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2021年1月31日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」1月29日/朝刊=茶園梨加氏

題「記憶」
小河原範夫さん「巣ごもり」(「ガランス」28号、福岡市)、城戸祐介さん「火葬まで」(「第八期九州文学」574号、福岡市)
野沢薫子さん「十三夜」(「長崎文学」95号、長崎市)、有森信二さん「あだし野へ」(「海25号、福岡市)、中野和久さん「ネコとアオザイ」(「第八期九州文学」574号)
「海」25号の小特集は詩人・織坂幸治さんについて。氏の評論集『畸言塵考(きげんじんこう)』紹介

《「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ》

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2021年1月30日 (土)

総合文芸誌「ら・めえる」第81号(長崎市)(3)

【「韓国カトリック教会の起源に関する一仮説」李世勲】
 歴史的な日本の隠れキリシタンの存在は、歴史的な事実として、学校の教科書にもある。が、そこに朝鮮半島の人達が、殉教していたことは知らなかったので、大変驚いた。今後の研究がさらに進むことを期待して、暮らしのノートITOに内容の一部を紹介してみた。《参照:韓国カトリック教会の起源の探求(1)李研究員講演録から
 メディアでは、ニュースの素材として日韓関係の歴史的事実を利用して、感情をあおり両国が、金儲けと政治的な勢力を、広げているとしか感じない。メディアは、世論としているが、歴史的な事実を正しく理解しない人々が、いつでもどこでもいるもので、おそらく感情的な楽しみの材料なのであろう。戦後の日韓基本条約締結は、米国の命令によるもので、朝鮮半島統一してからの課題が、偏った形になった、すべて米国に責任があると思うが、人間の意識は時代によって変わるので、仕方がない。せめて、歴史的な事実だけは記録に残しておきたいものだ。
【「宇沢弘文教授のこと」長島達明】
 自分の学んだ大学の経済学部は、入学時はマルクス経済学だけであった。もともと、左翼思想による世界経済史を学びたかった。だから資本論だけを研究し、他はシュンペーターを読むくらいであった。しかし4年目ごろから、就職試験が近代経済になるというので、ケインズやガルブレイスを自主的に、にわか勉強したのを覚えている。宇沢弘文教授の理論的な持論は知らなかったので、大変面白かった。
【「餘録-語りたい歴史の裏(2)戦火逃れた維新当時の長崎」木戸千恵弘】
 長崎奉行と言えば、岩波新書の「犯科帳」を読んでいるが、幕府の直轄であったために、資金が豊富蔵置してあり、その金の行方などが記されていて、大変面白い。時代小説のを志す人には、良い素材であろう。

発行事務局=〒850-0918 長崎市大浦町9-27「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2021年1月28日 (木)

総合文芸誌「ら・めえる」第81号(長崎市)(2)

【「珈琲(カフィ)」遠藤薄明】
 タイトルからしても、なぜ、コーヒーを珈琲と漢字で表現するようになったか、その漢字変換の事情を調べて追及したものであろう。それだけで結構面白いが、作者はその由来について、調べをたどりながら、長崎出身で、北海道に住んでいる50代の女性との交流を、恋愛小説風の物語にしている。女性とは、文芸同人誌に発表したものを読み合う仲で、大人の恋愛を描く。珈琲という漢字表現に至るまでの経過が、興味深い。また、恋愛表現があるのは、工夫して書いて楽しむ様子が伝わってくる。読者サービスとして濡れ場の表現などもある。最近、東京新聞のコラムを読んでいたら、川端康成や永井荷風などの作家の書いたものについて、色気の強い表現が多く、彼らはスケベであるという説があった。自分は、小説家は読者を退屈させないために、手っ取り早い欲望の喚起をして、興味を惹くための技術という側面があると思う。
【「スペイン風邪~斎藤茂吉の長崎」新名規明】
 大正六年にアララギ派の歌人斎藤茂吉が、長崎にやってきたところから始まり、それ以後、幾度も長崎を訪れて、地元の人達との交流と、その時詠んだ短歌などが、作者の想像力をもって、見ているように描かれ、よくまとまった記録になっている。とにかく、歌人というのは、日記を記すように、なんでも歌に詠むことがよく分かった。今で言えばラインで短歌を送るような感じであったのであろう。茂吉はスペイン風邪にかかって、肺にダメージを受け、それ以来、病弱になったことや、芥川や菊池寛などとの道連れ旅のような行状。地元の歌人などの消息が詳しく調べている。たまたま、コロナ禍の今、時宜に合わせた啓蒙的作品として、巧く話をつなげて物語的な記録に成功している。気の短い人にも短時間でわかる文学的郷土史資料として貢献するように思う。
【「『ピカドン』に遭遇し、原子野を歩く」宮川雅一】
 長崎原爆の「ピカ・ドン」を体験し、崩壊した自宅の木材の下から救出された当事者の記録である。調子の低い静かな調べのように、冷静に語る。そのような表現になってしまうのが、いかにも当事者の語りという雰囲気がある。
【「天成の芸術家・中村三郎の生涯(連載・その1)」久保美津子】
 新名氏の「斎藤茂吉の長崎」のなかで、交流のあった歌人として、出てくるので、前知識がついて、興味をもたす。歌詠み人には、有益な史実として期待できそう。

発行事務局=〒850-0918 長崎市大浦町9-27「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2021年1月25日 (月)

総合文芸誌「ら・めえる」第81号(長崎市)(1)

 このところ生活環境の変化に、執筆が思うようにいかない。そこで、書いたところから順に記録しておくことにした。今回の本誌は、読んでも考えさせられるものが多く、すぐには紹介できないものが多い。
【「ひるこ様の海(後編)」片山みさと】
 ひる子様というのは、ある漁村のひるこ神社の神である。村で育った思春期からのレズ的な関係の女性と、男たちの物語である。そこで、村の伝統の夜這いの習慣があったが、その後、その儀式が復活し、現代でも行われる可能性があるという。暗闇のなかで、誰ともわからぬ村の男のとの女性とのまぐわいの場をひる子神社が提供する。この夜這いの儀式について、詳しい説明がある。伝統的な夜這いが、現代の不妊症の対策や、家族系の継承に如何に役立つかを、教えられた。いわゆる種のない夫と妊娠可能な妻のケース、その逆のケースを、この夜這いという儀式を行うだけで、子孫を残す可能性があることがわかる。昔の伝統的な儀式の合理性について、学ぶことができる小説である。夜這いの風習について、民族学者の赤松啓介の説を読んだことがあるが、このような視点ではないように思ったが、関連はありそうだ。
【「聖母の微笑」吉田秀夫】
 実話をもとに、小説的な記録をしたものであろうか。江上シスターが、1930年に純心聖母会という日本で最初の女子修道院を設立。そこの修道女たちは、米軍の長崎原爆のよって、焼かれ死ぬ。それが、神の意志ならの残酷きわまりない、悪魔的な存在であるが、どこまでもシスターから学んだ神の精神を信じ、死ぬ間際まで神への感謝とシスターへの愛の喜びを語って、亡くなっている。修女たちのその信仰の純心さに、美しさと、信仰心の強さにうらやましくも、可哀想のようにも感じ、涙が出そうになった。語り部としても見事な作品である。たしかに、神は彼女たちの心を救済している。唯物主義的「無」思想の自分だが、天国が存在することを祈る。
発行事務局=〒850-0918 長崎市大浦町9-27「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2021年1月23日 (土)

苦節10年の時代でなくなった有名文学賞

第164回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)に芥川賞は宇佐見りん氏(21)の「推(お)し、燃ゆ」(「文芸」秋季号)に、直木賞は西條奈加氏(56)の「心淋(うらさび)し川」(集英社)に、決まった。いま、「ら・めえる」という厚い同人誌を読んでいる最中だが、何か言った方がいかなーと思って記す。今度の芥川・直木賞はについては、現役大学生の宇佐見氏は21歳8カ月の現役大学生。2004年の綿矢りさ氏(19歳11カ月)と金原ひとみ氏(20歳5カ月)に次ぎ、史上3番目の若さとなった。文学的世界の文化力が相対的な伝搬力を失った現在、受賞者は若いほど良い。時代に対応した新しい作品を生み出すのに先が長い若者の方が、出版社の似も良いし、作家の世界を飛び出して行く力もっている可能性が強い。自然な現象である。近代社会の文壇を形成していた時代には、菊池寛が、小説は25歳になってから書くべきだという説をとなえている。これは、社会情報が少なく、様々な現象の意味を飲み込むのに、25歳まではかかるので、バランのとれた知性が備わるという意味があったのであろう。しかし、現代は社会が多様化し、その全体像を把握するのは、いくら年数を重ねてもできない。情報取集力でも若者の方が良く知っている。また、今日は「詩と眞實」月刊同人誌の2月号が届いた。そのなかに「詩と眞實賞」という賞の受賞者が決まったとある。自分は、スマフォをもたず、ツイッターもやらない。かつての情報屋が、情報の外にいるので、今の時代の気配から離れた場所での話しかできない。

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2021年1月17日 (日)

文芸同人誌「奏」第41号2020冬(静岡市)

 本誌で連載していた勝呂奏・著「評伝藤枝静男」が―或る私小説作家の流儀―の副題で、「桜美林大学叢書」で刊行された。日曜作家でありながら純文学私小説の手法の拡張に挑んだ経過がよくわかる。そして、優れた理解者の多さの幸福をも認識できる。
【詩2編・柴崎聰】
 ひとつは、「余白―余白の旅と「パターソン」。井上洋治神父が「余白を生きる旅」という代表作を残したという。善意の余白であることが、ロマンチックである。人生のほとんどが余白という場合もある。そこに記された文字では表わせきれないものを見出すのが詩人の魂というものであろう。もうひとつは、フランクル「夜と霧」。地域の公立図書館は、民間会社が運営を委託されている。利用が少ないとっ判断するのか、なかなか読めない貴重な本をどんどん、市民に無料放出し、処分していく。そのなかで、フランクルは不思議と処分されない。そのことに驚く。2001年、その新訳(池田香代子)が出ているそうだ。
 現代詩の環境に関し、新型コロナパンデミックの来襲によって、新局面に遭遇した感がある。それ以前は、平和による幸運な境遇によって、個人のごく私的な感性を、あたかも自己存在を重大なものとして、それを前提とした表現することが受け入れられてきた。しかし、物質と生物の中間的なコロナウイルスは、魂を持たず、無差別に平等に人間を物質化している。戦争によるものでないところが、救いになるとはいえ、魂は奪われることに変わりはない。それらの人々の魂は今何処に。
【詩「月はさやかに照りわたり」(エミリ・ブロンテ)田代尚治・訳】
 たしか牧師の娘であったブロンテ姉妹のうち、シャーロットは、たおやかな女性らしい現実性を持っているようだが、「嵐が丘」を、書いたエミリは、情熱的なロマンチストのようで、この作品にもその情熱の向かうままの表現の片鱗が現れていて、貴重な読書での推察体験をさせてくれる。
【「芹沢光治良『サムライの末裔』ノート」勝呂奏】
 日本人作家でありながら、フランスでよく読まれているという話もきく芹沢だが、なにしろ長寿で活躍時代が長いので、その活動の一端であるのかも知れない。彼が広島の原爆について書いた長編小説の内容と、その時代の世相の解説である。たしか、先日NHKBSでアラン・ドロン主演の「サムライ」という映画を観たが、もしかした、日本的資質を皮相に解釈したもので、芹沢の作品の影響もあるのかも知れない。
【「小説のなかの絵画・第13回=石川淳と「白描」(続)ブルーノ・タウトと日本の風土」中村ともえ】
 とにかく、「白描」について、石川淳の疑似私小説的な手法から、その真意を読み取ろうとする、大変な評論である。自分は、全集を買っていたが、あくまで、文章表現の技術に興味があったので、石川にこんな心情があったとは、まったく知らなかった。芥川賞作家の傍流派なので、大学生の卒論に適している作家であろう。教授もよく知らないかも。この評論は参考になる。
【「正宗白鳥―仕事の極意―(文壇遊泳術)に学ぶ」佐藤ゆかり】
 正宗白鳥(1901~1962)に代表作がない、という話には驚いた。そういわれてみれば、自分も戯曲の短編を読んだだけの記憶がある。それは、家族制度に関する題材として読み、あまり面白いと感じたことはなかった。もとは評論家だったという。なるほどと思う。ここでは、正宗白鳥全集(それがあるのがまた驚きである)から、白鳥が物書きとして、冷静に自己評価し、世渡り上手としての作法をピックアップしている。要するに、原稿を頼まれての文学商売なので、締め切りを守り、編集者が依頼してきた意図を理解すること。
 本格派の文学者になる気もなく、時代に合わない時がくれば依頼がこないのは、当然といような、心得方が大変面白い。余談だが、自分は、オーディオ機器のコピーライターをしていた時に、あなたの発想は古いと言われて、頼まれなくなった。自分もこんなんで音楽を聴いていられるかと、いやになっていたのでよかったのである。当時は、レコード盤からCDに移るときで、コンピューターのバグがひどく、再生音がまともでなかった。そこで、マーケティングや経済記事ライターに切りかえたことを思い出す。その後、まもなく、あるオーディオ店の店長の勧めで、カーペンターのCDを聴く機会があって、その高度な再生能力と、音質調整技術の向上に舌を巻いた記憶がある。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=詩人回廊・北一郎

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2021年1月15日 (金)

「ら・めーる」81号をたしかに頂いております。

 新名さま、紹介記事が手つかずで、すみません。また、他の同人誌編集者から賀状を頂いても、私事の事情で返礼をせずに失礼をしております。ありがとうございました。まだまだ、同人誌が積みあがっていますが、紹介記事漏れがあることを、ご了承願います。なお、「ら・めえる」表4の発行日をみると、2月発行になっていますーー。コロナ時代のせいか、なぜか同人誌の寄贈数が増えまして、そのうち機会があれば、紹介させていただくつもりです。じぶんなりの文芸同志会結成の思想で紹介させていただいています。なお、北一郎は伊藤の詩人名で、同一人です。なお。コメント欄には、それぞれ目的をもった投稿がありますので、代表が目を通してから、公開しています。

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2021年1月14日 (木)

文芸同人誌「アピ」第11号(茨城県)

【「ヤッテラレナイョー」原島留男】
 社会評論として非常に面白く、ウイットに富んで、優れて今の世相を反映しているので、作者と編集長の許諾を得てその一部を転載させていただいた。《参照:暮らしのノートITO評論「【「ヤッテラレナイョー」原島留男】
 歌手・山崎ていじの唄に「浜防風」というのがあるそうで、その中にこのフレーズがあるそうだ。面白い話だ。自分も、この部分を何かのコピーライトに使いたくなる話である。
 【小品三編―「お祝い」友修二】
 おばあちゃんが、77歳になったので、家族がお祝いをする。そのとき、おばあちゃんが、ダジャレを乱発して、皆を面白せる。気持ちほっこり話である。
【同-「いつか来た道」友修二】
 杉田薫は、自分の身近なことにしか興味を持たず、生活を送っている。テレビニュースで憲法論議をしていても、気にしない。会社の同僚が憲法と戦争の話をしても興味をっ持たない。パチンコにうつつを抜かす。するとある日、郵便が来る。徴兵制による兵役召集であった。――SF風であるが、政治に関心がなくとも、それの無関係ではいられない、という話。
【同「サクラソウ」友修二】
 定年退職し、妻と離婚している川島健二は、毎日が日曜日の生活になじめずにいる。家を整理していたら、サクラソウの模様のハンカチを見つける。そこから、まだ、会社員になりたての美枝子との交際がった思い出がよみがえる。彼女が政治に関心があって、日米安保反対の騒動の時代のことが語られる。あの時代があって、今があるのは、どういうことか、考えるヒントを提供するが、作者の平和に対する意志が直接に反映されているようではないのが、惜しい。
【「川の向こうに」西田信博】
 時代小説で、佐吉は大森の六郷川(多摩川の下流域)の川崎への渡し船の船頭をしている。過去にいわくがあり、それをそれとなく隠している。そこ土地のお初という年増と良い仲で、やがては夫婦になろうかという間柄である。そこで、起きた出来事を丹念に描く。色ごとの場面もたっぷり挟んで、読者を退屈させない工夫もある。六郷川周辺の時代考証もしっかりしていて、本格的な大衆小説的内容。だが、表現が純文学的で、丁寧な筋運びで、スピード感に欠ける。この地域の地道で忍耐強い努力をする人達の風土の反映であろう。この丁寧さを、文学的に深める方向にいけば、さらに完成度が高まったのかも知れない。
【「花野」さらみずえ】
 炭鉱労働者から、北海道の十勝に来て農業を営む康治が70を過ぎて、娘三人に後を継がせた話である。北海道農業の実態をみっちり調べて書きこんでいるその努力に感心した。
【「輝きの夏」宇高光夫】
 自らの人生を、三島由紀夫の作品の関わり合いついて掘り起こし、ついでに三島作品の粗筋を入れるなど、自伝に三島のデーターを絡み合わせた、ロマンてき作品。企画小説として面白い試みである。
【「私と歌謡曲」飛田俊介】
 以下のようなタイトルが記されている。「渡辺真知子コンサート」ひたちなか公演――「BS日本の歌」水戸公開録画」(私の独り言)―-思い出①過去の栄光よ永遠なれ――「男演歌祭り」水戸公演―①千昌夫、②大川栄策―思い出②堀江君と「柳瀬ブルース」――「夢コンサート」水戸公演――思い出③ミっちゃん、シゲちゃん、マサボ君――「ロックフェス」ひたちなかーー思い出④歌謡兄弟―展さんと努さんーー夢スター歌謡祭「春組対秋組 歌合戦」水戸公演――おわりにーーとなる。歌謡ファン心理との歌手への印象記として、同好の人にはお勧めの作品である。
 著者はよくぞ、応募し通ったものである。他愛もない世間話のつもりで読み始めたら、ポップスや演歌歌手へのファン意識や世相の評論になっている。こういう記録は貴重である。自分は、コロムビアの団塊の世代向けのオーディオ商品のコピーライトと、PR誌の編集をしていたので、クイズの景品にヒデとロザンナのレコードを出したら、応募はがきが山ほど来た。その人気に驚いた経験がある。仕事で、歌手にインタビューするとなぜか、サイン色紙をくれる。たくさんあったのだが、いつの間にかなくなっている。家族が誰かに上げたりしたのであろう。
【「ある小学性の満州からの帰還と戦後」取材・三浦克洋】
 つくば市並木で「並木そば」営んでいた平倉浩一氏の、波乱に満ちた人生を記したインタビュー記事である。平倉さんは、昭和13年に満州で生まれた。父親が国鉄職員であったので、満州鉄道に配属されたためという。敗戦後の、満州からの引き上げは、作詞家のなかにし礼が、国から棄民された、と語っていたが、一般人の苦節を記録にする有意義な試みである。自分は、かねてから街中ジャーナリズムを同人誌に掲載することを推奨してきたが、その実際を知って大いに支持するものである。写真や満州の地図も掲載されているが、まさに日本の帝国主義領域の大きさと、国内外にどれだけの犠牲者がいたのかを思い、感慨にふけるものがある。
発行所=〒309-1722茨城県笠間市平町1884-190、田中方、「文学を愛する会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2021年1月12日 (火)

文芸誌「ガランス」第28号の編集後記の転載

 コロナ過で、会合が開けず、不自由をしている。このところ寄贈される同人誌の数が増えて、読み通すのが遅れ気味である。そこで、最近に到着した「ガランス」第28号に眼を通したところ、「編集後記」に、その現状が記されている。多くの同人誌もそうなのか、情報提供として、ここに転載しておきたい。まだ、小生は生きてますので、後日に作品紹介しましょう。
【編集後記】
 ガランス28号が発行の運びとなりました。今回は、中堅、ベテランのの作品が中心となっています。.小説は「浄土への岬」(入江修山)、「蓑の棲家」(野原水里)、「風の行方」(由比和子)、「舌びらめ」〔鈴木比嵯子)、「巣ごもり」(小笠原範夫)の5禰で、随泌「来てるぎりオペラ・アリア」(八谷武子)の1編です。各作品の筋立を簡単に紹介しますと、「浄土への岬」は、かつて補陀洛渡海が行われた岬へお浄土を探し求めてきた男のとへんろ宿の女将との出会いが、「蓑の棲家」は、蓑虫の飾を庭木にぶら下げる初老の女性に、強盗目的で近寄る若者の気持ちが、「風の行方」は、息子を女手一つで育て挙げた高齢女性が、かつて住んでいた町に戻り、育った家に住んで入院中の養母の世話をしながら、かつての知人たちとの再会が、「舌びらめ」は、椿神社と呼ばれる由緒ある神社の参道の脇道で、椿餅という名菓の土産物店を営んでいるヒロインと病弱の夫、夫婦を取り巻く人物との交流が、「巣ごもり」は、離婚して帰郷した「私」が、タケノコ掘りをする一日を通じて、幼少の私を育てた祖母を中心に両親、叔母・叔父、幼馴染みとの思い出が、それぞれ.各人の持ち味で描かれています。

  今年、2020年は、新型コロナウィルスの感染拡大で、先行きの見通せないまま過ごした不安な1年でした。感染予防対策のため私たちガランスの会も、例会の開催を中止せざるを得ませんでした。同人たちはたがいに、メールや電話でやりとりして創作意欲を燃やし、年内発行にこぎつけました.若手の寄稿がなかったのは残念ですが、「慨にコロナ禍のせいにすることはできません。創作は、もともと一人の孤独な作業ですから.とはいっても、終息の気配が一向に見えない感染拡大の中、会を継続していくために新たな対策を考えなければならないのかも知れません。
 一方で、人がある時何人かで集うこどはあんなに楽しかった、また、人がある場で意見を述べてその場で別の人が理解を示してくれることがあんなに嬉しかった、などと思ってコロナ以前が懐かしくてなりません。
 「3密」が感染拡大の元凶、っまり人と人とのある範囲を越えた接近が感染源であるという現下のコロナ災害は、人聞の思い上がり、例えば経済のグローバル化といった資本の論哩に対する自然の警告と考えるべきでしょうか。いや、自然にそんな真意はないと思います。未知の厄介なウイルスに最初の一人が感染し、地球上の人間にあっという間に広がっただけです。
 いつか起こることが今起こっているだけです。「あっという間に」という点に経済のグローバル化が関わっているのは間違いあ.りませんが、それをやってのけたのはあくまで人間です。私たちの町内も、国が示したガイドラインに従い、「3密」を避けるためお祭りや盆踊りや体育会などの人が寄り集うイベントはすべて中止となり、各種の文化活動も開催延期となりました。一般の飲食店やスポーツジムやカラオケ店なども営業を制限されているので、高齢者は巣ごもりのような生活を余儀なくされています。
 400年続いていた神社の春の大祭も今年はありませんでした。神社にお参りしても、感染予防対策のため、手水が抜かれ、鈴緒が巻き上>げられています。一日も早い、人と人が寄り集うことが出来る日の、神様に手を通じて願いを届けられる日の到来を願うばかりです。(O)令和2年12月25日発行28号。

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2021年1月 6日 (水)

文芸同人誌「あるかいど」第69号(大阪市)

 パンデミック特集を組んでいる。エッセイや誌作品、掌編小説風の創作もあり、それぞれの事情が表現されている。そのなかで、いくつか紹介しよう。
【「拍手を送りましょう」久里しえ】
 ラジオを聴いていると、コロナ感染者の治療に忙しい医療関係者に、感謝の拍手を送りましょうという、呼びかけがあった。「私」は、ラジオを聴きながら、呼びかけに同調して、拍手をする。そういう自分は、テレビニュースで、米国や欧州で、出勤前の医療関係者に拍手をしてるニュースを見たが、日本のラジオ放送での呼びかけは、知らなかったので、驚いた。海外ニュースでは、それに医療従事者が勇気をもらった、という解説があった。だが、ここで日本の作者は、自分のしていることの不条理な部分に気付く。本来、こうした災害に、ただ拍手をして感謝するだけで、済ましていてよいのか。という思いをさせる数々の出来事に出会う。本当に拍手することしか、できないのか? そうでないかも知れないことへの不条理感が良く表現されている。
【「禍いの中」折合総一郎】
 デパートに長年勤めてきた誠一の、人生を短く語る。コロナに感染したら、高齢者が明日へも知れぬ立場に追い込まれる切実な心理を描く。誰でもそう思うであろう。
【「非日常のなかでの私の日常」高原あふち】
 バンでミックの世界に入ったことで、日々の出来事が、特別なものに受け止められる日誌的な記録。普通の出来事の書きとめのように思えて、結局は、閉塞感に満ちているのがわかる。物事、書いてみるものである。表現が出来上がっていく。
【「白い心」世花むむ】
 半年前に兄が28歳の若さで亡くなった。突然の心筋梗塞だった。その義姉が入院した。
お見舞いにいくと、夫を亡くしたのは、自分の気づかいが足りなかったからだと、罪の意識を語る。じつは、語り手のぼくも、その家族も、若くして兄が亡くなったのは、何かどこかに落ち度があったのではないかと内心では思っていた。その時、義姉の兄が、見舞いに来る。そして、亭主を死なせて、自分が病に臥すとは、はた迷惑をかけるな、というようなことを、彼女にいう。それを聴いて、なんでも他者に原因があるような発想に、怒りを感じ口論になる。その後、義姉は快癒するが、ぼくのなかに微妙な感じが残る。あれこれ考えさせる。人間の内なるものを思い巡らせる。ー「華奢人だということは覚えていた。だが、病院のベッドに横たわる義姉は、布団のふくらみもほとんどないほどだった」という表現に、感心した。
【「奈津の乳房」高畠寛】
 奈津という女性が妹の友達だった、従妹ぐらいの関係だったのか、とにかく思春期以前の時期からの異性の友達であったが、ある時、彼女の胸が大きくなっているのに驚いて、触らせてほしいというと、好きなだけ触らせてくれた。その親近感は、恋愛とは異なる肉親的な感情を育てる。二人が、親しいのが恋愛を超えたようなものであることを、大川という友人が見抜いたのか、奈津が好きだから、告白させてほしいという。しかし、大川の奈津への恋は実らず、ひとつの出来事で終わる。だが、この小説では、このような手順ではなく、大川も語り手も、年老いて親友であった大川の死から、年老いた奈津と再会するところから始まる。とにかく面倒な手順で語るので、余分な出来事がたくさん書いてある。苦労して遠回りした書き方をしているのは、作者の個性であろう。とにかく、語り手は、思春期に乳房を自由に触らせてくれた奈津が、自らの存在を全面的に肯定し、認めてくれた愛の持ち主であることを、書きたかったのであろう。よくわかる。文学であればこその作品かも知れない。よい作品であるが、形式としては、枝葉の多いところが、緩いような気がする。同時に、アートには根気が必要なのがよくわかる。
発行所=大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2021年1月 2日 (土)

「茶話歴談」第3号(大阪府)

 関西の歴史小説の創作者たちが執筆した、十編の歴史・時代小説集。この前の第2号を送付していただいたが、どういう風に紹介しようか、思うところあって、別扱いになって、取り置きしたままになってしまっていた。そこで、今回の3号の紹介に、物語の出だしの部分だけを、写しておきました。ほとんどが、場面から始まっています。現代は、物語化で情報が伝わる時代です。おおいに参考にして欲しいものです。
【天狗斬りの乙女」真弓創】
 柳生宗厳から岩を両断する秘剣を学ぶ少.女、明音の仇討ちの顛末。
~~まだ紅葉もはじまってないのに、天乃石立神社にはすでに冷気が漂っている。山深くに作られ、このひと気のない神社の境内で一人稽古を行うのが柳生宗厳の日課だった。~~
【「「義時廻事 ―I will kill you, must go on―」黒嵜資子】
 幾度も同じ時を繰り返し朋友を殺し続ける江間義時の受難。
~~二俣川の河原は遠巻きな蝉の声に包まれていた。~~
【「厩戸皇子の遺志を継ぐ者たち」有汐明生】
 塩厩戸皇子の孫を引き取り、蘇我入鹿に仕えた忍びの受難を描く。
~~吾は語部、名は稗田阿礼という。28歳のとき天武天皇により、皇家の歴史を暗唱することを命じられた~~
【「老将が夢」都賀久武】
 雪見酒の最中、かつて駆けた戦場に思いを馳せる。
~~春だというのに館の塀越しに見える信州の山々にはまだ雪が残って見えた。老将は手酌で時期遅れの雪見酒をすすりながらかつての戦いを思い出す。~~
【「浮き草の流れ行く如く」霧山文三郎】 
 南北朝の争いに翻弄され、若き命を散らす歌人の親王を描いた。
 ~~将軍足利尊氏は、執事の高師直を伴い、しかめ面をして無言のまま、長い廊下を家臣を待たせる書院へと歩いて行く。~~
【「青嵐早春賦~新選組を生きるー」丹羽志朗】
 幕末動乱を全力疾走で生きた若者、天の育弄と別れ。
~~遅咲きの桜も終わり、遠くに望む野山に青葉若葉が萌出る頃である。~~
【「謙信、心ときめき」山岡優作】
 人の情欲を捨て、軍神たらんとした男の葛藤劇。
~~天文10年(1951年)の冬。落ち葉が舞い散り乾燥した冷たい風が吹きすさぶ曹洞宗林泉寺の境内。~~
【「蒼弩に挑む」天河発】
 日本で初めて空を飛んだとされる「鳥人」浮出幸吉の生涯。
~~初老の男が一人、丘の上に立っていた。向い風に煽られながら、晴れ渡った青空を眺めている。~~
【「ヒール役はお好き?」まつじゅん】』
 忠臣蔵のヒール役・吉良上野介を主役にした作品を紹介するコラム。
【「鬼の道」朝倉昴】
 武田家の軍師・山本勘助の執念の奇策が川中島に展開される。
~~こほっ、こほっ。咳とともに御料人様の口もとが、朱に染まった。~~
発行所=〒573-0087大阪府枚方市香里園山之手町13-29、澤田総方、朝倉昴。茶話歴談編集部。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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