【「卵を抱えて」高原あふち】
本誌の常連同人で、同人雑誌作品として、優れた筆力を発揮している。今回は、子供のできない不妊治療をする女性の立場を、浮き彫りにしようとする意図が読み取れる。まず、不妊治療に至る夫婦関係から、現状を説明する。そこで、「私」の立場における読者の感情移入を形成させるところまでは、まずまず、の出来である。同人雑誌作品としては、大変良い部類に入る。その後も、不妊治療の悩む他の女性の姿も描く。いろいろな立場の状況を描き、結局は「私」は、妊娠の希望をもって努力をする話である。おそらく、同人仲間では、よく書けているという評価を得るのであろう。ただ、自分はこうしたものを延々と描き続ける人は、自分を表現者としてどうように考えているのかが見えない。べつにそれでよいのだが、せっかくなので、このままでは、小説の要件に欠けているということを、記して起きたい。まず、「私」を登場させ、不妊治療をしている出だしがある。そして終わりも、不妊治療を続けている。出だしと、終わりの主人公の運命に変化がない。横線にまっすぐ線を引いたようなものである。例は良くないか知れないが、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」は引きこもりの人の話であるから、始まりと終わりにおいて人物の状況に変化はない。そのため純文学として、内容を波乱万丈にしないと小説にならない。だから、恐ろしいことが、沢山書いてある。しかし、普通の物語に期待されるのは、主人公の運命が、始まりと終わりで、大きく変化する活動があると期待して読む。したがって、小説家はどういう風に主人公の運を変化させるかを無意識に考えながら書く。この作品の中ごろに、不妊治療が成功する患者や登場する。これは、小説の手法では、主人公が妊娠できない運命を語るための印象対比の伏線とするのが普通である。この段階で、主人公は妊娠したものの、交通事故に遭うとか、それが夫の運転する善意の事故であったとかー、にならなければまずい。あるいは、何かの折に、性犯罪者に暴行され、妊娠してしまうとかーーしないと意味がない。この本編の結末ならば、知り合いに話は、書く必要のない出来事である。その意味で、自分には、自己表現の巧みな作品であるが、形式からして小説ではないように思う。別に小説家になること勧めるわけではない。形式に沿っているかどうかは、自分で判断できる。合評会などいらなくなるから……
【「ロウソクが燃えるとき」西田恵理子】
思春期の出来事と、愛読していたファラデーの「ロウソクの科学」を読む話。この本は岩波文庫の薄いものを自分は持っている。物理学の魅力をこれで知って、勉強したことで、ノーベル賞を受賞した人もいる。いろいろな感じ方あるものだ。自分は、ロウソクの火がなぜロウから、生まれ、その後、どこに消え、どこに行ったのかが書いていなっかったので、物理学の世界と異なる発想を探した記憶がある。
発行所=〒545-0042大阪市西阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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