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2020年12月12日 (土)

初期のネットニュース記者時代

  文芸情報を収集するようになったのは、マーケティングの通信社の経験があったので、フリーライターの仕事にどんな種類があるか、分析する意味があった。そのあいだに、金融雑誌にに頼まれ調査取材をするようになり、株情報にも接するようになった。そのころから、事件というのが、選ばれたり、作られるものであるという事情がわかってきた。《警察・検察の姿勢と安倍事務所=メディアへの対応手法》。なぜか起訴されないことも多い。「ライブドア」も、2005年ごろ、社長であった堀江貴文氏は、NHKテレビで能力さえあれば、年齢に関係なく起用すると語っていた。また、当時のフリージャーナリストの間では、堀江氏が東京経済新聞(仮名)の発刊を考慮しているという噂が流れていたのである。そこで、私は早速、その新聞刊行に記者として活動したいと、メールを打った。すると、同社の広報部から、その前段階のPJ(パブリックジャーナリスト)ニュースを実施しているので、八千円を払って、外部記者募集の研修と筆記試験を受けて欲しい、という回答が来た。
 そこで、応募料を支払って、六本木ヒルズに出かけた。その時のポータルサイトには、ライブドア・ニュース専門担当記者が七人ほど存在するときいた記憶がある。それにPJニュースの外部記者の採用をしていた。担当は、小田光康編集長であった。彼は、東大卒で、米国で記者として活躍した実績があった。「堀江社長は、東大中退だけど、僕は卒業組ですからね」と、学歴での優越性を示していたものだ。だが、堀江社長が逮捕されて、しばらくしてサイトはなくなった。ライブドアの堀江社長は、選挙に出なければ事件化されなかっただろうと思う。人づてにきいた演説内容で、拙いことを言っていたのであった。

 

 

 

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