文芸同人誌「海」第Ⅱ期―第26号(太宰府市)
【「風に揺れる葉」牧草泉】
「私」が夜に村上春樹の小説「風の歌を聞け」を読んでいると、夜に電話をかけてきた友人がいる。44歳になる教師である。話はひと月先に人と会う約束で、終わる。それから、村上春樹が、芥川賞か直木賞を受賞しなかった理由の解説になる。文学話が終わると、友人Tの家を訪ねる。そこでTの妻が新興宗教の信者になっていることへのこだわりが語られる。それから、大学入学と在学中の友人関係の話になる。なかで、結婚生活における夫婦の営みの意義など、話題にでるがそれに対する追及もない。全体にとくに強いこだわりのない、淡々とした調子の風俗小説。村上春樹的な描き方に特徴があるように思った。
【「月の砂」高岡啓次郎】
夫婦で亀を死ぬまで長い間飼った話で、そこに妻のうつ病の経験談などが入る。おそらく作者は幻想的でロマンチックな感じを表現しようとしたのであろう。月の砂という詩的表現がそれにどう結びつくのか、わかりにくかった。
【小詩論「賢治とカミユとランボー/その反逆と労働について」井本元義】
宮沢賢治とランボーには共に妹がいたことや、二人とも37歳と1カ月で亡くなっているそうである。両者の人間関係に焦点をあてており、そうなのかと、思わせる。カミユに関する話がないので、続きがあるのだろうか。
【「蒼い陽」有森信二】
非現実的な異世界のなかの話で、「私」は、大意識のなかで分裂し、地上の自分を天空から眺める自分がある。意識は時間のなかを自由に駆けまわる。この辺は、大変に面白いと感じさせたが、「私」が一人の自分に収斂してしまうと、たんなる異次元のSF的な世界のなかの出来事になる。大意識の捉えた世界が曖昧になってしまった。
【「エゴイストたちの告白・第三話―千の夕焼け」井本元義】
平田基弘に、55年前のMという友人からぶ厚い封書が届く。海外からのものである。そこからまず、平田の人生の回顧が語られ、つぎにMの封書の内容に移る。かなり重厚な内容で、人生の盛りの時期の女性関係と、彼の妻の話が語られている。なかに詩篇などが組み込まれ、文学的な精神性に富んだ遺書のようなものになっている。小説らしい体裁のもので、あまり面白く読めるものではないが、ひと時の世俗の憂さを忘れさせるものには、なっている。
一般に本誌だけではないが、同人誌小説のほとんどが、純文学的で、形式のない表現に頼った手法で、書き手が自分の世界を語るもの。どん名作を読むより、自分で書く方がよほど面白いと、菊池寛が指摘している。書く方は、面白いかも知れないが、なにせ、スピード感がない。読む方も、カラオケで他人の歌っているのを聴いている気分で、切実感に欠ける。自分も、どう紹介しようか、考える時間が長くなる。文芸同人誌読みの宿命で、仕方がないものの、作業がはかどらないのは、自分でも焦っているところである。
発行所=〒818-0101太宰府市観世音1-15-33、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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コメント
お忙しい中にもかかわらず、懇切なご批評をいただき感謝申し上げます。作品の至らない点は、今後の努力目標にさせていただければ、と思います。ありがとうございました。(有森信二)
投稿: 有森信二 | 2021年8月 3日 (火) 00時27分