文芸同人誌「季刊遠近」第75号(横浜市)
【「女友達」花島真紀子】
剣持智恵子という女性は、夫の女友達である。子供も小さく、まだ若い主婦時代の頃、舞台女優をめざしていた「私」だが、夫から彼女の訪問を知らされる。「私」の釈然としないこだわりを無視して夫は、智恵子が離婚したばかりだから寂しいのだろうと、思いやりを見せる。夫は彼女と同じ同人雑誌で小説を書いていた。智恵子がやってくると、畳の上で寝ころぶほど寛いでいる。やがて夫が病を得て入院、その時に智恵子が見舞いにきて、「私」二人の心のつながりの強さを感じる場面を目撃する。やがて、夫は45歳の若さで亡くなる。すると、智恵子は、くよくよとしないことと励まし、彼女の家に遊びにくるように勧める。
その後、智恵子の家に遊びにいくと、多くの友人が彼女に出入りし、麻雀などで交流が頻繁に行われていることがわかる。中には妻帯者で子供いる男性もいて、偶然に彼女がその男性に、一晩泊って行くように頼み、それを男性が断って帰る様子をみてしまう。
智恵子が、家族制度を超えて自由に人間関係をつくり、そのことに価値観を見出しているようだ。そうなった要因について、彼女が話してくれたことを思い出す。「私」は、彼女の行動にある程度理解をしながら、今の家族制度のなかで、生きていくことを自覚する。
短編小説としてよくまとまっている。まず、問題提起をし、物語の運びは、それを示す具体的な場面でする。そして、小説テな意味での問題提起の答えもきちんと示す。手堅い創作手法が生きている。
【「江合川」浅利勝照】
なぜか、姉と弟とが夫婦になった家庭に生まれた兄妹のうち、妹の凜という女性の短い生涯を、同情的に描く。素材が平凡でないが、表現としては、とりたてて印象にのこるものがない。
【「ボレロ」山田美枝子】
47歳の女性が、娘とその友達の現代っ子ぶりに振り回される話。彼氏の評価のなかに、性交時のコンドームのつける様子の良し悪しがあるとか。なんとなくわかる話だが、人物の身の上話との緊密度が薄い感じ。
【「裏庭の木槿」難波田節子】
甥の昇に気に入れられている夏子の視点で、彼の行状を温かく見守る。離婚して再婚したらしい姉の様子や甥の性格、行動の観察などを、読み手の気を逸らさず面白く語る。作者は、なんでもない出来事を、それなりの環境を創作して、人間的世界を作り上げる文章技術は抜群である。日本のジェイン・オースティン的な存在だが、日本では、時代と場とタイミングが合わなかったのであろう。
【エッセイ「サラリーマン海道物語(二)」結城周】
鈴鹿といえばホンダでしょう。ボクシングの原田、海老原といえば、昭和の戦後復興期のすぐあとのころの話。懐かしいのが、事務作業のコンピューター化初期の時代で、カードにパンチを入れていた時代。すっかりそういう時代があったことを忘れていた。自分はおそらく同時代に、東京スポーツの印刷工場と同じ会社に、原稿入稿や校正に通っていたものだが、それまで職人さんが鉛の活字を拾っていたのが、女性が原稿の文字を紙テープにパンチを入れると、そのテープを読み取って、活字が出てくるのである。懐かしい時代を思い起こして感慨無量である。
【「何を求めて」逆井三三】
鎌倉時代の足利直義と尊氏、後醍醐天皇に楠正成、新田義貞と、それぞれの思惑で、風見鶏風に行動する様子を描く。
発行所=〒235-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。
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