文芸同人誌と草野球の類似…
文芸同人誌が送られてきて、ずいぶん多いと思うが、おそらくそれらは、氷山の一角で、こちらが知らないだけであろう。その同人誌の本質を説いたのが、菊池寛の「作家凡庸主義」論であろう。《参照:菊池寛の近代文学精神論とポストモダン時代の考察(5)》自分はこれを「文芸のカラオケ化」現象とした。しかし、それよりも、本質は、草野球の方が類似しているかもしれない。メンバー9人いれば、その誰もが参加できるところに、参加者の公平性がある。さらに地元中心の地域性がることも似ている。また、強くなるには、リーダーの指導力がないといけない。今後の若者たちの同人誌づくりには、そうした要件が必要であるようだ。--次の記事は2003年5月12日の読売新聞の夕刊に掲載された記事だ。元原稿がこれによってわかる。情報の出所がわかりというのが、「文芸研究月報」特性であった。このころは、文芸同人誌が文学性をもっていたと思われている時代であった。
030512YE【〈文学のポジション・文芸誌〉 /同人誌から才能発掘】《山内則史記者》
現在の文芸誌のなかで、同人雑誌から才能を発掘するシステムを持っているのは「文学界」(文芸春秋社)だけだとし、毎月掲載されている「同人雑誌評」について詳しく紹介している。担当は文芸評論家の大河内昭爾氏(75)、松本徹氏(69)、松本道介氏(68)、勝又浩氏(64)の4人。かつては月に140冊ほど届いた同人誌も、現在80~100冊になった。大河内氏の気になっていることとして「同人雑誌が単なる作品発表の場」になっており、切磋琢磨する気風が失われているとする。(文芸研究月報年6月号より)。頭の記号化がみそで、030512は2003年5月12日付。Yは読売新聞。Eはイブニング夕刊の意味。それで詳しく知りたければ、元の記事が読めるということである。
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