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2020年8月23日 (日)

文芸同人誌「あるかいど」68号(大阪市)(下)

【「冬隣」奥畑信子】
 冬隣というのは、俳句の季語だそうである。内容は、高齢者の日常と回顧になっている。俳句の解説から始めたほうが、情感が伝わるのではないか。
【「牛乳ごはん」西田恵理子】
 夢のから始まる出だしが快調であるが、そのあとは、短歌や俳句をいくつか並べ書きすれば、省エネになるのではないか、と思わせる。「冬隣」にも同じことを感じたが、それぞれもっともである事情が記されているのである。2作とも、同人誌仲間から、変だと指摘されることがないように書いたという気配を感じる。
【「わたしのアキラさん」泉ふみお】
 世間でいういわゆる知的障碍者のアキラさんは、喫茶店で働いている。語り手の「私」は、子供の時のポリオの後遺症で、歩き方がぎこちなく目立つ。いじめもあったのであろう、不登校になる。それから福祉障害者センターでボランティア活を動をするようになり、根の明るいアキラさんに出会う。その人物像の描き方がうまく、読んでも好印象を感じる。「私」とアキラさんの恋愛物語であるが、楽しく読める。関連することがらの調査も必要であろうが、よく消化されている。
【「万力」池 誠】
 謄写版といえば、かつて簡易印刷として親しまれたガリ版刷り印刷機の道具である。懐かしいものがある。その謄写版の製作のために万力は、たくさん必要だったとある。その商売も、東海道新幹線の開通のころになくなったそうだ。時代の資料としても、興味深い作品である。
【「潮夏(しおなつ)」高畠寛】
 主人公は幾度か北海道を幾度か訪れている。中学2年の夏休みにそこの祖父の家に滞在する。そこで、同年代か紀子と出会い思春期の恋愛に発展する。過去のことを現代時間に引き付ける冒頭の運びは素晴らしい。そこでは、三島由紀夫の「潮騒」を思わせるようなロマンが描かれる。その後の話は主人公の日記から、追想するのだが、彼女は別の人と結婚し、祖父の家はなくなり、紀子の心を謎とする語り手の想いで終わる。硬質な文体のなかで、ロマン性のある文芸性に富んだ小説である。
【エッセイ「事実が物語になるとき」佐伯晋】
 いろいろな文学者と大阪文学学校の関係が述べられている。このなかで、長谷川龍生とは、東京中野の新日本文学会の講座に通っていた時に、講師だった。他に針生一郎や、菅原克己だったかな、幾人かの講演者がいた。当時、詩を書いていたが、針生一郎には、文学性のある文章とは何か、について学び、長谷川龍生には、山手線の原宿あたりに皇族駅というのが無人で今も形だけある、という話を聴いた記憶がある。なにか質疑をしたように思う。その後、新日文の関係者を見て、こりゃだめだと思い、夜間大学に通うことを考えた。それから、幾十年たって、「騒」のメンバーの誘いで、秋山清のコスモス忌の集いがあった。神楽坂にいったら、長谷川龍生氏が来ていて、話しかけると、大阪文学学校の校長だか、理事長だかをしているという。ほかにも、詩作から小説に展開する話などあったが、とにかく印象の強い詩人であった。
発行所=〒536-0042大阪市阿倍野区丸山通2―4―10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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