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2021年2月28日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」(2月25日/朝刊)=茶園梨加氏

「西日本新聞」2月25日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「新たな感染症」
立石富生さん「こころの色」(「火山地帯」201号、鹿児島県鹿屋市)、都満州美さん「コロナ禍と病院通い」(「海峡派」150号、北九州市)
本間弘子さん「アマビエ」(「火の鳥」30号、鹿児島市)、あびる諒さん「赤布」(「詩と眞實」860号、熊本市)、葉田かんなさん「音頭が聞こえる」(「火山地帯201号)
「草茫々通信」14号(八田千恵子さん発行、佐賀市)の特集「「弱者」って誰のこと?-生涯・文学・人間-」より『ハンセン病療養所に生きた女たち』について(杉山武子さん)・沖縄のハンセン病文学について(浦田義和さん)。《「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ》

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2021年2月27日 (土)

モダンと世界共通テーマのポストモダン

 さきに紹介した「海」102号(いなべ市)で、ポール・オースターに凝る同人誌作家の話があるが、菊池寛の作家になるための基礎的な学習の手引きには、米国文学として、ポーしか取り上げていない。《参照:菊池寛の海外モダン文学作家案内<ポオ>米国的でない作家》。その事情を推察すると、この時代、昭和13年頃は、日本が中国、満州の傀儡政権を維持しようと、中国での権益確保の進軍をしている時に、それを批判し(米国にも権益をよこせという言い分)で、日本に石油禁輸制裁をかけ、日米対立が激化していたときだからであろう。米国は反日の精神が旺盛で、韓国にやさしい。原爆を落としたことへの後ろめたさで、日本を正当化できない。そうしたら原爆を投下した正当な理由を失うからだ。言い訳の精神であろう。日本が敗戦し世界大戦が終わると、日米で戦争をテーマにした小説家が多数出た。そこから文学が世界共通のテーマを持ったということになる。世界文学の共通テーマが失われた後に、哲学がポストモダン移行したのであろう。米国作家でフォークナーとヘミングウェイがノーベル文学賞をもらっているが、二人ともアメリカ人精神の空虚さを批判しているのは、共通している。

 

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2021年2月26日 (金)

文芸同人誌「海」102号(いなべ市)

【「シジフォスの営み」国府正昭】
 まず、「私」は、住んでいるアパートに複数の警察官がやってきて、追われる夢を見て、それにめざめたところからはじまる。次にこれは夢ではなく、隣市に住む近藤さんが、新聞をもってきてくれる。80歳になる人で、同じ文芸同人誌「空」の同人である。それを受け取るのが正男である。そこに正男の書いた「逆耳」という小説の評が載っていたので、わざわざ届けに来てくれたのだ。正男はその新聞の評が、的を得ていないので、不満に思う。この辺は、同人誌作家の心理をうまく表現している。 その後、「私」の夢らしい不思議なドライブ体験が語られる。そして正男の育った過去の環境の説明になる。これまで40数編の作品を発表し、自費出版本も3冊出している。村上春樹や、中村文則、倉橋由美子などを読み返し、どうして自分が職業作家になれないのか、思いめぐらす。そして、同じ同人誌文学仲間の竹嶋女史から、米国の作家・ポール・オースターの作品のコピーを送ってくる。そのあとまた正男のポール・オースターの作品についての話になる。非常に複雑な構造の、読むのに想像力を必要とする作品。日常性と非日常性を混合させた手法として、意欲的で冒険的な作品である。その試みが、どれだけ読者に理解されるか、課題であろう。タイトルからすると、生活を実存的に表現しようとしたのか、小説を書く行為をシジフォスの神話になぞらえたのか、それも不明である。
【「裕平の場合」紺谷猛】
 サラリーマンの裕平は、思わざる課長職に昇進したことを上司から知らされる。そして、そのために転勤になることを妻が心配する。すると、案の定、転勤話がでる。勤め人の気苦労の話。今はドッグイヤーというほど、時代の変化が激しい。ちょっと、現代的でないのどかな話に読める。
【「謎めく人生」宇佐美宏子】
 愛子という母方の養女だった女性が、87歳で亡くなったことを知らされる。そこで、彼女に関するさまざまな記憶を呼び起すが、養女になったその経緯や人生がよくわからない。たしかに謎めく人生である。
【「死んだ彼女」川野ルナ】
 40代の女性が自宅で死亡していた。死後、数日経っている。咽喉をナイフで刺されている。他殺か、事故死、自殺かを刑事の「俺」が聞き込みをして、その人生をたどる。物語風な構成だが、事実は判定がつかない。小説として、気が抜けたサイダーのような感じ。気の抜けたサイダーを、どんな味がするか飲んでみたい人もいると思う。
【「浄瑠璃坂仇討ち異聞」宇梶紀夫】
 宇都宮城の歴史的な事実を堀り越したような、それにしえては異聞であるから、創作か、と迷いながら読む。本来は、大長編の構成を長い粗筋をたどったもののようだ。その根気と努力に感心させられた。長編執筆まえの準備作品か、誰に読ませるものなのか、疑問に思った。
編集発行人=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。

 

 

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2021年2月25日 (木)

合評会記=「詩と眞實」1月号(熊本市)

 「詩と眞實」は毎月発行され、前号の同人たちの詩・小説・随筆などの作品評が「合評会記」として、記録されている。ここでは同誌2月号に記されているもののうち、小説2編とエッセイについての部分を抜粋転載させてもらう。
【小説「赤髪の女神―第1章・解発囚」森創太郎】
 大学の美術部内で繰り広げられる青春群像が鮮やかである。読んでいるとさわやかな気持ちになる。自由奔放に若さを謳歌する登場人物たちは個性的で魅力的だ。ヒロインの沙知は、グラマラスで性格も自由奔放、強烈な個性で周囲の先輩たちを圧倒する。しかし、周囲も振り回されているかというと、そこは強面で強烈な性格の主人公に上手く制御されて調和を保っている。大学4年生の主人公は新入生の沙知をヌードモデルにして、絵画を描くが手を出すことはしない。二人の間は、喧嘩をしたり、一緒に絵を描いたりと、離れたり近づいたりして読者をやきもきさせる。第2章、第3章と続いていくらしいので続編が楽しみである。会話がうまい、あまりに読み易いところが気になった。もう少し引っ掛かりがあったほうが良い、言葉使いか時代背景と合わないものがあった、などの意見が出た。
【小説「かりんとう」階堂徹】
 主人公の母に対する愛情がジンワリと感じられた。家族の愛憎が素直に描かれ、家族だかこその悩みや嫌悪が詳しく描かれ.Lいるのが良かった。短くてもビリッと味のあ.る小説
である。出席者全員から高.評価であった意見は次のとおり。
 長男を特別視する習慣はお国柄が現れていて面白かった。題名が効いている。母親の哀しさが胸に迫る。終わりに希望を感じさせた。細かいところにミスがあった。主人公たちの暮らしている場所は、丘の上であるらしく、丘の下にした方がこの作品のイメージに合うと思われる。場所のイメージをもう少しはっきりと描写して欲しかった。
【随筆「種種の」林恭子】
 顕名の通り,木当にいろいろな考えが次から次へと展開されて読者がついて行けないような不思薦な感覚になる。(出席者六名、北原記)
 なお、本号(2月号)には、第49回「詩と眞實賞」の受賞作が発表されている。
韻文の部(詩)=該当作なし。散文の部(小説)=右田洋一郎「風のテラス」「ニューハーバー前編・後編」などの作品に対して。散文の部(小説)=階堂徹「チョッター」「唐揚げ」などの作品に対してーー。投票総数三十六票であった。
――そこに選評結果と受賞者の言葉が記されている。伝統の存在を示すもので、同人の文学精神のたゆまぬ情熱の継続に敬意を抱くしかない。自分は、高校生から社会人になる時に、詩作から当時の職業作家の主催する同人誌に参加し、師が亡くなり、その後継同人誌に入るなど、計3つの同人誌に参加したが、2誌は、いずれも現在は活動停止状態である。継続は力なりというが、それはたやすいことではない。
〒862-0963熊本市南区出仲間4-14――1、詩と真実社。

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2021年2月18日 (木)

文芸同人誌「海―第Ⅱ期」第25号(太宰府市)

【「あだし野へ」有森信二】
 帝国大学の職員で古株である浦松丈助が、大学入試の試験問題を、博多から新幹線で彼より若手の同僚と大蔵省印刷局に受け取りに行く。それが恒例らしい。慣れたその仕事であるが、そのなかで、彼の人生の営みのなかでの、数々の出来事を想起し、退職が近いことで生まれる感慨。実家は長崎で、戦争に駆り出されているうちに、家族を襲った原爆の悲劇。戦後の学生運動の対応。災害となど、次々と浮き彫りにされる出来事は、浦松にかかわる出来事のようでいて、彼の周囲の人々の苦しみの幻像に脅かされる現象を読むと、それらが、同時代の日本人全体に通じる出来事と感情を集約したものとなり、人々の人生のはかなさを、まとめ上げたように、読めた。ひと癖ある表現力の発揮として、個性的なものになっている。
【「終雪」高岡啓次郎】
 死に場所を求めて旅に出た「ぼく」は、北海道に行く。レンタカーで釧路の山道をいく。湿原の反対側の展望台にまわったりする。その時に、中年の孤独な女性に出会い、共に未来を共にする道を選ぶ。文章に歯切れの良さと表現の巧みさがある。しかし、その巧みさは、ストーリーテリングのために適したものなので、そこに徹して構成などをよく練ると、完成度がもっと高まると思う。この作者の作品は、「文芸思潮」などに掲載したものなども読んだが、たくさん書いている割には、物語の作り方がいまひとつであった。面白さを出すためには、不自然さを避けては、話が弾まない。自分は「グループ桂」という伊藤桂一氏のテキスト誌に作品を出したら、女性陣を主にしてか大変な悪評で、どうも印象が強いらしいと思い、雑誌社に持ち込んだら、面白いと採用された。それを読んだ友人が、あれに出てくる女ね、色が浅黒いと書いてあっのに、下半身が白いようになってしまて、理屈に合わないな、と言われて、それもそうだと思ったものだ。
【「評伝・人間織坂幸治」井本元義】
 織坂氏の著書「綺言塵考」は、読んだが、言葉への並々ならぬ関心と思考力を味わえる名著と思って、引用してみたい箇所が多くある。本編を読むと、まるで当人の書いた自伝のようで、その精神の共鳴ぶりが表れていて、大変面白い。織坂文学の渇望する表現意欲を理解すると同時に、評者の詩人・井本元義の氏もまた、文学的な世界での表現意欲があり、良き理解者であることがわかる。織坂氏は1930年に福岡市に生まれ、両親に連れられ満州にわたる。その後の人生航路と、文学との縁を、生活のなかの文学的活動に寄り添って記している。とくに、兵役で脚を負傷し、帰国。仕事を、映画配給会社、電通、喫茶店経営など多種な職業遍歴を、実にうまく表現している。自分は若い頃コピーライターとして、人物伝など物語化を依頼されてきたが、これほど巧くはなかった。無能さを時代が助けてくれたのだと、妙な感慨をもった。
【「『資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい』と、マーク・フィッシャーは書いたが」群青】
 自分は、あまり詩の紹介をしないが、これは素晴らしい。ほとんど詩集という感じの作品集であるが、どれもわかりやすく自分の世界観を素直に語る。日本にも、ホイットマン的な感覚の詩人がいたかと、感銘を受けた。
【「Y女子大文芸サークル」牧草泉】
 会話だけで勧める小説でもあり、文芸評論でもある。会話の連続で進行するのではなく、会話の主をM、B、D、F、Cなどと、多彩な人間の会話で、大学の文芸サークルに関して興味を持った学生同士のランダムな文学話で、芥川賞直木賞についての現代的な意義や、作家論として、元レースクイーンの室井佑月が現代性があり、あとは「鯨神」で芥川賞をとった宇能鴻一郎の官能小説転向話や島崎藤村の近親相姦話などからセックス論まで、まとまりないものだが、とにかく会話だけで小説にするという試みに、大いに刺激を受けた。
 まだ、ほかにも作品はあるが、文芸色の強い雑誌的な魅力のある同人誌である。
発行所=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33(松本方)。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。

 

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2021年2月13日 (土)

菊池寛の英国文学研究者の見識

 現在、同人誌読み作業のほうは、「海」第2期を読んでいる。歯切れの良い文章家が多く、読みやすい。だが、すぐ紹介文が書けるわけでもない。これはどういう視点で読んだかを示す書き方が必要だ。その読み方を決める基準を文豪・菊池寛の思想に照らし合わすことが多い。これを読んでも菊池寛が、どれほど当時の英国文学界に精通していたか、また語学能力があったか、それがわかる。《参照:菊池寛の海外モダン文学作家案内<シング>人間的な叫び》。彼が京大を卒業した時の卒業論文は「英国及愛蘭土(アイルランド)の近代劇」でっあった。戯曲に関心があり、バーバード・ショーに多くの示唆を得ていたようだ。自分は、マルクスの資本論をとおして、ヘーゲルや、プルードン、バクーニンなどの思想を知ることになった。おそらく、菊池寛もプロレタリ文学系から、マルクスをしり、そこからヘーゲルの弁証法哲学に思想的な補強をしたものと思われる。
菊池寛には、終戦後の1947年(昭和22年)、GHQから公職追放の指令が下される。日本の「侵略戦争」に文藝春秋が指導的立場をとったというのが理由だった。彼は、その時に、「戦争になれば国のために全力を尽くすのが国民の務めだ。いったい、僕のどこが悪いのだ。」と憤ったーーという。その根底には、近代国家の成立に関する思想的な経緯を知っているからだったと思える。社会契約論の「国家」が市民の理性的な約束によって意図的に形成されたーとする思想による。近代国家は、この契約のなされた市民たちの集団である。ルソ―は国民の一般意思、個別意思を考えた。国家とは一般意思の(公共の利益のみを追及する)集合体である。社会は奴隷の市民と自由の市民の合体でできている。市民は国家に対して、自由であり、その国家維持のためには奴隷でもある。そのための、市民は状況の変化に応じて、国家の仕組みを更新していく必要がある。それが出来ないと市民でなくなる。そのため市民皆兵が社会の必要条件なのだ。このことは、今でも正当であると、自分は思う。

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2021年2月 8日 (月)

文芸同人誌「文芸中部」第115(東海市)

 【「雨蛙」浅岡明美】
 今は息子の家族と同居している「わたし」。庭の盆栽に蛙がいるのを見つける。年前に夫が病死し、しばらくそれまでのマンションで一人暮らしをしていた。ある時、乗っていた自転車にバイクに煽られ転倒。バイクの男は、気を付けろ、ババアと言って去る。高齢者扱いされた事に拘る女心。交通事故扱いになったが、男はわからずじまい。一人暮らしの危うさに、息子の説得で孫のいる息子の家で暮らす。一家がデイズニーランドに行くが、「わたし」は、留守番をする。家族と同居は、それなりに気を遣う。とにかく、修練した文章で、日常の中にある高齢者の意識をさぐる。蛙との出会いや、ひとさまからババアののしられて、事実を思い知らされた高齢女性の心の痛みと、こだわり。また、買い物に行って、出口が異なると、道順の感覚を失ってしまうエピソード。同じ書くのでも、エピソードのつなぎがうまい。予定調和的な温もりのある好短編である。以前もかなりの巧者という印象だったが、今回は話の運びに無駄がなくなった。文章表現は、修業によってますます向上するのかもしれない。
 【「島帰り」広田圭】
 時代小説で、人情話であるが、題材は絵師の長庵が、風紀を乱した罪で八丈島の流人にされてしまう。そこで周囲の援助があって、比較的恵まれた生活をするが、赦免が下るのを待つ辛さがある。そこで、お清という女を身近にして待つ。すると彼女が子供を産む。そこに後輩の若い絵師の玄雪の方が先に、赦免で島帰りすることになる。長庵は、せめてお清と子供を本土に行かせたいと、その筋に手を廻して、玄雪の妻子として、同行させる。その後になって、長庵も赦免され江戸にもどる。自分は、あまり時代小説を読まないのだが、じっくりと話を積に重ねて絵師のダイナミックな運命をもの静かにものがたるので、それからどうなる? と読み続けてしまった。今の時代小説の風潮というのは、よく分からないが、それぞれ得意とするジャンルを出版社に認められた人が作家デビューするらしい。自分も、かつて伊藤桂一氏の門下生であったので、時代短編を書いて読んでもらったことがある。テーマを現代についても通じるものを露骨にだして試作した。師の評は、なるほどねえ、きみも書くのかねえ。というだけで、うんも、すんもない。そこで、これはハズレだなと思って、諦めた。その後、森村誠一氏の小説教室出身で、上田秀人という新進作家が陰謀を素材に、次々と新書を刊行していた。集めた情報によると、日ごろは歯科医をしており、当時は片手間に書いていたが、3カ月には一冊出すくらいにして欲しいという、編集者からの要望で、相当の頑張りが必要なようだ。売れ出すと、先輩作家からの嫉妬もあるそうだ。「島帰り」は。そういう視点で見ると、全体の流れと素材に優れているが、筆の勢いというものが不足している。おそらく、藤沢周平の静かな語り雰囲気が好みなのであろうが、純文学と娯楽小説の中間の難しい道ではないだろうか。これだけの手腕があるのだから、もっと多くの人に読ませる工夫を求めてしまう。直木賞の西條奈加『心淋(うらさび)し川』は、6篇の統一的な短編集のようだ。同人誌の作品にも時代の風が吹いているのかも知れない。
【「蹌踉の人」堀井清】
 現代の家族関係をリアルに描いた完成度の高い作品である。最近は、若者の立場を視点に、よろけるどころか、しっかりと描いている。我々の、とくに高齢者は、家族関係を伝統的なイメージでとらえているが、果たしてその関係対する意識は現実と大きくずれていないのだろうか。本来は大きなテーマであるのであるが、見逃してきたものを、よく見つめさせる作品になっている。身近でありながら、普遍性もあって、自分は注目作として読んだ。
【「影法師、火を焚く(第16回・第2部の4)」佐久間和宏】
 これは、読むと面白いのだが、なにしろ大長編で、なんだか野間宏「青年の環」みたいに、読むのに根気のいる小説になりそうだ。
【『東海文学』のことどもから】三田村博史】
 とにかく、文壇の隣の関西の文壇的な雰囲気が良く伝わってくる。文壇に近い存在感があったのだ、と改めて思う。もし、こうしたグループが東京に存在したら、おそらくこの中から多くの純文学作家が登場していたのであろう。ただ、職業作家になって幸せになるということもないだろう。なるような境遇に追い込まれた人がなるのであろう。かつて名古屋方面に2度くらいメーカーの依頼で取材に行ったことがあって、その時にやはり独特の風土性を感じた。現在に至る状況は風土性のなせるものかとも思う。
【「ハピネス」春川千鶴】
 これも、家族の姉妹と母親の関係と、繋がりを示して、人間の互いの批判性と肯定性を絵に描いたような構成で巧い。妹が結婚して、姉が独身というところから、妹が姉の立場を理解せずに批判する。すると、母親が妹を批判し、姉の立場を肯定する。まるで、夏目漱石が個人主義に語ったような問題的に触れるところがある。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「中部文芸の会」。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。

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2021年2月 6日 (土)

社会評論家としての菊池寛

 このところ、《菊池寛の海外モダン文学案内<ゴールズワージィ>人間を描く》このような頁を連載しています。これは、作家になるためにはどの程度の文学作品を読んでおけばよいか、という指針の一つです。内容は、昭和13年にという近代社会(モダン)時代に記されたものにもかかわるず、現代のウィキペディアよりも明確で充実しています。自分は、この「日本文学案内」という著書を単なる昔の小説作法だと思って読んでいました。しかし、そこには、作家凡庸論や、創作物の価値論があります。この一環した思想に注目しました。自分は、一応マルクスの資本論を読んでいて、宇野理論を学んでいましので、その延長で、ヘーゲルまで入り込むことがあったので、菊池寛はかなりヘーゲルを研究していたのではないか、と思うようになりました。たとえば、25歳以前に小説を書いてもムダだーというような、主張がなぜ出てきたか。これは、人間の社会式が育つのにはこのくらいの時間がかかるという、思想の表れでしょう。ヘーゲルは、国家は国王が管理し、その民衆的な体制の完成する姿を神が見ているーというようなことをいっているようです。昭和13年頃は、天皇を君主とした日本のアジアへの帝国主義の時代です。菊池寛は戦争に協力したということで、戦後GHQから弾劾されました。しかし、国家と国民の関係では、国家統一のために暴力機構(軍隊)に国民は協力し他国の侵略から守るべきは当然と思っていたでしょう。ただ、それが、国際的に侵略的であっても、当時は国家利権の防衛範囲が広く、侵略意識はということよも、戦争の善悪に左右されたのではないかと思います。今の中国の思想を日本が先取りしていただけかもしれません。日本は、当時、圧倒的な武力をもっていて、朝鮮半島は戦うことなく、日本に屈服したのです。現代のフィリピンが、中国の侵略にあっても、戦争しないで譲っています。そのようなものでしょう。

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2021年2月 3日 (水)

文芸同人誌を読んで、生活を豊かにする。

 本来は、ここでは市民文芸愛好家のための文学論を主にするのが本道なのですが、とにかくどこで知るのか、どういうわけか、各地からこれまで知らなかった同人誌が到着しています。有り難いことです。無料で読めて、それぞれ個性があります。世相を居ながらにして世相がを理解する手がかりになり、文化的な生活が豊かになったと信じています。ただ、最近新しく、送ってくださる方は、普段はこの欄を読んでおられないようです。それも当然です。ただ、このブログには、広告がつかないようにしてあります。小さなサークルですから、知らないのが当然で、こんなに雑誌が送られてくるなんて、幸せですね。自分がこれらを読んでコロナうつを克服しようとしています。
 かつては、人間は何らかのつながりがある同人誌が多くありしたが、今は何が何だかわからなくなりました。現在は「中部文芸」を読んでいます。本誌は当会通信の媒体を紙印刷から、ホームページを作ってネット情報に切り変えた頃から、寄贈の恩恵を受けているものです。また、新企画で、当会の第二のサイト「詩人回廊」主催者として、伊藤の詩人ネーム、「北一郎の庭」に、物語を始めました。わからいないでしょうけども、理由はあります。

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