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2021年8月 8日 (日)

文芸同人誌「海」103号(いなべ市)

【「虫の譜―異化―」山口馨】
 恵美が、子供たちなど家族ぐるみで実家に行ったあと、2カ月ぶりに、母親が一人暮らしする実家に行く。何しに来たのかと母親が聞くと、静江おばさんのところに来たという。そして静江おばさんの話になる。文体は、現代女性のおしゃべりに近い軽い調子で、書き手の若さが出ている。意図したものでなく、自然な書き方なのであろう。話の中身は井戸端会議なみのもので、長編でもないのに恵美の視点らしき感想が入る。街の変わりようを語ったり、して、焦点が移動する。曖昧な視点で、母親や静代がこう思ったのであろう、という調子で、印象を散漫にしている。
【「声が聞こえる」川野ルナ】
 しおりという女性が、教会に行って神父さんに、神が存在するのか、それならどうして自分の苦しみを救ってくれないかのか、と質問する。非常に幼稚な発想で、変だなともって読んでいると、彼女は精神的変調をきたした経緯がわかる。話のなかに、ニーチェやキルケゴールの神の不在を問いかける話もあり、かなり知識があるらしい。だが、知識があることと、知恵をもつこととは、異なるので、信仰への知恵をえるような体験をするまで、問いかけをするしかないのであろう。
【「私は忘れない」安部志げ子】
 交通事故をめぐる体験記。よく書けたエッセイか作文で、小説ではないでしょう。
【「病舎まで」宇梶紀夫】
 秀夫の大工仕事の作業と、家庭的には、息子の真一の精神的な変調の様子を描く。おそらく、実際にあった出来事をもとにしているのであろう。ありがちなことではあるが、家族が真一の変調に気付くのが遅い。早期発見が重要である。
【「素描三景」国府正昭】
 3つの掌編小説を並べている。「金鶏輝く…」では、フードデリバリーの仕事をしている男の独白。配達依頼待ちのバイク立ちんぼを地蔵というらしいが、同じ仲間が周囲に沢山いる。そのなかで、世の中にビョーキが蔓延していると、幾度も繰り返す。コロナ過だけでなく、社会が病二千六百年の歌をスピーカーで流す街宣車が通り抜けて行く。そうしたなかで、自分だけの幸せ追求を決意して、仕事に励む。なかなか重厚な感じのする作品。「讒言―ざんげんー」これは時代小説で、ある藩のまじめで仕事熱心な重役が、それを嫉妬した周囲から、城主に、彼に関する悪い噂を告げたところ、それを信じた殿様が、まじめな重役を処刑するように命じる。それを知った久松式部は、殿に事実を告げ重役の処分を取り消すように諫めるが、かえって処分されてしまう。しかし、後日幕府にその事実が知られ、誤った罪状が取り消される。時代小説への兆戦的習作か。きちんと書けている。「ゲシュタルト崩壊する妻」ゲシュタルト崩壊とは、通常はまとまった感覚で物事を認識しているものだが、ちょうど漢字をじっと見つめていると、その形や構造が、バラバラの線に見えて、本来の認識と異なる無意味なものに感じる現象だという。ここでは、男がいつもの生活や妻のことなど日常を語り、終わりに妻が語り手に向けてお線香など仏壇を拝むことで、自分が亡くなっていることを知る。皮肉の効いた作品。
【「女神の庵」遠藤昭巳】
 神主さんの家系の話で、それに国文学の古典の短歌をからめた物語で、主人公に人間的な魅力が少なく、長い読み物に思えるが。しかし、お話としては手堅く、がっちり書けている。趣味なので、これで充分だと感じさせるが、他者に面白く読ませるには、もうすこし神秘性を持たせたトーンというものが欲しい。その点では、ビジネスの報告書に似てしまっている。稲川淳二の怪談話のようなサービス精神があればもっと良いのではないだろうか。〒発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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