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2021年6月25日 (金)

文芸同人誌「奏」42号(静岡市)そのⅠ

【「ランタナの花」小森新】
 町のどこかで見かけるのだが、30年前にそれが「ランタナ」という花であることを教えてくれたのが出口さいんという、ひと回り年上の出口さんであった。語り手の私は、ミッションクールの教師で、自らは神父などの聖職につかず、俗人でいる。同じような立場の先輩教員が出口さんであった。その出口さんから、ランタナの苗をもらう。しかし手入れが悪く、枯らしてしまう。すると、今回は許しましょう、とまた苗をくれる。そこから禁煙する話や。遠藤周作の「黄色い人」に出てくる、聖書のエピグラフの出典の資料研究など、学ばせてくれた人であることを語る。クリスチャンであることや、文学的な交流が一味違う人物像を浮き彫りにしている。想い出の人を語る話は多い。同人雑誌ならではのものであろう。
【「梶井基次郎『器楽的幻覚』ノート」勝呂奏】
 こういうテーマを読むと、タダで読ませてもらっていいの? という感じである。梶井の作品は「青空文庫」で読める。すべてではないが、幸運にも「器楽的―」も読める。その読解が記されている。梶井が作品を「近代風景」誌に掲載した時に、「詩」のジャンルにされていたのだが、梶井は「小説」として考えていたというようなことが記されている。「檸檬」なども、そうした過程があったのであろう。ここでは、音楽会での演奏時の感覚と、聴き終わった時の感受性の感覚について、どのような手順で筆を運んだが、本稿でわかってくる。梶井には、鋭い感受性の心的変化の過程や揺らぎを文章に定着させることに重点を絞ったものが多い。自己の感受性の世界を宇宙的に把握し、表現している。その発想を感受性からくる表現の仕方が、天才的なのであろう。今回の題材の「器楽的幻覚」という作品テーマにしてもそうだ。奇妙なタイトルのようでいて、実に明瞭に作品の内容を表現している。この解読ノートでも、鋭い感受性が把握してしまった感覚を、どこまで明瞭に表現するかに苦心する過程が解説されている。そして、鈍感な読者でも、おお、そうなのかと、理解できるように明瞭にしていくのである。本誌掲載の別論で、伊豆における宇野千代と梶井が、夜を徹して語り合ったという出来事が、恋愛事のようであったとするエピソードに触れている。自分は、梶井の「ある崖上の感情」などの小説を読むと、宇野が梶井の感性の特殊性に惹かれただけで、彼の心的で実存的な宇宙感覚とは断絶があるように思う。恋愛的なものがあったようには思えない。とにかく、このような純文学的追求に興味のある人には、お勧めの作品。評論の軸になりそうなところがある。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2021年6月20日 (日)

月刊文芸誌「詩と眞實」6月号(熊本市)

【小説「姫子さん」寺山よしこ】
 姫子さんというのは、幼児期より知的発達障害のある女性。学校の障害児担任の時の生徒であった。今は40歳を越えているが、彼女については、低学年の生徒のころから、その成長を「私」が長年、これまで観察してきたその記録である。彼女の行動の詳しい部分は、おそらく直接的な触れ合いの濃厚な時期であろう。成長してから、触れ合い薄くなった関係になっている様子がわかる。障害児の成長ぶりを外部視点から40歳まで観察記録する。このような形で表現するというのは、小説としては問題提起に関わる芯が埋れてしまって、成功しにくい。しかし自己の体験から、知的障害者の人生を指し示すというのは、この人を見よという姿勢で、悪くない話になっている。その実態の一部を世間に知らしめるという意味で、充分有意義である。章立てを見ると「小さな食卓」で、可愛い女の子になることを想定して姫子とした父親。実際は難産で、斜視になって、目つきがきつい。物心がつくと、気難して癇癪もちであった。「お絵かき」の章では、学校で絵を書くようになったので、上手と褒めると、さらに上手くなること。さらに各章で、成長する花子のエピソードが、自然な見方で、その生活ぶるりが、明るく描かれる。本来はもっと苦労している事例もある筈であるが、ここではそれに触れず、屈託なく明るく表現されている。同人誌であるから読める、一人の人生の記録である。
【「イエスの足音」木下恵美子】
 隠れキリシタンのエリアとして世界遺産に登録されたエリアにある長崎・生月島を探訪する話である。フランシスコ教皇が日本に滞在し、被爆地の広島や長崎を訪問され、 核兵器の廃絶を訴えられた出来事が、「わたし」の語りで、説明される。私は熊本出身で、教員生活25年になり、教会から離れて信仰らしきものはなく、仏壇に妻と手を合わせるが、それは妻の祖先と父親むけで、クリスチャンだった母親だけ別にする。そういう境遇のわたしの話であるから、あまり密度のある話は語られていない。社会的には、世俗のなかで、祈りをしてしまう「わたし」が語られる。生徒であったのか源治や壮太や、その家族の話から、隠れキリシタンにも地域に差があって、「オラショ」一つとっても、多種類あるあることがわかった。信仰の伝承と宗教共同体と個人の信仰心のずれなどの悩みがあることが知らされる。現代のカトリック教会のきまりと、隠れキリシタンの子孫の信仰のあり方の現状が語られる。現在に至ってのさまざまな、社会的な軋轢があることがわかる。多くのことが萬べて、自分には大変意義のある良い作品である。「イエスの足音」というのは、生月島のある場所で聞こえるところがあるという設定で、なかなか面白い。前の「姫子さん」は、日本の社会福祉制度について、の視点を避けており、も本作も信仰の自由と社会制度問題提起になるものであるが、それをごく個人の心境小説にしているところが、初々しく、いかにも同人雑誌的である。広く社会に読まれるものとしては、問題点の追及があまく、尖ったところがない。自分が同人誌に関心をもって紹介するのは、これらの問題がどのように表現されるか、というところのフィールドのワークでもあるので、本号の2作品にとくに興味をもった。
発行所=862-0963熊本市南区出仲間4-14-1.今村方。詩と眞實社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2021年6月18日 (金)

 貧困層と富裕層の断絶が見えてきた年越し派遣村の時代からの団体

  資本主義でも社会主義でも、どういうわけか、無数の貧困層が、少数の富裕層のための奴隷的な存在になっていく。そのことが映画のフェイドインのうに明瞭になる時代が、年越し派遣村の存在であった。かつて文芸同志会は、「反貧困」運動をしえんしてきた。バッジもつけたことがある。その時代から「もやい」活動は生まれた。こんど創設にかかわった湯浅誠氏との対談が映像化されるという。《参照:「みんなのお悩み解決ハンドブック」刊行=「もやい」
《参照:強引、独り踊りと言われて~元「年越し派遣村」村長・湯浅誠氏の報告から(1)》

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2021年6月15日 (火)

文芸同人誌「風の道」第15号(東京)

 故人となった作家、葉山修平の未発表作品「思い出の人」が掲載されている。5周忌にあたるとか。本誌の歴史を感じさせるものがある。
【「初夏の風」田村くみ子】
 粋な文章表現で、コロナ過の現代の町の風景描くと思わせながら、故人となった小説講座の講師の思いを偲ぶ作品。個人の口癖や言葉を印象的に表現したところに、芸術性の芸を感じさせる巧みな作品に読めた。
【「梅の侯」荻野央】
 語り手の僕は、サラリーマンであるが、ここでは拘束時間を交換価値として給与を得るという味気ない雰囲気はない。ちょっと気取った趣味性を発揮している。いい塩梅という仕事のバランスから、春先の梅の気配に気分がつながっていく。梅の咲く時期と場所のイメージから、友代という女性の想い出がよみがえる。梅林のイメージの雰囲気にふさわしい女性への懐古を描く。それだけであるが、生活的現実のなかの、普通なら失われてしまう想念を巧く定着させている。物語的ではないので、紹介しにくい作風だが、市民文芸という文学性をもったジャンルに入るのでは、ないだろうか。
【「連れずれ草(三)」澤田繁晴】
 受胎した母親の胎内で羊水時代を過ごした時に、その記憶をたどる話など、自己体験の彩りを加えて、お話を造り上げる。文章的な修練と文芸的な教養を活用したエッセイで退屈をさせない。自己愛と客観性の距離感が絶妙である。
【「雨女――一葉の恋―その〈六〉」間島康子】
 一葉と桃水の存在としての距離と心の接近の情念を、いろいろ想い、思案させる評論。
【「邪心の末に」諸 知徳】
 時代小説の読み物。同人雑誌作品には珍しく、架空性に徹して、虚構の面白さがある。もう少し大胆な飛躍があってもよかったのでは…。
〒116-0003荒川区南千住8-3-1-1105。吉田方。「風の道同人会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年6月11日 (金)

総合文芸誌「ら・めえる」82号(長崎市)

【「ハウステンボスを創るということ」長島達明】
 巨大なリゾートと観光施設を何もない地域に建設し、バブル崩壊後に変遷と困難を乘り越えたハウステンボス。執筆者がこの事業施設の立ち上げから参加した記録である。その章の分類を紹介する。1、「神近義邦社長のこと」。創業者の神近芳邦氏(2020年に亡くなる)。2、「シャンデリアの話」。3、「レンガの話」。4、「『壁画の間』のこと」。5、「池田武邦先生のこと」。この項には、馬込文士村の住民であった作家の宇野千代が麻雀仲間であったことなどが記され、驚かされた。6,「結婚」。これらが内容豊富で、資料としても貴重なものに思う。現在、NHKTVで、日本の戦後時代に関する資料が、オランダやポルトガルで発見されており、世界の覇権争いに深く関係していることが明らかになってきている。その視点からの歴史のつながりも注目される可能性がある。
【「八十路を超えて(5)」田浦直】
 長い議員生活の記録で、よくぞ使命全うしたものと、まず敬意を表したい。平成元年に島原で、天皇両陛下の植樹祭のお手伝いをしたことや、フランスの航空機コンコルドが人気だったとか、そんな時代もあったと、感慨深い。戦挙はみずものというが、2006年ごろだったか、武見太郎の子息で、議員だった武見敬三氏が任期切れ。比例代表で立候補した時に、演説会に応援参加した記憶がある。その時に、楽勝に思えたのに、落選してしまったのには驚いた。すぐ復活し現在は政界で活躍しておられるが、あの時の驚きの想い出は消えない。
【小説「アメリカの影・長崎の光」吉田秀夫】
 長崎天主堂は、1945年7月26日、終戦間際に米国の長崎への原子爆弾投下で、破壊された。語り手の「私」の母は、その時22歳。被爆した母は、純真高等学校を卒業したが、教会シスターにならず、信者として女学校の事務職をしていた。多くの犠牲者の出たなで、奇跡的に助かる。しかし、大やけどをした顔には、片目のふさがったケロイドの深い傷跡を残す。そのうちに米国の原子爆弾障害調査委員会(ABCC)の組織の米国人が来日。原爆被爆乙女24人を米国に招待。1年間かけて、その傷跡を直したという。読みながら心が傷つき、また少し癒された。伝聞によれば、マリア像も破壊し、その顔も激し損傷したが修復はされていないという。
【小説「稲妻と案山子」遠藤博明】
 「私」は、還暦をへてサラリーマンからリタイア。趣味のカメラマン生活に入る。すると妻から離婚届を渡され、役所に届けてほしいといわれる。娘がいるが、とくに異論はなさそう。そうした事情を背景に、波佐見町・鬼木郷の案山子祭りを撮影旅行にでる。そこで、案山子の服装をした死体に出会う。ミステリアスな軽い読み物として、大変面白いものになっている。文章力と構成もきちんとしていて、作家的な手腕が冴えている。
【「大東亜戦争論」藤澤休】
 世界帝国主義の時代に、西欧諸国との侵略競争に参加した日本の旗頭が、西欧列強の支配から、アジア諸国を開放する大東亜共栄圏の確立であった。それは単なる侵略の口実ではなく、その思想の実施を示した各国での日本軍の行動歴史を著者が選択して列記している。インドでは、1、日本兵を讃える歌(マニプール州マパオ)の章。マレーシアでの日本軍上陸に始まる歴史「日本軍コタバル上陸」が英軍の抑圧から解放したと、同国の教科書に記されていること。「マラヤ独立隊」の創設で貢献したこと。インドネシアの独立に支援した実績。ベトナムの独立に協力した日本軍兵士など、戦後日本の存在を認知して、友好を強める要因になっている。日本の行った戦争の内容の意味を、見直す資料になっている。敗戦国となった日本は、東京裁判という世界列強が、日本を壊滅させるための恣意的な判決で、国の再興を阻んだ。日本は世界の脅威でないことを強調するために、自虐的な精神を世界に示し、やっとその平和性を世界に納得させてきた。米国は戦後の日本の台頭をどれだけ阻止してきたか。中国は共産党の正当性を示す道具としての反日政策をとってきた。中国の日本評論のなかで、あれだけ悪逆非道な日本に対し、一部を除いて、多くのアジア諸国が反日でないのは、不思議と首を傾げている。歴史の内容と意味を考える良い資料であろう。まだまだ、取り上げたい作品が多いが、ネット紹介の長いのは読まれないので、このへんまでにします。
発行事務局=〒850-0918長崎市大浦町9-27、長崎ペンクラブ、田浦事務所。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2021年6月 8日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」(5月31日)朝刊=茶園梨加氏

題「苦境の先へ」
冒頭、小山内恵美「しょんなかもち」(「すばる」5月号)に触れる。
片山さとみさん『ひるこ様の海』(長崎文献社)、宮脇永子さん「馬吉」(「南風」49号、福岡市)
野沢薫子さん「ヒビ入ったグラス」(「長崎文学」96号、長崎市)、木下恵美子さん「イエスの足音」(「詩と眞實」864号、熊本市)、田中青さん「駆け引き」(南風」49号、福岡市)《」「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ》

 

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2021年6月 6日 (日)

日本農民文学会の公式サイトを知る

 その存在を知らなかった「日本農民文学会」のHPをみた。会員の杉山武子さんより、機関誌の寄贈をうけたので、これも読んで作品紹介をしようかと、おもって読んでいたら、すでにホームページが出来ていると知って、それを紹介する方が適切であろうと、思った。自分は、農民文学賞の選者に直木賞作家・伊藤桂一氏(生前)が加わっていた時期に、その受賞式風景をネットニュースに掲載していた。当時は、メディに扱われることが少なく、それを伊藤桂一氏が寂しがっていたので、自分がネットのPJニュースに発信していたものである。伊藤先生が選者でなくなったので、その取材をしなくなった。現在は、HPをみればすべての情報がわかるようになっている。運営者の若返りの様子がわかり、頼もしいものがある。

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2021年6月 4日 (金)

文芸同人誌「火の鳥」第30号(鹿児島市)

【「ANTGTA DOKOSA」稲田節子】
 貴彦とカオルは50代の夫婦。純平と美久という子供がいる。美久は多少の障害をもつ。この夫婦に、貴彦の他の女性への傾倒から、離婚するまでを描く。その間、あちこちに話が飛んで、話を散漫にしている。最近は、時代の傾向か、このような作風のものが少なくない。あれこれ話の軸を外しながら物語を進めるという、小説手法がうまれつつあるのかも知れない。作者の思い込みの強さの表れであるのかも知れないが、文学的な成果には効果的か、疑問に思う。
【「深淵の声明―ラスコーリニコフの心理学」上村小百合】
 ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの心理に焦点を絞り、深く掘り下げた濃密な純文学評論である。自分は、迂闊にしか読んでいなかったので、教えられることばかりで、その読みの深さに敬服した。1章で、ラスコーリニコフが獄中病気になり、熱に浮かされてみた夢の一部として、「アジアの奥地からヨーロッパに向け進む一種の恐ろしい、かつて聞いたことも見たこともないような伝染病のために、全世界が犠牲に捧げねばならぬことになった」から始まる、引用で、人類が少数の選ばれたる人々を除いて、ことごとく滅びなければならなかったーーという文章があることを指摘している。そして、特に現代を意識したものではなく、人間的な「意志」の個人のつながりのない孤立したものとして、滅びが起きるということを意味していると読める。自分は、この部分は読み逃してたが、ドストエフスキーの中期以降の作品群に感じる、人間観と世界観の絶望なかの光を求める内面の希求がここで読み取れるのかと、勉強になった。さらにマルメラードフについての解説は、有名な酒場での絶望的な告白を、もう一度読み直したい気持ちになった。
【「ベトナム南部・ダラットへの旅」杉山武子】
ベトナム旅行の回想記である。このなかで、林芙美子の「浮雲」のなかに、フランス支配下にあった、ダラットに行ったことが記されていることへの言及がある。その視線の冷ややかなところがあり、物書きとして、物事の本質をそのまま受け取る視線を会得しているように思った。モダン文学にあるもので、失ってはならない精神を垣間見されられた思いがする。
発行所=鹿児島市新栄町19-16-702、火の鳥社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2021年6月 1日 (火)

文芸時評5月(東京新聞・5・26夕刊)=伊藤氏貴氏

<「正しさ」と「多様性」>
朝井リョウ「正欲」(新潮社)/杉本裕孝「ピンク」(文學界)/西加奈子「体に関するエッセー」(文學界)/伊藤亜紗「セラフと新潟逃避行」(「文芸」ーもふもふ文学)/小山田浩子「心臓」(同)/朝比奈あすか「誰もいない教室」(「群像」5月号)。

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