文芸同人誌「勢陽」第34号(志摩市)
【「日之影・柳川・東郷」桂一雄】
関西からと思われるが、大学2年のときに、宮崎県の祖父母を訪ねる話から、表題の地域を旅する想い出話。祖父母が多く語られるので、筆者にとっての好ましい思い出の記録である。回想記は多いが、焦点を絞って述べられているので、エッセイとして、良いものになっている。テレビ番組によると、過去の記憶を甦らすことは、精神を活性化させる効果があるとか。
【「世界がぐらりーコロナ禍の影響(浦島伝説やリーマンショックや闇の力)2012年2月1日」秋葉清明】
初老の男のコロナ過での生活のなかに、浦島太郎もどきになって龍宮城もどきの生活を妄想したりする。そころまでは、完全に小説。それに追加して、コロナ禍での生活心得の評論がある。同人雑誌ならではの、自由な表現が目立つ。読んで面白いものになっている。
【「戦時下の青春」夢之岳夫】
大正14年生まれの91歳の私が、終戦間際の特攻隊の任命を受けるが、直前で終戦になる。その当時の青春生活を描いている。また戦時中の地震についても、新聞記事資料のようなところがある。体験記のようであるが、随所に、記憶とは思えない箇所があり、おそらくもっと若い人による事実のフィクション過であろうと思った。
【「チャンスの神様」櫛谷文夫】
グループホームの経営者である山本は、コロナ禍で感染症対策用のゴミ箱を社員から要求される。変な話だが、ユーモアを出そうとするす努力は、文芸的に思える。
【「鯰の黒べえ」曽根憲作】
彦根城のお堀に、鯰の黒べえが主となって住んでいる。すると、城下の貧乏侍が病気になる。娘が、父親の病は、鯰の肝を食べると治ると聞く。それを知った黒べえは、老師に相談をする。老師は、この世の出来事は全て夢である、と答える。黒べえは、感じ入って、すべてのものは幻であり、存在は無である、とさとり、武士の娘に釣られに向かう。これは仏教本「金剛経」にある「一切有為の法は、夢幻泡影の如く、露の如くまた電の如し、応に如是の観を作すべし」というものがある。その精神布教であろうか。
【「うのと駿之介捕り物余話(第5話)」水田まり】
江戸時代の江戸の土地柄、風俗が手の内にあり、岡っ引き捕り物帳形式の風俗小説となっている。そのため、当時の情勢に生き方や人情を描いている。
これはこれで面白さがある。しかし、意図的なものか短編小説の基本を崩しているために、ぴりっとしたものが失われている。この小説の題材かすると、構成が良くない。現代の小説の傾向では、村上春樹の作品のように、誰か何かを探すか、何かを求めて探すという、アメリカ風ミステリーの定型パターンがある。村上春樹がノーベル文学賞をとれないのは、そうした手法が通俗的すぎると見られている可能性がある。読者が増えるためならそれも良いことであろう。本作では、およしという軽薄な女性の心境と行動から書き出されている。それが描きたかったのかわからないが、これは話の流れを止めている。ここは、岡っ引きのところに、およしという女が姿を消すという出だしでないと、面白くない。どうしたのか、それを追及していくうちに、およしの人間性が浮き彫りになるという設定に自然になる。銭形平次は、いつも岡っ引きのガラッ八が、「親分、ていへんだ」といって、「どうした、あわをくって」と平次がうけて、小説の問題提起になる。問題がでたら、その解決ための行動をする。この定型によって何作でも、連続してできる。純文学でなければ、だいたいそうである。
発行事務局=三重県志摩市阿児町神明588、水田方、「勢陽文芸の会」
紹介者「詩人回廊」北一郎。
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