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2021年9月24日 (金)

文芸同人誌「果樹園」第37号(豊橋市)

【「五十路に吹く風」そら いくと】
 主婦生活の長い三和が実家を訪ねて、その状態を語る。そのなかに自らの結婚生活で、このまま夫と暮らすか、それとも別れて独身生活に入るかで、迷う心の動きがある。さらに祖母の人生に恋愛感情を揺さぶった出来事があったことを知る。こういう家庭の中の出来事を細かく記す文才は感じる。ただ、小説としての磨きをかけるには、もっと細部に踏み込むか、日本人の家族観に触れた問題提起がないと、充実したものにならない。小さくまとめることで、小説に慣れてしまうことの危うさを感じる。よく書けているので、こうした指摘ができるということでもあるのだが。
【翻訳小説「密室(原題:房間)」干暁威・作、津之谷李・訳】
 現代中国の作家の短編小説。友人から妻が家のドアを開けてくれないので、仲を取り持ってほしいと頼まれた男。いざ、彼のマンションに行ってみると、何があったのか、ドアが閉まったきり開かない。よほど怒っているか、何事かが起き多かと、窓からのぞくと、男がいて、彼女が連れ込んで浮気していたとわかる。起承転結がしっかりとしていて、誰が読んでも分かり易い作品。中国では、規制が厳しきなるせいか、SF小説で面白いのが多いそうである。日本の同人誌のような存在はないのであろうか。
【「すぎにしかた恋しきもの」小林真理子】
 「徒然草」や「枕草子」など古典への啓蒙的な作品。知見の深さが感じられる。【「評論「素手でつかむ根源をー破天句を読むー」今泉佐知子」】
 俳人・酒井破天という人の俳句から、芭蕉、蕪村、ランボーの母音詩まで関連付けて、その幅の広さと鑑賞文で、なるほどと、門外漢でもたのしめる。
【「一期一会の青年たちへ」松本容子】
 人生の先輩が若者と交流する話。これも啓蒙的エッセイ風作品。
【「言葉の魔術」松本容子】
 気軽な文学よもやま話。
【「ケンベルの一夜」マニュエール・ポンセ】
 江戸時代に、町でオランダ系の混血と思われる治助をみたという話を聞いたオランダ人が、治助の素性と父親をたどる話。著者が外国人名だが、書き方は江戸人ではない日本人の視線そのもの。よく書けている。変わった時代小説である。自分はNHKスペシャルの「戦国~激動の世界と日本」を見ているが、そこでスペインかオランダの宣教師のどれであった黒人の「ヤスケ」を織田信長が部下にして、本能寺で戦死したらしいという話を知ると、ちょっと設定に疑問を抱く。
 今号は、中国の小説翻訳を覗いて、全般に同人誌仲間と地域の絆を感じさせ、楽しそうに書かれた作品が多かった。


発行所=〒7440-0896豊橋市萱町20、矢野方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年9月22日 (水)

第53回新潮新人賞予選通過作品

 最終候補作品=山川一平「みな城へ向かった」/広島哲也「革命の子供」/ワクトメイスター・フランス「領土的野心」/久栖博季「彫刻の感想」/佐佐木陸「一一一」。純文学はこうした賞をとってから作家になる。

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2021年9月17日 (金)

文芸同人誌「たまゆら」121号(京都市)

【「新魔」地場輝彦】
 新型コロナの変異株デルタ型などがでない時期に書いたものらしい。デパ地下とコンビニでコロナ感染者が出ないことを不思議に思うとしている。コンビニは、感染者が出ても、知らせないだけで、当人を解雇するか、休ませているだけであろう。おともと地下鉄の構内がデルタ株の飛沫が空気中に舞っているらしい。そこにつながっているデパ地下であれば、感染が起きるのは不思議ではない。記録としてのエッセイなので良いのではないか。
【「九月十五日、晴れ」金川沙和子】
 大庭貴史という結婚歴のある独り者が、引っ越しをするところから、はじまる。それから、これまでの人生を振り返る。妻が書き残した日記に、夫と二人で阪神タイガースの優勝したことを幸せに思うことが記されていた、という話。――ああ、そうなんだという感想。
【「巨猪」佐々木国弘】
 猪狩りをする宗夫という男の独白体。山の仲間の生活民と猪狩りの鉄砲と罠の使う様子がしっかりと描かれている。当初は、宗夫の視点の外の三人称的な描写だと思っていたので、なんで自分というのか、言い方に違和感をもったが、作者の工夫として納得した。他に、作者は「同人誌寸評(49)や、書評を書いている。どこかの媒体で評論もしているらしい。
 ほかにも長篇の連載がいくつかある。読んだが、何かを語るほどの引っかかりは生まれなかった。【[平成ミゼットタイムズ」榊原隆介】などは、興味深かった。なかには、昔の長篇をもう一度推敲して、それを編集し直して連載しているのもあるようだ。現在を豊かにして生きる。そのために、同人誌を活用する例のようだ。ただ、この「中略」や「前略」は、小説の手法として面白いのではないだろうか。
発行所=612-8358京都市伏見区西尼崎町890-2、中川方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年9月11日 (土)

文芸同人誌「海馬」第44号(西宮市)

【「葛藤」山下定雄】
 山下作品は、風変りで面白く、前作の「合歓の花」は、雑誌「季刊文科」の83号に転載されている。目の付け所が重なったのは、愉快である。今回の作は、例によって神経構造に欠けたところがある「私」が、公園にいた少女が気にいり、交流をしようとする。だが、私にはカンナというれっきとしたパートナーがいて、彼女の機嫌をうかがいながら、少女と連絡を取ろうとする。そうしている時の心の動きを、長々と書きとめる。少女への心の想い、それに対するカンナの反応への忖度など、そのことは、一瞬の心の動きであるが、言葉するとかなり長々しい。頭の中のひらめきを示すので時間的には、瞬間でも、それを文章にすると、その時間が引き伸ばされる。それによって人間性というものが、この心の瞬時の内面にあるということがわかる。今回はよく短くまとまっているが、その解釈は自由に任せたもので、考えさせるとことの多い作品である。意識の流れをとらえる文体も作者の新発明と言っても良いであろう。
【「クマネズミと亡霊」永田祐司】
 マンションの管理人をする男が、なぜかクマネズミが入り込んで、部屋の天井を我が物顔に走り回るようになったことに気付く。自治会と相談して、その駆除のためにいろいろな業種に見積もりを頼む。業者のやり方が、粘着シートや毒餌を基本に、それぞれ細部がことなるのが面白い。時折、住民からの勝手な苦情な要請に応じなければならない苦労もでてくる。マンション管理と害虫駆除に詳しい作者らしい。その主張は人間社会の批判的な観察きでもあるらしい。クマネズミの駆除が自費をつぎ込んでまでになり、泥沼化していく様子は、米国がテロリスの駆除にはまり込む姿を風刺した寓話のようにも読める。意味深な雰囲気がある。
【「神戸生活雑感―日本と台湾の文化比較」千佳(台湾出身)
 本誌にはネットのブログがあってそこに書いたものを活字化したものだという。なかに井原西鶴に関する話もあって、言葉に注目したのは鋭い。日本が美しいという感覚は、なかなかのものである。現代は、「ナンチャッテ」語が普及している。自分がコピーライトを引き受けていたころは、これは柔らかい表現で、とか注文があると、「さしすせそ」を活用した用語をする。メリハリのあるように、という注文には「たちつてと」の多い用語にするようにしていた。美しく感じるのは伝統的な和歌の手法で磨かれた「さしすせそ」系の言葉であろう。
発行所=〒662-0031西宮市満池谷町6-17「海馬文学会
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年9月 4日 (土)

文芸同人誌と草野球の類似…

 文芸同人誌が送られてきて、ずいぶん多いと思うが、おそらくそれらは、氷山の一角で、こちらが知らないだけであろう。その同人誌の本質を説いたのが、菊池寛の「作家凡庸主義」論であろう。《参照:菊池寛の近代文学精神論とポストモダン時代の考察(5)》自分はこれを「文芸のカラオケ化」現象とした。しかし、それよりも、本質は、草野球の方が類似しているかもしれない。メンバー9人いれば、その誰もが参加できるところに、参加者の公平性がある。さらに地元中心の地域性がることも似ている。また、強くなるには、リーダーの指導力がないといけない。今後の若者たちの同人誌づくりには、そうした要件が必要であるようだ。--次の記事は2003年5月12日の読売新聞の夕刊に掲載された記事だ。元原稿がこれによってわかる。情報の出所がわかりというのが、「文芸研究月報」特性であった。このころは、文芸同人誌が文学性をもっていたと思われている時代であった。

 030512YE【〈文学のポジション・文芸誌〉 /同人誌から才能発掘】《山内則史記者》
現在の文芸誌のなかで、同人雑誌から才能を発掘するシステムを持っているのは「文学界」(文芸春秋社)だけだとし、毎月掲載されている「同人雑誌評」について詳しく紹介している。担当は文芸評論家の大河内昭爾氏(75)、松本徹氏(69)、松本道介氏(68)、勝又浩氏(64)の4人。かつては月に140冊ほど届いた同人誌も、現在80~100冊になった。大河内氏の気になっていることとして「同人雑誌が単なる作品発表の場」になっており、切磋琢磨する気風が失われているとする。(文芸研究月報年6月号より)。頭の記号化がみそで、030512は2003年5月12日付。Yは読売新聞。Eはイブニング夕刊の意味。それで詳しく知りたければ、元の記事が読めるということである。

 

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2021年9月 1日 (水)

文芸同人誌「岩漿」第29号(伊東市)

【「田山花袋と伊豆」桜井祥行】
 田山花袋、島崎藤村、蒲原有明、武林夢想庵が、明治42年に伊豆の旅をしたことが、藤村の「伊豆の旅」に記されており、花袋も「北伊豆」という作品で大仁の反射炉のこと。「温泉めぐり」という著書では、天城峠越えと現在天城トンネル旧道とされている隧道ができたばかり記されているという。引用文もある。そこは冬の雪の大変さがしるされている。自分も20代のころ徒歩で、天城峠から湯ケ野に抜けたことがあるが、そのころから暖かい気候で、温暖化の進行を考えてしまった。その他「柳田国男の『50年前の伊豆日記』、「岡千仞と伊豆」、「児玉花里外と中伊豆」など、郷土文学研究家の記録がある。よい仕事と思われる。
【「ちゃもちゃんと能楽」深水一翠】
 人生回顧録の一種であるが、その形式が、優れているので面白く読める。ちゃもちゃんと周囲からよばれているので、その名称で自伝的な話を語る。語り手をキャラクター化するという形式で、人物像が立ち上がって感じる。母の二人の姉が新劇の女優をし、京都が好きになる。東映映画の中村錦之助、東千代之介、千原しのぶなどの話題が出るので、作者の生きた時代が浮かんでくる。なかなか読ませる力のある作品である。
【「茂みに咲くシャガ」椎葉乙虫】
 推理小説である。これは、テレビドラマ風の自己流の発想によるミステリーであるらしい。老人が殺され、犯人がだれかを、退職した元サラリーマンが追及するという構成。それなりに、書けている。しかし、現代のミステリーは大分進歩している。犯人追及とその動機や人間性を追及するような作風になってきた。東野圭吾などもそうだ。また、村上春樹の自己探求で、人を探す話はアメリカのハードボイルドの手法と同じである。この作品でも、犯人と疑われる若い女性が出てくるが、彼女が行方不明になるようにするような筋立てが欲しい。そのほか、警察の捜査資料が近所の素人に見られるというのも、なかなか実際にはない。ましてや検視の資料などは親族の要求がないと、東京では見せてくれない。これは懸賞金のかかった犯人捜しを実施してみた経験からである。ただし、長所をいえば、独自のミステリー感覚を発揮する場としての同人誌の存在感がある。
【「屑籠の檀」馬場駿】
 経験豊かな医師が、患者の手術で、看護師のミスで手術がでの過失を問われ、職を離れざる得ない事態になる。婚約者には去られたようだ。が、知人の友情に助けられ別の職場を紹介してくれる。そうした流動的な環境のなかで、真弓(檀)という情勢と結婚する予定世あったらしいが、その真弓がやってこない。このような手順で、物語がされるわけではない。よくわかないまま読んでいくと、どうもそのようなことらしい。ただ、その話の運びがお面白く、読者が想像力を足せば、独特な世界観が判ってくる。変ではあるが面白い話である。
【「奇老譚―月は見ていた」しのぶ憂一】
 老人施設にいる99歳の宇垣正義の評判は、すこぶる良い。彼の過去と、裏の顔を知るものもいない。スタッフをはじめ入居者のあいだでもすこぶる良く紳士的で勤勉、物知りで穏やかで言葉遣いも優しく、気が利くので、とりわけ女性に人気があるという。宇垣.には五回におよぶ婚姻生活の破たんと数回の同棲経験があっ.たが、入籍するかしないかには興味がなく、初婚の女.佳恵のほかは、いつも相手の意向にまかせた。二十歳代後半から七十代後半までの時代の履歴である。再婚以.降に入籍した女たちの成行きに共通点がある、まず、結婚紹介所で、知り合い、離婚の経験があり、親戚付き合いがなく、幾ばくかの貯金がある。また、貧困生活を強いられDVに苦しめられた挙句に、3年と経たないうちに分かれている。この老人の自己中心主義、表裏のある2重人格的で、人間関係を破壊する性格を、ことこまかく経歴的に説明する。反省などすること一度もなく、身勝手を言って死ぬまで言い続ける。程度の差こそあれ、よくみかけるタイプの話が連続する。小説なのに、自己中心主義を描き、最後まで治らない。突き放した視線が面白く、次はどんな身勝手をやるのか、面白く読めた。
【「短・中編――三編」佐木次郎】
 創作童話「ゲンの死んだわけ」、戯曲「糸」(途中で、小説の時代小説になる)というもの。とにかく、これらをまとめて発表する自由な表現力に脱帽した。
発行所=413-0235静岡県伊東市大室高原9-363、小山方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。


 

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