同人誌時評「図書新聞」( 2020年9月5日);評者=越田秀男氏
(一部抜粋)
「群系」44号では「平成三〇年間の文学」を特集。柴野毅実さんは、リービ英雄を取り上げ、異言語の狭間での思考・表現がグローバリズムの擬制を撃つことに繋がった、と指摘。草原克芳さんは、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を中心に、トランスヒューマニズム(人間観の変容/拡張/崩壊=草原)へ向かう潮流を概括。平成年間から21世紀中盤の方向を眺望する論考だ。
一九三八年創刊の「龍舌蘭」は200号の節目。岡林稔さんは戦後文学の黒木淳吉と阿万鯱人を取り上げ、両者は常に「地方」を起点に「いま・ここ」に戦時をひきつけ、戦争への「たぎる」ような怒りを動力に作品を創出したとし、「同人誌を主たる発表の場とする地方の同人作家であるがゆえに」実現し得た、と同人誌という場の役割と意義を説いた。
定道明さんは作品集の上梓を重ね重ねて、今回の「ささ鰈」(編集工房ノア・刊)は枯れた文体で庵(物語)を結ぶ。末尾の『ホームまで』は、いよいよホーム入所も、との思いに至った〈私〉。そのホームは、生まれ育ち今も生活する場の川向こうにある。訪れると、逆に我が村の姿、その変遷も一望できる。生誕地と終の棲家候補が見つめ合う。
以下、剰余の時間を過ごす老人の姿――/> 『映像の彼方』(伊藤礼子/八月の群れ70号)――〈私〉は三十路を目前に、リストラの憂き目に。再就職からも見放され、叔母夫婦が営む食堂の手伝いが当面の便。客の中には、酒で長居を決め込む癖の悪い老人――ところが私は、その爺がTV映像の彼方に、若者でとび職として颯爽と活躍する姿を見つける。高度成長期と今、私と老人、往路と復路が交差する。
『プリン、さらにバスチー』(田中一葉/カム18号)――五十路を過ぎた〈わたし〉は、離婚した従妹・美久が住まう、夫の抜けたマンションの一部屋を、美久の提案で、間借り・同居を始めた。生活費削減、安全・安心、寂しさも和らぐ。ある日の晩、二人そろっての食事、美久の提案で、鶏肉のポン酢叉焼、わたしはポン酢調達でコンビニへ。食後のスイーツもとレジに並ぶ。と、下水のような異様な匂い、臀部をぐっしょり濡らした老人……。帰り道で祈る「今夜、美久とわたしが夢にさらわれることがありませんように」。
『逆耳』(国府正昭/海101号)――冒頭、スーパーで山と盛られたパック入り干し柿、その一つ一つを手に取って、舐めるように見ては戻し……穿いているズボンの膝はポコンと膨らみ尻にも黒ずんだ汚れが……この老人を観察していた〈私〉は、老いについて考え始める。後日私は右耳が聞こえなくなる。突発性難聴? 医者が下した診断は“逆耳”。何じゃ? 作品で直に確かめたし。
『殺して』(張籠二三枝/青磁41号)――〈私〉は学校の先生。冬、通勤途上で不審な老婆に引き寄せられ、「私を殺して!」、家から息子、事なきを得る。早速友人に報告すると「あなたってそういうタイプ」。二月、三年生自由登校、殺して! は忘却の彼方、友人の店に誘われる。レストランにイベント会場を併設、地域のアート活動を夫と支援、自らもグラツィーリス。が、夫が病にたおれ幕引きへ! 急にあの老婆が気になり始める。朝、殺して! の道をたどると、あの家は既に更地。
『石ころコロ子』童話(河合泰子/夢類27号)――新しい町、ハイツの二階に引っ越してきた〈ミーナ〉は、階下にゴリラじいさんが住んでいることを知る。ドアを開けると大きなゴリラ、縫いぐるみが飛び出す。この爺にだれも近寄らない。ある日お使いに行く途中、川っぷちで石ころを拾っている爺が。一つ貰い持ち帰ると、この石ころがおウチに帰りたいと言い出す……。石はわが民族では神話や民話でなじみ深い、その石ころがキューピットに。
『Nさんとの七年間』(櫻井幸男/文芸復興40号)――傘寿をこえた〈N〉さんの趣味も石ころ収集。お庭を拝見、見事な配石で草花に調和、石を凝視していると色が微妙に変化、これぞ醍醐味! ところがNさんは変わらないことの魅力を語る――「何十億年と変らず存在し続ける石を見つめていると、∞時空の世界に入り込むような……」。石に比べなんと卑小な人間存在!
『老而不死(老いても死せず)』(森下征二/同上)――論語で、漢字にして28文字、しかも無礼なジジイと罵られた原壌を“いま/ここ”に蘇らせ、解釈を転倒させた。森下さんは、原壌は荘子の“死生一如”の一途な実践者であるとして、なんと孔子に、臨終にも“道”を行う哲人と褒め称えさせた。「礼記」「荘子・至学篇」を論拠にしている。(「風の森」同人)
《参照:平成年間から21世紀中盤を眺望(「群系」)――地方を起点とした黒木淳吉と阿万鯱人の戦後文学(「龍舌蘭」)》
| 固定リンク
コメント