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2021年4月30日 (金)

文芸同人誌「メタセコイア」第17号(大阪市)

 本誌はなぜか、去年12月の発行のものである。沢山届くので、読み残しがあったらしい。時折、整理したつもりで、間違って廃棄してしまうことがあったらしく、読む順番は、訳がわからない状態だ。
【「寡黙な拳」南田真】
 ボクシングが題材で、作者はジム経営の実情をよく知っているらしく、無知な自分には、興味深く」かつ面白く読んだ。まず、筆致に力がみなぎり、パンチの効いている。印象が強く残る。とくに、才能のある新人ボクサーの試合の描写は、迫力がある。まるで、マンガのシーンか、映画の「ロッキー」のシナリオのような実像を追うイメージがある。娯楽的な面でも読ませる。しかし、小説としては、人間的な性格描写や話のアヤが単純で、構成に不満が残る。ただし、同人誌の作品は、のんびりとちょびちょびと書き進む生気の少ない作品の多い中で、その異色さが目立つ。自分は娯楽モノを書くのだから、どう面白く表現するかを考えれば、ありきたりでも、ないよりましなのではないか。
【「二百八十日のマリア」よしむら杏子】
 「まひる」という新聞社に勤める女性の、身辺生活記である。熱意をこめて、女友達との関係や男関係を、だらだらと書き記す。無駄な話が多いが、起業家になった女友達が、商売心でしばしばLAINで連絡してくる。面倒に思いながら義理で応対していたら、後になってそのことが彼女の励みなったと本人から知らされる。この話だけが際立つ。作品評としては同じ境遇の女性ならば、身に沁みる話かもしれない。しかし、門外漢の自分には、何に拘って書いているかがわからず、伝わるものがない。
【「多美子の流儀」中原なも】
 多美子という主婦の生活日誌的な話からはじまる。息子がいてなかなか反抗的であるが、ラップで母親を揶揄したりする。それに腹を立てながら、息子の才能に感心するところなどは面白い。読み進めるうちに夫が外出先で浮気をしているという告げ口がある。気がかりである。疑惑を持ちながら、外出する準備をしている夫に、水を飲むように仕向ける。夫は、それを飲んで出かける。彼女はそこに下剤をいれておいた。その後の経過の見るところで終わる。面白く微笑ましい。もうすこしスピード感がある文章展開なら、なおいいかも。
【「鳴子百合」多田正明】
 80代を過ぎた叔母は、父の9人兄妹直ぐ年下の妹であった。子どもに恵まれなかったが、気丈な性格で、立派な体格をした郵便局長をしていた叔父を常に尻にしいているようであった。「カカア殿下」であったが、叔父が亡くなって30年以上。老人ホームにいる。その叔母からが昔もらった鳴子百合の生育状態と、叔母に会って感じた時の流れと儚さを語る。百合の話の細部以外は、紹介しても退屈するだけ。それが、読み通せるのは、作者の人となりがにじみ出た、素朴な文章による。
【「時の減失」桜小路閑】
 登山をして、高いところから転落、意識を失った。それが、回復して病院で意識が戻る話。時の減失という表現が、当たり前すぎて苦笑させられる。
【「おっさん」マチ晶】
マリエというカノ女が、中身が「おっさん」で、女の皮をかぶっているような感じがしだしたらしい。寓意小説らしいが、自分は「おっさん」というのがどんなものか、判らない。よく理解できなかった。
以下は、目が疲れたので省略。
発行所=〒546-0033大阪市東住吉区南田辺2-5-1、多田方、「メタセコイアの会」
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。

 

 

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2021年4月28日 (水)

文芸同人誌「駱駝の瘤」通信21(福島県)

 本誌は、原発事故被害にある福島県住民の現地報告など、当事者のレポートなどが毎号あり、その事情を知ることができる。都内での情報取集している関連事項があるので、繰り返して、情報発信するため、「扉の言葉ーフクシマ」(鈴木二郎)を暮らしのノートITO《参照:福島現地の思索「駱駝の瘤」通信21号に読む「内部被曝」》などで、話の手がかりにしてみた。目次を記しておいたのは、今後も機会があれば、本号を手がかりに、さらに記事化してみたいと思うからだ。福島の事故のことは、事故処理水の海洋放出でも問題になるように、本来は核兵器開発とならんで、世界のどの国でも起きている、地球汚染の問題であることを、再認識したい。しかし、暗い話ばかりしていても生きるための面白さに欠けるので、一般記事の合間に活用させてもらいたい。
【「農を続けながら…福島」五十嵐進】
 現地の高校の授業活動で、原発稼働に発生するトリチウムなど、核汚染物質の危険性について、誤解を招くような、洗脳教育につながるようなことが行われているという話である。国策を正当化するために、事実を把握することをさせないのは、罪深いことだ。さまざまな事情があるにしても、事実を知ることを、重要視したいものだ。
【「ハンセン病雑感(二)武田房子」
 1979年に10月29日に東村山にある多磨全生園を見学した記録である。全生園というのがあるのは、何かで知っていたが、詳しいことは全く知らないので、読んで驚くことばかりである。見学した実態のことや、電車の忘れ物にお骨があるという普段は不思議に思うことが、なるほどそうなのか、とそれぞれに事情があることもわかる。よくぞ見学をし、書き記したものだと、深い感銘を受けた。
【「連鎖するもの、響きあうもの、そしてすれ違うもの」きつねいぬ】
 福島ならではの小説で、軽快な筆致で、読みやすい。地域にかつてプラスチックを廃物利用する発電所を作る計画があり、登場人物の祖父が反対で建設できなくなったが、今度はバイオマス発電所をそこに造る計画が持ち上がる。建て前は、グリーン対応で、良よさそうであるが、問題多々あるのがわkる。プラント建設と地元の人々の関心、条件への検証など、登場人物たちの行動をさりげなく示す。もし、福島原発の建設時に、このようなやり方で検証していたら、どうなっていたのかなど、考えるヒントを示している。プラント建設の利権者の姿が不明であるが、そこを省略することで、問題提起をシンプルにしているのが特長。
発行所=福島県須賀川市東町116、「駱駝舎」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2021年4月23日 (金)

オーディオと音楽文化

 フリーライター時代に、仕事が途切れなかったのは、マーケティング調査のための取材が多かったからだ。だから、あまり書くことが少ない。いつもメーカー側、企業の内部の市場戦略にかかわっていたからだ。大手新聞記者や雑誌記者をが企業をどう思っているか、とか政治家との関係がどうようであるかなどの状況は、自然とわかってくる。当時、N経紙では、新人記者を企業の広報部に行かせて、新製品などの情報を取材させていたようだ。彼ら業界の知識がなく、製品のスペックや業界シェアなどで、よく間違った数字を書くそうで、販売店から誤解されたということもあったらしい。広報のひとが、「やれやれ、また少年隊が相手か」と、疲れたようにいったものだった。また昔、荒船清十郎という政治家がいた。家電製品でテレビやステレオのキャビネットの業界の支持を受け、新幹線の駅をつくったりして有名であった。よく親しくするように言われたが、自分は距離を置いた。学生時代の交流もあったし、(彼らの歴史観が余りにも、非論理的なので全学連の運動ビラの原稿を直してあげただけで、実際の活動はなかった。それでも、官憲のスパイに密告された気配があった)。その時に、自分は革命家ではなく、革命研究家だと説明して、丸く収めた?ように思う。自分はオーディオの世界と市民の音楽文化の浸透について、書きたかったが、それが少ししかできなかったのが、心残りといえば、そうだ。そういえば、業績不振で上場廃止になりそうなオンキョウというメーカーは、五代家が創業した。かつて松下幸之助が、奉公勤めした会社だったらしい。そのため、松下電器との付き合いには複雑なものがあったとか、きく。今は昔の話である。《参照:時代漂流録(5)オーディオパーツ生まれの御三家

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2021年4月21日 (水)

文芸同人誌「文芸中部」第116号(東海市)

【「雲の行く末」堀井清】
 アパート住まいの高齢者である「自分」は、同じアパートの80才位の内海という男と時間つぶしに合っている。語り手は、60年前に地元の信用組合に勤務している時に、肥田という男に使い込みの冤罪を仕掛けられ、人生を狂わされてしまった。そこで、情報を集めてかれの住まいを突き止め、尋ねて行く。すると、彼はなくなっており、奥さんに会う。信用組合の昔の同僚だったと告げると、夫人は「夫は、信用組合に勤めたことはない」と言い切る。そこで、彼に人生が夫人に虚偽を言って、積み重ねた人生を送っていたことを知る。語り手の自分も、相方の内海も息子と縁が切れて、所在が分からない孤立老人でることがわかる。この人物は、人生航路を生きぬいてきたことを暗示して、事情は想像力に任せる仕掛け。結果的に孤独になり、生きる欲望を探して目的化しようとする男の晩年。どこかに居そうでいない、人物像を平均化した視点で眺めている。とにかくもっともらしい仕掛けをよく思い付くものだ、誰かがどこかで、経験しているような人生の有様を描き、興味深く読ませられる。
【「サウスウエストホスピス」北川朱実】
 音楽療養師の涼子は、海と畑の見える緩和ケア施設での勤務を頼まれる。そこで、肺のがんが、胃と肝臓に転移した新入患者の担当をさせれる。余命いくばくもない人間の末期の姿を丁寧に描く。目新しさはないが、死と向き合った人間像を描いて納得のいく作品。
【「遅咲きの薔薇」朝岡明美】
 1960年代の、全学連から始まった政治闘争にまきこまれたが、深入りするほどの新年もできておらず、まだ精神成長をしている時代に、主人公の目を通して、裕福で教養のる気位の高い女性と暮らしを共にし、女の人生の一断面を目撃し学ぶ。小説のテーマには、「この人の生き様を身よ」とするものがあるが、この作者は雅な人生を好むようで、その意味で一つの夢物語としてのロマンがある。
【「『東海文学』のことどもから(9)」三田村博史】
 「東海文学」同人誌時代の江夏さんという作家の交際した川口松太郎、和田芳恵、安藤鶴男、瀬戸内晴美こと現在の寂聴など、著名人との交流記もあり、当時は文壇との距離感の近さなど、作家への道が夢にあふれたものに見えた雰囲気がよくわかる。三田村氏の長編小説が出版社から相談があったなどの事情も分かる。文芸同人誌作品と、有名文学賞と並べて話をする人達が存在する理由も理解できる。
【「北からの生還」本興寺更】
 時代小説で、榎本武揚の函館新政府革命に参加し、敗北。江戸にもどって、日々の生活に追われる武士たちの姿。敗北感とプライドの残滓が、柔軟な思考を妨げる様子が描かれ、読み物として、大変面白い。歴史小説が欲しい雑誌があれば、売れそうな気がする。
【「音楽を聴く(86)チャイコフスキー交響曲第六番『悲愴』」堀井清】
 毎回、楽しく読ませていただいている。前半は名曲鑑賞記で後半は、文学賞受賞作家の作品鑑賞記である。余談であるが、読むたびに思い出すのは、北一郎筆名時代に、DENONブランドPR誌に「キミの街のオーディオショプ」というシリーズがあって、クライアントから、名古屋無線という電気店があるので、その訪問記を依頼された。新幹線で日帰りの仕事であった。オーディオ専門店の試聴室紹介欄なので、ある程度のものがあると思って、店の特徴特長を聞くと、看板に、相撲の絵がかいてあるというのである。とにかくオーディオマニア向けの記事に無理に仕立てた。出来上った頁をみて、そこの販促営業マンが「よかった。やっぱり北さんは、なんでも作れるんだよね。前の人は、電車賃をかけていったのに、書けないというんだ。経費の無駄だったからね」とか、言ったのにはあきれたものだ。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2021年4月20日 (火)

町工場の時代性を追ってみた。

  ネットニュースに多いのが、誘導や特定の利権者のための傾向記事である。だいたい対象となるのは、けなしてイメージを落とすものである。そういうのは、なにかをけなしが書いてあればいいので、たいてい短い。また、読者の多くは、考えるのを嫌うので、ちょうどよい。炎上したり、だれだかわからないが絶賛したというものも多い。非論理性が強い。そんな傾向ならと、街の誰でもが書ける「街中ジャーナリズム」を同人誌に掲載することを推奨し、実行してきた。また、経済雑誌に寄稿することも一手法であるが、大体が長さ制限があって詳しく書けない。今回の暮らしのノートITOの記事《参照:トキワ精機の持続可能なモノづくり思想が東京新聞に》は、街中ジャーナリズムの精神で、自由に長く、専門的な話を同人誌に書いたものが新聞の記事になったもの。同じ話題でも、新聞だと、この程度である。短い。それでも、このサイトの記事が、なにかのきっかけになってくれたのではないかと、喜びたい。同人誌「砂」というのは、書き手がいなくなって休刊となったが、本来は文芸同志会が継続するつもりであった。一人同人誌でもいいから作って、文学フリマ東京で販売する気であった。ところが、コロナ過で、自分は高齢者なので、参加をとりやめた。さらに、脚が不自由になり、活動ができなくなったことから、いまは活動停止している。

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2021年4月18日 (日)

真善美の価値観と罪悪について

 最近、小室という人物について、批判や悪評をばかりが、ニュースになっている。これはニュースなのだろうか?人間の価値観の基本は真善美とされてきた。自分はこれらのことをいいふらすことが、真でもなければ善でもない。ましてや美しい行為であるとは思えない。醜く罪悪とする感情をもつ。情報拡散者はお金の欲から、罪深いことをしていることすらわからない。無明の中にいる罪人に思える。事情が分からなくても、やってることの罪深さは判断できる。日本人はゆがんだ価値観のなかにあると理解できる。

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2021年4月16日 (金)

何を書けばいいのかな。

 いま、同人誌「文芸中部」を読んでいる。なかなか充実していそう。もうひとつ、ウェルベック「せロトニン」をよむ。現代世界の行き詰まりを実感させる。悪口文学も深みを帯びてきた。この方向での読書視点で、紹介してみるかな。それと「澪」が到着した。石渡均氏の黒澤明とつげ義春の評論を楽しみにしていたら、それに興味を示す情報がなかったらしい。考えてみれば、つげのマンガを知る人は多くないはずだから仕方がないか。ぼくはマンガの新世紀エヴァンゲリオンを評論に入れたら、変人扱いされた。でも売れっ子の経済評論の吉崎達彦氏が、観て感心していた。これには驚いた。どこかに読者はいるんですよ。また、あまり話題にされないが、野間宏「真空地帯」は、ドイツの学者が、日本の軍隊組織の研究に参考になったらしい。さらに思いついたが、ミステリー作家の三好徹氏がなくなった。以前、文人囲碁の世話役をしていた時にお会いした。ほんとうは、現代的なミステリーで才能者だったのだが、当時、横溝正史の原作を市川昆監督で映画にしたら、ブームになって、変な方向に読者が行ってしまい、三好氏には時代のめぐりあわせに不幸があったように思う。こんな話でどう。

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2021年4月12日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」(3月31日)朝刊=茶園梨加氏

題「女性の生き方」
西田宣子さん「白狐」(「季刊午前」59号、福岡市)、水木怜さん「若葉萌え」(「照葉樹二期」19号、福岡市)
白石すみほさん「鎮魂」(「ふたり」25号、佐賀県唐津市)、谷口あい子さん「花の小径」(「あかね」118号、鹿児島市)、戸川如風さん「新地」(「詩と眞實」861号、熊本市)、島夏男さん「別れの時は手をあげて」(「照葉樹二期」19号)
「季刊午前」の特集「このときに ここにいて」《「文芸同人誌案内掲示板」ひわきさんまとめ》

 

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2021年4月10日 (土)

文芸同人誌「港の灯」第13号(神戸市)

【「敵討ち」たかやひろ】
 時代小説であり、巻末に掲載されているのだが、一番印象に残ったので、まず、これから紹介する。明石藩の山脇淳之介は、漁業の盛んな地域の貧乏侍の若者である。生活の向上の手がかりは、どこかの武家に婿入りすること。そのため剣道の修業に励む。剣術は富田道場に通う。同じく婿入り志望の同志的な友人が、瀬戸晶永という同年輩の弟子仲間。その二人が、ややこしい藩内のもめ事に巻き込まれ、瀬戸が山脇を敵討ちする立場になる。その間には、淳之介は、身分違いの漁師の娘、美枝と同棲をしていた。二人はほとんど私怨のない敵討ちの決闘をすることになるのだが、互いに時代遅れの因習にとらわれていることにばかばかしくなる。手堅い状況説明と、ストーリ性に富んだ話の運びに、作家的な手腕を発揮している。題材と構成をさらに工夫し、磨きをかければ商業誌に掲載されても良いような出来である。とくに、淳之介の同棲の美枝が、初心な女から熟女に変化するところは、同人誌作家から一歩抜け出した才気を感じる。ついでに、淳之介や瀬戸も年を経て、苦労し人間的な成熟をしている様子を明確に表現すればよかった。要するに、同人雑誌の小説に多いのが、人物の性格や心理状態が、はじまりの時と物語の終わりに変化がないことが不自然なのである。本作にはその欠点から抜け出ている気配がある。さらに、剣の使い手の平九郎が乱心したエピソードで、武芸の不得意の庄左衛門が必死で、彼を刺すところなど、読みごたえがある。
【「道楽」加崎希和】
 父親の囲碁道楽を娘の立場から描く。時代風俗がよくかけていて、面白くよませるが、子供の視点から見た社会性の特徴がまだ、表現として工夫が充分ではない気がする。子供の視点で社会を描くことの限界性を感じさせる。
【「その日の空の色」牧美貴江】
 若者が、気に入った女性と知り合い、交際の上で結婚する。しかし、その女性は、結婚式を挙げることだけが、結婚の目的であったことがわかる。女性の心理を描いたもので、はなしそのものに説得力がある。しかし、小説的な工夫がいまひとつ。たとえば、男が結婚詐欺師であったとしたら、面白く女性の心理が描けたのではないだろうか。
【「ネパールのハチミツ採り」絹田美苗】
 ネパールの生活環境と風俗風習がわかる。コロナ過で窮屈な雰囲気を忘れさせてくれる。
【「あの日の家」黒見恵美子】
 若い頃に尋ねたおばあちゃんのいた家とそのお風景を80代になってて思い出す。永遠なるものは心の中にある。
【「宝くじが当たった」松良子】
 借金ばかりの男が、宝くじを買った。それが一億円当たっていた。どう使うか、いろいろな妄想のなかで、逃げた女房に連絡して、現金に交換しに行くと、番号の見間違いで、外れ券であったという話。いかにもありそうな人情話。
【「110番します」深見志保子】
 認知症になって、人暮らしをしている義母が、近隣のお宅からモノを盗まれたと思い込んでしまう。そのたびに110番し、近所迷惑も甚だしい。幾度も110番してかけつける警察から、何とかしてほしいと、遠隔地にいる嫁のところに苦情がくる。そのたび交通機関をいくつも乗り換えて、応対に行くのだが、そのことがたまらない。その具体的な事情がくわしく書かれ、親戚付き合いの大変さがわかり、興味深い。そのようになってしまった義母の心境を想像するところが、この作品の良い締めになっている。現代の家族制度と親戚関係のサンプル的な状況設定が面白い。
発行所=〒654-0055神戸市須磨区須磨浦通2-3-29-604、絹田方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2021年4月 4日 (日)

物語の効用について

  最近のTVCMでは、宣伝対象品に関する何かのストーリーを映像化したものが多い。これは最近だけではなく、昔からあったもの。例えば、企業の連続性で、世界で。老舗企業が一番多いのが日本だそうである。たとえば、社名の由来で 富士電機というのは、まず古河鉱山があって、そこから古河電気工業が生まれた。その後、古川電気がドイツのシーメンスと提携して、古河電気工業の「ふ」と設立時に技術提携をしたドイツのジーメンス・AGの「じ」を一音ずつ取った。 漢字は富士山をイメージできるところからこの表記となったという。そこから、通信部が独立し、富士通信機が出来た。この話は、企業資本の連続性を示すものとして、有名だが、これはその物語性があるので、知れわたったものであろう。覚えて印象に残るのが、物語である。自分が、若い頃は、富士電機の家電製品の宣伝もしたことがある。その後、何かの折に、偉くなった社員に何を作っていてるのか、と聞いたら、海外で森林伐採の自動木こり機をつくっている、ときいて驚いたこともある。その後、地熱発電機などで海外市場で活躍しているようだ。また、電気炊飯器を実用化したのは、東芝の家電部の山田正吾という人である。これの開発物語も当時は有名であった。現在、北一郎の名で「時代漂流録」を書いてるが、この時代はクライアントに物語化が気に入られないと、採用されない。その発想は、いまのお笑いと同じで、コピーライトもまず掴みができていないと、採用されない。芸人の芸と同じである。同人雑誌作家のなかで、よく文壇に目がないというような感じの話をする人がいたものだが、そこの前提には、出版編集者に気に入られれば、本がだせるのに、という意識があるようだ。しかし、実際は、そうではなく、編集者が本にしたくなるようなものを書けば、本にできるのである。文芸といっても、芸術家になるか、芸人になるかの志の違いが方向性を決めるのではないだろうか。

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2021年4月 3日 (土)

文芸同人誌「果樹園」第36号(豊橋市)

【「覚え書きー私の生まれた家」早瀬ゆづみ】
 これは、自分の運れた家の伝記である。読めばつまらないということもないが、究極の自己表現で、一家のアルバムをみるような感じがする。同人雑誌でないと読めない他人の家族の物語であろう。
【「掌編小説四題」津之谷李】
中国の民話的なスタイルで、4作品。「笑不応易占帖(しょうふおうえきせんちょう)Ⅰ美人薄明」、「笑不応易占帖Ⅱ禁忌」、「杜子秋」、「太極図の娘」がある。「杜子春」の弟に「杜子秋」がいたというのが、面白い。中国文学に対する知見を活かした中国風の作品である。
【評論「万葉人の草たちへの思い」今泉佐知子】
 万葉集の人間の原点を詠った作風の解説。懐かしい思いで読んだ。歌にこめられた豊富な物語性を再認識させる。
【「農園のバイオリン弾き」水上浩】
 定年退職ご、どうやって生きる手がかりを探すかを模索した幸三という男が「きぼう農園」」を運営する話。無駄な話が多いが、ロマンチストらしい発想で、納得できるところがある。
【「ライブハウス」そら いくと】
 この物語はーー偶然、同じ船に乗り合わせた(八丈島行き)三人が「旅は道ずれ」となる物語である。鏡子50歳、義雄60歳、香織24歳。――と作中にあるような物語である。こうしたまとめが書けるほど、問題提起がしっかりしていて、それに沿った逸話があって、面白く読んだ。登場人物の持つ世界がしっかりし、立体的で職業作家なみの手腕である。この一作が、本誌の文学性を格上げしている。
発行所=〒440-0057豊橋市萱町20、矢野方「果樹園」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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