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2020年9月16日 (水)

文芸芸術(自己表現)と小説の錬金性

 労働者文学賞の選考委員、鎌田慧氏の票を読むと、近年は、応募作品はは、派遣社員やアルバイトなどの非正規労働者のものが多いという。《参照:生活の中の「労働者文学」87号=現場仕事の多彩さに驚く》おそらく、生活の貧困と結びついているからであろう。同じ労働者でも正社員は、応募しないらしい。では、正社員の文芸愛好家はどうしているかというと、普通の地域のの合評会に集まれる地域の文芸同人誌に書くのであろう。功成り名を残してる人の過去歴も、このたぐいであるが、著名人のものであれば、多くの読者に読まれる。原稿料や印税が入り、錬金術の一つになり得る。普通人の場合は、老人の綴り方文集が主である。これを社会的には、作文としているが、同人誌に参加すると、エッセイストということになる。これは、純粋自己表現の世界である。お作文でも社会的な存在感で、お金を生むものと、自分が費用を負担するものとの差がある。人間は差別に生き甲斐を見出す生物であるから、文章で人を楽しますことで錬金する作家と、普通の文芸愛好家とは、社会的な待遇がことなる。この異なることを不満とする同人誌作家は少なくない。人を楽しませ時間を忘れさせる物語を書きさすれば、職業作家になれるので、なぜ、そうしないのじか、一考を要するテーマである。話が長くなるので、このことは別にして、本来のことに触れよう。

 文章芸術という世界がある、これは芸術に関心のある人だけに、読まれるのである。芸術というのは、時代によって評価が異なるので、たとえ優れていても、作者の生存中に錬金性を生むとは限らない。石川啄木やF・カフカなどは、死後にどれだけ多くの人に読まれたかを知らない。文芸同人誌などは、芸術に興味のない人の作文と、芸術性を意識した文学作品が同居していることが、読者の関心を遠ざけることになっている。このような視点で、創作の発表を考えれば、的確な同人誌雑誌論がうまれるのではないだろうか。

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