文藝誌「浮橋」第7号(芦屋市)
【「摩耶の夜の記憶」尾崎まゆみ】
摩耶山付近の賛美である。――オテルド・ド・摩耶の夜のふかみに紫陽花のブルー天竺摩耶夫人――と,歌を詠んでいる。思いめぐらせば、自分の文学の師であった伊藤桂一氏が、東京から転居したのが、摩耶の名の付くホームであった。愛読者から転居先の問い合わせが多くあって、その住まいを教えると、「ああ、あそこですか」という人がいたので、著名な観光地らしい。
【「古伊万里」曹 達】
骨董品の店主が、500万といった伊万里焼を、350万まで勉強するなら買う、といって名刺をおいてきたところ、やがてそれで買ってください、といわれて、本当は幾らだったのだろうと、思案する話。さすがは芦屋族の雑誌である。本誌は表紙の次に中扉があって、表紙が関口啓子「美しき村・トゥルヌミール」という絵画、中扉は「摩耶山天上寺寄りの明眸」で、どれもカラーである。そのためか、美しい彩色の古伊万里の写真が2つある。おそらく、製本の時の事情で、このような面付けになったのであろう。面白いものだ。
【「両生類になりたくて」三浦暁子】
雑誌に書評を書いていたら、電子書籍の雑誌から、書評を頼まれたが、電子書籍のスタイルで原稿を届けなければならず、そのスタイルに当てはめるのに苦労する話。それを修得したので、紙も電子スタイルもできるようになったという。自分は、ケイタイスタイルの評論のようなものを書いたことがある。1回を200字にして欲しいというので、株投資の始め方や、知られざるデートコースなど、短い文章に区切って、送ったものだ。ライターも時代の要請で、パソコン技術が必要になることがわかる。紙とデジタルとの両生というのが面白い。
【「良寛落第」島 雄】
語り手は、退職して27年。朝起きると血圧測定と、ミルクとトーストの食事。かなり穏やかで安定した生活である。庭掃除のついでに、外周りも行った時に、パジャマ姿であったことに後から気付く。座禅修行のことや、良寛の会の話などあって、自分は興味深く読んだ。自分は、座禅で「金剛経道場」の流れの座禅会に参加したことがあり、禅の通じることには、興味がある。別のサイトで、指導者であった林天朗居士の縁で、大船の黙仙寺について、書いたら、その子孫のかたから、林天朗居士の著書を出版したと、銀座で行われた記念出版会に招待されたりした。本作は、良寛のようにはなかな生かきられないという。そうであるらしいと、先輩の教えとして納得した。
【「ロング インターバル」大西一誠】
夫婦というのは、子供の成長過程や、独立させたあとは、夜の営みがマンネリ化して、セックスレス化することが少なくない。そうした傾向のなかで、本作では、70歳を過ぎて、ひょんなことから愛情交渉が復活する話である。青春時代の欲望に任せた生殖行為の延長ではない、長寿時代の穏やかな愛と欲望にまつわる話である。これは、現代の夫婦のひとつのあり方を描いた、注目作品である。題材がいいので、革新性のある秀作に読める。もう少し物語性を強めたら良いとは思うが、問題提起の作品として、特記すべきものがある。
【「謝罪旅行」藤目雅骨】
木曾福島に「高瀬資料館」とかいう島崎藤村に縁のある民家資料館があるそうだ。事前知識がなく、訪問し、資料館運営者に迷惑をかけたというので、謝罪をしたいと、コロナ過に旅をするという話である。島崎藤村に関する知識がつく。興味深いのは、コロナ過における旅館の予約の過程のこと。今は高齢者の一人旅でも、受けつけてくれるらしい。もっとも、二人部屋の料金をとるところもあるらしいが。自分は、かつて年上の友人が一人旅は、部屋がとれない、というので、同行旅行をした記憶がある。本編は、文学の話がでるので、文芸的な旅行記といえる。
【「散人」小坂忠弘】
高齢者の排泄を題材にした歌を詠んだところから始まり、生活のなかの頻尿、便秘の症状を、手慣れた様子で語る。おまけに、MRIで脊柱管狭窄症と判断される。これには、自分も興味を持った。というのは昨年に、突然、脚の根元が痛くなって、普通に歩行ができなくなったからだ。整形外科で調べたところ、同じ病名を告げられたからだ。事情が異なるのは、そこで処方された薬を服用したところ、便秘どころか、下痢症状に悩まされて、苦しんだ。痛みは、短距離の歩行なら治まってきたが、杖が必要となった。似たような経験をしそうな人には、参考になる。
発行所=〒659-0053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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