文芸同人誌「あるかいど」第69号(大阪市)
パンデミック特集を組んでいる。エッセイや誌作品、掌編小説風の創作もあり、それぞれの事情が表現されている。そのなかで、いくつか紹介しよう。
【「拍手を送りましょう」久里しえ】
ラジオを聴いていると、コロナ感染者の治療に忙しい医療関係者に、感謝の拍手を送りましょうという、呼びかけがあった。「私」は、ラジオを聴きながら、呼びかけに同調して、拍手をする。そういう自分は、テレビニュースで、米国や欧州で、出勤前の医療関係者に拍手をしてるニュースを見たが、日本のラジオ放送での呼びかけは、知らなかったので、驚いた。海外ニュースでは、それに医療従事者が勇気をもらった、という解説があった。だが、ここで日本の作者は、自分のしていることの不条理な部分に気付く。本来、こうした災害に、ただ拍手をして感謝するだけで、済ましていてよいのか。という思いをさせる数々の出来事に出会う。本当に拍手することしか、できないのか? そうでないかも知れないことへの不条理感が良く表現されている。
【「禍いの中」折合総一郎】
デパートに長年勤めてきた誠一の、人生を短く語る。コロナに感染したら、高齢者が明日へも知れぬ立場に追い込まれる切実な心理を描く。誰でもそう思うであろう。
【「非日常のなかでの私の日常」高原あふち】
バンでミックの世界に入ったことで、日々の出来事が、特別なものに受け止められる日誌的な記録。普通の出来事の書きとめのように思えて、結局は、閉塞感に満ちているのがわかる。物事、書いてみるものである。表現が出来上がっていく。
【「白い心」世花むむ】
半年前に兄が28歳の若さで亡くなった。突然の心筋梗塞だった。その義姉が入院した。
お見舞いにいくと、夫を亡くしたのは、自分の気づかいが足りなかったからだと、罪の意識を語る。じつは、語り手のぼくも、その家族も、若くして兄が亡くなったのは、何かどこかに落ち度があったのではないかと内心では思っていた。その時、義姉の兄が、見舞いに来る。そして、亭主を死なせて、自分が病に臥すとは、はた迷惑をかけるな、というようなことを、彼女にいう。それを聴いて、なんでも他者に原因があるような発想に、怒りを感じ口論になる。その後、義姉は快癒するが、ぼくのなかに微妙な感じが残る。あれこれ考えさせる。人間の内なるものを思い巡らせる。ー「華奢人だということは覚えていた。だが、病院のベッドに横たわる義姉は、布団のふくらみもほとんどないほどだった」という表現に、感心した。
【「奈津の乳房」高畠寛】
奈津という女性が妹の友達だった、従妹ぐらいの関係だったのか、とにかく思春期以前の時期からの異性の友達であったが、ある時、彼女の胸が大きくなっているのに驚いて、触らせてほしいというと、好きなだけ触らせてくれた。その親近感は、恋愛とは異なる肉親的な感情を育てる。二人が、親しいのが恋愛を超えたようなものであることを、大川という友人が見抜いたのか、奈津が好きだから、告白させてほしいという。しかし、大川の奈津への恋は実らず、ひとつの出来事で終わる。だが、この小説では、このような手順ではなく、大川も語り手も、年老いて親友であった大川の死から、年老いた奈津と再会するところから始まる。とにかく面倒な手順で語るので、余分な出来事がたくさん書いてある。苦労して遠回りした書き方をしているのは、作者の個性であろう。とにかく、語り手は、思春期に乳房を自由に触らせてくれた奈津が、自らの存在を全面的に肯定し、認めてくれた愛の持ち主であることを、書きたかったのであろう。よくわかる。文学であればこその作品かも知れない。よい作品であるが、形式としては、枝葉の多いところが、緩いような気がする。同時に、アートには根気が必要なのがよくわかる。
発行所=大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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