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2021年11月30日 (火)

文芸時評・東京新聞(11月30日〈夕刊>)伊藤氏貴氏

 続く正しさへの「問い」
《対象作品》温又柔「永遠年軽」(「群像」12月号)/紗倉まな「はこのなか」(同」)/九段理江「Schooigiri」(「文学界」12月号)/小林エリカ「女が鑑賞する絵画」(「季刊文科」86号)/笙野頼子「古酒老猫古時計老婆」(同)。評・(いとう・うじたか)文芸評論家・明治大学文学部専任教授。
 本稿では、現代における「正義」と「善」について注目しているようでだ。

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2021年11月25日 (木)

小説の伏線と曲がり角について

 同人誌紹介で、自分が不満をのべることに、伏線がないことと、登場人物の精神に物語の変化が見られないことがある。これは、自分の趣味のうちだが、読者としてそのような立場で読むから仕方がない。このほど、町田文芸交流会で矢嶋直武氏の作品鑑賞会を行ったので参加した。これは、同人雑誌的な表現手法を発展させた、佳作である。そこで、暮らしのノートITOで作品評をした。とくに、注目したのは、主人公のはじまりの精神状態と職業観が、なかほどで変化し、伏線も活用していることである《参照:小説「黄昏の街」(矢嶋直武)に読む定年退職者の孤独(2)》。この作者には、今後にさらなる期待をしたい。孤独をテーマにまだ、この問題を含んだ小説の展開余地は残っていると思う。

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2021年11月24日 (水)

文芸誌「浮橋」第8号(芦屋市)―2-

【「感想書簡」城殿悦生】
 「浮橋」7号の小坂さんの「散人」を読んで、筆者が感心し、自らに戯作川柳を読んでいたという。コロナ禍で川柳への趣味が強くなったらしい。本歌取りや本句取りを記す。なかには「夏草や兵どもが夢の後(芭蕉)から「くさや食いコロナ滅びて夢の跡」と詠む。その他、面白く工夫した川柳が発表されている。おそらく、過去発句がノートに沢山あるはず。この面白さに工夫した句を、つまらない物語に、挟み込むと面白い物語に変えることができないか。たとえば、川柳探偵とかする人物に、簡単な謎のある事件を調べさせ、物語りの合間に、その川柳を挟むといいのでは。謎の仕組みというのはつくるのは簡単で、例えば、商店街のマラソン競技大会に、いつも優勝する人がいる。そこで、その理由を川柳探偵が調べると、その男は双子の兄弟で、いつも途中で入れかわっていた、というトリックがあることがわかる。しかし、この話を普通に語ったら、面白くもなんともない。だから、合間に川柳探偵の川柳を入れたらどうであろう。すると、なんとなく面白い話に出来上がるーーというわけにはいかないかな。
【「人形始末の記」青木左知子】
 従姉から、持っていてほしいと、もらった人形の始末に困り、あれこれ苦心する話。きちんとした力作である。しかし、良い材料をもたらしながら、惜しくも読後感がもうひとつもの足りないものになっている。読者は、古い人形となれば、人形の怪異現象か、その周辺の怪異現象を期待する。その期待に応えて、人の死の予言をすしたりすれば、暗いはなしになる。そうでなければ、かけ事の当たりを予言すれば、明るさのある物語にでいるかも。どうすれば読者の期待に応えられるか、を考えれば、なんとなくお話はできてしまうものである。
【「家さがし」藤目雅骨】
 中村宗司は、80歳も過ぎてから突然、田舎に帰ってみようかと思うようになった。そこで、家探しをする。そういうこともあるのであろう。コロナ禍で、ふるさとでの家探しの経過が、面白い。買い物に付き合うような気分である。さらに、施設に入っている姉を見舞う話で、身近な話題でまとまっている。
【「弓取り」小坂忠弘】
 すでに亡くなった木場という友人から「相撲四十八手」(恒文社)などの本が送られてくる。そこから木場氏の思い出と、相撲談義の蘊蓄と貴景勝の話など、」エッセイの特性を生かして、すいすいと語る。長いと思うけど、文学仲間への追悼・鎮魂文として読める。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5-15-712、小坂方。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年11月23日 (火)

文芸誌「浮橋」第8号(芦屋市)ー1-

 これからは文芸同人誌の本質が、文学的成果よりも、自己表現の場であるということの把握から、文学性と離れて、生活者としての視点から読むことにした。
 それが文学性と重なれば、それに越したことはない。本誌はその意味で、読み甲斐があり、全作品を読んだ。どれも、面白いのであるが、紹介作品を選ぶのに全部を対象にはできない。そこが悩みになる。
【「ペルシャの壷」曹達】
 元銀行の頭取であった友人から、イランのパーレビ国王の一族であったが、政変で、アメリカに亡命できなくて、日本にきていたらしい夫人を紹介される。その理由は、彼女のもっているペルシャ美術品を見せられた。それを購入して欲しいという。それが大変な高額品で、知識がないものの、とても応じられるような金額ではない。それでも、折合のついた価格で購入させられる話。その現物らしき壷と器の写真がカラーで掲載されている。価値がありそうだが、ペルシャ陶器に興味がある方は、本誌を見ればわかる。
【「コロナ禍に本能で対処する」三浦暁子】
 新婚の時から、飛行機のチケットをとると、そのたびに異変が起きる。その他、航空機での旅行で、起きた出来事が書いてある。特に、航空機内でのパニック症候群の体験は、自分には興味深かった。作者は、その原因をマスクをしている状態だからだと、判断する。自分は日ごろからパニック症候群を病んでいるが、道を歩き始めた時に、息苦しくなって、おさまるまで道端で立ち尽くすのである。どういうわけか、国内の飛行機利用で症状を起こしたことがない。自分は、海外に行ったことがないので、そんなことがあるのかと、面白く読んだ。
【「芦屋川小景」小坂忠弘】
 ~芦ノ屋の水なき川面に戦ぎ立つコロナの秋の芒の穂波~~このような句から始まって、句を詠んでは、解説を入れている。普段は、自分は短歌を読むことはないが、解説があれば読んでしまう。
【「郵便局まわり」熊谷文雄】
 各地の郵便局をまわって、預金通帳を作って集める趣味があるそうだ。それも集めるパターンがいろいろあるという。そういう趣味は、暇だからできるのか、忙しくても工夫してやるのか、考えてしまった。
【「阪神大震災」大西一誠】
 1995年1月17日(火)の午前5時46分、阪神大震災は起きた。その体験記である。筆者は当時の川崎製鉄に勤務していたという。自分は、1970年の大阪万博の取材に、東京から取材に行っていて、その期間に御影という駅の川鉄関係者の知人の家に宿泊させてもらったことがある。それから幾年。ある日の朝、TVをつけたら大災害の報道をしていた。その知人に連絡が取れたのはいつだか忘れたが、新築したばかりの家は全壊し、歩いて避難場へ向かい、渡された災害用の食品は、硬くて食べられない。ということであった。災害の実態をしる資料として貴重である。――このような感想を述べていたら、長くなるので、作品選別を考えてみたい。たまたま、しばらく旅行後、原因不明で、ブログに入れなかった。まだ、続きがあります。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5-15-712、小坂方。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年11月15日 (月)

家父長制と自己存在感の軽さに耐える

 昨日、TBSテレビで「ばななせっかくグルメ」というのをやっているから見ろと、という現地の親戚から連絡がきたという。観ると長野の上田での空騒ぎをしていて、出てくる店などは、自分たちが入った温泉の近の店だという。たしかに別所温泉や上田城のやぐらや資料館には行っている。《参照:家族制度のピノキオの風景心情(1)「休養村とうぶ」にて》。みてもそれほどの興味は湧かなかったので、途中でやめた。自分と出来事を関係づける好奇心や関心が薄くなっている。そのことに、われながら、存在感の軽さを感じた。いま「浮橋」という同人誌を読んでいるが、なにか似たようなことが書いてあるような感じがして、我がことと思い、気になった。

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2021年11月13日 (土)

文芸同人誌「勢陽」第34号(志摩市)

【「日之影・柳川・東郷」桂一雄】
 関西からと思われるが、大学2年のときに、宮崎県の祖父母を訪ねる話から、表題の地域を旅する想い出話。祖父母が多く語られるので、筆者にとっての好ましい思い出の記録である。回想記は多いが、焦点を絞って述べられているので、エッセイとして、良いものになっている。テレビ番組によると、過去の記憶を甦らすことは、精神を活性化させる効果があるとか。
【「世界がぐらりーコロナ禍の影響(浦島伝説やリーマンショックや闇の力)2012年2月1日」秋葉清明】
初老の男のコロナ過での生活のなかに、浦島太郎もどきになって龍宮城もどきの生活を妄想したりする。そころまでは、完全に小説。それに追加して、コロナ禍での生活心得の評論がある。同人雑誌ならではの、自由な表現が目立つ。読んで面白いものになっている。
【「戦時下の青春」夢之岳夫】
 大正14年生まれの91歳の私が、終戦間際の特攻隊の任命を受けるが、直前で終戦になる。その当時の青春生活を描いている。また戦時中の地震についても、新聞記事資料のようなところがある。体験記のようであるが、随所に、記憶とは思えない箇所があり、おそらくもっと若い人による事実のフィクション過であろうと思った。
【「チャンスの神様」櫛谷文夫】
 グループホームの経営者である山本は、コロナ禍で感染症対策用のゴミ箱を社員から要求される。変な話だが、ユーモアを出そうとするす努力は、文芸的に思える。
【「鯰の黒べえ」曽根憲作】
 彦根城のお堀に、鯰の黒べえが主となって住んでいる。すると、城下の貧乏侍が病気になる。娘が、父親の病は、鯰の肝を食べると治ると聞く。それを知った黒べえは、老師に相談をする。老師は、この世の出来事は全て夢である、と答える。黒べえは、感じ入って、すべてのものは幻であり、存在は無である、とさとり、武士の娘に釣られに向かう。これは仏教本「金剛経」にある「一切有為の法は、夢幻泡影の如く、露の如くまた電の如し、応に如是の観を作すべし」というものがある。その精神布教であろうか。
【「うのと駿之介捕り物余話(第5話)」水田まり】
 江戸時代の江戸の土地柄、風俗が手の内にあり、岡っ引き捕り物帳形式の風俗小説となっている。そのため、当時の情勢に生き方や人情を描いている。
 これはこれで面白さがある。しかし、意図的なものか短編小説の基本を崩しているために、ぴりっとしたものが失われている。この小説の題材かすると、構成が良くない。現代の小説の傾向では、村上春樹の作品のように、誰か何かを探すか、何かを求めて探すという、アメリカ風ミステリーの定型パターンがある。村上春樹がノーベル文学賞をとれないのは、そうした手法が通俗的すぎると見られている可能性がある。読者が増えるためならそれも良いことであろう。本作では、およしという軽薄な女性の心境と行動から書き出されている。それが描きたかったのかわからないが、これは話の流れを止めている。ここは、岡っ引きのところに、およしという女が姿を消すという出だしでないと、面白くない。どうしたのか、それを追及していくうちに、およしの人間性が浮き彫りになるという設定に自然になる。銭形平次は、いつも岡っ引きのガラッ八が、「親分、ていへんだ」といって、「どうした、あわをくって」と平次がうけて、小説の問題提起になる。問題がでたら、その解決ための行動をする。この定型によって何作でも、連続してできる。純文学でなければ、だいたいそうである。
発行事務局=三重県志摩市阿児町神明588、水田方、「勢陽文芸の会」
紹介者「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年11月10日 (水)

文芸同人誌「駱駝の瘤通信」第22号2021年秋(福島県)

 本誌の「扉の言葉」の澤正宏「国家は歴史に学ばない」は、世界情勢への鋭い視線と日本の国民への集団性、或いは全体主義性を強める傾向への指摘がある。同感と学びの意義から、「暮らしのノートITO」に許諾を得て全文掲載させてもらった。《参照:澤正宏「国家は歴史に学ばない」酪駝の瘤通信22号より》英国BBCは、中国特派員のサンドワース氏を今春、北京支局から台湾の台北支局に異動させたという。サンドワース氏がウイグルにおける人権弾圧について報道した内容が理由で、中国当局に拘束されそうになったためだ。独裁専制体制は、利権を持つ立場からすると何事にも能率がよい。味をしめたらやめられない。民主主義制度のなかで、集団主義による独裁への動向は国民が監視していなければならないであろう。
【「世界は暗澹たる荒蕪地―これは人間の国か、フクシマの明日―5-」秋沢陽吉】
 薬師院仁志「地球温暖化論への挑戦」という本があるという。そこでは、地球温暖化の要因が2酸化炭素の大量排出によるという断定への疑義が提示されているようだ。そして、世界がマインドコントロールされているのではないかという疑問提示しているらしい。
また、「長周新聞」という地方紙には、IEA(国際エネルギー機関)がカーボンニュートラルを主張するパリ協定を支持し、この協定が世界を相手の新ビジネス化としているという主張を紹介している。
 筆者は、それらの見解を支持し、「地球温暖化防止やカーボンゼロという科学的な根拠のない砂上の楼閣がどんどん築かれるのは、つまりは、膨大な投資と収益がある産業の隆盛を目的とするからだと思う」としている。
 この観点は、当たっていると思う。資本主義のグローバル化の浸透で、行き詰った従来の産業構造の変化を狙った流れであろう。発電所が化石燃料を使用しているとして、COP26で、日本が化石賞をもらったそうだ。馬鹿な話だ。日本の2酸化炭素排出量は、世界の3%に過ぎない。中国は、30%を占める。これからいくらでも排出しても、世界に影響は与えない。1億の人口で、世界第3位の日本の経済力を弱体化し、そこに割り込みたいだけのイメージ戦略である。本論には、米国の戦争ビジネスについても指摘がある。たしかに、アフガニスタンは、米国が何百兆円もつぎ込んだので、自国民の税金で軍需産業が儲けた。米国に勝ったタリバンは、金づるの米軍が撤退したため、貧しくなった。戦争ビジネスの本質が露呈した出来事である。
 その他、澤正宏「福島被災以後を追う(6)2121年5月から2021年8月まえ」は、労作である。プラント工場で事故が起きないということは、あり得ないので近年中に、読み返すことになるのではないか、と思う。【「一兵士の広島原爆体験記(仮題)」N氏】も、この時代に骨董店でも見かけない兵士の手帖である。貴重な市井的資料といえる。

発行所=郡山市安積北井1-161.「駱駝舎」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年11月 9日 (火)

つまらない人生と自意識

 生活しいていると、次から次へとやることが出来る。でもいつかは、できない時が来る。今は生きている。おそらく明日も生きているだろうと思う。だけど、それは思っているだけで、本当はわからない。そのことを意識していると、こんなつまらない風景も面白い。無人風景フェチなのである。《参照:マスクでぼんやり平日の温泉旅=長野・上田駅前周辺風景》。自意識というものが、ものぐさ精神を動かす。自分の文学趣味の原点である。

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2021年11月 8日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」10月29日・朝刊=茶園梨加氏

題「体験と思索」
『評伝・人間織坂幸治 ココロハ コトバデアル。ことばは こころである。』井本元義さん著、仲西佳文さん編(花書院)
野田明子さん「無空道」(「ほりわり」35号、柳川市)
坂口博さん「織坂幸治小論」、『織坂幸治論集 畸言塵考』
文芸批評「叙説」Ⅲ-19号より特集「震災」、小特集「火野葦平研究の現在」
森崎和江さん『まっくら』が岩波書店から文庫化。解説は水溜真由美さん
《「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ》


 

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2021年11月 3日 (水)

コロナ過の秋の別所温泉駅前

 外出自粛で、7月以前から電車に乗らなくした。バスを乗り継いで、用事をすましていた。しかし、感染者が減ったので、かねてより懸案であった、長野での用事を済ませに、山手線で東京駅から北陸新幹線にのった。構内の駅弁ショップはかなり混雑していた。北越新幹線は、がらがらで空いていたが、幾人かの人がいた。火曜日であるせいなのに、おそらく以前よりは乗客は多いのであろう。だが、それも、軽井沢までで、そこで多くに人が降りた。あとはがらがらで、こりゃ赤字になるわな、と思う。目的地の上田につくまでに、同人誌「澪」を読んでいたが、そのなかで、小説としながら、小説作法の基本を無視した作品を幾度も読み返して、考えた。同人誌は、あえて多くの人に読まれることを前提にした小説作法を拘らない作品の発表の場になっている。だから、沢山成立してるのだと感じた。文芸ではあるが、文学とは限らない。前衛小説集という意味なら、それはいえる。話はかわるが、上田から別所線で温泉に行った。ここの日帰り温泉「あいそめの湯」は、人影はなかったが、広い駐車場は半分ほど埋まっていた。近所のひとと近場の人の銭湯的でありながら、本格温泉が楽しめる。自分は、脚が弱ってきたが、湯につかると猛然と脚がだるくなった。しかし、翌日の軽快な感じで、効いたのである。《参照:コロナ過の秋の別所温泉駅前=不景気の秋風にモハ5250

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2021年11月 2日 (火)

文芸同人誌「澪」第18号(横浜市)

【映画「浮雲」-クラシック日本映画選―13」石渡均】
 ここでの「浮雲」とは林芙美子の小説を成瀬己喜男監督が製作した映画である。自分は、成瀬監督の映画を観た記憶がない。成瀬監督は、林芙美子ののうち「めし」、(51年)、「稲妻」(52年)、「妻」(53年)、「晩菊」(54年)、「浮雲」(55年)、「放浪記(63年)と6本製作しているという。どうしてこんなに多く、林の作品を映画化したかの経緯は、この評論に記されている。そしてわかるのは、ドラマなりにくい、生活感覚や男女関係の機微を巧みな文章力で表現した林の作品を、その雰囲気の真実性を、選りすぐって場面化することに、手腕が発揮できたからであろう、という事が記されている。文章芸術と映像芸術の本質的な関係と、異質な関係が大変丁寧に描かれている。
 幸い林芙美子の作品は青空文庫で読めるので、「浮雲」ここでは書き出しのところを引用するーーなるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容所で別れて、税関の倉庫に近い、荒物屋兼お休み処どころといつた、家をみつけて、そこで独りになつて、ゆき子は、久しぶりに故国の畳に寝転ぶことが出来た。――
 自分は、なぜ彼女の作品は、出だしで、主人公の生活ぶりに興味を抱くようにかけるのか、関心をもった時期がある。スピード感とエネルギー。さらに「めし」という晩年の未完の作品を読んでみるとよい。短い文章の行簡にある意味深さ。それらを読むと、もし映像かしたら干物のようなものになってしまうだろうと思わせる。しかし、成瀬己喜男監督は、その味を表現したのであろう。身につまされるように。
 森雅之や高峰秀子など、俳優の活用と脚本の工夫など、文章に現象よる現象表現と、映像によるそれとの違いを、考えさせる勉強になる評論である。
【「まあるい大きな手」小田嶋進】
 私は顎に一本髭が生えている。それが秘密で悩みらしい。どうってことないのに、何が問題か、思っていたら、私が思春期の女性だとわかった。お話しとして、構成順序を考えていない。断片集らしい。てコンビニ店の男の指の美しさに見惚れる。その他、つながりが前衛的な感覚の表現話。
【「風花が舞う」衛藤潤】
 出だしが、「気がつくと、香織のことばかり考えている。」難しい短編の出だしの縛りと感じていたら、作者はそれを縛りと考えていないらしかった。それだけに散漫な印象。
【「こども居酒屋」衛藤潤】
 そういうのあるのか、と思って読んだが、よく分からなかった。
 その他、二人の写真家の作品はいい。「澪」HPで見られるものもある。
発行所=「澪」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。


 


 

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