文芸同人誌「弦」第108号(名古屋市)(下)
【「道三の首」久野治】
戦国時代の下剋上を象徴するように、油売りから大名にのし上がったとされる斎藤道三の最期の姿を描いて、史実資料と想像力をマッチングした、面白い物語にしている。史実的資料を活用した歴史小説の手法が活きている。
【「修羅の扇」市川しのぶ】
日本舞踊の家元の流儀で競う世界の踊り手の、そこに魅せられた人の情念を描く。ある日、この世界では規模の大きくない萩流師範の萩慶二郎の稽古場に、高校生の有本志穂が弟子入り志願してくる。その説明によって、通信器にポケベルが使われていた時代の日本舞踊会の実情が語られる。慶二郎はこの世界で不合理なしきたりをくぐりぬけて、独立して家元を維持してきたことがわかる。有本を門下生にしたが、期待以上の成長を遂げる過程と、慶二郎の付き人で古参の野村峰代の人間的情念がからむ。三人称形式をよく使いこなして、歯切れのよい表現になっている。作者は日本舞踊会の運営事情に詳しいらしく、一般家庭から研修生のような弟子を養成するシステムなど、教養としての着物着付けや作法の修得生徒などの説明がよく書けている。
話の進め方で、さらに本筋と枝葉を加える余地を与えている構想で、作者の意図が感じられる。物語の柱を作って、それに沿った逸話を、映画のシナリオのように、箱書き短編化して、あとでまとめるのも良いかもしれない。とにかく、力作である。
【「ヘミングウェイ」西川真周】
アメリカ文学の愛好者には、大変面白い話になっている。悠々自適の文学老人が、町の家具屋の椅子のひとつと、BGMの雰囲気が気に入ってそこで読書をすることを習慣にしていた。するとある時期から、若い女性が店員として現われ、彼に向って「ここでヘミングウェイを読まないでください」といって、通り過ぎる。その後、女性は店をやめたらしく、どこかに消える。そして、よその土地のカフェで、本を読むその女性を発見する。彼女が本をおいたまま席を外した隙に、彼女の本を見てみると、ヘミングウェイの「移動祝祭日」であった。文章は、エルビス、サリンジャーなどアメリカ文化づくしで、楽しませてくれる。まさに村上春樹の世界に重なるものがある。かつては、植草甚一という米国通がいたが、この作品の作者は、遅れてきたハルキというか、時代とのマッチングのタイミングいついて、考えさせる。
【「三劫」白井康】
僧侶から織田信長に、囲碁の才能を認められ出世し、本因坊算砂と名乗り活躍した人がいたらしい。織田信長勢についていたため、本能寺宿営に同行した算砂は、光秀の奇襲に合う。信長は腹心の宗安に、光秀に自身の何が遺体を渡すなと命じる。信長の首を確保した宗安は、算砂にどこに光秀の手を逃れて、納めるべき場所を相談する。その結果、駿河の西山本門寺を推奨する。武士文化の様子を描いて面白い。
【「不意のライバル」長沼宏之】
始まりは、年老いて妻を亡くしたことから、愛妻ロスの不雰囲気を語る。彼に妻は、詩人でであった。その彼が、妻の隠された物入れを見つける。すると、夫の出張でいない間に、実業家の恋人がいて、彼のために資金を提供していたが、それも使い果たす様子に、妻は縁を切っていた。しかし、妻が亡くなったのを知らないので、彼は妻の名で生きているがごとく妻になりかわり、夫が亡くなって独り暮らしだと、彼に手紙を出す。すると、男は、彼の家にやってくる。この妻の元愛人と、夫とのやりとりが、面白い。いわゆる間男の男の性格も活き活きとしており、読み応えがある。構想があって、それを表現する力のある作者のように思えた。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、中村方。「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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