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2021年4月21日 (水)

文芸同人誌「文芸中部」第116号(東海市)

【「雲の行く末」堀井清】
 アパート住まいの高齢者である「自分」は、同じアパートの80才位の内海という男と時間つぶしに合っている。語り手は、60年前に地元の信用組合に勤務している時に、肥田という男に使い込みの冤罪を仕掛けられ、人生を狂わされてしまった。そこで、情報を集めてかれの住まいを突き止め、尋ねて行く。すると、彼はなくなっており、奥さんに会う。信用組合の昔の同僚だったと告げると、夫人は「夫は、信用組合に勤めたことはない」と言い切る。そこで、彼に人生が夫人に虚偽を言って、積み重ねた人生を送っていたことを知る。語り手の自分も、相方の内海も息子と縁が切れて、所在が分からない孤立老人でることがわかる。この人物は、人生航路を生きぬいてきたことを暗示して、事情は想像力に任せる仕掛け。結果的に孤独になり、生きる欲望を探して目的化しようとする男の晩年。どこかに居そうでいない、人物像を平均化した視点で眺めている。とにかくもっともらしい仕掛けをよく思い付くものだ、誰かがどこかで、経験しているような人生の有様を描き、興味深く読ませられる。
【「サウスウエストホスピス」北川朱実】
 音楽療養師の涼子は、海と畑の見える緩和ケア施設での勤務を頼まれる。そこで、肺のがんが、胃と肝臓に転移した新入患者の担当をさせれる。余命いくばくもない人間の末期の姿を丁寧に描く。目新しさはないが、死と向き合った人間像を描いて納得のいく作品。
【「遅咲きの薔薇」朝岡明美】
 1960年代の、全学連から始まった政治闘争にまきこまれたが、深入りするほどの新年もできておらず、まだ精神成長をしている時代に、主人公の目を通して、裕福で教養のる気位の高い女性と暮らしを共にし、女の人生の一断面を目撃し学ぶ。小説のテーマには、「この人の生き様を身よ」とするものがあるが、この作者は雅な人生を好むようで、その意味で一つの夢物語としてのロマンがある。
【「『東海文学』のことどもから(9)」三田村博史】
 「東海文学」同人誌時代の江夏さんという作家の交際した川口松太郎、和田芳恵、安藤鶴男、瀬戸内晴美こと現在の寂聴など、著名人との交流記もあり、当時は文壇との距離感の近さなど、作家への道が夢にあふれたものに見えた雰囲気がよくわかる。三田村氏の長編小説が出版社から相談があったなどの事情も分かる。文芸同人誌作品と、有名文学賞と並べて話をする人達が存在する理由も理解できる。
【「北からの生還」本興寺更】
 時代小説で、榎本武揚の函館新政府革命に参加し、敗北。江戸にもどって、日々の生活に追われる武士たちの姿。敗北感とプライドの残滓が、柔軟な思考を妨げる様子が描かれ、読み物として、大変面白い。歴史小説が欲しい雑誌があれば、売れそうな気がする。
【「音楽を聴く(86)チャイコフスキー交響曲第六番『悲愴』」堀井清】
 毎回、楽しく読ませていただいている。前半は名曲鑑賞記で後半は、文学賞受賞作家の作品鑑賞記である。余談であるが、読むたびに思い出すのは、北一郎筆名時代に、DENONブランドPR誌に「キミの街のオーディオショプ」というシリーズがあって、クライアントから、名古屋無線という電気店があるので、その訪問記を依頼された。新幹線で日帰りの仕事であった。オーディオ専門店の試聴室紹介欄なので、ある程度のものがあると思って、店の特徴特長を聞くと、看板に、相撲の絵がかいてあるというのである。とにかくオーディオマニア向けの記事に無理に仕立てた。出来上った頁をみて、そこの販促営業マンが「よかった。やっぱり北さんは、なんでも作れるんだよね。前の人は、電車賃をかけていったのに、書けないというんだ。経費の無駄だったからね」とか、言ったのにはあきれたものだ。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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