« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »

2021年5月29日 (土)

文藝誌「浮橋」第7号(芦屋市)

【「摩耶の夜の記憶」尾崎まゆみ】
 摩耶山付近の賛美である。――オテルド・ド・摩耶の夜のふかみに紫陽花のブルー天竺摩耶夫人――と,歌を詠んでいる。思いめぐらせば、自分の文学の師であった伊藤桂一氏が、東京から転居したのが、摩耶の名の付くホームであった。愛読者から転居先の問い合わせが多くあって、その住まいを教えると、「ああ、あそこですか」という人がいたので、著名な観光地らしい。
【「古伊万里」曹 達】
 骨董品の店主が、500万といった伊万里焼を、350万まで勉強するなら買う、といって名刺をおいてきたところ、やがてそれで買ってください、といわれて、本当は幾らだったのだろうと、思案する話。さすがは芦屋族の雑誌である。本誌は表紙の次に中扉があって、表紙が関口啓子「美しき村・トゥルヌミール」という絵画、中扉は「摩耶山天上寺寄りの明眸」で、どれもカラーである。そのためか、美しい彩色の古伊万里の写真が2つある。おそらく、製本の時の事情で、このような面付けになったのであろう。面白いものだ。
【「両生類になりたくて」三浦暁子】
 雑誌に書評を書いていたら、電子書籍の雑誌から、書評を頼まれたが、電子書籍のスタイルで原稿を届けなければならず、そのスタイルに当てはめるのに苦労する話。それを修得したので、紙も電子スタイルもできるようになったという。自分は、ケイタイスタイルの評論のようなものを書いたことがある。1回を200字にして欲しいというので、株投資の始め方や、知られざるデートコースなど、短い文章に区切って、送ったものだ。ライターも時代の要請で、パソコン技術が必要になることがわかる。紙とデジタルとの両生というのが面白い。
【「良寛落第」島 雄】
 語り手は、退職して27年。朝起きると血圧測定と、ミルクとトーストの食事。かなり穏やかで安定した生活である。庭掃除のついでに、外周りも行った時に、パジャマ姿であったことに後から気付く。座禅修行のことや、良寛の会の話などあって、自分は興味深く読んだ。自分は、座禅で「金剛経道場」の流れの座禅会に参加したことがあり、禅の通じることには、興味がある。別のサイトで、指導者であった林天朗居士の縁で、大船の黙仙寺について、書いたら、その子孫のかたから、林天朗居士の著書を出版したと、銀座で行われた記念出版会に招待されたりした。本作は、良寛のようにはなかな生かきられないという。そうであるらしいと、先輩の教えとして納得した。
【「ロング インターバル」大西一誠】
 夫婦というのは、子供の成長過程や、独立させたあとは、夜の営みがマンネリ化して、セックスレス化することが少なくない。そうした傾向のなかで、本作では、70歳を過ぎて、ひょんなことから愛情交渉が復活する話である。青春時代の欲望に任せた生殖行為の延長ではない、長寿時代の穏やかな愛と欲望にまつわる話である。これは、現代の夫婦のひとつのあり方を描いた、注目作品である。題材がいいので、革新性のある秀作に読める。もう少し物語性を強めたら良いとは思うが、問題提起の作品として、特記すべきものがある。
【「謝罪旅行」藤目雅骨】
 木曾福島に「高瀬資料館」とかいう島崎藤村に縁のある民家資料館があるそうだ。事前知識がなく、訪問し、資料館運営者に迷惑をかけたというので、謝罪をしたいと、コロナ過に旅をするという話である。島崎藤村に関する知識がつく。興味深いのは、コロナ過における旅館の予約の過程のこと。今は高齢者の一人旅でも、受けつけてくれるらしい。もっとも、二人部屋の料金をとるところもあるらしいが。自分は、かつて年上の友人が一人旅は、部屋がとれない、というので、同行旅行をした記憶がある。本編は、文学の話がでるので、文芸的な旅行記といえる。
【「散人」小坂忠弘】
 高齢者の排泄を題材にした歌を詠んだところから始まり、生活のなかの頻尿、便秘の症状を、手慣れた様子で語る。おまけに、MRIで脊柱管狭窄症と判断される。これには、自分も興味を持った。というのは昨年に、突然、脚の根元が痛くなって、普通に歩行ができなくなったからだ。整形外科で調べたところ、同じ病名を告げられたからだ。事情が異なるのは、そこで処方された薬を服用したところ、便秘どころか、下痢症状に悩まされて、苦しんだ。痛みは、短距離の歩行なら治まってきたが、杖が必要となった。似たような経験をしそうな人には、参考になる。
発行所=〒659-0053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

| | コメント (0)

2021年5月28日 (金)

「第六回文学フリマ岩手<6月20日(日)>開催中止

  文学フリマの岩手が中止へ。

6月20日(日)「第六回文学フリマ岩手」開催中止のお知らせ (2021/5/28発表)・コロナ過のなか、文学フリマ事務局はこれまでよくやってきたと思う。

しかし。この情勢では、やむを得ないであろう。ここの多くの雑誌は、合評会をやらないのが多い。入場者の反応が直接わかるから、それ以上の評価判断は、必要ないのだろう。自分は高齢なので、見物にもいかなくなった。

| | コメント (0)

2021年5月26日 (水)

久保田正文先生を偲ぶ=難波田節子さん(「季刊文科」84号)

 かつて、雑誌「文學界」の同人雑誌評を行っていた評論家の久保田正文氏について、没後20年になると、難波田節子氏が「季刊文科」84号に追悼を文を寄せている。久保田氏は朝日カルチャーセンターで教室をもっていたそうで、難波田氏は、その教室に通い、その後、久保田氏が「季刊遠近」を主催したことで、学んできたといういきさつが記されている。久保田正文氏は、大森の馬込付近に住んでいたらしい。自分は、池上に住んでいた頃、「文芸研究月報」新聞を発行していた。池上梅園の近くに、文芸評論家の浜賀知彦氏(故人)が住んでいた。その時、久保田正文氏が亡くなる前に親しくしており、近くだから交流があったという。ある時、私の発行する月報に「文學界」の同人雑誌で取り上げられた作品、作家リストがあるのを見て、「ちょっとそれ貰えないか」という。いいですよ。でもなんで? と聞くと、そこにある難波田節子という作家は、浜賀さんが収集している同人雑誌によく出る作家のなのだだという。そして、その目録を作成中だという。《参照:浜賀コレクション関連 「戦後東京南部の文学運動」《関係雑誌細目》第9輯・浜賀知彦編著》その時は、なんで難波田さんが、東京南部の同人誌に書いていたのかが、不思議だったが、久保田氏の関係だったことわかった。こんなとを書いているうちに、彼女の新刊「遠ざかる日々」(鳥影社)が届いた。文芸評論家の勝又浩氏が、あとがき解説をかかれている。とにかく、家庭の出来事を気を逸らさず読ませる技術は秀でている。多くの人は、それを普通のように思うのは、結局、日本に家庭小説というジャンルがないためかもしれない。

| | コメント (0)

2021年5月24日 (月)

文芸同人誌「季刊遠近」第76号(横浜市)

【「西へ泳ぐ魚」小松原蘭】
 純文学的な作品で、「私」の視点で、小学四年のころ住んだ小高い団地から、そこから見下ろせる町なのであろうか、そこの町の住人になって1年になる。町は地図で見るといびつな星に見えるように川が入り組んでいる。そこでタイちゃんという上級生らしい少年に出会うが、転校してしまう。話の主体は町の雰囲気であるように思えるが、タイちゃんを心で追う私の心の風景が並列的になっている。雰囲気づくりは文章的に巧く表現されている。話の手順にイメージを浮き出させる手立てが緩い。西へ行くというのは、西方浄土を意味するのであろう。才気があるようだ。が、構成にたどたどしさがあるという印象である。とくに「私」が少女の視点から抜け出ていない。それなのに、大人の考えるような死の話を進めているのが、アンバランスなのだと思う。「そう思った」というのが、結びの言葉である。自分が小学生の頃、先生は、生徒に作文の終わりに困っている子がいたら、「そこはね。自分がそう思ったか感じたことを、と思った、と書くのよ」と教えているのを見ている。せっかくの文学的な作品を結局、作文にしてしまった失策、と自分は思った。
【「寒風」浅利勝照】
 安紀子は、総持寺で訳もなく倒れ気を失ってしまう。それから正月の三日に、亡くなった武田巧臣という男が夢枕に立つ話になる。それも二晩続いて夢にでて、身の回りの話をする。武田って誰? と思うが、居酒屋の経営者らしい。霊的世界との交流が、現世の続きのように語られる。それにしても、道元禅師の総持寺を引き合いに出すのは不似合のような気がした。
【「木漏れ日」花島真紀子】
 市の職員で、係長代理に昇進して間もない私には、娘の千恵がいる。千恵は、貿易商社に勤めたが、5年ほどして、怪しい男が、いつも狙っていると、言って、会社を辞め家に引きこもっている。私は、千恵が小さい頃に、夫と離婚し。ている。彼の方からの一方的な、べつの女と暮らすためだ。夫は、家と娘の養育費は、与えて去った。千恵の方は、次第に精神に変調をきたしていて、その介護に私は悩ませられる。そこまでは、読み通すとわかることで、作品では、私が、病院で意識を取り戻すことから始まる。その理由は、ある日、千恵が隣の家に人が、嫌がらせをしていると、思い込みバケツに水を持って、抗議に行動を起こす。それをやめさせようとているうちに、神経が混乱し、倒れて意識を失ってしまったことがわかる。ところがそうした事態になると、娘の千恵が、母親を病院に運ぶ手配をてきぱきとやってのけたらしいことがわかるのが面白い。「私」にすれば、夫の離婚を納得しないまま、行ったことが、千恵の幼少期の精神に悪影響を与えたのではないかと、罪の意識がある。その後、娘は精神の不調から脱するために、現代的な精神病院に入院することなる。こうした家庭では、さまざまな問題が存在するが、それに悲観することなく、それを人生の一部として受け入れていくという、「私」の姿勢が好ましく受け取れる。
【「薔薇の季節」山田美枝子】
 母親と若い娘のコミュニケ―ションのあり方を描きながら、その視線を若々しい娘の肢体において、眺める母と、娘は自分の恋人にしか興味を持たない関係が、描かれる。一種の中間小説的な面白さがある。「薔薇の季節」の題名でで、意味が読み取れるが、その香りはあまり強く感じさせない。
【書評―読書感想文「わら草履-下澤勝井」難波田節子】
 下澤勝井という作家の「わら草履」という掌編小説集の内容紹介がある。昭和初期の戦争の時代の田舎の暮らしを描いたものらしい。下澤氏の名に記憶があるので、さがしてみたら「土曜文学」の創刊号の記録があった。どうして記録したかわかは、今はいきさつを覚えていない。《参照:同人誌「土曜文学」創刊号(東京・昭島市)発行日=050401》。
発行所=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

| | コメント (0)

2021年5月18日 (火)

全国同人雑誌協会の設立

 文芸同人誌案内掲示板に、わだしんいちろうさんの投稿がある。《参照:”全国同人雑誌協会”設立にあたって私のおもうこと 》以前からの同人誌会とのつながりから発進するらしい。文芸同志会に寄贈されてきた雑誌を読んで紹介してきた経験からすると、同人誌の本質は、雑誌発行経費を同人たちがが少ない経費で発行できるメリットが主で、会員増がそのまま読者の拡大につながることである。どんなつまらない話でも、会員だけは読んでいる。ほかの多くには読まれない。それでは、あまりにもさびしい。そのため、せめて同人雑誌に参加する人同士のなかから読者を増やす一方策であるのだろうか。それもいいが、現在の同人誌のなかで、廃刊や休刊にあい、新たに書く場所を求める人に、その地域の既存の同人誌を紹介するような機能も求められる。当会の紹介文を読んで、入会希望を申し込んだという人もいる。現実は、厳しくて入会できなかったという話もある。いわゆる、自分の同人会の維持に不似合か、作者の引き抜きを警戒してのことであろう。そう考えると、その道は広くはない様に思える。もともと存在感が薄くなりつつある同人誌だから、現状変革に役立つかも。自分も多くの作品を読んで、書き方の欠点をみても、それを指摘するのは、作者にすれば大きなお世話であるにちがいない。では、どうするか、考えるばかりである。

 

 

| | コメント (0)

2021年5月16日 (日)

文芸同人誌「弦」109号(名古屋市)

【評伝「茶聖・千利休・自裁の謎」久野治】
豊臣秀吉に重用された千利休が、やがて秀吉不興を買い自死に追い込まれた史話は、有名だ。しかし、その具体的な理由は、いまだに不明で、諸説あるそうで、いくつもあるその説を簡略に解説して、いちばん読みごたえがあった。これを記した意図も明らかで、作者による著書「茶人伝」(中日出版)と「千利休より古田織部へ」(鳥影社)を読めば、その詳細が理解出来るというのである。そのためか、気力溢れた表現力で読む気にさせる。
【エッセイ「スーチーさんの国のガイド」加納伸】
 いま、ミャンマーで軍事クーデターにあい、軍部に幽閉されている、アウンサン・スーチー氏の、あまり語らえない過去が語られている。国際平和賞を受賞しながら、解決の難しいロヒンギャ問題で、軍部との妥協で、するべきことをしないと、それを取り消されたこともる。政治的な妥協の勘所を知らない、知識人の判断のかたくなさに、スーチーに同情を禁じ得ない。それほど妥協したにもかかわらず、クーデターを起こされるとは、政治の難しさである。これで儲けるのが中国などの武器輸出商人である。諸外国の利益が絡んで政変を助長する。
【エッセイ「どうしてこんな国に^母性からみた性教育」有馬富美子】
 ――子供を産んで殺して埋めた。その足で会社の面接に行った。――この表現で、書き手の怒りが伝わってくる。哲学者の三木清は、怒りは、その人の高貴にする。尊厳を高めると書いている。作者は、その要因が、性教育の質的低下にあると主張。たしかに、そうであるが、その前に、社会的な人間関係の歪みから生まれた面がある。それは国民の精神的なゆがみであり、それが国を歪ませている。世界中の国で、社会の底が抜けている時代になった。
  これで、紹介は終える。作品はすべて読んだが、考える時間が長くて迷った。一部の例外を除いて、あらすじが紹介しにくいように思い、迷いが生まれる作品が多い。コロナ禍で、落ち着いて焦らず、よく書いているとは思うが、その分勢いが読み取れない。活き活きと生きていることを示してほしいところがある。
発行所=〒463^40013名古屋市守屋区小幡中3-4-27、中村方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

| | コメント (0)

2021年5月11日 (火)

文芸同人誌「北狄」第394号(青森市)

【「九十四の悲劇」笹田隆志】
 専門的な物理学的知見から、核分裂の仕組みを解説した教材のようなものを物語化したので、通常では概念でしか伝得られていないものを、順序立てている。その一部を抜粋してみた。《参照:笹田隆志「「九十四の悲劇」で核分裂の詳細「北狄」394号》最近は、地震のたびに核発電所の様子が、報道されるようになったのは、進歩であろう。ただ、単に被ばくということでも、体外と内部被曝があって、内部被曝の影響はすぐには出ない。核反応でいろいろな放射線が出ていることを記す部分を抜粋した。その種類によって、それぞれ人体への影響の仕方が異なる。発電所の配管の事故は珍しくないが、ニュースなどで、放射線被ばくの問題はないーと報道があるが、それはわかっているその時点だけでの話である。本作は、文芸同人誌作品の社会的知見を披露する場でもあること示している。
【―山のあなたの海の彼方①「父の涙」高畑幸】
 土地の風土と父と息子の関係が描かれている。穏やかな家族関係が読み取れる。
【「鯉供養」渋谷萬作】
 これぞ農民文学という感じの秀作である。話は、悠造という高齢者の農家人の具体的な仕事ぶりを描くことで、農家の仕事の詳細を知らされる。圃場整備事業というので、農地を区分けし分担金を払う仕組みや、きのこ萢(やち)という湿地帯があって、いかにも茸がとれそうである。シドという水場から田に水を引いて作物を育てる。田植え機、トラクターを使いまわす。その様子が細かく描かれ、詳しく書くとこんなにも面白く読めるか、と驚く。話はそれだけではない。そこに鯉の群れが集まってびしゃびしゃと音を立てるのを悠造は見つける。それを見たら、その鯉を捕まえたくなって、捕獲しようとする。最初は、うまく行かないが、網をもって三匹捕獲し、セルロいどの容器に入れる。奥さんの無関心な非協力的な態度が面白い。だが、悠造は、料理しないで、置いておくだけなので死んでしまう。これは、ありそうであるが、奥さんが見た通り料理するか、どうかすべきであったが、ただ捕れそうな鯉を見たから、捕りたくなったという、目先の欲望に従ったための不合理な結果である。そこに話の理解出来る面と、不合理さの意識から罪の意識が生まれ「鯉供養」となるのである。欲望の力とその不合理な側面を明確に描いた点で、最先端的現代小説にもなっている。すごい作品である。
【「そのとき麻子は(二)秋村健二」】
 日本の村社会の構造とその家族制度を浮き彫りにした作品に読めた。
【「ごめんどうをおかけしまして」青柳隼人】
 90歳を過ぎた母親を施設にいれて、そこを子供たちが訪問する。やがて、その施設で母親がなくなるまでを描く。その母親が、認知症になっていて、なにかというと「ごめんどうをおかけしまして」と口癖になっていうのである。同様の経験がある人は多いのであろう。言いたことを記録しおくという作者の心情が良く出ている。ただ、小説的にするには、異なる事例の親の老後を見る家族の姿を並べないtと、小説として自立しにくいのではないか。
【「禁断の鐘」高森ましら】
 おそらく若い人の作品であろう。独自の自分だけの創造的世界を作り上げ、その世界のルールに従って、登場人物の物語が進む。いわゆる「世界物」というジャンルである。カラシナ国のスメル島という世界のお話。自分はそれを理解するのが不得意で、舞台となる世界を理解しようとする努力だけで、力から尽きた。
発行所=〒038-0024青森市浪速館前田2-14-2、北狄社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

| | コメント (0)

2021年5月10日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」(4月28日・朝刊)=茶園梨加氏

題「別の自分」
冒頭、福岡出身の櫻木みわさんの小説「コークスが燃えている」(「すばる」4月号)より井出川泰子さん『火を産んだ母たち 女抗夫からの聞き書き』(1984)を紹介。
黒木日暮らしさん「山菜採り」(「龍舌蘭」202号、宮崎市)、森美樹子さん「今年の夏」(「第八期九州文学」575号、福岡市)
「第八期九州文学」575号の野見山悠紀さん「塔」、「龍舌蘭」202号の渡邉眞美さん「もくもくもくもく」
「九州文学」八期の新編集長だった中村弘行さんの遺作「サヨナラはもう言わない」(50号掲載)

「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ。》

| | コメント (0)

2021年5月 5日 (水)

核兵器と核発電の無駄。

 コロナ禍で図書館の滞在時間が30分ぐらいにして、といわれるようになった。仕方がないので、Youyubeを見ている。これも時間がかかる、そこで、それらをテーマ別にみて記事にしてみた。日本の置かれた立場を少しでも理解できるようにである。こういう情勢で核兵器が何の役に立つのか。《参照:中国が台湾半導体工場支配を狙う?国際的反発連合の動き》。核兵器を使ったら一帯を核汚染してしまう。核発電所の存在も同じである。世界でがん患者を増やしてしまうのだ。まずは、核兵器廃絶が必要だ。実は中国情報は「石平」氏の情報が新しく、面白いが、今回は、立川正吾氏のものにした。立川氏は、阪神淡路大震災の後の、崩壊している企業の事業再生で辣腕を振い企業救済をした。マンガ「なにわの金融道」のモデルになった方だ。じつは自分はフリーライターとして2年間、機関誌発行を伝った。ことがある。高額で事務所から高すぎると、いわれていたが、会長は値切ることはしなかった。じぶんも、値切られたら、仕事を断るつもりであった。立場が違うので、親しくはなかったが、それだけの価値のある情報を提供した記憶がある。

| | コメント (0)

2021年5月 4日 (火)

文芸同人誌「澪」第17号(横浜市)

 本号には、石渡均氏の評論「七人の侍」(黒澤明監督)とマンガ「ねじ式」(つげ義春)という映像関連の比較芸術論の後編があるので、前号に続いて暮らしのノートITO《黒澤明とつげ義春の芸術比較論(石渡均)=「澪」誌(横浜)
に、その一部を示した。これらは雑誌を求めて、全文を読んでもらうための手段であるから、引用が不十分でも仕方がない。自分が、なぜつげ義春を印象的に思ったのは、下水道に閉じ込められた「山椒魚」の話を読んだ時に、その感性が思想性をおびている。これはマンガで小説の純文学的成果を挙げたものではないか、と記憶があり、この切り口の後継者が今後出現するのではないか?という予感があったからだ。つげ義春の評論も少なくないであろうが、黒澤明の「七人の侍」との比較というのが、意外である。ここに、石渡均氏の映像に関する思想と感性の独自性があると思う。実は、つげの義春の後継現象は、コッミクの世界で、すでに存在していると、思っている。これは、文学フリマ東京で、文芸同志会員・山川豊太郎の漫画評論(「芦奈野ひとし『買い出し紀行』試論、「志村貴子『放浪息子』、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」などをテーマにしている)を販売したところ、たちまち売り切れたことがあった。購入者にいうのには、コミックの評論は少ないのだという。「新世紀エヴァンゲリオン」評論なども、この系統であろう。
【小説ショートショート「眠れる夜のアンソロジー」鈴木容子】
 人生経験が豊富なことがわかる多彩な掌編集である。どれも。身近なところから出発して、内容的に長く説明したくなるところを、読者に想像させる表現技が見事。「長い夜」と「口を開けて眠るのだろうか」は、切れ味の良い中編小説なみの内容である。
【フォトエッセイ「竜飛」/私だけのYOKOHAMA「人生を変えてくれた街」/小説「怪鳥」-んねぞう】
 三作とも同じ作者で、どれもエネルギーに満ちていて、頼もしい表現力である。太宰治の故郷「津軽」のスチールは、寂しい風景に人の見つめる気配がにじんだ風情がある。横浜のエッセイは、自分もいろいろな思いのある処で、共感するものがある。ここに横浜サウンドというオーディオショップがあって、樋口社長が、「満員電車に乗るのが嫌で、商売人にになった」という話を聴いて思想家だと思ったものだ。「怪鳥」は、明日を信じる夢想家の自画像かも知れないと、思わせるところがある。
【緊急報告「羽田低空飛行路の悪夢(3)」柏山隆基】
 羽田空港の離着陸の方向変更が、品川区や港区の市街地の上を低空飛行することになり、反対運動が起きている。その事件を、フッサールなどの哲学的な見地から解明しようとしているようだ。実は、羽田の地元、自分の住む大田区でも騒音などで、反対運動がある。この問題を区議会議員に問いだしたら、区ではどうしようもなく、都議会から国会まで上げていかないと、どうにもならないという。自分はマルクス系なので、国家権力から疎外された事件とみてしまう。東京上空が米軍の管理にあるということで、羽田の発着回数を増やすために、米軍から空路使用範囲を広げてもらった結果、その範囲で増便する結果らしい。この論で、フッサールの認識論のなかに、「生活世界」という概念があることを説いている。知らなかったので勉強になった。自分は、4度目の転居で、今は多摩川を挟んで、向かい側の川崎市が見える川に近い共同住宅にいる。コロナで、航路が空いている飛行路のはずなのに、航空機の騒音があるのである。住民に騒音に慣れてもらうために、やっているのか、と勘繰りたくなる。
【写真「鈴木清美作品集」鈴木清美】
 ブログにあるカラー写真で数々のコンテスト受賞作が見られる。本誌では「のこんの月・残月とカラス」が、すごい。見事。
発行所=〒241-0831横浜市旭区左近山157―30、左近山団地3-18-301、「澪の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

| | コメント (0)

2021年5月 3日 (月)

汚染水か処理水か?風評被害か風評加害か?

 青木理氏が、事故原発のデブリを通ったあと、放射性物質をアルプスで除去し、トリチウムだけがのこっているようにする予定の地下水を、汚染水と表現したことについて、処理水と言わないと非難があるそうだが、実際はトリチウム以外の全ての有害物質が除去されたとするのはまだわからない。政治家や原子ムラの人は処理水としたい願望であろう。ジャーナリストの青木氏が汚染水というのは、間違っていないと思う。それが事実でないという証明は、どこでわかるのか。東電や環境省はデータを出して示すべきであろう。少なくとも今は汚染水状態であるから、保管しているのであろう。

| | コメント (0)

« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »