文芸同人誌「文芸中部」114号(東海市)
【「あの日」蒲生一三】
あの日とは阪神淡路大地震のことである。その日の夜、「俺」は眠っていて、布団の上に家財道具が倒れてのしかかり、身動き取れない状態から、助け出される。救助隊の様子や、母親がまだ奥に主人がいます、といったことで、父親が埋れていることをしる。やがて父親は、血にまみれ命なくして運び出される。いまになってこのことをリアルに描き出せるのであるから、被災者のトラウマの重さを実感させる。かつて消防団にいたことや、様々な過去を思いおこす。そして、ある日、夜うなされていたことを妻から教えられる。その日は1月17日、あの地震の日だとわかる。トラウマはさまざまな形で心を犯すが、いうに言えない一つの事例として、うまく表現している。そうなのか、と感慨を呼ぶ。
【「月は東に陽は西に」和田知子】
紹介は省略しようとおもったが、感想を述べる。話の芯が斜めに移動するので、何が最大の問題なのか、わからない。登山仲間の山田の滑落が一番のテーマなら、そこに的を絞るべきでは。問題提起をならべて、書きたいから書いたでは、受け取り方に困惑する。
【「あなたにおまかせ」浅岡明美」
なるほど、そうなんですか、というのが読後感。孝也という男ががんで死んでも、読者には心に何の波動も起きないのである。
【「影法師、火を焚く(第15階・第2部の3」佐久間和弘】
全体像を不明であるが、部分だけでも読ませる話の運びである。エロい表現もあるが、これこれで時代に合った表現で、乾いた語り口に関心した。末尾には、調べて参考にした資料本が記されている。それだけのことはある。
【ずいひつ「シューベルト弦楽4重奏第一五番」堀井清】
毎回、音楽を聴く話と、現代文学作品の解説が合わさっている。今回は、第162回の芥川賞受賞作「背高泡立ち草」(古川真人)である。
【同「『東海文学』のことどもkら(7)」三田村博史】
かつては文壇というものへの登竜門が同人雑誌であった。そのころの三田村氏が文壇に上るのにその門に梯子をかけたがまで行ったような逸話がある。不運なのか幸運なのか、現在の立場にいる話である。面白いし勉強になる。
【「雨だれ」西澤しのぶ」】
洋樹という息子がピアノを愛好しながら成長し、その間に夫がギヤンブルで、身を持ち崩し離婚する。なにがテーマ考えてもわからない。ダメな読み手です。
【「東亰(とうけい)を駆ける」本興寺更】
江戸から東京にならい、武士という戦力が不要になって、大変な時代があって、その時期の人々の苦労が描かれる。調べが生きて、大変に勉強になる。そして、何よりも作者と作品の間にきっちりとした距離感があることだ。同人誌の作家に、作者との距離感がないと指摘するとよく反論される。反論しても無駄である。ないのであるから。
【「もうひとつの日常、または旅」堀井清】
ちょっと不良の老境の男が、街でみかけた中年女性をナンパする話からはじまり、それぞれ登城人物の孤独と世相をあぶりだす。括弧のない会話のスムースな落ち着いた文体で、どこまでも読みてをひっぱてゆく。こういうものがあると、文学愛好家の友人に読ませたい気にさせるが、その友人は故人となってしまった。
発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
| 固定リンク
コメント