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2020年12月30日 (水)

井上元義「虚日の季節」が仏語訳付きで出ていた。

  海第二期(熊本市)の同人でロマン派の詩人・作家の井上元義(以下、人物の敬称略)箸「虚実の季節」<(株)書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)>が到着した。これは、作者の日本語作品の散文詩に井出三郎が仏訳し、対訳にして、それをエレーヌ・グロードが監修してる。非常に挑戦的な本である。もっと、早く到着していたのだが、読んでしまって楽しんでいた。フランス文学風の浪漫派というか、ランボーの影響が強く出て、カミユなども出てくる。どっちかというと、ディレッタント的であるが、大したものである。昔のモダン文学の情念がたっぷり楽しめる。作者の説明によると、「日仏学館の勉強仲悶である井乎三郎に、作者の仏語訳を読んでもらい,字句や文法上の誤りを訂正してもらう。彼は作者の詩をよく理解してくれて、彼の訳した詩句に、作者は書いた時の気持ちが鮮やかに蘇るという嬉しい経験をした、という感謝の言葉がある。最終的な校旺と監修をしたたエレース・ド・グロート教師にも、感謝している。また出版に関してお世話になった書肆侃侃房の田鳥安江氏と成原瓶美氏に深く謝意を表したいーーとある。記憶違いかもしれないが、「食べるのがおそい」という雑誌?を出しているかな?

 

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2020年12月27日 (日)

読むつもりの同人誌が貯まる

 このところ、生活が忙しく、送付されてきた同人誌が貯まって、高さが30センチほどになっている。発行日の早いものから読んで、紹介をしてきたつもりだが、今では何がなんだかわからない。全部に目を通しきれないうちに、コロナに感染でもして、我が寿命が切れてまったら、それまでですので、ご了承を。
 いま、貯まった本を次に読もうと、取り出した本の発行日を見たら「あるかいど」などは、10月の発行日である。ずいぶん遅れたものだ。ぱらぱらめくると、パンデミック特集がある。面白そうだ。これから読み始めよう。自分は、純文学に弱い。大衆の一人に過ぎない。わかりやすいか、とんでもなく難しいのを好む。これは、お互いの好みの反動を起こす心理であろう。時代が変わってしまって、テレビなぞ見ても、芸能などやるが、何が面白いのか、さっぱりわからないし、話題にされる芸能人を知らない。それじゃだめだろうと、思うが、過去の読書歴で19世紀作品が中心なので、感受性と発想が古い。だいいち携帯がガラケーでスマフォを持たない。
 同人誌は、純文学が多いので、多くの作品の出だしに大衆性がない。好みに合わない。読むのが遅いのも、特に急いで読む必要はないな、という感じでいるからであろう。娯楽ものなら、まず場面から始まるのが定番だから、それからどうなる、と読むのが早くなるが、同人誌は説明から入るのが多い。この説明のあと何が起こるのか、それが、謎めいている。

 

 

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2020年12月25日 (金)

文芸同人誌「浮橋」第6号(芦屋市)

【「落差」曹達】
 バブル崩壊後の、2000年ころの話で、その時期に不動産事業に情熱を燃やす男の話である。この世界が刺激的であることの魅力は、物語をする作者の熱のこもった文章に表れ、好感が持てる。情熱のない話は、自分にとってはただの作文でしかない。欲を言えば、不動産業界が、経済環境に左右されることの記録として、現在の低金利時代の不動産業界の事情と比較した視点での解説も欲しかった。現在しか知らない人には、不可解な現象にみえるのではないだろうか。
【「黄昏のテレスコープ」小坂忠弘】
 いくつかのエッセイの連作のようだ。「敬天愛人」の話と、歩数計と木賊(とくさ)色の傘」の2編。いわゆる、自分の感覚を中心に話を進めるもの。最近の同人誌には、肩の力を抜いたこのようなスタイルの作品が増えた。高齢化の進んだ結果であろう。それぞれ、心当たりがあったりして、洒落た趣向が面白いが、細かく説明するためのまとめる力が自分にはない。
【「馬を洗わば~『美少年』グラスにそそぐ煌めきは三島由紀夫の憂いのような~」尾崎まゆみ】
 本編に続くいくつかの作品は、三島由紀夫に関する、批評や感想記である。ここでは、「没後50年」ということで「三島由紀夫VS東大共闘五十年目の真実」について語る。今となっては、三島の行動は自己の存在証明にかかわる危惧たったのではないか、とし、その先に21歳で自死した歌人・岸上大作の存在を示す。自分は、よく分からない人の世界なので、「そうなんだ」と素直に受け取った。
【「遥かな人 三島由紀夫」春水】
 三島の作品や生活態度について、文学愛好者の視点から解説があって、大変面白い。終わりに、金芝河が「アジュッカリ新風―三島由紀夫に」という詩が掲載されている。これは知らなかったので、興味を持った。三島に対する罵倒であるが、それは日本の侵略に対する憎しみに重なるのであろう。自分には、同類者は相憎むという現象に読めた。人は過去に生きるところがあるのは、仕方がないことなんだろう。
【「僕の1970年」岡田勲】
 作者は建築設計関係に人で、その生活の中で、三島事件を知る。それから三島の作品を読み始めたようだ。文学と生活のなかの、出来事話で、共感を持って読んだ。
【「ウキペディアの三島由紀夫」村井重夫】
 発想がいい。そのまんまで、ウキペディアってよく書けているので、改めて読んで、感心した。
【「三島由紀夫の妻」広常睦子】
 夫人の平岡瑤子は、画家・杉山寧の娘さんであったという。死後は、三島の著作の整理、管理を行ったという。一頁であるが、あまり目にしない夫人の身辺が説明されている。三島の初版本は、神田では高騰して、奪い合いになったというような話をきいたことがある。神田の古書店では、夫人は厳しい人だとかとも聞いたような気がする。
 その他、【「三島由紀夫と戦争」夏川龍一郎】、【三島由紀夫の死んだ日】小坂忠弘】、など、同人誌作家たちの三島感が描かれていて、面白さは抜群である。
【「春浅き伊那・木曽路の旅」藤目雅骨】
 旅行記と同時に、文学論的に島崎藤村の解説なども詰め込んでいる。
【「復興の村」山際省】
 とにかく、出来事がずらずら書いてあって、長いのに驚いた。文章力があるので、農地周辺の自然描写など読ませられた。農業の生活者の一例であるのかと、漠とした気分になった。自分の書くものより優れているのは確かであるが、読み手になるとそんな感じになる。
発行所=〒659-00053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2020年12月24日 (木)

ブログの社会性と広告

 当サイトには、広告がない。これは、同人費用負担の情報紙「文芸研究月報」を発行していた時の経験によるものだ。当時電子書籍の普及期で、それと雑誌発行数などの情報を簡略記事にして掲載し、ミニコミ・ショップで販売していたところ、情報源の企業から、著作権侵害と、その費用の請求を受けた。そこでのトラブルの経験からきている。月報の休止のかわりに、同じ機能を持たせたブログをここに開設した。それで、多くの情報源をとりいれるので、そのことで利益を得ていないということを示すのに、プロバイダーの広告非掲載システムを利用した。しかし、「暮らしのノートITO」のブログは、もともと外部ニュース記者契約のなかに、あとからブログ掲載の義務化があって、開設したので、運営先の広告がついている。《参照:3千億市場に成長のアフリエイトの規制へ調査!消費者庁》。アフリエイトは、当時、やっている人から、クリック数が少なくて、収入は少ないと聞いて、やらないでいる。それに面倒くさい。そのかわり、支援してくれる中小企業があったので、ブログの記事で企業紹介をして、取材費を寄付してもらっていた。それも8年前にやめた。それまで、当時の事務所もそこの仕事を手伝って、事務所使用料を寄付してもらっていた。今は、趣味で、商業性はない。

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2020年12月23日 (水)

文芸時評・東京新聞(12月23日・夕)=伊藤氏貴

見出し=【客観的になってきた「三島」/山中剛史「自分の人生を作品化」/平野敬一郎「日本社会の否定理解」

《対象作品》山中剛史「生身の死と再生」(「季刊文科」81号)/松本徹と佐藤秀明=対談(同)/小佐野弾、鴻池瑠衣、古川真人、水原涼=座談会(「すばる」10月号)/ジョン・ネイスン「三島の問題」(同)/田中慎也「橋づくし」(「文学界」12月号/平野啓一郎(「芸術新潮」12月号)/同「豊暁の海」についての論考(「新潮」12月号。

 

 

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2020年12月22日 (火)

合評会記=「詩と眞實」12月号(熊本市)

 「詩と眞實」は毎月発行され、前号の同人たちの作品評が「合評会記」(出記)として記録されている。自分は、とてもその発行頻度に読むのが追いつかずにいる。そこで、この「合評会記」を読んだところ、実に優れた紹介になっており、わかりやすい。そこで、それを転載することで、紹介に代えたい。同誌の新年号に掲載されたものである。転記ミスがあるかも知らず、そこはご容赦願います。また、詩作品も評があるので、なにか方法を考えて、みたいものです。
【小説「顰め牡蠣」宮川行志】
 東京のある出版会社の祝賀会に出席した夜、友人に達れられていった「オイスターバー」との思い出が、作者の過去の深く関わっていた「牡蠣」と思い出が、緻密な文章次々に展開して行く物-語である。「.牡蠣」を生業としていた父親と閏係で、「.牡蠣」.の世界へ入っていくが、牡蠣養殖が下火になって、将来.への道を断念し、全く違う分野の学校へ進み、教師.の仕事に就く。さらに、に五十を過ぎて.の赴任先で、偶然に「顰め牡蠣」の群れに出会い、再び「牡蠣」取りにのめり込んでいく。考えてみれば妻との出会いも牡蠣との縁であった。壮礪への思いは今も衰えることなく,牡蠣の再生への祈りがしみじみと漂う。経験なしでは書かかれない文章で,文句なく、全体に素晴らしい作品で、物語りの展開もよく、好評の意見が多かった。牡蠣の養殖が衰退していく様を、もう少し突っ込んで書いて欲しかったという意見もあっ.た。
【小説「八月の光(第10話)」武村淳】
 八月.の光は原爆の投下された光であり,そして未来への希望の光か。主人公が朝.の出勤途中に立ち寄った公園で、数羽のカラスに出会うことから物語は始まる。そ.の中一.匹が、彼に自分は昔.八間だったと語る。さらにそのカラスは主人公の安波.のかっての親友、蔵川.で.あることを知る。そこでカラスの世界の白カラスに今黒カラスたちは困っているという話を聞き、安波もカラスに変身し彼らに力を"貸して活雁し白カラスとの争いを納める協定を結び、平和が戻る物語だ。
 人間と鳥、あるいは地上とカラスの住む世界が自由に行き来する世界が、違和感なく読めるのは、作者の戦争批判が通底にしっかり流れていからに違いない。
 作者の架空の物陥を作っていく力が感じられる作品だ。物語のファンタジー-にも違和感なく入って.行けたという意見が多かった。
【小説「三角発島原行フェリー(第11話))武村淳」
 三角から雲仙への行き帰りの問に、天上界の最高神耳毛多.師の愛人雪染に九羅塩王子を誕生させ、妻女伸多瑠美亜との数千年に及ぶ怨恨の物語りを織り込んだ、激しくも壮大な物語である。内容もよくわかるように描かれ、葉平の妻毬安がフェリーで帰省するところから物語は始まる。毬.女が猫の化身という設定は,この物語を読む側に近付けてくれ、身近に感じられることで違和感を払拭させてくれる。
 この小説も、架空の世界で繰り広げら.れる戦いも現実のものででもあるという作者の思いはここでも明らかだ。全体に面白く読んだという意見が多かった。天上界と地上界、登場人物、情景描写が素晴らし、作者の力量がうかがえる作品となっている。(出記)
発行所=〒862-0963熊本市南区出仲間4-14-1、詩と眞實社。
転記転載者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年12月18日 (金)

第164回「芥川賞」と「直木賞」の候補作

第164回「芥川賞・直木賞」、候補作決まる。 来年1月20日に東京・中央区の新喜楽で選考会を開く。
【芥川賞】宇佐美りん「推し、燃ゆ」(文藝秋季号)/尾崎世界観「母影」(新潮12月号)/木崎みつ子「コンジュジ」(すばる11月号)/
砂川文次「小隊」(文學界9月号)/乗代雄介「旅する練習」(群像12月号)。
【直木賞】芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』(文藝春秋)/伊与原新『八月の銀の雪』(新潮社)/加藤シゲアキ『オルタネート』(新潮社)/西條奈加『心淋し川』(集英社)/坂上泉『インビジブル』(文藝春秋)/長浦京『アンダードッグス』(KADOKAWA)。
   ☆
 今年は、知らなかった同人雑誌が、多く送られてきます。何かあったのでしょうか。幾度も述べていますが、こちらか、送付を募集したことは、当会では一度もありません。好意の寄贈とうけとめるので、感想を書くとはかぎりません。当会は、20年前に、物書きで収入を希望する人向けに、会員制度ではじめました。そのため、読者を意識した作風をアドバイスし、作家の情報を流して時代の動向を記録していました。会員がたまたま、同人誌に発表したものを、読者を意識するように、アドバイスしていただけです。その事例として、自分が雑誌社に小説を売り込み、作家の経験もしました。《参照:超文学フリマ』に観た日本文学の潜在力への挑戦」の概要

 

 

 

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2020年12月17日 (木)

文芸同人誌「小説春秋」第31号(鹿児島市)

【「西海道を<旅する人々>」斎藤きみ子】
 純文学である。咲子が若い頃ローマに留学した。そのころにシュウーレインという男に出会い、情熱的な欲望の時を過ごしたことがある。かれは自分が無精子症(アゾスバーミア)だという。そして、彼の影響を受け、<虚構の研究>に力をそそぐようになった。そのあたりは、気取っていて文学的だが、その彼との肌の合わせるシーンの書きかたは、大衆小説の濡れ場の描写と表現したいくらい俗っぽい。そして、日本の南の離島か、半島を舞台にした、古典的な伝説と、西洋的な風味の合わせたような話が展開する。マホという若い女性が同人誌に連載中の小に描かれた幻想的な世界が説明される。近年、若い人たちの小説ジャンルに非日常的で、非現実的な自分だけの作った世界を、舞台にしたいわゆる「(自己)世界モノ」というのが、流行ったし、今もあるが、その大人版という感じ。面白くはないが、つまらなくもないという小説。とにかく、文章表現の世界の描き方にムラがあるのが、気になった。書き方は達者だが、異世界物というジャンルのトーンが統一されていないのが、目立つ。旅人の無責任で気まぐれさが、作品に出ている。それが表現したかったのかな。
【「パラボラ」さかがみ えま】
 浩二が故郷の行、その兄が迎えに来るというところから、小説がはじまる。自分は描かれた土地を知らないので、語られる事柄を、そうかそうかと読むだけ。宇宙マニアの父親の建てたパラボラアンテナを台風から守ろうとして、屋根から落ちて死んだ、という話も、なるほどである。ちなみに、実話で気球に乗って世界を廻ろうとした音が、近所の屋根に不時着し、同じ男が同じ挑戦をまたしたら、高く上がり過ぎて、行方不明になってしまった。アラスカに落ちたのか、宇宙を遊泳しているのか、しばらくスナックで話題が続いた。話としては、こっちのほうがよほど面白く考えさせられ。文章が軽快なのはよい。小説は、作者の語り口の面白さが肝で、後は人物像の立体化である。事実らしいもっともらしさなどは、不要なのではないだろうか。
【「いつまでも消えない灯りがある~先の見えない「今」に観る「キネマの神様」~」鳥居佐智子】
 コロナ禍のなかで。「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画を観た観賞記の社会評論である。まず、冒頭に文章の流麗さで惹きつけられる。映画の後で小説を読むということもよくあることだが、何が良くて、何が悪いのか。なぜ、人はアートを観賞し、情念を満たすのか。作者と一緒に思案させる一編である。
【「お由羅騒動異聞~悲運の歌人 山田清安と歌子」杉山武子】
 江戸幕末期、諸外国からの外交攻勢で、江戸幕府の鎖国政策が揺らぎ、各藩でその対応に追われていた時代。歌人たちの文学生活と人生を描いた歴史文芸史でもあろう。自分は、短歌に疎いが、当時の歌詠み人の切実な表現力と、生活との密接した緊張感が伝わり、平和ボケした緩んだ文学精神のとの差に想い至る。三田村鳶魚や直木三十五の「南国太平記」で知られた島津お家騒動を、悪女と通説のあるお由羅の立場から視点を変えて、その人生に光を当てている。島津斉彬に関連する歴史を追う人には、新資料があるのかも知れない。骨太の女性歴史論という印象を受けた。
【「こころを売る男」岡村知鶴子】
 80歳を超してから、マンションで独り暮らしをし、世間話をする相手もない生活を、遠くの娘が気にかけて、あちこちのデイサービスを紹介してくれる。こうなると、まったく他人ごとではない題材である。軽妙な筆致で、明るく語るのがうまい。それでも健康なだけましである。余談であるが、自分も、家内と二人暮らし。マンション住まいをしているが、高齢で脚が弱り、自治会の仕事にもついていけず、縁が切れる。家内は、マンションの年寄り体操とお茶の会がコロナで、中止となった。急に孤立した二人住まいになったところ、家内が、買い物に出て転倒、手指と顔面骨折で大病院通いになる。家内が手を使えないので、自分は今までどうしていたかがわからず、生活立往生。遠隔地から、娘が駆け付けるが、洗濯機の使い方から、干し方まで、教えてあるはず、というが、急にいわれても、わからない。とても、文芸同人誌を読んでいられる精神状態ではないが、とにかく頁を開くと、「こういう時に、本を読んでいるなんて、どうかしている」と娘に言われる。もうこういうことはできないか、とあきらめの気持ちが湧く。とにかく、本作では、娘が紹介するデイサービスに一応行って見るが、気が合わないというか、雰囲気になじめない。当然である、もともと年寄りは、年寄り仲間が好きでない。ばかばかしいのである。その事情が文学的に表現されている。いい加減のところで、適当におわっているが、面白い。身につまされる。自分のこの欄を、なにも書かれなくなったら、いなくなったと思ってほしい。
【「お国はどちら?」出水沢藍子】
 長く続きそうな連載である。作者の作品は、雑誌「文学界」に同人誌優秀作として幾度も転載されている。勝手な想像だが、東京に来ていれば、編集者とのコミュニケーションが取れて、おそらく純文学作家になっていたかも知れない。自分は同人誌「グループ桂」に所属、同人仲間の宇田本次郎(故人)が、候補になっているので、記憶にある。ちなみに、宇田氏は、新聞社や雑誌社からの執筆依頼を断っていた。だが、商業性に合わせて書けることほど器用でない、というのが主張であった。純文学作家で、商業的に常に本を出すことが、その人のアーチスト生活によいとは限らないということだ。本作では、今は亡き父親の遺稿を、玉城という預けた人がいて、彼から受け取る。父親は、10代の祖父母の遺稿を、現代文に書き直していたところで、玉城という人に預けたらしい。それは、蘇刈島で生まれ、口之津というところに移住した時の手記であるという。そのほか、文芸同人誌活動と、生活が描かれる。ちょっと、扱いの難しそうな始まりだが、作者の筆力に期待しよう。
【「風に吹く白い花」福元早夫】
 博多の稲作について、祖父の時代から、戦争中、戦後の風土を描く。白い花にはいろいろあるが、ここでは日本米のことである。
発行所=〒892-0862鹿児島市坂元780-1、福迫方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2020年12月14日 (月)

公式情報と事実の差はいつでもある

  堀江社長のライブドア時代に外部記者としてPJニュース班があって、非常にユニークな存在であった。そこらの街で拾った出来事が、市民感覚でニュースにできた。ある日、池袋駅前を通りかかったら、慣れぬ手つきでビラを渡しているおじさんがいた。商売ではないのはわかったので、ビラをもらってみた、ビラには、小泉首相への直訴という文章で、自分の息子が池袋駅頭で、見知らぬ男の突き飛ばされ、頭を打って昏倒。救急では死亡してしまったという。相手は逃げた。その犯人追及を警察の捜査が甘いので、自分が直接が犯人の目撃者を捜す呼びかけをしているのだという話をしてくれた。それが、この事件である。《池袋・立教大生殺害事件を警視庁が容疑者不詳で書類送検》自分がPJニュースでとりあげたこともあってか、大手新聞やテレビニュースになって、小林さんは多忙になり、接触はすくなくなった。警察はその事件が有名になると、彼に事件がどれほど、被害者の心を傷つけるかを、署員に講演をしてほしいと、依頼してきて、それに応じていたと、小林さんはいう。この事件は殺人、殺害となっているが、実際は彼の息子さんが突き飛ばされたあと、救急手当をしたが死んでしまったので、傷害致死事件である。それを殺害したことにし殺人事件扱いにした。そこに警察側の立場の発想がわかる。--それから、前に書いた堀江社長の逮捕事件だが、彼が選挙で、地元で当選したら国の歳出と経費の削減をすると語り、そのなかで、皇室の経費も無駄を省くと演説していたそうである。広島の会員がそれを聞いて、危ない橋をわたっているよ、と教えてくれたので、覚えている。それから、あの粉飾決算事件が起こる。そういわれれば、そういう関連かなとも思う。いま、皇室は若い女性の婚約を認める認めないと、週刊誌情報をもとに騒いでいるが、自分には何が問題かわからない。もし、週刊誌情報がもとならば、国民全体が若い人への人権侵害の犯人である。太平洋戦争の裁判で、戦犯者たちは、「自分は戦争をしたくなかった。反対であった」語ったという。でも、戦争をしたのである。人間の悪魔性がそこにあると思う。

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2020年12月12日 (土)

初期のネットニュース記者時代

  文芸情報を収集するようになったのは、マーケティングの通信社の経験があったので、フリーライターの仕事にどんな種類があるか、分析する意味があった。そのあいだに、金融雑誌にに頼まれ調査取材をするようになり、株情報にも接するようになった。そのころから、事件というのが、選ばれたり、作られるものであるという事情がわかってきた。《警察・検察の姿勢と安倍事務所=メディアへの対応手法》。なぜか起訴されないことも多い。「ライブドア」も、2005年ごろ、社長であった堀江貴文氏は、NHKテレビで能力さえあれば、年齢に関係なく起用すると語っていた。また、当時のフリージャーナリストの間では、堀江氏が東京経済新聞(仮名)の発刊を考慮しているという噂が流れていたのである。そこで、私は早速、その新聞刊行に記者として活動したいと、メールを打った。すると、同社の広報部から、その前段階のPJ(パブリックジャーナリスト)ニュースを実施しているので、八千円を払って、外部記者募集の研修と筆記試験を受けて欲しい、という回答が来た。
 そこで、応募料を支払って、六本木ヒルズに出かけた。その時のポータルサイトには、ライブドア・ニュース専門担当記者が七人ほど存在するときいた記憶がある。それにPJニュースの外部記者の採用をしていた。担当は、小田光康編集長であった。彼は、東大卒で、米国で記者として活躍した実績があった。「堀江社長は、東大中退だけど、僕は卒業組ですからね」と、学歴での優越性を示していたものだ。だが、堀江社長が逮捕されて、しばらくしてサイトはなくなった。ライブドアの堀江社長は、選挙に出なければ事件化されなかっただろうと思う。人づてにきいた演説内容で、拙いことを言っていたのであった。

 

 

 

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2020年12月 8日 (火)

津之谷李・著「私家版中国小説翻訳集」刊行

 本書はタイトル「玉蓮・ちいさな泥棒」(私家版中国小説翻訳集)翻訳者:津之谷季(つのや・みのり)というもの。同人誌「果樹園」(豊橋市/渡辺康允主宰)に連載?翻訳したものであるという。なぜ私家版かというと、作者と連絡がとれずに、著作権による翻訳許可がないかである。いかにも文芸同人誌らしい企画本である。また、日本にないものの翻訳の日本語に苦労したという。なんでも、中国小説読書会を月イチで実施していてその成果であるらしい。同好の方は、「果樹園」発行所=〒440-0896豊橋市萱町20、矢野充則氏に問い合わせを。とりあえず、いただいたので、お礼方々、紹介させてもらいます。なかに村上春樹の作品を読んという作者の言葉がある。そこで《参考:村上春樹的生活スタイルと若者世界「ムラカミしてますか」》>

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2020年12月 7日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」(11月30日)朝刊=茶園梨加氏

「「西日本新聞」11月30日(月)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「鳥」
紺野夏子さん「鴉」(「南風」48号、福岡市)、まえだかずきさん「M坑のハト」(「詩と眞實」857号、熊本市)
江藤多佳子さん「すずらん」(「南風」48号)、今村有成さん「アムール」(「詩と眞實」857号)、西村敏道さん「病床夢幻」(「飃」115号、山口県宇部市)、下村幸生さん「あやめ」続編(「宇佐文学」67号、大分県宇佐市)
《「文芸同人誌案内掲示板」ひわきさんまとめ》

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2020年12月 4日 (金)

同人誌時評「図書新聞」(12月5日)=評者◆越田秀男氏

 --同人諸誌において戦争体験は世代を継ぎ、豊富な作品を生み、現代の闇をも照らしている。
 「その日の太陽」(黒田康嗣/「舟」180号)――黒田さんが28歳の時に父を想い書いた詩――〈私は息子として理解したいのだ/父の青春を/15で予科練に入り、18で特攻隊の生き残りとなった/その父の青春を/17で死を覚悟し、18で思いがけない余生を与えられてしまった父の青春を…略…あゝ 私などに一体何がわかろうか…略…〉。そして黒田さんは半世紀の時を重ね父への想いを書いた。
 「戦没学生の歌を読む――きけ わだつみの声より(2)」(中西洋子/「相聞」72号)――ヤップ島で人間魚雷となり戦死した塚本太郎は歌を二首遺しており、そのうちの一首――〈いとけなき昔の夢よ青葉かげ微笑み思う戯れしひと〉。中西さんの評「幼い頃の夢をみているのだろう。遊び興じているひとは誰か…略…」。
 「ドライアイス」(安海泰/「てくる」27号)――普段優しく接してくれていた父は、〈私〉が防空壕の遺構で遊び、父に得意気に報告したことを境に、父との間に氷壁がそそり立ってしまった、と思い込んできた。が、父の通夜で、伯父が語った「終戦直前の酷い経験」を聞き氷解する。父の勤める軍事に関わる研究所が空襲を受け、全員防空壕へ、爆撃で砕け散る。父だけが重要書類を持ち出そうと戻り難を逃れて、スパイ呼ばわり……。
 「雪に埋もれた家」(花島真樹子/「季刊遠近」74号)――母は亡くなる前、これまで秘匿していた事件を語りはじめた――終戦の年の秋、母が病で逝く。父は出征のまま、母方の伯母に弟とともに引き取られた。事件とは、肺炎で死んだ弟の骨を片付けてしまおとした伯母を階段から突き落とし死亡させたもの。敵役の伯母の理不尽な行為に及んだ背景も、なるほどと思えるよう描き、時代を語る作品に仕上げている。
 「掌忘却せず」(竹中忍/「北斗」670号)――タイトルの〈掌〉とは鉄拳の意で、軍隊組織の上意下達貫徹のための方法だ。行政機関に勤める主人公。上司は戦時中、新兵教育の教官だった。戦時体験が「良心を疼かせて孤影を与えて」いるものの、鉄拳教育を肯定する。その正体は責任回避システムであり、戦後もそのまま受け継がれ、現代政治はその痛みすら忘れてしまった。
 「納骨まで」(乾夏生/「時空」50号)――「父は僕の生後七十日目に出征し、終戦の三日前に戦死」、しかし遺骨も遺品もなく戦後14年経て戦死広報を取得、葬儀が行われ、墓と納骨は形ばかり。母は自ら墓を建て父と暮らした秋田・横手の土を骨箱に納めた。母の晩年、墓参りがままならず、住居近くの寺に移す。母は98歳で他界、ようやく「墓は父とおふくろの墓になった」、しかし「僕にとって、父はハナから不在だった」。
 「集骨と空手」(平敷武蕉/「南溟」9号)――「ビッグコミックオリジナル」(2017/11増刊号)掲載の劇画『ウーマク――占領沖縄、サソリ座の下で』(比嘉慂)を紹介。主人公は鉄血勤王隊の生き残り。自己を空手で鍛え、駐留軍に果し合いを挑み勝利、念願の基地内遺骨収集を勝ち取る。平敷さんはこの作品が、米兵が勝者を祝福したり遺骨を見て錯乱する姿を描くなど、普通の人としての側面を捉えていることに着目する。
 「池上永一の文学世界――沖縄文学の新しいシーンを創出する作家」(大城貞俊/「コールサック」103号)――沖縄文学は歴史的惨禍から「時代へ真摯に対峙する倫理的な」表現が主流、その中で突如として「ファンタジックなエンターテインメント小説」が出現した。大城さんは池上作品の特徴の一つとして、登場人物が「カミンチュ、ノロ、マブイ」などであることを挙げる。マジックリアリズムに欠かせないキャラクターではあるものの、沖縄の根源へ、ネドコロへ向かう水先人でもある。
 前出の「時空」に載った『横山総三という男』(大嶋岳夫)も、マジックリアリズムを活用した大人の童話。余命幾ばくもない老人が村おこしに“雪と氷の博覧会”を企図。役所の守旧派を掻い潜って死しても“マブイ”の力で成就させる。
 『永遠をバカにする』(丸黄うりは/「星座盤」14号)――親子三人の家庭、息子は劇画の才あり、将来は、と思ううちに中年。そこに頭は童女、体はボイン(息子が描く少女? と酷似)、年齢50の娘が妻として参入。全く生活力ゼロ、いや大いにマイナスで家庭崩壊、全員ブラックホールへ。サザエさん、ちびまる子ちゃん、永遠なれ!
 同誌の巻頭を飾る詩(『終の刻限』金沢美香)は爺々達の末路を歌う。蝉が「よろめきながらポトリと落ちた」「もう死ぬのかい/いいや まだ」と踏ん張っているうちに烏がバリバリと「捕えた獲物を砕いて呑む」。「烏の顔が振り向いた」と〆たが、この後に烏の一言を加えたくなった――「何かご用?」。(「風の森」同人)
《参照:戦争体験の作品は世代を継ぎ、現代の闇をも照らす――沖縄発のエンタテイメント小説、池上永一を俎上に(「コールサック」)

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2020年12月 3日 (木)

文芸同人誌「澪」第16号(横浜)

 本号では、映画の世界で、監督論や伝説的なエピソードの多い黒澤明の代表作といえる「7人の侍」を軸にした評論を石渡均氏が、連載しはじめたので、話題性と資料、視点の斬新せいから、暮らしのノートITO《石渡均の黒澤明とつげ義春の芸術比較論=「澪」誌(横浜)》で、まず、紹介した。
【「ある歩哨」衛藤淳】
 自衛隊に長く勤務したベテラン曹長の独白体で、訓練で歩哨に立つ。その間の思案や、新人隊員とのやり取りが、軽妙な語り口で描かれる。実体験があるような感じがした。歩哨と穴掘りの行動を、自分は慣れ切って、気が入らないが、あとからやってきた新入隊員は、張り切って熱心に行う。本来の他国の敵兵から自国を守る自衛隊。敵がやってきて、武力を使わせてからでないと戦えない軍隊に、長く務めるということは、どういうことかという、曖昧さの意味を問うような、また、文学的な寓意を含ませたような、奇妙な味のある作品である。
【「私だけのYOKOHAMA どっこい生きている!第4回―街のお豆腐屋さん(旭区)青木栄一氏」石渡均―文・写真】
 大変良い企画で、地域内の街と住民の高齢化の進展にどう向き合っているか、正面から聞き取るインタビュー記事である。地域のリトルマガジンの性格を作り上げる企画としても意義深い。
【Twitter小説「ネコネコ星の話」片瀬平太】
 世の中、猫ブーム。そこに焦点をあて、「ネコネコ星」から来た猫に地球が乗っ取られているという設定で、既定の語数で話を語り、つなげていく趣向。SF的狙いは面白い。が、このような現実をなぞるような、内容であるなら、SFにする必要性が薄い感じがする。読者層の関心をかきたてる努力は、素晴らしいが、ツイッターの読者がどれほど、ついたかが知りたいところ。言いたいことが、多くあるのに言えてない感じ。
【「緊急報告―羽田低空飛行路の悪夢=コロナ災禍を受けて=」柏山隆基】
 羽田の航空路の変更に対する違和感を、哲学的思考で話題にし、今回はコロナ禍の話題に至る。話は、新型コロナの発生源とされる中国の世界制覇的な政策対応に触れ、そこからパンデミックを、ハイデガーの技術論から論じている。自分は、大学で資本論経済学の専攻
だったため、マルクスの関係論から、発想している。マルクスの社会発展論の初めに、原始共同体論がある。まず自然と人間の関係の始まりとして、農耕における不確定な関係を視野に捉えている。それは、資本主義で発展した人的契約的関係でなく、きまぐれな自然に人間は、技術をもって、予測できる関係に作り上げたと見る。パンデミックは、本質的にその自然である。この事態に、世界各国が無策のように見えるのは、人間関係の契約的関係から外れているためであろう。ワクチンは、自然の不都合な部分を調和させるための技術である。ハイデガーの存在論が外部との関係性をどう解釈しているか知りたいところでもある。そんな感想を持った。
【「林檎亭」鈴木容子】
 若い女性が、英二という20歳の若者(年下であろ)との関係を語りながら、現代の風俗を語る。オチらしい工夫がある。説明が面倒なのと、感覚が古いので、語れないが、文章が冗長なので、簡潔に流れをそのまま維持するところに、工夫の余地がありそう。
発行所=〒241-0831横浜市左近山157-30、左近山団地3-18-301、「澪」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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