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2020年11月25日 (水)

「駱駝の瘤 通信」第20―2020年・秋(福島県)

 本誌は、東電福島第一原発事故に被災した住民の立場から記された評論が、多くを占めるので、その部分を、暮らしのノート「駱駝の瘤通信20号に読むー福島原発事故地域の思想」に一部紹介した。国策というものに対し、報道がどう歪められているか。また、事実に対し政府見解がどれだけ異なるかを論じている。
【「棄民についてー昭和天皇について少し考える」鈴木二郎】
 本論は、ネット検索でも読めるーー―昭和28年11月11日の拝謁記には、昭和天皇が「一寸(ちょっと)法務大臣ニきいたが松川事件ハアメリカがやつて共産党の所為(せい)ニしたとかいふ事だが」と明かしたうえで、「これら過失ハあるが汚物を何とかしたといふので司令官が社会党ニ謝罪ニいつてる」と明かしたと記されていました。――
 という話を枕に、昭和天皇が太平洋戦争敗戦のあとに、天皇位を退任するかどうか、迷われたという歴史的な事実を資料で提示する。そして「昭和天皇独白録」=文春文庫• 著者 寺崎 英成 (著)、マリコ・テラサキ・ミラー (著)を、 雑誌文藝春秋が発掘、掲載した昭和天皇最後の第一級資料=をもとに、「敗戦した国の天皇が、ドイツの皇帝のように、国外亡命するようなことは、あってはならず。三種の神器を継承する、天皇職を守るという、本心があった」のではないか、とする。
 この視点は、昭和天皇の日本国の頂点である天皇という血統職を維持するという意志を明確したとする角度から、重要視すべきであろう。
 昭和天皇には、政治にかかわることは、皇族の存続を危うくするという体験があった。そのことから、東京裁判での問題提起は、骨身に染みることであったはずである。東京裁判の国際的な判定に、逆らうことは皇族の立場をも危うくする。それは、内心の価値観とはズレたり、異なっていても、その判決に従うべきなのだ。そう考えてしたとすると、昭和天皇が、国際裁判で戦犯とされた東條英機を、靖国神社に祀ったことは、参拝することをできなくした理由としても理解出来る。世の中の歴史がどう変わるか、いつの時点でもわからない、ということを、身をもって体験しているからであろう。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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