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2021年2月13日 (土)

菊池寛の英国文学研究者の見識

 現在、同人誌読み作業のほうは、「海」第2期を読んでいる。歯切れの良い文章家が多く、読みやすい。だが、すぐ紹介文が書けるわけでもない。これはどういう視点で読んだかを示す書き方が必要だ。その読み方を決める基準を文豪・菊池寛の思想に照らし合わすことが多い。これを読んでも菊池寛が、どれほど当時の英国文学界に精通していたか、また語学能力があったか、それがわかる。《参照:菊池寛の海外モダン文学作家案内<シング>人間的な叫び》。彼が京大を卒業した時の卒業論文は「英国及愛蘭土(アイルランド)の近代劇」でっあった。戯曲に関心があり、バーバード・ショーに多くの示唆を得ていたようだ。自分は、マルクスの資本論をとおして、ヘーゲルや、プルードン、バクーニンなどの思想を知ることになった。おそらく、菊池寛もプロレタリ文学系から、マルクスをしり、そこからヘーゲルの弁証法哲学に思想的な補強をしたものと思われる。
菊池寛には、終戦後の1947年(昭和22年)、GHQから公職追放の指令が下される。日本の「侵略戦争」に文藝春秋が指導的立場をとったというのが理由だった。彼は、その時に、「戦争になれば国のために全力を尽くすのが国民の務めだ。いったい、僕のどこが悪いのだ。」と憤ったーーという。その根底には、近代国家の成立に関する思想的な経緯を知っているからだったと思える。社会契約論の「国家」が市民の理性的な約束によって意図的に形成されたーとする思想による。近代国家は、この契約のなされた市民たちの集団である。ルソ―は国民の一般意思、個別意思を考えた。国家とは一般意思の(公共の利益のみを追及する)集合体である。社会は奴隷の市民と自由の市民の合体でできている。市民は国家に対して、自由であり、その国家維持のためには奴隷でもある。そのための、市民は状況の変化に応じて、国家の仕組みを更新していく必要がある。それが出来ないと市民でなくなる。そのため市民皆兵が社会の必要条件なのだ。このことは、今でも正当であると、自分は思う。

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