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2021年1月28日 (木)

総合文芸誌「ら・めえる」第81号(長崎市)(2)

【「珈琲(カフィ)」遠藤薄明】
 タイトルからしても、なぜ、コーヒーを珈琲と漢字で表現するようになったか、その漢字変換の事情を調べて追及したものであろう。それだけで結構面白いが、作者はその由来について、調べをたどりながら、長崎出身で、北海道に住んでいる50代の女性との交流を、恋愛小説風の物語にしている。女性とは、文芸同人誌に発表したものを読み合う仲で、大人の恋愛を描く。珈琲という漢字表現に至るまでの経過が、興味深い。また、恋愛表現があるのは、工夫して書いて楽しむ様子が伝わってくる。読者サービスとして濡れ場の表現などもある。最近、東京新聞のコラムを読んでいたら、川端康成や永井荷風などの作家の書いたものについて、色気の強い表現が多く、彼らはスケベであるという説があった。自分は、小説家は読者を退屈させないために、手っ取り早い欲望の喚起をして、興味を惹くための技術という側面があると思う。
【「スペイン風邪~斎藤茂吉の長崎」新名規明】
 大正六年にアララギ派の歌人斎藤茂吉が、長崎にやってきたところから始まり、それ以後、幾度も長崎を訪れて、地元の人達との交流と、その時詠んだ短歌などが、作者の想像力をもって、見ているように描かれ、よくまとまった記録になっている。とにかく、歌人というのは、日記を記すように、なんでも歌に詠むことがよく分かった。今で言えばラインで短歌を送るような感じであったのであろう。茂吉はスペイン風邪にかかって、肺にダメージを受け、それ以来、病弱になったことや、芥川や菊池寛などとの道連れ旅のような行状。地元の歌人などの消息が詳しく調べている。たまたま、コロナ禍の今、時宜に合わせた啓蒙的作品として、巧く話をつなげて物語的な記録に成功している。気の短い人にも短時間でわかる文学的郷土史資料として貢献するように思う。
【「『ピカドン』に遭遇し、原子野を歩く」宮川雅一】
 長崎原爆の「ピカ・ドン」を体験し、崩壊した自宅の木材の下から救出された当事者の記録である。調子の低い静かな調べのように、冷静に語る。そのような表現になってしまうのが、いかにも当事者の語りという雰囲気がある。
【「天成の芸術家・中村三郎の生涯(連載・その1)」久保美津子】
 新名氏の「斎藤茂吉の長崎」のなかで、交流のあった歌人として、出てくるので、前知識がついて、興味をもたす。歌詠み人には、有益な史実として期待できそう。

発行事務局=〒850-0918 長崎市大浦町9-27「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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