物語の効用について
最近のTVCMでは、宣伝対象品に関する何かのストーリーを映像化したものが多い。これは最近だけではなく、昔からあったもの。例えば、企業の連続性で、世界で。老舗企業が一番多いのが日本だそうである。たとえば、社名の由来で 富士電機というのは、まず古河鉱山があって、そこから古河電気工業が生まれた。その後、古川電気がドイツのシーメンスと提携して、古河電気工業の「ふ」と設立時に技術提携をしたドイツのジーメンス・AGの「じ」を一音ずつ取った。 漢字は富士山をイメージできるところからこの表記となったという。そこから、通信部が独立し、富士通信機が出来た。この話は、企業資本の連続性を示すものとして、有名だが、これはその物語性があるので、知れわたったものであろう。覚えて印象に残るのが、物語である。自分が、若い頃は、富士電機の家電製品の宣伝もしたことがある。その後、何かの折に、偉くなった社員に何を作っていてるのか、と聞いたら、海外で森林伐採の自動木こり機をつくっている、ときいて驚いたこともある。その後、地熱発電機などで海外市場で活躍しているようだ。また、電気炊飯器を実用化したのは、東芝の家電部の山田正吾という人である。これの開発物語も当時は有名であった。現在、北一郎の名で「時代漂流録」を書いてるが、この時代はクライアントに物語化が気に入られないと、採用されない。その発想は、いまのお笑いと同じで、コピーライトもまず掴みができていないと、採用されない。芸人の芸と同じである。同人雑誌作家のなかで、よく文壇に目がないというような感じの話をする人がいたものだが、そこの前提には、出版編集者に気に入られれば、本がだせるのに、という意識があるようだ。しかし、実際は、そうではなく、編集者が本にしたくなるようなものを書けば、本にできるのである。文芸といっても、芸術家になるか、芸人になるかの志の違いが方向性を決めるのではないだろうか。
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