライアントの要求で、機器とカメラを用意し、依頼された原稿をワードで書いておくり、請求書にはエクセルの使い方を習っただけです。当時、週刊誌や専門新聞の原稿を引き受ける人を斡旋する団体がいくつかありました。また、ネットニュースの外部記者にも報酬がでました。フリーペーパーから、ネットの食べログのようなお店紹介記事なども増えました。取材原稿料は大変安く、普通のライターはやりませんが、記事を書いて報酬をもらえば、いくら安くても、プロのライターという実績になりました。ネットやツイッターは、執筆者はライターでなく、タダで書いたものをデーターにして、広告費でビジネスにするわけです。時代が違って、隠居して良かったと思います。今は「海」(いなべ市)読み終わり、紹介を書くばかりです。今日も、沢山の雑誌や詩集、エッセイ集が到着しています。おいおい読んでいきます。この辺で、同人雑誌の地域的状況を、知るところを言いますと、三田村さんの「中部ペンクラブ」が、書き手の量と質で、最大のグループでしょう。同人誌同士の連携も強いようです。「季刊文科」は、予約読者の多さと、東京という地域性で、運営会社と編集人、職業作家の執筆の場として存在感があり、有力商業誌でしょう。「全作家」は本部が東京にあり、中部ペンほど同人数が多いようには思えません。雑誌「文芸思潮」は、アジア文化社という会社で五十嵐勉氏が、編集と運用をしているようです。商業誌で、紀伊国屋書店などで買えます。 

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2021年12月 2日 (木)

第一回全国同人雑誌協会総会のレポートを読んで

 同人雑誌の全国組織が船出したようだ。《参照:全国同人雑誌協会の第1回総会を五十嵐氏が報告~東京新聞
 日本の国内消費の主役は、人口の3割を占める高齢者である。しかも、年々定年退職者が増えていく。団塊の世代で経済を盛り立てた高齢者産業は成長産業である。したがって、趣味としての文芸活動の後継者は、多く控えている。生活記録や自分史などを書きたい人は、文芸同人誌に参加してくるであろう。ただ、そのすべてが、文学的な芸術性を求める人であることはない。生活日誌的なエッセイか、学問研究者、海外生活ものなどが多いはず。純文学的な発表場所では、「季刊文科」が独特のシステムを採用しているが、順調のように見える。ネットでは、出版社の注目するサイトで投稿者が多いが、自分の思い過ごしかも知れないが、検閲による常識の範囲での表現に限られる感じがする。活字印刷表現の重要性が認識されるのではないだろうか。

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